第261話  謀略の毒の味


「国王陛下のおな~り~」


 黄色の神官服をきた男の酷く芝居じみた声が響き渡り、ホールの奥の扉が開いた。

 会場に流れていた優雅な音楽がピタリと止み、その場がシンと静まり返る。

 ざわめきすら聞こえない、どこか不気味に感じる静けさ。

 ベルフラムは肌が粟立つ感覚に襲われ、無意識に肩を抱いていた。


 開かれた扉からはカツカツと硬質な音を響かせ、3人の男が姿を現す。

 一人はベルフラムも肖像画で知っていた、アプサル王国の国王、アラミス・アプサルティオーネ4世。

 肖像画が美化されて描かれていたのか、幾分老けて緩んだ顔だが間違いないだろう。白髪の混じった赤茶の髪。高い鷲鼻に一応の王者の風格は感じる。

 その右には彼を若返らせたような風貌の40過ぎの男。多分アプサル王国第一王子、ウルス王子に違いない。現アプサル国王は5人の妻を迎えていたが、男児は王子一人しかいなかった筈――。

 素早く確認を終えるとベルフラムはもう一人の男――国王の左に侍る男を窺う。


 ベルフラムの背中には冷たい汗が流れていた。

 横目でクラヴィス達を見ると、どちらも身を固くし喉から警戒の唸り声を漏らしている。

 今日ばかりはと、穴の開けていない女中メイド服を着せていた事が仇となったか、彼女達のスカートが大きく後ろに膨らんでいる。尻尾が立とうとしているのだ。


 男の姿は一言で言うと異様だった。

 青い布をターバンのように頭に巻き、その隙間からは白い髪の毛が僅かに見える。

 服装は紺の礼装と別段可笑しな点は無い。ただ奇妙な格好――左手だけに手袋を嵌め、左足首からだけ白い靴下が覗いていた。

 そして何より異様さを感じさせるのは、その顔を覆う奇妙な仮面。

 国王がいる場で仮面を付ける等、その場で地位を剥奪されても可笑しく無い非常識さだ。

 黄色と青。中心ですっぱり別れた奇妙な仮面は、のっぺりとした面に、三日月を横に傾けた型の穴が3つ開いているだけ。

 口と両目の部分に開けられた、手抜きとも感じる奇妙な面のその奥で、黒と青の互い違いの目オッドアイが同じように撓んでベルフラムを見つめている。

 その視線に言いようのない不快さと不気味さを感じ、ベルフラムが小さく息を飲む。


「ほっほっ。そんなに緊張するな、レミウスの末娘よ」


 アラミス国王が好々爺の笑みを湛えて厳かに言いやる。

 『弱気な王』と揶揄される事もあると言うが、彼が即位してから大きな反乱は起こっていない。小国を強引に纏め上げた巨大国家アプサルの内情を考えるに、『賢王』との呼び声も納得出来る温和な笑み。


