第271話  白の巨塔


「準備は宜しいですか? 主殿?」

「おうっ……」


 ミスラの問いに九郎は拳を打ち付け返事を返す。

 その声に幾分覇気が無いのは、心がまだベルフラム達の方に向いているからだろう。

 ――彼女達の為に今自分に出来る事をするべき。

 ミスラに諭され見上げていたのは、九郎がこの王都に入って直行していた聖輪教会だった。


 外観がこの様になっていたとは知らなかったと、九郎は面の奥で眉を寄せる。

 拷問を受けていた時からかなり大きな建物だとは思っていたが、外から見るとさらに大きく感じられる。

 国教を担っているからか、他の神殿よりも立派な外観で、壁に施されたモザイク模様も、精密極まりない。かなりの歴史が伺える建物だ。

 このような立派な建物をこれから打ち壊す予定なのだから、多少気も重くなる。


「一応聞くけど何でココ?」

「あら? わたくしの夫となる人を無理やり引きつれ拷問した場所ですわよ? どうせ騒ぎを起こすのなら、恨みがあった方がやり易いでしょう?」

「ミス……お前って白の司祭じゃなかったっけ?」

「他国の神殿とは通じておりませんし……そんな事を言っては、ルクセンの者達にも手心を加えて然るべきとなっていましたもの……。ご存分に暴れてくださいまし」

「戦争になったりしねえのかよ?」

「主殿は昨日朝に処刑された身でございましょう? まあ、できるだけ顔は隠して頂きたいですけれど。わたくし共はまだ素性も不確かな商人の一行。書簡は送っておりましたが、時期も全然違っておりますから、いきなり疑われる事も無いかと……」

「一応、交易路の拡大とかって……」

「その点はご安心くださいませ。主殿を罪人に仕立て上げていた国。気付いた時点で候補からは外れておりますわ」

「後……何で『主殿』呼び?」

「主殿の世界の本の『吸血鬼』はこう夫のことを呼んでいましたので……」


 天狗と般若。奇妙な面を付けた二人は、昼間の大通りでえらく目立つ。

 会話は聞いていても殆んど理解出来ないだろうが、物騒な可能性を否定はしないミスラが、何だか少し怖く感じる。

 しかし九郎も王城に攻め込もうとしていただけに、中々反論する材料が見つからない。

 それにミスラは、「この神殿を打ち壊す事は、後々ベルフラム達を助ける事になる」と言っていた。

 

「結界……ねぇ……」


 九郎はもう一度白の神殿を見上げて面の奥で眉を寄せた。


☠ ☠ ☠


(まあ……こうなるわな……)


 阿鼻叫喚の悲鳴の渦。つい3ヶ月前程に見た光景と寸分違わぬ光景が、九郎の前に表れていた。

 泣き叫ぶ人々。恐慌したまま怯える司祭。よく聞き取れない言葉を喚き、必死に魔法を放つ神官。


 奇声を上げて兵士だか、騎士だかが九郎の腕を切り飛ばす。

 九郎はその腕をキャッチし、無造作に振るう。

 血が飛び散り、辺りに鉄臭い匂いが広がる。


「とっとと逃げちまえばいいのに……よっ!!」


 血から湧き出て来るのは病で爛れた九郎の死体。

 一度中に入れたものを出しているので、死体に病原菌は残っていないが、それを除けば見るも無残な緑色の腐肉の塊。心を削り取るにはうってつけの素材だろう。

 死体を生み出す場所を調整し、九郎はお祈りに来ていた信者の皆さんを出口に向かって誘導する。

 彼等に恨みは無いが、こちらも色々事情がある。せめて無傷で出て言って欲しい。心の傷は「申し訳ない」と心の中で謝っておく。


「こちらも粗方終わりまちたわ、主殿」


 しんと静まり返ったホールの、誰もいない場所から、ミスラの声だけが響いてくる。


 ミスラは早々に光の魔法で姿を隠していた。

 それなら面は必要無いのではと思ってしまうが、一応念の為と言われればそれもそうかと思ってしまう。白の魔法はミスラの弱点でもあるから、九郎としても姿を消して貰っていた方がありがたい。

