第295話  憩


「フォルテー! あんまり奥に行くんじゃねえぞー!」

「はいっ! 小魚はそのままにして良いんですよね?」

「おお、サクラが『小さいのはお家の取り分』って言ってっからなー!」


 声の反響も遠くに聞える巨大な洞窟内で元気な声が飛び交う。


 100人を超える食料を賄うと言っても、サクラの漁場は優秀だ。

 殆んど潮干狩りの感覚で魚が得られるので、午前中の内に終わってしまう。

 言って見ればそれは巨大なやなのようなもので、ゴツゴツとした岩場に打ちあがった魚を拾うだけの作業になる。

 問題となるのは超巨大な魔物の口の中に自ら足を踏み入れる勇気があるかどうかであり、魚の口の中で1年半も生活していた九郎、巨大な魔物に呑まれて生還した経験を持つベルフラム、そして恐怖の感情を何処かに落っことして来たとしか思えない程、何にも動じないフォルテの3人にとってみれば、それは容易い作業だった。


「キキューキ、キキュキキュ! キューキキュキキュ」

「へえ……クジラ見てえな生態してんだな……。エイのお化け見てえなのに……」


 ライア・イスラ自体は魚も餌としていたが、多くの食料はプランクトンや小エビ等の極小生物をろ過することで賄っているようで、魚の多くは打ちあがったまま腐敗し、微生物の餌としている部分が大きいとサクラは言う。

 河口付近口付近とも言えるに街ができつつあるため、生活排水が流れ出ており、魚を腐らさなくても十分に『プランクトンの養殖』は賄えているようだった。


(なんつーエコな生物だ……)


 九郎は滝のように流れ落ちる水のカーテンを眺めながら改めて唸る。


 波の満ち引きに合わせて水を吸い込み、海水を真水に変えて火山のように吹き出し頭上に茂った植物を育てる。肥沃になった大地は多くの生物を育て、鼻孔から流れる川が栄養に富んだ水の多くを口元に流して餌を集める。

 サクラの住処でもあるライア・イスラは単体で生命のサイクルを回しているような生物だった。

 降り積もった地層を見るに、魚ではあるが数千年は水中に潜った形跡が無いとカクランティウスが言っていた。

 これほど大きな生物であれば、外敵など存在しないし、頭上で餌の餌である大地を育てているので、潜ることが出来ないとも言える。

 大体この大きさであれば外敵など存在せず、逆にどうしてサクラがこの場所に辿り着いたの方が不思議でならない。


「俺が陸の話ばっかしてたから、憧れてたんか?」

「キュィクキュキ」


 感嘆の溜息を含んだ九郎の問いに、サクラは「それもある」と意味深な答えを返してきていた。


 数百メートルは先の喉の奥は、深淵を思わせる暗い穴が開いているが、そこに恐怖は感じない。

 今はサクラがライアイスラの口を僅かに動かしてくれているので、足元の水はくるぶしまでしか無く、殆んど干潟と同然であり、流れに巻き込まれる心配も無い。

 最悪飲み込まれた後も考えて九郎もこの作業に従事しているが、通常の砂浜よりも余程安全な場所に感じている。


「何っ!? コレ……きゃっ! クロウ~……」


 ただ海自体が初めてのベルフラムにとってそれは未知の領域だったようで、見た事も無い魚に何度もはしゃぎ、時に悲鳴を上げていた。

「濡れても良い格好を」と言ってはいたが、この世界に水着なんてものがある訳でも無く、ベルフラムは薄い肌着で水と戯れている。

 一時心配だった『羞恥心』と言う物は、一度関係したからか、それとも長年の下水道生活ですっかり枯れ果ててしまったのか、水に衣服が透けようが気にしていない様子だ。


(つーか何で俺が赤面してんだ!? いや、15歳だって分かってるからだろうけど……あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁああ!!)


