第266話  熱と氷


(あれから746日……)


 ベルフラムは呆然と佇む九郎の頬に両手を添え、慈しむような笑みを浮かべる。


 自分の体の異変にベルフラムが気付いたのは、下水道に潜み始めてから直ぐのことだった。

 暗闇でもある程度目が見える獣人のクラヴィス達と違い、ベルフラムは伸ばした手さえも見えない暗闇の中での生活に酷く難儀を迫られていた。


 それでなくても暗闇はベルフラムにとって、懐かしい場所でもあるが、恐れを齎す場所でもある。

 その時手を握っていてくれた人はおらず、その当時、唯一役立っていた灯りの魔法も使えなくなってしまっていた。灯りは程なくしてクラヴィスがどこからともなく、薪を集めて来ていたが、それまでは本当に真っ暗闇の中で生活しなければならなかった。

 当然ベルフラムは転ぶ、ぶつける、怪我をする。

 体調だけは元気だったこともあり、クラヴィス達だけに周囲の警戒や、食料の調達をさせているのを気に病んでのことでもあったのだが、不衛生な下水道で怪我をすれば、瞬く間に悪い病に侵されてしまう。

 ベルフラムは一人落ち込み、また涙目になってしまっていた。


(あの時は……ほら、ちょっと気が弱ってたから……)


 誰に言い訳するでも無く、ベルフラムは頬を赤らめて九郎の頭を胸に抱き、当時を思い出す。


 ベルフラムはその時初めて、自分の身に九郎の加護が降りている事に気付いた。

 暗闇の中で主張するかのように湧きだした、赤い煙の様な光は、ベルフラムが呆気にとられる中、裂けた傷口を覆うように集まり、塞いでいた。

 それはかつて目にした九郎の『再生』には及びもつかない速度であったが、間違い無く『不死』の『加護』に見えて、思わずベルフラムは嗚咽を漏らしたものだ。

 離れていても九郎が自分の事を忘れていない――彼女はそう受け取っていた。


(成長しなかったのも、クロウの所為なんだからね!)


 九郎の髪を愛おしげに撫でながらも、ベルフラムは時折乱暴に髪を掻きまわす。

 裸の胸に男の頭を抱いているのだから、彼女も相当恥ずかしい。

 しかし胸に込み上げてくる愛情の方が勝ってしまい、どうにも手放せなくなっている。

 まだ膨らみかけの硬い――言う程硬くも無いが――平たい胸に抱かれた九郎の方も困惑しているかも知れないが、予定では美しく成長し、豊かな胸でこうするつもりだったので少し悔しい。母親の遺伝を考えると、それはかなり望み薄だったとは言え、だ。


 とにかくベルフラムは、この『加護』があったからこそ、過酷な潜伏生活を生き延びる事が出来たと感じている。いつから、なぜと言う点に於いてもおおよそ辿り着いている。

 ただその加護がどこまで有効なのかは、ベルフラムも良く分かっていない。

 流石に「一回死んでみる」と試す事は出来ず、とにかく頑丈になっているというだけで、彼女にとっては充分だった。ただのか弱い小娘では無くなったというだけで、希望になった。


 潜伏生活が始まって3ヶ月ほど経った頃、アルバトーゼの街の為政者の殆んどが行方を晦ましたと言う事で、流石に兄アルベルトが抗議に王都を訪れたようなのだが、期待していた事は起こらず、兄はそそくさと領地に戻ってしまっていた。長い物に巻かれる主義だったのか、それとも死んだと思われていた『青の英雄』が生きていた事を知ったのか。

 若しくは、『魔動人形ゴーレム』に変えられて、領地へと戻って行ったのか。


 それからもベルフラム達は必死になってレイアの救出作戦を模索していた。

 九郎の加護を授かっていたとは言え、ベルフラムは魔力を失い声も出せない状態なのは変わらない。レイアの救出の為に地下に潜伏しながらも、様々な手を考えてはいたが、どうしても決定力に欠ける。

