第3話 説議

「脱出……って、」

 呆然と、荒川は言葉を零す。へたりこんだままの彼に目をくれず、焔は歩き出してしまう。

「ちょ、おい、待てよ! 脱出ってどこから、お前なんか知ってんのか!?」

 慌てて立ち上がり、焔を追う。荒川より小柄な彼の数歩は駆ければ簡単に詰めることが出来て、その肩を掴むと、焔は面倒そうに振り向いた。

「ここについては知らん。だから今から調べるんだろうが」

 ぱし、と軽い音を立てて、焔が荒川の手を払う。僅かにたじろいだ荒川を無視して、焔はまた歩を進めた。つかつかと、彼は迷わずに線路に向かう。そして躊躇う様子もなく身を屈め、ひょいとそこへ降りてしまった。

「お、おい!」

 声をかけるが焔は振り向きもしない。ああくそ、と、反応もされないであろう悪態をついて、荒川もまた追いかけてホームから飛び降りた。

 遠くで、祭囃子が聞こえる。


 焔は線路の上を、電車の進行方向とは逆に歩いていた。追う荒川は、そこで漸く線路の先にトンネルがあることに気付く。電車が行った方向にもあったトンネルであった。

 二つのトンネルに挟まれた線路をずんずん歩いていく焔は、そのぽっかり開いた闇の、1mほど手前で漸く立ち止まる。駆け寄って、荒川はやっと焔に追い付いたと密かに安堵した。何も言わずトンネルの入口を見上げている焔に倣い、荒川もまた顔を上げる。

「……もしかして、これが出口か? 電車が来る方向だもんな! ここ歩いてけば元の場所に――」

「違う」

 端的に荒川の声を遮って、焔は踵を返して今度はホームの方へ戻っていってしまう。はぁ!? と荒川の叫びが上がる。反響は無い。

「なんだよそれ!? なんでんなこと分かるんだよ!」

「……お前、いちいち煩いな」

「あ゛ぁ!?」

 焔が顔だけ振り向いて、荒川を見る。その目は明らかな呆れを含んでいた。

 だが荒川はそれで怯むような男ではない。ドスをきかせて睨む荒川に、黙る方が面倒だと察した焔が、一つ溜息をついた。

「反響音」

「あん?」

「空洞音、出てくる風、出口の光、案内標識……そのどれも、このトンネルには無い。このトンネルは先を暗示していない。先を暗示しないトンネルは、『何処にも繋がっていない』」

 振り向くこともせずに、歩きながら、焔は淡々と言葉を重ねる。荒川は、気圧されて立ち止まってしまった足を、慌てて動かしてその後を追った。

「お前に祭囃子が聞こえてたか知らねーが、あれもダメだ。駅の外は出口じゃない。そもそも、『現地の祭り』に関わるべきじゃない」

 ホームにまで戻ってきて、焔は喋りながらそこによじ登る。荒川は口を挟むことも出来ずに、その行動に倣った。登って、ふう、と息を吐き、焔は服の土を払う。

「祭りってのは神に捧げるものだ。酒も、舞も、言葉も。それから生贄も」

「生贄……って、いつの時代の話だよ……」

「決まってんだろ」

 やっと焔は荒川の方に視線を向けた。その黒い瞳から、感情は読み取れない。なんだか目の前にいるクラスメイトこそが、化け物である気がして、荒川の背筋にぞくりと冷たいものが這った。

