第284話 シーソーゲーム
「なああああっ!?」
雄一の喉から驚きの声が漏れる。
雄一の足元に罅が入った次の瞬間、謁見の間が大きく揺れて大地が裂けた。
九郎を圧し潰そうとしていた圧力がガラガラ音を立てて崩れていく。
「カクさん!」
九郎の口からは
「がぁああああああああ!!」
その声が終わらぬ内に、獣の唸り声を伴い黒い影がベルフラムを攫って行く。
欠片を通して見ていた九郎も捉えきれない。
まさに消えたかと思うスピードでベルフラムは謁見の間の角に移動していた。
「クラヴィス!」
九郎の目端に涙が浮かぶ。
ベルフラムを抱きかかえたクラヴィスが、雄一を睨んで唸り声を上げ、尻尾を膨らませていた。
「まったく……幼子を置いて戦場を任せるなど……吾輩を子守か何かだと思いよって……吾輩張り切り過ぎてしまうぞ?」
カクランティウスが肩を竦めて片目を瞑っていた。
九郎がベルフラムの胸に転移する直前、九郎達は雄一の別の妻との戦闘の最中にいた。
普段であれば絶対にしないであろう、クラヴィスとデンテを放り出して、ベルフラムの元へと駆けつけた九郎。そこには九郎が誰よりも頼りにする『
「女の後ろにこそこそ隠れていては、英雄の名が泣くぞ? しかし吾輩……とことんまで『来訪者』に縁があるようだ。ただ……貴様は我が妻とも……剣を交えた敵にすら思えぬ愚物。我が名はカクランティウス・レギウス・ペテルセン! 『紫雲の魔王』の名に於いて、貴様を世界から抹消してくれる!!」
ギラリと歯を覗かせたカクランティウスが名乗りをあげる。
巨大なハルバードを構え悠然と立つ姿は、頼もしい所の話では無い。
その横には金槌を振り切った体制のデンテ。クラヴィスを打ち出したであろう金槌は、九郎が身を守る為にと買い与えた当時の物。
「ほう……貴様も『不死者』か? なれば不思議な事を叫んでいたようだな? 時間稼ぎが何もならないとは……貴様は
カクランティウスが雄一を睨んで、挑発する。
50年もの間封じられていた状態でも叫び続けた彼そのものが、足掻き続けた『不死者』の答え。
その畏怖堂々とした佇まいは、『不死者』として生まれ、『不死者』として300年以上生きてきた『不死の魔王』に相応しいものだった。
☠ ☠ ☠
「――はん……」
九郎の窮地を助けたカクランティウスの登場に醒めた溜息が続く。
心底白けたと言わんばかりの溜息は、謁見の間の温度を数度下げたように感じられた。
「んだよそりゃ……揃いも揃ってよぉ! 俺の楽しみを奪おうとしやがって……。あーあ、ムカつく……ムカつくムカつくムカつく」
目の前に迫った勝利の瞬間が突然攫われた格好になった雄一は、苛立ちを募らせた様子でブツブツ独り言を呟き始める。
呪詛の様な繰り返される悪態の声は、どんどん大きく成って行き、叫び声に変わるのに左程の時間はかからなかった。
「イケメンってのは良いよなぁ? 黙ってても助けてくれる奴がわんさか出てきやがってよぉ! 俺らみたいなブサメンは、ちーっとも助けもしようとしねえくせによぉお! 何がウェーイだ! 何がパーリィだっ! 五月蠅くしてりゃあ陽キャだって思いやがって! うっぜええんだよ! お前らは黙って汚ギャルでも孕まして、土方でもしてりゃいいのによぉ!!」
それはもはや嫉妬を超えた、雄一が抱いていた憎悪の集大成とも言える、世間に対する愚痴だった。
延々と思い通りに行かない事への恨み言を叫び続ける雄一は、ゆっくりと片手を掲げ――、
「ぱぁん」
あっけなく引き金を引く。
自身の保身も思い至らず、人の命を鑑みる事無く。
手の中に残ったレイアの命を放り捨てる。