「ノヴァよ、余りレミウスを怖がらせるでない」

「っ……」


 顔を強張らせているベルフラムを眺め、アラミス国王は隣の男を嗜める。

 仮面の男は僅かに頭を下げて、一歩引く。舌打ちしたようにも聞こえたが、その声は酷くしゃがれており、見た目以上に老けているのかも知れない。


「陛下の御前であるぞ! ひかえおろう!」

「も、申し訳ございませんっ!」


 ウルス王子が怒気の籠った声を上げた。

 王子に関しては余り良い噂を聞かない。現王が健勝な所為か、それとも王位継承が決定しているからか……放蕩に明け暮れ、傍若無人だと噂されている。

 慌ててベルフラムは膝を着き、クラヴィス達もそれに倣う。


「ウルスよ。そちもカリカリするでない。今日は慶事ぞ。多少の無礼には目を瞑れ。

 それに彼女達は国難を救った者達。咎める為に呼び寄せたのでは無い」


 一人国王だけが穏やかな声を出す。

 この場にいる者の中で最高位の存在が、自分達に懇意的な眼差しを向けていると言うのに、ベルフラムの心に湧き上がる不安は収まらない。


 何か嫌な予感がする――それはクラヴィス達を見れば明らかだ。

 ゴクリと唾を飲み込む音が、やけに大きく耳に響いた。


「此度は大義であった。多くの国民を失わせた元凶を突き止め、民を救った聡慧なる娘たちよ。国の荒廃を防いだ労をねぎらい、国家君主として賛辞と共に褒美を遣わす。レミウス公爵家、末子ベルフラムの従者レイア・ストレッティオよ」

「ぴゃっ、ぴゃいっ!」


 そんなベルフラムの緊張を他所に、国王は淡々と続けて述べる。

 言いようのない不安に「早くこの場を離れたい」と感じていたベルフラムは、小さな吐息を漏らす。

 式典とは言え、貴族の不備が招いた事件。国民に大々的に示すのではなく、内内に権威を広める事に留めるつもりなのだろう。周囲に控える貴族達への牽制の意味もあるのかも知れない。

 ベルフラムはレイアの聞き慣れた鳴き声に、少し安堵の表情を浮かべ、


「そなたには『青の聖女』の称号と、騎士爵『青の盾』の称号を――」

「お待ちください、陛下」


 再び顔を強張らせた。

 早く終わって欲しい――ベルフラムの願いは、一人の男の声に遮られていた。

 驚愕してベルフラムは目を剥く。

 いくら穏やかな王とは言え、式典に口を挟みいれるのは明らかに越権行為だ。

 貴族にはある程度、王に意見する権利も認められてはいるが、それにしても事前に言うなり便宜を図る。

 貴族達には前もって催しの内容が伝えられているし、何よりこれでは王の面子が丸潰れだ。


 この場で処刑されてもおかしくない――ベルフラムがその思いと共に顔を上げると、嗜虐的な笑みを浮かべた王子の姿が目に映る。


「これウルスよ。式典の最中に口を挟むのは儀礼に悖るぞ?」

「ですが陛下。栄えあるアプサルの『聖女』の称号と『盾』の称号を授けるのは……早計かと存じます」


 この場に於いて王に唯一意見出来る者。

 やんわり窘めるアラミス国王に、ウルス王子はマントをバサッとはためかせ、芝居じみた仕草で言いやる。


「で、でゅわっ、この話は無かった事にぃぃぃ……」


 レイアが即座にヘタレていた。

 彼女にとっては、もとからあまり望んでいなかった褒賞の話だ。いらぬ諍いを起こすのならと、彼女なりに考えたのか。

 膝を着いたまま恐縮し、レイアは低頭平身頭を下げる。


「早とちりするでない、娘よ! 何も我は貴様に『聖女』の称号がそぐわないと言っているのではない。ただ二、三……気になる噂を聞いたものでな?」


 王子はニヤリと口角を引き上げていた。

 最上位の権力を持つ者の獰猛な笑み。レイアが顔を強張らせ、ベルフラムも心の中で身構える。


「まず一つ目ぇ。そこの娘は『青麦』を食し、なのに毒に犯されなかったとの噂がある。毒に犯されない……それはまさしく『聖女』と呼ぶに相応しいが、アレには別の側面があってなぁ? この場に控える者達の中には知っている者も多かろう? 何、身構える事も無い。貴族共にとっては珍しくも無い代物よ。アレを食みイタすのは至上の快楽。世を乱さぬ限り目くじらを立てるつもりも無い」


 王子の言葉にベルフラムは俯きながら、苦虫を噛み潰した表情を浮かべていた。

 もともと不安のあった部分。レイアがどのように毒を判別し、解毒の方法を見つけたのか。

 説明を求められれば「文献にあった」と嘘で誤魔化すつもりであったベルフラムは、先手を取られた事に感付きほぞを噛む。

 寝食を忘れて街中を駆けまわっていたレイアは、人々に懇意的に見られていた。

 しかし何も知らない市井の人々。レイアの行動の中に潜んでいた危うさには気付かない。


(クラヴィスの不安が的中しちゃった……)


 レイアの青麦の説明と、クラヴィスが出発直前に仕入れて来た情報により、ベルフラムは『青麦』が麻薬の側面を持つ事を知っていた。

 しかしこの様な場で、しかも王子がその暗部をのたまうとは思ってもいなかった。


「いや、人は見かけによらぬ。お硬そうな器量をして裏で享楽に耽っているとは……。ただ……『聖女』としてはどうなのだろうなぁ? それともそちらの小さな姫が愛用していたのか?」


 顎を撫で嫌らしい笑みを浮かべる王子の言葉に、ベルフラムの顔に怒気が籠る。

 青麦の効能を知っていれば、当然下卑た予想に行きつくだろう。しかし明らかに不本意な誤解であり、公の場で尋ねるような事でも無い。


「お言葉ですが殿下。それは淑女レディーに対して明らかに度を越えた侮辱ですわ。レイアは痩せた土地であるレミウスの内情を憂慮し、民の為に研究していただけ……。無体な詮索はお止め下さい!」


 ベルフラムは顔をあげ、はっきりと否定を返す。

 この場で彼女達の名誉を守れるのは自分しかいない。自分一人なら謂われない侮辱も甘んじて受けるが、自分の為に頑張ったレイアを貶めるのは許せない。

 例え王子であろうとも、レイア達は自分の家臣であり大事な者達。それにここで黙っていれば、また良からぬ噂が広まり、もしかしたら事件の濡れ衣を着せられかねない。

 必死に頭を働かせ、現状の打破を試みるベルフラムに、王子は歪んだ笑みのまま肩を竦めた。


「これは失礼。私も配慮に欠けた言葉だったな。許されよ。何、本当にそれに関して咎める気持ちは無かったのだ。余計な事を言った」


 形ばかりの王子の謝意に、ベルフラムは眉を吊り上げたまま口を噤む。

 怒りは冷めてはいないが、余計な言葉を口にして事を荒立たせるのは本意では無い。


「それよりも私が興味を覚えたのは……その娘の噂。毒に犯されないとの噂でなぁ? ここで証明しては貰えぬか?」

「な!!?」


 そう思って怒りを押し込めたベルフラムは、王子の言葉に立ち上がっていた。


「聞けばその娘は解毒の魔法も会得しているらしいではないか? 長らく失われたと謂われていた魔法を復活させたその娘は、確かに『聖女』に相応しいのかも知れぬ。しかし称号を与えるのに噂だけというのは――ちと安易ではなかろうか……となぁ?」


 肩越しに此方に向かい、ニンマリと笑みを浮かべたウルス王子は、何処からともなく青い液体の入った小瓶を掲げていた。ベルフラムは怒りの形相を王子に向けてワナワナ震える。

 噂の真偽を確かめる――ただそれだけの為に、王子はレイアに毒を飲めと言っている。

 権力に酔った者なら珍しくも無い、民の命を軽く見た物言いに、押し込めていた筈の怒りが再びふつふつ湧いてくる。


「お断りします! レイアは私の大事な家臣。殿下のお戯れに命の危険を晒すなど、許容できかねます! そのような事を示さなければならないのなら、今回の褒賞は辞退させて頂きます!」


 王子の好奇心を満たす為だけに、レイアの命を危険に晒す事など出来はしない。条件付きの褒賞だと分かっていれば、そもそも王都に来る気も無かった。まだ体の良い断り文句に頭を悩ませていた方がマシだ。

