第314話  見知った場所


 虚栄心が強い男。

 これが街中でファルアが仕入れていたエルピオスの人となりだった。

 九郎はおろかベルフラムも数度しか顔を合わせていないないエルピオス。改めて見ても、彼の態度の節々から人を見下す性根が滲み出ていた。


「生きていたとはな……」

「私の英雄が助けてくれましたから」


 応接室にすら通さず、玄関口で口の端を歪めたエルピオスに、ベルフラムはそっけなく答える。

 彼女がそう言わずともエルピオスの視線は、ベルフラムでは無く九郎に忌々しげに向けられていた。

 ある意味エルピオスからしてみれば、人生設計の躓きの原因である。九郎やベルフラムを良く思っていない事など、初めから分かっていた。例え自業自得であっても、他者を使う事に慣れた貴族が自己を省みるのは稀である。


「なんだ? 金の無心か? 貴様は既に死んだ者と処理されているのでな。この屋敷の財は渡せぬぞ?」


 二言目に告げられたエルピオスの言葉に、ベルフラムは呆れた様子で苦笑を漏らす。

 アルバトーゼの街も豊かな訳では無いが、税を集める側の立場の人間が言うには、あまりにみみっちい台詞である。

 良く思われていないのは分かっていたけど――と引きつった笑みを浮かべたベルフラムだったが、自分達の今の格好を鑑みて仕方ないかと思い直す。

 今日のベルフラムの格好はミスラに譲って貰った白のワンピースを仕立て直したものだ。素材も縫製もしっかりとしたものだが、華美が尊ばれるアプサル王国の貴族からしてみれば、いささか地味に見えたのだろう。


(強度も肌触りも凄いのに。見た目の贅沢さに拘って馬鹿みたい)


 王都で長く神職に就いていたエルピオスは、夏場だと言うのに白い法衣に似た服に身を包み、見ているだけで暑苦しい。教会の要職からも遠ざけられたと聞いていたが、まだ未練が残っているのが伺え、この分だと王都が陥落したことも知らないのではと思えてくる。

 さてどこまで情報を開示しようか――ベルフラムが思案したその時、九郎が拳を握りしめながら口を開いた。


「相変わらず家族愛のかの字もねえオッサンだな? 別に物乞いに来たんじゃねえっつーの! ま、ベルの服が残ってんだったら買い戻したい所だけどよ。その様子じゃもう売っ払っちまってんだろなぁ……、この国ロリコンだらけだかんなぁ……ちっ、考えたらムカムカしてきやがった……」


 自分で言った可能性に心底嫌そうに顔を歪めた後、九郎は頭を掻いて首を振る。

 苛立った様子を見せた九郎にエルピオスが一歩下がる。弱そうに見えるが、いや見えるからこそ九郎を不気味に感じているのだろう。そこいらの町人にすら負けそうな目の前の男が、2度の死刑を潜り抜け、かつての国の英雄すら倒した人物である事を、彼は知っているのだから。


(クロウって自分が馬鹿にされてもちっとも怒らないのに……)


 怒りを押し殺す九郎を横目に、ベルフラムは弱り顔に嬉しさを混ぜ合わせる。

 喧嘩腰にならざるを得ない相手だが、諍いを起こす為に来た訳では無い。


「良いわよ、クロウ。殆んど愛着なんて無かったんだし……それよりエルピオス様、今日はお伝えしておくことがあって参りましたの。私共は昨夜この街に着いたばかりですが、護衛の冒険者が『小鬼ゴブリン』の増殖を懸念していたので、お耳に入れておこうかと。この地は元より痩せた地。たかだか『小鬼ゴブリン』と言えども、畑や村が襲われては秋の収穫に影響が出るかと思いましたので」


