第274話  剥がれ落ちた価値


「ア……ゥア……アアアアアア!!」

「レイアっ! 大丈夫よ! もう何も怖い事はっ……」

「ぅぐっ……レイアしゃんっ!」

「アアアアアッ……ゥアァァァッ!!」


 廊下の壁越しにレイアの錯乱した悲鳴と、ベルフラム達の嗚咽の混じった声が聞こえる。九郎は廊下にしゃがみ込み、壁を背にして顔を覆う。


 あれから九郎達は一旦宿へと戻っていた。

 カクランティウスにクラヴィスとデンテを保護するよう頼み、聖涙教会を後にしたのは1時間ほど前の事だ。

 カクランティウスは既に神鉱教会を半壊させていたようだが、クラヴィス達もすぐに確保してくれた。

 彼は酷く姉妹達から怯えられていたそうだが、幸いクラヴィスが自分の体を洗ってくれていたリオの事を朧気に覚えており、なんとか説得は通じたと、彼が話すのを九郎は遠くに聞いていた。


 レイアの体を彩っていた、見るも無残な傷痕は、一つを残してミスラが全て治療し終えている。


 ――体に欠損は無かったので命の心配ちんぱいはもう無いかと存じまつ――


 静かに言ったミスラだが、身長は更に縮んでいた。

 鎖を外したレイアにミスラは儀式を行い治癒魔法を掛けていた。

 同じ女同士、思うものがあったのだろう。


 帰り際も誰に止められるでも無く、呆気ないほどすんなりと聖涙教会を出る事が出来た。

 誰と間違っていたのかは分からないが、九郎は「ありがたい」とは思わなかった。

 逆に心の中では黒い怒りがふつふつと煮えたぎり、施設そのものを破壊したい衝動を抑えるので精一杯だった。特に自分と間違えられたノヴァと言う者に対しては、怒りというより殺意。いや、死すら生ぬるいと感じるほどのどす黒い感情を抱き続けていた。

 ただ、自分の怒りをレイアの体調より優先させるほど、九郎は愚かでは無かった。


 しかしベルフラム達を、レイアを――誰も助けはしなかった王都への感情も希薄になり、火災と『魔動人形ゴーレム』の出現で、阿鼻叫喚の模様を相している街を見ても、九郎は何の感情も抱かなかった。

 

