第320話  孤軍奮闘


 横殴りの朝日が麦畑を白く染めていく。

 一時それは風にたなびく麦の緑を、犇めく小さな緑の生き物達を、そして身を寄せ合う人々を一色に染め上げていた。


 アルバトーゼの街の住民にとって悪夢のような一夜が明けた。

 そこに広がるのは血を吸った大地と無残な残骸。長く伸びた黒い影が大地に流れた血を黒く染めても、匂いまでは消せはしない。

 夏の朝に香る筈の爽やかな風の匂いは、臓物と血が発する死臭に塗り替えられていた。


「もっと詰めなさいよぉ……」

「うるせえ……ここは俺が先にいたんだ。別の場所に行けよ……」

「ちょっと……押さないで。子供がいるの……」


 その風に人の声が混じる。

 昨夜起こった『小鬼ゴブリン』の大軍による混乱と恐慌。

 その渦中に放り込まれた人々による、街道を埋め尽くしていた悲鳴は止んでいた。


 ただ『小鬼ゴブリン』の大軍がどこかへ行ったと言う訳では無い。

小鬼ゴブリン』の特徴的な声は夏場の蟲もかくやと言う程五月蠅く鳴り響いており、旧街道を先行く人から見えた光景は、ある種の絶望を感じさせるものだった。


 緑の点に囲まれた人の点。ゾンビ映画のラストの如く地を埋め尽くす『小鬼ゴブリン』の大軍に囲まれた人々の集団が小さな丘の上ににポツンと取り残されていた。


「なんで……なんでこんな事に……」

「うぇぇぇ……母ちゃぁぁぁん……」


 そんな絶望的な状況に取り残された人々の声はか細く、耳を澄ましていてでさえ聞き取り辛い。

 まるで死霊の溢す嘆きの声のようなざわめきが、麦穂を揺らす風に消えていく。


「あ、あなた男でしょう? どうにかしなさいよ……」

「お、俺は……見ての通り足が悪いんだ……無茶言うな……」

「あなたのお爺さん、兵士だったわよね? だったらあなたも……」

「私はお爺様とは違うわ! 剣なんて持った事も無い! しかもあんな化け物……私に死ねって言うの!?」


 人々に立ち向かう気力など残っていない。

 転がっていた武器を恐れるかの如く拒絶し、弱い自分を喧伝し、残された命の時間を少しでも長くしようと、人々は必死だった。

 弱いからこそ守ってもらえる。その言葉の虚しさを誰よりも知っていると言うのに、それにしか縋れないから自分の弱さを訴え、知らない誰かの犠牲を強いる。


 彼等は『小鬼ゴブリン』の大軍を前にしてアルバトーゼの人々が許容した犠牲――足手纏いと見做され見捨てられた人々だった。


 老人や子供。病人や怪我人。そして女性。危機に於いての弱者達。

 彼等が戦う気概を持っていたのなら、そもそもこの場に取り残されてなどいなかっただろう。


「ああ……これから我々は一体どうなってしまうんだ……」

「決まってる……喰われちまうのさ……あの……化け物に……」


 弱肉強食の世界に於いて、彼等がこれまで生きて来られたのは誰かの庇護があったからこそ。

 その誰かに見捨てられた以上、彼等に生きる術は残されていない。

 そんな人々ばかりの集団。『小鬼ゴブリン』の大軍相手に朝を迎えられただけで、奇跡と呼ぶにふさわしい。


 しかしその奇跡は、奇跡と呼ぶにはあまりに――禍々しかった。


「もう……逃げられない……」


 群衆の一人が溢した言葉に誘われ、人々の視線が外に向く。

小鬼ゴブリン』の大軍に取り囲まれている今、逃げ道など残されていない。

 ともすれば一瞬後には再び悲鳴が巻き起こる筈のその場に、息を飲む音が広がって行く。


 細い川が流れていた。

 大地に染み込んだ黒ずんだ血だまりでは無く、その川は今流れ出た血のように鮮やかな赤い色をしていた。


 その赤い川の上で『小鬼ゴブリン』達が死の舞踏を踊っていた。

 生きながら焼かれる者が溢す悲鳴は、誰が溢しても恐ろしい。

