第九章  アンデッドマン・ワンダー・アイランド

第294話  青海の孤島


「たあっ! やっ!」

「うわっ! っと!」


 海鳥の鳴き声に少年少女の鋭い掛け声が時折混じる。

 白から青へと変わる朝焼けの空の下、砂が舞い波飛沫がキラキラと輝いていた。


「フォルテ! 突っ込み過ぎるでない! クラヴィスはもう少し無駄を無くせ!」

「はいっ!」「はいっ!」


 カクランティウスの低く良く通る声が浜辺に響くと、間髪入れずに元気な声が呼応する。

 朝食前の一時は食事番以外は自由行動だ。

 各々が新たな生活に馴染もうと努力する中、獣人姉妹の姉の方、クラヴィスは自身の稽古をカクランティウスに頼んでいた。

 女である事、まだ年端もいかない少女であることは弱い事への言訳にならない。

 そんな厳しい世界であることを一番知るのは彼女なのかも知れない。


(……強えなぁ……)


 九郎は朧気に感じる感慨を含んでその光景を眺めて目を細める。


「やあっ!」

「っとと! はあっ!」


 年齢的にはフォルテの方が2つ上。しかし戦闘力や経験で言うのなら、クラヴィスの方が格段に上なのだろう。

 獣人としての身のこなしや、生き伸びる為に培われてきたクラヴィスの動きには、九郎も着いていけそうに無い。今も浜辺の砂が別方向から同時に吹き上がったようにしか見えない。

 始終押され気味のフォルテは、棍で彼女の木剣を受けるのに精一杯の様子だ。

 ただ年上としての意地か男としての意地か、隙間を縫うように繰り出される木剣を恐れる事無く、フォルテも反撃を試みようとしている。

 それだけでも九郎からしてみれば感嘆の溜息が零れる。

 避ける必要が無く、それどころか進んで攻撃を身に受けて来た九郎の戦い方が特殊なのもあるが、クラヴィスの動きを目で追えているだけでも、充分に凄いと思えてしまう。


 二人は良い友達――ライバル関係にでもなるのだろうか。

 どちらも物怖じしない性格なので、もしかしたらその内恋人関係になるのかも知れない。そんな未来を見ていた九郎の耳に、同じ目線の呟きが通り過ぎる。


「子供は元気が一番じゃのぅ」


 浜辺に拵えた竈の前でシルヴィアが目を細めて二人の子供達の特訓を眺めていた。


「そういう所がガランにからかわれる所以じゃねえの?」


 九郎が苦笑しながら言葉を濁す。

 年齢で言えば九郎の10倍近い時間を生きてきた彼女だが、九郎にとっては愛しい恋人の一人である。

 ただ行動や言葉使いの節々に祖母を思わせる空気が漂い、いつも仲間内からからかわれていた。

 九郎からしてみれば言葉使いや慈愛に満ちた微笑みは、全てを曝け出しても受け入れてくれるような、そんな懐の広さを感じさせ、同時に初心な所やコロコロと変わる表情に子供っぽさも感じさせられ、「見ていて飽きない」を体現するような女性でもあるのだが、一般的に言えば彼女の所作はいささか年寄り臭い。