 クラヴィス達がレイアの惨状を目にした時は、またひと騒動あった。

 クラヴィスは無言で自傷に走っていたし、デンテは大泣きしていた。彼女達……特にクラヴィスはこの可能性を少しは考えていたのかも知れない。


 それよりもベルフラムの方がショックは大きいように思えた。

 彼女はまだ、人の中に巣食う闇がここまで残酷だとは、想像出来てはいなかったのだろう。

 帰りしな彼女はずっとレイアの手を握りしめ、嗚咽と謝罪を繰り返していた。

 何度も何度も……ずっと――。

 何故ベルフラムがレイアの事を自分に黙っていたのか――その疑問は九郎の頭の隅に残り続けていたが、虚しさが九郎の口を噤ませた。


「アアーーー……アゥアアア……」

「レイア、大丈夫……もう……大丈夫だからっ……」

「アアアアアアアアアアアアアアア!!」


 もう終わった事。終わってしまった事。最悪な終わり方で――。

 錯乱して泣き叫ぶレイアの声と、ベルフラムの苦しそうな涙声がいつまでも廊下に響いていた。


☠ ☠ ☠


 九郎が暗い表情で廊下にしゃがみ込んでいると、リオとフォルテが両手に手拭いを抱えて階段を上って来る。


「クロウさん……」

「ああ、リオに預けてやってくれ……。フォルテは男に見られないかも知れねえが……一応な……」


 心の中で――フォルテに対して惨い言いようだ――そう思うのに、無神経な物言いが止められない。

 彼がいなければ今回の結末すら知り得なかった。だと言うのに、理不尽な怒りをぶつけそうになってしまう自分が情けなくて仕方が無い。


「姉さん……これ……」

「ああ……」


 フォルテが手拭いをリオに渡し、弱り顔を浮かべる。リオは一瞬九郎に怯えの視線を向けた後、部屋の中へと消えていく。


「悪りぃ……」


 本来なら九郎は彼女達に礼を言うべきなのだろう。

 しかし「ありがとう」が口から出ない、言えない結末なのだから。

 九郎は絞り出すように一言言うと、再び顔を覆い塞ぎ込む。丁度その時リオと入れ違いで、部屋からミスラが出てきた。


「おいっ……ミスラっ!」


 慌てて九郎は立ち上がり、ミスラの肩を掴む。

 ミスラは少し痛そうに顔を歪め、弱々しい笑顔を浮かべる。


「改めて診察しましたが、もう命に係わる傷は残っておりません。ただ……」


 最後に付け足された言葉に、九郎の顔は悲壮に歪む。

 命に係わる傷は癒えても、心の傷は聞くまでも無かった。



☠ ☠ ☠



 王都の誰もが息を顰めて夜を過ごしていた。

 隣人がいつの間にか人形に代わっていたと言う恐怖は、住人をこれでもかと言う程怯えさせた。誰もが猜疑心から家の扉を硬く閉じ、一心に夜が過ぎるのを待ち望んでいた。


 その全く人気の無い王都の大通りを一人の男が歩いていた。

 王都を照らす満月は、蒼い光で九郎の影を長く――大きく伸ばす。


「――こんな夜更けにどちらへお出かけですの?」

「散歩……」


 ミスラの問いに、九郎が振り返りもせず、そっけなく答える。

 今迄見た事も無い九郎の態度にミスラの顔が曇る。


「散歩ならわたくしも御一緒しても?」

「……付いてくんなよ」


 日頃の九郎からしてみれば、想像もつかないような声色に、ミスラは身を竦める。

 これほど冷え冷えとした九郎の声を、ミスラは初めて耳にした。


(やはり……)


 九郎の様子がおかしい。これはミスラだけでなく、仲間の誰もが感じていた。

 レイアと言う娘を助けてから、九郎の表情は固まったままだ。

 いつもなら周囲を安心させようと、無理やりにでも笑顔を作るこの男が、あれから一度も笑っていない。

 笑えるはずもない――それはミスラも分かっている。

 レイアと言う娘が九郎とどういう関係なのかは聞けていないが、アルムを発つ前、九郎が頻りに様子を心配していた名前の中に、レイアと言う名も挙がっていた。心を痛めるだけの関係だったことは間違い無い。

 だからこそミスラが覚えた衝撃よりも、九郎の心は打ちひしがれている。


(知っていた筈なのに……人はどこまでも残酷になれると言う事を……)


 レイアの惨状を思うと、ミスラも気分が病んで来る。

 情報部統括であったミスラは、人の闇の部分を何度も目にして来た。

 しかしそれは書物と言う媒介を通してのもの。直に目にした拷問の痕は、他人である筈の自分にさえ大きな傷痕を残していた。


 レイアは湯を酷く恐れていた。体を洗おうとしているのに、必死になってそれを拒む様子は、まるで熱を持つ液体全てが自分を汚すと感じているかのようで――正直直視することが出来なかった。


「……すぐ戻っからさ……。宿で待っててくれよ……」


 苦しそうに呻く九郎の声は、必死になって何かを押し込めようとしている。

 出来ればそうしたい。それはミスラのまごう事なき本心だ。

 同じ女としてあれ程の惨状を見てしまえば、心は酷く落ち込むし、忘れる事に注力したい。


 しかしここで九郎を一人にしては、自分の知る九郎はもう戻っては来ない。

 その予感がミスラをこの場所に呼び寄せていた。


(予感……違いますわ……わたくしは……知っていた……。この人はそう言う方だと言う事を……)


 婚約していたが、ミスラの九郎への好意はまだ愛情と呼べるものでは無い。

 九郎の『神の指針クエスト』の内容を考えれば、愛を育まなければとも思っているが、逆に言えばまだその段階だ。

 理想の男性像なのは嘘ではないが、ミスラはまだ『恋に恋している』段階であり、それは愛には程遠い。アルトリアの手前中々言い出せないが、肉体関係の思いに於いても『抱かれたい』と言うより『(男として)抱きたい』。趣味の延長でしかなかった。


 ただミスラは元々研究者肌であり、母から受け継いだ『神の力ギフト』もあって、興味を覚えればとことん調べる。

 そこで覚えるのは 何故これほど善良そうな男がこの世界に招かれたのかという疑問だ。

 神々の査定は人の善悪とは違う部分で行われており、功罪の判定に疑問が残る部分は多々あったが、それでも九郎の性根、生き方ならば間違い無く善に傾いて然るべきに思えてくる。

