第276話  ワンサイドゲーム


「ぶっ殺す」


 明確な殺意を口にし駆け出した九郎に、五十六は胡乱気な視線を向けた。

 明らかに「面倒臭い」が顔に出ている無気力な視線が、怒気の籠った九郎の視線と交差する。


「ベンテン、アリス」


 五十六の命令にベッドのシーツの中から新たな人形が現れた。

 何も着ていない無表情の裸の女の人形。

 明らかに造詣がおかしく、それが逆に不気味さを醸し出している。

 長さの違う両腕。デッサンの歪んだ胸と腰。大阪のおばさんを思わせるクリクリパーマと、魚の様な丸い口。瞳には目玉も無く、ただ描かれているだけ。

 その二体が五十六の傍にゆらりと立つ。


「いきなさい、ラバーズ!」


 五十六が口元を歪めて九郎を指さす。

 二体の人形の姿が突然消えた。


「!?」


 九郎が知覚したときには、既に両腕が引き千切られた後だった。

 今迄の『魔動人形ゴーレム』とは力も早さも段違いの強さ。

 特別製なのだろう、肌の色も金属の光沢があり、所々に宝石も埋め込まれている。

 胸に『青水晶』の核が無い事から、アンデッドの可能性も低い。これが本来の『魔動人形ゴーレム』なのだろうか。

 九郎は眉を寄せながら、次の動きに移ろうとしている2体のダッチワイフを睨みボソリと呟く。


「『付和フォローブ雷同レンドリー』……」


 バチン! と大きな音がし、部屋が一瞬紫に輝く。


「今……何を……した?」


 紫電に目が眩んだ様子で、五十六が目を瞬かせていた。

 どれだけ特別な『魔動人形ゴーレム』であろうとも、九郎の腕を持ってしまったのが運の尽きだ。


 腕から放たれた雷は、膨大な熱量を伴って、2体のダッチワイフを焼き続ける。

 外側がどれだけ頑強に作られていようとも、内側を走る電気の奔流には耐えられなかったのか、それとも『魔動人形ゴーレム』は本来ロボットの様な物なのか。

 一国の軍隊をも蒸発させる雷に焼かれて、黒ずんだ人形がブスブス煙を立てて崩れ落ちる。


「さあな……」

「きょ、『教育的指導』!!」


 暗く笑う九郎に、初めて五十六の顔が人並みに強張る。

 右手を前に突き出し何やら叫ぶと、今度は頭上から巨大な鉄骨が降り注ぐ。

 ぐしゃぐしゃに潰れた九郎の血で、絨毯が真っ赤に染まって行く。


 そして九郎が再びそこから生える。

 どれだけ攻撃力を有していようとも、九郎を止める事など不可能だ。

 殺意を持った『不死者』の歩みを止める事など、万の軍勢でも出来はしない。


「こ、コロッサス! ガルガンチュワ! ソイツを潰せ!」


 再び五十六が叫ぶと、今度は青銅色の巨人が2体、壁を崩しながら現れる。

 巨大な拳が両側から襲い掛かり、九郎はあえなくミンチにされる。

 べっとりと巨人の拳に付着した肉の塊。


「『酸いもスウィーツ・甘いもアンド・ビター』……」


 それが人の声を溢すと同時に、巨人の拳が煙を上げ始める。

 血肉を『酸』に変質させた九郎は、その状態を維持しながら巨人の体を駆けあがる。

 本来反応を終えれば腐食を止める筈の酸は、一向に浸食を止めず、あっという間に巨人の腕をボロボロにしていく。

 腐食が巨人の胸へと差し掛かった辺りで、巨人は大きな音を立てて崩れ落ちた。


 そして――また九郎が絨毯のシミから姿を現す。


「なんなんだ貴様は! 私が何をしたと言うのだ!」


 五十六が強張った顔で後退る。

 どれだけ強者であろうとも、こうなってしまえば他となんら変わらない。

 何をしても倒せず、何をしても止まらない。打つ手の無くなった者が考えるのは皆同じ。五十六もここに来て事態のヤバさを悟ったのか、いきなり尻を向けて逃げようとする。


「逃がすかよぉ!!」


 黒い門が現れたその瞬間、黒い門に赤い染みが広がった。

 九郎は自分の首を引き千切り、黒い門に全力で投げつけていた。


 人外の膂力で投げつけられた九郎の頭は、熟したトマトのように弾け飛び、赤い血肉を滴らせる。

 自傷の痛みは今迄通り、九郎の体を苛んでいる。しかし今の九郎に痛みなど、毛ほどの障害にもなり得ない。レイアの味わっていた痛みに比べて、ただの痛みのなんと温いものなのか。


「ひっ……」


 五十六の口から悲鳴が漏れた。

 縮み上がった一物が、彼の恐怖を表している。

 黒い門から九郎の顔が浮かび上がり、湧き出す。


「『人の嫌がる事をしちゃいけません』って学校で教わらなかったのかぁ?」


 九郎が五十六の頭を掴み、怒りの形相を浮かべる。

 思わず手に力が入って握りつぶしてしまうのを、九郎は必死に我慢し五十六を床に叩きつける。

 蛙がつぶれたような声を上げて、五十六の鼻から血が溢れる。


「お前が親玉なんだろ?」


 九郎の問いに五十六の口が金魚のように空気を求める。

 パクパクと酸素を求める五十六の口からは、否定の言葉は出て来ない。

 ――違うっ! 私はノヴァでは無い! 

