第325話  黄金の川

明けましておめでとうございます。

今年も『不死者ノスフェラトウに愛の手を!』を宜しくお願い致します。<(_"_)>


――――――――――――――――――――――――


「信じられません! 信じられません! これじゃまるで後ろ足で砂を掛けているのと同じです!」

「何たる所業! すぐさま犯人を捕らえ処罰しましょう! 釜ゆでを希望なさいますか? それとも火刑?」

「まあまあ、二人とも落ち着いて……」


 恋人達の激励で再び活力を取り戻した九郎は、無事人々を守りながら3日目の朝を迎えていた。

 ただ今日の朝は昨日までとは違って、お世辞にも爽やかとは言い難かった。昨日までの朝が爽やかだったかと問われると、それはそれで言葉に困るが――今日はそれに輪を掛けて酷かった。


 尻尾を膨らませて怒りを露わにするクラヴィスと、へりくだっているのか威張っているのかよく分からない感じのエルハイムを宥め、九郎は鼻に皺を刻む。


「クラヴィス、お前、言っちゃなんだがずっと、その……下水で暮らしてたろ? 今更気にすることじゃねえじゃん?」

「それとこれとは話が別です!」


 酷い言い様だと思いながらも九郎が思った事を口にすると、クラヴィスからは更なる苛立ちが返ってくる。


「エルハイムさんも、んないきり立たんで。俺気にしちゃいねえんで。つか、さっき口にした刑罰……不敬罪じゃねっすか」

「当然でしょう! 我が伯父たるクロウ殿を侮辱したのですから! 丁度焚きつけの如く燃えている『小鬼ゴブリン』がおりますな。あれを使いましょう」


 ここは一旦彼を使ってお茶を濁そう――そう考えエルハイムに話を振ると、残酷な事をさも当然とのたまう空気の読めない台詞が返って来て、九郎は顔を顰める。


「いやいやいやいや。俺貴族じゃねえんで……」

「え? 王様なのに?」

「話をややこしくすんない! エレン!」


 不思議そうな顔で口を挟んで来たエレンの頭をポカリとやりながら、九郎は大きな溜息を吐き出し頭を抱えた。


 どうしてこうなった――とは思わない。

 逆に今日まで問題にならなかった事の方が不思議なくらいだ。

 避難生活も3日目にさしかかり、人々も大分落ち着きを見せ始めていた。

 思うように動けない事へのストレスはあるだろうが、「一応今は安全」との認識は持ってくれたようだ。


「いやぁ……生きてんだから当然だろ? 出物腫物ところ構わずって言うし……どうしようもねえじゃんか……」


 ただ気が緩めば他も緩む。

 物を入れていたのだから当然出てくる。

 誰も咎める事が出来ない生理現象は、眉を顰める異臭となって広がっていた。


 クラヴィスが言うように野営に於いてトイレの問題は寝床、竈に次いで大事な事だ。

 見られる見られないの問題は、(男はこの際ほっておくとして)幸いこの国の女性のスカートが長いので何とかなっていたが、さりとて出した物が消える訳でも無く……。

 千人を超える人々の生きている証は、中々に強烈だった。

 だが九郎が言った通り、コレは避けることの出来ない生理現象。酷い臭いに顔をしかめながらも、九朗は「仕方が無い」で済まそうとする。


「少し考えれば分かるじゃないですか! そのまま垂れ流したらどうなるかなんて! 穴すら掘らなかったんですよ! あいつらは!」


 対してクラヴィスの怒りは中々治まらない。

 九朗の台詞に丘を指差し眉を吊り上げている。


 エルハイムはさておき、クラヴィスの怒りは尤もだった。

 丘の上に集う人々がそのまま垂れ流したらどうなるかは、日を見るよりも明らか――それこそクラヴィスが言う通り、「少し考えれば分かる事」だった。


「まあまあ。こうして溝掘っときゃ外に流れて行くんだしよ? 引っ掛けられちまう前で良かったじゃねえか」


 幸い嗅覚が優れていたクラヴィス達が気付いたお陰で、子供達・・・はまだ糞尿に塗れてはいない。「未然に防げたのだからそこまで怒らなくても」――九郎が言うと、クラヴィスは涙を滲ませ大地を何度も踏みしめる。


