第315話  他人の価値


 悪い予感と言う物は得てしてよく当たるイメージがある。

 九郎の場合それは自分自身にはちっとも当てはまらない。元来楽天的ポジティブな性格であり、『不死』となった今傷つくことなど無いのだから。


 だから九郎が感じる悪い予感とは、他者の――それも親しい人に降りかかる不幸に起因することが多い。

 九郎は自分が失くした命の価値の代わりを、他者に委ねている自覚があった。だからこそ自身の危機に無頓着でありながらも、仲間や大切な人の命に過敏に反応することが出来る。

 ――そう考えていた。


(俺の両手は広くねえ……俺は『万人の英雄』じゃねえんだ……)


 薄ぼんやりと体に纏わりつく靄のような不安は、今迄感じて来たものより遥かに緩く、懸念程度のものでしかなかった。

 信頼できる仲間達。個々でも戦う力を持ち、自分よりも余程強者な守りたい人々。

 心配はしていたけれど、感じる不安の脆弱さから、暢気に構えていた部分もあった。


 2万の『動く死体ゾンビ』を一度に滅ぼし、近付く敵を炎の衛星で焼くベルフラム。

 毒の盾を持ち、攻撃と防御を同時に出来るようになったレイア。

 経験はまだ未熟だが、素早さだけなら仲間内でもトップクラスのクラヴィスとデンテ。

 防御に秀でた魔法を駆使するシルヴィアとガランガルン。

 それらを適切に指揮し、敵側に僅かな隙も与えないリーダーのファルア。


 これだけの仲間が揃っていれば、『小鬼ゴブリン』など物の数では無い。

 それは油断でも増長でもなく、確かに感じていた自信だった。


「おら、クロウ! ぼーっとしてんじゃねえっ! 左80ハインに6匹。足止めしろっ!」

「あ、ああっ! 『鳴かぬ蛍サイレントフェアリー』!!」


 撤退戦も何度も経験している。

 その距離が長くなればなるほど、九郎の力は真価を発揮する。

 周囲に撒き散らして置いた血が灼熱へと『変質』し、離れた意識下で肉の焼ける匂いが充満し、『小鬼ゴブリン』の断末魔の悲鳴が聞えていた。


「コルル坊、準備が出来たぞい!」

「お、応! 『付和雷同フォローブレンドリー』!!」


 シルヴィアの声に、九郎は続けて別の欠片を紫電に変える。

 雷に『変質』したいくつかの欠片は引きあうように紫電を繋ぎ、バチバチと音を立てる。基本触れなければ効果を発揮しない『変質』の力も、使い方によっては地雷以上に凶悪だ。シルヴィアの魔法で一瞬真空になった範囲が、青白く発光し雷の嵐が巻き起こっていた。