 薄っすら張り付く少女の肌着に、九郎は慌てて目を逸らし頭を抱える。

 体に刻み込まれた記憶が、既にベルフラムを『女性』と認識している事への葛藤が、幸せな悲鳴を上げていた。


「お、た、タコじゃん。すっげえ色だな……オイ……」

「なんかヌルヌルしてっ……やっ……クロウ~とってー!」


 潮だまりに尻餅を着き、初めて見る生物にギリギリアウトな光景を見せるベルフラム。

 これまでどんな生物も胃袋に収めて来たであろう悪食のお嬢様も、軟体生物は初めて(ピンクの尻尾からは目を逸らしつつ)のようで、腹にへばりついたタコともイカとも言えない生物に弱り顔を浮かべていた。よくよく考えてみると未知の生物に躊躇なく手を伸ばしているのだから、恐怖よりも先に食指が動いたとも考えられるが……。


「動くと噛まれんぞ? よっ、お? やんのかテメー!」

「やだっ! そこは……きゃっ! クロウ、毒吹き付けられてるわよ! 顔が真っ黒!」


 ただ九郎も海無し県出身の田舎者である。

 海洋生物の扱いに長けている訳では無く、それなりに海水浴などのイベント事には参加していたが、タコの掴み方など分からない。

 お約束のように墨を量れて間抜け面を晒す。


「墨だ、墨! 問題ねえ! ……筈なんだが……体が痺れてきやがった……」

「ちょっと!? 待ってて、今魔法で――」

「じっとしててください。はい、取れましたよ」


 二人が見た事も無い生物に四苦八苦していると、フォルテが苦笑しながらチチチと口ずさみ、タコを自分の腕に移動させる。

 タコはフォルテに吸盤を見せびらかすような行動を取り、くねくね動いている。

 これがタコの求愛行動なのかと九郎が感心する中、


「貴方……結構凄いのね……。もしかして王都で鼠が身代りになってくれたのも……」


 ベルフラムが感嘆の声を漏らしていた。


「僕はまだまだ弱いから……誰かを犠牲にしなきゃ戦えないんだ……」


 同時に王都での一件に思い当たるのは、彼女の洞察力が優れているからだろう。

 フォルテは暗にその功績を認めながらも、消沈した様子で自らの力の無さを嘆くように自嘲する。


「それでも貴方が助けてくれたおかげで、レイアを見つけ出すことが出来たのは変わらないわ。ありがとう……」


 そんなフォルテの手を握り真摯な礼を尽くすベルフラム。

 王都を出る前の晩にも九郎の仲間にそれぞれ礼を言っていた。ただそれとは別に助けてもらったと気付いて即座に礼が言えるベルフラムは、根っこの部分が大人以上に立派に思える。

 だから自分はベルフラムを大人と認識しているのだろうか――九郎はそんな思いを抱きながらも、フォルテの頭を乱暴に撫でて励ます。


「いや、フォルテがいてくれて本気で助かったかんな! それだけは間違いねえ! そう言えば礼も全然できてなかったな! 何でも言ってくれ!」

「な、何でも!? い、いえ……」


 九郎の一言にフォルテは一瞬顔を輝かせ、申し訳なさそうに顔を伏せて頭を掻く。

「戦闘面ではあまり活躍が出来なかった事を落ち込んでいる様子」とミスラから聞いていたので、「その他の部分ではかなり助かっている」と労うつもりだった九郎は言葉を続ける。


「つっても俺も何かやれるもんがある訳でもねえし……美味い飯とか――」

「くれるんですか!?」


 会話が噛み合っているようで噛みあっていなかった。

 俯いていたフォルテが九郎の一言に目を輝かせて顔を上げる。


 もとからそう言う種族なのか、それとも成長期に栄養が足りていなかったからか、華奢なフォルテの肉体はベルフラムと変わらないくらいの凹凸で、腰の線もどこか丸みを帯びている。

