第4話 整理
「人間が……産み出した?」
荒川が、明らかに狼狽して、呻いた。
「ちょっと待て……人間が産み出したモンがなんで人間を襲うんだ? なんでそんなもんつくっちまったんだよ……」
「産み出そうと思って産み出してるわけじゃねぇ。そもそも信力を自覚してる人間なんて信術を使うような極一部だしな」
焔は手に持った一本の煙草を弄りながら、やはり表情を変えずに言葉を続ける。
「信力が概念を形作るのは認知ありきだ。神話なんて、何千年も続いてるようなもんじゃなくていい。インターネットなんてもんが普及してんだ、全世界に物語を知らしめることは、昔よりずっと簡単になった」
「……まさか……」
荒川が息を呑む。
「都市伝説だの、作り物だったそういうのが……
……信力で、本物になるってことか?」
焔が漸く、目だけを荒川に向けた。
「都市伝説が全部作り物だとは言わねーが、まあ、そういう場合もある」
焔の調子は変わらない。プラスチックの椅子に背をもたれさせ、駅を眺める。
「都市伝説発生にはいくつかパターンがある。一つはお前がさっき言ったように、誰かが創り出した妄想話が、認知……『信力』によって怪奇になるパターンだな。それは、『怪奇』って化け物になって、人間に害を成す。
ただ、怪奇自身に人間に対して恨みだのなんだの……特別な感情があるわけじゃない。『そういうものだから』『そういうことをする』、それだけが怪奇の行動原理だ」
「つーことは……ここはあれか、あのー……なんたら駅とかいう都市伝説の怪奇か?」
荒川が口を挟んだことで、焔が少し驚いたような顔をする。それがなんだか馬鹿にされているようで、荒川は顔を顰めた。
「んだよ」
「……いや、ちゃんと思考を繋げられたんだな、お前」
「バッカにしてんだろ!! てめぇいい加減ぶん殴るぞ!!」
「あーはいはい、悪かった悪かった」
全く反省を込めていない謝罪で荒川を適当に流す。本当にこいつぶん殴ってやろうかと、荒川が拳を握るのを尻目に、焔は平然と口を開いた。
「まあ違うんだけどな、お前の推理」
「ほんっといい性格してんなてめぇは!!」
腹の立つままに荒川が椅子を殴りつける。焔自身を殴るのは、僅かに残った冷静な部分で抑えつけた。荒川より細く貧弱そう――とは荒川の主観だが――な彼を喧嘩慣れした自分が殴るのは躊躇われる。髪を染めピアスを開けた自分をあっさりと許容したヤンキー上がりらしい父親からも、弱い者いじめはやめろと耳にタコができるほど言われていたことであった。
そんな荒川の気遣いを知らん顔で、焔は「話を戻すが」とあっさりと話を続ける姿勢に入る。
「この空間は確かにきさらぎ駅を彷彿とさせるが、きさらぎ駅は化け物が現れて脳味噌を食うってことは無い。それに、ここの駅名は『猿の駅』だ」
焔の言葉で、荒川の視線は自然と、プラスチック製の三連椅子の後ろに立つ看板に行く。そこには確かに赤い文字で『猿の駅』と書かれていた。その下に表記されているはずの、前後の駅の名前は無い。
「電車の中で殺される……って話なら、出てくるのは『猿夢』だろ。だが、内容が違う。アナウンスなんか無かったし、殺し方はワンパターンだ。だからこれは『猿夢』でもない。
……つまり、『混ざっている』。この時点で、これは単純な都市伝説の怪奇じゃない」
「……怪奇にも種類があんのか?」
「ある。都市伝説は怪奇の一種でしかない。怪奇って定義はかなり広いからな。神話的な神や仏の類だって大雑把に言えば怪奇にあたる。ただ、怪奇に共通するのは、『人間の認知が無ければ存在できない』ということだ。
