第321話  生命の欲求


「くぁぁ……暢気だねぇ……」


 二つの太陽がじりじりと大地を焦がし、乾いた風が土埃を舞い上げていた。

 しんと静まり返った丘を見上げ、九郎は欠伸混じりの溜息を吐き出す。


 九郎が『不死』を晒してから数刻。暗鬱とした人々の愚痴の雨は止んでいた。

 危害は加えない――何度も訴えた九郎の言葉が人々に届いたから――と言う訳では無かったが……。


 北方の高地に位置するとは言え、レミウス領は雨が少なく乾燥した地域。夜間は過ごしやすくとも、夏場、日中ともなると気温はどんどん上昇していく。日本の夏のように茹だるような暑さではない。しかし急激な温度の変化はそれだけで人々の体力を奪っていく。


 一晩中命の危機に晒され続け、人々の精神の疲労も限界に来ていたのだろう。

 丘の上で身を寄せ合っていた人々は、日が登るにつれて一人二人と崩れるように眠りについていた。

 

 危機的状況下で寝入ってしまうなど、明らかに命の保身に反する行為。目の前の困難から目を逸らし、大事な命を諦めたも同然。そう思わなくもない。

 しかし――と九郎は視線を移して、思った言葉をひるがえす。


「全く……逞しく出来てやがる……」


 苦笑いを浮かべた九郎の傍でも、子供達が並んで寝息を立てていた。

 その寝顔に浮かんでいたのは明日を夢見る生命の強かさと逞しさ。そこに『死』に繋がる要素は微塵も感じない。

 子供の寝顔程命を想起させる物は無いだろう。九郎の目には、危機的状況下で眠りに落ちることすら、体力の回復を最優先に考えた『命の選択』に映っていた。


「ま、生きてりゃ当然……だよなぁぁぁあ……」


 子供達のあどけない寝顔に目を細め、九郎は再び欠伸を噛み殺す。

 欲望の果てに襲い掛かって来た『小鬼ゴブリン』を前にして思う事では無いのかも知れないが、本来『欲』とは生物が持つ『生きる為の欲求』だ。食欲は生命の維持。睡眠欲は体力の回復。性欲は種の保存と、どれも命を明日へと繋ぐ為には欠かせない。

 今回『小鬼ゴブリン』が『暴走スタンピート』したのも、生き残る為の『命の選択』とも捉える事が出来るだろう。例え無計画で無鉄砲で、未来に破滅が待っていようとも、今を生き延びようとする事は命あるものなら当然のことなのだから。


『命』は常に生きようと足掻いている――そんな言葉が九郎の頭にふと過る。


(生きてりゃ……か……)


 目尻に浮いた涙を拭い、九郎はふと何気なく言った自分の言葉に自嘲を溢す。

 改めて考えてみると九郎の『欲』は酷く歪だ。


 餓死しないのに飢えを感じ、疲れないのに眠気を覚え、永遠を生きると言うのに種を残したがる。


 欲望が命を繋ぐ為の物だとするなら、自分に残る『欲』はいったい何の為にあると言うのか。無駄の極致の様な『欲望』に何の意味があるのだろうか。


「いや……まあ、無くなっちまってたらそれこそ生きてる意味を見出せそうにねえから、ありがてえんだが……」


 ふと思い浮かんだ自問を、九郎は鼻で笑って自答する。

 美味い飯を食う感動も、惰眠を貪る心地良さも、愛しい恋人と抱き合う喜びも無くしてしまえば、何を目標に生きて行けば良いのか分からない。そう言う意味でも本当に『欲』とは生きる動機なのだろう。

 

 しかし――と小さな溜息を吐き出し、九郎は自分を鑑み眉を下げる。

 今この時ばかりは『欲』が残る『不死』の体が恨めしい。

 九郎は震える骨だけの手を、今や空になった腹に入れた。


「つーか睡眠欲だけはマジなんで残ってんのか不思議でなんねえ……ぅ!」


 自分の欲に悪態を吐き、九郎は苦痛に顔を歪める。

 先の言葉と相反するが、九郎は命の保身を考えないからこそ、睡眠欲に抗えない。どんな過酷な環境下であろうとも、どんな危機的状況下であろうとも、『フロウフシ』の肉体は眠りを優先させてしまう。事実、獣に齧られても、極寒の雪原であっても、九郎の眠りの妨げにはならなかった。