 今度は悲鳴を上げる時間すら与えず、『小鬼ゴブリン』が大地に転がる音だけが後に続く。


「いろいろ出来るようになって来てんじゃねえか。成長してねえって思ってたが、怠けちゃいなかった見てえだな」


 珍しく褒めるファルアの声は九郎には届いていない。


「落ち着きなさいっ! 死にたいのっ!?」

「離してくださいっ! お嬢様がっ! 旦那様がっ!」

「貴方方が今戻って何になると言うのです! 静かにしなさい、エレン!」


 その耳には悲痛な子供達の声だけが響いていた。


☠ ☠ ☠


「なんでえ、技術だけかっぱいで行こうって考えてなすってたのかい?」

「違うわよ……でも結果的にそうなっちゃったから言い訳出来ないわね」


 アルバトーゼの街に滞在して3日目。

 旅立ちを前にして九郎達は街の商人や職人の元を訪ね歩いていた。


「親方ぁ! 石炭の在庫がもう……って……せんせぇっ!? ご無事だったんですね! 皆死んじゃったって言うから……僕……」

「あ、ちょっと、カイル! 今の私に軽々しく抱きついてはいけません! いきなり抱きつかれると危なっ……クロウ様っ!」

「おっとととと……悪いな、坊主。このオッパイは俺んだからよ」

「んだてめー! 先生! コイツ誰なんだよ!」

「ぴぅっ!? そ、その方は……私の旦那様でして……」

「ちょっと~、レイア。私達・・のでしょう?」

「そうじゃそうじゃ、独り占めはいかんぞぉぉ……いかんぞぉぉぉ……」

「ぴぃっ! す、すみませんっ! あっ、シルヴィさん、人前で揉まないで……。…………独り占めってクロウ様の事ですよね? おっぱいの事じゃないですよね!?」


 その目的はベルフラムが過去二年の間に育てた孤児たちにあった。

 かつてベルフラムはこの街で孤児院を営み、その子供達に『不死』と言うだけで恐怖を抱かないよう教えていた。

 彼等彼女等なら、『サクライア』の新たな住人になり得るかも知れない。

 そう考えたベルフラムは、孤児達を預けていた商人や職人の所に引き抜きの交渉を持ちかけていた。


「姫様もその男の? いや、噂では聞いてましたが、そこのがかの『芋の英雄』で?」

「そうよ? 私の一番大事な人! それと、もう私も死んだことになってるんだから姫様って呼ばれても次から返事しないわよ?」

「そうは言いやすが……と言うかその、あまりにお変わりなりませんので……」


 2年も前に死んだと噂されていた領主の令嬢。

 街中では彼女に誰も気付きもしなかったが、個人的に面識のあった者はその限りでは無い。逆に言えば2年前と全く変わっていないベルフラムの姿に、戸惑いを見せる者も多かった。

 ただ目上の、しかも年下の少女に「全く変わっていない」と言うのも憚られるのか、他の面識あった人々と同様に、男も言葉をぼかしていた。


「ま、まあ……それは……ね」


 ベルフラムは男の言葉を引きつった笑みではぐらかす。

 九郎の心臓と『フロウフシ』の加護の力で彼女自身が『不死者』に変わった経緯を説明してもややこしくなるだけだ。


「おっちゃん、あんま言わんとってくれねえっすか? 本人これでも気にしてんだ」

「お、おう……すまねえ」

 

「そこの」と、どう聞いても懇意的でない呼ばれ方をした九郎は、苦笑しながら話に割って入って追及を封じる。

 彼女が気にしなくても『不死』と感付かれて怯えられる彼女は見たくない。


 九郎と別れた後のベルフラムの辿った道を聞かされた時、九郎は驚くと共に小さな少女の思いの強さに改めて胸を熱くしていた。

 変わらず好意を持ち続けていてくれたどころか、九郎と再び生活する為に、街の住人達の認識から変えようとしていたベルフラム。

 その試みはあまり上手くいかなかったと彼女は不満顔だったが、その気持ちだけでも十分に嬉しい。しかもその結果が今、彼女自身の為にもなっているのだから運命と言う物を感じずにはいられない。


 ――ちょっとは私のやってたことも無駄じゃ無かったって、思いたいじゃない? ――


 そう言って照れくさそうに笑いながら、新たな住人候補を上げたベルフラムは、丁稚に預けた子供達の元を尋ね歩き、共に来ないかと持ちかけていた。


「カイル~、諦めなよ。そのあんちゃん、先生ともうらぶらぶちゅっちゅの仲なんだから」

「ベルフラム様ともちゅっちゅしてんだぜ?」

「儂もちゅっちゅしとるぞ~」

「きっとスケコマシって種族だ。大きくなったら先生と結婚しようと思ってたのに……」

「ミック、エレン! この人、こう見えても一応王様だってレイア先生言ってたじゃない! 信じられなくても!」


 ベルフラムが挙げた新たな住人候補の子供達。その多くは彼女の無事を心から喜び、「共に来るか?」の言葉に一も無く飛びついていた。店の外から顔を覗かせた子供達がカイルと呼ばれた少年を囃し立てている。


「もう……私、そんなに人前で惚気てるかなぁ?」

「ベルフラム様はそれなりに……それより私は見られた記憶が無いんですけど……」

「レイア嬢はのぅ……もう見とるだけで察せるんじゃ。コルル坊が近くにおると、ずーっと目で追っちょるもん」


 子供達の言い分に口を尖らせながら、ベルフラムは目を細める。

 その顔には少し憂いが含まれていた。


 子供達が希望したとしても、誰もが子供達を手放すとも思ってはいなかったのだろう。子供達の多くは預け先から「これ幸い」と放り出されており、身よりの無かった子供達が辿った道も、楽な物では無かった事を窺わせていた。


