第267話  忘れたなんて言わせない


 結局九郎がベッドに潜り込めたのは、もう後少しで夜明けと言う時間だった。

 昨日は徹夜。その前は眠ってはいたが常時拷問されていたので、流石の九郎も瞼はかなり重くなっている。


 ミスラの調べで、『青水晶』と呼ばれる麻薬――殆んど毒と言っても過言ではないが――は、中毒者そのものを新たな『青水晶』に変えてしまうことが分かっていた。過剰に摂取すると、血液中で拒絶反応が起こり、それが結晶化して新たな『青水晶』になるのだと言う。何度か九郎の体で試したところ、最初に心臓が結晶化し、その後毛細血管へと広がって行くことも確認された。


 ある意味、際限なく麻薬を生産することができる、性質たちの悪い麻薬と言えるのだが、効果は代を越える毎に弱まって行き、数代続けば殆んど効果は無くなるようだ。しかし逆にその所為で代を重ねた『青水晶』は価格も安く、それが広い間口になってしまい、アプサル全土に広まっていることも、その後のミスラの『エツランシャ』でわかってきていた。

 ベルフラム達は、この毒の秘密を何か握ってしまい、王家に消されそうになっていたのだろう。


(そんで少なくなった国民を『魔動人形ゴーレム』で補充……。独裁者みてえな王様だな……王様ってのは普通はそんなもんなんか?)


 九郎の知る王様は一人しかいないので何とも言えない。人族と魔族では国民に対する考え方も違うのだろうかと考えると、人族に含まれている九郎は少し落ち込んでしまう。自分が人族と言うのも、もう怪しくなっているので、そう考えると更に落ち込む。


 九郎はルキフグテスに聞いた、世界の種族の特性を思い出す。

 この世界には多くの種族が住んでおり、人族は獣人族に次いで多産だとルキフグテスは言っていた。直ぐに数が増えるので、その所為か為政者からは命が安く見られており、その扱いも軽いらしい。シルヴィアやガランガルンのような妖精種は、保守的な者が多く、小さなコミュニティーで暮らしている事が殆んど。クラヴィス達獣人種は、増えるのも早いが寿命が一番短く、また頭が弱い者が多いので、蛮族と見られることも多いと言う。


 だが九郎の知るシルヴィアやガランガルンは決して保守的には思えないし、クラヴィスの頭の良さは九郎も舌を巻くほどだ。


 結局人に因るのだろうなと、ありきたりな答えしか出ず、九郎はシーツに潜り込む。


 キィ……


 九郎が瞼を閉じようとしたその時、軽い木の軋む音とと共に、廊下のオレンジ色の灯りが部屋の中に伸びていた。


(アルトが帰って来たんか? つっても出発したんは一昨日だったし……)


 九郎は訝しがりながらも体を起こし、扉の隙間に目を向ける。ノックも無しに部屋に忍びこんで来る仲間を、九郎はアルトリア以外に知らない。ミスラとの記憶は早く消し去りたい黒歴史なので除外している。


 アルトリアだとすれば、色々覚悟を決めなければならない。添い寝のお誘いだろうと、ただいまのハグだろうとも、九郎は彼女を拒めない。「いつでも抱きしめる」との約束も有るし、何よりアルトリアはエロくて可愛い。血気盛んな九郎のクロウは、例えどんな苦痛が待っていようとも、今はそんな場合では無いと咎めても、なかなか空気を読んでくれない。若いと言うのも罪な事である。

 九郎が散りゆく息子に敬礼し、もう一度扉に目を向けると、隙間から赤い髪が僅かに覗いていた。


「……起こしちゃった?」


 部屋の中を覗き込んでいたのはベルフラムだった。眠ってしまったと思ってクラヴィス達と一緒の部屋に寝かしつけていたのだが、起きてきたようだ。らしくない遠慮がちな仕草に、九郎は苦笑しながらもジンワリ背中に汗を感じる。

 今や九郎の罪の形となった彼女に、どうしても罪悪感がこみあげてくる。


「こ、これから寝るとこだったんだよ! ベルも疲れてんだろ? 一応この宿は貸切だし、この階には宿の人も立ち入らないよう言ってあっから、明日はぐっすり昼まで休んどけよ。そんでたらふく飯食って、また休んで……言ったろ? もう大丈夫だって。王都から出れねえって言ってたけど、それも任しとけって! 一緒にいたオッサンいただろ? あの人地面にトンネル掘れっから! あ、イケメン共もいたろ? あいつら空飛べっから! ベル達なら軽いから行ける行ける。重いって言いやがったらぶっ飛ばしてやっから!」