 九郎も食欲と性欲に関しては理性で押さえる事が出来る。飢えれば辛いし、危機が去れば途端に滾る暴れん坊を抱えているが、どちらも九郎の意思がなければどうにもならない。


 しかし睡眠欲に限って言えば、意思でどうにかなるものではなかった。

 丘の上で眠りに落ちた人々も、寝ようと思って眠った訳では無いだろう。周囲を『小鬼ゴブリン』に取り囲まれ、その内側に悍ましい姿の『化け物』がいる中、意識を手放す事は、普通に考えれば自殺行為だ。

 それでも眠りに落ちてしまった事が、睡眠欲の抗い難さを示している。


「きちぃ……」


 九郎は何度目かの欠伸を噛み殺し、小さな声で弱音を吐く。

 口を開くと欠伸が次から次へと零れてくる。

 しかしどれだけ眠かろうとも、九郎だけは眠ることは許されない。

 人々を守る為に広範囲に散りばめた九郎の欠片は、本人が起きていなければ只のグロい肉片であり、自動で敵を感知し攻撃するような優れた機能は持っていない。

『結界』だなんだと言っていても、その実一人分の九郎であることは変わらず、九郎が眠ってしまえば単なる新鮮な臓物に早変わりしてしまう。


(泣き言は言ってる場合じゃねえ! せっかく手にした『命』なんだ! 完徹世界記録保持者舐めんじゃねえッぐっ痛ってぇぇぇぇ~~~~~~~~!!!)


 皮肉な事に『不死』の体が求める欲に打ち勝つ為には、死よりも辛い痛みが必要だった。

 九郎は自ら抉った腹に手を入れ、自分のアバラを無理やり圧し折る。

 声も出せない程の激痛が九郎を襲い、続いて頭を覚醒させる。


(マジ徹夜なんて体に害しかねえってのに……お前らは分かってんのかよ?)


 彼女達も命が欲する欲求に抗う痛みを感じているのだろうか――涙で滲んだ九郎の視界に、小さな背中が映っていた。


☠ ☠ ☠


「お~い。クラヴィス、デンテ! いつまでそうしてるつもりだ? 言ったろ? 心配ねえって……」

「いえ、私は大丈夫です。クロウ様は休んでいて下さい」

「……しゃいっ……」


 間髪いれずに返ってきた答えに九郎は顔を曇らせ溜息を吐く。


 多くの者が寝こけてしまい、この場で起きているのは数人だけだ。欲に暴走した『小鬼ゴブリン』達でさえも、今は多くが夢の中。今この時だけを切り取って見れば、何とも長閑でメルヘンな感じもしなくはない。そんな(見た目)平和な空間の中、今尚緊張の糸を張り続けているのは2人の少女だけだった。


「俺は充分休んでんよ! だからお前らもとっとと寝ちまえっての!」


 九郎が少し語気を強めて言うと、小さな背中がビクッと跳ねる。

 しかし振り返ろうとはしない。クラヴィスとデンテ。二人の少女は四肢を踏ん張り、九郎の声にも振り返らず、ずっと前を睨み続けていた。


「お前ら俺がそんなに頼りねえのか? 心配するだけ無駄ってもんだぜ? オラッ! 子供はもう寝る時間だ!」


 更に九郎が語気を荒げて続けると、デンテが不安気な顔を覗かせる。

 体力が人よりあるとは言え、彼女もまだ幼い子供。デンテの瞼は重そうに沈んでおり、かなり無理しているのは明らかだ。


「デンテ、夜更かしする子はおねしょが治んねえって言うぜ? ほら、もう心配ねえべ?」


 九郎は口調を和らげ、肩を竦めて顎をしゃくる。

 人も魔物も等しく大地を寝床に夢の中。見た目だけなら平和で長閑な光景だ。

 それに別に自分は怒っていない。困っているのだと九郎が態度で示すと、デンテは眉を落としてクラヴィスを伺う。


「ねえちゃ……」

「あんたは眠かったら寝てなさい! でもクロウ様! 私はもう子供じゃありません! 大丈夫です!」

 

