第281話 お姫様と奴隷娘
――選択肢を誤ってしまったのでしょうか――
眼前を見据えて荒い息を吐き出しながら、ミスラは千切れた腕を拾い上げる。
「うっ……くぅ……」
肩口から切り飛ばされた腕から、黒い煙が立ち昇る。
『
しかし腕を切り離される痛みは、流石に平静でもいられない。
何度味わっても辛いものだと、ミスラは眦を下げる。
(ただの子供かと思っておりましたが……認識が甘かったのでしょうね……)
魔力封じの結界が再び結ばれるのを防ぐために駆けつけてみたら、とんだ誤算が待ちうけていた。
ミスラは立ち塞がる3人の幼女を睨み、弱気の心を押し込める。
たった3人の子供――その認識は早々と崩れ去っていた。
(先行していたアルフォスとベーテは…………命の危険は無さそうですが……)
無詠唱で診察の魔法と回復魔法を使いながら、ミスラはパーティの状態を確認していく。
ミスラの命を受けて上空に飛び立ったアルフォス達は、目の前の幼女の一人に撃墜されていた。
不可視の風の魔法を喰らった二人は、死んではいないようだが動き出す気配も感じられない。気絶してしまったのだろう。
女性の『来訪者』の奴隷だった彼等が、身なりで油断していたとは考えにくい。ただ彼等の能力はミスラと比べると劣ってしまう。
それよりも遠距離攻撃が専門の彼等を先行させてしまった自分のミスが大きいだろうと、ミスラは自責に胸を痛める。
「フォルテ、リオ! 下がりなさい! あなた方では荷が重い!」
ミスラが短く命令する。
「う、うるせえ! んなこと分かってるってば! それが出来ればとっとと逃げてるっての!」
フォルテを庇ってナイフを振るうリオが、涙交じりの泣き事を叫ぶ。
アルフォス達よりも、続いて飛び込んで行ったフォルテの方が傷は深い。彼は九郎の力になろうとして、意気込みが過ぎたのだろう。彼の操る小動物の攻撃は風の魔法と相性が悪く、黒い塊と化して突っ込んで行ったフォルテは、風の魔法をもろに受けて瓦礫に叩きつけられてしまっていた。
懸命に立とうとしているが、足がふらつき今にも倒れそうな状態だ。
それを庇うリオの方が、今は戦えている。
彼女が戦う姿など初めて目にしたミスラだが、リオは意外なことに奮闘していた。
仲間の経歴も洗っていたが、リオは他の元奴隷達と違って、野盗の情婦だった期間が長い。そこで覚えた技術なのだろう、片刃の湾曲した剣を片手に必死の形相で
目に見えない風の刃も魔力感知能力の高い彼女には見えているのか、逃げ腰ながらもなんとかしのいでいる。決して向かって行こうとしていないのが逆に功を奏しているのか、今の所致命傷は受けていない。
弟の窮地にだけは臆病な性格を押さえ込み、弱いながらに引かないリオに、ミスラは少し感心する。
「くぅぅぅうう!!」
リオが眼前を睨んで呻き声を上げる。
金色の目が輝き、青緑の髪の幼女の動きが止まる。
戦えているとは言っても、リオの実力はまだまだ拙い。それでも彼女が奮闘していられるのは、『魔眼』の力が大きい。相手は魔術師。遠距離戦でリオが出来る事など何も無い。しかし『
無表情で感情など感じられないと言うのに、リオの『
それが無ければ彼女の奮闘も虚しく、あえなく倒されていた事だろう。
(青の英雄の妻達……
一番
リオが何とか一人を担当してくれているのでまだマシだが、所謂『勇者の仲間』達。『来訪者』の加護を受けた者達との戦闘で、一人で2人を相手に戦うのは骨が折れる。
ミスラは金髪青眼の幼女の槍の攻撃をいなしながら、戦斧を振るって来る桃色の髪の幼女と距離を取る。
『
情報は以前から調べており、ある程度の能力も分かっている。