 しかし以前九郎の『神の記述』を読んだミスラは、九郎の罪の部分も知っていた。


 九郎の罪は過剰な報復。

 近しい者を傷付けられた際に顔を覗かせる、容赦の欠片も無い暴力性から来るものだった。

 この世界に於いては非力だった九郎も、地球に於いてはガタイも力もかなりのもの。後先を全く考えないで振るわれた拳は、人を容易く壊していた。

 軽めの犯罪――九郎がそう思っていたのは、その罪に対して何の後悔も反省もしていないから。

 ただ神々の裁定に於いて、同族を傷付けるのは大罪だった。


「嫌ですわ。わたくしもご一緒します。これが『初でえと』と言うものですのね」


 ミスラは気丈に笑みを浮かべて、九郎の腕に腕を絡める。

 ゴミでも掃うように受付の男を殺めた事を、彼は何の罪にも感じていない。

 九郎は常日頃から自分以外の命・・・・・・に対して、驚くほどの価値を見ていた。食料となる獲物に対してでさえ、日々感謝の言葉を口にする。

 その九郎があの時は何の葛藤も見せず、男の頭を握りつぶしていた。

 敵にすら情けを懸ける男と父が言っていたと言うのに、甘さどころか慈悲すら見えない冷酷なものだった。


「頼むよ……」

「だーかーら……嫌ですの! ご一緒しますわ。散歩でも……仇討でも――」


 だからこそ、ミスラはあえて自分からその言葉を口にする。

 九郎はおそらく止まらない。それは九郎の過去を知るミスラだからこそ分かってしまう。


(……冥府の門でも……それが妻と言うものですもの)


 ならば自分はどうするべきか。心の中で言葉を付け加えてミスラも冷酷な自分を前に出す。


 共に進むことくらいしか、ミスラには思い浮かばなかった。

 魔王と呼ばれた父と歩みを共にした母と同じく、その覚悟が無ければ婚姻など結ばない。

 自分も人を狂わせる道に、九郎を引きつれたのだから――と。


 まだ、そう思わなければと言う義務感がミスラの殆んどを占めていたが、それが自分の男の愛し方だと、ミスラは朧気に感じていた。


「別に仇討とかじゃねえよ……ゴミ掃除・・・・ってとこだな……」


 九郎の淡々とした声が、夜の街に木霊していた。



☠ ☠ ☠



「くそっ……憂さ晴らしを連れ帰るなんてノヴァ様も酷えよなぁ? 最近の俺の唯一の癒しだったのによう」

「僕、『純正』を持ってきてやるって恋人に約束してたんだよね。ああ……明日には戻ってくるかなぁ……」


 聖涙教会の廊下を、二人の男が歩いていた。

 市井の混乱もどこ吹く風。ただの『青水晶』のヤリ過ぎだろうと、上層部も判断したようで、どの教会も動いていない。聖輪教会の塔が崩れたとの噂もあるが、夢でも見ているのかと。

 聖輪教会は規模で言うなら最大だ。

 手練れの神官と騎士も擁している。吐くならもっと現実味のある嘘を吐けと言いたいと、男達は言いあい笑う。


 それより彼等の気がかりは、職務で疲れた心を癒す、格好のオモチャがいなくなったことだった。本来なら夜勤の間に数頭の獣か浮浪者を引き込み、手軽な小遣い稼ぎ件、鬱憤を晴らそうと考えていたのに、とんだ計算違いだと肩を落とす。