 赤い小川を踏みしめた瞬間、『小鬼ゴブリン』は火口ホクチの如く燃え上がり、黒くなって燃え尽き、後に残るのは肉の焼ける匂いと血の焦げる匂い。


「うぷ……」


 広がった息を飲む音に吐き気を堪える音が混じる。


 死を齎す赤い川は人々を取り囲むように流れていた。

 これがあったからこそ弱い彼等は生き延びたと言えるだろう。

 しかし朝の清々しい光に晒された、地獄を思わせる悍ましい光景。人々の顔に浮かぶのは、恐怖の感情。

 到底『守られている』等とは思えない。彼等が抱く思いは一つ――『捕えられている』でしか無かった。


「じ、じきに兵士達が助けに戻って……」

「来る訳ねえ……真っ先に逃げ出したのはご領主様だって言うじゃねえか……」

「きっと……きっと援軍を求めに……」

「レミウスまで馬の足でも2日なのに? それまでに私達はきっと……」


 震えて身を寄せ合う人々は、恐ろしい光景から目を逸らし、自分でもすら信じられない希望に縋る。


「う~らっしゃぁっ! 『付和雷同フォローブレンドリー』!!」


 そんな人々のざわめきに、突然男の大声が割り込んでくる。


「ひぃぃっ!」「もうやだぁ……」


 その声に人々は弾かれたように首を竦め、弱音を溢す。


「てめえら、そっから先は通行止めだつーただろうがっ!」


 一人の男の啖呵が一際大きく響いていた。

 溌剌と響くその声は、まるで産声のように朝日の中を走って行く。


 身を寄せ合い震える人々の視線の先で、一人の男が戦い続けていた。


「もう一回言うぞ? 赤は……止まれ……って人の話を聞きやがれ! くそっ! 『鳴かぬ蛍サイレント・フェアリー』!!」


 見捨てられた人々の嘆きの声。『小鬼ゴブリン』が溢す耳障りな声。そしてもう一つ――昨晩からずっと止まない一人の戦う男の声。


「あ、あなたさっきまで『抱かれても良い』って言ってたわよね?」

「じょ、冗談じゃないわ! 誰があんなっ……」

「お、俺、アイツに触られちまったんだけど、呪われてねえよな?」

「同士討ちすりゃいいのに……」

「――太陽の光に弱えんじゃねえのかよ……」

「ああっ……ソリストネ様っ……」


 人々は顔を歪め口々に嫌悪を表す。


 夜が明けなければ――誰もその言葉を口にしない。

 闇の中響き続けていた声の主に、自分達は救われたと思っていた。

 ずっと鳴り止まないその声に、どれだけ勇気付けられ、どれだけ感謝の言葉を並べたていたかなど、皆が過去に置き去っていた。


 明らかに恩人に向けるには適さない視線と言葉が、風に乗って運ばれていく。


「手前らっ! 俺男だって分かってんだろうな!? 何でおっ勃ってんだよ!? あ、アタシに乱暴する気? 火傷じゃ済まないんだからっ!」


 人々の嫌悪の視線の先では、一人の男が『小鬼ゴブリン』の大軍相手に格闘していた。

 その姿は生きているとは到底思えない悍ましい姿だった――。


☠ ☠ ☠


 例えどれだけ数が多かろうとも、またどれだけ凶暴になっていようとも、九郎にとって『小鬼ゴブリン』は雑魚だった。

 九郎は元から『向かって来る敵』に対してめっぽう強い。

小鬼ゴブリン』の体力は脆弱であり、脂ぎっている肌の為か、頗る燃えやすいのもあって、無双ゲームを思わせる蹂躙劇が繰り広げられていた。


 相手は雑魚。しかも手負いと見做して襲い掛かって来てくれる。

 楽勝ムードの九郎には、格好を気にする余裕すらあった。


「っとヤベエ! ヒヤヒヤすんぜぇ……」


 九郎はズボンの裾の炎を払い冷や汗を拭う。

 肌色成分が増えれば増えるほど九郎の攻撃範囲は増えるのだが、増やし過ぎると色々大事な物人としての尊厳が失われる。既にズボンは膝下までが焼け落ちており、残された尊厳はあとわずか。