リオが相手をしている青緑色の髪の幼女は、おそらくエイトと呼ばれる者だろう。神官服をこれでもかと言う程卑猥にした格好は、調べていた記録と合致する。
能力は見たまま緑の魔法。ただその威力は宮廷魔術師クラスである。
ミスラが相手をしている金髪の槍使いはシス。戦斧を振るって来る桃色の髪の少女はピャーチ。どちらも技量は拙いが力が尋常では無い。種族柄力に自信があったミスラが防戦一方に追いやられている。
何せ彼女達は傷付く事を恐れていない。カクランティウスや九郎。傷を覚悟で飛び込んでくる戦い方を知らなければ、あっけなく倒されていたと思う。
それでなくてもミスラは元々中衛から後衛に位置する戦い方を得意としている。
加えて今は仲間達の様子も見ながらなので、正直言って手が足りない。
「一対多数もっ……今後の稽古にっ……入れるべきでしょうっ、かっ!?」
胴薙ぎに振るわれるピャーチの戦斧をすれすれで躱し、頬を掠って行くシスの槍に眉を顰めながらミスラが愚痴る。
相手にまだ技量が無いから戦えているが、ミスラもどちらかと言うと実戦経験は少ない。
と言うより槍を構えて前線にたつなど初めての経験だ。
昨夜の王宮での戦いでは、九郎が前線で一手に攻撃を引き受けていたので、ミスラは魔法を使うことしかしてこなかった。
前線に出向こうにも九郎が「巻き込んじまうから後ろで見てろ!」と五月蠅くて、殆んど槍も持っていただけだ。
アルムの出発の前にカクランティウスと稽古をしていなければ、初の実戦で無様を晒していたことだろう。
しかしこのままではやがてリオの体力も尽き、さらに拙い状態になってしまう。
ミスラは胸中の焦りに顔を顰めながら、攻略の糸口を探す。
(青の英雄――ユーイチ・タカナシの『
九郎やクラヴィスと言う獣人の少女から、先程おおまかな状況の説明は受けていた。
髪色はそれぞれ違うが、
目を潰せば『支配』は解けると聞いているが、戦闘の際に目を狙うなど、それこそ殺すことより難しい。
操られている彼女達を憐れに思う。
しかしミスラの本性は冷酷で冷淡。戦いの際に相手に情けを懸ける事は無い。
アルムの国境での戦いは「戦争の引き金となる」からこそ誰も殺さなかっただけで、あの時もミスラはそれ以外の全てを許容していた。
今回は必要ならば殺すという選択肢も持っている。
「ただっ! 出来るっ……出来ないはっ! また別ですわっ!」
ミスラは防戦一方になりながら悪態を吐く。
殺す覚悟はあっても、明らかに相性が悪い。
白の魔法――光の魔法は人族にとっては殆んど攻撃力を持たない。何度か魔法も放っているが、殆んど効いてはいない。アンデッドや魔族に対しては特攻となり得る白の魔法も、今ここに於いては役立たずである。
「くっ! 『スピーナ・ソロム・バイス』!!」
詠唱を省略してミスラは土の防塁の魔法を放つ。
二本の石の槍が瓦礫を押しのけせりあがってくる。しかし明らかに遅い。
黄の魔法ももう少し研鑽を積んでおくべきだった……と後悔しても遅い。
「あ゛あああああああっ!!!」
リオの叫びが耳を過る。その声が枯れている事からも、彼女の体力ももう限界に近い。このままでは3対1になるのも時間の問題。嫌な予感にミスラの背中に汗が伝う。
とその時ミスラの頭に一つの疑問が思い浮かぶ。
同じようにフォルテも魔眼をつかっているだろうに、なぜかリオの魔眼だけが効果を発揮している。
それはなぜか。彼女達の攻撃からも、
操られていると言うのに、しっかりとミスラを認識して攻撃を繰り出している。
(あのレイアという娘の口は、青の英雄の言葉をしゃべっていたと聞いております。と言う事は、意識は青の英雄と繋がっていると考えていたのですが……。複数を同時に操るなど、出来るものなのでしょうか?)
