第268話 強者の勘
アプサル王国王都より東に3日の距離にある、王都への宿場街として栄えるダランの街。
王都近郊と言う事もあり、行き交う人の数は多い。
交易品その他も入り乱れており、春蒔き用の種を売る業者が軒を連ねて活気に満ちていた。
そんなダランの商用区から少し離れた路地裏を、三人の男女がてくてく歩いていた。
背負った荷物はどれもこれも使い込まれており、旅慣れた者である事が伺える。そしてさらに見る者が見れば分かる、熟練を感じさせる武具の数々に、路地裏のスリ達が警戒の目を向けていた。
「ほ~う。今日もようけ活気付いとるのぅ」
先頭を歩いているのは、まだ歳若い森林族の少女。緑色の髪を馬の尻尾のように揺らし、物珍しそうに周囲の露店に目を彷徨わせ、暢気そうにも見える。しかしスリ達が手出しをしようとしないところを見ると、見かけに因らず少女に隙が無いのだろう。翠の外套を身に纏い、その下には厚手のベスト。下着かと思う程丈の短いズボンと、太腿を殆んど覆う長いブーツ。背中には蔦が撒きついたような装飾の弓を背負い、露店の間を飛ぶように走り回っている。
「オババっ! そう先にちょろちょろ行くんじゃねえっ! 昨日迷子になったのもう忘れたのかよ!?」
その後ろでげんなりした表情で愚痴を吐いているのは、鉱山族の男だろうか。鉱山族特有の地に着くような髭は見当たらず、代わりに後ろ髪が長い。鈍色に輝く胴鎧を着こみ、背中には大きな鍋と戦斧を担いだ、戦士を思わせる出で立ちだ。マントの代わりに良く分からない毛皮を着こみ、森林族の少女を目で追うその様は、保護者と言うより心配性の弟に見えてしまう。
「ガラン……諦めろ……。耳が遠いのか痴呆なのか……もう俺は両方って言われても驚かねえよ……」
その横に並んで厳めしい顔をしているのは、この一行の中で唯一人族と思われる若者。頬に十字傷を刻み、短めに刈られた赤髪は怒髪天を突いているような印象を受ける。顔の凶悪さも手伝って、悪鬼を思わせる強面だが、幾分言葉に覇気が無い。腰に二振りの
「聞えちょるぞー! ファルア! それに昨日は儂が迷子になっちょった訳じゃ無かろう? あれはお主らが迷子になっちょったちゅーんじゃ!」
「3人中2人が探し回ってたのに、その言い分は通らねえよっ! シルヴィ!」
「そりゃあ、お主らが迷子になっちょったから、儂を探して彷徨っちょったんじゃ! 儂が森で迷子になぞ……ならんもん!」
「その間はなんだっ!? オイ、こっち見て言ってみやがれ!」
「嫌じゃぁぁ……ファルアに睨まれたら、違うちゅうても謝らなあかんようになるんじゃぁぁぁぁ……。騙されんっ! 今日ばかりは騙されんぞぉぉぉお!」
種族間の確執を知る者ならば、一行が奇妙に映っていただろう。
元来仲が悪いとされる森林族と鉱山族。そのどちらをも見下している節がある人族。三者三様の確執があるというのに、その一行は仲間であるようだった。
ただ……仲が良いのか悪いのかまでは会話からは覗えなかった。
☠ ☠ ☠
「しっかし……けったいなアンデッドじゃったのぅ」
ファルアの額の青筋から目を逸らしつつも、恐れに負けて足取りを緩めたシルヴィアは、話題を変えようと空を見上げて一人言ちる。
珍しいアンデッドが近くの森にいると聞きつけ、昨日シルヴィア達はその調査に出向いていた。
『不死者』九郎を探して、世界中を歩き回っているシルヴィア達は、『アンデッド』と聞きつけるととりあえず調査に向かう。万が一と言う可能性もあるし、逸話が間抜けであればあるほど、信憑性が増してしまい、無視出来ないのだ。
「まさか『
今回の案件も、「黒髪の若者が森で3ヶ月も飲まず食わずで斧を振り回している」と言う間抜けなものだった。黒髪との噂は九郎の特徴と合致し、もしやと思って出向いていた。その正体はガランガルンが言うように、『
「だからあいつがこの大陸にいりゃあ、3年も音沙汰ねえってことはねえよ」
ファルアが嘆息しながら、肩を竦めて眉間を揉みほぐす。
ファルアはハーブス大陸には九郎はいないと見ているので、今回の案件にはもともと懐疑的だった。
