第302話 死の島
照りつける太陽と青い空、白い雲と青い海。
ウミネコに似た鳥の鳴き声が、何とも長閑な雰囲気を醸し出している。
穏やかに波打つ水面はキラキラと輝いており、水底まで透き通る海の色は、まさに境界の無い『浮いた世界』。
その海に向かって、遠くまで伸びた白い桟橋。
その途中にある円形の茅葺屋根の建物から、ダンッ! と床を踏みしめた音が鳴っていた。
「貴様俺を誰だと思っている!!」
空気を震わせるかのような怒鳴り声。
男の大声が部屋に響くと、小さな溜息が後に続いた。
「リュージ……」
「ロッケン・ワイス・ヒーメン……」
拠点改め『サクライア』――もちろん名付けたのは九郎だが――と名付けられた、新たな国家の
その一室で、ミスラは見た目通りの高飛車な客に溜息を吐いて、龍二に視線を流す。
龍二は面倒臭そうに男をチラ見し、男の名前を告げる。
歳若いとは言えず、かと言って中年にも見えない。
偉丈夫を気取っているが、どこか残念な感じもする男は、龍二の言葉に口角を引き上げる。
「ほう……貴様は知っていたようだな? ただ呼び捨てにするとは無礼である――」
「えーっと……ロッケン・ワイス・ヒーメン。
その男の威勢の良いのはそこまでだった。
ミスラの両目がギラリと光り、逆に男の気勢は萎んで行く。
この組み合わせは反則だ――九郎は『|神の
相手の名前や能力を初見で看破する龍二。
名前でその人物の辿った歴史を覗き見るミスラ。
二人の前にはどんな隠し事も存在しえない。
「姫さん、そんなん後でええやん?」
「そ、そ……そうでしたわ。えーっと……ロッケン様。どうしてこの島に?」
「いや、あの……」
「ああ、今出た名前の人んとこに向かう予定やったんやて。頼れる人がそこしかおらへんから」
ミスラが水を向けるだけで、男の思考は白日の下に晒される。
たった一言二言交わしただけで、もう男は丸裸も同然だ。
「まあっ!? それは協力もやぶさかではございませんね。では次の審査に参りましょう」
興奮した様子でミスラが机から身を乗り出し、鈴を鳴らす。
「なっ……!?」
男の口からは悲鳴に似た吐息が漏れていた。
獣人の少女を抱えた紫色のスケルトンを目にすれば、まあ、最初はそう言う反応をするだろう。
いささか乱暴過ぎる審査方法だが、ミスラの「初見はいんぱくとが肝心ですわ!」の一言に、九郎もカクランティウスも押し切られた格好だ。
「驚かせて済まなかったな……人族よ!」
少しぎこちない魔王口調で、カクランティウスが顔を人に戻す。
白昼夢を目にしたかのように、男は口を開いたまま固まっていた。
「このようにこの島には『不死者』『獣人』『魔族』が多く住んでいます。危害を加える気があるのなら、島には入れませんが……どうなさいます?」
ミスラは自分の姿を幻で彼女の継母、リスティアーナの姿に変えて片目を瞑る。
蟀谷から生えた大きな羊の巻角は、魔族でも目立つ容姿と言うところか。
「冗談じゃない。誰が刃向うものか……なあ姫さん。これどっちやと思う?」
固まる男そっちのけで、審査はどんどん進んで行く。
初見のインパクトが強すぎて、男の心はぽっきり折られているようだ。
秘密の過去も今の心も暴かれ、彼が見ているのは未来の自分の『死』の姿か。
緊張した様子のデンテをあやしているカクランティウスにも、男は和むどころか今にも泣き出しそうだった。
なんだかどんどん可哀想に思えて来て、九郎は忙しなく膝を揺する。
どことなく反応がリオと似ているので、居丈高を気取っていて実は臆病なのかもしれない。
性根の弱さが目の前の現実に勝てなかった事例なのだろう。
龍二の言葉にミスラは「むぅ」と考え込み、悩んだ末に答えを出す。
「取りあえず、武器はこちらで預かります。それで宜しければ……」
「冗談じゃないっ! こんなバケモノの巣に丸腰で飛び込むなんてっ!」
男の声はもはやかすれた絶叫に近かった。
化物の巣も何も、この島は超巨大怪魚の背中なのだから、化物そのものとも言える。
海の上では分かり辛いが、『サクライア』は今も少しづつ南下している。
「あら、それは残念……。では船にお戻りください。
ミスラはさも残念そうに可憐な容姿を曇らせ、手を海へと向けた。
趣味が合いそうだと思ったのか、本当に残念そうな顔だった。
☠ ☠ ☠
「はあ……なかなか上手くいきませんわね……」
男が逃げるように部屋を出るのを見送り、ミスラが消沈した面持ちで机に突っ伏す。
「んなことねえんじゃねえの? この前拾ったオッサンはすっげぇ感謝してくれてたじゃねーか」
あまりのミスラの落ち込みっぷりに、九郎は慰めを口にする。
「やはり追い詰められていないと人は歩み寄れないのでしょうか……」
ミスラは九郎の慰めに弱々しい笑みを向け、ふぅと溜息を吐き出す。
拠点が動き出してから、この島にも人は何人か訪れていた。
ただミスラの言う通り、島に入る事を許されたのは、多くが遭難者だった。
大海原を小船で漂い餓死しかけていた者。
海の魔物に襲われたのか、もう船の体を成していない甲板で天に祈っていた者。
帆が折れた船の上で、虚ろな目で海を眺めていた者。
多くがただ死を待つだけの――死神の鎌を喉元に突き付けられた状態の者達だった。
10日もしない間にこれ程の遭難者に出会うとは、九郎は思ってもいなかったが、地球と比べても造船技術も航海技術も低く、更に魔物と言う脅威もあるこの世界に於いては、海は常に『死』と隣り合わせ。
交易船の2割は海の藻屑と消えると聞いて、九郎はこの世界の危険度合を再認識させられていた。
「木板一枚隔てたそこは、死の世界。我等は常に半死人~……との歌は、アルム海軍特有のものだったのでしょうか……」
船乗り達の歌を口ずさみ、ミスラが大きな溜息を吐き出す。
ミスラには、「常に死と隣り合わせの世界の人間なら、この異形の国にも怖気付かないのでは?」との思惑もあったようだ。
「身近過ぎて突き抜けちまったんじゃねえかなぁ……」
澄んだ声で男の歌を歌うミスラに苦笑しながら、九郎は窓から島を眺める。
死の淵に漂っていた者の多くは、この場所に招かれた時、この島を死後の世界だと思っていた。
髑髏姿のカクランティウスに跪き、過去と心を暴かれても殆んど驚かなかった。
『天国』『死者の楽園』『死の島』――島に滞在した者達の口から零れた言葉だ。
彼等の多くは、
冷たい水で喉を潤し、美味い物を腹いっぱい食い、傷を癒してもらって感謝の言葉は言うのだけれど、どこか他人事と言うか、捨て鉢のようにも見えていた。
「てか
龍二が机に頬杖を突き、自嘲も混じった嫌味を言う。
心が読めない九郎にも、彼の「面倒臭い」の言葉がはっきり見える。
「お前、最近毎日暇してんじゃねえか……」
「そう言うアニキは毎日何してねん!? 決まった仕事って無いやろ?」
九郎のボヤキに、龍二は顔を真っ赤にして九郎を指さす。
結構使い倒されている感もするが、龍二の仕事は多く無い。
一応はルキフグテスの任で動いている彼は、現在食客扱いだ。
他の者に比べてあまり働いていない自覚があるからか、龍二の声は少し上擦っていた。
「リュージ! クロウ様はこの街の領主にあたるのですよ? 何もしてなくても――」
「漁と畑仕事と屋根の補修と風呂掃除と……ああ、用水路の補強もしなくちゃなんねえな。後は今日は食事当番だから……」
ミスラが咎めるより前に、九郎は仕事を指折り数える。
「なんや、その主婦と労働者をつめ合わせた様な内容……」
今持つ仕事を確認するかのように、天井を見上げて指を折る九郎に、龍二が顔を歪めて呆れを溢す。
九郎も決められた仕事と言うのは、毎朝のサクラとのひと時――漁だけだったが、頼まれやすい性格と、なんでも安請け合いしてしまう調子の良さで、常に多くの仕事を抱えていた。
疲れない肉体を持つが故に、本人は全く気にしていない。
「あ、そう言えば荷運び頼まれてたんだっ! 悪ぃっ! んじゃ、俺行ってくっわ! お? デンテも行くか?」
「はいっ! お供しましゅ!」
ミスラと龍二が呆気に取られる中、九郎は慌てて部屋を出ていく。
「領主……ねぇ?」
デンテを抱きかかえて駆け足で外に向かう彼は、どこからどう見ても下働きの青年か園児を預かる主婦にしか見えない。
龍二の半眼での呟きは、九郎の背中には届いていなかった。
☠ ☠ ☠
出来上がったばかりの街は、商業区、工業区、居住区に分けられている。
『ライア・イスラ』の口から一番離れた場所に、工業区。
それより内側に行くに連れて、商業区、居住区となっており、口の直ぐ傍は九郎達が住んでいる、
どれも規模は小さく、こじんまりとしている。
まだ100人ちょっとしか人がいないので、建物の方が余っており、この規模でも大きすぎるくらいだ。
「デンテ、こっちに来るのは初めてか?」
「前にお使いで来た事がありましゅ。皆優しかったでしゅ!」
デンテは冷たい視線に晒されない今の環境に、少し戸惑いつつも嬉しそうにしていた。
アプサル王国は人族至上主義であり、獣人蔑視が激しい。
領主の娘、ベルフラムの後ろ盾があったため、表立って害される事は無かったが、デンテも嫌悪の視線には常に晒されていた。
ところが今この島にいる住人のは多くは、アルム公国の海軍――獣人よりも更に迫害されていた『魔族』達なので、見た目や種族を気にしない。
(見た目が違っても命に差なんかねえのになぁ……)
道行く人に抱きかかえられている事をからかわれ、擽ったそうに微笑むデンテの頭を撫でながら、九郎は考える。
先程逃げていった男と、この島に受け入れられた者達の間にあった物は、自分の命に対する考え方。
受け入れられた者達は、既に自分の命を一度諦めた者達。
対して今日の男は、自らの命を奪われる恐怖に怯えて船へと逃げ帰った。
人族国家に蔓延る他人種差別の根底には、彼の様な『恐れ』の感情があるのではと、九郎は考えている。
数が多く、知恵も回る人族はどの大陸でも覇権を握っていた。
しかし、身体能力、抵抗力、寿命……多くの種族がいるこのアクゼリートの世界に於いて、人族は一番脆弱な種族だった。
力は巨人族には優に及ばず、身体能力でも獣人族に大きく劣る。
魔力は魔族や森林族に大きく水を開けられており、寿命もその二種族に比べれば天地の差がある。
何もかもが他種族に劣る人族。
数と小狡い知恵だけで覇権を取っていても、そこに在るのは弱者としての『恐れ』の感情。
「ガワを見るか中身を見るか……つってもデンテはガワもこんなに可愛いのにな?」
「?」
九郎がデンテの頭を撫でて呟くと、デンテは首を傾げ、甘えるように頬を摺り寄せていた。
☠ ☠ ☠
「すまねえ、旦那。まだ出来上がってねえんだ」
「んじゃ、ちょっと手伝うっすよ?」
工業区に入って少し行った森側。細い小川の畔に建つ簡素な小屋の前で、日に焼けた男が頭を掻く。
少し早かったかと思いながらも、九郎はそのまま手伝いを申し出る。
「いや、俺も『親』だからよ。こいつらにも仕事を教えなくちゃならねえから。どうしてもってんなら、裏で『水レンガ』作ってもらえっと助かるな」
九郎の申し出に、男は一人の子供に目を向け、照れくさそうに笑う。
男の後ろで額に一本角を生やした中学生くらいの少年が、灰色の石を運び汗を流していた。
彼はボナクが買い集めて来た魔族の元奴隷の一人だ。
元奴隷の子供達も、随分体力を取り戻しており、徐々に仕事をするようになってきていた。
アルム公国は元から逃亡奴隷などを受け入れてきた下地があり、彼が言う『親』と言うのもその制度の一つ。税より重い義務だそうだ。
子供を社会全体で面倒を見ると言うのが、アルム公国の特徴らしく、孤児がいれば大人の誰かが『親』の役目を担う。
長い間被差別的地位にいた彼等は、皆同じように見知らぬ『親』に育てられ、大きくなったと言う自覚があるので、『親』になることは名誉なことでもあると言う。
『魔族』は基本的に長寿の種族なので、今は軍に在籍している彼も、多くの仕事に就いてきた過去があり、彼はその中から少年に向いていそうな仕事を選んで、教え込んでいる最中のようだった。
徒弟制度に似ていると言うのが、今のところの九郎の感想である。
「んじゃ、裏手に行ってるんで、準備出来たらお願いしゃす!」
首枷の取れた首に慣れない様子で石を運ぶ少年に目を細めながら、九郎は小屋の裏手に向かう。
裏手には地面に掘られた四角い穴と、その中に溜まった灰色の泥。その近くには大量の四角い木枠。
「デンテもやってみっか? 泥遊び見てえで楽しいぜ?」
「何でしゅか、これ?」
デンテは九郎の腕の中から、灰色の土を覗き込み、不思議そうに首を傾げた。
九郎も最初は同じような言葉を発していたが、この場所にはもう何度も足を運んでいるので、自然と覚えてしまっている。
「これはな、コンクリート……アルムだと『水レンガ』って呼んでる見てえだ」
地球で言う中世くらいの文明とは言え、コンクリートは古代からある建材の一つ。
火竜山と言う活火山に面しているアルム公国は、火山灰が豊富にあり、ウィスティアラ号に商材として豊富に積んであったものだ。石灰は浜辺で取れる貝を焼いて作っている。
アプサルとの交易が難しそうだったので、ミスラが買い取った物である。ただその代金は、家賃で棒引きと言われ、ボナクは膝から崩れて落ちていた。
街の土台や海に沈める柱の重しに使うのが主な用途だが、今作っているのは九郎が頼んだ分。
「これ……アルトねえちゃが良く運んでましゅ」
「おう! 一人で頑張ってくれてるみてえだけど、ちょっとでも協力してえからよ」
城を作る気でいたアルトリアは、多くの石材を必要としていた。
「驚かせたいから」と中々手伝わせてくれないアルトリアに、何か協力できないかと九郎が考えた末の結果である。
海砂は航海していると直ぐに溜まって行くので無くなる心配は無い。
天日干しされたコンクリートを指で突き見上げてくるデンテに、九郎は照れくさそうに鼻を擦った。
☠ ☠ ☠
特別区の山側に開いた畑は、この世界の規模に比べれば小さなものだ。
植わっているのは芋類と葉物、『マンドラゴラ』。そしてそれを覆い隠すように伸びた雑草。
「ナズナ張り切り過ぎじゃね?」
「ニン……ニン……ニンチ―!」
畑の隅っこに植わった赤い人型の根菜が、ゆらゆら踊っている。
「成長が早くなんのは良いんだが、手間はそんな変わんねえよなぁ」
「ちょっと、クロウ~!? 畑荒らさないでよ~!!」
アウラウネのナズナは植物の成長を促進させる能力がある。
ただそれは植物全体に効果を及ぼす為、雑草も際限なく伸びてしまう。
九郎は昨日むしったばかりの雑草の多さに苦笑していると、アルトリアが雑草の中から顔を出し、眉を吊り上げていた。
「わりいっ! 埋まっちまった!」
「もうっ! そんな大量に石抱えて何処に行くのさ? あ~あ、あんなに畑に穴が……」
出来上がった大量のコンクリートを抱えた九郎の重さは数トンをくだらない。九郎が歩いてきた後には、杭を抜いたような穴が出来上がっていた。
畑に深く穿たれた九郎の足跡に、アルトリアが弱り顔を浮かべる。
「すまん! 後で埋め直しとくからよ! てかこれ、『失楽園』用にと思って……まだ作ってっけど今日の分って言うか……足しにして貰いてえなぁ……と」
彼女の仕事場を荒らした事に九郎は謝罪しつつ、しどろもどろに荷物を差し出す。
「え~? こんなに使うかなぁ……?」
アルトリアは九郎が抱える大量の石材に、呆れた様子で苦笑を溢す。
少しでも彼女に協力出来ればと思っていたが、どうやら作り過ぎたようで、これでは自分が急かしているみたいだ。
なんだか自分のエロさを責められているような気になり、九郎は気恥ずかしさを笑って誤魔化す。
「うぇっ!? 昨日は『全然石材が足んないっ!』って言ってなかったっけ?」
「え? …………あ、あ~、言ってたね! うん、ありがとうっ! 早速今日運んどくね?」
「んじゃ、俺が運んでおいてや――」
「ダメだよ~。完成までお楽しみって言ったじゃん? もう少し待っててよね? ね?」
アルトリアは九郎の言葉に一瞬
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