第324話 ままならないままではいられない
再び夕闇が辺りを染め始める頃、活動を再開し始めた『
「おらよっ! 『
紫電の奔流が丘の麓に一瞬広がり、肉の焦げた匂いが辺りに充満する。
「ほい、焼けたぜ? カイル、エレン! 運んでくんな!」
同時に香ばしい匂いを立ち昇らせる大きな肉の塊を掲げ、九郎は白い歯を煌めかせた。
「
「すまねえな。もう少ししたらお前らの分も作っからよ。ベルからお前らは虫も大丈夫だって聞いてっから、とっておきを振るまちゃる! 流石にあの人らにゴメを食わすのは……なんか墓穴掘りそうだからなぁ……」
オレンジから藍色に変わる空。そして丘の上の人々の影を眺め、九郎は頬を掻きながらカイルに答える。
電流の流れる血の川の
喉の渇きが癒えたのなら次は空腹だろうと、安易に考えるのも如何なものかと思わなくも無かったが、今の九郎の仲間の8割は『メシ』で打ち解けて来た経緯があるので、統計的には間違っていない。
「ねえ王様……これ何の肉?」
「おい、エレン! 王様禁止つっただろ。んー……でっかい蜥蜴……っとこれはオフレコな?」
自分の顔より大きな肉の塊を前に、エレンが興味深げに尋ねて来るのを、九郎は苦笑いではぐらかす。
食料の豊富な『サクライア』で食べ物に困る事は無い。
水だけは強迫観念のように在庫を気にしていた九郎も、食料はあまり貯め込んではいなかった。いや、正確に言うと『一般的な食べ物の範疇』を貯め込んではいなかった。
千人の腹を賄えるだけの食料を考えた結果、九郎はかつて旅の道中、勿体ない精神でひたすら貯め込んでいた『
『英雄』と比肩しうる存在と考えられている『
龍二辺りに言わせれば「そんな事考える奴なんぞ誰もおらん!」と突っ込まれそうだが、知らずに人の肉を口にし、自らの肉を食料としてきた経験がある九郎には、見た目も重要な問題だった。
(見た目はマシな方だよな? ミスラから送って貰えりゃそれが一番良かったんだが……今の俺じゃ『
次元を超えての輸送を可能とする技も、九郎の血肉があってこそ。
ままならないものだと苦笑しながら九郎は口元に人差し指を立てて見せる。
「おふ……? 秘密ってこと? まあ、理由は分からなくもないけど。で、美味しいの? これ」
「う~ん……固いし大味だしで仲間には不評だったなぁ。見た目気にしなきゃゴメのが何倍も美味いんだけど……あれだ! ゲテモノほど美味いって言う」
蜥蜴の肉と聞かされたエレンは興味深げに肉を見詰め、九郎の仕草に苦笑いを返していた。
ベルフラムの教え子達は皆、「食える物ならなんでも喰う」精神を叩き込まれていたが、彼等も孤児院を巣立ってから3年以上街で暮らしていたからか、悪食が人々にどういった印象を抱かせるのか、ある程度分かっている様子だった。
「確かに。大ゲジゲジ美味しいもんね」
「そうだな。足の多いのは大概旨えよな。そんじゃ俺が喰って来たゲテモノん中で最高を食わしてやっから、あの人らの分終わらせちまおう! 頼んだぜ!」
「うん!」
食料関係でもこの子達は『サクライア』に馴染めそうだ――駆けて行く子供達の背中を眺め、九郎は目を細め、首をコキリと鳴らして後ろを振り返る。
「さて……と。クラヴィス、そろそろさっきのも焼けただろ?」
「はい……」
「ま~だむくれてんのか? また『
普段聞き分けが良い娘ほど、拗れると根が深い。
クラヴィスの不満顔にそんな事を思いながらも、九郎は努めて陽気な揶揄を飛ばす。
エルハイムの演説の効果もあってか、丘に広がる張りつめていた空気は若干ながら和らいでいた。現金な物とも思うが、飢えと乾き。生命に直結する欲求の一つが癒え、人々も僅かながら落ち着きを取り戻したようだ。
夕闇の中、丘の上の人々の影からは悲鳴も怒号も聞えて来ない。
彼等にとって未だ危機の渦中との認識は変わらないのかも知れないが、それでも少しは『マシ』になったと言えるだろう。
