第5話 記録

 小屋の中身は駅長室のようだった。執務用らしい簡単な机と、革張りの椅子。そして、壁沿いに並んだ本棚一杯に本やファイルが詰め込まれている。それに入り切らなかったらしいファイルや書類が散らばって、床には足の踏み場も見付からなかった。

「よし」

 焔はそう頷き、足で紙を払い除けて雑に足場を作りながら迷いなく進んでいく。荒川はそれに呆れながらも、自身も中へと足を踏み入れた。

 とはいえ、荒川にはすべき事が見当たらない。焔は黙って座り込み、近くの紙やノートを見ては放り見ては放りを繰り返しているが、焔が何を探しているのか、自分は何をすればいいのかも検討がつかない。仕方がないので手持ち無沙汰に焔が放り投げたひとつの紙を手に取ってみる。

 それは新聞の一枚のようだった。日付は今より40年は前のもので、文字や写真はほぼ擦り切れてしまっている。そんな中、見出しの文字は何とか読める程度には維持されていた。

「……太助駅長、就任……?」

 荒川は首を傾げる。駅長の存在は普通だが、就任したことなどわざわざ記事にするだろうか。もう少し情報が欲しいと新聞を眺めてみるが、ほとんど読めたものではなかった。裏返してみるとべったりと赤黒い液体がついており、思わず荒川は「うげっ」と叫んで新聞を放り投げる。

 そして放り投げられたそれは、べしゃりと焔の頭にぶつかった。

「……」

「あ、わ、悪い……」

 荒川より小柄で細身であるはずだが、あまりの迫力でじっとりと睨まれて思わず身が縮んだ。焔はといえば深い溜息をついて、荒川に先程まで読んでいたノートを放った。

「うおっ!?」

「太助についてはそれを見ろ」

 そうとだけ言って、また焔は紙の束を物色し出す。独り言を聞いていたのかと面食らいつつ、荒川はノートを捲った。

 どうやらそれは新聞記事を切り貼りしたスクラップブックのようだった。最初のページに貼り付けられた記事は、先程と同じ「太助駅長、就任」の見出しが飾られている。しかしノートに挟まれて野晒しを回避したからか、先程の記事よりも保存状態が良く、文字や写真が鮮明に残っていた。

 見出しのすぐ横に貼り付けられた褪せた写真は、制服を着た駅員数名がある一つの椅子を囲んで笑顔でポーズを取っている。その椅子には、一匹のニホンザルが、駅員と同じ帽子を被って座っていた。

 ――これが、『太助駅長』か?

 その疑問は文字列を追ってすぐ解決することとなる。山にほど近いこの駅で、数年前に一匹の怪我をした小猿が保護されたこと、その猿は太助と名付けられ、紆余曲折を経て駅で飼われることとなったこと。人懐っこく賢い太助はすぐに駅員や客に愛され、今回『猿の駅長』としての地位を与えられたこと。『太助駅長』の効果は絶大で、寂れた駅はとても賑やかになったこと。そういったことが綴られて、記事は「より一層の活躍が期待される」と締め括られていた。

 次のページを捲ると、やはり太助についての記事が貼り付けられている。次のページも、また次も、時折このノートの作成者が記入したであろうコメントも挟まりながら。コメントの字体は様々で、恐らくは一人ではなく、多くの駅員が作ったものなのだろうと察した。

 コメントも、記事の選び方も、駅員達の太助への愛が溢れていた。

 荒川は床に散らばったノートを拾い集めて、捲ってみる。関係の無いノートもあったが、太助についてのスクラップブックもある。主に後者を探していると、一つ、途中で終わってしまっているスクラップブックがあった。

 ――それに貼られた最後の記事は、老年になった太助が病気で息を引き取ったという内容だった。

 記事の周りに、沢山のコメントが記されている。太助の冥福を祈るものも、太助への感謝を記したものもある。「うちの駅に来てくれてありがとう」「沢山の思い出をありがとう」「ずっと愛しているよ」――そんなコメントが沢山記されていて、そのページは随分とよれていて、涙のシミが残っていた。