「まだ3年じゃねえか。つーかお前もあんまり老けねえなぁ。ホントに人族か、ファルア?」
ファルアの言った通りの結果に終わり、ガランガルンが悔し紛れにファルアを茶化す。
「ガラン坊……お主もホントは分かっちょろう? うちのリーダー様はのう……実は……悪――」
「オババっ!? 口に出して言うんじゃねえよ!? 落ち着け悪……リーダー!」
「テメエら……今何て言おうとした?」
同じ立場のシルヴィアが話題に乗っかり、ファルアが眉を吊り上げる。
「儂の旦那様はどこで何しちょるんじゃ……。コルル坊やぁぁぁ……儂が今危険に晒されちょうぞぉぉぉぉぉ」
ファルアの青筋が濃くなったのを見やり、シルヴィアはいつものように助けを求めて鳴く。
最近恒例化してきたやり取りだ。仲間同士の掛け合いに、九郎がいつ入っても良いようにと、シルヴィアは話の中に九郎を混ぜ込む。何も同じ弄られキャラを求め、負担を軽くしようと図っているだけでは無い。
九郎を探して駆けずり回っていたシルヴィア達は、これからケテルリア大陸へと渡る船に乗る予定だった。これだけ探し回っても見つからないとしたら、行き交いが限られているケテルリア大陸にいるに違いないとのファルアの弁に、皆が同意を示した形だ。
ただケテルリア大陸となると、1年で戻って来るのは難しい。シャルルたちに2年で戻ると新たな言伝を頼み、準備を整えミラデルフィアを出発したのが2ヶ月前。まだ船が出るのには3ヶ月ほどの猶予がある為、のんびりとしたものだ。
だからこそファルアも懐疑的な目撃情報にも付き合っていたと言える。
そうこうしている内にシルヴィア達は奥まった場所にある一件の酒場に行きつく。
まだ早朝で、酒場が開いてる時間でも無いが、こういう酒場は宿を兼ねていることも多い。3人とも腕利きの冒険者であり、懐にも余裕はあるが、シルヴィア達はこういった場所の宿を好んで使っていた。
3人とも酒好きな事と、情報を得るのならこういった場末感が漂う宿の方が、何かと都合が良いからだ。
それだけ危険も伴うが、一人で冒険者を長年続けていた者達。街中の危険など、臆する物では無い。
「とりあえず湯あみはしたいのぅ……。ああコルル坊の風呂が恋しい……」
「確かにこう寒くちゃ、アレのありがたみはわかるぜ」
「女将ぃ~。帰って来たぞい。熱めの湯を貰えんかのぅ」
この宿に泊まるのも今日で2日目だ。
2日目にして勝手知ったるを気取ってシルヴィアは揚々と扉を開く。
煤と油で汚れた年月を感じさせる扉は、ギィと軋んで外の光を中へと伸ばした。
「あんら~。おかえりなさ~い、シルヴィアさ~ん。お湯ね? 分かったわ~。それと、シルヴィアさん達にお客さんが訪ねて来てるわよ~ん」
男か女か良く分からない風貌の女将? がでっぷりと太った腹を揺らしながら、シルヴィア達を出迎える。見た目としゃべり方のギャップが良いのか、誰に対しても世話焼きの性格が表に表れているのか、冒険者と言う荒事に従事しているにも拘らず、シルヴィアの人受けはかなりいい。残る二人が気難しそうなのも関係している。
「儂等に客人とな? ゆうて儂らがここに泊まっちょうてよう分かっ……」
冒険者は基本的に根無し草だ。拠点としている街以外で、名指しで呼ばれるのは珍しい。
訝りながらシルヴィアが眉を顰め店内を見渡す。
店内は酒場を兼ねてはいるが、朝の酒場は
「わあっ! キミがシルヴィ?」
あれだろうかとシルヴィアが奥を見やると、数人の男女が座ったテーブルから、弾んだ声と共に一人の少女が立ち上がった。
「シルヴィアは儂じゃが……!?」
最初から愛称で呼ばれた事に少し驚きながらも、シルヴィアが答える。
「良かった~、入れ違いに成らなくっ……って、ちょ、ちょっとどこ行くのさ~?」
胸の大きな少女が、安堵の笑みを浮かべていた。
その瞬間、シルヴィア達は一斉に外に向かって脱兎の如く駆け出していた。
「なんだっ!? あのやべえのはっ!」
ファルアが泣きそうな顔で誰に問うでもなく叫ぶ。