「それは……はいっ! でも……施しを願うのならせめて頭を下げに来るのが当然で……」
しかし人々の九郎に対する態度は依然変わらぬままだった。
その事をクラヴィスは不満に感じているのか、丘を見やりながら愚痴を吐きだしていた。
「さあ! 先程私に悪態を吐いた者ども! 貰えぬかもと心配していたようだが、私はそこまで狭量では無い! 我が伯父からの施し。ありがたく受け取るが良い! 慌てるな! 並べ!」
その声をかき消すかのような大声が丘の上で響いていた。
九郎とクラヴィスの顔に影が掛かる。
群衆の中、一際高い位置に立ち、今日最後の太陽を浴びながら、エルハイムが両手を広げ、したり顔で配給を配っていた。
「あ……ありがとうございます……」
「助かります……」
「さっきの言葉は本音じゃなかったんです……。だから……お許しください」
やっている事は只の人員整理だったが、人々は子供達から食料を受け取ると取り繕う様にエルハイムに頭を下げ、礼の言葉を述べていく。
「クロウ様は……良いんですか?」
エルハイムを複雑な表情で睨み、クラヴィスがポツリと呟く。
「世の中にゃよ、適材適所ってのがあんだよ。ずっと言ってんじゃねえか。俺は感謝されたくってやったんじゃねえってよ……」
九郎は鼻を鳴らし、納得がいかなそうなクラヴィスの額をつんと突いて嘯く。
本音を言えば、多少羨ましいとも理不尽だとも感じていた。
彼等の命を助けたのも、食料や水を供しているのも、全て九郎だ。
なのに感謝の言葉はエルハイムに向けられ、人々は九郎を見ようともしていない。今は意図的に目を逸らしているようにすら感じられる。
「それによぉ、俺ちょーし乗りだから持て囃されっと調子に乗ってドえれえことやらかしちまいそうな気もすっしなー」
しかし今はこれで良い。
九郎は心の隅に湧く小さな嫉妬を叩き潰して強がりを呟く。
緊急時、自分の立ち位置に文句を言っていても始まらない。今九郎が何より優先させているのは命なのだから、その他自分の感情など捨てて置けばいい。
「だいたい、今の俺に頭を下げたら即身仏の参拝みてえになんじゃねえか。 それにこの現場見ちまったら、肉なんざ食えなくなっちまうかもだろ?」
九郎の強がりに、クラヴィスは少し寂しそうな笑みを向け、手に持つ肉を掲げた。
「……確かに……。こうしてお肉を焼くよりは、その辺の石を熱して焼いた方が良かったかもです……」
「それはもう少し早く言うべきだろうがぁぁぁあああ」
焚きつけになるような物も無い荒涼とした丘の麓。肉を焼く炎ですら九郎の自前である。
竜の肉なら人々もそこまで忌避感を抱かないかもしれないが、男の素肌で焼かれた肉に人々がどう思うかはまた別の問題だ。
☠ ☠ ☠
「おう。おう。その……頼むわ……。ああ、カクさんにも宜しく……」
再び夜が明け、2度目の太陽がアルバトーゼの丘陵を照らし始める中、九郎の歯切れの悪い声が小さく響いていた。
人々の寝息と『
(4年も経ってんのに……てか、それ目の当たりにしてたってのによぉ……。どーして俺はこんなに間が抜けてんだっ!?)
アルトリアとの会話を終え、九郎はガリガリと頭を掻き毟って顔を歪める。
その視線が見詰める先では、昨日と変わらぬ黒い点が蠢いていた。
一向に減らない山裾に広がる人々の影。
皆が先を争えば、逆に混乱が加速して避難が遅れる。全く避難慣れしてる日本人を見習いやがれ。
先頭を行くのが山道に慣れていないであろうエルピオス一行なら尚更。どこまで行っても足を引っ張りやがるオッサンだ……と減らない人々の影にやきもきしていた九郎だったが、今はもう悪態すら吐きだせない。
人を呪わば穴二つ。この言葉が九郎の頭をぐるぐる回っていた。
繁栄と没落。『来訪者』の加護の力を感じずにはいられない運命の因果。
九郎に憎まれていたエルピオスは、さぞかし絶望を突き付けられていた事だろう。ただ、その煽りを喰らった形の人々は堪った物では無いだろう。
(スンマセン! ほんまスンマセン!)