「そう言う事を言っているのでもありませんっ!! 仰った通り、私達は下水道で生活してました! だから今更そんなこと気にしません! この子達もかつては同じような環境にいた子達。耐えろと仰るのなら、耐えさせます! ですが……クロウ様は! クロウ様は……」


 クラヴィスの視線の先では、茶色く汚れた血肉が蠢いていた。

 人々が今いる場所はただの小高い丘の上。

 そこから垂れ流された糞尿は、通常なら大地に還るか細い川でも作って窪地に溜まっていただろう。

 しかし今は丘全体が九郎で囲われている状態。どこを滑り落ちても行きつく先には九郎がある・・

 今の九郎の7割方は汚物に塗れた蠢く臓物。悍ましさも汚らわしさも3割増しである。


「だ~か~ら~! 俺も慣れてんだよ! こんな状況には! そんなに俺が潔癖に見えんのか?」


 ただ――心のどこかで「それは慣れちゃいけねえことだ」と思っていても、九郎はこう言う他無い。

 潔癖までは行かないまでもきれい好きだし、モテ男を気取る為にも、清潔さは必要不可欠。平時であれば、九郎も笑って済ませはしなかっただろう。

 しかし今、そんな事を気にしている場合では無いのだ。

 ベルフラムを守る為、生き延びる為、下水道での生活を選んだクラヴィス達と同様、彼等も今瀬戸際に立たされており、そんな環境の中、他者に気が回らなくても責める事など出来はしない。

『慣れている』と言う台詞だって、あながち嘘でも無い。

 奴隷生活や病人看護と九郎もそれなりに汚物に塗れた経験がある。


「でも……でもっ……」


 悪友達に心の中で謝罪しながら、九郎は自らの経験を面白可笑しくクラヴィスに聞かせる。

 しかしクラヴィスは、荒く息を吐きだし、伝わらない怒りにワナワナと震えるばかりだ。


 幼子が自分の感情に折り合いがつかず、言葉を無くして涙を滲ませる様は見ていて心が痛くなる。

 賢いクラヴィスの事。反論の言葉など沢山浮かんでいるのだろう。

 しかしそれ以上に彼女は九郎の事も良く知っている。

 聞き入れて貰えない事も理解しているかのような態度に、九郎は眉尻はどんどん下に落ちていく。


(まっじいなぁ……。俺も気にしねえ訳じゃねえけど……別にあの人らもワザとって訳じゃねえしなぁ……)


 クラヴィスにはここに来てからずっと我慢を強いて来ていた。

 その積み重なった我慢は既に限界を超えているようにも見え、九郎の頭の中にも、彼女の怒りを晴らす為にも、ここで一言ガツンと言っても――そんな考えが浮かんでくる。


(っと、危ねえ、危ねえ……。俺が短気を起こしちゃ元も子もねえ……)


 しかし九郎は頭を左右に振って思い浮かんだ短慮を振り払う。

 最初よりはマシになったとは言え、この避難所は今も微妙なバランスの上に成り立っている砂上の楼閣。恐れを内に秘めながらも、うさんくさいエルハイムの説得で何とか体裁を取り繕っているに過ぎない。


(しゃあねえ! スマンっ! ベル、デンテ!)


 やはり今は我慢の一手。

 九朗は心の中で小さな淑女達に詫び、クラヴィスの傍にしゃがみ――小さな声で囁いた。

 

「……う……そ……それは……」


 次の瞬間クラヴィスの怒りは霧散していた。

 いや、書き換えられたと言った方が正しいのかも知れない。

 顔色は変わらず真っ赤なままだが、彼女の尻尾は栗鼠の如く丸まり、怒りに燃えていた瞳が恥じらいの動きに変わっていた。


「な? 気にすんな」


 クラヴィスの分かり易い反応に苦笑しながら、九郎はホッと胸を撫で下ろしていた。


☠ ☠ ☠


 人々の態度が急変したのは4日を過ぎた頃だった。


「娘共々命を助けて頂き、あ、あ、ありがとうございました」

「すいやせんでした……。あっしはこの通り足が悪いもんで、襲われちゃ逃げらんねえって事ばかり考えちまってて……いえいえ! 今はそんな事思ってねえです。はは、はい……」