 普段よりも遥かに饒舌なのは、それだけ焦っている証である。

 九郎はあたふたと手を動かしながら、必死に言葉を並べる。


「一緒に寝ちゃ……ダメ?」

「――――!?」


 蚊の鳴くような小声で尋ねてくるベルフラムの言葉に、九郎の心臓がキュウと縮まる。


(なんでだ!? 変わってねえだろ!? いや、だからか!? 分っかんねえ!)


 九郎は目をバッテンにして、口をへの字に曲げて暫し悩む。

 ベルフラムの見た目は、4年前別れた時と少しも変わっていない。それまでずっと一緒に寝ていたし、今更だとも思う。なのに、どう言う訳だか緊張する。


「もう15歳なんだろ? 一人で寝れねえって……そりゃ」

「だって子供なんでしょ? 私は。クロウの中で……」


 ベルフラムは九郎の答えを待たずに、部屋の中へと入って来る。

 薄い微笑を浮かべたベルフラムだが、どこか余裕が無さそうにも見える。

 ミスラの夜着を着た彼女は、どう見てもお子様にしか見えない。裾は引きずり気味だし、袖の丈も余っている。大人の服を着た子供。ベルフラムの今の格好は、以前よりも更に幼く感じられる。


「だからいいでしょ? 懐かしいなぁ……」


 九郎が言葉を探していると、ベルフラムは九郎の言葉を待たずにシーツに早々潜り込んでいた。

 ベルフラムは九郎が慌てているのも構わず、腕に抱きつきホッとした表情を浮かべて目を細める。

 そんな表情をされてダメと言える男も大人もいやしない。不安そうにしながらも、必死に震えを隠そうとしている少女を前にして、断れる者などいるのだろうか。

 辛い日々の中、やっと再会した頼れる大人。甘えたいと思う心情に不思議はない。


「あいつらは良いんかよ?」


 ただ何となく気まずい感じも覚えてしまい、クラヴィス達は? と九郎は尋ねる。

 あの頃を懐かしむのであれば、クラヴィス達も一緒の方が良いのではないか。穴の中を除けば、ベルフラムと二人きりで寝たのは、一日だけ。その後はずっとクラヴィス達も共に寝ていた。

 どうせ懐かしむのなら――そう思って言った言葉に、ベルフラムが拗ねた口調で言って来る。


「何よ……あの子達の方がおっぱいおっきくなってるからって……」

「乳に貴賤なしってのが俺のポリシーだ! 最初に言ったろ?」


 九郎は慌てて取り繕う。まさかそんな返しが来るとは思ってもいなかった。

 確かにクラヴィス達は驚くほど成長していたが、そもそも獣人種は成長が早いと聞いていたし、なによりベルフラムは九郎の所為で成長していないのだから、比べるのは酷というもの。そもそも、女性の外見を比べる事も、九郎の中ではタブーだ。

 全くそんなつもりは無かったと弁解しながら、九郎は自分の言葉のヤバさに気が付き冷や汗を流す。

 出会って最初に言った言葉でもあるが、今の状況だとロリコンのセリフにしか聞こえない。

 しかし他に何と言えば良いのか。一言一言が薄氷を踏む思いがする。


「そうよね! クロウならそう言ってくれるって信じてた! 忘れてないわよ! はい!」


 九郎が自分の言葉に葛藤していると、ベルフラムは安堵の表情を浮かべて、シーツの中で手を伸ばしていた。

 抱っこをせがむ子供の様な仕草に、九郎は苦笑しながらそれに応える。

 心中は穏やかでは無いので、余裕を見せるのも精一杯だが。

 ここに至って九郎も、自分が何故ここまで狼狽えているのかの理由に思い当たっていた。


(分かってんだろうな!? オマエラ早起きしてたら切り落とすぞ!?)


 今のロリコン発言で気が付いたが、ここのところ九郎のクロウは活発だ。

 寝ている間に早起きしている姿を、ベルフラムには見られたくない。

 辛い生活をしていたにも関わらず、自分を心配させまいと、必死で優しい言葉をくれた少女に、これ以上無様な姿は見せたくない。そう言う心理が働いていたのだろう。


 汗ばむ背中に眉を寄せ、九郎は身を硬くしながら瞼を閉じる。聞き分けのない息子が、今日ばかりは大人しくしていることを願いながら。


「温かい……クロウはやっぱり温かいね」


 微睡む意識の中で、ベルフラムの嗚咽の混じった呟きが、耳にずっと残っていた。



☠ ☠ ☠



 九郎の眠りはいつも深い。

 一度眠りにつくと、それこそ叩いても引っ張っても起きないのだ。

 それはベルフラムも良く知るところである。


(4日も寝続けた事もあったもんね……)


 眉を寄せたまま深い眠りに落ちている九郎の寝顔を見つめて、ベルフラムは懐かしさに目を細める。

 笑みを浮かべながらも指でつつくと、少しは反応するのだが、起きる気配は全く無い。

 いつまで経っても変わらないのは九郎も同じ。少しウェーブがかった黒髪と、難しそうな寝顔もあの頃と全く一緒だ。

 いつまででも眺めていたい。あの幸せだった生活を思い出させ、心まで温かくしてくれる。子供だった自分に勇気をくれ、少女だった自分に恋をくれ、孤独だった自分に温もりをくれた青年を、ベルフラムは心から愛していた。


(私の……英雄……)


 九郎の髪を愛おしげに撫でながら、ベルフラムは九郎の頬に軽く唇を寄せる。

 起きない事を確認して、ベルフラムは今度は九郎の口に唇を寄せる。

 鳥のように何度も唇を啄ばむ音が、光の射し込む部屋にいつまでも響く。


(大好きよ……クロウ……。だからこそ……私は行かなきゃいけない……)


 ベルフラムは頬に伝う涙を拭いもせずに、長めのキスを交わす。


 九郎と再会できたことは、奇跡と呼ぶにふさわしい出来事だった。

 しかも封印の術が解けると言うおまけつき。日々手を拱いていたベルフラムにとって、これ以上を望むのは躊躇う程だった。

 彼女が「流石私の『英雄』」と愛情を深くしたのも当然の事で、出来ればこのままずっと傍に――そう思ったのも嘘では無い。もう寝顔を見ているだけでも息ができなくなりそうなほど、愛が溢れている。


 しかしベルフラムは九郎に全てを打ち明けられなかった。


 雄一が生きている事を知ったら、九郎は何が何でも倒しに行くだろう。

 絶対倒れない『不死身の英雄ヒーロー』――しかしベルフラムの脳裏に浮かぶのは、ただのチンピラに手も足も出せなかった、あの日の九郎の姿だった。

 九郎がレイアの事をどう思っているのかは怖くて聞けなかったが、あの感じからして恨んでいるとは思えない。

 ならば結果は見えている。

『来訪者』2人を相手に、全く手出しが出来なければ――浮かんでくるのはベルフラムにとって、死よりも最悪な想像だ。ただ弄られるだけで何も出来ず、それどころか九郎を苦しめる為に雄一はレイアを傷付けるかも知れない。殺してしまっては意味が無いから、殺す事はしないだろうが、それもどこまで当てにできるか分からない。


 九郎の存在が雄一に知られる前に、レイアを救出しなければならない。

 ベルフラムは焦っていた。

 幸い魔法は復活し、最悪な状態でレイアの救出を慣行することは免れている。何処に囚われているのかも、ある程度の目星は付いている。


(……クロウ言ったよね?)


 ひとしきり長い口づけを交わした後、ベルフラムはゆっくりと体を起こす。

 体が火照って感じるのは、何も九郎が温かいからだけではない。

 今のベルフラムも、十分に熱を放っていた。


(私を貰ってくれるって……)


 鼓動の音は五月蠅いくらいに耳に響いており、流石の九郎も起きてしまうのではないかと不安になる。

「…………いった……」


 ベルフラムの口からは押し殺していた筈の声が零れていた。


☠ ☠ ☠



 春先の冷たい風が吹く中、朝の王都は不気味なほどに静まり返る。

 今や人口の3割は『魔動人形ゴーレム』へと代わっている王都の朝は、静かすぎて暗鬱な印象も受けるが、『魔動人形ゴーレム』達は一応アンデッドとの合成なので、朝の澄んだ光の中だけは、動きが鈍る。