「ガラン坊のアレはなんぼ言うても治らん癖みたいなもんじゃ。別に儂はコルル坊さえ儂を女として見てくれておれば……ええし……」

「なんだよ……その間……。俺が今度言っとこうか?」

「今更呼び名を変える事は難しいじゃろ? 儂もそうじゃしな」


 九郎の言葉にシルヴィアはドヤ顔で自分を指差す。

 自慢する事でも無いだろう――そう思いながらも九郎も納得して肩を竦める。


「ちょっと、クロウ! お鍋が噴いてるわよ! デンテ、そろそろ皆を呼んで来てちょうだい」

「はいでしゅ! 姉ちゃ~!」


 二人が朝日の中で研鑽する少年少女に目を細めていると、頭に頭巾を被ったベルフラムの慌てた大声が浜辺に響き渡っていた。

 声と同時にデンテが九郎達の横を駆け抜けていく。

 尻尾がぶんぶん振られ、後姿からも喜びが感じられる。


「なに?」

「いや? お前ら強いよなぁ……って」


 鍋の蓋を慌てて開けながら見つめた九郎の視線に、ベルフラムが首を傾げていた。

 年端もいかない少女達が辿って来た月日は過酷の一言に尽きる。

 だというのに一時の安堵を得たのも束の間。


「別に強くなんかないわよ? だからクラヴィスも特訓してるんじゃない」

「いや……疲れてんだろ? 暫くゆっくりしてても良いっつたのによ……」


 拠点に着いたその日から、少女達は未来を見据えて行動を開始し始めていた。

 率先して役割を見つけ、周囲との関係を構築し、自らの立ち位置を探す彼女達の強かさには、九郎でなくても舌を巻く。

 実際早速仕事を聞かれたミスラは、驚きの余りに数秒固まっていた。


「だってこれからじゃない! それにこれからクロウとずっと一緒だって考えたら……幸せでじっとなんかしてられないわ!」


 九郎の言葉にベルフラムは朝日に負けない眩しい笑顔を溢していた。

 臆面も無く「幸せだ」とのたまう少女の笑顔に、九郎の方が面食らう。

 前に進む強さと言う面では、目の前の少女が一番強いのだと思い知らされる。

 立ち止まらずに日々を一生懸命に生きる事に、目の前の少女はなんの疑問も抱いていない。

『不死』となってしまった今でも、生きる事に前向きなベルフラムを見ると、自らの命にも価値があるように思えてくる。

 辛い日々、苦境の中でも決して幸せを諦めなかったからこそ、今があるのだと教えてくれているかのようだ。


 その生き方、考え方は周囲にも影響を与えるのだろう。


「レイア、味見してちょうだい。熱いから気をつけてね」

「はっ、はい……でも私味が……」

「いいのよ! 私だってここ2年味なんて二の次だったんだから。でも美味しいって言って貰いたいじゃない? だったらがんばらなくっちゃ」


 九郎はベルフラムから小皿を受け取り狼狽えている金髪の娘を眺めて頬を緩める。

 2年もの間囚われ、凌辱の限りを尽くされたレイアの心は、直ぐに癒える物では無い。

 九郎の必死の説得と、彼女自身の強さで自死を望む事は無くなったが、それでも未だに不安定な部分は垣間見える。

 しかしそれでもレイアの目も未来に向けて開かれていた。


 長い金髪をバッサリと肩の長さで切り落としたのは過去を断ち切る為。

 その目元には黒い布が巻かれており、以前は痛々しさを感じるものだった。

 しかしそれこそが彼女の強さであり生きる希望であると知っていれば、痛々しさは感じない。

 九郎の目を移植する事で強引に目を開かされたレイアの双眸には、元の青い瞳が再生していた。

 回復魔法で再生されたばかりの瞳には、太陽の光は眩しすぎるからこその処置だ。


 ――もう一度……私の目で貴方を見て見たい。私が再び挫けても……立ち上がれるよう貴方の姿を心に刻んでおきたい――


 4日前の逢瀬の後レイアが九郎に言った言葉は、九郎をも奮い立たせる言葉だった。

 男冥利に尽きる言葉だがそれだけで九郎は満足していられない。

 傷付いたレイアの心を癒し、日常を取り戻す事が最初の一歩。そこからさらに幸せを感じてもらって初めて、レイアの光を取り戻せたと言える。 


「……おいしい……と思います……」

「そう? ちょっと薄味過ぎる気も……。クロウ、これで良いかな?」

「ベルフラム様っ! 私が口に付けたのを直接だなんて危ないです! クロウ様も別のお皿で!」

「大丈夫よ、レイア。私もクロウも『不死』なんだし、貴方は解毒の魔法が使えるじゃない。それに貴方が嫌がらない限り毒は出ないんでしょ? ほら、自信を持ちなさい!」


 そしてそれは小皿をレイアに持たせて背中を元気よく押し出すベルフラムによって、後押しされている。

 体全体が毒を持つレイアに変わらず接する彼女の優しさは、レイアに日常を取り戻させることだろう。

『不死』となったことをあっけらかんと言い放ち、それでも変わらず笑顔を浮かべるベルフラムの強さは、まるで周りを全て明るく照らす太陽のようだ。黒い布越しでもその温かさは少しも揺るぎはしないだろう。


「あ、あの……どうでしょうか?」


 レイアは引きつった笑みを携えながら、おずおずと九郎に近付き小皿を差し出す。

 結ばれてから日が浅いからか、ほんのり頬を染めた彼女の仕草も微笑ましい。


「んーんまい。暫くはこんくらいの方が良いんじゃねえかなぁ。ボナクさんが集めて来た奴隷だった人らも、濃い味には戸惑うかもしんねえし……。つっても俺も薄味が基本の日本人だしなぁ。シルヴィは?」