白の魔術にはアンデッドやゴーレムを操る魔法がある。
しかし大量のアンデッドやゴーレムを個別に操ることなどまずしない。と言うより出来ない。
一定の思考の誘導や命令なら下せるが、単純な物に限られる。だからこそ雄一や五十六は『
翻って彼女達を動かしているのは何なのか。
恐怖を感じている素振りは無いのに『
「仕方っ……ありませんわねっ!!」
一つの糸口を見つけたミスラは、覚悟を決めて魔法を唱える。
自分の虚像を何体も作りだし、足を止める。
彼女達の感情を映さない瞳に今まで使ってこなかった手だ。
幻影の魔術は『アンデッド』や『
ザシュッ……ザシュッ……ザシュッ……
しかしシスとピャーチは反応した。
視界の情報に頼っている事がこれで明確になった。
やはり彼女達は
ザシュッ……ザシュッ……ザシュッ……
ミスラの作り出した幻影は、一体、一体と切り刻まれていく。
腕を無くした幻影。胴をかち割られた幻影。細かな部分まで精密に作り出した幻影は、本物と変わらず凄惨な光景を広げて行く。
その中においてミスラは棒立ちで瞳を閉じていた。
戦場の真っただ中で本を読む。自殺行為と言われてもなんら反論できない。
しかしミスラの最後の切り札は、やはり母から受け継いだ『エツランシャ』の力。情報を制し、突破口を見つけるのがミスラの戦い方だ。
瓦礫の山に血の匂いが立ち込めていた。
「乙女の柔肌をこんなに傷付けて……殿方にはお見せできませんわね」
その鉄臭い匂いの中心でミスラは瞳を開く。
霧が晴れるかのようにミスラの幻影が掻き消えていく。
その中に於いて、たった一体、片足を膝から失い、腹から大量の血を滴らせ、右手を失ったミスラが息を吐いた。
読書を終えるまで、ミスラも幻影に混じって切り刻まれていた。
直ぐに傷を塞いでは幻影との違いに気付かれてしまうからと、あえて傷をそのままにして。
悲鳴も呻き声も上げなかった自分を褒めてやりたい。とは言え読書に没頭した時の自分は、全く周りが見えていないと、度々叱られた事を思い出す。
(偏執狂とお兄様に呆れられた事もありましたわね……)
自嘲しながらミスラは腕と足を拾い上げ傷口に押し付ける。
黒い煙が立ち上り、腹の傷も塞がって行く。
視界が低くなっているのは、それだけ生命力が失われたからだろう。首を落とされても一応死ぬ事は無い筈だが、それにしても結構危険水準まで来ていたようだ。
ミスラは口紅を口に咥えて素早く魔力を回復させると、槍を振るう。
魔力は回復しても疲労した精神と肉体は、そろそろ悲鳴を上げ始めている。
「ちょ、ちょっ!? なんでお前までこっちに来んだよぉ!?」
ミスラがリオ目がけて駆け出した事で、リオが悲鳴を上げていた。
自分の後ろに迫って来る二人の少女を目端に捕えて怯えたのだろう。
そう分析しながらミスラはリオの隣に立つと、反転して槍を付きだし叫ぶ。
「リオ! 彼女達に魔眼を! 攻撃は
矢継ぎ早に指示を出して、ミスラは二人の少女と再び武器を打ちあう。
戦場で相対している敵から目を逸らすのは、リオにとっては恐怖以外の何物でもない。しかしやって貰えなければどのみちジリ貧だ。
「くっそぉおおおお!」
リオの逡巡はミスラが考えている以上に早く終わった。
ミスラの肩を蹴ってリオが二人の幼女に飛びかかる。
そこまで思い切った行動を彼女が取るとは思ってもおらず、ミスラが逆に慌ててしまう。
「らぁぁぁぁぁあああ!」
「ぐぅ……痛ぅ……」
リオの自棄の叫びとミスラの呻き声が重なる。
一気に
しかし槍は腸を貫通することなく止まっており、斧も肩口半ばで動きを止めている。
カタカタと音が鳴る。
リオの震えの音。それに
人形の顔が強張る。
目を見開き、恐怖のあまりに頬が引きつる。
「――『白の理』ソリストネの眷属にして、束ねて火となる光の矢よ! 穿て!
