第309話  常識の外


 青々と広がる高い空。

 燦々と輝く大きな赤色と衛星のような小さな緑色の二つの太陽。


 季節はもう夏真っ盛りと言う日射しであったが、水辺に近く、また風が吹いているのでそこまでの暑さは感じない。それどころか少し股間が寒く感じる。

 雲一つ無い晴天と言えどもどこか白く感じる空を眺め、ファルアは流れていく白い息を見送り続ける。


 ミラデルフィアを出てからも幾つかの小国を廻り、『サクライア』の住人は数十人増えていた。ただ、その多くが先の短い老人や、まだ年端もいかない子供達だった。

 いくら日々の危険が大きかろうと、今の暮らしを捨ててまでして新たな生活を望む者の数は少ない。加えて動く島などと言う常識外れの地であれば、怖気付くのも止む終えない。


 結局移住に踏み切ったのは、困窮している者達が殆んどであり、多くが孤児として生きてきた天蓋孤独の少年少女達。

 扶養者ばかりを抱える事になり、これで街など出来るのかとファルアは訝しんでいるが、人族や獣人族は成長が早く、数年で働き手になるだろうと言うのがミスラの弁だ。魔族と言う長寿種故に、時の感覚がすこしずれているようにも感じる。

 後は独り身で家族もいない職人など、経験を見込んでスカウトした、死が間近に迫った老人達。「どのみち死期も近いから」と、世界中の動植物の素材目当ての『加工屋』が多くを占めている。その他では「今より楽が出来るのなら」と深くは考えていなさそうな娼婦達と中々に頭が痛くなる面子ばかりだ。


 種族は人族4妖精族3獣人族3とバランスは取れているが、ミラデルフィアより混沌とした人種構成とも言え、人族国家からの風当たりは強そうに感じる。


 ただ、一番忌避されるであろう魔族の数は減っており、これまで多くを占めていたアルム公国の海軍は、奴隷とされている魔族の同胞を探す為にと、寄港する度に数を減らしていた。

 武力と言う面では明らかに目減りしている状態だが、ファルアは心配はしていない。何せ今いる大地は魔物の背中であり、どんな強国でも攻め入る事など不可能な街だ。「食われる恐怖」から目を逸らせば、ここより安全な地は無いと思っていた。――いた。


(ったく……世界は広いぜ……)


 これまで何度となく思った事も、今日ほどしみじみ感じた事は無い。

 ファルアは欠伸を噛み殺し、桟橋に寝転がり太陽に目を細める。

 自室にいる訳でも無いのにこの気の緩み。今ほど隙だらけな自分は、何も知らなかった少年時代以来な気がしてファルアは自嘲の笑みを溢す。


 何も敵対者が一人もいないと思って気を抜いている訳では無い。

 周りが九郎の身内ばかりとは言え、最低限の警戒を怠る性格では無い。

 ただ「今は人の命などちっぽけなものに誰も構いやしないだろう」と言う、ある種の確信があるだけだ。


 キイと木の軋む音がさざ波の音に紛れて鳴る。

 胡乱実に目を向けると、ガランガルンが疲れきった顔で近付いてくる。


「おう……何してやがんだ……」

「……釣り」


 見れば分かる問いにファルアは口の端を歪めて答える。

 自分で言ってて呆れてしまうのは、もう悟りの境地かと思う程だ。


「……餌は?」

「………………クロウ」


 続けられたガランガルンの問いに、ファルアも疲れた笑いを溢す。

 島が動くと言うのは知らされていた。魔物の背中であることも自分の目で確かめている。


「空でか?」

「…………ああ」


 しかし流石に空を飛ぶのはどうかと言いたい。

 ファルアは飛行中の『ライア・イスラ』で唯一地表が確認できる場所――口元の桟橋から赤茶けた大地を見下ろし、天秤棒の先に恨みがましい視線を向けた。


 その先には――親指を立てた九郎の左手が結ばれていた。


☠ ☠ ☠


「挨拶……ですか?」


 ハーブス大陸を南回りに周り、『風の魔境』アゴラ大平原の上空を飛行中の『サクライア』。近い星空と眼下に広がる黒い大地に息を飲んでいたレイアが、九郎の言葉をおうむ返しに繰り返してくる。


「おう。もしかしたら辛い結果になっちまうかもしれねえケド……親父さん達にも会いてえだろ? その……クラインさんの事もあっしよ……ベルは『親は気にしてねえ』って言ってたけど……アルバトーゼの事は何だか気にしてた見てえだったしさ」


 九郎は言葉を濁して肩を竦める。

「レイアを幸せにすると誓った以上、筋を通さなければならない」と、当初は何気なく考えていた事だが、レミウス領が近付くに連れ、九郎の中の不安は次第に大きく膨らんでいた。


 アプサル王国の現状を見るに、レミウス領もかなりの混乱の渦中にあるのは明らかで、ミスラの調査から、領主アルベルトはかなりの確率で生存しているだろうとの事だったが、レミウス領の騎士爵、それも騎士団長でもあったレイアの父、グリデンの安否は未だ確認が取れていなかった。