(まあ……今更な気もすっけどよ……)


 衆目に全裸を晒すのは、普段半裸がデフォであっても恥ずかしい。しかし――と九郎は自分を鑑み自嘲の溜息を吐き出す。

 臓物をぶちまけて戦う男を人々がどう見ているかなど、背中に突き刺さる視線を見るまでも無い。


「……ホント、ままならねえなぁ! 俺の体はっ!」


 襲い掛かってくる『小鬼ゴブリン』を蹴散らしながら九郎は愚痴を吐き捨てる。

 自分の戦い方が人の目にどう映るかなど、言われずとも身に染みている。いつもに比べればマシ・・・・・・・・・・とも言えるが、それは九郎を知る者にしか言えない言葉だ。


 今日の九郎のスタイルは、夏に涼を齎す『動く死体ゾンビ』ルック。

 両腕は骨だけのエコ仕様。肩口に残る傷口からは自慢の桃色筋肉がチラリと存在を主張している。

 片足の肉も削げ落ち、何故立っているのか遠目には不思議でならない事だろう。

 腹には大穴が空いており、その中は殆んどがらんどう。風通しも頗る良い。


(これで皆の視線を独り占めっ……てアホか俺は……。ミスラがガバガバ消費してたから忘れてたけど、そりゃそうだわな……)


 肩の傷を眺める九郎の口から、また一つため息が零れる。

 噴水のように噴き出していた九郎の血は、もう意識しても滲んで来ない。

 無限に湧き出る筈の九郎の血は、今やすっかり枯れ果てていた。


 九郎はやろうと思えば自分の流した血で湖を作り出す事も可能だ。しかしその全てを「生きた状態」に止めておく事は出来ない。何故なら「生きた状態」――すなわち意識を繋げた状態だと『再生』が出来なくなるからだ。

