第283話  足掻き迷い抗い続ける者


「さあ、再戦と行こうじゃねえかぁああ! 雄一ぃ!!」


 ベルフラムの胸に下がるペンダント忘れていた欠片から再生した九郎が、雄叫びを上げる。


 一瞬にして開けた九郎の視界に映るのは見覚えのある調度品。隅々まで調べていた昨夜も訪れた王宮のど真ん中。そこは謁見の間と呼ばれる大広間だった。

 昨夜調べた時には雄一の姿など影も形も無かったのに……九郎は苦虫を噛み潰した表情で奥歯を噛みしめる。

 それが単に雄一が自分の承認欲求を満たすために、王座の真下に自室を作って引き籠っていたにしても、煮え湯を飲まされ続けていたのは九郎も同じ。


 憎悪の瞳を向けてくる九郎に、雄一の顔が引きつる。


「なんでてめえがそこから現れてんだよぉ!!」


 雄一の喉から悲鳴が悪態となって漏れでる。

 恐怖と憎悪と歓喜の狭間で揺れ動いていた雄一の心が、再び恐怖を選択していた。

 足掻いた末に手に入れたレイアとベルフラムと言う二つの勝利の鍵。それに一瞬浮かれてしまったが為の、気の緩みが尚更恐怖を掻き立てる。


 対峙した二人の『来訪者』を歓迎するかのように、拍手喝采を思わせる大きな音が鳴り響く。


 それは天井に嵌まった色ガラスに降り注ぐいつのまにか大降りになった雨の音。

 命ある者は数人しかおらず、意志ある者の数は更に少ない。


 赤い絨毯、煌びやかな兵士達の像。高く聳える大理石の女神像の柱と、金糸で縁どられた豪奢なカーテン。

 その場は奇しくもレミウスの謁見の間。立ち位置も完全の同じ。

 九郎がガラスを突き破って現れた時の雰囲気と、酷似していた。


「イケメンだかんな! 仕込んでたんも忘れったけどそう言うモンなんだろ? お前に言わせりゃよぉっ!!」


 尻餅を着いたまま、信じられない速さで後退る雄一を睨みながら、九郎は体からナイフを取り出す。

 一瞬の隙をついてレイアを捕まえようとしたのだが、レイアは雄一を守るように一緒に距離を開いてしまっている。再生が見えた時点での雄一の反応が驚くほど素早かったのが、九郎にとっての誤算だった。

 

 九郎の方も余裕など欠片も無い。

 必死に足掻き、ただ一つの蜘蛛の糸に飛び付いたに過ぎない。

 足掻いた末に飛び込んだ窮地。未だ後の展望は闇の中だ。

 人質としてレイアを取られている以上、選択肢は限られている。


「うぐっ……ああ゛あ゛あ゛!!」


 九郎はナイフを自分の腹に突き立て横に薙ぐ。

 雄一の目が見開かれる。いきなり現れて切腹しだしたのだから、驚きもするだろう。

 自傷の痛みは果てしなく、神経が悲鳴を上げて抗議を脳に届けてくる。


「ら゛ぁあああっ!!」


 しかし九郎はお構いなしに切り開いた腹に手を突っ込み、腸を取り出し後ろに放り投げる。

 ベルフラムが小さく身を竦ませたのが感じられた。

 だが九郎は気にしない。

 例えこれでまた、過去、あの日と同じように彼女に恐れられようとも・・・・・・・・構うものかと、一気にベルフラムに内臓をぶちまける。


(化物は化物らしく覚悟を決めやがれってんだ! 良いように・・・・・見られようとすんじゃねえ! 俺の両手はでかくねえぞ!)


 自分を叱咤し、九郎は心の中に湧き上がってくる恐怖を無理やり押し込める。。

 ベルフラムとレイア。二人もの命を救おうしているのに、九郎は手の届く範囲しか守りきれない。

 ベルフラムは何かの薬か魔法を使われたのか、動けなくされている。

 ベルフラムを守りながらレイアを取り戻す。

 心に決めていたのなら、躊躇っている時間は無い。


 ベルフラムの胸元の欠片は既に再生の起点としたから失われている。

 新たな肉の壁の設置は九郎にとっての必須事項だ。

 あれだけの好意を向けてくれていた少女が、再び自分を化物と恐れてしまう可能性を想うと、九郎の心は冷たくなる。

 しかし形振り構っている場合では無い。嫌われても構わない。それでも自分は彼女達を救いたい。


 九郎の頭の中はそれだけだった。


「さあ、とっととレイアを返しやがれ! 化物同士……タイマンと行こうじゃねえか!」


 九郎が首を鳴らして雄一を睨みつける。

 その背後で腸がまるで意思を持ったかのように、ベルフラムの体に巻きついて行く。

 包み込むようにベルフラムの体に纏わりついた腸に、微かに優しい指の感触が伝っていた。


☠ ☠ ☠


「ひぃぃぃっ!!」


 九郎が怒声を上げた事で雄一が咄嗟に水の槍を放つ。

 彼にとって一番頼れる術も、九郎が体を炎に変質させれば瞬く間に蒸発する。

 九郎も余裕は無かったが、雄一も慌てふためいていた。どちらの側も切羽詰まっており、取れる手段を根こそぎ使っている状態だった。

 ただそれは、少なからずとも九郎に対して有効な手立てだった。

 ダメージは全く無いが水流に押されて、九郎も前に進む事が出来ないでいた。

 血の一滴でも付着すればそこを起点に出来るのに、水で後方に洗い流されてしまって、九郎も焦りに顔を歪める。


「くそっ! なんでっ! なんで穴が開かねえんだ! いつも通りクパッと開きやがれよぉぉぉ!!」


 雄一がパニックに陥りながら悪態を吐く。

 絶望と勝利の間を激しく行き来した雄一は、水の弾丸を放つと共に、何度も転移の術を試していた。逃げ道を塞がれ、それどころか得意の一手を封じられている事にも気付かず、何度も何度も魔法を使う。


 雄一は九郎の不死性を今でも心底恐れていた。芥子粒の大きさから復活し、神の兵士ですら倒せない。いきなり現れた不死者相手に平静など保てない。


 レイアだけでも連れて逃げれば――一度体勢を立て直そうとした雄一は躍起になって拳を握る。


「くそっ! あいつらはっ!」


 焦りの中で雄一は妻達の視界を繋げようと意識を集中させる。

 出来なくなってからは、どんどん興味を失っており、もはや襤褸雑巾のように使い潰していた妻達。今更縋るというみっともなさも、この男は感じない。


 転移の魔法は望む場所に移動する術では無く、あらかじめ準備が必要となる術だったが、雄一に限って言えば別の移動方法を持っていた。

 雄一との繋がりが顕著となる『寵愛』された者達は、雄一の手の中にあるのと同義となる。

 それは自身の傍を意味しており、転移陣と同じ効果を持っていた。

 レイアとの繋がりが出来た時直ぐに転移の術が使えたのは、そう言うカラクリがあってこそだ。


 ただ、雄一の頼みの綱は断ち切れていた。

 たった一人で人形遊びに耽っていた雄一と、意思のある人々との繋がりを作って来た九郎の、両者の人に対する想いの違いが雄一の退路を封じ込める。


「なんでいっつも肝心な時に役に立たねえんだよぉ!」


 雄一が必死に手駒を探っても、外に向かわせていた妻達からの反応は返って来ない。

 雄一は苛立ちに声を荒げて癇癪を起す。

 ただやはり、人質を手中に収めている雄一の方が有利なのは変わらなかった。


「動くな!」


 苦し紛れに放った雄一の言葉で九郎の足が止まる。

 どちらも追い詰められた状態の中で、雄一が放ったその一言は――レイアにかざした掌は、九郎の動きを封じるだけの十分な威力を持っていた。


(分かっていた事とは言え、こっからどうすりゃ……)


 レイアに向けられた雄一の掌を睨みつけ、九郎は悔しさに奥歯を噛みしめる。

 雄一の悪辣な性格を嫌と言う程知っていた九郎としては、当然予想していた手だった。雄一が慌てふためいている間に何とかレイアを捕まえようとしていたのだが、その作戦はあえなく失敗している。

 レイアは既に雄一の『支配』に囚われており、かなり無謀な挑戦なだと言うのも分かっていた事だが、それでも悔しさは隠せない。


「お前も不死だった……てことはねえよなあっ! なんで生きてんだよ! アンデッド化してんのか?」


 レイアを人質に取られた以上、迂闊な行動に出られない。

 九郎は仕方なく口だけを動かす。頭の中では必死に別の手段を見出そうとフル回転しているが、中々妙案が思い浮かんでこない。欠片をこっそり近づけようにも、雄一の目は忙しなく九郎の後ろを動いており、血の一滴、細胞の一粒すら近づけまいとしている。


(一度見せちまった手は使えねえか……)


 ベルフラムの胸元から現れた時点で、九郎も何となく気付いていた、雄一の恐れの感情。

 雄一も九郎に近付かれたら終わりと言う事を、身に染みて分かっているのだろう。

 だが相手の得意な手も封じている以上、このまま睨み合いになるのだろうか。

 九郎がふとそう思ったその時、雄一の口角が歪に引き上がる。


「アンデッド! そうだよなぁ~。あんじゃねえか! まだまだ奥の手がよぉ!」


 雄一が喜悦の歪んだ笑みを浮かべて両腕を掲げた。

 その瞬間地鳴りが謁見の間に響き渡り、床が大きく振動しだす。

 地震の魔法かと九郎が構えた瞬間、謁見の間の壁が崩壊する。

 壁を壊して現れた怪物を目にして、九郎の口から苛立ちの叫びが零れ出る。


「くそっ……俺はどうしてこう詰めが甘えんだっ!!」


 謁見の間を崩して現れたその化物は、人だったもの。

 人の形をしたゴミ袋。

 うねうねと蠢く蛭でパンパンに膨れた――昨日殺した桂 五十六だったもの。


 死はこの世界での終わりでは無い。その後に続く道があるのだと言う事を、何度も目にしていたと言うのに。仲間にも大勢の死を超えた者達がいると言うのに。

 何故この可能性を思い浮かべなかったのかと、九郎は苦悶の表情を浮かべる。

 全てが終わったと思って放置していた死体は、再び九郎の目の前に立ちはだかっていた。


「あんらぁ~、センセェ! 元気そうじゃねえかぁ! ちょっと見ねえ内に太ったぁ? お前をこんなにしちまった奴が、目の前にいんぜぇ?」


 雄一が五十六の死体に向かって嬉しそうに手を掲げる。

 五十六の死体が壁を突き壊せたのは、その体に今も張り付き続けている瓦礫や壁の残骸。それに自分で生成しているのか、中空に生まれた輝く金属が五十六の死体に纏わりついていく。

 みるみる内に五十六の体が瓦礫と鉱石に埋もれていく。


 数秒を経て出来上がったのは、九郎が王都に来て初めて目にした『魔動人形ゴーレム』。フォルテが指さした『土人形アースゴーレム』を大きくしただけのような、不細工な出来の巨大な人形だった。


