第292話 日向の匂い
何台もの馬車の車輪が、大地に溝を刻んで進んでいた。
穏やかな陽気に包まれ広がる景色は、すっかり春の装いに変わっている。
甘い香りを運んでくるのは、水色の小さな花々。遠くに見えるの雪残った雄大な山脈は、青い空に眩い白の境界線を引いている。
遠くに見える険しい山脈から流れ落ちる雪解け水が、大地を分かち海へと流れ込んでいる。
時折目にする小さな穴は、九郎も良く知る『
全く別の場所なのにどこか懐かしく感じるは、きっと良く似た景色を見ていたから。
息を飲むほど巨大だったピニシュブ湖よりも、さらに大きな海が眼下に広がり、春の風に潮の匂いが混じっていた。
「レイア、はい。あ~んして?」
「アー……」
馬車の中から甲斐甲斐しいベルフラムの囁きが今日も聞こえてくる。
雛鳥に餌を与える母鳥を思い起こさせるこのやり取りも、もう4日目。
旅は順調に進んでおり、あと2日もすればサクラの待つ拠点に戻れる予定だ。
「……アゥ……」
「うん。良い子ね。おいしい? そう、良かったぁ」
薄暗い馬車の中。光を恐れるレイアの為に、今は窓には分厚い布が張られており、壁の隙間から漏れ出る僅かな光だけが、二人の少女の輪郭を朧気に浮かび上がらせている。
光を拒むレイアの世話は大変だが、ベルフラムは弱音を一切溢さない。
そこには責任を感じているのもあるのだろうが、「家族の世話をするのは当然」との空気も感じられ、ベルフラムの情の深さを知る九郎としても、小さな体から溢れんばかりの母性に驚かされる。
(そう言えば、『風呂屋』ん時にもベルはかーちゃん見てえだったな……)
まだ8歳と6歳だった獣人の少女達は、大人のレイアよりもベルフラムに母親の面影を見ていたようにも思える。流石に九郎がそれを感じる事はなかったが、口やかましく言いやる仕草に、「お前は俺のオカンかよ!?」と思う事もしばしばだった。
溢れんばかりの母性を持ちながらも、決して母には成れない少女。
その道を閉ざしてしまった九郎は、再び大きな息を吐き出す。
彼女は「これから大きな家族になるんだから」と気丈にも微笑んでくれていたが、九郎の子供好きを知っているだけに、そこに強がりが混じっている事も分かってしまう。
落ち込むなと言う方が無理な話だ。
「おい? 聞いてんのかよ!? おい、クロウ!!」
馬車の中を覗き見て溜息を吐き出した九郎の耳の傍で、その時、苛立ちの混じった怒鳴り声が響く。
憂鬱に沈んだ九郎の意識が、強制的に引き戻される。
「わり……聞いてなかった」
九郎は眠りから覚めたような口ぶりで顔を上げる。
横にはレイア達の昼飯を届けに来たミスラと……リオの怒った顔。
「ったく……ちゃんと聞いとけよ。薄情もん……アルト姉が心配じゃねえってのかよ?」
ミスラの陰から身を乗り出して眉を顰めるリオのセリフに、九郎は叱られた子供のように身を竦めながら腹を擦る。
「大丈夫だと思うんだよなぁ……ちゃんと吸われる感覚はあっし……」
「それってアルト姉が盛ってるってことだろ? じゃあ尚更可笑しいじゃねえか!」
「まあ、それは……俺もそう思う……」
「準備が必要と仰っていたのも納得できる理由ではありますが……」
ベルフラムの爆弾発言を機に発覚した九郎の禁忌の解除。
当然のように予想された肉欲の日々はまだ訪れてはいなかった。
☠ ☠ ☠
「ボク……最後で良い……」
その言葉を聞いて、アルトリアを良く知る者達は、誰もが耳を疑い目を瞠った。
イタせることが発覚した後、続いて行われたのは、次に誰とイタすかと言う生臭い話合い。
『九郎に本心から抱かれたい』と思う者が揃って解除された
九郎は抱いた順番で愛情の深さを変えようとは、毛頭思っていなかったが、デキると分かった瞬間「誰から?」となるのも当然とも言える。
男衆は気を利かせて何処かに行った。何故かフォルテは残っていた。
リオ以外誰も突っ込まなかった事に、九郎は言い得ぬ不安を感じて無意識に自分の肩を抱いていた。
「一晩で樽2つ分も出来るんだったら、一斉に済ませちまえよ……」とのリオの発言を、九郎は即座に却下する。まず一晩で出せる量と言うのが誤解だが、そもそも量の問題では無い。