「数々のご無礼。ここに詫びさせて頂きたい。『小鬼ゴブリン』にとって金銭は無用な物。街に戻れた暁には、私の財の半分をお納め下さい。無論屋敷も……」

「いやっまさしく『英雄』たる活躍だと、私だけは思っておりましたよ! こ、心の中でですが……。も、戻り次第神殿の栄誉をお送りいたします! わ、私は下っ端ではありますが、なんとか上に掛け合ってみます!」


 ただ九郎の感じていた息苦しさは変らなかった。


「いやいや、しゃーねーっす。しゃーねーっす。俺も自分の見た目はじゅーぶん自覚してっすから。んじゃ、俺仕込みがあるんで!」


 人々は次々遅まきの感謝の意を伝え、非礼を詫び、九郎の強さを称賛してきた。

 しかし九郎は引きつった苦笑いを返すのみ。

 持ち前のサービス精神も、「おだてられれば調子に乗る」との言葉も忘れて、逃げるようにその場を後にする事しか出来なかった。


「まだ幼いですが『英雄』殿の好みには合うかと思います。我が娘をどうかお傍に!」

「だから俺は貴族趣味じゃねえっす! オッパイが大好きです!」

「なら私でどうかしら。旦那も死んじゃったし……」

「スンマセン! 旦那さんに祟られそうなんで遠慮しまっす!」


 その背中にもひっきりなしに声が掛けられる。

 九郎は人々の声におざなりな言葉を返しながら、顔を歪めて胸を押さえる。


 ――これは自分が望んでいた光景。そもそも当初の目的は『英雄』になる事だった筈――。


 初日に途切れる事が無かった怨嗟と嫌悪の言葉が嘘みたいな持ち上げられっぷりなのに――勝手な物だと感じながらも、余りの人々の変りっぷりに、九郎の口からは無意識の溜息が零れていた。


「こりゃ、確かに人間不信にもならぁなぁ……」


 溜息と同時に九郎の口から愚痴が吐き出される。

 打算ありきで近付いて来たとしても、それをチャンスと思えなくてどうする! ――かつて龍二に偉そうな講釈を垂れていた自分は何も分かっちゃいなかった。

 豹変した人々の態度の薄気味悪さに、九郎は辟易してしまっていた。


「ルキさん達やミスラん時と何が違ってんだ? って、分かりきってんな……。好意が一欠けらもねえのに、無理して言ってる感が心にクルっつーか……。なんか俺が無理やり言わせてる見てえじゃねえかよぅ……」