「あ痛たたたた……」


 その人気の無い路地を歩きながら、ベルフラムは顔を顰めて小声で呟く。

 幸せの痛みだとは感じているが、そうは言っても傷は傷だ。


「これ……どうしよ……」


 ベルフラムは借り物の夜着に僅かに着いた赤い血に、顔を曇らす。

 これからの予定を考えると、血の染みなど可愛い物かも知れないが、律儀な性格がどうにも罪悪感を覚えさせる。


「塞がったりしないわよね? ずっと痛いのもそれはそれで嫌だけど……むぅ」


 静かな街を歩きながらベルフラムは独り言をまた呟く。

 自分の傷を気にするのも久しぶりの事に感じる。


 なぜこの傷だけは治らないのか。ベルフラムにはその理由はある程度思い当たっていた。

 この傷が自分が心から望んで刻んだ傷だからだろう。


 自分の身に『加護』が齎されている事を知ったベルフラムは、一つの疑問を思い抱いていた。

 それはなぜ自分だけに・・・・・・・これ程・・・強力な加護・・・・・が降りているのかと言う謎だ。

 九郎はある意味ベルフラムよりもクラヴィス達を気に掛けていた節があった。自分よりも幼い事。最後の最後でも九郎を否定したりはしなかった事。少し嫉妬もしてしまうが、より幼い者を心配に思うのは、彼の性格からしても当然にも思える。

 出会った当初、「子供だから」と優先的に守られていた自覚があるだけに、少なくとも同じだけの愛情を注いでいたはずだ。

 なのにクラヴィスやデンテには、ベルフラムの様な加護は無い。それは成長具合から見ても明らかだ。


 原因として最初に思い浮かぶのは、九郎の肉を食べたかどうか。

 これはかなりの確率で関係していると思えた。『不死者』の肉を食べ、己の血肉とした事で、『不死』に近い存在になったのではないか。そう言った予想は容易についた。


 だがそれだけではない何かが、必要だった。

 なぜならベルフラムは洞窟を出た後、少しは成長していたし、怪我も何度かしていたからだ。


 考えるに、4年前の山での戦闘の際には既に『加護』が降りていたと考えられる。

 あの時初めて儀式を慣行したベルフラムの体は、本来儀式に耐えられる状態では無かった。魔力も枯渇寸前で、魔力回復の蜜を口にしていたとは言え、大人10人分の魔力を要する儀式に、子供のベルフラムが耐えられる可能性は万に一つも有りはしなかった。


 ならばいつから。ベルフラムの頭に思い浮かぶのは、人生の中で一番心が震えた一場面。


(やっぱり、あの時からよね……)


 絶体絶命のピンチに、物語の『英雄』のように頭上から九郎が登場したあの時から。九郎がベルフラムの全てを受け取ると宣言した時から、自分の『加護』が力を増した。自然とそう考えた。

 おそらく式典――所謂神の祀り事の場で宣言したベルフラムの「全てを捧げる」との言葉と、九郎の「ベルフラムは『俺のもの』だ!」との言葉が、神に認められたからだろうと思っている。

 言葉や意思が力を持つ世界。特に神に対しての誓いや宣言は、時に驚くほどの力を持つ。


 昨夜のベルフラムから湧き出た赤い光は、今迄体を治していた時より遥かに早く傷を癒した。それはすなわち九郎がベルフラムの体に傷が残らないよう願っていたからだと考えれば合点がいく。

