第319話  無茶は不死者の嗜み


 目を背けていた訳では無い。耳を塞いでいた訳でも無い。

 それでもショートカットを繰り返し森の中を進んできたからか、抜け出した子供達を捜索に意識の殆んどを割いていたからか、その凄惨な光景をはっきりと認識していなかった。


 しかし、子供達の安否が確認出来た途端、九郎の目は外に向けられ、同時にまざまざと映し出された光景に眉が吊りあがる。


「らぁぁぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 無意識に口から唸り声を迸らせ、九郎が向かう先は一台の横転した馬車。

 その暗がりに緑の生き物が集り、奥からか細い悲鳴が漏れ聞こえていた。


「ぎゅぴぎゅぷげひゃ」

「ぎょあうぃぎゅわうぃ」


 雄叫びを上げて駆けだした九郎に向かって、周囲から何処ともなく『小鬼ゴブリン』が飛びかかって来る。どれだけの数がいるのか。闇の中爛々と光る目。夏場の田んぼの蛙の如く五月蠅い声。


「………………だれか……」


 しかし九郎の耳に響くのは、助けを求める命の声のみ。


 一度駆け出した『不死者』を止める術など、『小鬼ゴブリン』如きは持っていない。

 飛びかかって来た『小鬼ゴブリン』は次々と九郎の炎に焼かれ、黒く変色して崩れていく。


「『青天の霹靂アウトオブエアー』!!」


 目の前の獲物に夢中なのか、明らかな敵意を向けて突っ込んでくる九郎にも反応しない『小鬼ゴブリン』の一団に向かって九郎は渾身の一撃を見舞う。

 拳は無い。しかし拳は無くとも九郎が振るった腕から血の飛沫が飛び散り、怒りの鉄拳が見舞われる。


 ベシャッ! パンッ! グシャッ!


 熟したトマトを思いっきり壁に投げつけたかのような、形容しがたい音が夜の闇に木霊する。

 超高度から墜落した際の衝撃は、肉の躰など一瞬にしてミンチにする。

 骨の拉げる音。肉の弾ける音。

小鬼ゴブリン』の鳴き声とは別の耳に煩わしい音がひとしきり鳴った後、その一画の『小鬼ゴブリン』達は、等しく無残な肉塊に変わっていた。


 肉体の殆んどが水分で構成されているのは『小鬼ゴブリン』も同じ。300トンを超える衝撃の前に、皮膚など紙袋も同然なのは、つい先程九郎が実演した通りだ。

 一拍置いて静かになったその一画からどす黒い血が泉のように湧き出してくる。


「無事であってくれよ!」


 勝鬨も上げず、九郎は祈りながら臓物の山に向かう。

青天の霹靂アウトオブエアー』を使ったのは、この力が一番の人に影響が少ないと考えたからだ。見た目は少しグロくなってしまうが、炎や毒、電撃などで攻撃しては、襲われている人も巻き込みかねない。


(何気に無差別攻撃ばっかなんだよな……俺……。龍二が羨ましいぜ……)


 虫の洪水を一瞬で燃やし尽くす彼の力があったのなら、今後に予想される展開を憂う事も無かっただろう。

 威力の点で言えば九郎もそれなりに自信を付けて来ていた。しかし力を振るえば振るう程、グロい絵面が出来上がるのは一向に変わらない。敵か自分か、はたまた両方か――ふとクラヴィスの曇った顔を思い出して九郎は眉を下げる。


(他に方法が思い浮かばなかったんだ……仕方ねえ!)


 ただ、怯えられる事を恐れて命を見捨てるなど、本末転倒も良いところだ。

 下がった眉に力を籠め、九郎は一心に『小鬼ゴブリン』の死骸を掘り起こす。


「もう大丈夫だかんな。怖かったろ?」


 この一瞬だけは何物にも代えがたい。

 死骸の山から覗いた白い肩に、僅かに触れた命の温かさに九郎は安堵の笑顔を浮かべた。

 ぐちゃぐちゃに潰れた肉の山から現れたのは強張った少女の顔。


「い……いやぁ……こないでぇ……」


 そして予想通りの反応。

 死体の山を掻き分けた九郎の体は臓物と血肉に塗れ、そもそも差し出した腕の先には手が存在していない。


「っと……そう言えば腕無かったわ。ははは……」


 誤魔化し笑いを溢し、九郎は少女が無事である事を確認すると立ち上がる。


「取りあえず安地アンチの確保からだよな……と」


 まだ一人助けただけであり、未だに多くの悲鳴がそこかしこから聞こえて来ている。暗闇の中どれだけの数の『小鬼ゴブリン』が犇めきあっているのかは分からないが、一番の目的――身内に迎えた子供達を確保した今、九郎の頭の中を占めるのは『どれだけの人を助けられるか』だった。


