第278話 引きこもり
澱んだ空気の暗闇の中で、雄一は目やにの着いた瞼を擦る。
寝過ぎた事に因る体のだるさから、かなり長時間熟睡していたようだ。
「結局……ここで寝ちまったんか……」
周囲を見渡しても何も見えない。
ただどこに何があるのかはもう把握している。
6畳にも満たない小さな部屋。
朝日も射し込んで来ないのは、この場所が地下に造られた
九郎の存在に恐怖し怯える日々の中、雄一が一番安全と思える場所は、結界の中心から更に地下20メートル下に作った、小さな部屋だった。
生前と何ら変わらない狭い板張りの部屋。ゴミは散らかり放題で、異臭で空気も澱んでいたが、それが逆に雄一の精神を落ち着かせる。
ここは生前の雄一にとっての唯一の城。世間の目も侮蔑の言葉も届かない唯一の聖域。
(別にもう怖いもンなんかねえのによぉ……)
昨日、「もうどこで寝ようと自由だ! 王者の寝室でも後宮でも!」と叫んでいたと言うのに、結局選んだのは狭苦しいこの場所だった事に、少しの苛立ちを覚えてしまう。
恐れていた
それが雄一には許し難く、怒りの感情を沸き立たせる。
これからはまた好き放題やれる日々が来る。もう取り繕った善政を敷く必要も無いのだし、恐怖に行動を阻害される事も無くなる。滾りを解消する術は失っていたが、支配欲と残虐性を満たす事なら今でも可能だ。
早速街にでも出て、無理やり幼女を攫って痛めつけるか――先の未来にニンマリと口元を引き上げ、雄一は部屋の隅に目を向ける。
「アイン、アール、トレス、カトロ、ピャーチ、シス、ナナ、エイト」
放たれた言葉に、部屋の隅に転がっていた少女達の目が開かれる。
青く輝く16の瞳が雄一の前に並ぶ。
性器を失ってしまい、今や支配欲を満たす為の物でしか無い妻達を眺めて、雄一は一人悦に入る。
以前は失う事を恐れて使ってこなかった妻達も、今や消耗品のように使える。
『寵愛』していた期間が長く、能力的に有用だからまだ手元に置いているが、そこまで執着心は無い。
ただ、集めたコレクションを他人にくれてやる気も無い。他人にやるくらいなら自分の手で壊すのが雄一の性格だ。
(しかしなぁ~……。こいつらじゃイイ悲鳴は上げられネエしなぁ~。表情も固まったままだしよぉ~)
モノは失っていても心の残虐性は変わらない。
歪んだ笑みを浮かべたまま雄一は転移の術を使い、空間に穴を開ける。
そして次々と幼いまま時を止めた妻達を送り込んでいく。
これも本来ならもう必要のない事。ただ4年もの間続けていた癖は中々治りはしない。
開けた穴から剣戟の音が聞こえない事を確認して、雄一は王宮へと移動する。
「あン?」
いつものように王座の間に移動した雄一は、眉を顰める。
本来なら自分を王と思い込み傅く筈の兵士達が誰もいない。
しんと静まり返った王座は、高めに位置した太陽の光を色ガラスに映し込み、冷え冷えとした光景を映し出している。
(そうイヤァ……兵士らは全員
傅くはずの『
ミイラ化して『
『青水晶』を核にした『
そう言えば昨日『王様』も動かなかったな――と雄一は朧気に思い出し、唾を吐き捨てる。
せっかく自分の新たな門出だと言うのに、祝う愚民がいなければ盛り上がらないではないか。いっそ王都全ての人間を殺し、『
ただ王都の住人を殺すのにも、自分の魔力を使うのは惜しい。
雄一はもう一度転移を使い王子の寝室へと繋げた。
「おい、センセ。ちょっと愚民共虐殺してこいやぁ……ンだこりゃぁ?」
王子の寝室は雄一の手駒の中では最強が眠る場所でもある。
自分と同じ『来訪者』であり、こと無機物に関しては神の権限とすら思える力を持つ桂 五十六。
その男が使っている寝室に、先程よりも幾分無警戒に足を踏み入れた雄一は、部屋を目にして目を丸くした。
壁が崩れ五十六の精鋭だった筈の、ダッチワイフが焼け焦げて四散していた。
(酔ってて覚えてねえが……解放感から殺っちまったかぁ?)