 九郎の意思の延長上に自分があり、それが効果に表れていたのだとベルフラムは分析していた。


 しかし今朝ベルフラムは自ら傷付く事を望み、あまつさえ心の底からその傷が残る事を望んでいた。彼の願いに背いてしまった。

 だから――傷はそのまま残った。


 もしかしたら『加護』を失ったのでは……とはベルフラムは考えていない。

 今でも九郎を想う心に嘘は無いし、昨日以上に好きになっている自分がいる。心から溢れる想いは、尽きそうに無い。


「……よかったのですか?」

「……よかったって……痛かったってのが一番だったけど……それだけじゃなかったって言うか……って――」


 唐突に声をかけられ、ベルフラムは思わず思い出して赤面した後、目を瞠って振り返る。

 いつのまにかクラヴィスとデンテが後ろに並んで歩いていた。昨日用意されたものなのだろうか。王都の町人の子供服を身に纏い、顔色も昨日よりも大分良い。

 予想していなかった事もあり、驚き顔で名前を呼ぼうとしてベルフラムは口を塞がれる。


「静かにしてください! 気付かれますよ?」


 クラヴィスが耳元で咎めてくる。

 ベルフラムが人目を忍んで出て来た理由を、彼女は既に理解しているようだった。


「あなた達は宿で……」

「匂いで気が付きましゅ……」

「ちょっとデンテまで!? そんな……匂いって……どっちの…」


 ただベルフラムは彼女達を戦いに伴うつもりは無かった。

 レイアを助けに向かうのは、自分の我儘であり、弱ったクラヴィス達にまで自分の我儘に付き合わせる気は無かった。

 レイアを助けるのは、ベルフラムの主としての責務。彼女達には関係無い。

 せっかく九郎と言うもう一人の保護者が現れたのだから、放り出す事にはならないと安心していた。


「まさかとは思いますけど……お一人で向かおうだなんて思っていませんでしたよね?」

「えっ……と……」


 だからクラヴィスの鋭い問いには口ごもってしまう。

 加護で殆んど体に消耗は無いベルフラムと違って、クラヴィス達は2年の間、キツイ生活を余儀なくされて来た。戦える状態にはとても思えない。


(クラヴィスってば……私の方がお姉さんなのに……)


 ベルフラムは自分の心を見透かされて、視線を逸らす。

『不死』の『加護』に気付いて以来、逆にクラヴィスは心配性になっていた。

 多少の怪我は気にする必要の無くなったベルフラムは、傍から見ていると危なっかしくて仕方が無かったのだろう。以前よりも過保護になったとすら思う。


「3人で迎えに行くって決めましたよね?」

「あぅ……うん……」


 腰に手をあて見下ろして来るクラヴィスの背中には、怒りの炎が見える。

 クラヴィスはもうベルフラムよりも頭一つは高いので、これでは叱られている子供みたいだ。


 言葉が話せなくなっていたとは言え、4年以上も共に過ごしていれば、意思の伝達は容易であり、もとから1を話せば10を悟るクラヴィスとは会話にも不自由はしてこなかった。

 クラヴィスは一同の中で一番戦闘力が高い事もあり、ベルフラムはこれまでクラヴィスを止める側だった。何度か特攻を慣行しようとしたクラヴィスを、涙ながらに止めたのはベルフラムの方だ。


「ちょっと……まさかクラヴィス。あなた私が死を覚悟してたからって思ってないでしょうね?」


 ただベルフラムとしては特攻するつもりは欠片も無かった。危険は確かにあるだろうが、今は魔力も戻っている。

 一応2年の間に『魔動人形ゴーレム』の配置されている場所は、大方調べ尽くしてある。

 日に日に増える『魔動人形ゴーレム』全てを把握出来ているとは言い難いが、それでも今の自分の魔力なら、隙をつくくらいは出来る筈。勝算があったからこそ、こっそり抜け出してきている。


 クラヴィスの様子からして、今朝のアレには気付かれているのだろう。

 強引に想いを遂げたベルフラムは、もしかしてこのまま――と思ったのかも知れない。

 しかしそれは思い違いであり、ベルフラムはこの先もずっと九郎の傍にいたいからこそ、一人で戦いに赴こうとしていた。


「違うんですか?」

「違うわよ! その……言いにくいんだけど……」


 だから今朝のアレは関係無い。そう言おうとしたベルフラムに、クラヴィスは訝しそうな顔をする。

 なんだかしゃべれるようになって、早速尋問されている気がしてくる。

 そう言えば、クラヴィスはベルフラムの言葉が戻っている事も突っ込んで来ない。

 もしかしたら声も聞かれていたのではないかと思うと、ベルフラムの顔は見る見る赤く染まって行く。


「ああ、焦ってたんですか……。ものすごく綺麗な女性ひとでしたから……あの人……」


 両手で夜着の裾を握りしめ、ベルフラムが羞恥に悶えていると、クラヴィスは一人納得した表情を浮かべ、まじまじとベルフラムの顔を覗き込んでいた。

 ベルフラムの心臓がきゅっと縮まる。


「そうじゃな――。やっぱりそうなのかな? 安心したってのもあるんだけど……クロウがずっと一人ぼっちじゃなかったって、感謝もしてるし……」


 あわあわしながらベルフラムは顔を隠し、心の中で言い訳を並べる。


(だってしょうがないじゃない……。あんな綺麗な人見たことないもん……。おっぱいも大きかったし……クロウの事夫って呼んでたし……あんな人とシテたら私なんていつまでたっても振り向いて貰えないかもって……思っちゃったんだもん……)