 九郎は独り言を呟き無造作に腕を振るう。

 血を流すのも止めるのも今や九郎は自由自在だ。

 腕から勢いよく血が飛び散り、水をぶちまけた音と共に地面に赤い染みを広げていく。


「ギュプ?」「ぎゅぎゃぎゅぎゃがぎゃ!」「ぎゅーぷい!」


 一瞬の事で何が起こったのかを理解出来ず動きを止めていた周囲の『小鬼ゴブリン』達が、九郎の動きに呼応するかのように再び騒ぎ始める。

 ただの獣であっても同族が一瞬にして肉塊に変えられれば、怖気付いて逃げ出すのが普通だろう。しかし『暴走スタンピート』と言うだけあって、本能を刺激する欲求には抗えないのか、『小鬼ゴブリン』達がギラギラと血走った目を九郎に向けていた。


(やっぱ手負いにしか見えねえってか? まあ、賢いうちの子にも中々納得して貰えねえんだ。……今はその方が良いしな!)


 欲望に滾る『小鬼ゴブリン』を睨みつけ、九郎は大上段に啖呵を切る。


「こっから先は通行止めだぜぇぇ!! 赤は止まれ……だ!!」


 助けた人に怯えられる事には慣れている。

 別に感謝されたくて助けた訳でも無い。

 これは自分の身内――新たに加わる子供の願いを叶えてやりたくてやったこと。それ以上に九郎がしたくてしたことだ。

 ただ、怯えられるのがデフォとは言え、格好はつけたい。それが男心と言う物だ。


 人生の中で言ってみたい上位の台詞を叫び、九郎は意味の無い構えを取る。


「ぎゅぷゅぴゃぁぁっ!」

「って……考えてみりゃこの世界、信号なんてもん無ぇぇぇぇっ!!」


 一斉に飛びかかって来た『小鬼ゴブリン』の群れに、九郎の締まらない絶叫が飲み込まれた。


☠ ☠ ☠


 世界最大の面積を誇る湖、ピニシュブ湖。

 季節ごとに変わる水量と、冬場の氷に削られ縞模様の絶壁で囲まれている部分が7割を占める湖岸。


 レミウス城とアルバトーゼを繋ぐ旧街道は、そんな岸壁に心細い棚のように走っていた。

 高く切り立った崖は、夜ともなれば月の光すら届かない真っ暗闇を作りだし、僅かに見える光と言えば、空に散りばめられた星のみ。

 その瞬く光が、時折空を滑って消える。


 人が死ねば星が降る。アクゼリートではそう考えられていた。

 アルバトーゼの街が『小鬼ゴブリン』の大軍に襲われていた事が関係しているのか、煌めく星々はいつもよりも多くの白い線を夏の夜空に描いていた。


 九郎がTPOを無視した啖呵を切っていた丁度その時、雨のように降り注ぐ星に混じって黒い星が堕ちる。


「わっ……わわわわわっ! むぎゅぅ……」


 凶兆を思わせる漆黒の星は岸壁に激突し、もうもうと土煙を上げていた。

 

「うぐぅ……痛ぁい……」


 その土煙からまだ幼さの残る少女の涙声が漏れ聞こえてくる。

 闇の中に立ち昇った土煙が徐々に晴れていく中、もし誰かがその光景を目にしていたのなら、腰を抜かすか吐き気を催していたに違いない。


 黒い流星は人の――少女の形をしていた。

 ただその姿は何とか少女の面影を残しているに過ぎず、壁に激突した衝撃で見るも無残な姿に変わり果てていた。


「な、泣いてなんていられないっ……」


 一目で駄目だと断じれる悲惨な死体。

 四肢は歪に拉げ、大量の血肉を周囲に広げた『少女だった物』は、しかし言葉を発し身を起こす。

 裾から伸びた白い大腿部から骨が突き出ていた。岸壁に寄りかかる細い腕は見るからに拉げ、血にまみれていた。豊かであったであろう胸は赤く染まり、割れた頭蓋から灰色の脳漿が零れていた。