 褐色の肌にズボン一枚のフォルテの姿は、知らない者が見れば上半身裸の美少女にすら映るだろう。凶悪なブツを見ていなければ、九郎も赤面している可能性が高い。

 強くなりたいと言っていたから、線の細い体つきを変えたいと思っているのかも――そう慮っての九郎の言葉は、決定的な何かが噛み合わないまま続けられる。


「お? それでいいか? んじゃあ昼は精の付くもん拵えっか?」

「性? 拵える!? で、でも……僕、男だから子供は……お、お昼から頂けるんですか?」

「おう、遠慮すんな! 何が食いてえ?」

「そ、それは勿論……クロウさん……」

「つっても、もうフォルテの方が強くなってる可能性もあんぜ? 特にフォルテの得物は棒だからな~。傷が入んねえと俺が一方的にやられちまいそうだ。ま、力じゃまだまだ負けるつもりはねえけどよ?」

「棒……や、やられ……」


 九郎がリオから渾身の一撃を喰らったのは昼飯時の事だった。



☠ ☠ ☠



 昼食を終え九郎が向かった先は、『ライア・イスラ』の口の上。

 現在は展望所兼運転席となっている家の裏手だった。


 基本『ライア・イスラ』の口元に近付けば近付くほど、島の獣や鳥は寄って来ない。

 ある意味一番安全であり危険を感じる場所で、九郎は後ろを振り返る。


「つうことで協力お願いしゃーす!」

「ふむ……絶景よの……」

「つーか本当に大丈夫なんだよな?」


 九郎の後ろに着いてきていたのはカクランティウスとガランガルンの二人だった。

 不死者であり、サクラにも慣れつつあるカクランティウスは落ち着いたものだが、まだこの島に来て日が浅いガランガルンは幾分不安げに見える。


「ガラン、ビビり過ぎだっつーの。そう言や、泳ぎが苦手だって言ってたっけ? 心配しねえでも、落っこちてもサクラが助けてくれるって! んで、ここにこう……二つづつ……屋根と垣根は俺が調達してくっから」


 まるで分かっていない――そう言いたげなガランガルンを無視して、九郎は石でがりがり岩に大きな円を描きながら、ニンマリ笑う。


「それで薪場や釜場はどうするのだ?」

「それは必要ねえっす。これこれこういう風に水を引いて来て、ここに窪みを作って貰えりゃ……」


 カクランティウスの問いに九郎は再び描いた円に道を書き足していた。



☠ ☠ ☠



「なに~? 良いものって~?」


 アルトリアの弾んだ声が夜の闇に溶ける。


「一体何を作られたのです? 昼間お父様と何やらしていたのは気付いていましたが……」

「姫様、あいつがああいった顔している時は、大概碌な事ではありません。お気をつけて」

「おい、ベーテ! 聞こえてっぞ?」


 昼間も訪れた場所に皆を引きつれながらも、九郎は上機嫌だった。

 悪友の悪態も今は涼しい顔で聞き流せると、先頭を歩きながら何度も後ろを振り返り、笑顔を絶やさない。


「ねえ、デンテっ! 私達が喜ぶものってなんだろね?」

「分からないけど楽しみでしゅ」

「レイアさんの為とも言ってましたが……」

「ぴっ!?」

「クラヴィス! もう少し秘密にしておいてくれよぉ!」


 ベルフラム達は端から九郎の善意を疑っていない。

 以前であればアルフォスと同じような事を言う側だったレイアも、あの時・・・を境に九郎にやけに従順的だ。クラヴィスの方が最近九郎に厳しいくらいである。


(まあ、レイアの為ってのも大きいんだけどよ……)