この男のこれ程恐怖に歪んだ顔は、仲間内でも見た事が無い。
「オババ御指名だぞ!」
ガランガルンが、自分の誓いをどこかに放って、シルヴィアの背中を追う。
一行の中で一番足が遅いからか、一番切羽詰まっている。
「なんで『
シルヴィアが走りながら振り向き、がなる。
その目が恐怖に見開かれ、口元からは悲鳴が漏れる。
「ちょっと待ってよぉー」
胸の大きな少女が、慌てて後を追ってきていた。
『アンデッド』ばかりを相手にしてきた3年の月日は、自然とシルヴィア達に多くのアンデッドの知識と伝承を授けていた。同時に『アンデッド』に対する恐怖は薄れ、近しい者でもあるかのように振る舞えるほどにもなってきていた。
しかしモノには限度と言うものがある。
強者だけが覚える類いの恐怖。経験から導き出される、ありえない伝承が、今背中に迫って来ている。
誰も気付いていない中に潜んでいた、異質に気付いた3人は、すぐさま実力差を悟って逃げ出していた。
出会うまでは鼻で笑うような伝承だったが、出会ってしまえば分かってしまう。
シルヴィア達は天に祈った。もう祈るしか道が残されていなかった。
(足にはそれなりに自信があったのにのぅ……)
蟀谷に流れる汗をそのままに、シルヴィアはぐっと腹に力を込める。
呆気なくシルヴィア達は、袋小路に追い詰められていた。どれだけ足に自信があろうとも、疲れ知らずの『アンデッド』相手に逃げ切るのがここまで困難を極めるとはと、悔しさも覚えていた。
普段なら逃げ道を先導するのはファルアの役目だが、彼もこの街に来てまだ2日目。昨日他の依頼で外に出ていた事もあり、まだ周辺の探索が終わっていなかったのだろう。
また後ろの『
仲間達の顔を横目に見ると、顔面を蒼白にしながらも、「もう戦う他道は無い」と覚悟を決めた様子が伺える。
武器を構える手が震えているのは自分も同じと、シルヴィアはカタカタ震える指に渋面する。
「も~……。何で逃げんのさ~……」
アンデッドは疲れない。しかし疲れた様子を装い、胸の大きな少女は膝を押さえて息を吐く。
逃げ出すのは当然だろうと、3人が揃って心の中で突っ込む。
突然部屋に
逃げ出さないのは
「な、何が目的じゃ!?」
壁際に追い詰められながらも、シルヴィアは最後の勇気を振り絞る。
『アンデッド』を多く相手にしてきた事で、得た教訓。言葉が通じるならば見逃して貰えるかもと、最後の希望に縋った形だ。
ここから先は綱渡り。選択肢を一度でも間違えれば命は無くなる。3人が同時に唾を飲み込み――、
「いや、キミ、シルヴィアさんだよね? クロウって知ってる?」
「「「ぐぶっ!?」」」
放たれたセリフに3人が同時に
まさかここでその名前を聞くとは思いもしていなかった。
「なっ!? コルル坊を知っておるのか!? 何処にいるんじゃっ!?」
思いもかけない名前が飛び出て、シルヴィアが状況も忘れていきり立つ。
「ボク達と一緒にいるんだけど、今動けなくって……だからボクがキミを探しにきたんだ~」
少女の暢気そうな笑みに、ファルアとガランガルンは武器をポトリと地面に落としていた。
シルヴィアだけが気付いていないが、ファルア達は気付いてしまった。
ありえない状況、ありえない存在。そんな者が突如襲い掛かって来て、九郎の名前を出して来た。
もう成るようにしかならず、とても間の抜けた終わり方が目に浮かんでいた。
「まさかっ!? コルル坊は捕まっちょったんか?!」
「そうなの……。だから一緒に来て欲しいんだ」
「そんなっ!? コルル坊に何をするつもりじゃ!?」
「何って……色々……シテ貰うつもり……だ……よ?」
「そりゃあいかん! コルル坊には手を出すんじゃないっ!」
「それは聞けない相談だよぅ。手を出さない訳がないじゃん。……あれ? ボクが出してもらう方?」
かみ合わない二人の会話が両者赤面で終わったのは、目つきの悪い少年が、息を切らせて追いついたその後の事だった。
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