元から他人の命など、雄一にとってはゴミクズ同然。20年以上引きこもり続けていた孤独な男に、他人の命は見えていない。
「おいオッサン? おめえ所為で今アイツが拘ってた女が死んだぞぉ? 俺の所為じゃねえよぉ。お前が殺したんだよぉ! 俺が折角お慈悲をくれてやったってのによぉ? 何も知らねえのにしゃしゃりでてきたから……あーあ! 知らねえぞぉ? 仲間割れでもして……ろ……ゃ……」
そして命を見ないその目は、他人の死に喜悦を浮かべる。
しかし――さも面倒臭そうに肩を竦めて振り返った雄一の目に、望んだ光景は映っていない。
「カクさん……助かったぜ!」
九郎がレイアに胸を貫かれたまま親指を立てる。
巨大な氷の槍にハヤニエにされていると言うのに、九郎の顔には僅かばかりの安堵が浮かんでいた。
二つの命を必死になって守っていた先とは違う。
カクランティウスが五十六の腕を切り落とし、尚且つクラヴィスがベルフラムを雄一から遠ざけた事で生まれた、僅かな九郎の空白の時間。
九郎はすかさずレイアの胸に浮かぶ紋章を削り取っていた。
レイアの胸に九郎の手の形が、再び生々しい傷跡となって浮かび上がる。
皮膚を削り取った痛々しい傷跡から、命を繋いだ証が滲む。
レイアの『支配』を解くのが先か。
一瞬迷った九郎だったが、命を何より優先させた九郎の信念が、呆気なく潰える筈の命を繋いでいた。
内臓の無い乾いた蛙のようだった九郎の体から、蒸気が立ち昇る。
氷の槍を溶かして九郎の体が床に降り立つ。
「テメエが何シャガってたんキャああ!」
雄一の口から放たれる化鳥の声で、戦いの第二幕が上がる合図となった。
☠ ☠ ☠
「アール! ナナ! そいつにババアを渡すんじゃねえ!!」
雄一の言葉に、それまでファンネルのように彼の傍から離れなかった3人の幼女、そのの内の茶色のショートヘアの幼女と黒髪の幼女の2人が動き出す。
雄一が最後まで手元に残した
アインスとアールは『支配』していた期間の長さから。ナナは元来持っていた魔力の多さから、単騎で一個師団を相手に出来る実力を持っていた。
『来訪者』の五十六と比べれば霞んでしまうが、雄一の『
ショートヘアの
「ぐあっ!?」
風の刃がナナの鉄扇から放たる。
九郎にも見覚えのある容姿。
ただ九郎も、あの時のように何も出来ずに吹き飛ばされたりはしない。
直ぐに別の自分の欠片に転移し、レイアに追いすがる。
「だだだだだっ!?」
その横っ面に、アールの矢が突き刺さり、九郎を針鼠に変えていく。
細腕から放たれたとは思えない程の威力。九郎がそのまま壁に激突する。
レイアの胸に施された紋章を削り取る為に、九郎はレイアの胸に降り注いでいた全ての血と、一度別れを告げなければならなかった。
レイアが血濡れになった状態で『|運命の赤い
一瞬の間に九郎が出来た事と言えば、自分の手を噛み砕いてレイアの胸に添えることだけ。
レイアを再び雄一に取られてしまっては、元の木阿弥。カクランティウスの稼いだ時間が無駄になると、九郎は必死になって体勢を立て直す。
「クロウ様!」
「下がってろ! クラヴィス! ベルの護衛を頼む!」
九郎の元に駆け寄ろうとするクラヴィスを止める声にも余裕は無い。
「デンテをお傍に置いてます! 私も戦います!」
「危ねえだろ! 言う事聞け! それよりもベルを遠くに!」
「逃がす分けねえだろうがぁぁああああ!!」
二人の言い合いに雄一が口を挟む。
望んだ光景が見れなかった雄一は、再びそれを叶えようと癇癪をおこして駄々を捏ねているかのようだ。
「すまぬ! 三本そっちに行った!」
