077

 風刃のシンディが、ノレイス国の情報をライオス国に売った後、数ヶ月の刻を経たノレイス国は未曾有みぞうの危機に追い込まれていた。

 ノレイス国の王――カイゼル・ラハート・ノレイスは憔悴した様子で玉座に腰を下ろし、大臣の話を聞いていた。


「……どうやら、ハーライン家がライオス国に寝返ったようです」


 カイゼルは強く拳を握り、自国の貴族の在り方を嘆く。


「くっ、ついに伯爵家にも裏切り者が出たか……!」

「つなぎ止めておいた貴族の方々も、これを機にライオス国に流れる可能性が……」

「人の絆とはこれ程脆きものなのか。なんとも嘆かわしい……が、それも仕方なき事。騎士団は機能せず、国庫は空に等しい。我が名の下、民も何とか耐えてくれていたが、これ以上の重苦を与える事は忍びない……やはり、亡国と化す責任を、この首をもって償う以外の道はない……か」

「ノレイス国は陛下あっての国。生え抜きの民、貴族は一生を掛けて陛下に付いて行く事でしょう」


 大臣の力強き言葉も、やつれたカイゼル王には響かない。

 人類の希望と称された男も、力を付けた魔王軍の前には無力に等しかった。

 カイゼルは虚空を見つめ深い溜め息を吐く。


(あの巨大な門が出来てから全てが変わった。一体魔王軍に何が起きた? 何だあの精強なるゴブリン軍は? 風刃に金を支払えなくなった今、あの門の向こうにくさを放つ事も出来ん。冒険者も次々とこの国を離れ、誰一人として門すら超えられぬのだ。ライオス国で信託を受けた勇者――確かヴェインといったか? ひと月程前にランクSになったと報告を受けたが、この一件が収まるまではライオスの王が手放さぬであろう。……いや、勇者がいたところで魔界のあの現状をどうにか出来ようはずもない。魔界で一体何が起きている? 荒れ果てた荒野だと思っていたのは門が出来る前まで。今や王城からでも門の向こうの深き緑に心奪われるではないか……! そして、何よりも不思議なのは門を守護するあのゴブリンたちだ。望遠鏡で見れば、確かに精強そうだ。しかし、それ以上に希望に満ちた顔をしている。相手は魔族であり魔物だぞ? 知りたい。人としてではない。王としてその術を。民の幸せあってこその王だ。逃げない民に安堵してはいけない。生き残るためには何をしなければいけないのか。いや、わかってる。我々ノレイス国が生き残る術はあるのだ。そして、その兆候も見え始めている。しかし、本当にそうなのか? そうであって欲しい。それが出来るのであれば、余は……――――!)


 そんな考えをピタリと止めるかのような出来事が、王の眼前で起こった。

 突如開かれた謁見の間への扉。開いたのは新兵とおぼしき男兵士。

 振り返った大臣が一喝する。


「これ! 陛下の御前である! 無礼だ――――」

「――――火急の件につき失礼致します!」


 その一喝が終わる事なく男兵士は跪いて非礼を詫びる。

 王城に仕える身、礼節は弁えて然るべき。しかし、彼はそれでも入って来た。

 それを理解した王は玉座から立ち上がり、男兵士に言った。


「申せ」

「魔王軍総司令官コディー、、、、と名乗る熊が、部隊を率いてノレイス国北門の前までやって来ましたっ!!」


 男兵士は震え、大臣は驚愕する。


「な、何だとっ!? 門番は何をしていたのだ!? 何故それ程の接近を許したっ!!」

「恐れながら! 熊は単身で私の前に疾風の如く現れました! そしてこう言ったのです! 『間もなく我が部隊がここへ来る。ノレイス王へ挨拶がしたい故、取り次ぎを頼みたい』と!」


 そして王は緊張を露わにしつつも…………笑った。


(やはり……!)


 ◇◆◇ ◆◇◆


 ノレイス国北門前には、ガタガタと震える門番以外誰もいなかった。

 しかし、人の興味は尽きる事はない。閑散とはしているものの、確かに人の気配はあった。

 家の窓から、物陰から、魔法使いが用いる使い魔の目を通して……確かに人の目はあったのだ。

 門番は白目を剥きながら、巨大な熊――コディーの前に立っている。


「閣下を前にして退かぬ素晴らしき忠義。貴殿が仕える王はさぞ立派な人物に違いない。はっはっはっは!」


 オークキングのブレイクは豪快に笑い門番の忠義心を褒め称える。


「ふふふふ、ブレイクの笑い声がとどめでしたね。気絶しちゃいましたよ、カレ♪」


 ハルピュイアクイーンのルピーがくすりと笑う。

 彼らの後ろには、百を超えるゴブリンたち。どのゴブリンも、コディーが最初出会ったゴブリンキングのガジル程の体躯を有していた。

 そんなゴブリンたちを振り返りながら、コディーが虚空を見つめる。


(良く食い、良く寝て、良く働き、良く遊び、良く稽古してたら更に大きくなっちゃったな♪ どうしようこいつら♪)