 男達が二人顔を見合わせ、愚痴を放ったその時、二人の頬に冷たい風が吹き抜けた。

 春先の冷たい風に二人の男は身震いした後、奥の人影に喜悦を孕んだ声を出す。

 廊下の先で白い肢体がもそもそと蠢いていた。


「おいおい、戻って来てるじゃねえか! 誰だよ、繋ぎ忘れてたの」

「は~、良かったぁ。夜勤時でもないと、おおっぴらに作れないからねえ」


 男の一人は嗜虐的な笑みを浮かべ、もう一人は心底安堵した表情を浮かべる。

 どちらも罪悪感など欠片も感じていない。集団心理と上からの命令と言う言い訳は、容易く人を悪魔へと変える。

 彼等の中で目の前の女は人では無くモノ。無限とも思える富を生み出し、悲鳴と共に優越感を満たす為の人形。その認識しか無かった。


「おい、その砕けた足で逃げられるとでも思ってんのか? ああっ?」

「悪いコだねえ。今日は特別に豚三頭同時に相手させてやろう」


 気色ばんだ声色を隠そうともせず、男達は裸の女に駆け寄ると、残酷な言葉を無意識に放つ。


 ――ぎるてぃ……ですの――


 その耳元で冷たく澄んだ女の声が響いた。


「ん? なんだぁ……ひっ!?」


 空耳かと男が訝しんだその瞬間、目の前で助けを乞うように月に向かって手を伸ばしていた女の姿が、突如変わる。

 必死になって逃げようとしていた女の腕が、ボロボロの男の腕へと変化していた。


 どれだけ目の前の女が憐れな姿でも、男達の心に慈悲の心は生まれない。

 しかしそれが自身の姿であると、途端に痛ましい物に変わって映る。


 いつの間にか女の顔は、酷く痛めつけられた自分達の顔へと変わっていた。


「ひぃぃぃっ……」


 青の聖女と呼ばれた男達のオモチャは、音も立てずに二つに分かれ、這いよって来る。助けを求めるように伸ばされた手に、男達の体は金縛りにでもあったかのように拒めない。

 想像もしていなかった現実が、男達の心に暗い泥となって湧きだしていた。


「……知ってたって事だよな? んじゃちょっと面貸せや」


 底冷えのする男の声が、目の前の自分の口から放たれていた。

 男達の舌の上に、血の塩気が、いつのまにか混じっていた。



☠ ☠ ☠



 聖涙教会の地下牢。

 ほんの半日前まではたった一人が捕えられ、残りは無人と化していたその場所は、多くの人が犇めいていた。

 困惑、焦燥、悲しみ、怒り。鉄格子に鍵など掛かっておらず、それどころか閉じ込められてもいないのに、誰もが牢の隅で震え助けを求めて声を上げる。

 その声は嵐の夜の濁流の音によく似ていた。

 

「おい、これで全員か?」

「た、助けてくれっ! 俺は何もしていないっ!」

「そうだっ……誰もアレには手出ししてない! ああなっちまうから!」


 淡々と尋ねる九郎に、神官たちがこぞって奥を指さし顔を歪める。

 レイアが閉じ込められた扉の前には、女の形をした青水晶の幻が、キラキラと光輝いていた。


(今更何ぬかしてやがんだ?)


 九郎は眉を顰めてその様子を眺める。

 まるで自分だけは無実だと訴えている神官達が、見苦しくて仕方が無い。

 ミスラの幻術で彼等は既に「レイアを知っている」ことが確定している。

 手を出していないかどうかなど、もう関係無いのだ。

 女が苦しんでいると言うのに、助けもせず見ていただけならそれは同罪だ。

 レイアを救いだすことなど、職員であれば誰でも可能な状態だった。地下への鍵も誰もが手に出来る場所にあったし、牢に鍵すら掛けられていなかった。

 なのに誰も助けようとしなかった。

 それどころか皆で寄ってたかってレイアを嬲りものにしていた。

 ならばもうするべき事は決まっている。


(生きてても仕方ねえゴミは、掃除しとかなきゃな)


『フロウフシ』となった九郎にとって、他者の命とは輝かしいものであり、宝物だ。

 無限に湧き出す価値の無い石ころみたいな自分の命と違って、多くの人にとって命とはたった一つの宝石。例え敵であろうとも、自分の命よりは価値がある。

 その思いは九郎の中にまだ・・残っている。


 しかし九郎は目の前の彼等に全く命を見ていない。

 九郎の目に彼等はゴミと映り、その命を奪う事にも何の葛藤も覚えない。


(レイアをあんなにしちまった奴らが……どの口で命を乞うんだ?)