 相手は二人の『来訪者』。敵わないのは目に見えている。それどころか、自分に宿った『不死性』に気付かれてしまっては、レイアが即座に殺されてしまう可能性も高い。

 身を焦がされるような焦燥の中、ベルフラム達は2年の月日を過ごしていた。


「クロウ……あなたのおかげで私はあなたに再び出会えた……。そんな顔しないでよ……」


 ただ手を拱いている状態の中、それでも望みを失わなかったのは、自分を支えてくれていた九郎がいるから。万感の思いを胸に、ベルフラムは再び九郎の目を見つめる。


「だってよ……俺の所為で……」

あなたのおかげで・・・・・・・・よ! 間違えないで!」


 目の前の男は、最後に見た時と同じ、今にも泣きだしそうな顔。

 ベルフラムは怒った口ぶりで言い返して、もう一度九郎を胸に抱き寄せる。


「ちゃんと私は生きてるのよ? ほら、温かいでしょ? クロウ、聞こえる? ドキドキしてるのが……」


 愛しい男を抱きしめながら、ベルフラムは思う。

 やっぱり九郎は温かい――と。



☠ ☠ ☠



「ヒカルゲンジケイカク……と言うものでしょうか?」

「…………。茶化すなよ……」


 ミスラの呟きに九郎は項垂れ力なく答える。

 ベルフラム達は既に部屋で眠っている頃だろう。大丈夫そうに見えても、ベルフラムも精神的疲労はかなりのものだったのか、ホッとしたような表情を浮かべた後、微睡の中に落ちて行った。


 時刻はとうに夜更けを過ぎ、後2刻もすれば朝日が昇って来る。

 光を絞った燭台を見つめて、九郎は大きく息を吐き出す。

 その表情は、後悔の色がまだ色濃く出ており、青褪めて今にも倒れそうな程だった。


「あの娘は言っていたではありませんか。この『加護』が無ければ、到底生き伸びられなかったと――」


 ミスラは九郎の手を取り言いやる。

 どうすれば目の前の男を元気付けられるのか、戸惑っているようにも見える。

「女性にそのような気を使わせるなど男としてあっちゃなんねえ!」と、平時の九郎なら空元気でも平静を装っていた事だろう。

 だがしかし、今の九郎にその余裕は全く無い。

 ベルフラムはああ言って・・・・・くれていたが、九郎の気持ちは落ち込んだままだ。


(俺が……ベルを化物・・にしちまった……)


 九郎は両手で顔を覆って顔を歪める。

 ベルフラムが言った通り、九郎の『加護』が無ければ生きられなかったのだとしても、ショックは隠しきれなかった。

 人であろうとはしているが、九郎はもう既に自分を『化物』と自認している。

 レイアに言われるまでも無く、ずっと思っていた事だ。

 死なないと言うのは、それだけで『化物』と呼ばれるに足りると言う事を。アンデッドもいる世界であり、地球よりもその存在が認められている世界だとしてもだ。


「考えてる事がリュージでなくても丸わかりですわ。わたくしやアルトリアさんに失礼ではなくて?」

「でもよぅ……」


 ミスラの拗ねたような口ぶりに、九郎は眉を寄せて口ごもる。

 ミスラの言う通り、今の九郎の仲間の中には『不死者』と呼ばれる者達が大勢いる。

 九郎にとっては皆大事な仲間だ。ミスラとアルトリアには恋慕の情すら抱いている。

 しかしそれでも自分達は、多くの人々からは『化物』と呼ばれる存在なのも確かなことで――。


 九郎の頭に過去に自分がやらかした、数々の悍ましい光景が思い浮かぶ。そしてそれを見た人々の恐怖に強張った顔も。

 ガタガタ震えていた野盗の顔。必死に目を背けようとしていたゲルムの顔。恐怖に狂ってしまったルクセンの兵士達の顔。顔。顔。

 そして敵意と恐怖を露わにしていたレイアの顔と、最期に「誰も自分を見てくれない」と泣いていたベルフラムの顔が浮かぶ。

 多くの人々に囲まれ、健やかに幸せに暮らせたはずの少女の未来が途絶えてしまった。何より、レイアがベルフラムを『化物』と呼ぶ光景を想像すると、血の気が引いてしまう。


「もう……。グジグジ悩んでいる殿方も嫌いでは無いのですが……。でもわたくしは、やらかした後に苦笑で誤魔化しているクロウ様のお顔の方が好みですわ。それに、今は他にやるべき事がおありになるのでなくて?」


 何とも酷い慰めの言葉もあったものだと感じながらも、九郎はようやく顔をあげる。

 ベルフラム達からまだ多くの事情は聴けていなかったが、「王家の企みに自分達が嵌められた」ことと、「レイアはその前に暇を出していた」とだけは聞いていた。

 だから一応、九郎の最大の懸念は払拭されている形だ。理由を聞いてもはぐらかされてしまい、下水道でのクラヴィスの表情もあって、まだ不安の全ては拭いきれてはいないのが気がかりではあるのだが……。


