011

「さて、行くか……」


 ジジを見送った後、俺は川べりの寝床を片付けた。

 そう、俺も出発するのだ。

 俺の、俺だけの冒険の始まりだった。

 そんな俺の出立を一瞬だけ止める声が、辺りに響いた。


「おい」

「へ?」


 振り向くとそこにいたのは、神託を受けた……勇者様。


「お前、よくジジと一緒にいたコディーっていうやつだろ?」


 ヴェインの言葉には淀みがなかった。

 だから俺も真摯に、首を縦に振った。


「……まじかよ。本当に人間の言葉がわかるのか」


 ヴェインは少し驚いた様子で、抱え持っていた布の塊を見た。

 ヴェインはおそらくジジから俺の事を聞いていたのだろう。勿論、喋れる事までは言ってないだろうが、「言葉がわかる賢いクマ」くらいは言ってたんだろうな。

 それにしてもヴェインは一体何の用があってここに来たのだろう?

 それに、何故、布の塊を見続けているのだろう。


「っ、そらよ!」


 するとヴェインは、布の塊を俺に投げた。そう、パスするように優しく。

 俺はそれを受け取ると、両前脚に違和感を覚えた。

 その布の塊は、やたらとゴツゴツしていて、チクチクしていて、重かったのだ。

 俺は、くるまれている布をゆっくりとめくっていく。


「き、器用だな、お前」


 そう、俺はこの半年の訓練により、拳を握る事が出来るようになっていた。

 爪の距離感も覚え、小学生程度の工作なら出来るんじゃないかというレベルだ。それはつまり、じゃんけんが出来るという事だ。


「っ!」


 思わず息を漏らした俺が見た物、それは白銀に光る武器だった。


「ミスリルクロウだ。ジジが有り金はたいて買った逸品だぞ」


 まさか、ジジがそんな事を……。

 持ち手のある爪。つまり鉤爪かぎづめって事か。


「ミスリルの武器なんて、そんじょそこらの冒険者は絶対に持ってないってのに、獣にあげるかね、普通……」


 ヴェインは大きな溜め息を吐き、前髪をかき上げた。

 まったく、自分だって持ってないような武器を俺によこすとか……何て女だ。


「それで硬い魔物なんかはさっくりバターみたいに斬れるぜ。ま、せいぜい悪人に奪われないようにするんだ――なっ?」


 俺はヴェインの前に立ち、じっとその目を見た。


「な、なんだよ。やるのかっ?」


 勇者ヴェイン。神殿で神託を受けた魔王の天敵。

 俺が知っている勇者像とはかけ離れた、すけこまし野郎だ。

 でも、その神託が事実なら、ヴェインもやがて強くなり、ここを離れるだろう。


「っ!」


 俺はヴェインの胸板をドンと叩く。


「な、なんだよ?」

「……勇者ヴェイン。強くなり、ジジを助けてやってくれ」

「っ!? お、お前、人間の言葉を!?」


 俺は、ヴェインが何か言う前に、強く大地を蹴った。

 そして後方から聞こえてくるのだ、今は認められない勇者の声が。


「お前ぇに言われなくてもぉ!!」


 そんな、決意の声が。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「凄いなこれ、爪の部分が反対に折れて固定出来るのか。内側のスイッチで爪が戻る。はははは、これなら装備したまま四足よつあしで走る事が出来る。面白いな」


 それ以外にも驚いた事がった。

 くるまれていたこの布。ただの布ではなく、大き目のショルダーバッグだった。閉じ口もしっかりしているから四足で走っても中身がとび出る事がない。

 ふむ? ちゃんと「コディー」と名前が刺繍されている。その右隣には茶色い……よくわからない怪獣のアップリケが縫い付けられている。

 うーむ、謎なセンスだが、これも本当に有難い。

 バッグを掛け、俺はヴァローナと出会った森に向け走り始めた。

 そう、俺の目標はあの森にあるのだ。


「……ふぅ」


 息を零し、魔物が巣食う森を睨む。

 ジジから聞いた話じゃ、あの森は冒険者ギルドも匙を投げた魔物の巣窟。

 つまりそれだけ人間たちから嫌厭けんえんされているという事。人間たちが近づかないのであれば、獣にとっては楽園のような場所。

 俺の目標……それは、あの森をいただく事にある。

 そうすれば、森は獣たちのものになる。


『いやあ、久しぶりだな、少年』


 そんな考えをめぐらせていると、懐かしい声が俺の耳に届いた。

 そう、あの時と同じように上を向いた。がとまっていたのは、あの時も木の上だったから。


『ヴァローナ!』

『まさか生き延びているとは思わなかったよ、少年。どう生き、どう学んだかはわからないが、随分と逞しくなったな』


 八咫烏やたがらすのヴァローナ。

 俺はすっかり大きくなったが、ヴァローナは出会ったあの時のままだった。


『お前はまた縮んでしまってるな』

『はははは、前回の食事からもう半年も経つからな。腹が空いたのでここまでやってきたんだ』

『うぇ!? 半年間何も食べてないのか!?』


 尋常じゃなく省エネな身体なんだな。


『そういうものだ、八咫烏というのは。そんな事より今日はどうしたんだ少年? あの森には近づかない方がいいと言っただろう?』

『コディーだ』

『……ほぉ、名前が付いたのか』


 そう言うと、一瞬だけヴァローナの目が鋭くなったような気がした。その視線にどんな意味があるのかわからなかったが、その瞳の色は、敵意というより、嬉しそうな印象を俺に与えた。

 やがて、ヴァローナは俺を下から上に見た後、ニヤリと笑った。


『ふむ、何やら面白そうな事を考えている目だね?』

『そう思う?』


 ヴァローナの質問を肯定するように、俺はにかりと歯を見せた。

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