第273話 汚れたパレット
「おいっこら! 青の禊女は何処にいやがる!」
同じころ、九郎は聖涙教会に乗り込み乱暴な口調で受け付けに凄んでいた。
カクランティウスと合流する予定だったが、ベルフラム達が二手に分かれた事で、予定は既に狂っている。
クラヴィス達をカクランティウスに任せ、九郎は直近の不安材料である、毒を撒き散らしている存在を確かめようと動いていた。
『青水晶』で死んだと思われる者以外が口にした、青の禊女と言う単語。
九郎は底知れぬ不安を抱かせるその単語を、まず最初に調べるべきだと感じていた。
「主殿……ちゅこち落ち着いてくだちゃいまちぇ」
ミスラが九郎の腕の中から、てしてし叩いて窘めてくる。
ミスラがまた縮んでいるのは、彼女がまた『エツランシャ』の力を使い過ぎた所為だ。生きていた可能性が再び高まった桂 五十六と言う『来訪者』を調べる為、彼女は地球での彼の軌跡を辿っていた。
得られた情報は小学校教師だった事と、最期は刺されて死んだこと。原因がいじめを放置した結果、自殺した生徒の保護者から恨まれた事に依るものと、不安を煽る物しか出て来ていない。
「だから落ち着いていられねえって! おい、早くしやがれ! ぶっ飛ばすぞ!」
九郎はチンピラのように受付の胸倉を掴み、がなり立てる。
騒ぎを起こすのも予定の内なのだから、もう形振り構うつもりもない。
「おや? ノヴァ様……ですか? ……少々お待ちくださいませ」
「へ?」
ところが受付の男は、柔和な笑みを崩さず、礼儀正しく答えて来た。
これには九郎も気勢を削がれ、思わず間抜けな声を出す。
「今日はもうお休みになられたとセンセ様から伺っておりましたので、在庫が残っているか……」
訳も分からないセリフを呟きながら、受付の男はそそくさと身だしなみを整え、鍵束を取り出す。
「誰かと勘違いちているようでつけど……ここは乗った方が良いかと思われまつわ」
抱きかかえたミスラが、耳元で囁く。
間違えるも何も今の自分は天狗の仮面を被った明らかな不審者だ。教会に仮面を付けて乗り込む輩など、即座に警備の兵士が来ても可笑しく無い。
しかも今は幼女化したミスラを抱えている。誘拐犯の立てこもりと見られても否定できない。
なのに受付の男は頗る丁寧な対応で、にこやかに九郎を招いてきている。
「お、おうっ……とっとと案内しやがれっ!」
殆んど罠かと思えたが、九郎はミスラの言葉に従い、何処の誰かも分からない不審者を装う。
「今日の仮面はいつもとは違うのですね。一瞬分からなかった事をお許しください」
扉の鍵を開けながら、男は深々頭を下げる。
いったい誰と間違っているのだろうか。分からないまま九郎は男の後に続く。
扉の先は地下へと通じる長い階段だった。
じめじめして湿っぽく、空気も澱んでいるように感じる。
壁は一応塗り固められているが、湿気の所為かひび割れやカビが繁殖し、どこかおどろおどろしい。
禊女と言う言葉から、牢へと通じる道なのは何となく想像出来たが、外観とのギャップに狼狽えてしまう。ミスラから青の教会は病院の側面を持っていると聞かされていたので、犯罪者を捕えている事にも疑問を覚えていた。
「アルムでは青の教会にこの様な
それはミスラも同様だったようで、頻りに小首を傾げていた。
長い階段を下り終えると、今度は果てしなく続くように感じられる、長い通路が伸びていた。
両サイドに鉄格子が備えられており、扉の前には篝火が焚かれている。どれだけの犯罪者が捕えられいるのか、数える気にもならない程の部屋数だ。
ただ、どの牢屋も無人だった。
「明日にまた浮浪者を集める予定でしたが……申し訳ありません。今日はコレしか残っていないようでして……宜しいでしょうか?」
さも申し訳なさそうにペコペコ頭を下げながら、男が手にしていたのは紐だった。
言葉の意味も分からず九郎が紐を辿ると、その先には豚が繋がれていた。
男が何を言っているのか全く理解出来ない。苛立ちを覚えて、九郎は凄む。
「何でもいいからとっとと案内しろよっ、オラッ!」
誰と間違っているのか分かっていないのだから、ここは反感を買うべきでは無いと頭は訴えていたが、男のにこやかな笑みに、九郎は底知れない不気味さを覚えて、どうしても言葉使いが荒くなってしまうのを止められない。
「おい……こいつ『
「
小声でミスラに問いかけると、自分もそう思ったとの答えが返ってきた。
男は若干歩みを速めて、どんどん奥へと進んで行く。
地獄の先まで続くかに思えた地下牢だったが、そこまで広くは無かったようだ。
突き当りの牢屋は鉄格子では無く分厚い鉄の扉だったが、鍵はかかってはいない様子。
「まだ回復させておりませんので、お楽しみいただける部分が残っているかどうか……ああ、昨日の今日でもうこんなに散らかして……」
男が扉を押しあけると、嫌な匂いが九郎の鼻に香る。
腐敗した肉の匂い。それに生臭さを足したような、相反する二つの匂い。それに糞尿の匂いが混じって、ハッキリ言って悪臭だった。
ただ九郎もなじみのある、イカとも栗の花とも言えぬアレの匂いと、雨の夜のアスファルトのような匂いが九郎の心の奥をざわつかせる。