『サジタ・ルクス・ムルト』!!」
少女達の至近距離でミスラの魔法が炸裂する。
人族相手では毛ほどの威力も期待できない『光の矢』も、一点に集中させれば目を焼くことくらいは可能になる。
顔を背ければあえなく失敗する方法であっても、リオがいればまた別の話。
先程ミスラは『エツランシャ』を使って、ユーイチの『支配』の呪縛から解けた者達の記録を調べていた。
九郎の思い出話の中――あのベルフラムと言う少女達との話題の中に、レミウス領で多くの人々が『支配』から解き放たれた事を思い出したからだ。
目を傷つければ『支配』は解ける。それは事前に知らされている。
しかしミスラが調べたかったのは『支配』された者達の述懐。どのような感覚だったのか。どういう風に動いていたのか。そう言う被害者たちの心情だった。
彼等は恐怖や絶望の中で意識を留められ、その悪夢の中を彷徨っていた。
フォルテの『
誰もが恐怖を覚えれば目を瞑る。
しかし彼女達はそれが出来ない。もう瞑った後だから。そして恐怖から目を逸らせない者達がとる行動は、一つに限られる。
――目を見開く――。
生命の持つ本能なのだろうか。それとも死に向かう者の宿命なのだろうか。
リオも同じ。恐怖から目を逸らしたいのに、弟の為に恐怖に立ち向かう彼女の目も見開かれている。
恐怖から目を逸らせない恐怖。それが『
人形達は、その名が示すとおりに糸を断ち切られて崩れ落ちていた。
「……今回は反省する点が多すぎますわ……。相性を考えれば逆の方が良かったかしら?」
荒い息を吐き出しながら、ミスラはポンとリオの背中を叩く。
恐怖が行き過ぎたのだろう。リオもガクガクしたまま硬直していた。目からはツゥッと涙が流れており、結構憐れを誘う姿だ。
しかし
心の中で感謝の言葉を呟きながら、ミスラは槍と斧を体から抜き放ち、最後に残った魔術師を見る。
風を操る魔術師、エイトが静かになったのはそれから直ぐの事だった。
☠ ☠ ☠
「姫様……。その……格好が……」
ボロボロになった衣服を見て、クルッツェが目を逸らしながら言って来る。
この行動もまた一つの「先の恐怖から目を逸らす行動なのだろうか」と、ミスラはふと思う。
「本当ですわね……。これでは私もリオと変わりませんわ」
「おいっ! どう言う事だよ!」
「いえ、結構涼しいと言うか……開放的ですの……ね」
冗談ぽく返しながらもミスラは恥ずかしそうに胸元を隠す。
下半身はズボンだった、辛うじて隠せているが、それでも足が露わになってしまっている。
上半身は多くの風の刃を受けた事でもう殆んどボロキレ状態で、殆んど裸の状態である。今迄「肌を晒す事ははしたない事。結婚する殿方以外に見せてはいけない」と教育されてきたミスラにとって、かなり恥ずかしい格好だ。
「申し訳ありません……姫様……」
アルフォスが心底恐縮した様子で自分のシャツを渡して来る。戦闘が終結したことで、彼等の手当ても済んでいた。
アルフォスのシャツを羽織りながら、ミスラは悪夢にうなされていた少女達を眺める。
風の魔法の攻撃力はそこまでではないと踏んだミスラは、かなり男前な方法でエイトを無力化していた。
魔術師だったことで体術は先の二人と比べても拙かった事もあるが、鮮血を飛び散らせながら距離を詰める存在を相手にした事も無かったのだろう。
彼女達は悪夢の中で戦いながらも、戦況の判断は出来ない。
退路を断たれた状態で、ただがむしゃらに身を守っていた。その思考は多くが雄一に誘導された物なのだろうが、彼が意識していない時は夢の中で踊らされている状態。雄一が望んだように振る舞う事を、余儀なくされているかのようだった。
だが結局のところ数ある選択肢の多くを封じられた状態でもある。
悪夢の中で彼女が持ちえた唯一の抵抗手段が魔法だったのだろう。それを封じられてしまえば、もう何も出来ない。恐怖に縮こまる事すら出来なかったエイトは、あえなく目を傷つけられて崩れ落ちていた。
殺さなかったのはその必要が無かった事と、「逆に人質として使えるかも」と言うミスラの思惑があっての事である。
(内助の功というのも……なかなか大変ですこと……)
ミスラは空を見上げて苦笑する。
雨脚が強くなった事で全身濡れそぼっているが、戦いで火照った体を冷ますにはちょうどいい。
まだやるべき事は大量に残っているので、安堵を浮かべるのはまだ先だろう。
しかし九郎はいつもこんな戦いをしていたのかとの、新たな発見に少しだけ胸が躍っていた。
「実地と体験は記録者として重要ですもの……ね?」
浮かべたミスラの笑みに、リオが怪訝そうに顔を歪めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます