第318話  弱者の献身


 多くの冒険者が住む町、アルバトーゼ。

 不意を突かれたとしても、自身の身を守る術を持つ者達は多くいる。


『――『深淵なる赤』ミラの眷属にして夜に瞬く戦火の狼煙よ! 射貫け!

   『サジタ・フラム』!!」


 日が暮れた麦畑にまた一つ炎の矢が打ち込まれた。

 高熱の炎の矢は狙い違わず『小鬼ゴブリン』の一匹を貫き、赤々とした火の粉を散らす。

 しかし一匹倒しただけでは全く意味をなさない。

 麦畑に散る火の粉が次々押し寄せてくる黒い影にかき消されていく。


「おいおい、どんだけ湧いてやがんだ! 猿共が!」


 アルバトーゼでは中堅に位置する冒険者の戦士、ウォーゼが両手剣バスタードを振り回しながら愚痴を吐き捨てた。

 これだけ敵だらけだと当てる事を考える必要すら無い。

 どう振るっても手ごたえがあり、耳に煩わしい悲鳴が聞えてくる。


「ウォーゼ! 後ろに寄こすんじゃねえぞぉ!」


 槍を構えた皮鎧の男――ランケの声が、ウォーゼの背中に放たれる。

 しかしその声も喧騒の中に直ぐに消える。


「皆が皆旧街道を目指してるの。しっちゃかめっちゃかだよ」


 先程魔法の矢を放った小人族の女――プルが、眉を顰め首を振った。


「ランケ! 退路は探せたか!?」


 ウォーゼが、振り向きもせずに後ろに向かって怒鳴り声を上げる。


 小鬼ゴブリンの洪水――そう呼んで差支えの無い魔物の奔流に、今やどこもかしこもが戦闘区域だ。

 相手の数は膨大だがこちら側も街一つの人がいる為、個々が対応しなければならないのは精々5~10匹程度だろうか。『小鬼ゴブリン』の数は推定10万を遥かに越えそうだが、こちらの数も万を超える。一度に掛かれる数にも限度がある為、まだ劣勢にまでは陥っていない。


(『暴走スタンピート』だったから、まだ何とかなってんのか?)


 ウォーゼは周囲に目をやりながら眉を寄せる。

小鬼ゴブリン』は残虐だがそれは弱い者に対してのみ。敵わないと見れば即座に逃げ出すような臆病さも良く知られている。

 それ故に殲滅するには手間が掛り、国が率先して動くか報奨金でも出ない限り、誰もあえて狙わない魔物とも言えるのだが、今襲ってきている『小鬼ゴブリン』達は、明らかに平時とは違っていた。


小鬼ゴブリン』は極度に魔法を恐れる。

 しかし今の『小鬼ゴブリン』達は、プルの魔法にもあまり怯んだ様子が見られない。それは当初ウォーゼには脅威に映っていた。雑魚と侮っていた小さな魔物が、いきなり死兵に早変わりしたのだ。驚くのも無理は無い。

 

 しかし時が経つにつれて、「今戦えているのは『小鬼ゴブリン』が暴走しているから」とも思えて来ていた。


暴走スタンピート』――増えすぎた所為でコミュニティーが維持できずに起こる、いわば破れかぶれの状態の通称。言葉通り通常よりも凶暴性を増す代わりに、判断能力が著しく低下する。それは死をも恐れぬ軍団を作り出してしまうが、他の魔物の『暴走スタンピート』に比べると、『小鬼ゴブリン』の『暴走スタンピート』は一長一短でもあった。


 通常『小鬼ゴブリン』は武器を携えている事が多い。

 多くが棍棒や石など、武器とも呼べない稚拙なものだが、猿に似たこの妖魔は道具を扱う事が出来る。それは味方が倒されれば相手が新たな武器を持つ事を意味し、『小鬼ゴブリン』が相手だと、仲間の形見が即座に自分を狙う凶器に変わる。子供程度の大きさしかなく、力もそれ程でも無いのに『小鬼ゴブリン』が悪魔と称されているのは、その一点が大きいだろう。


 だが今襲い掛かってきている『小鬼ゴブリン』は、殆んど何も手にしていない。数が増え過ぎたが為に暴走状態に陥った『小鬼ゴブリン』達。武器が行き渡らないのもあるだろうが、目の前の獲物に意識が向き過ぎて、武器を拾って使うと言う考えすら抜け落ちていた。