 零れた愚痴に言い訳するかのように、九郎は肩を落として一人言ちる。

 震える足を必死に隠し、泳ぐ瞳で唱えられる称賛など、初日の怨嗟や嫌悪の声と、少しも違って聞こえてこない。

 劇的に変わったのは人々の態度と言葉だけであり、心の内は何も変わっていないのは明白だ。

 龍二の様に心を読めなくても直ぐに分かってしまうのは、ここ数日人々の心の機微に気を張っていたからなのか。


 ねっとりとした重石のような称賛を浴びせかけられながら、打算だらけであっても不思議と嫌悪感を抱かなかった兄妹を思い浮かべ、九郎は再び長い溜息を吐き出した。


☠ ☠ ☠


「おお、叔父上。やっと市井の献上物の目録が出来上がりましたぞ。さあ、受け取ってくだされ」


 九郎を憂鬱にさせる物はまだ他にもあった。

 結界の見回りを終え、とぼとぼと定位置に戻ってきた九郎を出迎えたのは、気色ばんだエルハイムの声。


「いらねっつっただろ、オッサン! 俺はそんなものが欲しくてあんたらを助けた訳じゃねーっつーの!」


 げんなりと顔を歪めて九郎はエルハイムに苛立ちをぶつける。

 実は豪胆なのか、それとも他意があるのか……まだ九郎への根本的な恐怖が拭えていない人々とは違い、エルハイムは大分九郎に慣れた様子だった。

 強めの語気を吐いた九郎に、エルハイムは一瞬たじろいだだけで、突っ返された羊皮紙を片手に、困った様に肩を竦めて更に続ける。


「しかしこれらは市井の者共が進んで差し出して来た恭順の証であると同時に保護の手形。受け取らないと奴らの中の不安は拭いきれませぬ」

「金とか勲章ってのはまだ分かっけどよ……娘とか息子とか果ては嫁さんまで……。んなもん貰ってもどーしょーもねーんだよっ! こっちは!」


 人身御供を差し出して来る人々に「心外だ!」となんど叫びそうになった事か。

 声を荒げた九郎に対して、エルハイムは「何故拒むのか」とでも言うかのような態度だ。


 これが文化の違いだろうか――これみよがしに大きな溜息を吐き出し、九郎は肩を落とす。

 文化の違いなどでは無い事くらい、九郎も薄々分かっていたのだが……。


 恭順の証であり保護の手形――エルハイムが並べた言葉が人々の豹変した態度の全てを物語っていた。

 

 未だ九郎への恐怖心を拭いきれていなくとも、死を目前にしていた彼等も、だんだんと助かった実感を得て来た頃。そうなると、今度はその『折角助かった命』を失わないよう考え始める。

 そうして答えを見つけたに過ぎない。


 一番最初に犠牲になって当然だった元孤児の子供達弱者の中の弱者が元気に走り回り、袋叩きにあって然るべきだった筈のエルハイム没落者が、変わらぬ権力を振るっている。


 ――親しい者には繁栄を――


 自ら明かした訳では無かったが、『来訪者』の『加護』は如実にその効果を発揮していた。

 九郎の献身が実を結んだ訳では無く、クラヴィスの忍耐がこの結果を齎した訳でも無く……目の前のエルハイムと子供達の存在そのものが、人々の態度を急変させた原因だった。


 九郎に彼等を咎める事など出来ない。

 皆生き延びようと必死に考え、選んだだけなのだから。

 何より、それはかつてリオが選んだ道と同じ。

 恐怖も怯えも心の奥底に押し込め、化け物クロウにその身を売り渡す。

 彼女とアルバトーゼの人々に違いがあるとすれば、その言葉が心からの物かどうかくらいだ。


 ただその一点が決定的だった。

 全てを嘘で塗り固め、心にも無い台詞が放つ悪臭は、彼等が垂れ流した汚物の比では無かった。

 必死に助けた宝石の輝きが、急激に色褪せて行く感覚を覚え九郎はパンッ! と両頬を張る。


(っと! 何偉そうに考えてやがんだ、俺は!? 神様にでもなったつもりかってんだ! 皆生き延びようと必死なだけじゃねえか!)


 どんな醜態を晒しても、大事な命を守ろうとするのは間違っていない。

 九郎は自分に言い聞かせるように、自らの歴史を振り返る。


 大事なベルフラム達の命を守る為、チンピラの靴を舐め、憎き仇に向かって命乞いしたことさえある。

 何よりどれだけ色褪せようとも、減らない命石ころよりは価値がある。

 例え輝きを失っていようとも、たった一つの命宝石の価値は変わらない。『不死者の命』偽造紙幣で買えるのならば、安いものだ。


「まあ、その辺、俺、興味ねーっすから……一応今は受け取った体で行きますけど、後で皆に返しておいてくんねっすか?」


 自分を納得させ、エルハイムから突き出された羊皮紙を乱暴に受け取ると、九郎はヘラと軽薄な笑みを浮かべた。

 その時、また聞きたくも無い台詞が九郎の耳に飛び込んでくる。


「あなた達では不相応なの! 何で分からないのかしら! 『英雄』殿の傍には、それなりの者が就いて当然でしょう?」

「奥様! お止め下さい! クラヴィスさんもデンテさんも、クロウ様の大事な人なんです!」


 ボロボロになったドレスを纏った、中年の女性がクラヴィス達を見下ろしヒステリックな声を上げていた。その足元では、プリシラが泣きそうな顔で彼女の言葉を遮っている。

 会話から考えるに、彼女はプリシラの奉公先の元主人――の妻と言ったところだろうか。

 傍には、襲撃時九郎を見て怯えていた少女が、震えながら佇んでいた。


 そんなに震えて誰にどうやって仕える気でいるのだろうか――怯えを必死に隠そうとする少女を眺め、九郎はゆっくり歩きだす。


「嘘おっしゃい! プリシラ! 獣人風情が『英雄』殿の大事な人など……、あなた達も烏滸がましいとは思わないのかしら?」


 幸いあれ程人々に敵意をむき出しにしていたクラヴィスは、一言も反論してはいなかった。

「人々を刺激しないでくれ」と、九郎が何度も頼んだ言いつけを守ってくれているのか、黙って頭を垂れたままだ。

 しかし、それを無言の恭順と捉えたのか、婦人の悪口雑言の勢いは更に高まり――。


「そもそも前々からずっと気にくわなかったのです! 権力者に取り入るあなた達の事は! 場末の娼婦と同様、小狡い手でも使ったのでしょうケド……汚らわしい! これだから獣人は――」

「そんくれえにしてくんねえかなぁ゛?」


 九郎の口からドスの利いた声が零れていた。

 意図して言った物では無かった。どちらかと言えば、最大限に気持ちを抑えて放った言葉だった。

 しかし――極限まで平静に努め、絞り出した九郎の声は、地獄の底から湧き出したかのような重い響きを伴っていた。


「ひっ!!!」


 やっと九郎の存在に気が付いたのか、婦人の口から悲鳴が漏れる。

 同時に九郎も「しまった!」と顔を歪める。

 クラヴィスにあれ程我慢を強いて来たと言うのに、当の自分がコレでは面目無いにも程がある。


「い、いやぁ……。プリシラが言ってる通り、その子らは俺のお気に入りなんで、余り悪く言わねえでくんねっすかねぇ……。心配しねえでも、俺、頑張って皆守りますから……ははは……」


 慌ててフォローを入れるが、先程までの勢いはどこへやら、娘同様、婦人の目にも怯えの色が色濃く浮かび、ペタンと尻餅を着いたドレスの裾から、彼女の生きている証が異臭を伴い染み出していた。


☠ ☠ ☠


「本当にしょうがないヒト……」


 日が沈み騒ぎ始めた『小鬼ゴブリン』の声に混じって、小さな呟きが聞えてくる。


 今夜はそこまで慌ただしく食事の準備に追われてはいない。

 ぽっかりと虚ろな穴と化した九郎の腹に、これまであった白い肋骨は、既に一本残らず無くなっていた。

 今は丘の方々に散った人々の竈や暖炉として役立っている事だろう。


「反省してます……」


 聞えた呟きに眉を下げ、九郎は背中に向かって謝罪する。

 九郎が抑えきれずに放ってしまった怒りの言葉で、再び人々が恐慌状態に陥るかと危惧していたが、なんとかその場は誤魔化せていた。


「クロウ様は口ばっかりです」

「重ねがさね申し訳ねっす……」


 色々不満は溜まっていたが、大人の自分が最初に我慢しきれなかったのでは、言い訳もままならない。

 背中で口を尖らせているだろうクラヴィスの顔を思い浮かべ、九郎は再び頭を下げる。


(いや、おっかしいなぁ……。逆に尊敬するわ。よくもまぁ、こんなナリしてる男の傍に近付いてくっぜ……)


 九郎は自分の腹を覗き込み、引きつった笑い声を溢す。

 何も無いがらんどうの腹に乾いた笑い声が木霊していた。


 人々の怯えが薄まらないのも、考えてみれば当然だった。

 数日経っても怯えた目を向けてくる人々に苛立ちも覚え、ミスラやリオと比べていたが、彼女達の時とは、そもそもからして九郎の見た目が違っていた。

 九郎もそれは自覚していたつもりだったのだが……。


 たった数日で、九郎は自分の今の姿――骨と皮だけの姿――を普通と捉えてしまっていた。

「現状に慣れやすい性質」とは言え、限度があるだろう? と自分でも思ってしまう。

 

「だってよぅ。クラヴィス達、全然態度が変わんねえんだもんよぅ……」


 文句を言える立場で無い事を自覚しつつも、九郎は小声で弁明する。


 九郎の異形の姿は子供達の目には『英雄ヒーロー』に映っていた。

 付き合い自体まだ浅く、出会ったばかりと言うのを考えれば、ギャップも何も無い。また、彼等はベルフラムの教育――御伽噺のおかげで、『不死者』そのものに嫌悪感を持っていなかったから、九郎が不死を晒した所で、変身物のヒーローに見えてもそこまで不思議は無いと言える。


 だがクラヴィスとデンテは普段の――グロくない姿の九郎の方が見慣れている。

 だと言うのに、今の姿となった九郎相手でも、全く態度が変わらなかった。

 普段と変わらず纏わりつき、敬意と好意を向けて来て、怯える事無く口ごたえまでして来る始末。


「当然です。クロウ様はクロウ様です。どんな姿をしていようともそれは変りません」


 どうしてだろうか? ――九郎が疑問と共に放った弁明に返って来たのは、あたりまえの答えとクラヴィスの背中越しに伝わる温もり。


「あっぶねえなぁ……今の俺、ペラッペラだぜ? 薄っぺらい男の代名詞になれる自信ありありなんだぜ?」


 その答えに九郎はおどけた口調で声を絞り出す。

 不意に告げられたその答えに、不覚にも涙が出そうになっていた。


 体を支えていた骨を人々に貸し出している今、九郎の姿は前にも増して異形の姿となっている。

 一応残った肉を総動員して何とか対面は保っているが、気を抜くとへにゃりと崩れてしまいそうになるほど、今の九郎は薄っぺらい。

 だと言うのに、全く変わらぬ口調、全く変わらぬ態度、そして全く変わらぬ彼女の想い。


「お前さ……俺を怖えと思った事――」

「無いです」


 九郎が照れ隠しに問うと、喰い気味に至極簡潔な答えが返ってくる。


「そう言えば……そうだったなぁ……」


 その答えにふと昔を思い出し、九郎は再び湧きはじめた涙を堪えようと夜空を見上げる。

 思えば九郎が『不死』を初めて彼女達に晒したあの日。

 あれだけ好意を向けて来てくれていたベルフラムですら、九郎の『不死』に怯えてしまっていたあの時でさえ、クラヴィスの態度は変わらなかった。

 どんな姿であっても九郎は九郎――この台詞も、九郎にとっては当たり前でも、他人から見ればそうでは無いのは、人々の態度からも明らかで――。


「やっぱ、クラヴィス。お前、俺より頑固だわ」


 九郎の口から彼女への感謝の言葉が零れ出る。

 不意に晒した『不死』にさえ怯えを見せなかった彼女への称賛は、僅かに残った男のプライドと大人の面目に邪魔され、酷く分かり辛い形となってしまっていた。


「今クロウ様がその言葉を言っても、何の説得力もありませんよ。私にあれだけ言っておきながら……」

「本当に悪かったと思ってます、はい」 

 

 通じたのか通じていなかったのか――。

 クラヴィスから放たれた、珍しく嫌味の混じった言葉に九郎は再び頭を下げる。

 その時だった。


「ひやぁぁぁぁぁああああっ!!」

「きゃぁぁぁぁあああああっっ!!」


 丘のあちこちから人々の悲鳴が上がっていた。



――――――――――――――――――――――――――――


新年一発目がコレとは……と思わなくもない。

一応、正月用のSPSSをSS置き場の方に掲載予定ですので、宜しければ……。

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