 ベルフラムもそれを承知しているので、一方的に要点だけを述べる。

 彼女自身も見たくも無かった顔だ。早急に立ち去りたいとの思いが、波風立てない言葉を選ばせていた。


 丁寧な口調でそつなく述べるベルフラムに、エルピオスの口元が少しばかり満足気に引き上がる。

 へりくだった訳でも無く、どちらかと言えば慇懃とも捕えられそうな口調だったが、九郎が素だったことでベルフラムは頭を垂れたかに見えたのだろう。


「私共は2、3日の滞在でここを離れますので、元為政者としての最後のご挨拶と捉えて貰えればと存じます。現在他領も混乱していますので、今年の商人の動きは予測が出来ません。食料の多くを輸入で賄っているレミウスの現状を思えば、早急に手を打っておくべきかと思いお知らせしたまでです」


 単純よね……心の中で呆れながら、ベルフラムは苦笑を噛み殺して続ける。

 形ばかりの礼儀で気持ちよくなれるエルピオスがある意味滑稽に思えた。

 ただ領民が為政者の無能で苦しむようでは寝覚めが悪い。元為政者として――まさにその言葉通り、アルバトーゼへの最後の餞別を口にした時、エルピオスの顔が複雑に歪む。


「貴様の連れの言葉など……」


 その顔には「面倒事を持ち込んで」と言う、八つ当たりの感情が覗いていた。

 貴重な情報もこの男にとっては煩わしいだけの物だったようで、「知らなければ動かずに済んだのに……」と言わんばかりの態度に、ベルフラムは呆れの溜息を溢す。同時に税を集める立場でありながら、それに伴う責任からは目を逸らそうとする態度には、元貴族として少し腹が立った。


「いえ、これは街中の冒険者達も言っていたようですので、改めて調査すれば自ずと知れると存じますわ。聖輪教会幹部のエルピオス様でしたら、『小鬼ゴブリン』の脅威もご存じの筈。何より神敵の悪魔を見過ごすような事はしないでしょう?」


 だからベルフラムは少しの怒りを言葉に混ぜる。

 エルピオスは強調されたの台詞に分かり易く怒りを露わにした。

 ただ怒鳴る事はしない。事実であるので否定する事も咎める事も出来ないからだ。


「私共がここを訪れたのは街を思ってのことだけですので、ここで失礼いたします。行きましょ、クロウ、デンテ」


 少しは溜飲が下がったと、ベルフラムはスカートの裾を持ち上げ恭しく礼をして、九郎とデンテを促し背中を向ける。


「お待ちください、伯母上様!」


 とその背中に、意識外の声が掛かった。


「お、伯母っ!?」


 低い声で叫ばれた台詞に、ベルフラムは思わず目を見開いて振り返る。

 親子ほど年の離れた兄弟がいるのだから、そう呼ばれる可能性もあったのだが、その兄弟とも殆んど面識が無かった為、その言葉が一瞬誰に向けて放たれた言葉なのかが分からなかった。


 振り返ってみるとエルピオスの横、従者のように立っていた30くらいの中年の男が、弱り顔で手を伸ばしていた。

 放たれた言葉がこちらを向いていることから考えれば、彼は自分に向かって言ったのだろう。クラヴィスは子供を産んでいないのでデンテは違うだろうし、九郎はそもそも男である。

 混乱しながらも消去法で導かれた答えに、ベルフラムの眉間に皺が寄る。


 紹介も何も無く、ただ突っ立っていただけの男が、よもやエルピオスの息子だなんて思ってもいなかった。エルピオス自身に紹介する気が無かったのだろうが、中年の男が見た目11歳の少女に向かって言うには、あまりに場違いな台詞。

 

「誰よ、貴方!」


 なので思わず素で返してしまうベルフラム。

 男は中肉中背で顔立ちはどことなくエルピオスに似ている。尋ねてなんだが間違い無くエルピオスの息子であろうことが伺えた。


「ああ、申し遅れました。わたくしエルピオス・ダリオ・レミウス・アプサルティオーネの長子。エルハイム・ダリオ・レミウス・アプサルティオーネと申します。現在父に代わり街の執政を預かっておりまして、良ければもう少しお話を聞かせていただけたらと……」