 第一王子相手とはいえ、自分も一応王位継承権を持つ者。まだ・・形式の上では同列の筈。

 危ない橋を渡っている自覚をしながら、ベルフラムは国王に向かって頭を下げ、その場を後にしようと背中を向け――、


「ほう? そこまで狼狽えるとなると……ノヴァの言い分にも信憑性が出て来るな。レミウスの末娘よ! 勝手に出て行く事は許さぬ!」


 王子の物言いに振り向き顔を青くした。

 ベルフラムは王子の言葉に青褪めたのではない。その横、憎悪の籠った笑みを象る、仮面の奥の瞳に冷たい汗が止まらなかった。



☠ ☠ ☠



「そう身構えるな。まだ嫌疑の枠は出ておらぬ」


 ウルス王子がまた嗜虐的な笑みを浮かべる。

 嫌な予感は今や確信に代わり、ベルフラムはもう腰帯の中で杖を握りしめていた。

 鈍いレイアも不穏な空気に目に力を込め始めている。

 後ろでクラヴィス達も身構えているのが感じられる。


(王を人質にとって……それは悪手ね……。陛下はまだ何も分かっていないご様子。ってああ、もう! それならちょっとはこの流れを止めてよ! 『弱気な王』の名前の通りね!)


 その場の成り行きに一人取り残されたアラミス国王に、ベルフラムは怒りをぶつける。

 何かの罠に嵌められた。それは王子の歪んだ笑みが物語っている。

 しかし理由が思いつかない。小さな町の一つを治めるだけの、権力の中枢から外れた自分を、王子が気に掛ける理由が無い。権力抗争の心配も無い王子の、噂に聞く暴力性の発露なのだろうか。

 それにしても、自分を選ぶのは王子にとっても危ない橋だ。

 領地は痩せているとはいえ、レミウス家は公爵位を持つ大貴族であり、発言権も強い。

 王子の戯れに末子を害されたともなれば、アルベルトとて捨て置く事は出来ないだろう。貴族は面子が最も大事。舐められていては他の貴族に啄ばまれ、領地はやがて食い取られる。


「噂は二、三と言ったであろう? では先に二番目の噂に関して尋ねようか。

 ベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネよ! そちに『魔女』の嫌疑がかけられておる! 管理する領地で『不死者アンデッド』を親しい者でもあるかのように喧伝し、幼子を洗脳しているとの嫌疑がなあ?」

「!!!」


 様々な理由に頭を巡らせていたベルフラムは、続けられた王子の言葉に思わず声を詰まらせる。


 ベルフラムが九郎を迎え入れられるよう、必死に模索していた一つの計画。『不死者』全てが悪では無く、善良な『不死者』もいるかもしれない。そう思わせるよう広めていた御伽噺。信憑性も何も無い作り話。ただ九郎の事だけを想って書き綴った、少女の妄想。


 しかし他の者から見れば、それは悍ましい死者の賛美。


「噂に聞くと、そちは孤児院を営んでいるらしいな? それは殊勝な心がけであり、他の者も見習って貰いたいものだが……子供達に気色の悪い虫や蛙。蛇や毒草までをも与えていると。噂とは言え、民の心を悼むのは王家の者として当然のこと。いや、なに。そちらの娘が解毒魔法を使えるからこそ、そのような者も食せるのかも知れぬが……ん~?」