愛する者達が長い時間を掛けて思い続けた果ての一夜を、そんな種付け馬のように事務的に済ませて良い筈がない。
ハーレム状態とは言え、皆纏めてと言うのもハードルが高すぎる。
特にアルトリアの特性は命を奪う危険すらある。
今迄黙っていたアルトリアの特性も説明する羽目になり、リオは目を丸くしていた。
ただリオはそれほど怯えなかった。
『
アンデッドであることは最初から知っていたのも理由にあるだろう。
ただ、リオにとってフォルテの次に恐怖を感じないのがアルトリアだった事が、一番大きい理由に感じられた。
一瞬顔を強張らせたアルトリアの手を、リオが何の躊躇いも無く握った事で、九郎とミスラはほっと胸を撫で下ろし、アルトリアは少しだけ涙ぐんでいた。
シルヴィアの膝は震えていたが、それでも彼女もアルトリアに自ら手を差し出していた。
九郎をチラリと見た事からも、彼女はアルトリアと九郎を重ねて見たのかも知れない。
ベルフラム達は
自分達を身を挺して守ってくれたアルトリアを、恐れる少女達では無かった。
それはさておき。
「
次なる相手の順番決めから早々に降りたのはミスラだった。
一瞬想像したのか、顔をボッと赤くし若干悶えていたので、嫌と言う訳でもなさそうに思えた。
家の事情と自身の興味と……暴走することも多いミスラだったが、婚前交渉と言うのは今の彼女には難しい。
九郎もカクランティウスに釘を刺されており、その信頼を失う訳には行かないので、正直ホッとしていた。暗闇の奥に潜む紫色のスケルトンの視線を感じたからでは無い。
「私は……一方的だったけどもう想いを遂げちゃってるから……」
続いて降りたのはベルフラムだった。
九郎の袖を引いて少し後ろ髪が引かれているようでもあったが、一人抜け駆けしていた事への後ろめたさも感じていたのだろう。
「次はクロウから……い~っぱい愛してね?」
九郎の耳元で誰にも聞こえないよう小さく囁き、顔を赤らめたベルフラムに、九郎の血は一瞬にして逆上せあがり、心よりも早く体が反応してしまう程なのかと、九郎は引きつった笑みで「お、おう」と頷く事しか出来なかった。
そして残るはシルヴィアとアルトリア。
順番で言うのならシルヴィアとの恋人関係を知っていながら、付いてくる事を決めたアルトリアが後ろに回るべきだろう。
しかし彼女は、ただひたすらに睦事を夢見てアンデッド化した存在。
その想いは人の想像を遥かに越えるものであり、正直禁忌が解けたと知った瞬間襲い掛かって来なかったのが不思議なくらいだ。
そう九郎が想った矢先のアルトリアの発言に、一時の静寂が森に流れる。
「ほ、ほら……ボクが最初だと、クロウ萎びちゃうかもしれないし……」
どれだけ吸い取るつもりなのだろうか。
続いて呆けた空気が流れ、「樽二つ分でもかよ?」と言うリオのセリフで九郎のハードルが上げられる。
彼女の好色さは加入したばかりのベルフラム達やシルヴィア達を除いて、仲間全員が知るところだ。
時と場所を選ばずエロいワードを口にしており、九郎に頻りにスキンシップを求める姿も、もはや日常になりつつあった。
その目撃された猥らさでさえ、彼女が必死に押し殺した情欲が僅かに溢れたものであり、解放された彼女のエロさを知るのは九郎のみ。
カラッカラに干からびた九郎を幻視したのは、九郎だけでは無いだろう。
「それに……今言ったとおり、ボクえっちい事考えちゃうと『
アルトリアはしどろもどろになりながら、熱でもあるのかと心配する視線に答える。
アルトリアは発情を押さえられなくなると、周囲から無尽蔵に生命力を吸い取り始める。
その殆んどを今は九郎が引き受けている状態だが、時折ミスラも吸われていた。
一瞬で全生命力を吸い取らなくなっただけマシだとも言える。
ただ、考えるだけでそこまで行くとも言え、本番時にどれだけ周囲に影響を与えるかは未知数だ。
九郎は砂漠の中でミイラ化した自分を思い浮かべる。
「だから……ほら、準備しなきゃ……ダメかなぁ、なんて……ね? ボクから生まれた子達はボクの影響を受けないから……さ、先に帰って場所作ってるね!