 だからこそ『小鬼ゴブリン』一匹の脅威度は、通常と比べても明らかに低くなっており、まだ人側が戦えているのだろうとウォーゼは感じた。


(だがっ……いつまで保つ・・か……)


 ウォーゼは剣を振り回しながら、額に流れる汗と別種の冷たい汗を背中に感じ、眉に刻んだ皺を深くする。


 今はまだ何とか人側も戦えている。

 しかし皆が皆、自分達のように戦える者では無い。いや、今の状態の『小鬼ゴブリン』なら、大人の男であれば戦えるだろう。相手が子供程度の大きさの凶暴な猿にまで成り下がっているのだから、例え素人であっても2、3匹なら対処出来る。

 しかし戦いに不慣れな素人が一度に何匹もの『小鬼ゴブリン』を相手に、戦い続けられる・・・・・・・かと問われたなら、疑問の余地も無く否だ。

 それに此方側には女子供も老人もいる。皆が皆戦える者では無いばかりか、足手纏いが大勢いる。考えるまでも無く先の見通しは暗い。


「どこもかしこも人と『小鬼ゴブリン』だらけで、退路も何も……」


 ランケが、山に視線を向けながら弱り顔で肩を竦めた。

 夜の街道は今や悲鳴と怒号で埋め尽くされ、新年の祭り時でも見た事が無いほど人々が犇めきあっている有様だ。

 その人々は一心に山を目指して列を作っていた。

 為政者が目指したから。平野で四方から襲われるよりはマシだから。

 個々に思惑はあれど、新街道に逃げるよりも生き延びる確率が高いのは誰の目にも明らかだったのだろう。


「確かに山に入れば少しはマシに戦えるだろうけど……。夜の山道なんか進んだことも無いようなお貴族様が先頭だよ? ああ……何人生き延びれるかなぁ……」


 その人の群れを飲み込もうと襲ってくる緑の小鬼達。

 プルの暗鬱とした声に暗い未来がそう遠くない事を感じとり、ウォーゼは拳を握りしめる。


「おい、あそこを突っ切るぞ!」


 決断したウォーゼは指で一点を指さした。


「な、何言ってんのさ?」

「正気か!?」


 ウォーゼの指先を見た仲間達から非難の声が上がった。


「見たまんま、こいつらは『暴走スタンピート』状態だ! 本能のままに動きやがる! なら、あそこしか抜け道はねえだろ!」


 その仲間の非難を押さえつけるように、ウォーゼは語気を荒げて言い放つ。

 ウォーゼが指し示した方角には、不安気に身を寄せ合う女や子供達の姿があった。


 商人の家人か何かなのだろう。

 使用人と思われる男達が武器や棒で『小鬼ゴブリン』を何とか押し止めているが、荒事に長けた護衛の姿が見えない所からして、既に賢い同業者・・・・・は選択している。


「どのみち俺らもどうにかしねえと、力尽きて終いだぜ? 金にもならねえってのに他人に義理立てして死にてえのか?」


 ウォーゼが剣を振り回しながら、嘲るように自分を正当化する。

 まだ戦端が開いてから数時間だが、人の悲鳴は何度も聞こえて来ていた。

 その多くが身寄りのない老人達だった事を知らないとは言わせない。

 関係無い他人を助ける為に魔物の群れに突っ込んで行く馬鹿はいない。

 集団でなければ押し止められない脅威であるのも間違いないが、だからと言って見ず知らずの他人の為に命を張る義理も無い。


 誰もが最終的には自分が助かる為に戦っているに過ぎず、ましてや為政者がいの一番に逃げ出した戦場だ。褒賞や栄誉も無く、戦えるからと言う無為な理由で誰かの為に命を張る事に何の意味があると言うのか。


「こいつら暴走してやがるって言っても本能には忠実だ! なら弱いもんから狙うだろう?」


 自分に言い聞かせるようにウォーゼは剣を振るって二人の仲間に目を向ける。

 その言葉が正しいと、周囲の状況が物語っていた。

 いくら炎を恐れず襲い掛かってきているとは言え、『小鬼ゴブリン』達も狂っている訳では無い。飢えや性欲が高ぶり過ぎて、普段であれば怖気付く状況でも欲を優先させているだけだ。


 だからこそ弱者に多く集ってくる。少ない労力で糧が得られるのならば、そちらを選ぶ。


 すぐ後方で誰かの悲鳴が響いていた。

 その声がしゃがれている事から考えるに、歩みが遅くて見捨てられた老人に違いない。


 群れから外れた弱者を襲うのは獣の本能に則した行動だ。

 ウォーゼの言葉が正しい事を仲間二人も認めたのか、二人は頷き合ってウォーゼに無言で目を向けた。


「金で雇われた護衛ですら逃げ出す状況だ。見ず知らずの俺らに責められる謂れはねえ……」

「街中じゃ俺らの事白い目で見る奴ばっかだったしな」

「誰だって自分の身が一番大切だもんね……」


 各々が口の中で言い訳を呟き、他者に犠牲を強いる自分を誤魔化し始める。


「そこのお三方! 加勢してはくれまいかっ! せめて娘達だけでも逃がして――」


 ウォーゼ達が向かう先、男が必死の形相で助けを求めてきた。

 その横をウォーゼ達は一瞬で通り過ぎ、人ごみの中を縫うように駆け抜けていく。

 後方では先まで自分達が押し止めていた『小鬼ゴブリン』の一団が、新たに狙いやすそうな獲物に目を付けた事だろう。

 護衛にまで逃げられてしまった後方の商人に同情はする。しかし自分達が担当していた『小鬼ゴブリン』を押し付けた事に対しての罪悪感は感じなかった。


「旦那様! 新手が!」

「くそっ! 押し付けていきやがった!」

「子供や女を見捨てて逃げんのかぁ!」


 今やどこかしこで聞こえて来るのと同じ悪態がウォーゼの耳を過り、直ぐに喧騒に掻き消されていく。


(弱いってのは罪なんだよ! 弱けりゃ食われんのは商人の世界でも一緒だろう?)


 勝手な事を言うなとウォーゼは口の端を歪めて心の中で毒を呟く。

 守りたいものがいるのなら守れば良い。しかし自分には関係の無い人物。命を懸けるに値しない。


 所詮弱者は奪われるだけの存在――普段雇う側と雇われる側にしかならない社会的な強者と弱者が今の瞬間逆転した事を感じて、ウォーゼは乾いた笑いを口から溢す。


(精々力のねえ自分を恨むんだな!)


 普段頭を下げて仕事を乞うしか無かった金持ちを、ここぞとばかりに心の中で見下しながら、ウォーゼは街道をひた走った。

 周囲では未だ戦闘が繰り広げられている様子だが、冒険者や戦える者達の姿は目にしていない。

 実力のある者、戦える者達ほど、早々と戦況の悪さを悟り、自分が生き延びる事を優先させたのだろう。

 それを考えると自分達はかなりお人好しだった……今の今まで最後尾近くで一銭にもならない戦闘に従事していたのだから、感謝されても恨まれる筋合いなど無い。


「誰か! 助けて! 爺様が!」

「お母ちゃぁぁぁぁぁああああああん!」

「くそ、くそ! たかが『小鬼ゴブリン』の分際でっ! 畜生! 冒険者共が言ってたじゃねえか! 『小鬼ゴブリン』は雑魚だって! ……嘘吐きやがって……」


 ウォーゼは助けを求める声と手を振り払い、一心に先を目指す。

 このまま何度か他人を犠牲にしながら進めば、先頭集団に追いつく事が出来るだろう。山道まで辿りつけば『小鬼ゴブリン』達も一気に襲って来れなくなる。

 ウォーゼがそこまで算段を付け、目指す先――旧街道の山を見上げたその時、


「旦那様! お嬢様!」


 人々の集団とは別、少し外れた森の中から、高い声と共に影が飛び出してきた。

 森の中から飛び出して来たのは、成人してもいないであろう若い少女だった。

 悲鳴や怒号が飛び交う中、たった一人で周囲に目を彷徨わせ、人を探している迷い子を思わせる少女の姿に、ウォーゼの足が思わず止まる


「もう後ろにいる奴らは助かんないよ! あんたも早くお逃げ!」


 同じ女としてプルも思う所があったのか、他人である筈の幼い少女に向かって強い言葉を飛ばす。今し方他人を見捨て、女子供さえも時間稼ぎの餌とした事への良心の呵責でも感じていたのだろうか。


 逃げると言ってもどこへ――それを伝えられないもどかしさを感じながらも、ウォーゼは自分の胸を押さえて顔を歪める。

 少女の装いは町人達と違っていた。

 逃げ惑う人々の殆んどが着の身着のままと言った格好なのに対し、少女はしっかりとした旅装束に身を包んでいた。

 運よく『小鬼ゴブリン』の襲来の前に街を旅立ったか、それとも到着する前に『小鬼ゴブリン』の襲撃に気付けたであろう事を伺わせる格好だ。


 なのにわざわざ飛び込んできた。

 ウォーゼの心の中に、苛立ちに似たもどかしさが頭を擡げる。


「おい、嬢ちゃん! 後ろ行ったら死んじまうぞ!」


 それは彼も同じ思いだったのか、ランケが少女の腕を掴んで戻るよう促していた。

 誰かを犠牲にして生き延びる事を間違っているとは思っていない。

 しかしだからこそ、少女の無意味な行動に憤りを覚えたのはウォーゼだけでは無かったようだ。


「離してください! お嬢様たちを助けなきゃ! 私がベル様に頼めばきっと! 私は怒られちゃうかもしれないけど、それでも!」


 突然見知らぬ男に腕を掴まれた少女は、狼狽しながら身を捩っていた。

 彼女が誰を助けようと戻って来たかは分からない。ただ一つ言えるのは、その献身さは称賛に価する。その、まるで御伽噺のヒロインのような心は――。


「おい、ガキ! 良く聞け! こいつら『小鬼ゴブリン』は弱い奴から襲うんだよ! てめえが戻っても孕み袋が増えるだけだ! てめえこれ以上『小鬼ゴブリン』を増やすつもりか? ええ!?」


 子供に向けるにしては悪辣すぎる物言いが、ウォーゼの口を突いて出ていた。

 例え誰かを犠牲にして生き延びることを決断したとしても、無為に命を散らす幼子を見ていられない。そんな普通の良心の中に混じった、他者を気遣う心根に対する嫉妬がウォーゼの口調を荒くしていた。


現実が見えてねえ・・・・・・・・奴を見ると虫唾が走りやがる)


 現実は御伽噺のように甘くは無い。

 大地を埋め尽くさんばかりの『小鬼ゴブリン』の軍勢に襲われ、力尽きた者から、弱い者から喰われ犯されていく地獄行脚の真っ最中だ。

 そんな中、か弱い少女が一人向かった所で餌にしかならない。


「でも……ベル様の旦那様は王様だって言ってたから……。きっと私達だけじゃ無くて皆助けてくれる……はず……」


 いきなり見知らぬ男に凶悪な顔で怒鳴られた少女は、泣きそうな顔で言い返して来る。


「その王様がっ……為政者様が、いの一番に逃げ出したからここまで被害がデカくなったんだろうが!」


 街にいる戦力を過小評価していたのか、それとも『小鬼ゴブリン』の大軍に怖気付いたのか。アルバトーゼの街を治めていた筈のアプサルティオーネ家が、真っ先に街を飛び出し逃げ出した事は、既に多くの住人が知る所だ。

 街の責任者が逃げ出した。その事が混乱を加速させ、今の事態を齎したと言っても過言では無い。きっと別の誰かの事を言ったのだろうが、少女の物言いは酷くウォーゼをイラつかせた。


「ランケ! 離してやんな! 自ら餌になりてえって言う奇特な嬢ちゃんだ! こいつが犯されて時間稼ぎしてくれるってんだから、ありがてえじゃねえか! 俺らよりもよっぽど上等な装備してやがっし、どっかのお貴族様の召使いかなんかだろ。こういう時こそ役に立って貰わねえとな!」

「ちょっと、ウォーゼ!」

「うるせえ、プル! 今更良い子ちゃんぶんじゃねえ! ついさっき女子供を見捨てて来たばっかだろうが!」


 いきなり怒気を向けるウォーゼに、少女は目尻に涙を溜めていた。

 そんな少女を見下ろしながら、ウォーゼは鼻を鳴らす。


 子供ながらに現実を知らないからこそ、そんな夢物語が語れるのだ。

 戦う力を持つ自分達ですら、このまま戦い続ければ命を落とす事になるのは確実だ。なのに戦う力も持たない、ただ理想だけを叫ぶ少女の滑稽さに。戦う力を持っていながら、誰を守るでも無く自分達の命の為だけに弱者を利用すると決めた自分達を正当化する為に。

 ウォーゼが苛立ちに声を荒げたその時、再び闇の中から高い声が響く。


「クロウ様! 見つけました! プリシラ! 待ちなさいっ!」


 またもや少女の声色に、ウォーゼは自分の耳を疑い続けて自分の目を疑う。


「おいっ! クラヴィス! 無茶すんなってあれ程っ! デンテ! 後ろちゃんと皆いるか?」

「はいでしゅ! クロウしゃま!」


 逃げ惑う人々の列を逆走してくる数人の集団。

 一言で言えばそれは余りに奇妙な集団だった。

 一人の青年を除きその集団は子供だけで構成されていた。

 およそ戦場の中を生き延びている筈の無い集団だった。


「おい、カイル! エレン! しっかり持っとけよ!」


 しかし奇妙なのはそれだけでは無かった。


「う……うん。でも兄ちゃん……、コレ何? なんか腸に、に、似て……」

「ひぃっ! ま、まだ動いてるんだけど……?」

「その歳で電車ごっこが恥ずかしいってのは、分かっけどよ! 我慢しろい!」

「クロウしゃま。デンシャゴッコってなんでしゅか?」


 この混乱の極致の様な状況の中、どこか力が抜けそうな会話と共に逆走して来た奇妙な集団。青年を先頭にしたその集団は、細長いひも状の物で自分達を繋いでいた。

 鮮やかなピンク色の紐――それはその中の子供が発した『腸』と言う言葉がしっくりくる――は、青年の腹から出ているようにしか見えない。


「お……おい……。あんた……その傷で戻って……」


 しかし流石にそれは無い。腸をロープにするなど狂気の沙汰だ。

 それよりもと、ウォーゼは先頭の青年の確かな傷痕に声を漏らす。


「へ? どちら様? ああ、これっすか? 別に問題ねっす」


 見知らぬ男に突然声を掛けられた青年は、一瞬キョトンとした後、肩を竦めて頭を掻く仕草をした。

 ただ頭を掻こうとしたのだろうが、明らかに丈が足りていない。

 目に見えて明らかな傷――青年の両腕は肘の辺りから先が無かった。

 生々しい傷痕からは骨が覗き血が滴っている。


「ク、クラヴィスさん!? それに王様!? どうして……」

「プリシラ! あんたが勝手に行っちゃうから! クロウ様が!」

「おいクラヴィス! 説教は後だ! 後ろで悲鳴が聞こえた!」

「そうだっ! 旦那様やお嬢様が!」

「プリシラ! お前ももううちの子になんだろ! なら俺が体を張るには充分な理由だっ!! んっぎいっ!! デンテ! プリシラも電車ごっこに入れといてくれ!」


 どう見積もっても軽い怪我では無い。

 あんぐりと口を開けたウォーゼを他所に、先に捕まえていた少女が思い出したかのように声を上げる。それを聞くや否や、青年は生々しい傷跡からナイフを生やし、ピンクのロープを千切って駆け出していた。


「お、おい!? あんた、その傷で!?」


 先程年端もいかない少女に覚えた嫉妬の感情。

 しかし今度はそれすら感じず、ウォーゼは青年の背中を見送る。


 現実を知らない少女の物言いだからこそ、「どうしようもない」と大人ぶる事で自分を納得させた。

 しかし戦いの痕を思わせる傷を持つ青年が、葛藤も見せずに死地に飛び込んで行ってしまえば、途端にウォーゼの言い訳が陳腐と化す。


 明らかに戦闘従事者には思えない青年が魔物の群れに突っ込んで行くのを、戦う力を持つ自分が見送る悔しさ。先まで感じていた強者の愉悦が、いきなり惨めな弱者のやっかみに変えられた。

 悔し紛れにウォーゼは『小鬼ゴブリン』の群れ目がけて突っ込んで行く青年の背中に悪態を吐き捨てる。


「おい、アンちゃん! 『小鬼ゴブリン』は弱った者から襲って来んだぞ! 今のお前さんのナリじゃ、一瞬にして目を付けられちまうぜ!」

「望むところっす! 弱そうに見えんのが役立つたぁ、人生何が幸いすっか分かんねえもんすね!」


 返って来たのは自棄めいた声色の、自信ありげな声だった。

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