 普段ミスラが消費している血も、流れ出た端から『再生』しているからこそ。

 九郎が生きた状態・・・・・を止められる血液の量は、結局九郎一人分でしか無かった。


 それでは明らかに足りなかった。

 仕方なく九郎は内臓その他で足りない分を補っている。


「とりあえずこれで店仕舞いだ!」


 九郎は顔を顰めて腹に腕を突っ込む。

 腸に腕を突っ込む自傷の痛みは想像を絶する。自然と目には涙が滲む。

 しかし九郎の表情はどこか誇らしげで、口元には笑みすら浮かんでいた。


「いっちょ派手に散るぜぇっ! 『超絶エクスプロード美人・ボムシェル』!!」


 口から漏れ出る苦悶の声を気力でねじ伏せ、九郎は自分の腎臓を放り投げる。

 黒い血豆が『小鬼ゴブリン』の頭上で爆散し、パラパラと乾いた欠片が周囲に飛び散る。

 その欠片に触れた瞬間、『小鬼ゴブリン』達は雷に打たれたように痙攣し、大地にバタバタと倒れてく。


「こんな所か? 取りあえずこれで安地アンチの拡大は終わりっ! お~い! もうこの辺まで安全っスよ~!」


 後ろを振り返り九郎は骨の腕を振る。

 突き刺さる怯えの視線に眉を下げ、それでも口元を嬉しそうに綻ばせる。


 自らの力の無さを痛感していた九郎にとって、その戦果は身に余る・・・・功績だった。

 その数の多さ故に九郎は文字通り身を削り、『不死』の姿を晒さざるを得なくなっていた。

 昨晩九郎が必死になって掻き集めた、九郎にとっては宝石のように価値のある命。その数は、優に千を越えていた。


☠ ☠ ☠


 ――あーあ……どっかに消えてくんねえかな……あの化け物……――

 ――でもアイツがいなくなると『小鬼ゴブリン』共が……――


 熱の籠った風に乗って湿った声が流れてくる。


「アイツ等……クロウ様! 私、ちょっと叱ってきます!」

「良いって良いって。別に気にしちゃいねえよ。あんだけ人がいんだ。そりゃあ、ビビっちまう人もいるさ」


 垂れた犬耳を跳ねさせ、クラヴィスが剣呑な気配を覗かせた。

 九郎は苦笑しながら飛び出して行きそうなクラヴィスを捕まえ落ち着かせる。


 多少落ち込みはするが、助けた人々に怯えられるのも初めてでは無い。

 それに九郎は純粋に目の前で散って行く命を見過ごせなかっただけであり、別に感謝されたくて助けた訳でも無い。そしてこうなる事も予想済みである。


「でも……」

「時間がたちゃ、俺が危険じゃねえって分かって貰えるって! 今の俺にはお前らがいんだ。何言われたって笑っていられる自信があんぜ! どうだ、お前ら。格好良かったろ?」


 尚も不満そうなクラヴィスの頭を撫でながら、九郎はドヤ顔で胸を張る。


あんちゃんすげえのな! ベルフラム様が言ってた『正義の吸血鬼』ってあんちゃんの事だったんだ!」

「今の王様のお姿は『優しいスケルトンのジョー』の方が近く無い?」

「ぼ、僕は『へこたれないゾンビ農家』を思い出しました!」


 多くの人々は九郎に恐怖と嫌悪の視線を向けて来ていた。

 しかしそうでは無い者達もいた。


 口々に興奮を伝えてくる元孤児の面々に怯えの色は見られない。

 ベルフラムが九郎を想って綴った御伽噺。それを寝物語に聞かされ育った子供達の目には、九郎が『憧れの英雄ヒーロー』の如く映っていた。


「そーかそーか! しっかし題名聞いた限りじゃ、もっと当て嵌まりそうなのがうちには居る気がすんな?」


 子供達の反応に九郎は照れくさそうに頬を掻く。

 この反応を見る限り、彼等はこの先『サクライア』でもやって行けるだろう。更に賑やかになるであろう生活を思い浮かべ、九郎は頬を緩ませる。


「王様……お嬢様達を助けてくれてありがとうございます。あと……勝手に抜け出してゴメンなさい」

「気にすんなって。ただ勝手に抜け出した説教は待ってんぞ? まあ、ファルアはああ見えて女の子にゃ甘えから……エレンとカイルは覚悟しとけよ? 言っとくがアイツは俺より怖えぞ? ちびんじゃねえぞ~?」


 傍から見れば絶望的な状況だったが、既に窮地は脱していた。

小鬼ゴブリン』は九郎の結界を抜ける術を持っていない。飛び越えるだけで容易く抜けられそうな境界線でも、生きた血肉だ。蠢き飛び跳ね、言葉無くとも騒がしく『小鬼ゴブリン』の進撃を防いでいる。