わ、わぁ~い! 楽しみだなぁ~!」
最後の方は若干上擦った声で、アルトリアは逃げるようにその場を後にしていた。
「……ヘタれたんでしょうか?」
呟いたミスラの声が、彼女の去った闇の中に吸い込まれていた。
☠ ☠ ☠
「とりあえずさっさと一人目……二人目か? 済ませとけよ。アルト姉は楽しみにしてたんだからよ……。お前まで怖気付いてんのか?」
ミスラの影に隠れてキャンキャン吠えるリオから九郎は耳を遠ざける。
リオに「怖気付いている」と言われると、何とも言えない屈辱感を覚えてしまう。
同時に睦事を便所か何かのように捉えるリオの言い方に、寂しさも覚える。
辿って来た道の悲惨さから、彼女は男女の睦事に幸せがあるとは全く考えていないのだろう。
九郎は弱り顔を浮かべて言い訳する。
「別にそう言う訳じゃねえんだけど……その、人の目とかよ……」
禁忌の解除が発覚してから4日。なし崩し的に「次はシルヴィアの番」となっていたが、九郎はまだシルヴィアを抱いていなかった。
人数が増えた事で、宿を取ることが難しくなり、一行はずっと野宿で過ごしていた。
王族や子供達、女性陣は馬車での寝泊まりだが、九郎は地面や木陰で眠っている。
そんな環境の中でイタそうものなら、声は丸聞え。少し離れた森の奥で……とも考えたが、一行の中には出場亀能力が標準装備されている龍二がいる。
シルヴィアは結構恥ずかしがり屋だ。それにそんなに急かされてスル物でも無い。
「四六日中裸でほっつき歩いといて良く言うぜ……」
言い訳を並べる九郎に、リオの鋭い突っ込みが刺さる。
もう一年以上の付き合いになるからか、リオの突っ込みは日に日に容赦が無くなっている。
「おまっ! 猛って無かったろうが!」
それだけ心を許して着てくれている証拠のようにも感じるが、人を変態のように言うのは止めて欲しいと九郎は抗議する。ぐうの音も出ない正論だけに少し話題を逸らしながら……。
「嘘吐けっ! 時々ふっくらしてたじゃねえかっ!」
「あ、あれは元の大きさで……」
「お前、アタシが何回お前の見てると思ってんだ!? フォルテなんか最近……」
「サラッと怖いセリフ言い淀んでんじゃねえっ!?」
九郎が青褪めながら大声を上げたその時、
「クロウ! 巣作りしてきてやったぜー? 今日の予定の夜営地をちょっと登った先だ。山小屋みてえだったが、数年誰も使った形跡は無かったから、まあイケんだろ?」
「鴉と鴨の木賃宿にしちゃ、立派過ぎるってなもんだ。やばそうな魔物は粗方追い払っておいたから、今日の夜警はお前らな! 礼は酒で良いぜ? 肴はいらねえ! なんせ極上の肴は予約済みだしよ!」
哨戒に行っていたファルアとガランガルンが、進行方向から悪い笑顔を浮かべて戻ってきた。
「む~~~~~! む~~~~!!」
簀巻きにされたシルヴィアを担いで――。
☠ ☠ ☠
険しい渓谷に青い月が登る。
薄っすらとした寒さが肌に心地良く感じるのは、体が火照っているからだろう。
「あれか……」
渓谷の中にひっそりと佇む小さな小屋に、淡い灯りが灯っていた。
九郎は静かに小屋に近付き、大きく深呼吸して扉を数度ノックする。
「あ、開いちょるよ……」
少女の声色で告げられる老婆の言葉に、九郎は唾を飲み込み扉を開く。
蝋燭の淡い仄かなオレンジ色の光と、眩い月の灯りに照らされた簡素な藁のベッドの上に、シルヴィアは座っていた。
静かに微笑むその姿は妖精のように神秘的で、広げられた両手は木漏れ日の様な温かさを感じさせる。
月明かりに照らされた白い肩と、仄かな灯りに照らされた照れくさそうな顔。
九郎はもう一度ゴクリと唾を飲み込む。
「ほれ、こっちゃこ! コルル坊!」
あまりの可憐さに九郎が一瞬固まっていると、広げた両手の所在を無くしたのか、シルヴィアがベッドを叩いて九郎を誘う。
いつもの調子に戻ったシルヴィアの仕草に、九郎は我に返ってゆっくりベッドに近付く。
触れるだけで壊れてしまいそうな華奢な体に、大樹のような安堵を覚えるのは可笑しな感覚なのだろうか。
しかし包み込むような慈愛に満ちた微笑みが、過去の自分を救ってくれた。
誘われるままにシルヴィアの隣に腰かけた九郎は、戸惑いがちに彼女の肩を抱く。
「コルル坊…………」
恥ずかしそうに目を伏せたシルヴィアは、一度俯き顔を上げる。
緊張して震えているだろうと思っていた九郎は、真正面から自分を見据える二つの瞳にドキリとさせられ―
「シルヴィ……わぶっ!?」
次の瞬間シルヴィアの胸に抱きすくめられていた。
薄く平らな胸なのに、女性の柔らかさが九郎を包み込む。
「リードしようと思っていたのに逆じゃねえか」と、九郎が頭を起こそうとする。が、シルヴィアはぐっと力を込めて抵抗してくる。
初めての睦言には相応しく無い、力の比べ合いに因る静寂が小屋に満ちる。
九郎も力だけなら人の数十倍は持っている。
本気で抵抗しようと思えば、難なくシルヴィアの腕を振りほどけただろう。
しかし抵抗できない何かが九郎の力を弱めていた。
九郎が力を緩めると、シルヴィアは九郎を胸に抱えたままベッドに倒れ込み、
「ち、力は抜けたかの?」
そっと囁く。何も始まっていないのに、息が上がっていた。
「シルヴィ……」
苦笑を浮かべて九郎が体を起こすと、シルヴィアはまた九郎の首に腕を絡め、胸に抱いて離さない。
いったい何がしたいのかと思う九郎の頭を、シルヴィアはゆっくり撫でながら、ポツリポツリと喋り出す。
「言っとくがの……」
その声は少し震えていた。
「今のお主に抱かれるつもりはありゃせんぞ?」
続く声に九郎の体が強張っていた。
その為に仲間が用意してくれた時間と場所。なのに何もするつもりが無いと告げられ、九郎は混乱と焦りで狼狽える。
何か怒らせることをしたのだろうか。それとも自分の気の多さに愛想をつかされたのだろうか。
一瞬前に彼女が見せた微笑みには、深い愛情が感じられた。
そんな筈は無いと思いたいのに、肩の震えが始まる。
シルヴィアは九郎の頭を撫でながら、片手で毛布を手繰り寄せ、九郎を包んでくる。
毛布もシルヴィアと同じ、日向の匂いがしていた。
「いや……お主を慰めてやれるんじゃったら、それもええかと思うちょった……」
シルヴィアは毛布の中で九郎の頬に両手を添え、はにかんだ笑みを浮かべる。
仄かな恥じらいと、少し寂しげな笑みの形に深い愛情が混じっていた。
「コルル坊は泣き虫じゃからのぅ……。寂しゅうて泣いて、受け入れられて泣いて、儂としとうて泣いて……」
泣き笑いのような顔で、シルヴィアはシシと笑う。
女性に「泣き虫」と言われては立つ瀬が無い。九郎は眉を上げ抗議しようとして――その唇に小鳥のような口づけがされる。
「お主は優しい子じゃからな……。皆に気ぃ使こうて、なんでもないっちゅう振りばっかりしちょる。泣きたいのに泣いたらいかんちゅうて、ずっと涙を堪えちょう。ここには儂とコルル坊しかおらん。遠慮のう泣いたらええんじゃ……」
再び九郎を抱きしめ、シルヴィアは子守唄のようにとうとうと言いやる。
「シルヴィ……俺……」
そんな事は無いと言いかけた九郎の目尻に熱い水が伝っていた。
あまりにも情けなくて、溢れる涙が止まらない。
女性の胸で泣くなど、それこそ立場があべこべだ。
なのに止めどなく溢れる涙に、心の膿が剥がれていくような気がして、九郎はどうする事も出来ない。
抱きしめる胸が濡れて行くのをシルヴィアは九郎の頭を軽く何度も叩いて歓迎する。
「ええよええよ。儂にまで強がらんでも、儂はお主が泣き虫じゃってことも、よー知っとる……」
訳も分からず涙を流す九郎を、優しくあやしながらシルヴィアは言葉を続け――
「レイア嬢の事……気にしちょるんじゃろ?」
九郎の心に溜まった膿を掬った。
九郎の涙がピタリと止まり、覚えた焦りに顔を上げる。
美しい少女達が、自分に溢れんばかりの好意を向けて来てくれていた。
なのに度々落ち込んでしまっていたのは、九郎は今の幸せが『レイアの犠牲の上に立っている』と感じていたから。
リオを助けた動機である、『幸せを分かち合いたい』との強い思いが、一人浮かれる事に後ろめたさを感じさせていた。
決して誰にも言えない九郎のエゴ。
誰も幸せになれない、歪んだ想い。
「お前の所為で俺は幸せになれない」「あいつが泣いているから笑えない」
そう言っているのと同義である。
だがそれでも、九郎は誰かが泣いている傍で笑えない。
愛する人が皆笑えて、初めて自分に幸せになる権利が与えられると感じていた。
「なんで知っちょるっちゅう顔じゃな? 儂も早う皆と仲よーならんといかんて思うてな? あのめんこい子ら……クラヴィスとデンテに聞いたんじゃ。あの子も……クラヴィスじゃな。あの子もコルル坊の心に気付いとるようじゃったぞ? ベル嬢も心配しちょったって言うとった。コルル坊は隠せてると思うてたんかも知らんが、お主は結構顔に出やすい……。なんじゃ? やっと気付いたんか?」
九郎の頬をペタペタ触って引っ張りながら、シルヴィアは意外そうに言いやる。
自分が腹芸の出来るタイプで無いのは知っていたが、そんなに多くに人に見ぬかれていたとは思ってもおらず、九郎は眉を落とす。
痙攣している頬が、あれからずっと笑顔を作り続けていた事の証明になっていた。
「儂はな……本音は今すぐお主に抱かれたい。コルル坊に女にして貰いたい。ずっと思い続けちょったんじゃ。もうこうしちょるだけで、心臓が飛び出そうなくらいドキドキしちょるし、恥ずかしゅうて言えんことになっちょる。このまま抱かれてお主の心が少しでも軽うなるんじゃったら……とか言い訳ばっかり頭に浮かんできよる……」
九郎の顔をぐにぐに揉み解しながら、シルヴィアはとうとうと語って来る。
言っていて恥ずかしくなったのだろうか、見る見るうちに顔が赤く染まり、もじもじと足を動かす仕草に、隠し切れない発情の思いが伝わる。
「でもな? 儂が好きになった男は、笑っちょるほうが似合うとる。儂の初めては、笑顔のお主に捧げたい……。慰めるんじゃのうて、未来を見つめるお主に抱かれたい……。贅沢かの?」
それでもシルヴィアは開き直って、九郎を真正面から見つめて問いやる。
いつも慰め続けてくれた慈愛の瞳はそこには無く、項垂れしょぼくれていた男の尻を蹴飛ばす顔がそこにあった。
多くの男はシルヴィアを「面倒臭い女」と思うかも知れない。
しかし九郎はそうは思わない。
意思の強い眼差しの中には、九郎を信じるシルヴィアの思いが込められていた。
誰かが泣いている傍では笑えないのなら、嗤わせてからここに来い――シルヴィアの言外の言葉を受け取り、九郎の顔が引き締まる。
「儂は焦っちょらん。順番にも拘らん。コルル坊が儂にべた惚れっちゅうのは確信しちょるからのぅ?」
顔つきが変わった九郎を確かめ、シルヴィアはもう一度だけ軽い口づけを寄せると、シシといつもの笑みを浮かべた。
九郎はシルヴィアを力いっぱい抱きしめ体を離す。
「すまねえ、シルヴィ! 目が覚めた!
初夜を断られた男の顔とは思えない顔で、九郎は情けない言葉を口にする。
シルヴィアは目を細めて九郎の目尻に溜まった涙を拭い、送り出すように突き放す。
「慰めるだけじゃぞ? っと……わわわ……」
次の瞬間九郎の体がぐらりと傾き、シルヴィアは慌てて九郎の腕を掴む。
そこに命が宿っていない事に気が付き、シルヴィアは死体の九郎の頬を
「お主に惚れられて逃げられる女なぞ、そうおりゃせんわい……」
柔和な笑みと共に小声で呟いた。
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