 虫けら以下を見る目で九郎は怯える男達を眺める。まるで自分を見る時と同じ、捨ててもどうでも良いと断じる目だ。

 命を大切に思う九郎が唯一我を忘れるのは、いつでも女がらみが理由にあった。

 別に誰かの為と言うお題目を掲げている訳でも無く、善なる行いとも思っていない。

 単純に九郎が怒りに我を忘れる理由がそれだっただけだ。

 アルトリアを犯そうとしていたアバウムの領主に対して。リオに剣を振り上げた龍二に対しても、九郎は手加減抜きで拳を振るった。

 どちらも命を取ることはなかったが、同時に「殺してはならない」との意識も持っていなかった。


 未遂であっても、傷付けられていなかったとしても、九郎はそこまでいってしまう。

 女を辱めようとする輩に対して、九郎は命の価値を見ださない。雄一を殺そうとした決意の裏にも、その感情がありありと現れていた。

 未遂だけで殺しを決意させるまで行ってしまう。

 九郎は既にレイアをいたぶり続けていた彼等を、人とは……いや一つの命とすら見ていなかった。


「あ、あんたもコレが欲しくなったんだろ? 言えば幾らでも作ってやるから――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 神官の一人がレイアの幻影を指さし、口から煙を吐いてのた打ち回る。

 地下牢に悲鳴がまた木霊する。それは痛みに苦しむ人の声と混ざって、一つの音を奏でだす。

 誰かに救いを求めたであろう、少女の魂の叫びと同じ音を。


「助けてくれっ……死にたくない……」

「神よっ! 神よぉぉぉおおお!!」


 神官たちは奥へ奥へと後退り、眼前の光景から目を背けている。

 彼等が蔑んで嬲り者にしてきたレイアが唯一、綺麗なものであるかのような様子は、酷く滑稽な様子で九郎の目に映っている。青く輝く女の彫像に救いを求める姿は、晴れる事の無い九郎の感情を逆なでする。


「『焼けチャード木杭パイル』、『垂涎オブジェクトオブエンヴィー』、『冷たい手ウォームハート』……」


 九郎が次々口の中で言葉を呟くと、数人の男達が苦しみもがく。

 しゅうしゅうと煙を上げて転げまわる者。激痛に悲鳴を上げながら足から徐々に溶け出す者。腹を押さえ何度も嘔吐している者の口からは、百足がどんどん湧き出しており、一方では壊死した四肢に発狂したのか、芋虫のような姿の男が天井を見上げて笑い声を上げ始める。


 じりじりと奥へと追いやられる神官達の中、数人が顔を見合わせ魔法を唱える。

 氷の礫や水の槍。酸の雨が九郎に向かって放たれる。

 だがしかし、全てが九郎に触れるか触れないかの時点で蒸発して霧へと変わる。そうして次の瞬間地下が冷気で覆われ寒気が満ちる。


「助けてくれっ……!」


 また数人が、今度は九郎の脇を通り抜けて出口を目指して逃げ出す。

 九郎はそれを目で追いながらも、捕まえようとはしない。


「『鳴かサイレントぬ蛍フェアリー』……」


 ただ一言ボソリと呟く。


「があああああああっ!!!」

「あががががががっ!!」

「あ゛……あ゛……あ゛……」


 それだけで男達は動きを止める。

 九郎の血で満たされた地面は、瞬く間に灼熱の溶岩に代わり、男達の足を焼く。

 一瞬で炭化した足は、男達の体を支えきれず崩れ、マグマに肌を焼かれた男達の断末魔の悲鳴があがる。

 その声も九郎の心を少しも揺らしはしない。


「クロウ様……あまり早々に殺すと情報が得られませんわ」


 九郎の背中にミスラが冷酷な言葉を投げやる。

 そう言えばそうかと、九郎は頭を無造作にかきむしると、神官達を睨みつけ低い声で尋ねる。


「ノヴァってのは何処にいんだ? 教えてくれたらそいつ一人は苦しませずに・・・・・・殺してやんよ・・・・・・


 そこにどんな慈悲があるのか。神官たちの顔が強張る。しかし九郎は目の前に命を見ていないので、気にも留めない。

 レイアを苦しめ続けていた彼等は、苦しみ抜いて死ぬべきだと本心から思っている。

 だからもう――九郎の中で慈悲と呼べるものは、それくらいしか残されていなかった。


「王宮に……」

「そっ……」


 一番隅で怯える歳若い神官を一瞥すると、九郎は彼等に背を向ける。

 聖涙教会の地下が苦悶の声で満たされた。

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