 九郎はどっかと地面に腰を下ろし、礼を述べたプリシラの頭も撫で、カイルとエレンに笑いかける。


 ――おい、今あいつルード商会の女中メイドを食おうと……――

 ――やっぱり化物は無垢な女の血肉が好きらしい……。もし襲ってきたらそこの女を生贄に捧げりゃ……――

 ――む、娘に手を出さないで! それならそっちにいる子の方が容姿も整ってるわ! ――

 ――おい、あの子。ゴーバんとこの丁稚じゃねえか? ちくしょう……男も女も関係ねえのかよ……――


 途端人々の間にざわめきが巻き起こる。


「…………ッ! やっぱりちょっと注意してきます!」


 クラヴィスが再び怒気を放ち立ち上がる。

 その口元に牙を覗かせ、既に喉から唸り声が漏れている。注意だけで済む気が全くしない。


「だ~か~ら! 俺は気にしねえって言ってんだろ! 落ち着け、クラヴィス! ほれ、もっとにこやかに~」

「ふぁっ! く、クロウ様っ! やめっ……」


 自分が何を言われても気にしないが、親しい者を侮辱されれば我慢ならない。

 その気持ちは良く分かるが、この雰囲気の中で彼女が何か言っても、事態が好転するとも思えない。

 九郎はクラヴィスを引き寄せ腋を擽る。苛立ちを募らせている子供を解すには、この方法が効果的だ。


「ふ……ふふっ……く、クロウさ……んっ……」

「ほれほれ。全く……ベルも言ってたけど、クラヴィスって結構激情家だよな?」

「ねえちゃは耳の後ろが弱点でしゅ」

「ほぅ……ここのへんか?」

「あと尻尾の付け根も変な声出しましゅ」

「ちょっと、デンテっ! やっ……んっ……」


 性格なのか必死に声を押し殺すクラヴィス。怒りの感情に茶々を入れられ、ムキになっている部分もあるようだ。小刻みに肩を震わすクラヴィスを九郎は更に擽る。


「ほれ、どのみち暫く動けねえんだから、気長にいこーぜ?」

「そんなっ……くくくっ……あんな恩知らず……やっ……放って……んんっ!!」

「まあそう言わんでくれよ~。頼むよ~クラヴィス~」

「んっ……くひゅ……」

 

 九郎はクラヴィスを擽りながら山を眺める。

 多くの人が殺到した旧街道の山道は、麓から見ても混雑している様子が伺えた。

 麓のここまで聞こえてくる人々の諍いの声。忙しなく動いているように見えて全く減らない人の数。

小鬼ゴブリン』は夜行性のようで、夜に比べてその圧力は弱まっていたが、人々の混乱は収まっているようには見えない。


(きちんと並びゃもっとスムーズだろうに……。後ろに魔物の大軍が迫ってんだからそうはいかねえってのも分かるけどよ……)


 我先へと犇めきあう人々の点を眺め、九郎は溜息を吐き出す。

 細い山道は『小鬼ゴブリン』の大軍を押し止めるのに役立っていたが、同時に逃げる人々の動きも制限していた。

 自分の命が掛かった状態で譲り合いの精神など持ちようが無い。

 たった一つの命だからこそ、他者を押し退けても失いたくない。命に縋る人々の様子は、何故か九郎の目に醜く映った。


「俺、頑張っからさ。もちろんお前らが一番大事なんは変んねえ。でも、折角助けた命見捨てちまったら寝覚めがワリいじゃんよ?」

「んっ……わ、分かり……くひゅっ……」


 あそこにいる人々が避難を終えるまでどのみち進むに進めない。

 それでなくても千人を超える人々を、それも弱者ばかりの集団を連れていては、動く事も容易では無い。

 それが只の詭弁である事を一番知るのは九郎自身だ。


 九郎にとっての優先順位は今も変わっていない。親しい者達の命が何より大事で、今の状況で言うならば、クラヴィスやデンテ。そして新たな『サクライア』の住人となる子供達が当てはまる。

 彼女達の身の安全を優先させるのであれば、人々を見捨てて帰路に着くのが正解だろう。今の九郎であれば5人の子供達を守って『小鬼ゴブリン』の包囲網を抜ける事もそう難しい事では無い。