『青水晶』で『魔動人形ゴーレム』にされている可能性もあり、最悪レイアの『毒』が親を殺した結果を見せつける事になってしまう。

 せっかく笑えるようになったレイアの事を考えると、「見ない振りをしてしまった方が良いのでは?」と九郎は思い始めていた。


 レミウス領は王都から距離が遠く、また領主が健在であるから少しは望みがあると言えるが、安否が確認出来ていない以上楽観的にはなれはしない。

 親への挨拶――それは通すべき筋として、墓前であってもしておくべきだと思っていても、最悪を考えると胃が痛いどころでは無い。


(これが殴られに行くんだったら気が楽なのによぉ……)


 通常男が覚悟する恋人の親への訪問が、今の九郎にはぬるま湯に思える。

 歯切れの悪い言葉を口にし、九郎が恐る恐るレイアの表情を伺うと、レイアは不思議そうに首を傾げていた。


「あの……それは……どういう意味で? おやじさん?」


 その言葉に九郎は堪らずレイアを抱きしめる。

 今の顔を見られてはレイアを不安にさせてしまう。悲痛に歪んだ顔を隠すための九郎の抱擁に、レイアは戸惑いがちに応えてくる。


 レイアの心の傷は未だ全ては癒えていない。単純思考のレイアと言えど、長年にわたって刻み込まれた心の傷は深い。


 レイアは楽しかった思い出の殆んどを失ってしまっていた。

 助け出されたレイアが覚えていたのは九郎だけで、ベルフラムは戦いの最後に思い出したに過ぎず、人の心情に聡いクラヴィスがいると言うのに、気狂いの演技をしていたのも、クラヴィスの事を忘れてしまっていたから。


 レイアは砕けた思い出を必死に繋ぎ合わせている最中だった。

 何気ない日常を糊にして、楽しかった頃の記憶を取り戻す。それには長い時間が必要であり、多くが切っ掛けを必要としていた。


 風呂や食事、団欒でアルバトーゼの街の思い出はかなり取り戻していたレイアだったが、家族の事がすっぽり抜け落ちているのに気付かされて、九郎は抱きしめる手に力を込める。


「あ、あの……? もう一回ですか?」


 レイアは戸惑いがちに九郎の耳元で囁き、頬を赤らめていた。

 見上げてくる瞳は虚ろとも言える朧気な光しか宿っていない。しかし微かに瞬く意思を感じて、九郎は縮む意気地に発破をかける。


「願ってもいねえ提案だけどよ? 結婚の承諾貰いに行くのに仕込んでちゃ筋が通らねえ……てな?」


 一戦交えた後に言うセリフでも無いが、心意気だけでも言葉にしたい。

 九郎はぐっと涙を呑むとレイアの肩を抱きベッドに誘う。

 

「そんな事言って……クロウ、我慢出来るのですか?」

「が、我慢できますん!」


 シーツに潜り込み目元を覗かせたレイアが、顔を赤らめ尋ねる言葉に、九郎は鉄の意志で以って答える。レイアはそんな九郎に薄っすらと目を細め、軽く唇を突きだし口づけを求めると、満足したように微笑む。

 そして天井を見上げてポツリと呟き、


「でも……どうやって降りるんですか? ――あ」


 何かを思い出して顔を真っ赤にした後、レイアは九郎の唇に指を添えた。

 彼女も初めて肌を重ねた思い出の場所を、思い出したようだった。


☠ ☠ ☠


 エーレス山脈の雪解け水をこんこんと蓄える世界最大の湖、ピニシュブ湖。

 九郎のトラウマピンクの尻尾の原産地であり、多種多様な生物が蔓延る生命の源は、夏の盛りを謳歌し騒がしい鳴き声を上げていた。


「んじゃ、ちょっと留守番頼んます!」

「うむ、任された。と言っても連絡も出来るし、そもそも貴殿が旅立つと言う表現も何やら腑におちぬ気がしてならぬ」


 旅装束に身を固めた九郎の言葉に、カクランティウスが苦笑しながら片手で応える。今や拠点のあちらこちらに九郎が使われている現状、その気持ちは分からなくもない。


「おい、クロウ! なんだよ、この大荷物は!」

「何って結納品だよ! 結納品! 大事な娘さんを貰いに行くんだ! ちゃんと認めて貰えるよう、甲斐性は見せなきゃなんねえだろ!」


 ピニシュブ湖に着水した『サクライア』からレイアの両親とベルフラムの父がいるレミウス城までは1日とかからない。ただ、その後アルバトーゼにも寄るつもりなので、大体7日の旅の予定だ。船に山と積まれた『サクライア』の特産品も、レミウスで殆んど無くなる予定である。


 何度か危機に陥った旅路だが、旅慣れたシルヴィア達が護衛として着いて来てくれる事になっている。『冒険者』と言う職業に懐疑的だったベルフラムも、彼女達の腕を見て認識を改めるだろう。