 ベルフラムは九郎の禁忌タブーを知らされていない。知る機会が無かったからだ。

 九郎はこれまで全くベルフラム達には欲情せず、レイアのみに反応しており、それも3人の子供がいた為、常に抑制されていた。だからベルフラムは自分がこの世界での九郎のハジメテを奪った自覚は無い。今の所どちらも気付いていない。九郎は出来るようになっていた事すら気付いていない。


 ミスラが九郎を夫と呼んだ時点で、ベルフラムは既に九郎とミスラがそう言う仲だと思っていた。

 それはミスラの先走りなのだが、常識で考えて結婚している(実はまだ)のにシテいないとは考えもつかなかった。


 勿論、あのミスラと言う女性ヒトに感謝しているのは本心からだ。別れた時の九郎の寂しそうな表情は、ずっとベルフラムの心にささくれとして残っていた。愛する人をこの女性が支えてくれたのだと思うと、感謝はしてもしきれない。


(それに優しそうだったし……気遣いも出来て……クロウの為なら下水道に飛び込む事も躊躇わなかったし……)


 しかしミスラが物語から飛び出て来たような完璧な美少女だったことで、ベルフラムの中に小さな焦りが生まれていた。成長していない事への焦りも手伝って、このままでは一生振り向いて貰えないのでは? との恐怖に突き動かされた部分もあった。

 見た目は完璧だが、とても……とても、物凄く、かなり残念なミスラの内面を知らなければ、その焦りも当然だろう。


 覆った手の指の隙間から、ベルフラムは答えを求めるようにクラヴィスを覗き見る。

 しかしクラヴィスはベルフラムに死ぬつもりが無かった事を確認して満足したのか、既に周囲を伺い、戦闘態勢に入っていた。


「でも……内緒でってのはクロウ様怒るんじゃないですか?」

「だって……クロウ言ったもん。私を貰ってくれるって……」 


 耳をひくつかせながら呟いたクラヴィスに、ベルフラムは子供のように頬を膨らませて言い訳していた。

 言い出す機会を想像し、じっとりとした汗を握りしめて。


☠ ☠ ☠


「ん……」


 とても良い夢を見ていた気がする。

 人々から恐れられ、逃げ惑っていた自分を、誰かが笑顔で抱きしめてくれる夢だった。

 これまでにない最高の寝覚めを感じて九郎は薄目を開ける。


「っておわっ!? まさかっ!? おい……マジかよ……。よりにもよってお前……」


 ただそれは気の所為だったようだ。

 カーテンを透かす光の影が、窓際に落ちる頃、九郎は飛び起き顔を覆う。

 目が覚めた瞬間気付く、下半身の解放感。モテ男だった九郎にとっては、久しぶりの敗北感。

 下着に感じる乾いた感触に、九郎は悶えて嘆息する。


「ああ……一応無意識にももごうとはしたんか……なんでその痛みで起きねえんだよ……俺は……」


 シーツと股間に残った血の跡を見て、九郎はボンヤリ息子を眺める。

 心の底から避けたいと思う時に限って、こうなるのは男としての運命なのか。

 修学旅行の時にやらかしてしまった友人を、最早笑う事は出来ない。


「いやっ……これはそのだな……男の生理現象っつうか……ってあれ? ベル?」


 もう手遅れなのは分かっていても、とりあえず言っておかねばならない。

 九郎は頭を掻いて情けない自分に辟易しながら、隣で眠っているであろうベルフラムに向かって言い訳の言葉を並べ、ベルフラムの姿が無い事に、安堵の溜息を吐き出す。

 見られたのか見られていなかったのかは難しい所だ。彼女がいつ起きて出て行ったかによって、今後の九郎の態度が変わって来る。

 もしも気を使われてしまっていたのなら、昨日よりも更に罪悪感に苛まれる事になる。


「どうしてお前はそんなに満足そうなんだよ……」


 九郎は2度寝を決め込んでいる息子に向かって、もう一度深い溜息を吐き出していた。

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