「ふむ……ええ味じゃ。ちゅうても儂も元から薄味好みじゃよ?」


 大勢で味わう食卓では何でも美味いが九郎の持論だが、それは準備の時から適応される。


「クロウ様!? そんな普通にシルヴィア様にお渡しになられては!?」


 何気なく照れ隠しも含めて九郎がシルヴィアに小皿を渡すと、レイアが慌てて腕に縋って来る。


「心配せんでもコルル坊が渡して来おるんじゃったら問題無かろう? 後、レイア嬢も遠慮せんとシルヴィと呼べちゅうとろうが」


 シルヴィアは肩を竦めて、片目を瞑る。毒があれば先に九郎が気付くのもあるが、それが無くてもシルヴィアは躊躇う事無く小皿を受け取っていただろう。


 自身の体が猛毒を持ってしまった事で、レイアは人との関わり合いにも奥手になっていた。しかし触れるだけで命を奪う危険のあるアルトリアにも臆することなく手を差し伸べたシルヴィアにとって、レイアも恐れの対象では無い。

 彼女にとってレイアは傷付いた一人の少女であり、そんな人間を放っておけるシルヴィアでは無い。

『不死者』にまで手を差し伸べたシルヴィアの世話焼きは折り紙つきだ。


 惚れた女性達が優しい事、強い事に、九郎は自分の事のように誇らしい気持ちが込み上げてくる。


「それは……その……頑張ります……」

「頑張らんでもええがの? さっき儂も中々治らんちゅうてコルル坊と話しとったところじゃからのぅ。じゃがまだレイア嬢とは会って日が浅いし、の?」


 シルヴィアは自嘲しながらレイアを慰め、九郎に片目を瞑って見せた。

 年齢を告げる前に呼び名を指定して来た過去を思い出して視線なのだろう。


「そうそう。俺もちゃんとクロウって呼び捨てにしてくれよ」

「ぴっ!? クロウ様を呼び捨てにするのは……その……二人きりの時だけで……」


 調子に乗った九郎の言葉に、レイアは顔を赤らめ小声で呟いて顔を伏せていた。


「じゃあよそい始めちゃうわよ? レイア、手伝ってちょうだい」

「は、はいぃっ!」

「ほれ、もう朝飯じゃぞ~! ひのふのみの……これ、そこの羽付の男前! お主の主人はどこにおるんじゃぁぁ?」


 誰の口からも文句が出ない場を、ベルフラムの溌剌とした声が纏め、シルヴィアの笑顔が仲間達を迎え入れる。


「姫様はまだ寝床にしがみ付いておりまして……」

「吾輩がひっぱたいて連れてくる!」

「陛下! お待ちください! 行かない方が! きっと今度は陛下が眠れなくなりますから!」


 賑やかな朝の食卓は何物にも代えがたい幸せを感じさせるものだ。

 それは九郎にとって特別な意味を持つ。

 田舎育ちで村の垣根が無かった事も理由にあるがそれだけでは無い。


(ああ……いいなぁ……。やっぱこういうの……)