 この施設を九郎が作ろうと思った契機は、レイアの日常を取り戻す為と言う部分が大きかった。

 ただそれだけでは無く、自分の為でもあり、その他の皆の為でもある。


「おい、クロウ……ここって……こんなだったっけ?」

「前はこんな壁なかったよ、姉さん」


 展望台の奥へと進むにつれ、以前との違いに気付いたリオがおっかなびっくりに尋ねてくる。

 見知った場所が少し様変わりしただけで怯えるリオは、筋金入りのビビりだと九郎は苦笑する。


「なんや既視感が……」


 急場しのぎの葉っぱの暖簾に龍二は薄々感付いた様子だ。

 少し早足になりながら九郎は奥へと進み、休憩所のような小さな小屋の扉を開く。


「ガラン坊はコルル坊の手伝いをしとったんじゃろ? ほれ、儂に早う教えてみ?」

「ちょ、オババ! すぐ分かっから落ち着け! 年寄りの冷や水になんぞ!」

「シルヴィも喜んでくれると思うぜ? そらよっ!」


 格好を付けるように九郎は指を鳴らす。

 仕込んであった血液を垂らした松明が、一斉に火を灯す。

 シルヴィアがガランガルンの頬を限界以上に伸ばそうとしたまま、広がった世界に動きを止めていた。


「………………溜め池?」


 シルヴィアの口から訝しげな声が漏れる。

 月光と松明の元に映し出されたのは、大きな二つの水場だった。

 丸い屋根のある水場と露天掘りの水場。

 垣根越しに同じ施設がもう一式ある。

『ライア・イスラ』の鼻孔から流れる真水の川から水を引き、高台であるこの場所にかけ流しの水場が出来ていた。


 ドヤ顔を浮かべたまま九郎はもう一度指を鳴らす。

 別に慣らさなくても何の問題も無いが、格好を付けたいので仰々しく、それでいて気障を装う。

 その途端池に流れ込んでいた自ら湯気が立ち昇り、視界が煙る。


「お風呂!?」


 歓声の第一声はベルフラムが上げていた。


 昼間に九郎が作ろうとしていたのは、風呂場だった。

 黄の魔法が得意なカクランティウスとガランガルンに協力を仰ぎ、かなり凝った造りの浴槽を男湯と女湯に分けて二つずつ。

 流れ込む水の通路の上流には窪みが一つ。その中に九郎は予め小さな欠片を仕込んでいた。

 今の九郎の炎であれば、僅かな欠片だけでも大量の湯を沸かす事も容易い。

 雨の日でも問題無いよう、一つの浴槽には屋根を付け、「せっかく大海原をに面しているのだから」ともう一つは景観を重視した造りにしてある。


 人数が増えた事で事前に体を洗うための『打たせ湯』のようなシャワーも作ってあり、男湯は居住区側にあるが、女湯の方は今はまだ何も開拓していない場所なので覗きの心配は龍二のみ。

 混浴と言うワードに魅かれはしていたが、男連中に恋人の裸を見せる訳にもいかない。

 また禁忌と言う箍が外れた今の九郎は、自分で押さえが効かなくなりそうでもあり苦肉の策でもある。


「みんなずっと水浴びだったかんな! 海上じゃあんま寒くなかったけど、こっち来てからはまだ寒いみてえだし……」


 鼻を擦りながら自慢げに九郎は語る。

 第一の目的はアルバトーゼの街でのひと時をレイアに思い出して貰う為の物だ。

 お湯にすら嫌悪感を覚えていたレイアに、再び湯の心地良さを思い出して欲しいと願っての事と、しきりに自分を汚いと言っていた事への思いも含んでいる。

 それだけでなく、潮風にべたつく肌を何とかしたいと九郎自身が思っていた。

 真水があるので水浴びはいつでも可能だが、女性の数が一気に増えた事で九郎も色々考えていた。もう誰もが見慣れているとは本人だけが知らない花だ。

『ライア・イスラ』の口から垂れたお湯が、海面に着くころには冷えている事も確認済みである。


 拍手喝采を待ち望む姿で、九郎はドヤ顔で両手を広げる。


「こっちは男湯だけどよ? 向こうに女湯が……ておいっ、ベル! ここで脱ごうとすんな! だから恥じらいっつーもんを! クラヴィス止めてくれ……ってあああっ! お前も脱ごうとすんじゃねえ! シルヴィ……ああああああああ!!」


 ただ九郎が目論んでいた感激の拍手よりも先に、九郎の悲鳴が湯気と共に夜空に立ち昇っていた。

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