 今のミスラには無限に湧き出るポ九郎で作ったーション口紅があるので、命の心配は無いと思うが、それでも今のミスラに攻撃が行くのは出来る限り避けたい。

 ――今のミスラは驚くほど弱体化しているのだから。


「辛かったら外に出てろよ……。俺がぶっ壊してくっからさ……」


 姿は見えないが、口調からそれを感じて九郎はミスラに言いやる。

 ベルフラム達の為に力を貸してくれるのは嬉しいが、それで新たに誰かが危険に晒されるのでは、本末転倒でしか無い。どう動けば良いのか自分でも分からなくなっている身としては、ミスラがいてくれるだけでありがたいが、命懸けなら話は別だ。

 それは今下で頑張ってくれているフォルテたちにも言えるのだろうが……。

 九郎は眦を下げてミスラを探す。


「主殿は結界がどんなものかご存じないでちょう? それに……わたくちもつこち気になる事がありまつの。あちらの方々につこちおはなちをと思いまちて」


 九郎の膝辺りから声だけ響き、ミスラが九郎のズボンを引く。

 促されるように九郎が視線を向けると、奥まった場所にまだ数人残っていた。

 静かすぎてもう誰も残っていないだろうと思い込んでいた九郎は、驚き顔を浮かべる。


 九郎の目には、それは酷く奇妙な光景に映っていた。

 これだけ大騒ぎしていたというのに、その人々は何も問題無いかのように、跪いて祈りの姿勢で固まっていた。一瞬また気でも狂わせてしまったのだろうかと、顔を顰めるがよく見るとそうでは無いらしい。


「まちゃか人に『魔動人形ゴーレム』が混じっているとは、思ってもおりまてんでちたわ。最初ちゃいちょ目にちた時はアンデッドに見えてたのでつが……」

「いや、人にアンデッドが混じってても問題じゃね? って俺らが言うこっちゃなかったな」


 ミスラにはこのホールに入った時には、彼等がアンデッドに見えていたようだ。

 それはそれでと言いかけた九郎は、今の自分の仲間を思い出して苦笑を浮かべる。今のパーティー内には、アルトリアもクルッツェもいる。ミスラは元々『死霊レイス』達を率いていたから、あまり不思議には思わなかったようだ。

 その者達が今は『魔動人形ゴーレム』に代わっていると言う。


ちろ神殿ちんでんでつから、『魔動人形ゴーレム』がいても可笑ちくもないのでつけれど……つご精巧ちぇいこうな造りでつわね……あら? これは?」


 『魔動人形ゴーレム』達が動きそうにない事を確認して、ミスラは姿を現し首を傾げる。

 九郎も近付いてみると、それは確かに人形だった。

 ミスラが訝しげに胸元を覗き込み、眉を顰めている。

 九郎が何かと見て見ると、どこかで見覚えのある青い結晶が埋め込まれていた。


「『魔動人形ゴーレム』の核に人の心臓ちんぞうの結晶でつか……。これに霊を憑依たてていたのでちょうか?」

「悪趣味な事を考える奴もいるもんだぜ……」


 それも動いていないからそう思うだけで、これが動いていたら九郎はもう判別つかない自信がある。

 恐る恐る触ってみると、肌の弾力もあり、死体にすら思えるほどだ。

 九郎はぼやきながら人形の肌を押し、ふと首を傾げる。


(ゴムのような……どっかで触った覚えが……あっ!)