 ベルフラムの想像の通り、エルハイムと名乗った男は、眦を下げて自己紹介してくる。


「私はもうこの国では死んだ事になっている身。伯母と呼ばれても戸惑ってしまいます。それに、私達も先程言った以上の情報は持っていません。人を使って調べる事をお勧めします」


 エルピオスと真逆の柔らかな対応に、幾分困惑しながらもベルフラムは慌てて言い繕う。父の失態で出世の目が潰えたであろうエルハイムを少し憐れに思う気持ちもあったが、言葉通りベルフラムも多くの情報を持っている訳では無い。

 何よりこれ以上しがらみに囚われたくないとの正直な気持ちが、他人行儀な物言いを選んでいた。

 

「いえいえ、『小鬼ゴブリン』の話では無く、その前。他領の混乱の部分についてお聞かせ願いたいのです」


 そっけない態度を取ったベルフラムに、エルハイムは揉み手をしそうな顔で目を細めていた。


「知らなかったのかしら? 現在アプサル王国は崩壊に瀕してるわ。王家に連なる貴族の殆んどが死に絶えてしまって、どこの領地も混乱中よ。聞いた所他領の野盗も多くこの領地に入り込んできているみたいだから、それに対する備えもしておいた方が良いかもね。詳しい事はご領主のアルベルト様に聞いたらどうかしら?」


 何か他意を感じさせる表情だが、どのみちアルベルトも知っていた情報であり、冒険者の集まるこの地方であれば、遠からず分かる事。隠して領民が不利益を被るよりはと、ベルフラムはあけすけに言い放つ。


 他領の混乱も確かに重要な情報だろうが、今はまず『小鬼ゴブリン』の方が問題だろうとの苛立ちが幾分言葉使いを乱暴にしていた。

 関所より遠く離れたこのアルバトーゼの街なら、他領から来る野盗の脅威よりも身近に潜む『小鬼ゴブリン』の脅威の方が先決すべき問題である。


 この分では自分達が懸賞金を掛ける他、『小鬼ゴブリン』を減らす方法は無さそうね――ベルフラムは領主アルベルトよりも余程野心的な親子を眺めて、溜息を吐き出す。


「『小鬼ゴブリン』は一匹30グラハムがこの辺りの相場よ。ご領主様にお尋ねする事もありましょうけど、先触れだけでもしておいた方が、後々出費を抑えることに繋がるとお考えください。それでは、もう二度とお会いする事は無いと思いますが……ごきげんよう、エルピオス様、エルハイム様」