昨日までの雄一であれば、途端に顔を青くして警戒レベルを引き上げる惨状だったが、今の雄一に怖いものなどありはしない。
悪夢にすら出てきていた
酔った勢いってのは怖いねぇと、雄一は見晴らしの良くなった王子の寝室を眺めて他人事のように一人言ちる。
そこに多少惜しいと言う気持ちはあれど、命を悼む気持ちは無い。
雄一にとって他者とは敵か、自分に使われる駒かの二種類しかいなかった。
桂 五十六は戦力としては有用だったが、別にそこまで惜しむ命では無かった。
とそこまで思った雄一の目の端に、動き続ける肌色の物体が目に飛び込んでくる。
「なンだぁ? 生きてンじゃねえかぁ~? まあ、センセも一応『来訪者』だしなぁ? つーかいつからヤリ続けてやがンだぁ?」
自分の時はその制約は無かったが、最近この地に来た『来訪者』達は性交を禁じられているらしく、その結果五十六の性欲の発散は、もっぱら彼が自作したダッチワイフが相手だった。
生殖器そのものを失ってしまっている今の雄一としては「いいザマだ」としか思わないが、この世界に来て吹っ切れた為か、それとも全てを手に入れられる地位にいながら、女っ気の無い生活と、他人の目を気にする必要が無い生活の中で、気付いた時には五十六は物相手の色狂いになっていた。
人形を相手に何が良いのかと侮蔑の視線を向ける雄一に心に、小さな苛立ちが生まれる。
同族嫌悪に近いのだが、それすらもう望めない体である自分に見せつけられているような気がして、雄一は眉を顰めて語気を荒げた。
「つーか、俺が来たら挨拶くらいしろよぉ~!! 見せつけてんじゃねえぞ、オラァっ!」
五十六は壊れて顔の無くなった人形に覆いかぶさり、ビクビク体を痙攣させていた。
少しもこちらを見ようとはしないのが、雄一のトラウマ――無視を思い出させ、雄一は怒りにまかせて五十六の弛んだ尻蹴飛ばす。
五十六の尻は水風船の様な、奇妙な感覚を雄一の足に伝えていた。
「ひっ……ひゃわぁぁああああああああ!!」
その瞬間、雄一の情けない悲鳴が崩れかけた寝室に響き渡っていた。
ゾルゾルゾルゾルゾルゾルゾルゾルゾルゾルゾルゾル!!
五十六の尻や口、目や鼻、耳。穴と言う穴から大量の蠢く何かが湧きだしていた。
五十六はとっくの昔にこと切れていた。
卑猥な形の――薄ピンクの蛭のようなものが五十六の体内で蠢き、彼の体の中を這い回っていただけだった。
大きいのも小さいのも、何百、何千がその太った腹に入っていたのか。
ニュルニュルと穴から噴き出るアレにしか見えない蛭に、雄一は尻餅を着いて後退る。
五十六の体から後から後から湧いてくる、悍ましい形をした蛭の魔物。
雄一は恐怖に押されて無意識に五十六の顔に魔法を放つ。
今や皮一枚しか残っていなかったのか、傷口からワラワラと蛭が零れ落ちていた。
「お、俺が……やっちまったんかぁ?」
顔の半分を吹き飛ばされた五十六の皮で出来た蟲袋に、雄一は息を飲み込む。
まだ心臓は早鐘のように音を立てていたが、五十六の体から湧きだした正体に感付き、雄一は少しだけ冷静さを取り戻していた。
『
ただ見た目以上に弱く、布さえ突き破れない貧弱な魔物であり、また環境変化にも弱くて育てる事も難しい。召喚魔法を得意とし、多くの魔物を戦闘に使役していた雄一だったが、『
それが何故五十六の体の中で蠢いているのか。
雄一の心の中で消えた筈の恐怖が再び広がり始める。
自分が召喚した魔物では無いが、そもそもこんな生物に負けるような五十六では無い。
その身を守ろうとするのならば、『ブロブ』や土の鎧など、彼はいくらでも防ぐ手段を持っている。
布さえ突き破れない『
自分のように転移の術を使ったのかと考え、それは無いと雄一は即座に否定する。
生物の中に生物を潜り込ませる事など、転移を得意とする雄一ですら出来ない所業だ。
「バグベアード!」
覚えた不安に突き動かされて、雄一は監視の魔物を呼び寄せる。
目玉に蝙蝠の羽を生やした奇妙な魔物を転移の穴から召喚する。
「もしかして……アイツが……アイツが……」
雄一はブツブツと口の中で言葉を呟きながら、必死になって映し出される映像に目を走らせる。