「シリコンかっ!? パッドだコレ!」


 余りの懐かしさに九郎は思わず声を上げていた。

 もう過去の栄光でしか無いが、九郎はこれでも地球ではかなりモテていた。

 関係した女性の数も、それなりにいる。その中には胸にコンプレックスを抱える女性もいた。「乳に貴賤無し」がモットーの九郎は別段気にしていなかったが、女性は女性でいろいろあるらしく、「服に合わせる為でもあるのよ!」と怒られた時の事を思い出していた。

 そう言う女性が付けていた(殆んど内綿みたいなやつだったが)胸パッドの手触りに、『魔動人形ゴーレム』の肌質はそっくりだった。


「『しりこん』?」


 九郎のセリフに口紅をちゅーちゅー吸っていたミスラが、動きを止めて首を傾げる。


「少々お待ちを……ああ、『しりこーん』の事でしょうか。へえ……元は鉱石なのですね……これ」

「いや、それは知らねえけど……」


 その二つに違いがあるのかと、九郎は自信無さ気に頬を掻く。

 ミスラは目を瞑ってふんふん頷き何やら一人納得中だ。

 『エツランシャ』の力を使ったのだろう。

 自分よりも地球の知識に詳しい異世界人というのも、なかなか奇妙な存在に思える。


「主殿……以前お話した『来訪者』の事……覚えておられますか?」


 とその時ミスラの顔がさっと青褪め此方を向いた。


「ああ……『ソウゾウ』の『|神のギフト』持ってたって言う……」

「『しりこーん』――珪素樹脂を作り出すのはまだこちらの世界では・・・・・・・・不可能・・・です……。もしかしたら……」


 ミスラが何を言っているのか――気付いた瞬間九郎も青褪める。

 この世界にある筈の無い物質が目の前にある。それはすなわち『来訪者』が絡んでいる事を意味している。

 別に『来訪者』がシリコーンを生み出していても平和で良いじゃないか――そう思う事は今は出来ない。


「ミスラ! 避難してろっ! 相手が『来訪者』だったらお前もヤバいっ!」

「そうは参りませんわ! 今敵対しているのが『来訪者』なら、尚更結界は破壊しなくては! わたくしだけでなく、お父様にも身の危険が!」

「じゃあ、せめて俺の後ろにいてくれよ!」


 九郎の心に嫌な予感が込み上げていた。



☠ ☠ ☠



 どうにも悪材料ばかりが湧いてくる。


「どけぇぇええ! 『超絶エクスブロー美人ドボムシェル』!!」


 九郎は眉を顰めて怒声を上げ、両腕を爆発させる。

 相手は見た目は人と何ら変わることの無い、神官服を着た男達。しかしもう既にミスラが『アンデッド』と見抜いている。この世界には無い筈のシリコーンで出来た『魔動人形ゴーレム』と『アンデッド』の合成物。まだ少しどこか気が咎めるが、話が通じないのなら仕方が無い。


「続けてっ! 『焼けチャード――」

「お待ちくださいまし! 『白の理』ソリストネの眷属にして、理を拒む咎人たちよ! 傅け! 『レムレース・ルクス・テトラ』!!」


 アンデッドなら以前も・・・殺して来た・・・・・。そう割り切り九郎があげた雄叫びを、ミスラの詠唱が遮る。


「また無駄になんじゃねえのか!? どいつもこいつも盛ってやがっか、ラリってやがっか、どっちかしかいねえじゃねえかっ!」


 びちゃびちゃ血肉を飛び散らせて、九郎はミスラに声を荒げる。

 塔を上がるにつれて、人の数は減って行き、人の形をした無機物が増えていた。

 ミスラが少しでも『来訪者』の情報を集めようと、何度も魔法を唱えていたが、得られた情報の数は少ない。

魔動人形ゴーレム』が、青水晶化した心臓に、『|悪魔のアルゴル』と言うアンデッドを憑依させて動かしていること以外、殆んど何も分かっていない。

 ミスラの今唱えた魔法は、アンデッドの力を増幅させる魔法で、相手を害する物では無いから、『来訪者』が作ったであろう『魔動人形ゴーレム』にも一定の効果は出ていると、彼女は言っていた。

 しかし本来なら『アンデッドの正気を保たせる魔法』であると言うのに、多くは錯乱したように笑い出したり、泣き出したり。時折粗っぽそうなのが、下品な言葉を口走りながら、ミスラに襲い掛かろうとしていたくらいだ。

 本当に効果が出ているのかと、九郎が疑問に思うのも無理はない。


「禊女の癖によぉぉぉ! イイおオおオンナじゃねエかァァァあああ!