四方八方に打ち出した水の槍の多くを、カクランティウスの土の壁が阻む。
「んだらっ! 『
九郎の思い描いた最悪は、一歩希望に歩を進めていた。
しかしレイアが『支配』されている状態なのは変わらない。
戦いは6対4と人数の差でも後手に回り、依然不利は脱していない。
「邪魔すんじゃねえぇえ! せめて女くらい殺させろよぉぉお!!」
「貴様の言葉は我等魔族を愚弄する! しゃべるな! 騒ぐな! 息をするな! 誰の腹から生まれたのかも知らぬとは言わせぬ!!」
カクランティウスが五十六と雄一を相手取り、獅子奮迅の活躍を見せていた。
九郎では手も足も出なかった『来訪者』二人を相手に、土の魔法で石垣を築き、それを足場にハルバードを振り回して気焔を吐く。
ただいるだけで国家すら退けてきた魔王の名は伊達では無い。
誰か一人でも殺そうと躍起になる雄一を牽制しながら、巨大な五十六の拳を受け止める力強さ。その傍らで雄一が放つ魔法の多くを叩き落としているのだから、その凄さは計り知れない。
ただ流石に雄一を攻めるには手が足りないのか、再生を繰り返す五十六との相性が悪いのか、その横顔は固く険しい。
九郎の方も、雄一の虎の子の相手で苦戦を強いられ続けている。
ナナは一度九郎を完封した実力者。アールの動きも捕えきれない。
加えて二人の攻撃方法が範囲攻撃というのが、九郎を窮地に追い込んでいく。
大事な人の命で九郎の両手は一杯だ。
「私しつこい男は嫌いなんですぅ……。ストーカーで警察呼びますよー……」
氷の
その頭上には雄一の魔法が迫っていると言うのに、それを受け入れるかのように動かない。
「雄一、てめえいい加減にしやがれっ! ストーカーはテメエだろうがっ!」
その魔法に向かって九郎は飛びかかり、身を呈する。
九郎の体に水の槍が突き刺さる。
背中からレイアの槍が九郎を貫き弾き飛ばす。
謁見の間に九郎の死体が大量に打ち捨てられていく。
そこに魔法や矢が降り注ぎ、床が赤く染まる。
「ぬっふっふ。感じます、感じますよぉ。いるじゃないですかぁ、雑兵がまだぁ~。はいはい集合しなさい。遅れたら体が無くなりますよぉ!」
そしてそこに新たな異物が混ざり込む。
カクランティウスを相手に手を拱いていた五十六が、皮だけの顔を歪めて嗤うと、店員を呼ぶような仕草で手を打ち鳴らした。
「むっ!? アンデッドだというのに白の魔法!?」
カクランティウスが驚いた様子で呻き声を溢す。
謁見の間に、大勢の人の息遣いが湧き始める。
ざわめきの音は天井を打つ雨音と混ざって、怨嗟の声を紡ぎだし――、
(くそ……これも俺の所為か!)
九郎の頬に汗が流れる。
罪を感じていなくても、これは自分の業が成した結果に間違い無い。
周囲に響きはじめていたのは絶叫は、昨晩聞いたばかりの――殺した筈の男達の呪いの言葉の続きだった。
床が罅割れ九郎の流した血の海の中から、土くれの化物達が姿を現す。
「センセェ! やんじゃねかぁ! こんな事が出来んだったら早めに殺しといたのにぃ!」
雄一がその光景に残虐な笑みを浮かべる。
雄一が五十六をアンデッドにした時に引き寄せられたのか。それとも五十六がアンデッドになった事で親和性が生まれていたのか。
次々と現れる、九郎が昨夜に殺した者達のなれの果て。
因果の果てに苦しみ抜いた魂は、生前の酷薄さ故か、九郎への恨みの為か命の廻りを拒まれていた。
一瞬にして情勢は再び雄一の有利に大きく傾く。
しかしこの時の戦場は、嵐の海の小船のように揺れ動いていた。
「――『白の理』ソリストネの眷属にして、罪を量る天の天秤! 罰せよ!