 淑やかに、それでいて突き放すような笑顔でベルフラムは再びスカートの端を持ち上げると、今度こそ振り返らずにかつての自分の屋敷を後にする。


「何かベル、怒ってね?」

「そんなこと無いわよ? はいっ!」


 一方的に話を終わらせ踵を返したベルフラムを追いかけてきた九郎が、引きつった笑みで覗き込んで来る。

 血のつながった兄弟達が揃って薄情な事に言い得ぬ居た堪れなさを抱いていたとは言えず、ベルフラムは誤魔化すように九郎に向かって両手を広げる。


「お前、この門潜る時は100パー甘えて来てね? デンテ、ほら来い」


 子ども扱いするなと自分で言っておきながら抱っこをせがむベルフラムに、九郎は苦笑で応えてくる。

 ベルフラムはその言葉に頬を膨らませて反論する。


「違うわよ! 家を出る時は甘えたくなるだけで、屋敷に訪れる時はクロウの方が甘えて来たじゃない。最初とさっきと……お互いさまよ」

「一番最初にこの門潜った時、俺意識無かったじゃねえか……」

「私も支えようとしてたの! ふらふらだったけど、絶対一人にさせないって頑張ってたんだから!」


 ベルフラムは言いながら九郎の首に回した手に力を込めた。


☠ ☠ ☠


 饐えたような酒と煙草と油の匂い。

 昼間であっても薄暗い店の中を、僅かな感慨と共に見渡したクラヴィスは、カウンターの奥に目を向ける。

 人もまばらな店内から、昼間から酒をかっくらう見た目からして危うそうな者どもの刺すような視線が浴びせかけられるが、以前よりも驚くほど早く注目が霧散していく。

 一日の内の大半開いている店の奥には、見知った顔が立っていた。


「昨日守衛より伝えられた情報は確かだったようですね」


 初老の細身の男性。2年前まで足しげく通っていたこの街の暗部の元締めは、当然のようにクラヴィスの顔を覚えていた。


「お久しぶりです。振れにより、王都で謀反の末に処刑されたと聞き及んでおりましたが、壮健のようで何よりです」


 クラヴィスが口を開く前に、男はにこやかな顔で言って来る。

 この荒れた感じの店にはそぐわない丁寧な物腰。かつての上客を忘れていないのも流石だが、何より気勢を削がれる雰囲気に、クラヴィスのスカートの中で尻尾が大きく膨らむ。

 油断すれば――いや油断しなくても即座に呑まれてしまいそうな空気は、かつても味わっていた。脛に傷を持つ者達から九郎の情報を集めようとしていた時、クラヴィスは目の前の男にあっけなく素性を知られてしまっていた。

 その情報を他に漏らさなかったのは、その方が益が多いと判断してくれたに過ぎない。

 目の前の柔和な男は、見た目からは想像もつかない程の悪人であるのをクラヴィスは知っていた。窃盗から麻薬、売春。果ては暗殺まで幅広く受け持つ悪の巣窟の頭領。彼の命令で命を落とした者の数など数えきれないくらいいることだろう。


「お久しぶり……です」


 改めてそれを思い出したクラヴィスは、絞り出すように声を出す。

 そんな悪人と顔見知りである事に、心に罪悪感が込み上げてくる。


 男は鋭い目を向けたクラヴィスを意に介さず微笑む。


「私がお教えした手管が役立っていたのなら僥倖ですが――」


 その言葉にクラヴィスの尻尾が逆立つ。

 無意識に腰に隠したナイフを手繰ったクラヴィスの頭に、その時無遠慮に手が置かれた。


「っと……顔見知り同士で懐かしむのも良いが、先に紹介しちゃくれねえかぁ?」


 張りつめた緊張の糸を断つようなぶっきら棒な声には、明らかな険が含まれていた。

 いつのまにか後ろに立っていたファルアの姿に、クラヴィスは目を見開いて動揺する。後をつけられていたことすら気付かなかった。

 この場所に来ようとしていたことなど、誰にも教えていない。

 汚れ役を自分が担うと決めた時から、クラヴィスはずっと一人で動いてきた。悪人とつるみ情報を得ようとしていたことを、ベルフラム達には知られたく無かった。

 純真を絵にかいたようなベルフラムに、余計な心配を懸けさせたくない。いや、汚したくないと思っていたからだ。

 性根が善である二人の主をクラヴィスは心から尊敬し慕っている。

 それこそ自らが闇に堕ちてさえ良いと思えるほどに、その気持ちは確かなものだ。

 クラヴィスの考える天国。その場所を守ろうと彼女は常に必死だった。


 しかし子供である自分に出来ることなどたかが知れており、命を擲ってでも守ろうとしても力の無さに打ちひしがれてばかり。何か役に立ちたいと願っているのに、与えられているばかり、助けられているばかりで少しも恩を返せていない。その焦燥がクラヴィスをこの場所に誘っていた。