 留守の守りはカクランティウスと龍二、アルトリアと言う拠点三大武力に任せておけば不安など有ろうはずもない。


 九郎は遠くに見えるレミウス城に目を細めながら、4年前の光景を重ねていた。


☠ ☠ ☠


 道中さしたる危険も無く、一行はあっけなくレミウスに到着した。

 街についた九郎は何事も無く別室に案内され、いつものように細かく取り調べを受け、蹴り出されるようにして検問所を後にする。


わりわりい。ちょっと話が長引いちまった。俺が芋の英雄ってのも全然信用してくんなくってよぉ? 新人だったみてえだけど」


 ベルフラム達のじっとりとした視線に、九郎は肩を竦めて待たせてしまった事を詫びる。


「当たり前じゃないっ! その名前は手配されてた名前なのよ!?」

「なぁ~にが『俺、俺っす! 芋の英雄っす!』じゃっ! ファルアが袖の下渡してこんかったら、もっと長引いちょったぞ!」


 返って来たのはベルフラムとシルヴィアのお叱りの言葉だった。

 九郎は大きな体を小さく縮めて反省の色を示す。馴れ馴れしくし過ぎて不興を買ったのかと思っていたが、違っていたようだ。

 九郎は駆け寄ってきたベルフラムを流れで抱き上げ肩に乗せると、頭を掻いて誤魔化しながら、懐かしの街並みに安堵の吐息を吐き出す。


「滅びちゃいなかったわね……」


 ベルフラムも九郎と同じ事を感じたのか、人ごみを見詰めながら安堵の息を吐き出していた。口では「もう関係無い」と言っていても、貴族としての責任を感じていたのか、街の人々の無事な様子に肩の荷が下りたといった感じだ。


「何よぉ? ニヤニヤしちゃって……綺麗な人でもいたの?」


 九郎の視線に気付いたのか、ベルフラムは不貞腐れながら九郎の頬を弄び、頭を胸に抱きすくめる。少女の小さな嫉妬に気付いて九郎は心外だと声を荒げる。


「ばっか! 今から美人二人を嫁にくれって言いに行くのに、目移りなんかするわけねえじゃねえか!?」

「ふ~ん? でも『サクライア』に娼館が出来た時、後ろの二人と行こうとしてたって……ねえ、クラヴィス?」

「……はい」


 惚れっぽい九郎だが、結婚の承諾を貰いに行く道中にナンパを目論むほど節操無しでは無い。声を荒げた九郎に、ベルフラムは拗ねた様子でクラヴィスに水を向ける。クラヴィスは、一瞬すまなさそうに九郎を見上げ、コクリと頷く。


「ちっげーよ!? オラぁおめえ達がいるからって断ったっつーの!? なあ、ファルア?」


 とんだ誤解だと九郎がファルアに助けを求めて振り返る。

 ふくれっ面でファルアの首を絞めているシルヴィアと目が合い、取り込み中のようなので、九郎は慌てて前を向く。


「行かないでって言ってるんじゃないのよ? クロウは愛を集めなくっちゃならないのは知ってるもの。でも……」


 尊い犠牲に心の中で敬礼する九郎の耳元で、ベルフラムが呟く。

 自分でも良く分からない感情に戸惑っているような口調。重婚は許容出来るが、娼館はまた別と言う、彼女の心が透けて見える。

 ベルフラム達を蔑ろにするつもりは無いが、その違いがどこから来るのか興味を覚えて九郎が首を傾げると、ベルフラムは照れながらもハッキリその言葉を口にした。


「私ももっと上手に出来るように頑張るから……ね?」

「天下の往来で何口走ってやがんだっ!」


 どうやらベルフラムは技術的な拙さを気にしている様子だった。

 街中で年端もいかない見た目の少女に夜の意気込みを語られても困る。

 九郎はその言葉を掻き消そうと大声を張り上げた。


☠ ☠ ☠


 以前と同じとは言えない荒れた庭。

 しかし僅かに人の生活の跡が見え、九郎は小さく息を吐き出す。

 レイアの両親が住むレミウス城下町の一等区画。門前から様子を伺う限りは、少なくとも両親のどちらかが健在である事を匂わせている。


「レイア」

「? ぴぅ!?」


 大八車から降りようとしていたレイアを強引に横抱きにして、九郎はかつてを再現する。


「! じゃあ行くわよ! クラヴィス、デンテ!」 

「はいっ」「はいでしゅ!」


 九郎の思惑に気付いたベルフラム達が門を潜って扉に駆けていく。

 あの時は苦肉の策での方法だったが、今回はまごう事無き凱旋である。


 生家では無いので記憶が朧気だったレイアも、戸惑いがちに記憶を辿る仕草をしていて何かを思い出したかのように口元を綻ばせた。


 クラヴィスがノッカーを叩く。

 以前のように出会い頭に鉢合わせする事は無かったが、暫くして扉が僅かに開かれ――。


「どちら様で……」


 その後の騒ぎは口で表す事など不可能だった。

 扉を開けたのは初老の使用人だったようだが、それだけにレイアの顔を覚えており、屋敷中が蜂の巣を突いたように大騒ぎになっていた。


 以前よりも数段老け込んだレイアの両親、グリデンとソーニャが扉をぶち破らん勢いで飛び出て来た時、レイアの目には記憶と共に涙が溢れていた。

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