 媚びるような妹の声を一蹴し、クラヴィスは言葉だけを返して来る。九郎の言葉にすら一度も振り返らず、クラヴィスはずっと前を睨んだままだ。


 その頑なな態度に九郎の胸がチクリと痛む。

 ともすれば最近露わになり始めたクラヴィスの『反抗期』の延長。そう捉える事もできる彼女の態度を、今の九郎は頭ごなしに叱れない。

小鬼ゴブリン』など物の数では無い。血の一滴で戦えるほど、自分とっては雑魚なのだから引っ込んでおけ――その言葉は九郎の口から出てこなかった。


「んな風にしてたら逆に刺激してまうだろ? ほら、もっとにこやかに、にこやかに~」

「……! 擽ろうったってそうはいきませんから!」


 九郎が手をわきわきさせながら近付くと、クラヴィスの体が少し強張る。それでも顔を向けて来ないのは、叱られる事も覚悟の上との意思表示なのだろうか。場を和ませようとしていた九郎は、困ったように頬を掻く。


「つーかクラヴィス。パンツ丸見えだぞ?」

「!!? も、問題ありません!」


 クラヴィスが何を恐れ、何に対して警戒しているのかなど一目瞭然だった。

 普段は物静かであまり表情を表に出さない娘だが、クラヴィスの感情を読み解く事は実は容易い。彼女の尻尾は言葉以上に雄弁だ。ふさふさとした茶色の尻尾がクラヴィスのスカートを捲りあげ、真直ぐ天に伸びていた。


「子供じゃねえってんなら、少しは恥ずかしがれよ……」

「べ、ベル様だって全然気にした事無いじゃないですかっ! そ、それに今のクロウ様の格好で言われても説得力なんて無いです!」


 九郎がどう茶化そうとも、クラヴィスは取り合わない。

 多少声が上ずっているところを見るに、年頃の娘らしい羞恥心も持ってはいるようだが、「今は構っていられない」とでも言うかのように、クラヴィスは前を見据えて動かない。

 どうすればこの娘を諭す事ができるだろうか。上手く言葉に出来ない自分の馬鹿さ加減に、九郎は肩を落として項垂れる。


「んな事言ってもよぉ……」


 それでも――言葉を探し、言葉を選び、落ち込む気持ちに活を入れ、歪んでいきそうになる表情を無理やり軽薄な笑みに変えて、九郎はなんとか声を絞り出す。


 見ていて心が痛くなる。

 幼い子供が大地を埋め尽くす醜悪な魔物の大軍よりも、怯えるばかりの人を警戒する姿は――。


 夜が明けてからずっと、クラヴィスとデンテは丘の上・・・を睨んでいた。

小鬼ゴブリン』の大軍よりも、人の方が余程危険で恐ろしい。真っ青な空を指し示すクラヴィスの尻尾は言葉以上に彼女の心を代弁していた。


「結局何もしてこなかったじゃねえか……」


 丘とクラヴィスを交互に見やり、九郎は呆れ顔でクラヴィスを宥める。


 九郎も考えな無かった訳では無い。クラヴィスの手前口にする事は無かったが、『不死』を晒すと決めた以上、それは懸念しておくべきことだ。打ち解けていた筈の、いたいけな少女にすら拒絶されたこともある。化物じみた姿を晒せばどうなるのかなど、嫌と言う程知っている。


 しかしそうは言っても、幼い子供が魔物よりも人を恐れる姿は見ていて辛い。

 子供はもっと純真でいて欲しい。未来を明るく見て欲しい。

 それは『大人のエゴ』かも知れないが、今の彼女達を認めてしまえば、それは九郎の『大人の矜持』にもとってしまう。


「心配ねえって。何をされたところで俺がどうなる訳でもねえし……。それに言ったろ? 口ばっかの奴等に俺に挑む度胸なんてねえってよ?」


 だから九郎は心配ないと笑って嘯く。

 助けた人々をあえて扱き下ろし、クラヴィスの懸念が杞憂であると笑い飛ばす。


 もとより『小鬼ゴブリン』相手にさえ逃げ惑う事しか出来なかった人々。『不死の化け物』相手に挑む勇気を持ち合わせているはずもなく、彼等に出来る事と言えば自身に突然降りかかってきた不幸を嘆くことのみ。そして今は意識を手放し寝入ってしまっている。