「どうして……」

「どうしてってそりゃ、頼まれたからに決まってんだろ……」


 震える声でクラヴィスが訪ねると、ファルアは肩を竦めて苦笑を溢す。

 誰にとは聞かずとも知れた。最近の九郎は以前にも増して過保護になっている。

 体も十分に出来上がっており、戦う力も得たと言うのに、九郎だけはまるで自分達を子供のように扱って来る。

 そこに甘えてはいけないと言う思いがクラヴィスの中には常にあった。

 デンテのように素直に甘えられるのを羨ましくも感じていたが、自分にその資格は無い。主を守りきれなかった番犬に何の価値があると言うのか。

 お守りを頼んでいた九郎に、言い得ぬ申し訳なさを感じてクラヴィスが尻尾を垂れると、ファルアが凶悪な笑みを浮かべて背中を叩き、


「心配しねえでもあの馬鹿には黙っといてやるってーの。つーか覚えてねえか? まあ数度言葉を交わした程度じゃ覚えてねえのも無理はねえか。それよかとっとと終わらせようぜ。おい、じーさん。薬湯が煮え過ぎって聞いたが、どこまで茹ってんだぁ?」


 片目を瞑ってクラヴィスの知らない符丁を通した。

 カウンターの奥の男の目が、すぅっと細く尖る。

 訳知り顔で大声を上げたファルアに、店内の空気も一気に凍りつくように張りつめる。


「3つの荒野が出来上がる程度に……」


 言葉と共に投げられた何かを受け取り、初老の男は苦々しげに答えてくる。


「んだぁ? そりゃ。冒険者の街ってぇのに随分やられちまってんなぁ?」

「なにぶん――」

「半年前に急にってんだろ?」

「――ッ!」


 ファルアが煽ると今度は男が何かを放り投げてくる。

 音も立てずにファルアがそれを受け取り、口の端を歪める。


「王都の陥落はもう知ってんだろ? うちのやべー覗き魔さんがよぉ、言ってたんだわ。かつてこの国にゃ召還を得意としてた英雄様がいたってなぁ? 死んだと思われてたらしいが、そいつが最近まで生きてて、貯め込んでやがった魔物が解放されたって線じゃねえかってよ。なぁに、死んだと噂されてても生きてたなんて往々にしてありえるこった。ほれ、この嬢ちゃん見てえになぁ?」


 せせら笑って可能性を示唆したファルアに、男は更に顔を歪めていた。

 やべー覗き魔さんがミスラの事を差しているのをクラヴィスは察する。同時に思い出すのはかつて大地を埋め尽くす勢いで溢れて来た、『小鬼ゴブリン』の群れだ。あの時はベルフラムの魔法で簡単に撃退していたが、雄一が生きていた以上、彼が再び『小鬼ゴブリン』を集めていたとしても不思議では無い。


「小銭数えてる間にえらく損したみてえだな。そんで額は?」

「店を畳む準備をする程度……」

「そら、大損どころじゃねえな……」


 またあいつか――クラヴィスが憎んでも憎み足りない男の顔を思い出して奥歯を噛む。しかしそれよりものっぴきならない事態にまで発展している事を伺わせる二人の会話に、不安の方が大きくなる。


「軍は?」

「現在の国内の状況から、あまり期待は出来ませんね。密使は出していますが、現在のアルベルト公は事が起こるまで動きますまい」

「つーことは野放しって事か……。そろそろ上位種が生まれててもおかしかねえなぁ……」

「そこまで知っているのであれば、貴方様も早々に準備を始めた方が宜しいのでは?」

「ああ、もともと長居する予定じゃねえから、そこらへんは問題ねえんだが……」

 

