第280話  途切れた糸を手繰り寄せる


 王都を取り巻く高い塔。5つあった内の3つが崩れた上空に、黒い雲が広がっていた。暗雲はこれから起こる惨劇を予想させるかのように、ぽつぽつと乾いた道に黒い染みを広げていく。


(センチになってんじゃねえよ、俺! もうあいつらを泣かせちゃいけねえ!)


 顔に当たる雨粒を跳ね返す勢いで駆けながら、九郎は王都の空を睨んで誓う。


 青白い細い光で出来たこより。

 それを辿る先に見えて来たのは昨夜も訪れていた王宮だった。


「昨夜あれだけ探したと言うのに……見落としがあったのでしょうか……」


 九郎の腕の中でミスラが訝しがる。

 九郎も同意と言わんばかりに悔しさを滲ませる。

 昨夜ミスラと王城に攻め入った時に、九郎はそれこそやり過ぎと思われるほど、つぶさに王宮を調べ尽くしていた。

 今の九郎は、王城の見取り図がそらで書ける自信がある。

 ミスラの『エツランシャ』を併用してこういった城にありがちな隠し通路の先まで調べ、しらみつぶしに『魔動人形ゴーレム』を破壊しつくしていたのだから。

 見落としがあったとは思いたくない。


 しかし転移の先を示すこよりは王宮へと続いていた。


「昨夜?」

「方向からして王座の間か……」


 カクランティウスの言葉をあえて聞き流し、九郎は続く先を見据える。

 今彼と口論している暇はない。大事な一人娘と二人で王城を攻め落としたなどと聞けば、ひと悶着はきっとある。後でそれについて彼に土下座して詫びなければならないだろうが、今はベルフラム達の事が気になってそれどころでは無い。


「って、お前ら付いてくんじゃねえ! ヤベエ奴が控えてんだ! 俺も全然余裕がねえんだよ!」


 九郎は後ろに続く足音に振り返り、声を荒げる。

 突然部屋を飛び出した九郎を追って、クラヴィス達は当然の如く。ミスラの護衛を担うアルフォスとベーテ。フォルテを追ってリオまでが、九郎の後ろをついてきていた。


「お前の顔みりゃ、んなこと分かってんよ! 馬鹿野郎! アタシはフォルテを止めようとしてだな……」


 リオが即座に言い返して来る。

 正直な所、今の九郎にしてみれば、リオのこういう所が一番ありがたい。

 余裕の無い状態で戦う力が無い者達を大勢引きつれ向かうには、敵は余りにも強大で、また性根が捻じ曲がっている。

 人質が更に人質を生む未来が容易に想像出来てしまう。


「なら皆を安全な場所まで避難させてくれよ! 頼むっ!」

「クロウ様! 決して邪魔はしません! 私達に危険が及んでも見捨てて貰って結構です!」


 リオに対して言った言葉に、クラヴィスが代わって答える。デンテも同じく真剣な目を向けてくる。

 九郎も彼女達のベルフラムに向ける思いの強さは知っている。そしてその絆は九郎が知る以上に強固なものになっている事も。

 しかし相手はあの雄一だ。その思いを利用されることになるのは目に見えている。


「んなこと出来る訳ねえじゃねえか! ――!!!」


 言い争っている時間も今は惜しい。九郎が感情を露わにして苛立ちを見せたその時、腕の中のミスラが九郎を手で制してくる。


「また冷静さを失いつつありますわ、クロウ様。青の英雄……わたくしも昔調べておりました。転移、召喚魔法の使い手であり、性根は余り宜しく無いとの噂が殆んど――でしたかしら? 今の内に手を打っておいた方が良いかもしれませんわね……ね? お父様」


 ミスラは九郎の腕からするりと抜け出ると、カクランティウスに目配せし足を止める。


 何をするつもりなのか。九郎が訪ねる前にミスラは振り返ると、冷酷な笑みを浮かべる。

 悪戯っ子のようでありながら、背筋が寒くなるような笑み。

 昨夜も目にした、ミスラの戦闘態勢に入った合図だ。

 青と赤。互い違いの筈の瞳も、妖しい紫色に変わっている。


「転移……召喚……。白の魔法の素養あるものが多く生まれる人族国家で、知られていないのが信じられませんわ」


 寒気すら覚える微笑を浮かべてミスラが九郎に言って来る。

 ミスラの言葉の意味が分からず、九郎が眉を顰める。


「均衡による反発が齎す転移の門。王族として当然知っているべき事だと思っていたが……。まあ、クロウ殿の様な転移の仕方もあるのを知ってからは、それでも完璧では無いと反省したがな」