『リーブラ・ルクス・フォルティア』!!」
凛と響く鈴の音の声が響いた瞬間、何も無い空間から白い羽が舞い散り始める。
その羽に触れた赤い土くれが、乾いたように萎れていく。
「「ミスラっ!?」」
九郎とカクランティウスの口から、同時にその名が放たれる。
悲惨な戦闘が行われている最中に飛び込んできて、白の魔法を使う者など二人は一人しか思い当たらない。
「嫌な感じがしていると思えば……『
ミスラが、謁見の間の扉を押し開け、眉を顰めて呟いていた。
「おお……こやつがあの伝説の……っとミスラ……お主その格好は……」
カクランティウスが五十六を睨み、絞り出すように呻く。
ただ父親としては娘の格好の方が驚きだったのだろう。
そこに立つミスラの格好は、まるで裸ワイシャツそのものと言えそうな、扇情的なものだった。
九郎もレイアの一件が頭を過り、乱暴されたのかと顔を青褪めさせる。
「ああ、これですか? まあ、
当のミスラはすまし顔で顔を赤らめ、良く分からない言葉をもごもご言う。
話す内容はさておき、その表情はつい先程も九郎を落ち着かせた、柔和な笑みだ。
女性が戦いの場に来ることを、心からは喜べない九郎ですら、安堵してしまいそうになる自信に満ちた表情。
ミスラの実力は昨日充分知らされている。九郎の知る中では上位に位置する実力者であり、カクランティウスと同じく『
戦闘時に於いて『不死者』の仲間の登場は、安心感が他とは比べ物にならない。
「あ、クロウ~! 会いたかったよぉ! 聞いて聞いて! シルヴィアさん見つけたよ! ねえ、クロウ? ボクね……なんだかもうデキる気がして……いてもたってもいられなくて……飛んできちゃった! だって疼いて仕方なかったんだもん! って……何これ? 」
「アネサン……待ってえな……。2日の距離を一日でって……無茶苦茶や……。後ろ引き千切ってもうてるん気付いてって……うわ!? えっぐ! どうしたん?」
そしてミスラは更なる吉報を九郎に齎す。
場違い過ぎる暢気な声が続いて響き、アルトリアが九郎に向かって手をブンブン降っていた。
龍二が息も絶え絶えと言った様子で部屋に踏み込み、広がる光景に目を瞠っていた。
「急いでいたので説明を省いてしまいましたが……連れて来て正解のようですわね?」
ミスラが九郎に向けてドヤ顔を合わせたウィンクを送って来る。
ドヤ顔を浮かべて然るべきだと、九郎の顔にも歓喜が浮かぶ。
アルトリアと龍二の強さに説明はいらない。
『
「ああ、ご挨拶する必要も感じませんが、一応。ミスラ・オウギ・ペテルセンと申します。貴方のお人形さん達は
部屋中の視線を一手に受けて、ミスラがドレスを摘まむ仕草をして礼をする。
下げた頭を再び上げるミスラの顔には、冷酷な笑みが浮かんでいた。
隣で龍二が「うっわ……」と呟き顔を顰めているのを見るに、何かの意味を含んでいるのだろう。
「テメエが……テメエが……テメエが俺の邪魔を」
その言葉の意味が分かったのか、雄一はわなわな震えてミスラを睨む。
その手に握られた土の弾丸がミスラに向かって解き放たれる。
「まあ! 初対面の女性にそんな視線を送るものではありませんわ! そんな事ではおモテにならないでしょう? 分かっておりますとも。見れば分かります。少しはクロウ様を見習っては? まあ幼子を拐わかして言う事を無理やり聞かせる輩など……男としてと言うより人として最低なので、振り向いてくれる女性など皆無でしょうケド……」
危ない! 九郎が叫ぶ時間も無くミスラの顔面が消し飛ぶ。
しかしミスラは全く動じる様子も見せず、クスクスと嗤いながら雄一を煽り続ける。
「うるせえええ! うるせえ! うるせえ! うるせえ! 好きにすりゃいいじゃねえか! 夫の役に立たねえ妻なんざ、何の価値もねえ! 戻って来ても廃棄処分だっらぁぁ!」
教鞭を振るう教師のように、動きながらも挑発を止めないミスラに向かって、雄一は遮二無に魔法を放っていた。ミスラの言葉が彼の逆鱗に触れていたのは間違い無く、今迄自分を追い詰めていたのが、ミスラの仕業だと知らされた怒りで、我を忘れたかのようだ。
「まあ! まあ! まあ! 正論に対して癇癪を起すことでしか反論出来ないのですか? それではまるで子供……ああ、だから子供にしか興味が無いと……」
雄一は頭に血が登っているのか、魔法がミスラの体をすり抜けている事に気付かない。
何より龍二が別の場所を見つめて顔を引きつらせている事で、ミスラの無事は間違い無い。
「うるせえええええええええ!!!」
雄一が扉に向かって猛吹雪を繰り出す。
それは吹雪と言えど紫電を伴う雹の津波。謁見の間に轟音が鳴り響き、もうもうと土埃が舞い上がっていた。
「もう! なんなのさ! いきなり酷く無い? 大丈夫? ミスラちゃん、あとリュージ」
「オマケみたいに言わんといて……」
土埃の中からアルトリアの憤りの声が響いていた。
煙が晴れると現れる、黒い球体。ブンブンと響き渡る羽音は徐々に大きく響きはじめていた。
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