 拠点に戻って2度目の朝を迎え、九郎はしみじみとした気持ちで浜辺を見渡す。

 誰の命も脅かされる心配の無い楽園。

 それが今目の前に広がっているのだと思うと、感慨も一入と言うものだ。


「なんじゃ? また泣いとるんかえ?」

「ち、違うっつーの! 砂埃が目に入っちまってよ」

「ほう……お主がのう? じゃあ儂はもう目の前が見えんくなっとるんじゃ無かろうかの?」


 九郎が緩んだ視界を拭おうとしたその時、シルヴィアがいたずらっぽい笑みを湛えて覗きこんでいた。

 慌てて誤魔化そうとするが、自分の不死を知るシルヴィアの言葉に九郎は口ごもる。

 その一言が何より九郎の涙の理由であるから、鼻の奥がつんと刺激されてしまう。


『フロウフシ』の『神の力ギフト』があったからこそ繋げた絆が、九郎の目の前に広がっていた。

 自身を化物と思い、人に拒絶される事を恐れていた過去の自分を再び人の輪の中に招き入れてくれた少女が隣で笑っている。

 化物の自分に再び向き合ってくれた少女達が周りにいる。

 化物と知りながら自分に付いて来てくれた仲間達が自分の元に躊躇わずに歩を進める。


 九郎にとってその光景はずっと求めていた物であり、得られるはずが無いと思っていた物だ。

 口をへの字に結んだ九郎を見上げ、シルヴィアはシシといつもの笑みを湛えて脇腹を小突くと、同じ方向を見つめてポツリと呟く。


「嬉しい時の涙は別に隠さんでもええじゃよ……」


 笑いを噛み殺したようなシルヴィアの囁きが、九郎の耳を擽っていた。



☠ ☠ ☠



「では本日の作業ですが……」


 朝食を終えた一同を見渡し、ミスラが立ち上がる。

『サクラの家の軒先』と仮称した九郎の拠点は、今や百人を超える大所帯であり、食事時ともなると浜辺に人が溢れんばかりになる。殆んどがアルム公国の海軍で占められるが、これからアルム公国で新たな生活を迎える元奴隷達の分だけ数が増えていた。


 その一画。九郎の家に近付く者は九郎の身内以外はあまりいない。


「クロウ様とベルフラムさん、後フォルテはサクラさんのお手伝いをお願いしますわ」

「キュィ!」


 その理由は今元気よく返事をしたサクラが理由だった。

 いくら無害で人懐っこかろうが、サクラをすんなり受け入れられる人間はそう多くは無いだろうというのが理由であり、今いる島が怪魚の背中だと言う事で混乱が起きないようにする為でもある。

 アルム海軍はサクラの種族、フォトンを海の守り神としていた背景があり害しようとはしなかったが、何も知らされていない元奴隷達が現状を知ればどうなるか――いずれ知る事になるのだが、突然連れて来られた元奴隷達には刺激が強すぎるだろうとの判断だった。


 当初はどうなるかと思っていた拠点の実態を、九郎の仲間達が受け入れてくれただけでも僥倖だと言える。もちろん大いに驚かれはしていたが……。


 またお前に驚かされたんが癪に障る――とは、口の悪いファルアの談である。

 九郎と言う『不死者』を見て来た仲間達にとって、サクラが人の姿をしていなかろうが、もう考えるだけ無駄と意見が一致した様でもあり、九郎としては喜んでいいのかどうかの判断に迷うところだ。

 

 実はまだ新たな仲間達の心の奥底の恐怖は拭いきれてはいなかった。ただ「九郎が誰かの命に危険がある場所を安全と言うはずが無い」との信頼があってこそだと言う事に、九郎は気付いていない。


「ベル、サクラ齧ろうとするんじゃねえぞ?」

「わ、分かってるわよ!」


 暢気な九郎としては、ベルフラムが最初サクラを捕食者の目で見ていた事が目下の懸念材料だ。ベルフラムが顔が赤らめて口元を拭ったので、まだ警戒はしておくべきかと九郎は眉を寄せる。


「そんな顔しないでよ! ほら、もうこんなに仲良しじゃない!」

「キュィ! キュークッ」


 サクラの方はベルフラムの髪色に親和性を覚えたのか、それとも小さい者には特別な何かを感じるのか、紹介した時から魚を分け与えようとしていた。今もベルフラムの頭によじ登り、毛づくろいをしているのだから余程気にいったのだろう。

 妹分を取られた様な気がして、こちらも複雑な心境である。


 拠点の人数が増えた事に、サクラは全く気にした様子も見せずに皆を受け入れていた。

 元から平和的な性格と大所帯で暮らしていた過去があるからか、賑やかになった事を喜んでいるようでもあり、はしゃいでいるようにも見える。

 九郎もそんなサクラに甘える事に多少の後ろめたさを感じながらも、人数が増えた事に因る食料問題は全く気にする必要が無い事に胸を撫で下ろしていた。


「お父様達は街の増築。ファルア様達は周囲の探索。リュージは新たなアルムの住人達の診断をお願い致しますわ」


 人数が増えた事で、家屋の増築も急務である。

 一応雨風を凌げる軒先は充分に整っていたが、この先の事を考えてミスラが発案したのは、小さな港町を作ろうとするものだった。

 流石に軒先を街にする事にはサクラも懸念を示すかと思えたが、サクラは問題無いらしい。と言うよりも賛成の立場にいた。人の面倒を見るのが好きなサクラは、増えた人々を子供に見ている節が感じられる。

 考えてみればサクラの母親も九郎を我が子のように見ていたのだから、同じような物なのかも知れない。


 サクラの心情の中に「『マチ』というものが出来ればクロウがずっとここにいるのでは?」との思惑がある事に、九郎はおろか誰も気付いていない。

 サクラの知識の中に「『マチ』とは九郎の同族が集まる場所。また九郎は同族を探す為に陸地に出向いた」との二つが既にあり、出来る限り九郎と一緒にいたいサクラとしても、ミスラの提案は渡りに船だったのである。