 明らかに生きているとは思えない――いや、生きていてはいけない体を起こして少女は目を瞑る。


「んっ……くぅっ……」


 夜の渓谷にどこか艶っぽい少女の喘ぎ声が響く。

 その喘ぎ声を合図にして闇の中に異様な光景が広がっていく。

 ゴキゴキと曲がった骨が繋がれ、衝撃の際に零れた内臓が、飛び出た目玉が、破けた皮膚が糸を紡ぐかのように再生していく。


「んぁっ……っ……ふぅ。この服、なんだか久しぶりな気がするなぁ……」


 悩ましげな少女の声が響いていたのは僅かな時間だった。

 小さく息を吐き出す音が聞こえた後、そこには傷一つ無い黒い衣装に身を包んだ美しい少女が立っていた。


「……待っててね、クロウ!」


 立ち上がった少女――アルトリアは目尻に溜まった涙を拭うと、暗く高く切り立った崖を睨む。


 九郎の救援要請に文字通り飛んできたアルトリア。

 風の魔法でさえ飛翔の術は無いとされ、そもそも彼女は風の魔法は使えなかったが、それでも彼女は飛んできた・・・・・。アルフォスに言わせると眉を顰めるであろう方法で。


「ん! ちゃんと持ってる見たいだね」


 アルトリアはスンと鼻を鳴らすと、腰に結わえつけたあったロープを手繰る。

 先の重さを確かめるようにロープを軽く引くと、ずっしりとした力強い手ごたえ。

 アルトリアは満足気に頷くと、


「よいしょぉぉぉぉっ!」


 魚を釣り上げるかのような掛け声と共に思いっきり引っ張った。


 ……………………ゴシャッ!!!


 時間にして数十秒。夜の静けさを割るかのように、またしても重い音が渓谷に響く。

 再びもうもうと上がる土煙。崖の上からパラパラと石が降る。


 煙が晴れた後、そこに現れた光景もまた、知らぬ者が見れば凄惨な死を思わせる物だった。

 硬そうな岸壁に突き刺さった人の下半身。半身が分断されたかのように見えるそれは、彼女の膂力の凄まじさと、彼の硬さ・・を物語っていた。


「ありゃ? ちょっと力込め過ぎちゃった? カクさ~ん。生きてる? ……ミスラちゃんの絵本にあった壁尻? みたくなってるよ?」


 自らが齎した凄惨な死を悼むでも無く、アルトリアは頬に指をあてて小首を傾げる。

 彼とももう付き合いが長いので、心配気なのは言葉だけだ。それを示すかのように、彼女は死者の冒涜――擽りと言う手段に打って出る。


「むごごっ! ふんごっ!」


 生きている筈がない。人であれば間違い無く死んでいた筈の男の尻が、一拍置いて暴れ出す。


「も~。そんなに強く引っ張ったつもりは無いんだけどなぁ……」


 シュールな絵面にアルトリアは苦笑を交えながら、カブを抜くかのように男の足を引っ張る。


「ぶっふぁぁぁあっ! アルト殿! う、動けない事を良い事に吾輩に何をっ!」


 再び巻き上がった土煙の中から男の上擦った声が響く。

 姿を現した髭を蓄えた壮年の美丈夫。その顔は焦りの色に満ちていた。

 死を覚悟したかのような土気色の顔色。ただ、彼は岩盤に突き刺さった事を言っているのでは無い。


「擽っただけじゃん……。でも、もしクロウだったら……うへへ。あれ? カクさんどったの?」

「い、いや……条件反射で……」

「ぶー。もうボク、クロウ一筋なのにぃ……だってボクのココはクロウの形に……ってカクさ~ん! 置いてかないでよぉ!」

「い、急がねばならぬからな!」


 闇の中で交わされる会話はどこか間が抜けており、ついぞ先程凄惨な死の光景を広げていた者達の会話とは思えぬ暢気さを持っていた。

 しかし彼女達は急いでいた。

 それこそ無茶を迷うことなく選択するほどに……。

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