認知無しでは存在できない『概念』は、不安定なものだ。認知が深ければ問題ない。信仰がしっかり続いてりゃ問題ない。だが、それが無ければ消える。無かったことになる。怪奇には何も残せない。
……だから、そういう怪奇は『生き物』になろうとする」
荒川が目を見開く。焔が投げた言葉を、上手く掴めずに、口を何度か開閉して、そして、言葉を絞り出した。
「……なれんのか?」
「んなもん知るか。ただ向こうさんはなれるって信じてんだよ。ひたすら『生き物』を自分に取り込んでいけば、いつか、ってな」
生き物を取り込む。
その言葉で、荒川の脳裏に『あの』光景が過ぎった。猿のような化け物が、人間の頭蓋を噛み砕き、脳味噌を啜る、おぞましい――
「そうやって人間を取り込んでいくことで、噂が広まって、新たな都市伝説として成立することはあるかもしれねーがな。それはどうでもいい。奴さんも別に求めてることじゃねーだろ、不安定なことに変わりねぇんだから」
焔が立ち上がる。相変わらず、彼の表情には何の変化もなかった。
「だからって大人しく食われてやる道理は無いがな」
そう言い捨てて、焔はコツリと靴を鳴らす。また歩き出した焔の後を、一拍気を取られた後、慌てて荒川は追いかけた。
「ちょ、待てよ、どうすんだよ!?」
「今の話は知識と憶測だって言っただろ。実際今の元凶がどういう怪奇なのかはわからん。駅関係だとは思うが、忘れられた都市伝説の残りカスかもしれねぇし、忘れられたカミサマの残りカスかもしれねぇし、また別のものかもしれねぇ。人間の心から産まれるんだからな、怪奇なんて掃いて捨てるほどいる。
だから情報を探す必要がある」
歩いて歩いて、焔はやっと立ち止まる。彼の前には、木製の古びた小屋があった。田舎の、自然に囲まれたプラットホームにならあっても違和感は無いだろうが、コンクリートで出来た、都会の駅らしいこの無機質な空間にはあまりに異質である。
――否、この空間は初めから異質だったと、荒川は今にして漸く気付いた。コンクリートで出来たホームは、改札等はなくそこへ繋がるであろう階段もなく、それだけで完結している。行きも帰りもトンネルに挟まれた線路は今は電車の影もなく有るのみだ。ホームに天井はない。線路やホームの向こうを見ると、相変わらず祭囃子は聞こえるが、街並みなどは鬱蒼と茂った木々に遮られて見えない。木々の上には空が見えるが、星も月もない黒だ。灯りは、ホームを照らす蛍光灯のみである。その蛍光灯も、赤色だ。だが照らす光は白い。
そして、コンクリートばかりの駅の中で、ぽつりと立っている木の小屋。とてもちぐはぐで、奇妙である。
そんな奇妙な空間で、焔は暫く小屋の扉を引いたり押したりしていたが、どうやら開かないらしい。溜息をついて、くるりと荒川の方を振り向いた。
「荒川」
「……な、なんだよ」
「さっきの授業料だ」
「はぁ?」
困惑した声を上げる荒川に、焔は目で扉を指し示す。開けろ、ということらしい。その態度に突っ込む気力も失せて、荒川は焔の横を過ぎて扉の前に立つ。
「なんなんだよ……鍵でも閉まってんのか?ピッキングなんかできねぇぞ俺」
「そんな器用なこと求めてねぇよ」
「あぁ? んじゃどうやって……」
「決まってんだろ」
くい、とまた、焔が扉を顎で指した。
「足か腕で、抉じ開けろ」
荒川の顔が引き攣った。そんなことを知らぬ顔で、焔は指で煙草を弄ぶ。
「『コレ』で開けてもいいんだが、なるべく温存したいからな。使えるもんは使う」
「煙草で開ける……って、扉燃やす気かよ……」
はぁ、と溜息をついて、荒川は頭をかく。
諦めて、扉の前で腕を振り上げた。
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