第270話 『シハイシャ』
ふっふっふぇ……ひゃっひゃっふゃっ……
……フェャァァヒャヒャヒャッヒャヒャッヒャッ!!
この日雄一は朝から頗る機嫌が良かった。
狂ったように歓喜の笑い声を上げ続け、勝利の美酒に酔いしれていた。
「俺がこの手で嬲り殺しにしてやろうと思ってたのによぉ? ええ、呆気なさ過ぎんじゃねえカァ? なんか言って見ろよぉ?」
死を悼むことなど頭の中に欠片も無い。憎悪と安堵で濁った瞳を撓ませ、雄一は死体の顔をぐりぐり踏みにじる。あの日以来、飲んでも全く酔えなかった酒が、今日は驚くほど体に染みわたる。
「聖輪教会に捕まったってなぁ? 焦ったんだろぉおん? 魔力封じの結界があるなんて思ってもいなかったんだろぉぉおん? 所詮魔力頼みの『不死』だったんだろぉぉおおん? ざぁぁあんねぇえんんでぇしたぁぁぁん!」
死体の顔に汚い尻を擦りつけ大便をひり出し、それをそのまま素足でにじる。
狂人もかくやの嗜虐性が、人の死を冒涜していた。
「機嫌がよろしいですなぁ。それが言ってた男ですか? おお、惨い酷い」
四肢の無い女の尻に腰を打ち付けていた禿げた男が、歪んだ笑みを向けてくる。
女の表情はピクリとも動いていない。それどころか瞬きすらしていない。
「ああン? まだ全然足りねえよぉ! 俺の楽しみを奪いやがった拷問官は、一人残らず殺しちまったからもう悲鳴も聞けやしねえぇぇえ!」
雄一は答えて男を一瞥する。
小動物もかくやというほど怯えていたとしても、恐怖の原因が消え去れば途端に横暴な正体が現れる。遠く離れた場所で確認し、妻達を向かわせて再度確認し、やっと直接目にして確認した時、雄一は溜まりに溜まったストレスを全て他者にぶつけていた。
自らの残虐性のぶつけ先を壊してしまった雄一は、新たな生贄候補を値踏みする。
(こいつどうすっかねぇ? もう用済みだしブッ殺しても良いんだがぁ……)
桂 五十六――『ソウゾウシャ』の『
無機物なら何でも生みだせ、姿かたちも思いのまま。金でも
この新たな『来訪者』との出会いは、雄一にとっては幸運で、彼にとっても……まあ幸運だったに違いない。
雄一は屈辱の日々を思い出し、憂さを晴らすかのように九郎の死体を踏みつけながら、辛く厳しかった過去を思い出す。
思い出すだけで憤怒の感情が漏れ出るような、屈辱の日々を――。
☠ ☠ ☠
奇跡と呼ぶに相応しい偶然で生き延びた雄一は、その後築いた地位も名誉も投げ捨て、恐怖から逃れたい一心で人里離れた山に身を隠した。
決して死ぬ事の無い『不死者』から向けられた殺意は、雄一の心に尽きない恐怖を齎していた。
自分がまだ生きている事が九郎に知れたら……そう思うだけで夜も眠れず、飯も喉を通らない。内臓その他多くの部分を失っていたので、味すら感じず、ただ恐怖に震える日々を雄一は1年もの間続けていた。
しかし一年も過ぎる頃、雄一の抱える恐怖の中に憎悪が混じり始める。
なぜ自分がこの様な目に遭わなければならないのか。
なぜ自分がこんな惨めに暮らさなければならないのか。
因果応報の言葉は雄一の頭の中の辞書にはない。
他者を貶め責めることでしか自分の優位性を確認出来なかった男は、次第に憎悪を滾らせ、恐怖心を塗り替えていった。
ただやはり怖いものは怖い。
憎悪の相手は殺す事も倒す事も出来ない不条理な存在だ。
心の芯に刻まれた、悍ましい不死者と再び事を構える気にはならなかった。
暴力を振るう側であり、絶望させる側だとずっと思っていただけに、いざ自分がその立場に立たされると、足が竦んで体が震えた。
だからまず雄一は保身を図った。
仮面を被り、名前を偽り、権力に取り入り、身の安全を図ろうと画策した。
それは自己顕示欲の強かった雄一にとって、屈辱以外の何物でも無かったが、それすら甘受できるほど、雄一は九郎を恐れていた。
そんな恐怖に震える日々の中、雄一は偶然森で五十六を見つける。
こちらに来て間もないのが一目瞭然の姿。『くたびれたスーツ』を装備した五十六は、毒か飢えか……既に死にかけていた。
五十六は膨大な魔力と『
これまでであれば『来訪者』は殺しの対象としか見て来なかった雄一は、虫の息の五十六を見て初めて同郷の人間を利用しようと企む。恩着せがましく恩を売り、都合の良い情報だけを与えて五十六を囲い込み、自分のスケープゴートに仕立て上げる事を思い着いていた。
五十六は『
(世界に男は俺以外必要ねえケド……このハゲはどうするかねぇ?)
