第311話 かつての街
レミウス城下町からアルバトーゼの街までは馬で2、3日の距離。徒歩でも5日の距離とそこまで離れている訳では無い。とは言えアクゼリートの世界の馬は九郎の知る馬よりも体力も脚力もあるので、距離的に言えば200km以上の距離がある。
ただその距離であっても、牛馬の如く荷車を引く九郎がいれば快適な旅へと早変わりする。
日本の道路とは雲泥の差であっても、道が道としてあるだけで九郎にとってはイージーモード極まりない。砂漠も活火山も大荷物を背負って踏破した九郎にしてみれば、地面の下も空も警戒しないでいい旅路は至極平和なものだった。
シルヴィアやベルフラム達は九郎一人が休憩を取らない事に、言い得ぬ申し訳なさを感じている様子だったが、九郎としては気を使われる方がこそばゆい。
疲れもせず、重さも苦にならない九郎からしてみれば、ファルアのように適材適所で使って貰っている方がよっぽど気持ちが楽と言える。
(クラヴィス達もファルアくれえ割り切ってくれねえかなぁ……)
九郎は背中に感じるギクシャクとした空気に眉を寄せる。
こういった旅や狩り、戦闘時等での九郎の『扱い方』で、一番九郎が望んでいるのは、ファルアのような距離感だった。
ファルアの容赦の無さは仲間だからこそのもの。仲間の命を預かる彼は、危険な場所には真っ先に九郎を投じ、仲間達の安全を計ろうとする。ファルアの指示は九郎としても願ったり叶ったりであり、時たま無遠慮過ぎて傷付く事もあるが、一番の理解者にも思えていた。しかし――。
女性陣から見るとファルアの容赦の無さは目に余るようで、一応慣れているシルヴィアはともかく、ベルフラム達――特にクラヴィスとレイアはファルアに対して、度々苦言を呈していた。
「オラッ、クロウ! 全然反応出来てねえじゃねえか!」
ピシと肩に音がしてファルアの罵声が飛んでくる。
縄を鞭のようにしならせ、時折ファルアが攻撃してくるのは、『フロウフシ』になってから周囲の危機に鈍感になり過ぎた感覚を鍛え直す為の、九郎から頼んだ鍛錬の一環である。
本来必要の無い訓練ではあったが、日頃手も足も出ずにやられているようにしか見えない九郎の戦闘を、少しでも危機的状況に見せない為のもの――いわばクラヴィス達に庇われないようにするための特訓だ。
「ファルアさん!? 今凄い音がしましたけどっ!?」
「レイア! 音だけだっ! ファルアはドSだから! 鞭も縄もプロだから! 全然痛くねえんだって!」
「痛くしねえとおめえは感じねえだろうがっ! って気色の悪い事言わすなっ!」
「クラヴィスも尻尾膨らませてねえで……あぁ……デンテ、泣きそうになんなって。オレ痛くない。今日は下も履いてるから心も全然痛くない」
「前はどんな状態だったのよ……」
「ベル嬢やぁぁ、聞かんでやっておくれ。あれは忘れてやるのが優しさじゃぁ……」
遊びの延長のような物なのだが――と九郎は弱り顔でフォローに回る。本人は基本的に先頭切って歩くタイプなので、彼女達の居た堪れなさの本質には全く気付いていない。
上半身裸の男が一人荷車を引き、荷車に乗った男が鞭を振るう姿が何に見えているかなど――。
「そう言えばベル、アルバトーゼって今誰が治めてたんだっけ?」
視線に込められた「奴隷のようだ」の言葉に気付かず、九郎は空気を和らげようと話題を変える。
2年もの間為政者が不在のままと言うのは考えにくい。
彼女達が王都に向かう前には近従に留守を頼んでいたようだが、ベルフラム達は死亡扱いになってから1年以上が経っている。アルバトーゼにはもう後任がいることが予想された。
かつての為政者が姿を現したとなると、諍いが起きるのでは? と言った不安を感じての九郎の言葉に、ベルフラムは胡乱気な笑みで肩を竦める。
「クロウも知ってる奴よ……私はもう気にしてないからレイア達も攻撃的になっちゃ駄目よ?」
何やら含んだベルフラムの言い方に、九郎やレイア達が視線を向ける。
「エルピオス……って覚えてる?」
その注目の視線の中、ベルフラムはうえっと舌を出して苦笑を浮かべた。
一拍置いて視線を向けた面々の顔もベルフラムと同様、うえっと歪む。
かつてベルフラムを雄一に差し出そうとしたレミウス家の三男。九郎とベルフラムの仲を邪推し、2度に渡って九郎を処刑しようとしたベルフラムの異母兄。
何とも不吉な名前に各々が嫌な予感を浮かべていると、ベルフラムは引きつり笑いを溢しつつ言葉を続ける。
「ま、自業自得かしらね? 神官職の地位も取り上げられ政治の場からも遠ざけられ……13歳の娘が治めていた街を宛がわれているんだもの……。アルベルトお兄様もそう言うところは抜け目無いわよね。ユーイチと関わった痕跡は出来るだけ隠そうとしてたみたい」
多少自虐も込められた言い方だったが、その言葉は納得も行くものだった。
いくら成人していたにせよ、領内の重要拠点や税収の多い街を年端もいかない少女に統治させる訳も無かった。
地図を見れば一目両全で、エーレス山脈の麓にあるアルバトーゼの街は、交易路からも外れた僻地にあり、特産品と言えば他領では下に見られる芋や
彼女自身15になったら出奔しようと思っていただけに、廃墟の屋敷の思い出以外に愛着は無かったようだ。
「つっても一番長くいた街になんだろ?」