九郎は申し訳なさに顔を歪め、人知れず山に向かってペコペコ頭を下げる。
自分でも情けない姿だとは思うが、山へと逃げ延びた人々の避難の遅れの要因が、そもそも自分にあるのであれば、こうしたくもなる。
4年前、雄一が嗾けて来た大量の『
なのにその事がすっぽり頭から抜け落ちていたのだから、間抜けと言う他無いだろう。
崩れた崖を降りて進む予定だった九郎達にとっては、旧街道の断絶も予定されたものだったが、慌てて逃げてきた人々にとってそれは行き止り以外の何物でも無かった。
道なき道を進む冒険者と一般市民。道に対する考え方には雲泥の差がある。
かつて九郎が荒野をひたすら彷徨っていた時、道にどれだけ安堵したか。
途切れた道を前にした人々を思うと、キュウと胸が締め付けられる。
ちなみに道が途切れている中、カクランティウスやアルトリアがどうやってこちら側まで辿り着いたかは聞くまでも無い。
雪山に砂漠に火山と、彼等と旅した道中、道があった事の方が珍しい。
道なき道を進むのが冒険者であるとするのならば、未知をも突き進めるのが『不死者』と言えるのかもしれない。
「カクさん呼んどいて本当に良かったぜ……。やっぱ頼りになんなぁ……あの親父」
九郎は後ろめたさを誤魔化すかのように、途切れた道を突き進んできたカクランティウスに願いを託す。
――なんとかうまい事やってくれよ! カクさん! 信じてんぜ! ――
重力すら操るカクランティウスにかかれば、崩れた崖を直す事も容易い。
雄一との戦闘で大量の魔力を消費しており、ともすれば再び骨の姿に戻ってしまうかも知れないが、弱き者の命の前に、彼が躊躇う事も無い。
九郎と同じように彼もまた畏れられるかもしれないが、その畏怖の視線すら彼にしてみれば慣れたものだ。
溢れ出る威厳と名に恥じない実力で事を上手く進めてくれるだろうと、九郎はカクランティウスに期待していた。
しかし――
――かつての塹壕掘りを思い出すな。しかし……最近吾輩穴ばっかり掘っておる気が……――
――スンマセン! マジスンマセン! ――
伝えた思いにカクランティウスの苦笑が返ってくる。
それにすかさず謝意を伝え、九郎は再び頭を下げる。
強大な魔力と300年磨かれた技。
まさしく『英雄』たる魔法の技で人々を救う事が可能な筈のカクランティウスは、今地味な穴掘りの真っ最中だった。
九郎の期待に応えようと、彼は彼で頑張ってくれているのだが、どうにも申し訳なさが先に来る。
九郎にしてみても彼は『英雄』と呼ぶに遜色ない人物だ。
自分の実力では叶わなかった『英雄』のなんたるかをアルバトーゼの人々に見せつけてくれるだろう――と考えていた。
しかし他国の王であるカクランティウスが、アルバトーゼの人々を導くと言うのは、それはそれで問題があった。
――闇に紛れてなら大丈夫でしょうけど、目立つ事は控えてください。お父様! ……とお伝えください――
九郎を介して届くミスラの懸念を伝えた結果、カクランティウスは日陰も日陰。暗い穴倉の作業を余儀なくされてしまっていた。
命が掛かっている状況で四の五の言っている場合では無い――と言うのは九郎達側の言い分であり、国体を考えると他国の王が国難にでしゃばるのは、新たな争いの火種となる可能性を秘めていた。
国体も何もアプラス王国自体が崩壊に瀕しており、関係無いと九郎は言ったが、逆に崩壊に瀕しているからこそ、そこに付け入って来たのではとの疑いを持たれてしまうと言い返されれば、それはそうかとも思ってしまう。
しかもカクランティウスはどの種族からも忌み嫌われている魔族の王。アプサル王国では他人種蔑視が激しい事もあって、彼の立場も中々危うい。
ならば代わりにアルトリアが――とも言えないのは、九郎自身も今正に痛感している問題だった。
「ああ……ままならねえ……。ままならねえよぅ……」
真の『英雄』がいれば直ぐに解決する問題。そう考えていた九郎は、世界の難しさに溜息を溢す。
――儂等がそっちに戻った方が良かったかの? コルル坊、泣いとりゃせんか? ――
と、別の回線からシルヴィアの心配気な声が届く。
同時中継で会話している訳では無かったが、糸電話と化した九郎の声だけは皆も聞こえているので、九郎の不安を含んだ声を心配したのだろう。