「これからどうするか……か……。一旦ベル達は避難させなきゃなんねえが……」

「もう一度調べてみたのですが、彼女達の手配書は回ってはおりませんわ」

「でも、『王都からは出れない』って言ってたんだよなぁ……」


 九郎は唸って眉を寄せる。

 王家の企みに嵌められてベルフラム達が追われているのなら、一旦安全な拠点まで引き返すべきだろう。どう言う企みだったのかは、明日聞く予定だが、すぐにとはいかない可能性も高い。クラヴィス達の回復を待たなければならないのと、脱出方法を考えなければならないからだ。流石に街壁の検問所は顔を隠して通れるモノでも無いので、九郎もそれは同じと言える。

 最悪ベルフラム達を取り込んで細胞移動すれば話は早いのだが、それは最後の手段にしておきたい。

 ベルフラムがどこまで自分と同じなのか、怖さも手伝い聞くに聞けず、九郎は自分の凄惨な姿はなるべく見せたくなかった。


 九郎が再び、違った問題で渋面してると、部屋にノックの音が響く。


「姫様。クルッツェです。入っても宜しいですか?」

「あら、良いですわよ? 珍しいですわね。普段は何も言わずに入って来るのに」


 続いて聞こえた男の声に、ミスラは訝しげにしながらも中に招く。


「いえ、もしかしたらと思いまして」

「まぁ!? わたくしもそこまではしたなくはございま――」

「あだっ!? 侍従長! 扉開けて入ってください!」


 扉をすり抜けて部屋に現れたクルッツェの言葉に、ミスラがボフッと顔を赤らめ頬を膨らます。

 抗議の言葉が終わらぬ内に、外からベーテの抗議の声が聞えてくる。

 九郎とミスラが顔を見合わせていると、額を押さえたベーテと苦笑しているアルフォスが中へと入って来た。


「んだよ? 寝てたんじゃねえのかよ?」

「まさか。我々の主な任務は夜間の哨戒警護ですよ? 昼間は陛下がおられるので、我々は小間使いしかできませんし。情けない顔を見せたくなかったでしょうから、気を使ってあげたのですよ。侍従長は心配していたようですが、我々はデキないのを知っておりますから。姫様、こちらを」


 悪友達にもいらぬ気遣いをさせていたのかと、九郎は居心地悪そうに目を逸らす。

 アルフォスは九郎の言葉に、意味深な笑いを噛み殺してミスラに何やら手渡していた。


「それは?」


 九郎がミスラの手元を見ながら尋ねる。

 ミスラの手元には白いハンカチが置かれ、青い水晶の欠片のようなものがいくつか包まれていた。


「いえ、あの子が『王家に嵌められた』と言っておりましたので、もう一度調べておりましたの。交易を考えていた身としては、捨て置けない言葉でしたので……。彼女は公爵家のご令嬢でしょう? そんな貴族の娘が行方不明になったのに記録が残っていない。かなり可笑しなことですもの」


 ミスラが手元の青い欠片を光に透かしながら、答えにならない答えを返してくる。

 取りあえずもう一度情報を洗い直していた事は分かったと、九郎は黙って続きを促す。


「ほら、俺らも治安や経済状況を調べてたろ? んで一応交易品とかも調べてたんだが……お貴族様のお嬢さんの記録が消される事案ってのは、まあ後ろ暗い案件かなぁ……と」

「まあ簡単に言うと麻薬ですね。ボナク様の顔繋ぎの際に、下町の歓楽街で数件声を掛けられておりまして……それを少し貰って来ました。無断で」


 早い話が盗みをしてきたらしい。

 ミスラの代わりに説明をくれたアルフォス達に、九郎は眉を顰めて頬を引くつかせる。

 九郎もベルフラム達に手を差し伸べなかった王都に対して、良い感情は抱いていない。自分も問答無用で拷問されていたので、その気持ちは尚更だ。

 しかし今日の今日で、早々盗みを働いてくるアルフォス達には流石に驚く。

 多分クルッツェが手に入れて来たのだろうが、それにしても何とも手が早い。

 即座に指示を出していたミスラに対しても驚いている。情報の価値を知るミスラらしいとも言えるが、手段を選ばないその手管は、少し引いてもしまう。


「麻薬? あのレイア……聖女が解決したって言う?」


 九郎は呆気にとられながらも、もう一度ミスラに尋ねる。

 アルムを出発する前、ミスラに頼んで調べて貰ったベルフラム達の最後の記録が『青麦』と呼ばれる毒――麻薬が引き起こした事件だった気がする。九郎が『青麦』が麻薬の側面を持っているのを知っているのは、薀蓄がてらにミスラが語っていたからだ。