禊女の言葉から、ある程度は予想が出来ていたが、それでも気分が滅入って来る。
「……ごめ……ん……な……さい……」
仮面の奥で顔を歪める九郎の耳に、その時掠れるような小さな嗚咽が聞えた。
「ベルッ!?」
その声を聴き間違える九郎では無い。
九郎が目を凝らすと、部屋の中で燻る僅かな篝火の光に照らされ、ベルフラムがペタンと座り込んでいるのが目に入る。
ベルフラムは呆然とした表情で牢屋の奥を見つめていた。
九郎の声にも反応を示さず、大きな瞳を歪め、滂沱の涙を流し何度も謝罪の言葉を口にして――。
「ああ全く……誰かが勝手に浮浪児を使おうとして……って女じゃありませんか。新人ですかねぇ? 女では作れない事を知らなかったんでしょう。教育が行き届いておらず誠にお恥ずかしい」
牢屋に見知らぬ者が紛れ込んでいる事にも、それほど不思議を覚えない様子で、男が九郎を奥へと誘う。
そこから先は九郎も良く覚えていない。
酷く非現実な悪夢を見ているかのような……抱きかかえていたミスラがハラハラ涙を溢し「……酷い」と一言呟いたのが、九郎の耳の奥底で響き続ける。
腐敗臭が漂う泥に紛れてキラキラと青い宝石が瞬いていた。
人の形を留めているのもあれば、崩れてバラバラになったものも。所々に豚や犬に見えるモノも。
青い宝石で出来た彫像が、いくつも部屋に散らばっていた。
「アー……」
酷く脱力した声が聞え、九郎はやっとその奥に何かが潜んでいる事に気が付く。
カラカラと硬質なガラスが崩れる音に続いて、青い彫像の山が崩れる。
そこから現れたソレを、九郎は最初、人とは認識出来なかった。
壁に両腕を繋がれたソレは、今日山ほど目にした『
――それは九郎が知る人の形とは、あまりにかけ離れていた――
頬は青黒く腫れ、片目は塞がり、腐ったジャガイモみたいな顔。
髪は艶など感じられず、薄く淡い金の色が、蜘蛛の巣のように広がっており、腕は関節が捻じ曲げられ、鎖に繋がれ項垂れる格好は、まるで操り人形のよう。
指も全て逆側に拉げ、力なく投げ出された足は膝がありえない方向で曲がっていて――。
何より九郎がソレを人だと認識できなかったのは、その肌の色が違っていたから。
人の体がこんな色になるのかと思えるほど、その色は人とはかけ離れた色をしていた。
内出血に依るものだろう、血が滲む殴打で赤く腫れた腹。
それが時間がたって変わったのか、痛々しい程濁った青い痣。
さらに何度も殴られたのか、青痣を重ねた悍ましい黒い痕。
僅かに残った肌の色も何年も体を洗っていないのか、垢で黄土色にくすんでおり、その体中を汚しているのは、腐肉の緑と生臭い匂いが残る黄ばんだ白。
腐敗した肉の残る彫像に圧し掛かられたソレは、白いパレットに絵具を雑多に混ぜたような、濁った青黒い人形だった。
「いやはや、来られると事前に伺っていれば、もう少し綺麗にしたのですが……。ですが、まだ限界は来ていませんよ。決して殺しはしないよう、厳重に規定を設けておりますので。ノヴァ様も仰っていました通り、痙攣してからが本番ですよね」
呆然と立ち尽くす九郎の隣で、男が愛想笑いを浮かべている。
慣れた手つきで豚を引きつれ、男は豚を前に押し出す。
「……ア……アー……アグゥー……」
九郎が止める間もなく、豚は人形に圧し掛かっていた。
苦しそうな、それでいてどこか壊れた機械のような声が、人形の口から力なく零れる。
「少々抵抗が弱くなって来てますね。ああ、あれをお願いします。あの途中で回復させるのは、中々見ごたえたあると職員の中でも評判で――」
隣の男は人形に近付き、無造作に折れていた足を踏みにじると、目を細めてこちらを伺ってくる。
「アグゥッ……ア……ア……ア……」
青黒く変色し、もはや足とも判別つかない蛇のようになった肉を、男は事務的に踏みしだき、にじる度に人形の口から憐れを誘う悲鳴が漏れる。
何をしているのか。朧気に理解しながらも、頭がそれについていかない。
止めなければと思うのに、夢の中でもがいているかのように体がうまく動かせない。
青い人の形をした何かに圧し掛かり豚を見て、やっと九郎は人形が女の形をしていることに気が付く。
その青い人形には大きな胸が付いていながら、禊女の案内をさせていたと言うのに、九郎の頭がどうしてもそれを受け止められていなかった。
「もう2、3頭連れて来ましょうか? もう少し声を出して貰わないと、ノヴァ様も――エヒョ――」
男は媚を売るかのように九郎に更に近付き、絞められた鳥の鳴き声を溢す。
頭蓋を失い、男は2度ほど痙攣した後数歩進み、膝を付いて崩れ落ちて動かなくなる。
九郎は手に付いた脳漿を無造作にズボンで拭い、呆然としたまま女の名前を口にする。
「…………レイア…………」
青い人形の胸の下に、炎の形の痣が赤く爛れて残っていた。
レイアに圧し掛かっていた豚は1度嘶き痙攣すると、青い宝石に変わっていく。
九郎の耳にはベルフラムの嗚咽の声もどこか遠くに聞こえ、彼女との再会時にはとめどなく流れていた涙も、今度は一滴も溢れて来なかった。
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