シルヴィア達は昨夜遅くに拠点に辿り着いたとの知らせを受けていた。
九郎が意識を移すと、汗ばんだシルヴィアの顔が目に飛び込んでくる。
子供達を連れながらも、2日の距離を半日以上縮めたのだから、かなりの強行軍だったに違いない。
――な、泣いてなんかねえよ! それより、疲れてるだろうに
キラキラと朝日に煌めく緑の髪に一瞬見惚れた後、九郎は慌てて取り繕う。
どうしてだか九郎はシルヴィアに弱音を晒したくなってしまう。
抜きんでた強者と言う訳でも無く、『不死者』と言う訳でもないのに、彼女の前では男の気概すら緩んでしまう。
かつての『不死者』を晒した時の一幕が尾を引いているのか。
情けない自分の顔が今、彼女の目の前に無い事に安堵を覚えながら、緩みかけた決意を結び直した九郎は、コツンと当たった彼女の手の甲の感触に驚きの声を溢す。
――何を言っとるんじゃ! この馬鹿たれっ! 今度『悪い』なんぞ言ったら叩くかんの? 痛く叩くかんの!? 儂はお前さんの伴侶じゃろう? なら気遣いは無用じゃっ! そもそも儂がしたくてしとることじゃしの! そう言う労いは夜だけでええんじゃっ! 何を言っとるんじゃ!? 儂はっ!?――
シルヴィアは拳を振り上げた状態で、フンと薄い胸を反らしていた。
叩いた直後に言うのはどうかと思うが、遠慮の無い関係だからこそ、互いに背中を預けられる。そう言いたかったのだろう。ただ後半付け足した余計な台詞であわあわするのがシルヴィアらしい。
――叩くってオババ……おめえ……――
――気にすんな、ガラン。例え刺すつってもクロウじゃ同じ意味にしかなんねえ――
呆れた様子の仲間達の声がシルヴィアの後ろから聞こえてくる。
その様子に九郎は抱いていた不安も忘れて苦笑を溢す。
例えカクランティウスやアルトリアほどの実力が無くても、シルヴィア達に抱く九郎の信頼は厚い。
同じように肩を並べて困難に打ち勝って来たと言う経験が、九郎に安心感と自信を与えてくれるからだ。
――しっかし、人族至上主義の国家じゃ、シルヴィでもあんまり変わんねえだろ――
――おうおう、それじゃ人族であらされるファルア様なら何とかなるってか? 言っとくが絶対にお前が一番信用されねえかんな! 禁酒を賭けても良いぜ! ――
――出来ねえ事を掛けに持ち込むんじゃねえよ! ガラン! ――
――馬鹿言え! 賭けにもなんねえから言ってんじゃねえか! なあオババ? ――
――まあ……童は……泣くじゃろうな……――
――老人はぜってえ腰抜かすぜ? 暗闇でこの顔見た日にゃ。心臓止まっちまうかも知れねえ――
――
――テメエ、クロウ! お前は止まっても関係えねじゃねえかっ! ……てか
――ファルア……
ガランガルンの遠慮の無い声。
ファルアの苛立った声。
変わらない仲間達の声はそれだけで九郎に力を与えてくれていた。
そして――
――心配しないで、クロウ! 直ぐに助けてあげるから! ――
シルヴィアの若草色の瞳より更に濃い緑の双眸が九郎を射貫く。
山道では足手纏いになってしまう。
それを理解したとしても、この少女が『諦める』ことなどありはしない。
手を拱いているくらいなら、別の手立てを。
それは彼女がこれまでしてきた事と、何も変わらない。
だからベルフラムは拠点に無事子供達を送り届けた後、すぐさま行動を開始していた。
シルヴィアの顔が汗ばんでいたのも、彼女の髪がずっと後ろに流れていたのも、小さな帆船を動かしピニュシュブ湖を再び渡っていたから。
強行軍の延長戦。
軍の要請を頼む為、ベルフラムはシルヴィア達を伴い再びレミウス城へと向かっていた。
――ば~か、ベル。俺は『不死身の
九郎は口から自然と威勢の良い啖呵が零れる。
彼女の視線に見据えられると、何でも出来そうな気がしてくる。
と言うより、これだけの信頼を向けられ、弱音を吐く男など世界中を探してもいはすまい。
打って変わった九郎の声色に、ベルフラムは嬉しそうに眼を細め、満足気に白い歯を覗かせていた。
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