第7話 黒幕

 祭囃子が鳴り響いている。

「……何だ、それ」

 荒川が、ぽつり、震えた声を絞り出した。

「『地震で殺した』って、まるで、例の地震が『誰かに起こされた』みたいな……」

 焔は表情を変えずに、当然のように言う。

「ああ、そう言った」

「……どういう、ことだよ!? 地震は天災だろ!? そんなの故意に起こすなんて……」

「なんだお前、こんな状況でもまだそんなこと言えるのか。逆に尊敬するな」

 馬鹿にしたような声音が耳に通って、荒川の脳は冷える。そうして、思い出した。今まさに己に『人知を超えたこと』が起こっていることを。

「……いつからだ?」

 目を見開いたまま、荒川の声が零れ落ちる。

「いつから、この駅は怪奇に……」


「始まりはおそらく山を切り崩した時から」


 簡単に、日常の些事のように、焔は答えを落とした。

「神仏も怪奇のひとつ。だからそう、特に日本には『そういうもの』が多いし、多かった。何せ八百万の神、米粒一つにも神が宿ると考える土地柄だ……そういう、信力で産まれた信仰を集めるものを、人間界の『外』では『しん』と呼ぶ」

 淡々と、答えを紡いでいく。焔の表情は変わらない。

「今回の黒幕はおそらくは、元々は山神として産まれた『信』だろう。もっと言えば、『怪奇』と化した信、『信堕ち』。

この駅は山を中途半端に切り崩して開いた土地に建てられたものだった。どうやら調べたところ建てられたのは100年は前、太助や当時の駅員には知らないことだっただろうがな。だが山を切り崩す時に鎮めの儀式を怠ったか、たまたま過激な『信』だったか――どっちかは知らんが、ともかく山を切り崩されて、『信』は信仰を失って、あとは緩やかに消える筈だったところを大暴れしたわけだ」

 中途半端だったから即消滅させられなかったのがまずかったな、と、焔は簡単に言う。

 大暴れ。それが何を指すのか、荒川にももう分かった。しかし焔は無慈悲に、言葉を続ける。

「地震は『信』としての最期の抵抗だった。そしてその時、その駅には人が集まっていた。山神はその駅ごと己の身に取り込んで、『怪奇』として存在を繋いだ。降りてきていた太助の魂も捕まえて、まだまだ生贄を喰らおうとした。存在を安定させるために、だ」

 ふう、と焔は息を吐く。

「信堕ちってのは面倒なんだ。純粋な怪奇よりも生き物に近くて、自我が強い」

 明日のテストを憂うような、それくらいの温度だった。やがて焔は徐に、荒川に視線を投げる。

「納得したか? なら降りろ。電車が動くぞ。食われたいなら止めないし、俺は助けないからな」

「……黒幕については、どうするつもりだよ」

「わざわざ太助を唆して脳味噌取り除かせるような、人間の膨大な記憶も『消化』できない低級だからな。あと1、2本の電車も喰わせとけば勝手に消化不良起こして自滅するさ。そうすればこの空間も崩壊して、俺達も解放される」

 あっさりと、何でもないように言われたその言葉は――荒川には、看過できない言葉だった。即ち、それは、電車1、2本分の人間を犠牲にするということ。それを、何もせずに眺めているということだ。

「……ふざけんなよ」

 荒川の腹にふつふつと煮えたぎるものがあった。この空間に取り込まれてからずっと抱えていた恐怖が、一周回って怒りへと変わる。

「ふざけんなよ、お前も、山神とやらも、ふざけんな……ッ命をなんだと思ってんだ……!!」

 焔を睨みつけて、荒川は踵を返す。足の先は電車の出口ではなく、次の車両への扉に向いていた。

「この電車に乗ってりゃ山神野郎のとこに辿り着くんだろ、それなら乗り込んでやるよ!! 一発ぶん殴ってやんねーと気が済まねぇ!!」

 そう言い捨てて、荒川は走り出した。あっという間に焔の視界からは見えなくなって、きっと荒川は一番前の車両まで走り抜けているのだろう。


 ――ぷしゅう、と、空気が抜ける音がした。唯一開いていた電車の扉が閉まっていく。それが完全に閉まると共に、一つ揺れた電車が、ゆっくりと動き出した。トンネルに向けて、闇に向けて、電車は進む。山神の胃の中へと進んで行く。焔はそれに背を向けて、ホームに並ぶ三連椅子のひとつに腰掛けた。