 全く脅威は無いじゃないか――九郎が丘を見上げてせせら笑うと、クラヴィスは目を吊り上げて反論して来る。


「でも! いつ襲い掛かって来るか――」

「つっても今の俺の体の何処をどうするってんだよ?」


 その言葉に重ねて、九郎は自分を指さしおどけて見せる。

 既にボロボロになった体。今更傷が増えたところでどうにかなる物では無いし、そもそも九郎は『フロウフシ』。石でも棒でも剣でも槍でも、傷付くようには出来ていない。


「ですが……」

「お前らの気持ちはありがてえけどな? ガキんちょに庇われちまってたら俺の立つ瀬がねえんだよ!」


 尚も食い下がろうとするクラヴィスの髪を乱暴に掻き回し、九郎は建前の『大人の矜持』を振りかざす。

 少々強引な話題逸らしだったが、クラヴィスを正面から説き伏せる言葉が浮かんでこないのだから仕方が無い。

 かつては保父の道もあっただろうかと思っていたが、子供を諭すのがこれ程難しいとは思いもしていなかった。結局こうする他無いのかと消沈しながら、九郎は伝家の宝刀を抜き放つ。


「ちょっとくれえ大人に格好つけさせろっての! あんま聞き分けねえとベルに言いつけっぞ?」


 締まらない啖呵を切り、九郎はクラヴィスとデンテを抱えてその場に腰を落ち着かせる。

 あえて丘に背中を向けて胡坐をかいた九郎を、クラヴィスは悔しそうな、悲しそうな目で一瞬睨み、静かに尻尾を下ろした。


(納得は……してねえよなぁ……。そりゃそうだ……)


 クラヴィスの態度を見やり、九郎は眉を寄せて息を吐く。

 九郎自身が懸念を抱いていると言うのに、聡明な彼女が薄っぺらい九郎の欺瞞で納得できる筈も無い。

 内心どの口で人々を臆病と嘲笑い、子供が純真であるのを願っているのかとの思いが浮かぶ。


 自分に向かって来る分には問題無い――そう考えていた九郎が唯一懸念していた事は、自分に向かう悪意が他へと逸れてしまう事だった。人を信用できないのは悲しい事――クラヴィスに対してそう思っておきながら、九郎はその真逆。人々に対して更なる酷い懸念を抱いていた。


 何度もその手で窮地に立たされ、大事な命を失いかけた。また同じ轍を踏むのは只の馬鹿だ。


 弁明の言葉は九郎自身にしか響かない。

 それは『不死』を晒すと決めた時、九郎が想い描いてしまった暗い未来かこ。九郎の心に残った深い傷跡トラウマ


 何をしても堪えない『不死者』に対する手立ては限られている。

 相手が無限の命を持つのなら、有限な命を代わりに狙う。尽きない無価値な命を狙うより、ただ一つの価値ある命を盾に取る。


 見知らぬ人に抱くには、それは余りに失礼な懸念だった。

 子供の命を盾に取るなど、性根の腐った者でもそうはしない。

 それが分かっているにも拘らず、心の奥底にこびりついた懸念が拭いきれないでいる。

 大事な命を両手に抱えた今の九郎に、大きく構える余裕はなかった。


 助けておいてそのような疑いを抱くなど自分勝手も甚だしい。それならいっそ助けなければ良かったではないか。


 頭の中に渦巻く至極尤もな言葉が、九郎の欺瞞を浮き彫りにしていく。

 対する言葉は、情けない自分をあげつらう事でしか生まれて来ない。


(胆が小っちぇのはお互い様なのになぁ……)


 九郎は心の中で自嘲し、恐怖に強張った人々の顔を思い浮かべる。

 彼等と自分の間に差なんて無い。失われる命に対して、人は誰でも臆病になる。


 ――大事な命が掛かっている。警戒するのは当然だろう? ――


 九郎の自己弁護の言葉は、自分を恐れる人々の心の声と重なっていた。


「でも……」


 やっと観念したと思っていたクラヴィスが、その時再び顔を上げる。

 所詮は欺瞞で塗り固めた言葉だ。思った通り、彼女は納得いくまで抗うつもりなのだろう。

 その茶色の目には固い意思が込められていた。


 思えば何故彼女は人を恐れていたのか。親しい者が愚弄されればムカつくだろうし、襲って来るなら身構えるのも当然だ。しかし彼女も九郎の『不死性』はよく知っている。気分的には悪かろうとも、そこまで怯える必要は無い。