 孤児院を卒業した子供達が、何があっても飢えないよう。痩せた土地で必死にベルフラム達が足掻いた結果は、知らない者達にはどう映るのか。

 薄気味悪い御伽噺の魔女の晩餐――そう噂されていたようだ。

 なまじアルバトーゼの街以外では色々悪意ある噂が多かった為、自分に関する悪口が殆んど耳から通り抜けていたのが仇となった。

 ベルフラムは踏み込まれた危険な事実に、必死に頭を回転させる。


「それは――」

「それは間違いです! 殿下!」


 時間を稼ごうとベルフラムが口を開いたその時、部屋に凛とした声が響き渡っていた。


「虫も蛙も蛇も……ラバユリの根もララケル草も全て私が献立に上げていた物です! 仰られたように、それは知らない人たちから見れば気味が悪いかもしれません! でも仕方のない事ですし食べ慣れれば美味しい食材です! レミウスは痩せた地で麦も多く実らず、領民の主な食べ物は馬鈴薯。殿下はご存じないかもしれませんが、馬鈴薯にも毒がございます。しかし毒を取り除けば食べられます! 知らない者達からしてみれば、レミウスの民は全て毒を喰らう魔女なのでしょうか!? それに先のお言葉! 御伽噺の内容に難癖をつけるなど、王子としていかがなものかと! 市井の吟遊詩人が居なくなりますよ!」

「レイア……」


 いつものレイアからは思いもつかない、滑らかな弁論がその口から放たれていた。

 ベルフラムは、呆気にとられて思わずレイアを見上げる。

 レイアは鼻息を荒くして、立ち上がり前へと一歩踏み出す。その横顔には静かな覚悟が燃えていた。

 その横顔にベルフラムの胸が熱くなる。


 普段そそっかしく、お世辞にも聡明とは言い難いレイアが、身分を弁えずに声を出した理由くらい、ベルフラムには直ぐに思い当たれる。

 彼女は鈍いが、それでもベルフラムの機微を見ようといつも必死だった。この公の場に於いても、彼女はベルフラムしか見ていなかった。

 だからこそベルフラムの動揺に気が付き、自ら発言したのだ。

 彼女には何の責も無い。食料に見られないものでも、食べられる物であれば何でも食べようと決めたのはベルフラムだ。御伽噺の一件に関しては、それこそレイアはその隠されていた意味も分かっていなかっただろう。

 なのに全ての責任を自分で被るような物言い。彼女はこの窮地に囮をかって出たのだ。

 騎士の名に恥じないよう、ベルフラムを守る為に……。


(でも、この場であなたを守れるのは私だけ。貴族の地位もこういう時の為に残して置いたんだから!)