「それは『青麦』ですわ。でもこれは――」

「巷では『青水晶』と呼ばれる物らしいです。まんまですね。最近はもっぱらこちらが主流だそうで。ただ効能の方は『とにかくイイ』としか聞かされていないので……姫様失礼します」


 アルフォスはミスラの手からその結晶を受け取り、九郎の前に差し出していくる。

 一瞬ハテナと首を傾げた九郎の口に、アルフォスはニッコリ微笑みそれを突っ込む。


「ひぇめっ! なにひゃーがふ!?」

「大人しくしてなさい。以前からあなたは『毒なら任せろ』と言ってたではありませんか! 毒見ですよ、毒見!」

「なるふぉろ」


 九郎が目を剥くと、アルフォスはさも当然のように言って来る。

 九郎はそう言えばそうかと納得する。

 アルムに着く前までは「毒なら任せろ」を地でいっていた。今更毒などどうなる物でも無いと、口に入れられた毒をバリバリ咀嚼し、飲み下す。

 そうして一拍置いた後、


「って、それじゃあ毒見になんねえよっ!」


 突っ込みを入れて九郎はそのままの体勢で倒れていた。

 今迄食べた事の無い毒だったようで、そうなると体が慣れるまでは九郎は毒に侵される。死なないのは分かっているので気楽なものだが、一応体が慣れるまでは無害と言う訳でも無い。

 強引に体内で削り取る事も可能だが、毒見といっていたからには効能も確かめないといけないだろう。


 九郎は毒が体に行き渡るのを待ち、そのまま身を委ねる。

 麻薬と言われていたが、どうやら量が多すぎたようで、体の倦怠感が凄まじい。なんとなく空を飛んでいるような感覚もあるが、上空16000ハインからの落下の爽快感には及ばない。どこかで食べて・・・いた気もするが、それより強力なのだろう。


「アルフォス!? 流石に乱暴なのではなくて?」

「ご心配に及びません。こいつは気付いていないだけで、度々こう・・なってたんです。硫黄泉に首突っ込んで『飲めるか確認してやんよ』って言ってそのままプカーと浮いたり。んなもん見りゃわかんだろーってのまで、お構いなしです。んで暫く経つとケロッとしてるんで、心配するだけ無駄ってもんです。大体、こんな体勢で死んじまったら……くっ……」


 突然倒れた九郎に、ミスラが慌ててアルフォスに詰め寄っている。

 聞こえていないと思っているのか、ベーテがミスラにここぞとばかりに告げ口している。

 体がピクリとも動かないが、どうやら突っ込みの体勢で固まってしまっているらしい。ベーテは顔を背けて肩を震わせている。


(馬鹿野郎! わっかんねーじゃねえか! 異世界だぞ? 食えるか食えねえかなんて、食ってみなきゃ分かんねえしっ!)


 言われた通りにやっているのに、笑いものにされては堪らない。手遅れかも知れないが、自分の恥部を喧伝されるのも腹が立つ。

 九郎が無理やり体を起こそうと腕に力を込めた途端、腕がポロッともげた。


「「「あ」」」


 周囲の目が九郎に集まる。

 九郎も自分の体に目を瞠る


「クロウ様……それ・・……そのままでお願いできます?」

「? ……うん?」


 ミスラが目を瞠ったまま、九郎の腕を指さす。

 そのままとは? この腕を死体に変えろということか、それとももう少しそのまま固まっていろと言う事なのだろうかと、九郎は首を傾げる。そのまま首がゴトリと落ちた。


「なかなかえぐい毒じゃねえか……」

「いえ、考え方によっては、かなりの利益を生む麻薬かと……」

「まあ……それはそうでしょうケド……。血管が硬化していますわ。凝血の上位である石化毒でしょうか?」


 九郎がパキパキ割れる中、ミスラは冷静に分析している。

 死体を量産するのを見ているだけに、彼等ももうこんな光景では驚かないのだろう。倒れた時には慌てたミスラも、何となくその光景を思い出したのか、九郎の顔を手に取りながら、今は研究者の目になっている。


(やっぱ、ベル達にあまり見せねえ方が良いよなぁ……この光景……)


 九郎は自分の体を眺めながら、これでまだましな方なのだからと、嘆息する。

 目の前にはバラバラの自分の体が、灯りに照らされ蒼くキラキラ輝いていた。

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