 そう、彼らは紛う事なきゴブリン。ゴブリンなのだ。

 ホブでもジェネラルでもない。討伐ランクFであるはずのただのゴブリン、、、、、、、なのだ。


(……マジでどうしよう)


 そんな胸中のコディーの耳に、心地よい音が響く。

 音の正体は足音。一様いちように揃った足並みと歩幅が生み出す行進の音は、錬度の高さを現し、その日常感、義務感は王への忠義を現している。

 だが、騎士たちの眼前見えるコディーを前に…………それが揺らいだ。

 足を止める者、転ぶ者、腰を抜かす者、白目を剥く者、嘔吐する者等々。

 何故なら騎士団にとってコディーはトラウマの種。

 絶対的な脅威を目の前に、騎士団の王への忠義はそれが限界だったのだ。

 遂にはカイゼルが騎乗する愛馬ですら足を止めた。

 美しい青毛の馬は、それから異常な行動に出た。


「ぬっ、ブルー? ど、どうしたっ?」


 ブルーと呼ばれた馬は首を大地に向け、それ切り動こうとしなかった。

 下馬したカイゼルがブルーを心配するように見る。「他の兵のように怯えてしまったのではないか?」と。

 しかし、そんな事はなかった。そんなつまらない理由ではなかったのだ。

 ブルーは静かに目を閉じ、失神した門番の先にいる巨大な熊に向かってただ敬意を現していただけなのだ。


(何という穏やかな顔をしているのだブルー……! まるでこの熊が……獣の王だとでもいうのか……っ!)


 ブルーが動く事はない。付き従う兵すらも王へ付いて行けない。

 だが、カイゼルは行く。向かうしかないのだ。何故なら彼が求める答えがそこにあるから。何故なら彼は、人類の希望なのだから。

 鼓動が胸を叩き、カイゼルに極度の緊張を知らせる。だが、行くしかない。

 カイゼルはぐっと自身の胸元を掴み、見上げる程の巨大な熊――コディーを見据える。


「カ、カイゼル・ラハート・ノレイスであるっ!」


 その言葉を待っていたかのように、失神していた門番が足下から崩れる。

 しかし、倒れる事はなかった。倒れる直前、コディーが門番を優しく受け止めたのだ。


「まこと勇敢なる門番であられる」

「と、当然である。そうでなければ我が国の門番は務まらんからなっ」

「ご挨拶が遅れた。魔王軍総司令官――聖獣コディーと申します。以後、お見知りおきを」

「ま、魔界から来られたようで……我がノレイスに何のご用かな?」


 カイゼルの目には恐怖はあった。だがなかった訳ではない、少なくない信頼が。

 魔界の軍事力を考えればノレイス国はとっくに滅亡していておかしくない。

 カイゼル含む多くの人間がそう思っていた。だが、そうはならなかった。

 カイゼルも馬鹿ではない。当然気付く。

 魔王軍の狙いこそわからない。だが、ノレイス国に魔王軍の使い道があるという事実に気付いている。その使い道こそ……ノレイス国が生き残る道。


「我らが魔界は、ノレイス国との友好関係を望んでいる。本日はその挨拶にうかがった次第。ブレイク」

「はっ!」


 ブレイクが背後にいるゴブリンに合図を送ると、ある箱を持って来た。

 カイゼルの眼前で開かれたその箱の中には、隙間すら見えない程の黄金のぼう

 黄金によって光り輝くカイゼルの目……その奥底は更に輝いていた。


(これが、ノレイス国が生き残る唯一の道……!)


 カイゼルは、コディーの思惑などお見通しなのだ。

 だが、それは弱者としての理解。それはコディーの望むところ。


(なるほど、おそらくこの熊――コディーが余を踊らせた張本人……!)


 憎むべき点は多くある。しかし、カイゼルの目に過去あった憎しみは消えていた。


(人類の希望と呼ばれる余を踊らせる者……か。ならばその者の描く絵に、絵の具を貸してやるのも悪くない。何故なら余が、この余自身が……その絵を見てみたいのだからな)


 自然と出たカイゼルの右手。

 コディーは笑みを浮かべながらその手をとる。


「お話をうかがおう」


 長く続くノレイス国。

 己の寿命が尽きる死の間際、カイゼル・ラハート・ノレイスは自著にこう記した。



 ――――『我が盟友であり親友のコディーへ。宴席で勝手に食べたケーキの恨み。墓まで持っていく事とする』と。



 だがそれは、また別の話。

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