「……追い詰められた人間が何しでかすかわかんねーってのはホントだな」

 ぽつり、焔は言葉を落とすが、当然返事を返す者は居ない。彼は胸ポケットを探り、シガーケースから取り出して剥き出しで入れておいた一本の煙草をつまみ上げる。それを口に咥え、懐からライターを取り出した。

 ――荒川の奴は、死ぬか。まあ、俺には関係無いか。

 そう考えて、焔は目を伏せた。祭囃子が遠くに鳴り響いている。そう、これは祭りだ。山神が復活するための。

 生贄を捧げ、環状線は陣を描き、最初の生贄たる駅員達の亡霊に囃子を奏でさせる。さしずめ太助は生贄を捧げる神主役か。全く悪趣味だが、信などに趣味の良さを求めても仕方が無い。

「……ああ、心配するな、太助」

 そう言って、焔は膝に置いた小さな帽子を撫でた。

「駅員達と一緒に、此処から出たら弔ってやる。まあついでに、荒川も骨を拾うくらいはしてやるか」



 ごぽり、と、泡立つ音がする。前も後ろも左右も上も下も、全てが闇だった。

 荒川の顔に、体に、何かが触れる感触がある。毛が多く生えた、手のようだった。それが幾つも荒川の至る所に這いずっていた。

 その感覚に、ぞくりと背筋が冷たくなる。

 此処は酷く、寒い。寒くて、寒くて、怖い。

 ――どうして俺はここに居るんだっけ?

 ――怖い。寒い。帰りたい。帰りたい。ここは何処だろう。なぁ母さん、父さん、なあ。

 ぼんやりと、荒川の思考が薄れていく。酷い眠気が襲ってきて、もう目を閉じたくなってきた。

 黒に染まっていく視界の端に、自身の手が見える。小さな傷が出来ていた。これはいつつけたものだっただろうか。そう考えて、焔に言われて駅長室の扉をこじ開けさせられたことを思い出す。


 ――ああ、そうだ、あいつだ。あの野郎だ。

 ――あの野郎、説明は足りねぇし、力仕事は押し付けるし、本人貧弱なくせにやけに余裕ぶりやがって。

 ――そうだ、思い出した。腹立ちついでに思い出したぞ。俺は殴ってやんねぇといけねぇんだ。山神だとか何だとか知らねぇが、巻き込みやがって。大勢巻き込みやがって。太助を弄びやがって。腹立つ。腹立つ。せめて顔くらい出してやれば少しはマシだったのに、そうだ、俺は、コソコソ人を傷付けやがるクソヤローが大嫌いなんだ。


 感覚が戻る。温度が戻る。荒川の手の先にまで血が巡る。びくり、と、荒川の体に触れていた数多の手が震えて引き下がろうとした。だが、もう遅い。

 両手で一本ずつ、手首らしきものを掴む。人の手を形をしているが、毛むくじゃらの感触がした。

「……おう、お前好き嫌いがあるんだってな、山神野郎」

 ざわざわと闇が蠢く。荒川の脳に最早恐怖などはなく、ひたすら怒りが満ちていた。ぎっと睨みあげて、吐き捨てる。

「あぁ、あと、俺は臭いんだったな? だからこんなじわじわ触りやがったのか? 臭い奴でもどっか食える場所探してやがったか? あったかよ、食える場所はよ」

 ぐいぐいと手首を掴み、引っ張って、その元を探すように進んでいく。長い腕を引き縄として、進んで、そして――黒い塊に行き当たった。

「食わせてやるよ」

 拳を振り上げて、唸る。


「人間なめんなよ、クソ野郎が!!」


 拳が塊に沈み込む。黒に、荒川の体は飲み込まれた。

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