 流石青の神殿だぜぇぇぇ! 噂通りえれぇ別嬪じゃねえかぁぁぁあ!

 ドどうせ最後なんだぁぁ! 犯して犯して犯しまくってっ……

 穴と言う穴をぐちゃぐちゃにシテェェェ…………………

 ……………………………………

 …………

 ……」 


 またこれかと九郎は動かなくなった『魔動人形ゴーレム』を見やり、眉を顰める。

 時折出てくる、聞くに堪えない言葉を叫ぶ者達。その多くが今のように、女を抱く夢を見たまま電池が切れたように動かなくなる。

 しかし女性に聞かせたいようなセリフでは無い。


「ちっ……反吐が出るぜ……」


 九郎は動かなくなった人形を蹴飛ばし、悪態を吐き捨てる。

 女性は大事に、がモットーの九郎とは、死んでも相いれない類の男。同じ男としても見られたくない。


「不思議に思いませんか?」


 九郎が嫌悪に顔を歪めていると、ミスラが訝しげに九郎に向く。


「笑い出したり泣きだしたりする者は、きっと『青水晶』の中毒で死んだ者達です」


 何が? と九郎が訪ねる前に、ミスラは続けて言って後ろを指さす。

 後ろには錯乱したまま動かなくなった、『魔動人形ゴーレム』の残骸が残っていた。


「ですが女を抱いたまま『死の言葉』を唱えるこの者達は、いったい何で死んだのでしょうか?」


 ミスラは再び目の前で倒れて動かなくなった『魔動人形ゴーレム』に目を向けると、胸元をはだけて九郎に尋ねてくる。そこには他の人形と同じく青い結晶が埋まっている。


「禊女って言ってたじゃねえか。元罪人なんだろ? そのまま処刑されたんじゃねえの?」

「ですがそれでは少しおかしくありませんか?」


 九郎はこの神殿の牢屋で聞いた話を思い出し、首に平手を添えてうえっと舌をだす。

 九郎の言葉にミスラは少し考え込み、再び九郎を見上げてくる。


「この者達の核も他の者と同じく『青水晶』になった心臓です。処刑されたのであれば、心臓はどうして……」


 確かに言われてみれば、少し不思議な気もしてくる。

 しかし心臓を核として埋め込むことからして、もう九郎の中では狂人の行いだ。どれだけ悍ましい所業をしているのかなど、想像もつかない。


「キメセクでもしてたんんじゃねえのか? それとも別の心臓に憑依させてたとか……」

「普通の人間は心臓が動きを止めれば、数十秒で意識を失います。『死の言葉』はあれほど長くは唱えられません。それに『悪魔の首アルゴン』が憑依出来るのは、自分の死した肉体だけです。だからこそ、『死人帰り』と呼ばれるのですわ」


 九郎が顔を歪めたまま思った事を口にすると、ミスラがそれでも食い下がる。


「何が言いてえんだよ?」


 別に今考えることじゃあ……――思わず苛立ちを覚えて、九郎が声を荒げると、ミスラは立ち上がり、沈痛そうに言葉を続けた。


「ですから、この『青水晶』を生み出している元凶がいる筈ですの。魔物か……それともアンデッドか……ともかくかなり危険な毒を持つものが、この王都に潜んでいる可能性があります。もしかしたら王家が飼っているのかも……」

「やべえじゃねえかっ!」


 ミスラの懸念を聞き終え、九郎は再び焦りと不安で慌てだす。

 毒に強い耐性を持つ『不死者』ならばまだしも、クラヴィス達もリオ達も生身の人間だ。

 ベルフラムにしても決して楽観視は出来ない。彼女の事も、九郎はまだ何も確かめていない。自分と同じように毒にも強いのか、それとも傷が治るだけか。確かめようとも思わない。

 一つ間違えば死ぬというのに、ベルフラムにそんな危険を冒させるなど、九郎は考えるだけで眩暈がする。

 

「事情が少し変わって参りました。ここの結界を壊したら、直ぐにお父様達と合流しましょう!」


 本当に悪材料ばかりが増えていく。

 九郎の心で、また嫌な予感が嵩を増やした。

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