どこかにいるかも知れない。そう考えるだけで気が気では無い。
自分の存在がばれたのではと考えただけで、居ても立っても居られない。
その心の中に巣食う恐怖の源は、4年恐れ続け憎しみ続けた一人の男だった。
九郎が転移や召喚を使っていた記憶は無くても、雄一にとって恐怖を覚えるのは九郎だけ。
その脳裏に焼き付いているのは、逃げた後まで追って来た腕。手から湧き出していた黒い牙。
ありえないと思う事だからこそ、奴ならありえる――自分を負かしたただ一人が、雄一の頭の中を支配する。
「くそっ!? 結界が切れてンのかよぉ? なんでこんな時によぉ!?」
癇癪を起して雄一は声を荒げる。
思い当たるのは昨日の朝になんとなく聞いていた、火事に因る街の混乱の知らせ。
九郎が死んだと思って放置してしまったのが今更ながらに悔やまれる。
(それが目的の騒動だってのか!? よく似た死体を
雄一の頭を駆け巡るのは嫌な予感ばかりだ。
一度そう考えたらもう九郎が攻めて来ているとしか思えなくなってくる。
「トレス、カトロ、ピャーチ、シス、エイト! 行けっ!」
雄一は慌てて妻達を神殿へと向かわせる。
全員を向かわせないのは保身からきている。
もし九郎が襲ってきたなら盾として、逃げる時間を稼がなければならない。
続いて雄一は視界を『支配下』に繋げていく。
王都の住人の3割を『
雄一は王都の2割の住人を『支配下』に置いていたが、殆んど使ってこなかった。
彼等に期待したのは単なる監視の役割であり、未だに姿を見せないベルフラム達を探す為だけのものだった。だから戦闘力も無いに等しい。
「そうだ……保険を……」
最後の切り札を思い出し、雄一は転移の穴を開く。
こういう時の為に今迄生かして置いた一つの手札。
九郎が現れた時、改心したと騙す為今まで平和な王都を装って来た。
あの惨状を見られてしまえば、最後の言訳も効かなくなる。
しかし飛び込む勇気が湧いてこない。
もしも五十六の死が九郎の仕業であり、九郎が自分を認識しながら見逃していたと言うのなら……待ち構えている可能性が一番高い場所でもある。
明らかに自分の方が後手に回っていることを知り、雄一は苛立ちを募らせる。
「くそっ……まだ……ぼやけて……」
苦肉の策で雄一は視界をレイアに繋ぐ。
『シハイ』下の者が見たもの、感じたもの……それは全て支配者の物。
視界の共有は、『シハイシャ』の『
危害を加えれば九郎の怒りを買ってしまう。それが分かっていながら雄一がレイアをあれだけ執拗に責め続けていたのはこれが理由だ。心を圧し折り、絶望させるため。
雄一はレイアを『支配下』に置くつもりだった。
『シハイ』が通ってしまえばこっちのもの。レイアに自分を庇わせる事も、「心を入れ替えた」と嘯かせるのも思いのままになる。
市井に放ち、ベルフラム達を呼び寄せる罠にも使える。
レイアはもう殆んど『シハイ』に掛かっているようなものだった。
髪の長さが変わらなくなったのはその証。『シハイシャ』の望む姿を留める『寵愛』は確実にレイアに発現していた。
しかし何故か彼女は雄一の思い通りに動かない。
もう視線も意識もそぞろだと言うのに、『シハイ』の糸で操れない。
心が壊れきっていたから――その可能性は低い。
雄一の最初の妻、アインは心を壊した結果の産物であり、雄一が初めて『シハイ』の力を自覚した時の駒だ。
心が壊れていても『シハイ』の力は問題無く発揮出来る筈だった。
「くそっ……くそっ……くそぉぉおおおお……」
雄一の瞼の裏で、赤い霞のような靄がかかる。
この赤い粒子が雄一の『シハイ』の力を阻害してくる。
今も朧気に光が見えるが場所も状況も分からない。
「くそぉおおぉおぉぉおおぉおおぉおぉお!!」
もう全てを捨てて逃げるべきだと、心の奥で警鐘が鳴る。
雄一は顔を歪めて悪態を吐く。
と――突然視界がクリアになった。
薄明りの中、雄一の目に飛び込んで来たのは、愛憎抱く探し求めていた最大の保険。
九郎に対して一番有効に思えていた、赤い髪の少女。
ナイフを掲げて
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