 カクランティウスがフムと頷き、顎を撫でる。


「何を言って――」

「考えても見よ。転移魔法が万能ならば、暗殺者を送り込む事など容易く出来てしまい、城など意味を成さぬではないか」

「そう言う事です。いつでも何処にでも――そんな使い方をされたら、近衛兵がカロウシしてしまいますわ。ここ50年で我が国に来ていた暗殺者の数は優に万を超えるのですのよ?」


 ミスラとカクランティウスは頷き合い、したり顔を九郎に向ける。

 何となく彼等の言いたい事が分かって来たが、果たしてそれが可能なのか。

 頼もしさと不安を同時に混ぜ込んだ九郎の視線を受けて、ミスラが得意気に胸を張る。


「戦いに於いて相手の長所を封じるのは定石中の定石。先ずは転移と召喚――そのユーイチとやらの奥の手を封じてしまいましょう」


 あっけらかんと言い放ったミスラに九郎は思わず跪いてしまいそうになっていた。

 九郎が焦りの殆んどの部分は、雄一が転移の魔法で逃げてしまう事を恐れての事だ。

 それが封じられるのならば、途端に希望の光が見えてくる。まだ状況は何も好転していないが、少なくとも逃げ道を塞いでしまえるのならば、九郎の頭を過った最悪の未来の内の一つが消える。


 ミスラがこの提案をしたのには意味があり、転移を辿る魔法をつかったミスラも実は内心焦っていた。

 転移の魔術を辿る事は難しくないが、それを連続して使われると事情が変わって来る。

 今回は転移の穴が開いた場所がすぐに特定できたから、その痕跡を辿る事が出来ていた。

 しかし向かった先で更に転移を使われてしまえば、途端に難易度が跳ね上がる。

 九郎を落ち着かせるために取った手段だが、言った言葉を確かなものにする為に、手は打たなければならない。


 お見通しですわ――そう言って片目を瞑ったミスラの内心に気付かず、九郎は尊敬の目を向ける。

 情報を操ると言う事は、常に先手を取れると言う事。

 フォルテに常に色々準備して戦いに臨めと言っていたのに、焦って突っ込んで行くことしか頭に無かったと反省する。


わたくしの方は今や無限の魔力を持っていますが……お父様は?」

「ふん……娘に心配されるようでは、『紫雲の魔王』の名が泣くわ。とは言え、続く戦いを見据えると少々厳しいのも事実。上は任せよう」

「何でしたら、一度全快までクロウ様の血をお飲みになられては? それともわたくしを介して回復なさいます?」

「娘の肌に牙を立てる等……それこそ御免被る。お前からであれば歓迎するがな?」

「それこそお父様が干からびてしまいますわ」


 数度軽口を交わした後、ミスラとカクランティウスは呪文の詠唱に入る。


 ――『白の理』ソリストネの眷属にして、銀の檻の鍵を持つ看守――

 ――『黄金の扉』ベファイトスの眷属にして、動かぬ大地の心臓よ――


 二人の声が響き始めると、ミスラの上空には白く輝く巨大な魔法陣が。カクランティウスの足元からは、金色に光る文字が現れる。


 ――右手に掲げるは自由を遮る銀の鳥籠。左手に持ちたるは慈悲の鍵――

 ――我は捧げる。赤く溶けた熱い鉄を。我は捧げる。白く流るる銀の水を――


 二人とも儀式魔法を使うつもりなのだろう。詠唱の長さから、魔法に疎い九郎でも、それくらいの判別は付くようになってきている。

 カクランティウスが大地に手を当て膝をつく。

 ミスラが両手を開いて上空を仰ぎ見る。


 ――その身に纏うのは光り輝く白の繻子。右の耳に揺れるのは不動の太陽。終月の12。7の刻。位階は7! 我等は定められし者。時を跨ぐ事は許されない。封じる檻は始終を封じる四重の枷!――