「今の話をしてんだよ」

 平坦な声。朝、教師に受け答えをしていた時のような、何でもない声。そんな声で話すにはあまりにもその話は不釣り合いであるように、荒川には思える。

 焔はホームに三連並ぶプラスチック製の椅子に歩み寄り、その真ん中にどかりと座って足を組んだ。

「お前煩いからな、俺が知ってることなら大体教えてやる」

 さらりと罵られたが、混乱した頭で反論を考えることなど出来るはずもなく、ぐっと荒川は口篭る。そんな荒川を気遣おうという様子もなく、焔は一つ欠伸をかいた。

「まあ、そうだな、今回の元凶についてだろ、知りたいのは」

「……なんか知ってんのか?」

「まだ分からん。ただ、ある程度の知識と今の状況で憶測は立てられる。けどお前にはその知識から無いからな、まずはそこから説明してやる」

 焔が己の懐に手を入れて、内ポケットから黒い箱を取り出す。どうやらそれはシガーケースで、彼はそこから取り出した一本をその手で弄ぶ。

 荒川はといえば、焔が当然の様に煙草――のように見えるが銘柄はわからない――を持っていたことに面食らっていた。彼は確かに学校では浮いた存在で、人付き合いも無さそうで、時々遅刻をするような、『優等生』とは言い難い生徒である。だが、自分のように『不良』と呼ばれる存在ではなく、校則違反で注意されるような姿は見たことがなかった。

 荒川の驚愕の視線に気付いているのかいないのか――恐らくはまた無視をしているのだろうと荒川は思ったが――焔はまた口を開いた。

「今の状況は、間違いなく『怪奇』の仕業だ」

 シガーケースを懐に戻しながら、焔はそう告げる。怪奇、という言葉に意味を掴み切る事が出来ず、荒川は首を傾げた。

「怪奇ってのはな、簡単に言うと人間界産の化け物だ」

「……まるで別の世界があるみたいな言い方だな」

「そう言ってる。世界、じゃなくて『界』って言うんだがな。地獄界だとか、天国界だとか。まあ、種族数でいえば人間界性種族より化け物の方が多い」

 早速理解を飛び越えた話をされて、荒川は頭が痛くなるのを感じる。そもそも、彼は考えることが苦手だった。

「まあそんな話はどうでもいい。今回の話は怪奇だ。怪奇ってのは、地獄界の悪魔だとか、そういうのとはまた違う。他の界の化け物はそういう種族……『生き物』であるわけだが、怪奇ってのは、『概念』だ」

「……概念だぁ?」

「人間は『信力』ってのを持ってる」

 盛大に顔を顰めた荒川に、焔は調子を変えずに言葉を重ねる。

「信じる力、と書いて信力だが……概念を産み出す力、崩して言うと、『そう』であると信じることで、『そう』であることにする力だ。言霊とかはそれだな。そういう力を意識的に使うと『信術』っつーもんになるわけだが、それを使えるのは陰陽師だとかエクソシストだとかそういう類の少数派になる。ただ、意識的に使えないだけで、『信力』そのものは全ての人間が持ってる。俺も、勿論お前もだ」

「……んだそれ、俺そんなもん使ったことねーぞ」

 呻いた荒川に、焔は溜息をついて頬をかいた。

「意識的に使えるのは一部だって言ったろ。そもそも、信力それそのものはかなり微弱だ。概念を産み出すなんて仰々しい言い方だが、人間界の中にしか適用されねぇし、ある一定数の人数の信仰があってやっと力として成り立つもんだ。

……例えば、人一人が漫画を描いたとして。それを一人だけが知ってる状態ならそいつはただの妄想話でしかないが、その漫画が世に出されて、世界中で有名になったら、そのタイトルやキャラクターは世界中で知られるわけだろ。それが『概念の創成』で、信力の本質だ」

「……おう、わかったようなわからんような」

 焔が呆れたような顔をしているが、荒川は顔を顰めて頭をかく。そのまま、哲学的な話は無理だぞ、と、小さくぼやいた。

 呆れ顔のままではあるが、焔は言葉を続けることにしたらしい。肩を竦めてまた話し出した。

「……概念ってのは一定多数の『認知』が必要なんだよ。神話だってそうだ。一定多数がそれを神話として認知してるからそうなるんだろうが。誰も知らなきゃ、それは執筆者の妄想話になる」

「おー、んでそれが今の状況と何の関係あんだよ」

 理解を諦めて荒川は焔に続きを促す。焔も理解させることは諦めたのか、何度目かの溜息を吐いた。そして、また口を開く。

「……怪奇は概念だって言ったろ。そして信力は『概念を産み出す力』だ」

「……ん?」

 漸く何か繋がった感覚を覚えて、荒川が眉を寄せる。


「怪奇ってのは、人間が産み出した化け物なんだよ」


 焔が素っ気なく、答えを投げた。

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