 その言葉が口を出ないのだ。『従属』されていた五十六は、意思はあれど王を売る事が封じられていた。だから命乞いの言葉が口に出来ない。

 それは知らない者には、肯定の無言に映る。


「何、俺はもう経験済みだ。お前だって暫くくらい耐えられんだろう? なんせ『来訪者』……『化物』だもんなぁ!? せめて一晩はのた打ち回ってくれよ? でないと……レイアに顔向け出来ねえかんなぁ!!!」


 青ざめた顔で首を横に振り、涙目で懇願する五十六の尻に手を当て、九郎は嗤う。

 その顔は悪鬼の如き形相のまま、暗い笑顔を浮かべていた。



☠ ☠ ☠



 東の空が僅かに白む夜の街を九郎とミスラが歩いていた。

 

「気は晴れましたか?」


 ミスラの問いに九郎は乾いた笑みを向ける。

 気が晴れる訳が無い。そもそも気を晴らそうとも思っていない。

 レイアを凌辱したと思える全ての者を殺したとしても、心が晴れることなど無いのは、分かっていたことだ。


「別にそんなつもりで殺ったんじゃねえよ……。言ったろ? ゴミ掃除だって……。立つ鳥跡を濁さずって言うだろ?」


 日本の慣用句を言った所で、ミスラが知っているとは限らないがと、九郎は苦笑いを浮かべて肩を落とす。


 分かっていた事は言え、虚しさだけしか残らない。

 レイアを凌辱した者が、生きている・・・・・。それを考えるだけで許せなかった。だから殺した。それ以外の何物でも無い。


 レイアの傷付いた心が癒える訳でも無いだろうし、何よりレイアを直接辱めた者達は『青水晶』と化している。それでも許せないと思ったからこそ、九郎はこの行動を『自分の我儘』と断じていた。


 勝利の余韻も少しも無い。達成感も込み上げて来ない。

 同郷の者をまたこの手にかけたと言うのに、罪悪感すら感じていない。

 死ぬ事の無い自分が他者の命を奪う事を、本能的に忌避してきた九郎だったが、一晩で何百人もの命を奪った事を少しも後悔していない。


 言った通り、ゴミを片付けただけ……。電車の中で転がり続ける、誰が捨てたかもわからない空き缶を、ゴミ箱に放り投げたような、小さな苛立ちだけが残り続ける感覚。


「何にせよ『初でえと』のご感想は?」


 肩を落として歩く九郎の腕に、ミスラが腕を絡めてくる。

 柔らかな胸の感触と同時に、人の温もりが微かに腕に登って来る。

 やけに子供っぽい仕草でいるのは、自分を気に掛けての事なのだろうか。

 九郎が弱り顔のまま言葉を探し、空を見上げて一人言ちる。


「これが初デートなら、前のだって……」

「確かに……。そう考えればそうですわね。前のも大掃除みたいな物でした。と言うより悪い虫が入って来ないようにする防虫? そう考えるとわたくし、思っていたより家庭的な妻になれるかも知れませんわ」


 ミスラは九郎の顔を見上げて、「上手い事言った」とドヤ顔を浮かべている。

 ミスラは本質的な部分で血が流れるのを嫌っている訳では無い。戦争など、無辜の民が傷つく事を嫌っているだけだ。


 彼女は偽魔王で龍二を待ち構える時にも、兵士の犠牲を許容していた。

 戦士が戦いの中で命を落とす事に一定の理解を示している。

 そうでなければ『死霊レイス』を再び戦場に赴かせることなど、出来はしない。

 本質的に言えば、彼女もカクランティウスと同様、力の無い者が虐げられるのを嫌っているのかも知れない。


 九郎は弱り顔のままミスラを見つめる。

 無言で見詰められて、今さっき言った言葉が可笑しかったのかと段々不安になって来たのか、ミスラの顔が痙攣して来る。


「ありがとよ……」


 ミスラの恥らう様に、九郎はやっと力を抜いた笑みを浮かべた。


「どういたしまして」


 ミスラは一言言って、ホッと胸を撫で下ろしていた。

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