 サクラの賛成は九郎達にとっても、渡りに船だった。

『不死者』や『異形』が多くを占める九郎の陣営は、まだまだ世界にとっては奇異であり、恐怖の対象に映る。

 追われれば逃げなければならない身である事は、九郎にとっても悩みの種であり、大事な人達を守る為にもまず考えなければならない事だ。

 しかし住処自体が動く事が出来る『サクラの軒先』は、巨大な一つの船であり自給自足が成り立つ領地とも言える。危害を加えようとする者を問答無用で阻み、国家の軍勢をも退ける武力も持っている。

 ミスラはこれから九郎達が生きる術として、何処にも属さない小さな貿易国家、あるいは巨大な貿易船を提案していた。


「後は……」


 各々が仕事を確認する中、ミスラの視線が一人に向く。

 少々言いにくそうな彼女の雰囲気に、口に出せない理由に思い至り九郎も照れながら頭を掻く。


「うん! ボクは畑作業だね! でも良いの? ボクが他を手伝わなくて……。それにリオまで手伝ってくれてるけど」

「いえ、畑作業自体はわたくし達にとってもありがたいものですから、もっと人員を割いても問題ありません……。それよりも……その……良いのですか?」


 お茶を飲み干し元気よく返事したアルトリアに対して、ミスラの何か言いたげな視線が交わる。

 一瞬キョトンとしたアルトリアは、彼女の言い分に思い当たったのか、顔を真っ赤にしながら目の前で手を振る。


「あ、あれはボク一人で作りたいんだ! なんたって300年越しの思いの集大成だからね! そそ、それに作ってる途中でも色々妄想しちゃって、絶対危ないと思うし!」


 女を抱けない九郎の禁忌タブーが解かれた今、一番はしゃいでいる筈のアルトリアは、毎晩島の奥深くに立ち入り、逢瀬の場所を作る作業に勤しんでいた。

 情欲を想うだけで周囲から生命力を根こそぎ奪い始めるアンデッド。『魔死霊ワイト』のアルトリアは人の住まう場所では逢瀬が出来ない。

 ある意味一番九郎に抱かれたがっていた少女は、現在寝所ラブホ作りの真っ最中でもある。


「俺は別に問題ねえだろ?」

「え~? そしたらボク我慢できなくなって襲っちゃいそうだもん。それにシルヴィもまだ・・でしょ? ボク最後で良いって言っちゃったし……」

「んなっ!? なんで知っちゅう……」


 不死の自分は『吸収ドレイン』も今更――そう言った九郎に対して、アルトリアはモジモジしながらシルヴィアを見やる。

 彼女のセリフにシルヴィアが驚きの声を漏らして口元を押さえていた。


 九郎がシルヴィアを抱く予定だった晩、九郎はレイアの元へと向かった事でその機会が繰り下げになっていた。当人同士だけで決めた事だからと、その後まだ九郎はシルヴィアを抱いていない。

 何となく機会を失いお互い気恥ずかしさがあったのもあるが、それ以上に言い出しにくい状況の主な要因はシルヴィアにある。


「ほほぅ~? あの日『腰が痛い、腰が痛い』と言ってたのは~」

「オババの年の所為だったって事で良いんだよなぁ?」


 思わず声を漏らしたシルヴィアに、二人の男がニヤケ面を向けていた。

 機会も場所も提供してい来た仲間二人に、シルヴィアが思わず言った見栄が、言い出しにくい空気の発端だった。


「おい、馬鹿野郎! 子供もいんだからちったあ考えろ! 朝っぱらから何言ってやがる!」

「そうじゃ! 儂は別に嘘ついとらんもん! お主らが勝手に勘違いしただけじゃもん!」

「まあ可笑しいとは思ってぜ? シルヴィは未通女だっつーのに……」

「初めてで痛くなんのは股だろうがって、ファルアと笑いを堪えるのに大変だったぜ」

「……ひぐっ……コ、コルル坊やぁぁぁ!」

「お待ちくださいまし! 聞き捨てなりませんわ! 最初に痛くなるのはしり――」

「姫様落ち着きなさいませ! ああ、徹夜で昂ぶってるんですね? ですから『まんが』は程々にと……」

「陛下もお気になさらず! 大丈夫です! 多分大丈夫です! 侍従長も『姫様は攻めなので……』と仰ってましたからっ!」


 賑やかな食卓も良し悪し――九郎の頭にそんな言葉が過っていた。

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