 ――我は捧げる。臓腑に染入る最上の金を。我は奉ずる。神より賜りし王の血を! ――


「『ハウル・ルクス・レギオ』!!」

「『セッラ・ソロム・レギオ』!!」


 鈴の音のようなミスラの高い声と、カクランティウスの低い声が重る。

 その後には奇妙な静けさが広がっていた。


 未だ王都は混乱の渦中にあり、人の諍いの声や道を走る馬車の音も聞こえてくる。

 しかし何か時が止まっているかのような、不思議な感覚が感じられる。

 雑踏の中に取り残された感覚に近いだろうか。

 先程まで目に見えていた魔法陣の輝きは、泡沫のように消え失せており変わらぬ曇り空が映っている。


「成功……したのか?」


 今迄見て来た魔法とは違った発現の仕方に、九郎は恐る恐る二人に尋ねる。

 彼等の事だから、失敗することは無い。そう感じつつも、今の九郎は弱気が先行した状態だ。

 少しでも好転した言葉が聞きたい。そう願う九郎の問いに、微妙な答えが返ってくる。


「一応成功はしたようだが……しかし……」


 カクランティウスの言葉は安堵を齎すには少し頼りない。


「可笑しいですわね……。なんと言うか、かかりきっていないような……不安定な魔力の動きが――!」


 ミスラも同じく上空を見つめ首を傾げたあと、ハッとした表情で口元を押さえた。


「おいっ! 何が!?」


 九郎が顔色を変えて視線の先を追う。

 九郎の目には何も変わったものは映っていない。

 灰色の雲に覆われた、不吉な空が広がっているだけだ。

 しかしミスラは違った何かが見えているような、そんな顔をしていた。

 九郎が理由を尋ねる前に、ミスラの口から答えが告げられる。


「昨日壊した筈の『魔力封じの結界』が再び張られようとしております。暫くの間であれば、転移は不可能だと思いますが、これではあと一刻もしない内に、魔法の効果が消えてしまいます」


 5色の神殿の内側に張られていた結界が、魔法の効果そのものを弱めていた。

 転移が封じられている僅かな間にベルフラム達の救出に向かうか、それとも退路を断つ方を優先させるか。


「じゃあ僕たちがその結界を壊しに向かいます。あっちに伸びている青い光の元を壊せばいいんですよね?」

「おいっ! あれはぜってえヤベエ奴だ! アタシ等じゃ相手にならねえって!」


 九郎が逡巡したその時、フォルテが不意に発言する。

 フォルテが指さす方向を見ても、九郎には青い光は見えていない。

 魔力感知に長けたフォルテとリオには、その光が見えているようだ。


 続くリオの言葉から、その場所には危険な何かが潜んでいる事も伺える。

 どうするべきか――九郎が答えを見つける前に、またもやミスラが先に動く。


「では、お父様。未来の夫はお任せします。わたくしはあちらに向かおうと思います。アルフォス、ベーテ。先行して情報の収集を。フォルテ、案内を頼みます。クルッツェ。わたくしよりもリオを優先して守ってください。わたくしの身の安全は……この通り心配無用です」


 言葉を挟む暇もない。いや、悩む暇を与えないつもりなのか。

 淀みの無い指令を次々言いやり、ミスラは微笑みを浮かべて口紅を掲げる。

 無限の魔力を齎す口紅があるから死ぬ事は無い。そう言いたいのか、それともいざとなったら助けに来てくれるのでしょう? と言っているのか。


「すまねえ、ミスラ! 恩に着る!」

「おい、ミスラ。その未来の夫とは『吾輩の』と言う意味ではあるまいな? 何故にその辺りをぼやかすのだ!」


 しかし今は迷っている時間すら惜しい。

 カクランティウスが走り出したのを見て、九郎も心を決めて王宮を目指す。

 昨夜のミスラの力を見ているので、彼女の戦闘力は疑っていない。しかしそれでも不安は付きまとう。

 ミスラの単独行動を許したカクランティウスの方が、よっぽど胆が据わっている。


「フォルテ! リオ! 危なくなったら呼べ! 全部は手が足りねえかも知んねえケド、腕くらい貸すから!」

「訳の分かんねえ事言ってんじゃねえ! 言ってる意味が分かっちまうから逆に混乱しちまうだろ!」


 自分の守れる範囲は驚くほどに狭い。

 それでも全てを守ろうとした九郎のセリフに、リオの悪態が返って来ていた。

 

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