 国内が混乱している空気は、市井の方が敏感に感じていたのか、見ず知らずの孤児、しかも領主の娘の後ろ盾を失った子供達の価値は低かった。ベルフラム達が教え込んだ知識のおかげで飢えてはいなかったが、ベルフラムが行方不明になってから、突然態度を変えた商家もあったと聞いている。

 ベルフラムはその可能性を考えたからこそ、少年少女達を引き取ろうと持ちかけてきたようにも思えていた。


「まあいい。おい、カイル! 荷物纏めて来い!」

「そんな?! 親方!?」

「なんでえ、嫌なのか? テメエ毎日『せんせえ』ってのに恩返ししたいって言ってたじゃねえか。ほら、とっととしやがれっ!」


 ただ、そんな薄情な者達ばかりでも無かった。

 目の前で口の端を歪めている職人気質の男の顔には、弟子の新たな門出を祝う気持ちが滲んでいた。

 孤児だった彼等が全員元気に生きていた。それだけで充分に思えて、九郎はベルフラムの頭を撫でて彼女の功績を称える。


「そう言えば、ゴーバ。あなた『小鬼ゴブリン』の噂知ってる? かなり増えてしまってるらしいんだけど……」


 奥へと走って行ったカイルを見送り、ベルフラムが男に向き直る。

 増えている事は事前にファルアから聞かされていたが、街の空気は平和そのもので、作物の価格や素材の価格等に僅かな影響は見えていたが、市場は変わらず盛況だった。道行く人々の噂にも『小鬼ゴブリン』の話は登っていない。

 ただそれでも警戒はしておくべきだと、ベルフラムは心配事を口にする。


「初めて耳にしましたぜ? かなりってどれくらい増えてんですかね? それによっちゃあ矢尻の補充をしといた方が良いかも知れませんが……」


 武器職人の男は初耳だと首を傾げ、頭の中で在庫の確認を始める程度に収まっていた。

 嫌われる存在ではあっても『小鬼ゴブリン』自体の弱さも有名だからか、慌てた様子は見せていない。


「私も詳しくは知らないけど、いくつかの村が襲われたって……」

「そんなでけえ群れなら、噂になってもおかしくねえんですけどねぇ?」


 一昨日ファルアが仕入れて来た情報では、『小鬼ゴブリン』の数はかなり増えているとの事だった。

 九郎とベルフラムがそれぞれ身銭を切って冒険者達に駆除を依頼したのが昨日の朝。長くこの場所に留まる予定が無かったので、ベルフラムに特別恩義を感じていた商家に金を預ける形を取ったが、結果を知れないだけにいつまでも不安が付き纏う。


「大きな群れだとこの街も危ないんじゃないかしら?」

「つってもたかだか『小鬼ゴブリン』でしょうや。壁越えて来るわけじゃねえし、この街にゃ冒険者も兵士も数多くいまさぁ。死体の処理にかかる金の心配の方がでけえんじゃないですかね?」


 ベルフラムの示した懸念に男は首を竦めて笑って見せる。

 垣根でしか囲われていない村とは違い、『小鬼ゴブリン』に滅ぼされた街など聞いた事も無い。「あいつら肥やしにもならねえから」と男は笑いながら続ける。


 子供程度の力しか持たない『小鬼ゴブリン』は、戦う力を持たない者達からすら侮られる存在。

 行く先々で何度も繰り返された会話に、九郎も思い過ごしだったのかと思い始めていた。


☠ ☠ ☠


 予兆があったか無かったかで言うのならば有ったのだろう。

 危険察知に優れた者達は、最悪を想定して動く。ファルアが情報を仕入れた先も、昨夜覗いた時には閉まっていた。

 冒険者を多く擁するアルバトーゼ。澱んだ空気を感じ取り、街中であっても武具を携帯している者が出始めたのは、九郎達が街を発つ日になってのことだった。


「ったく……最近子供の引率ばっかしてる気がすんなぁ……」


 夏の日射しに目を細め、ファルアがぼやく。

 空は青く晴れ渡り、収穫前の麦畑が緑の海のように波打つ景色は、平和で牧歌的だ。

 子供達を見送りに来たのは数人であったが、今生の別れになるかも知れないのでと、九郎達も涙の別れを見守っている。

 九郎達にとっても街は見納めである。口を挟むのも野暮だと感じて、ファルアは周囲に目を向ける。


「私とデンテで先行します。帰り道は私達の方が詳しいですから!」

「懐かしいね、ねーちゃ?」

「コルル坊、そげな心配気な顔せんでも、儂も一緒に行くでの」


 アルバトーゼから『サクライア』へ向かう道は2通りある。

 一つは新街道でレミウス城方面に向かい、来た道を戻る道程。

 しかし九郎達はもう一つの道。旧街道を行く旅路を選択していた。

 理由はいくつかあったが、第一にクラヴィスとデンテが鍛錬で旧街道を毎日往復していたというのがある。ピニシュブ湖に流れ込む川に面した旧街道は、途中がけ崩れなどもあったが、ファルア達も過去に通った道であり、『サクライア』を目指すのであればそちらの方が距離も短い。

 子供達を連れて5日の距離を旅するよりも、多少道が悪くても2日の距離を選ぶのは自然の流れだった。


(ぶっちゃけ、こいつクロウがいっと、悪路とか関係ねえしな……)


 移動に使っていた荷車の中にはファルア達の荷物に加えて、子供達の荷物も全て積まれていた。それどころか、子供も十数人乗っている。


「ほら、お前らも見納めだろ? しっかり見とけよ~」

「すっげ、あんちゃん。ひょれ~のに力あんのな?」

「カイル! あんちゃんじゃ無くてクロウ様でしょ? レイア先生もそう呼んでるんだから、そう見えなくっても私達よりも身分が上の人なのよ?」

「ああ……プリシラだっけ? 気にしなくて良いぜ? 好きなように呼んでくれて。これから行く街でもおらぁ、いろんな呼び名で呼ばれてっからよ?」

「そう言えばクロウ、アルムの人達からは『旦那』って呼ばれてるわよね? どうして?」

「……ありゃぁ……他意はねえんだろうし、おかしかねえんだけど……ミスラの策略かも知れねえ……」


 その荷車を軽々持ち上げ掲げている九郎がいれば、悪路などあって無いようなものだ。平和な会話を交わしながらつられて手を振る九郎を見ていると、感じていた懸念が崩れていく気すらする。


(まあ、取りこし苦労だったか)


 ファルアは肌にひりつく感覚を感じながらも、危機を脱した確信を得て安堵の息を吐き出していた。


 この世界は常に死と隣り合わせの危険な世界だ。

 どこであっても大なり小なり命を落とす可能性は存在している。

 その襲い掛かる『死』から逃れるには、まずその『死』の空気を感じ取らなければならない。


「おい、クロウ。そろそろ出発しねえと、変な場所で夜営すっことになんぜ? ガキどもいんだし、予定通りに進まねえかもしんねえんだ」


『死』の空気と言う物は慣れていなければ感付けない。鼻を鳴らしたファルアは、野暮を承知で九郎に急ぐよう声を掛けた。


☠ ☠ ☠


 その光景は異様だった。

 かつてベルフラム達と道を違えた思い出の場所。

 アルバトーゼの街を遠くに一望出来る山頂で、当時を振り返って悲しい思い出を上書きしていた九郎達は、目の前に広がる黒い影に目を疑っていた。


「な……なんでしょう……アレは……」


 レイアの弱った視力でも見えてしまう程の黒い影。

 エーレス山脈の西に沈む太陽。東に向かって伸びる筈の山の影が、南に向かって伸びていた。


「っとぉ……思ってた以上に大量に湧いてやがったな……。こいつぁ、こっちまで溢れてくっかもしんねえ。おい、ガラン! 堀を掘っとけ! シルヴィ、クラヴィスを連れて先の道を確認しといてくれ! クロウ、お前は俺と一緒に罠を仕掛けに行くぞ!」

「う、うむ。ベル嬢達はここで子供達を見といておくれ」


 津波のようにアルバトーゼに押し寄せる黒い影に、ファルアが矢継ぎ早に支持を出す。伸びる筈も無い方向に延びる緑がかった黒い影。

 それが大地を埋め尽くすほどの『小鬼ゴブリン』集団だと九郎が気付くのには、少しの時間を要していた。


「そんな……街が……」


 慌ただしくなった大人たちの様子に不安そうに集まって来た子供達。その一人が呟く声が、残酷な響きを伴って九郎の耳を過って行く。

 かつての襲撃を思い出させる『小鬼ゴブリン』の大軍。

 しかしかつてと違って訳も分からず逃げ惑っているのではなく、確かな攻撃性がその影からは感じられた。

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