第260話  温もりにさよならを


 まだ雪が残るレミウス新街道。

 この地方特有の、背が低く屋根のように枝を広げた木々が、氷柱を牙のようぶら下げ並んでいる。

 その木立の間を、数台の馬車が連なって進んでいた。

 設えも立派な二頭立ての馬車。その側面には見る者が見ればすぐに分かる、麦と剣をあしらった紋章。

 このレミウス領の支配者である、レミウス公爵家の紋章である。

 他領に比べても魔物の脅威が大きいレミウスの馬車は、設えもそうだが頑強に出来ている事が多い。

 木材は貴重な地域だが、金属は豊富に産出する地域。四隅は金属で補強され、屋根にも鉄板が張られていたりする。


 そんな立派な馬車の一台から、かしましい少女達のおしゃべりが零れていた。


「別に……私は褒賞など……」

「もぅっ! まだ言ってるの? 良いじゃない、くれるって言ってるんだから」


 馬車の中、いつもよりも数段めかし込んだ格好のレイアが、不安げに主人を伺い呟く。

 その独り言に、呆れた様子でベルフラムが息を吐く。


 『青麦』と言う名の毒の氾濫を治めたと言う事で、レイアは王都に呼ばれていた。

 理由は褒美と称号を与える為と聞かされている。

 普段であれば、為政者でありながら為政者をあまり信用していないベルフラムは、体よく断る文面に頭を悩ませる事になるのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 流石に王家相手では、公爵位の娘であるベルフラムでも、断りきれない。それに以前の結婚話の様に、意にそぐわない申し出でも無い。


 そう自分に言い聞かせ承諾したベルフラムは、屋敷の主要な者達を引き連れ、一路王都を目指していた。


「騎士の称号もベルフラム様から頂いていますし……それに聖女だなんて……」

「確かにレイアが『聖女』ってのには私もピンとこないけれど……」


 レイアは未だにぐずっている。全く欲の無い事だと呆れながらも、ベルフラムはチラチラ自分を見る目に、少し背中が痒く感じる。

 レイアがベルフラムだけを見続け、ベルフラムを喜ばせようと毒物を食べ続けた結果、今回の『青麦』の事件は解決した。『青の聖女』と持て囃されてはいるが、その実、ベルフラムの食い意地とレイアの非常識な愚直さが織りなした偶然の産物でしか無い。

 本人も主人に認められたい一心で街を駆けずり回っていただけなので、住民の為との意識も欠片も持っていないだろう。『聖女』と呼ばれてもピンとこないのも納得できる。


 第一ベルフラムもその辺りをどう説明するか、頭を悩ませている最中だ。

 レイアの主人と言う事で共に王都に召喚されたが、王家からの称号授与ともなれば、それは式典。

 その場でそんな非常識な真相を暴露することなど、出来はしない。


「でも、王家からの騎士の称号があれば、他領に行っても騎士を名乗れるわよ?」


 しかし課題は多いが、ベルフラムはこの提案を前向きに捉えていた。

 理由はレイアの今後を考えての事である。

 騎士爵とは主が家臣に与える一代限りの地位。その身分は主がいてからこそであり、主を持たない騎士はただの自称に過ぎなくなる。

 王家からの騎士爵授与は、王家の後ろ盾を得ると言う事。その身分は何処に行っても保障される。


 一時は平民の騎士に下る覚悟を決めてベルフラムの傍を望んだ娘であり、その覚悟はベルフラムにとっても嬉しく感じる物だが、彼女をずっと傍においておける保証が無かったのが理由だった。


 ベルフラムはアルバトーゼの住人達の『不死アンデッド』に対する認識を変えようと、日々策略を練っていた。孤児院を身銭を切って運営しているのも、何も慈善から来るものでは無い。どちらかと言うとかなり利己的な理由からだ。

 身も心も捧げた、愛する『不死者』ともう一度共に過ごす為。その為にベルフラムは日々忙しく準備をしていた。


 しかし、それでも人々が『不死アンデッド』を隣人として迎え入れる可能性は、あまり高く無い。

 為政者として無理やり認めさせることも考えたが、自分達の怯えの視線に涙を流したあの優しい青年が、そんな環境で笑って暮らせるか……考えると不安になる。


 ただ、ベルフラムの中に『諦める』と言う言葉は無かった。

 その言葉は、あの暗い穴の中に捨てて来た。

 もし九郎が街で暮らす事に躊躇いを見せたのなら、ベルフラムは地位も名誉も捨て去るつもりだ。

 それどころか大人になったら・・・・・・・、クラヴィス達と共に九郎を探す旅に出る予定を立てている。

 どのような困難があろうとも、とっくに覚悟は済ませてある。あの日ぽっかり空いた胸の穴は、まだ塞がっていない。


(その時……レイアはなんて言うのかしら……)