 その胸元に埋まった五十六の双眸からは、未だに『食肉蛭エクリプスリーチ』が出たり入ったりを繰り返している。だと言うのに。五十六の顔が笑みの形に歪んで行く。


「よォぐぅもぉお゛ヤっでぐれましたねぇ! ゼンゼ、悪いコは嫌いでずよぉ!」


 五十六の口から『食肉蛭エクリプスリーチ』のキイキイ蠢く音に混じって、地獄の亡者の声が漏れる。


「さあさあ、センセ。好きなだけいたぶってやりなぁ!」


 雄一が五十六と同じように口の端を吊り上げた。



☠ ☠ ☠



 巨大な五十六の瓦礫の腕が九郎の横っ面を弾き飛ばす。

 九郎の首は千切れ飛び、壁に赤い花を咲かせる。


「ひゃぁあっはっはっは! いいよぉセンセ! かっこいいぃぃぃいい!」


 アプサル王宮の謁見の間に、雄一のはしゃいだ声が響いていた。


「さて……死んだかなぁ?」


 両手を叩いて歓声を上げていた雄一が、思い出したかのように水の弾丸をベルフラムに向かって放つ。


(くそっ!)


 ベルフラムを取り巻いていた九郎の腸が蠢き、水の弾丸を受ける。

 

「ん~。まだんでいないみたいでちゅねぇ? 続いて上から押しつぶしてみようかぁ? 抵抗すんじゃねえぞぉ? ほれほれぇ!」


 頭上から振り下ろされる瓦礫の拳を九郎は全身で受ける。

 ベチャリと悍ましい音を上げ、九郎の体が拉げる。


 一瞬にして九郎はやられ放題になっていた。

 五十六の攻撃に合わせてその掌を何度も削り取ったり、『青天の霹靂アウトオブエアー』で砕いたりしてはいたが、アンデッドと化した五十六の掌はその度に再生していた。

 核となっている五十六の死体をどうにかしなければ、全くダメージを与えられないのだろう。

 死を偽装する事も、雄一が合間合間にベルフラムを狙う事で封じられてしまっている。


 九郎は不死。死ぬ事はあり得ない。ダメージだって蓄積しない。

 しかし眼前に迫る相手もまた不死の怪物。

 防戦一方の九郎に気を良くしたのか、雄一は新たな一手を打ってくる。


「遊びはここまでにしようかなー。ほれ、サービスしてやろうじゃねえかぁ?」

「てめえっ! なにしやがる!」


 雄一がレイアの着ていた衣服の胸元を剥ぎ取る。

 レイアの豊かな胸が剥き出しにされる。

 九郎の怒声を嘲笑うかのように、雄一はレイアの胸を押し上げ手を当てる。

 レイアの躰に唯一残ったままだった、九郎の掌の火傷の痕。その痕に上書きされるかのように、奇妙な紋章が浮かび上がる。


「別に俺、年増趣味じゃねえしぃ? こんなババア興味ねえしぃ?! ただ俺の気分を損ねたら……その紋章から俺の魔法が内側・・に向けて破裂すんぜぇ? 気を付けて扱えよぉ?」


 レイアの命を握ったままレイアを差し向けてくる雄一に、九郎は苦悶の表情を浮かべる。

 レイアは虚ろな目をしたまま、氷の槍を携え近付いてくる。


「クロウさん……私待ってた。犯されている時も……貴方だったらってずっと思って耐えていたの」


 レイアが虚ろな目を細める。

 九郎の顔が弱々しく歪む。

 九郎とレイアの別れを知らない雄一が言わしているであろうことなど分かっていても、その言葉は九郎の心に突き刺さる。

 まるで愛しい人と再会したかのような足取りでレイアが九郎に駆け寄り――。


 ズブリ……


 レイアの氷の槍が九郎の心臓を貫く。


「ぐあっ……」


 九郎の口から苦悶の声が漏れる。

 心臓を貫かれる痛みなど、とうの昔に慣れていたが、直接心臓に流し込まれる毒の痛みは味わった事が無かった。九郎の四肢が強張り血が結晶化していく。


「見られてたら勃たねえってかぁ? 繊細だなぁオイ! 仕方ねえなぁ~、センセ二人っきりにしてやんな!」


 雄一の言葉に応えるように五十六の大きな腕が左右から迫る。

 まるでレイア共々圧し潰そうとするかのような手を、九郎は両手を広げて受け止める。

 ガラスを砕いた音が腕から鳴る。

 九郎は即座に腕を再生させて、体を圧し潰そうとしてくる圧力に耐える。

 巨大な瓦礫の圧力は徐々に徐々に高まって行く。

 一瞬の気も抜けない。九郎は動くに動けない。

 力を緩めれば最後、レイアが潰されてしまうからだ。


 ズブリ……


 両手を広げた九郎の胸に飛び込んでくるかのように、レイアが再び体を預けてくる。

 九郎の口から血が零れる。


 ズブリズブリズブリ

「がっ! だっ! ぐぁ!」


 レイアはその手に持った毒の槍で九郎の胸を何度も何度も貫く。

 暫く肉を貫く音と九郎の苦悶の声だけがホールに響く。


「ひゃっひゃっひゃっ! 脱出しても良いんだぜぇ? そしたら俺様だ~いピンチ! やられちゃうだろうなぁ~。怖いよぉ。でもそのババアはペチャンコだろうなぁ~。捨てちまえば良いんじゃねえのぉ? お前を攻撃してくる女なんてよぉ?」


 雄一は興奮したように嘲りの言葉を言い放つ。

 九郎が思った通りの男だった事が、雄一には心底嬉しく憎らしいのだ。


 自分をこれ程恐怖せしめた男にどんな復讐をしてやろうかと、雄一が4年の間ずっと考え続けていた憎しみを晴らす光景が、今現実となって目の前に広がっていた。


 雄一は喜悦が達した声で九郎を煽る。

 その声に含まれるのは、九郎の甘さに対する侮蔑の感情と、孤独な自分の過去から来ている自覚できない嫉妬心。

 他人を信用すると馬鹿を見る。他人を守ろうとする九郎は馬鹿そのものだと、見下す事でしか心の安寧を得られなかった雄一が考え付いた、心を圧し折る手段が完成した瞬間だった。


「はっ! 激しいスキンシップなんざ慣れてんよ! 女の拳は黙って受け止めんのが男の度量ってやつだろうがっ!」


 九郎の強がりも雄一の耳には心地良く響く。

 もう勝敗は決したといって良い状況なのだから。

 この場に至って雄一は九郎を貶める事が最大の目的に変わっていた。


 九郎がレイアを見捨てれば再び窮地に立たされるのは自分だと言う事も分かっていた。しかし、それはそれで一つの復讐が成し遂げられた瞬間でもある。

 転移で逃げる事も封じられた雄一は、もはや破れかぶれの状態。

 少しでも優位に立てば途端に憎悪が激しく燃える。

 それは部屋に紛れ込んだゴキブリか蜂を捕えた時に似た残虐な感情。

 恐怖を齎すものへの残酷さを伴う優越感だった。


「思った通りだったぜぇ! ババアと一緒に封じられろやぁ!」

「だっ!?」


 雄一が勝鬨の声を上げる。

 九郎の両手に走る圧力が更に倍加する。


「ほれほれぇ! 何処まで耐えれっかなぁ?」

「てめえ! おい、ぶっ殺すぞ!」


 脂汗を滴らせて踏ん張る九郎の横を、雄一はおどけた様子で通り過ぎる。

 向かう先はベルフラムの元。あれだけ恐れを見せていた肉片の散らばる床を、雄一は澄ました顔で歩いて行く。


 九郎が叫んで顔を青ざめさせる。

 今散らばった欠片に転移すれば、雄一を捕える事も殺す事も可能だろう。

 しかし同時にレイアを守っている肉体が死体に変わる。そうなればレイアはそのままぺしゃんこだ。


「性格悪いにもほどがあんぜ! てめえぇぇええ!」


 九郎が焦りの中で絶叫する。

 命をどちらが先に諦めるか。それが二人の勝負の鍵だった。

 自分の命など小石を捨てる程度に捨てられる九郎も、ベルフラムやレイ一つしかないアの命は捨てられない。

 憎悪を優先させた雄一が、九郎に命の選別を強制する。


「俺の命ならいくらでもくれてやっから! ベルに手えだすんじゃねえ! こいつらはもう解放してやってくれ!」


 自分の命には価値が無い。しかしベルフラムとレイアの命は、どちらも九郎にとっては大事な物。

 九郎の叫びは既に懇願に変わっていた。

 レイアを辱めた恨みも、ベルフラム達に辛い生活を強いた憤りも、男としてのプライドも自分のこれからの全てを捨てても守りたい。その想いの丈を雄一は万感の思いで嘲笑う。


「俺様はお前にそのババアをやったじゃ~ん。じゃあ俺様はベルフラムたんを貰って良いってことだろおん? イケメンだからって欲張んじゃねえ! 世界の女はお前のものって言いてえのカァ?」

「そっだらぁああああ!!」


 雄一の言葉に、九郎の欠片が一斉に雄一目がけて飛びかかる。

 雄一が水の防壁でそれを防ぐ。

 熱に氷に雷に。欠片を様々な物に変質させて抵抗するが、雄一の体を纏う防壁は貫けない。

 雄一はレイアを殺してしまえば後が無くなる――それが前提で成り立っていた緊張の糸は、雄一がレイアの命――すなわち自分の命の保証を投げ捨てた瞬間切れていた。


「うざってえなぁ! しつこすぎんだろぉぉん!!」


 欠片を通して雄一の嘲笑が聞えてくる。

 九郎が必死に集めた肉体が、風の魔法で吹き飛ばされる。

 散らばった肉体は軽い。どれだけ踏ん張ろうとも物理的な法則には抗えない。

 ベルフラムを守る腸はまだ彼女の傍にあるが、この状況で守りきれるかどうか。


 選べ――頭の中で誘惑の声が聞こえてくる。

 レイアの心は既に砕けている。どのみち生き残っても辛いだけだ――したり顔でのたまう誘惑の声が、九郎の脳裏に響いてくる。


「んなことねえ! 絶対いつかは笑える! 女を幸せにすんのは男の義務だろうが!」


 心の声に九郎は大声で抵抗する。

 こんな時、どちらを選ぶか――本当ならば九郎の中では決まっていた。

 子供ベルフラム大人レイア。優先するべきはベルフラムだと、感じていた筈だった。

 しかし姿は子供でもベルフラムは15歳。自分の所為で子供の姿を留めていただけであり、九郎が大人と見る年齢に達している。それが九郎の中で葛藤を生む。

 レイアが辿って来た悲惨な日々。不幸なままに人生を終えるなど有ってはならない。その責任の発端が自分にあるのだからと、葛藤が鬩ぎ合う。


 どちらの幸せも守りたい。優柔不断なのは分かっていても、九郎はどちらも諦めきれない。


「諦めろよぉ? 時間稼ぎしてたって何もなんねえよ!」


 圧力に耐えている肉体も、雄一を阻んでいる欠片も、力を抜いたら即座に終わる。

 ベルフラムとレイアの命を少しでも長引かせる為の、九郎がしているのは最後の足掻き。


「諦めねえ! 俺は……俺は『フロウフシ』だ! 諦めちまったら俺は何の為に・・・・・・生きてんだ・・・・・!!」


 雄一の嘲笑に九郎の肉体と腸が同時に絶叫する。

 その雄叫びは『不死』となった九郎が自分に定めたもう一つの誓い。

 化物となって尚捨てきれなかった、価値の無い命に価値を生み出す、たった一つの残された道。

 

「『黄金の扉』ベファイトスの眷属にして万象を喰らう大地の咢よ! 崩壊せよ!

    『ルイナ・ソロム・フォルティア』!!」


 低く良く通る声が響いたのはその時だった。

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