「……何泣いてんだお前」

「う、うるせぇ!! つかお前もこれ読んだんだろが! 平然としてるお前が冷徹なんだっての!!」

 鼻を啜った音に気がついたらしい焔に呆れ目を向けられ、荒川が吠える。焔はといえば明らかに面倒臭いというような顔をして、また手元の紙に目を落とした。

 それが無性に腹が立ち、ならば焔は何を見ているのかとずかずかと歩み寄って荒川もその紙を覗き込んだ。

 それは新聞だった。ただ、荒川が最初に見たものよりも日付は数十年ほど新しい。そのためか劣化も少しマシで、文章が少しは読めた。

 見出しは――『太助の一周忌イベント開催決定』。

 飛び飛びの文章を読むと、どうやら太助の一周忌の日にこの駅で太助の冥福を祈り太助との思い出を語り合おうというイベントを開催する知らせのようだった。

「何だよお前だって太助のこと気にしてんじゃねぇか」

 荒川が鼻を鳴らす。しかし焔は何も返さない。疑問に思って顔を上げると、焔は新聞ではなく、駅長室の窓の方を見ていた。

 それに倣って窓の方へと視線を向けて、荒川は目を見開く。

 ――先程まで何も無かった線路に、電車がひとつ止まっていた。そして、無人のはずのホームで、ゆらりと空が揺れた。

 揺れて、それは影となり、形を成す。毛むくじゃらの化け物がそこへ現れる。化け物はゆっくりと歩を進め、一番後ろの車両から入っていく。

 車両の様子は、駅長室からでは遠すぎて見えない。だがきっと、乗客の脳味噌を啜っているのだろう。荒川はかの光景を思い出し、吐き気を堪えた。顔から血の気が引いているのは自覚している。焔はやはり無表情で、電車を見ていた。

 駅長室からは、電車の一番前の車両の様子だけはぎりぎり見えた。荒川は最早直視出来ずに俯いてしまったが、焔はじっと見ている。化け物が頭に噛み付いて、脳を啜る。音までは聞こえない。ただ、化け物がその動作を繰り返すのを見る。

 やがて全員分の脳みそを啜り終わった化け物が、ぼんやりと空を見上げ、暫くそうしていた。だがふと、空気が揺れて、化け物は影に溶けるようにその姿を消す。

 そして、電車が動き出した。そのまま、トンネルの中へと吸い込まれていく。

 息を殺していた荒川は、電車が完全に見えなくなって、少し後、漸く息を吐いた。足から力が抜けて、その場に膝をつく。

 ――また人が死んだ。あの電車の中で、きっと。

 ――俺だって、安全じゃない?

 先程までなんとか見ないようにしていた事実を突き付けられて、荒川の喉元まで苦いものがせりあがる。

 焔はじっと窓の外を見ていた。

「……そうか、」

 焔が冷静に、静かに、声を落とす。


「……脳味噌は、目的じゃなくて、要らないものか……」


 そうとだけ呟いて、焔は立ち上がる。そしてそのまま、駅長室を出ていってしまった。

 止めるために叫ぶ気力もない。しかしこの場に一人にされるわけにもいかず、荒川はもつれそうな足を動かして、その後を追った。


 人が居なくなった駅長室で、大雑把に掘り返されたせいで不安定になった本棚が揺らぐ。自重に耐えきれず倒れて、幾つもの紙が散らばった。

 そのうちの一つ、新聞の一枚が、ひらりと舞って床に落ちる。

 そこにはゴシック体で、こう記されていた。


 ――太助駅長の一周忌イベント、地震で崩壊。

 1月5日の地震は悲劇にも太助駅長の一周忌イベントと重なってしまった。

 地震による土砂崩れにより、生存者無し。

 専門家はそもそもこの駅が山を切り開いて作ったものだったために、土砂崩れが起こりやすい土地だったと分析しており――

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