 ただその気概は嬉しいが、それに甘えるベルフラムでは無い。

 煩わしい仕事に謀殺される事も多い貴族の地位に、なぜベルフラムがまだ・・いるのか。

 地位を傘に来たこういった輩から彼女達を守る為だ。


「ならば証明してもらおう。この毒はレミウスの生物から取った毒。貴様の言い分が正しければ問題無かろう? 啖呵を切るのであれば、それ相応の覚悟を見せよ!」


 突然立ち上がって捲し立てて来たレイアに、王子は再び小瓶を掲げて見せる。


「いい加減に――」

「いいでしょう! お見せします!」


 ベルフラムの怒気の籠った言葉は、レイアの言葉に遮られていた。


「レイア!?」「レイアさん!」「レイアしゃん!」


 思いがけない承諾に、ベルフラム達が悲鳴を上げる。

 毒に強くなったとは聞いていたし、解毒の魔法も疑いは無い。

 しかし明らかに罠の気配がしている。


 場所は王城。しかも貴族達も多くいる。

 王もいるこの場で斬った張ったは避けたいはず。

 そこまでの計算を終えていたベルフラムは、レイアの袖を強く引く。


「ご安心ください! 私、毒には慣れてますから!」


 この場で体を張る必要な無い――そう言いたげな視線はレイアには伝わらなかった。

 力こぶを作って片目を瞑るレイアは、ベルフラムの中で九郎と重なる。


「ではお預かりします。……ん~、この酸味……凝血系かなぁ……結構混じってません? 食べた事無い味しますよ?」


 一瞬思いを過らせた瞬間、レイアは瓶を手に取り、手に数滴垂らして舐めていた。

 その何でも無いような仕草には、ベルフラム達は勿論、王子の方も驚愕している。


「あり得んっ! サファイア・バジリスクの石化毒だぞっ!」

「ちょっ!!? レイアっ!? 止め――」


 王子が思わず言ったであろうその言葉に、ベルフラムの口からは悲痛な叫びが零れる。


 レミウス領の北東に広がる『風の魔境』に巣食うとされる、『サファイア・バジリスク』は中型の蜥蜴の姿の魔物と言われる。

 その大きさや見た目から、弱い魔物と侮る物はいないだろう。

 その恐ろしさはハーブス大陸全土に広まっている。

『サファイア・バジリスク』は、かつてベルフラムと九郎を丸ごと飲み込んだ『大地喰いランドスウォーム』と同じ――『災害級』の化物だった。

大地喰いランドスウォーム』が広域災害に匹敵する魔物だとするならば、『サファイア・バジリスク』は局地的災害の最たる魔物。周囲50ハインの全ての生物を死に至らしめる即死の魔眼と、魔金鉱オリハルコンでも傷一つ付けられない硬い鱗を持つ魔獣。

 軍隊でも手が出せず、通り過ぎるのを祈る事しか出来ない相手だ。巨大なだけで、生態としてはミミズと変わらない『大地喰いランドスウォーム』の方が、まだ倒せるだけマシだと言う者も多い。

 勿論ベルフラム達の食卓に上がる筈も無い、いや上げられる筈も無い。

 そんな魔物の毒を何故――。


「へぇ~……。聞いた事があるような、無いような……。でもどうせならお肉で試したかったです……。ん~……酸っぱい!」


 ベルフラムの叫びがレイアに届くその前、レイアはその毒を一気に飲み干し――口をすぼめて両目を瞑っていた。ベルフラムも緊張の糸が切れてしまいそうになる、いつものレイアがそこにいた。



☠ ☠ ☠



「ご満足頂けたでしょうか? それとも解毒の魔法も所望されますか?」


 置かれている立場を分かってか分かって無いのか。レイアが物凄いドヤ顔で王子に向く。

 完全に気勢を削がれた形の王子は、公の場であることも忘れて口をパクパクさせている。


「しゅごい……レイアしゃん……」


 デンテが溜息を漏らす。

 場の空気はレイアの常軌を逸した行動に、完全に飲み込まれていた。


「レイア!? 本当に大丈夫なの? 嫌よ、いきなりあなたが死んじゃうなんて!」


 ベルフラムがレイアに駆け寄り縋りつく。

 余りに躊躇いなく毒を煽ったレイアに、ベルフラムも我を忘れてしまっていた。


「ご心配に及びません! 食卓を任せられている私が食中りになど、なっていられませんから!」


 ベルフラムの泣き出しそうな顔に慌てたレイアが、意味の分からない事を言う。

 彼女の中で毒が完全に食べ物と認識されている。


「大丈夫ですか、レイアさん……。その……私達知らない間に毒とか……」

「そこは充分気を付けています! お塩と麻痺毒は味が近いですが、こう何て言うのか……まろ味が違うんです! 辛子と睡眠毒も結構似てますが、まあ睡眠毒なら夕飯でなら使えなくもないですかね?」


 その事に不安を覚えたクラヴィスが引きつった笑みで問いやると、これまた頭の痛くなる返し。

 場の空気は完全に弛緩していた。


 究極の毒を持つと言われている魔物の毒すら飲み干したレイアの言葉は、がぜん真実味を増していた。

 ベルフラムにかけられた魔女の嫌疑も、レイアの言う通り御伽噺から外れるほどの謂れは無い。

 それさえ晴れれば憂いは無くなる。

 もうこちらに責められる懸念材料は無いのだから。


 後はどんな言いがかりであろうとも、柳に風と受け流してしまえば、王子も何も言えなくなる。

 そう感じて王子に向き直ったベルフラムは、また凍りついていた。


「では、これについて説明してもらおうか? レミウスの姫君よ! この邪悪なかいなに見覚えは?」


 王子の顔には最初と同じように、獰猛な笑みが浮かんでいた。

 その手には人の――千切れた男の腕が握られていた。

 いつまで経っても腐らない、九郎の左手が――。

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