 ファルアはちらりとクラヴィスを見やり、困ったように頭を掻いた。


☠ ☠ ☠


「何を話されたのかもう一度教えてください」


 店を後にしたクラヴィスは開口一番に問い尋ねる。

 多くの情報を行き交いしていたようだったが、知らない符丁も数多くあり、全てが把握出来てた訳では無かった。

 前を歩くファルアと言う男が、思っていた以上に後ろ暗い道を歩いて来た事に薄々感付きながらも、その道を歩いてきた自覚のあるクラヴィスは素直に頭を下げる。


 見るからに善性の二人の主の為に自分に何が出来るのかと考えた結果、手を汚す役割を担おうとしていたクラヴィスにとって、ファルアの役割はある種指針となっていた。

 九郎に無遠慮なファルアをあまり良く思ってはいなかったが、自身の感情など二の次であり、学べる部分は学んでおきたい。

 素直に後ろ暗い符丁の意味を乞うてきたクラヴィスに、ファルアは嫌そうに顔を歪めて溜息を吐き出していた。


「おめえさんも分かってんだろに……アイツがそんなの望んじゃいねえってことくらいよ……。まあ、しかし……そうだな……。聞いちまったことくれえなら教えてやっか」


 やれやれと肩を竦めたファルアが言うところには、あれからもミスラは度々アプサル王国の現状を調べていたのだと言う。為政者や支配者層がのきなみいなくなった地域では、碌な記述も無く、その様子を探る事も難しかったそうだが、レミウスはまだ一応街が回っており、ある程度の内情を探る事は出来ていた。

 その中でミスラが目を付けたのは帳簿の類。彼女なりにベルフラム達の故郷を慮って『サクライア』で取れた物資を融通しようとしていた部分もあったようだ。


「あの姫さんが見つけたのは麻薬の価格の高騰だ。『青水晶』が生産されなくなって他の麻薬の需要が高まったってのも十分ありえる話だったんだがよ。薬湯――ありゃ麻薬畑の隠語だ。昨日調べたところ、価格が高騰してんにも拘らず、売り手が殆んどいやがらねえから、少しおかしいと思ってよ。したら畑が『小鬼ゴブリン』に荒らされてやがった。ああいった類の連中はな、領主も知らねえ場所でひっそり麻薬を栽培してやがんのよ。それが3か所も荒野――つまり全滅しちまってたってすると、考えていた以上に『小鬼ゴブリン』共は増えてやがんぜ……」


 憂鬱そうに眉間に皺を刻んでファルアが空を仰ぐ。

 そら恐ろしい事を簡単に言いやるファルアに、クラヴィスの顔が青ざめる。

 既に隠れ村3つを滅ぼしてしまった『小鬼ゴブリン』の数はもう、想像もつかない。

 かつて大地を埋め尽くす勢いで溢れて来た『小鬼ゴブリン』の群れは、クラヴィスの脳裏に悲しい別れの始まりを思い出させた。


「上位種と言うのは?」

「ああ、『田舎者ホブ』とか『赤帽子レッドキャップ』とか言う種類だ。まあ、時折生まれてくる変異体――『小鬼ゴブリン』の『魔族』って位置付けになる。あいつら因子が混じらねえのに、可笑しな話だがよ。そいつらは手強いからぽっと出の冒険者だと太刀打ち出来ねえだろうな」


 不安に駆られて更に問うと、ファルアは眉を顰めて返して来る。

 ただそこに怖気付く様子は見えなかった事から、それでも恐れるに足りないと言っているようでもあった。


「心配しねえでも死ぬ相手に俺らが遅れを取る事はねえよ。生きてる奴はなぁ? 死ぬんだよ」


 頓珍漢な台詞でありながら、意味の分かる言葉を嘯き、ファルアはギラリと歯を剥いた。日頃多くの『不死者』と暮らしている自分達にとって、何をしてでも死ぬと言うのは、明らかに格下の相手に思えてくるのは分からなくもない。


(でも……そう言うことじゃない……)


 元気づけようとしてくれたのであろうファルアに弱々しい笑みを向けながら、クラヴィスは心の中の不安を押し込める。

 どんな強敵であっても打ち倒して来た九郎とベルフラムクラヴィスの主に向ける思いは、クラヴィス本人も分からなくなる程複雑なものだ。

 

 ファルアの後ろでクラヴィスは黙って頷き、自分の腕に爪を立てた。

 

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