 しかし見捨てる気でいた他者の命も、一度でも手の中に転がりこんでしまったのなら――。

 女性や子供が多くを占める弱者の集団。心を鬼にして決めた筈の九郎の覚悟は、脆く崩れかけていた。


「アルト? おう、こっちは何とか。ただ動けなくなっちまって。いや、心配はねえよ? 俺が実力を発揮しすぎて大所帯になっちまっただけだ――」


 ――ホントに大丈夫? ミスラちゃんが期待――じゃない、心配してたみたいに真っ白になってたりしない? お腹おっきくなってたりしない? ――


「ばっ!? 馬鹿な事言ってんじゃねえ! むしろ凹んでるっつーの!」


 千人を超える弱者の集団を引きつれ『小鬼ゴブリン』の包囲網を抜けるのは難しい。

 しかし今の九郎には頼れる仲間が沢山いる。


 驚くべき事にアルトリアとカクランティウスは、既に九郎が眺める山の逆まで辿り着いていた。

 かつて九郎が休憩無しで走り通して2日かかった距離を、たった半日で踏破したことになる。

 どれだけ急いでくれたのか。


「だからもうあんま無茶しねえで……。はあ? ばっか! 誰がアルトの体力補填してっと思ってんだ? いや、責めてねえ。その、ありがとよ」

 

 ホッとした表情を浮かべたアルトリアに九郎は感謝の気持ちを伝える。


 ――じゃあさ……クロウ? ――


 そして続けられたアルトリアの強請るような声に、九郎は口元を綻ばせる。


「おう。先にそっちの避難ヨロシク――っておいっ!?」


 ――さっすがクロウ! も~大好きっ! ――


 みなまで言わずとも分かると言う物。

 アルトリアの後ろに見えた数人の子供達に気付かなくても、彼女の性格は把握している。

 九郎以上に他者の命に価値を見出し、特に女性と子供であれば、見ず知らずの他人であっても体を擲つ事を厭わないアルトリア。その彼女が混乱の中はぐれた人々を見捨てておけるわけがなかった。


(つーかアルト。あの子ら連れながらもうここまで来てんのか!? おふ。ウチの最強面子とは言え、やっぱパねえ。カクさん防空壕みてえなの作ってっし……うひ)


 柔らかな圧力にもみくちゃにされながら、九郎は胸を熱くする。

 睦事時よりも心を籠った「大好き」の台詞に、アルトリアの想い込められていた。

 彼女が道すがらに拾った命は、九郎が昨夜見捨てた命。一番大切な命の為と自分に言い聞かせ、耳を塞いで駆け抜けた道中の声の幾ばかを、後ろに続いたアルトリアが掬い取ってくれていた。


「惚れ直した? そりゃあよかった。んっ! じゃあ、なんかあったら連絡すっから。おひっ!? 後で! 後でな! 俺、今かなり肌色成分多めだからっ! このままじゃまごうことなき『変質者』になっちまうからっ!」

「く、クロウさみゃ……分かりまひた……から……もう、やめっ……ふひゅっ」

「あ……スマン……クラヴィス」


 感極まったようにキスの雨を欠片に降らすアルトリアに、九郎は離れた場所で身悶える。

 気が付くと九郎の腕の中ではクラヴィスがぐったりしていた。


 ――おい、どうやらアイツは性的に喰う方らしいぞ。あっちに売春婦がいただろ。あれで時間稼げねえか? か、金なら俺が出してもいい! ――

 ――あっちに孤児のガキがいただろ。あいつどうやら貴族趣味らしいから……――


 風に乗って噂話が流れてくる。

 化物と呼ばれる事は許容出来ても、『貴族趣味』=『幼女趣味ロリコン』と呼ばれるのは許容しがたい。

 九郎は青ざめた顔でクラヴィスを揺り動かす。


「おいっ! 違うかんな!? クラヴィス! 俺は貴族趣味ロリコンじゃねえって言って……」

「ひょっ……ひょっとまっふぇ……くらひゃ……」

「おひっ! アルト、ちょ? 待てって! タンマ! おっふ」


 少女クラヴィスを捕まえたまま、顔を蕩けさせて悶える半裸の男九郎は、既にまごうことなき『変質者』だった。

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