出会った頃に比べて豚のように太った五十六を眺め、雄一は彼の命を計りにかける。
五十六はかなり無機質な人間だった。
他人に興味を覚えず、それどころか自己も希薄に感じるほどに色が無い。
今も一心に痴態を晒していると言うのに、一向に気にした様子が無い。
無気力と言う訳では無い。言えば動くし話しかければちゃんと通じる。
自分が無い――端的にいうなれば、五十六はそう言う類の人間だった。
しかし、それが雄一にとってはまたとない幸運だった。
雄一の『
五十六はいってみればスカスカな心の持ち主で、雄一すら気付かぬ内に『シハイシャ』の力に囚われていた。責任も結果も何もかもを放り出し、無気力に無機質に日々を過ごす五十六は、自分の未来さえ雄一に放り投げていた。
雄一はこの時初めて『シハイシャ』の新たな力、『従属』を知る。
本来『シハイシャ』の力は、この『従属』を主として構成されていた。
『シハイシャ』と同じ思いを胸に抱き、力を貸し、未来を託す。
心を預ける――その行程を経て、従属者との間に青い糸が繋がれ、その能力を倍加させる。同時に従属者の能力の一端を『シハイシャ』へと献上する。
雄一の持つ『
これまで雄一が他者を支配するのに使っていた、絶望によって生まれた心の隙間に入り込む手法は『隷属』。敵対者すら配下にする為の能力でしか無かった。
力づくで操る配下から能力の献上など行われる訳も無く、それどころか操るのに一々魔力を消費する。
対して『従属』は魔力を必要とはせず、それどころか逆に魔力を献上してくる。
『隷属』させた者のように、自在に操るとはいかなかったが、雄一の意に沿うように極力動こうとしてくれる。
これまでたった一人で人形劇を演じていた雄一にとって、五十六の存在はとても
「一応生かしておいてやっかぁ? 感謝しろよぉ? センセ?」
「はいはい。それで、ノヴァ君、コレどうします? 邪魔なんで捨てても良いですかね?」
雄一の上から目線の言葉におざなりな返事を返し、五十六は濁った青い目でベッドを眺めながら尋ねてくる。
そこには青い結晶と化した物言わぬ死体が転がっていた。
「んなもん、そこにいる王様に聞けよぉ? もう貴族は粗方人形に変えちまってんだから、逆らうやつもいねえんだしよぉ」
雄一は青い結晶と化したウルス王子を一瞥すると、部屋の隅で置物のように座っているアラミス国王を指さす。
今迄は自分の存在が目立たないよう、彼等王族を矢面に立たせ慎重立ち回って来た。しかしそれももう終わりになる。
九郎が死んだ今、雄一に怖いものなど何も無い。
人知れず手駒を増やし、九郎に備える計画ももはやどうでも良くなった。
「ああ、ソレはもう殆んど壊れてしまってますよ? やはり2次の『青水晶』では経年劣化が激しいですな。そう言えば『純正』の生産はどうします?」
壊れたおもちゃを見る目で国王を一瞥し、五十六は再び腰を振り始める。
「ばぁぁぁああか! 続けるに決まってンだろぉん!? 俺のやり場の無い
雄一は残虐な笑みを浮かべて、酒を煽る。
アルコールが喉を焼く痛みが、今日ばかりは心地よい。
「あ、それとそうそう。なんか街で火事が広がってるみたいですよ?」
天気の話でもするかのように五十六が虚空を見つめ、つまらないことを口にする。
自分が生み出したゴーレムと視覚を共有しているのだろう。
雄一は鼻で笑って杯を重ねる。
街が火事になろうがどうでもいい。もう表立って平和を装う必要も無くなった。
見た目平和な国を装っていれば、九郎に見つかった時に「心を入れ替えた」と最後の言訳になるかも知れない。そう目論んでいたが、それも杞憂に終わったのだから。
「どーでもいいじゃねえか。それこそっ! 別に何人死のうが俺様はちーっとも痛くねえんだしよぉ? 死んだらゴーレム……はメンドクセえから、スケルトンにでもしちまえば良いんじゃねえのぉ?」
溜まっていた鬱憤が弾けて、いつもなら苛立ちを覚える知らせにさえ鷹揚と答えられる。
久しぶりにゆっくりと眠ることが出来る――雄一はにちゃぁとした安堵の笑みを浮かべた。
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