 身に降りかかる悪意に備えるのなら、そもそも九郎の前に立つ事自体が間違っている。それに九郎が思った懸念は、九郎が『不死者』だからこそ。彼女が持つべきものでも無い。


「……んだよ? 怖くて眠れねえなら子守唄でも歌ってやろうか?」


 不思議に思いながらも九郎の態度は一貫している。

 子供達を危険に晒さず、無事に連れ帰るのが一番。次いで丘の上の人々も無事に送り届けれたなら万々歳だ。うじうじ考えてはいるが、ぶっちゃけ自身の自己嫌悪などどうでも良い。九郎にとって命以上に優先させる物など無いのだから。


 九郎はクラヴィスの首を擽り、こちらも曲がらない意思を示す。


「でも……クロウ様は周囲の気配に鈍感だから……」


 クラヴィスは消え入るような声で、九郎から目を逸らしながら言って来る。

 譲らない意思を示していたにも拘らず、彼女が目を逸らしたのはその台詞が『頼りにならない』と同義と分かっての事だろう。

 確かに『不死者』は周囲の脅威に鈍感だ。『死』がないのだから、構える必要がそもそもない。

 しかし今の九郎にその言葉は当てはまらない。


「おま、俺の索敵能力舐めんじゃねえ! 言っとくがファルアのお墨付きだぞ!? クラヴィスも俺の手……いや足か。にとっ捕まっときながら良く言うぜ」

「………………それは……」


 九郎はクラヴィスの胸元のペンダントを指で弾いて鼻で笑う。

 今の九郎は小さな物音ひとつにびくつく小心者だ。両手に抱えきれない程の命を抱え、一つたりとも失うまいと過剰なほどに気を張っている。普段なら思いもしない懸念を抱いているのもそれの表れ。

 それに心配しているだけなら只の阿呆で、九郎は既に手を打っている。

 子供達にも欠片を仕込み、例え良からぬ考えを持つ者がいたとしても、即座に対処は出来るようにはしてある。加えて時間が経てば経つほど、自分が脅威で無い事も分かってくれるに違いない。


 九郎は思い描いた懸念を逐一潰し、クラヴィスに自信ありげな顔を向ける。


 どれだけ抵抗しても、九郎は聞き入れない。九郎の強気な態度をそう捉えたのか、クラヴィスは不承不承といった態度で言葉をすぼめ――、


「……分かりましたです。じゃあデンテ、あんたが先! 私は後!」


 矢継ぎ早にデンテに言って、九郎の背中に凭れ掛かった。


「あいっ!!」


 デンテはクラヴィスの言葉に顔を輝かせて頷くと、吸い込まれるように九郎の股倉に蹲り、早速すやすや寝息を立てはじめる。


「…………おいっ!」


 九郎は憮然とした表情でクラヴィスに突っ込みを入れる。

 これでは何も変わっていない。クラヴィスがまだ起きているつもりなのは明らかであり、九郎の背中に凭れ掛かった彼女が見ている先も、先と変わらず丘の上だ。警戒心をむき出しにしたポーズでは無く、九郎の背中に体を預けた格好なので多少雰囲気は和らいで見えるだろうが、彼女が丘の上を警戒している事実も変わっていない。


 九郎は出来ればクラヴィスの首根っこを摑まえて、小言を言いたい気分だった。しかし動くに動けない。どかせそれで済む話だが、幸せそうに眠るデンテを揺り動かすことなど、余程の危機でも無いと九郎には出来そうも無い。


 九郎の動きを封じたいなら、大事な命を使えば良い。九郎が思い描いた卑劣な手段は、まさかのクラヴィスによって証明されてしまっていた。


「ったく……ホント強情だよな、クラヴィスは……。ベルに似たんかねぇ……」


 九郎は敗北感を味わいながらクラヴィスを半眼で睨み、その後ふっと表情を和らげる。思い描いていた最悪もこういうものなら悪くは無い。温かな命によって動きを封じられてしまっては、怒る気力も無くなってしまう。

 聞き入れないと分かっていながら譲らない。即座に別の手立てを講じて、最終ラインを確保する。

 クラヴィスの頑固さと強かさには、九郎も諸手を上げる他無かった。


「…………クロウ様程ではありません……」


 九郎の背中でクラヴィスは小さな声で反論していた。

 その表情は見えなかったが、彼女の尻尾は僅かに九郎の背中を擽っていた。

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