「う~ん……。私ってクロウと出会うまで祭事とかでずっと領地を廻ってたのよね。だからどの街にも長く滞在することって無かったし、滞在中も屋敷から出れなかったし……。でも街の人の顔を覚えてるのはアルバトーゼの人達くらいかなぁ……」
九郎の問いにベルフラムは空を見上げながらはにかむ。
野盗も魔物も多くいる地域の統治者の娘。誘拐されたこともあるくらいなのだから、箱入り娘の状態も止むを得なかった気もしてくる。
大人だらけの箱庭の中、「誰も自分を見てくれない」と泣いていた少女の少し大人びた表情に九郎は薄い笑みを溢す。
ベルフラムは九郎の視線に擽ったそうに眼を細めていた。
「なんとか今日中に街には着けそうじゃの」
シルヴィアが荷台の上で器用に立ち上がり、額に手を当て遠くを眺める。
赤茶けた大地に伸びる少し白みがかった道の先、エーレス山脈に沈む夕日に照らされた街の影が東に向かって伸びていた。
その影の先端、東の端にかつての住処を見つけて、九郎は立ち止まり目を細める。
その光景はかつて九郎が最後に目にした――東の屋敷の影がアルバトーゼを飲み込む様と真逆――街が屋敷を飲み込もうとして、屋敷の影がそこから逃げているような印象を感じさせた。
☠ ☠ ☠
「うっわ~……2年でこんなになっちゃうのね……」
アルバトーゼの屋敷に到着したベルフラムは口元に手を当て、懐かしさを感じさせるセリフを呟く。
アルバトーゼの廃墟――『風呂屋』の荒れ果て様は、初めてここを訪れた時以上の有様だった。
主の不在に次いで行方不明になったことで、管理者が一時この場を離れたのだろう。内勤していた
以前と比べても絨毯すら持って行かれている徹底ぶりで、ベルフラムも「もう笑うしかない」と言った表情だ。
「人の手の入っていない建物は、これほど早く朽ちるのですね……」
荒らされた屋敷内を見渡しながら、クラヴィスが寂しげに俯く。
それだけではない気もしたが、乾燥地域の所為なのか、埃で真っ白の床に着いた足跡に時間の流れを感じずにはいられない。
「街で宿でも取るか? クロウ」
ファルアが早々と索敵を終えて二階から戻ってくる。
「金目のもんは何も残っちゃいねぇ」と呟き、肩を竦める仕草から「こうなるのも当然」と言いたげだ。
エルピオスが為政者として収まっているのなら、この必要最低限の小さな屋敷よりもそれ以前の――西区にある貴族街の屋敷を使っている事はある意味予想の範疇と言えた。
「使用人達がお給金代わりに持って行ったんだったら別にいいんだけど……」
ファルアと入れ替わるようにして二階の自室に足を踏み入れたベルフラムは、大きなベッド一つ残された部屋を見渡し弱々しく呟く。
かつての大きなベッドは今回も部屋から出す事が出来なかったのか、同じように夕陽の射し込む部屋の中シュールな光景を演出していた。
少し寂しげなベルフラムの表情に九郎が無言で頭を撫でると、ベルフラムが小声で呟く。
「クロウが綺麗っていってくれたドレス……あれだけでも残ってて欲しかったなぁ……」
寂しそうではあるが泣き出しそうなほどでも無い。本音が零れたと言った感じでベルフラムは口を尖らせ、その後イーと白い歯を見せ九郎を見上げて笑いかけた。
「ベル嬢や。コルル坊はどんな服でも可愛い可愛い言うてくれおる。それにの……どんなドレスか覚えちょったらもう一度拵えたらええだけじゃ。ほれ、今度儂とアルト嬢に頼みに行こ?」
その気丈な様子に母性を擽られたのか、シルヴィアがベルフラムを後ろから抱え上げ頬を寄せる。
すこし気になる台詞に九郎が耳を傾けると、二人の会話に男心を擽るワードが紛れていた。
「え? でもアルトさんって……下着しか……あの……エッチな……」
「それはミスラ嬢も揃ってからと言うとったじゃろ? ほれ、儂のシャツもアルト嬢にこさえてもろた奴じゃよ?」
「うわ……すごい……え?」
「これっ! どこに手を入れ取るんじゃっ、こそばいっ……んっ」
「だって、シルヴィ、谷間が……」
「こ、これはその……腋から肉をな……ってコルル坊! ちょっと向こういっちょれ!」
城の建設の必要が無くなったアルトリアが、今度は暇を見つけて服を作っているのは九郎も知っていた。砂漠の街から拠点まで、アルトリアの荷物を運んできた九郎は、彼女の密かなコレクションが下着の収集と言うのも知っている。言動に対して服装は慎ましやかな部類に入るアルトリアだったが、夜の営みに掛ける情熱は半端では無いので、そう言うスパイス作りに余念が無い。
会話の端々からそのスパイスが他の恋人達にも広がって行く妄想を浮かべ、九郎が鼻の下を伸ばしていると、一階からファルアの怒鳴り声が響いてきた。
「おいっ! どうすんだっ! 宿取んにもこんな大人数じゃ面倒くせえんだぞっ!」
その大声に九郎は頭を掻きつつ、大声を上げる。
「ベッドと風呂、どっちがある方が良いか皆で決めようぜ!」
その大声にこそこそと内緒話をしていたベルフラムとシルヴィアがはっと顔を上げた。
短い旅とは言え、既に毎日風呂に入る習慣が根付いてしまっていた『サクライア』の面々に、選択の余地など無かったようだ。
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