 以前はレイアには内緒で屋敷を出るつもりだった。しかし、これだけ自分を慕ってくれるレイアに、「一言告げるのが主としての責任だろう」と、今は考えている。彼女の中でまだ九郎が「恐ろしい化物」だった場合、そこで袂を分かつ事にはなるのだが……。

 その時を夢想して、ベルフラムが少し哀愁を含んだ目でレイアを見ると、レイアは顔を青褪めさせていた。


「そんなっ!? 私はベルフラム様以外に仕える気は毛頭ありません! わ、私また何か不興を買うような事を!?」

「違うわよ! ほら、泣かないの! でも……『聖女』の称号があれば、その……お嫁に行くときにも都合が良さそうじゃない?」


 レイアのセリフにベルフラムは慌てて取り繕う。

 九郎の事に意識を傾けると、どうしてもレイアの存在が懸念材料になってしまう。

 今の彼女の九郎への想いは、是か否か……。尋ねるのを戸惑ったベルフラムは、縋る視線から目を逸らしながらそう嘯く。

 逸らした視線の先でレイアの祖父、クラインが渋面していた。


「ぴっ!? お、お嫁っ!? そんなっ……私は嫁には行きませんッ! ベルフラム様にずっと仕えていたいのですっ!」


 嫁と言う単語にレイアは独特な悲鳴を上げ、目を白黒させながら両手を前に不思議な踊りを踊っていた。

 とは言えレイアももう19歳。平民でも14~16歳。貴族位なら12~14歳で嫁ぐのが平均のこの国では、かなり遅れている方だ。

 冒険者など荒事に従事している女性は遅くなる傾向があるようだが、そもそも女性の冒険者というのは数が少ない。

 レイアは本気で騎士爵を目指した稀有な例だが、通常女性の騎士と言うのは貴族の娘が箔を付ける為――所謂結婚を有利にする為に成る事が多い。

 常識を当てはめるにはいささかどころか特異な娘だが――とベルフラムが考えたその時、クラインの苦渋に満ちた言葉が響く。


「ベルフラム様……。孫娘レイアはもう……手遅れです。……どうかっ……どうかお見捨てにならないでください!」

「お爺様!? いくら身内と言えど、手遅れとまでは……いえっ! 手遅れですっ! 見捨てないでくださいっ!」


 クラインのあんまりなセリフに一瞬眉を吊り上げたレイアだったが、プライドよりもベルフラムの傍を選んだようだ。

 涙目で縋って来るレイアにベルフラムは弱り切った視線を向け、また頭を悩ませ始めていた。



☠ ☠ ☠



 アルバトーゼから3日の距離にあるレミウスの街。

 そこから更に2週間の旅を経て、ベルフラム達は王都アプサルに到着した。


「うわぁ……」


 馬車の窓から見える景色に、デンテが感嘆の溜息を吐いている。

 普段なら景色よりも料理に感嘆の声を漏らすベルフラムも、今は目を瞠って呆けていた。

 公爵位の娘であり、一応末席ながらも王位継承権すら持つベルフラムも、王都に来たのは初めてだった。


 城壁の外からでも見える5つの高い塔の先端には、5色の屋根が太陽の光を反射してキラキラ輝いている。

 最後に残った6柱と呼ばれる神々の中、黒を除いた5柱の神殿である。

 文献で知ってはいたが、見るのは初めてのベルフラムは、その大きさ、その迫力に圧倒されていた。


「ベル様、どうして黒は無いのですか?」


 いつもは冷静沈着なクラヴィスも、少し興奮した様子でベルフラムに尋ねてくる。

 クラヴィスはベルフラムが書斎に籠っている時にも傍にいるので、自然とある程度の知識を身に着けていた。聡明な彼女は布が水を吸うように知識を覚え、今では各地の情報などは彼女の方が詳しいくらいだ。

 しかし歴史に関する知識はまだ拙いようで、新たな知識を求めるような眼差しをベルフラムに向けてくる。


「ん~……。確か昔は信仰されてたのよね? 白の神は法と理の神。国教だし力の弱い人族にとっては、救いになる神様として、広く信仰されているわ。白の神様は神々の取りまとめ役だったって言われているから、貴族とか為政者にも人気があるの。

 赤は知識と戦いの神様。魔術師と兵士に信者が多いわね。私も赤の信者だし。

 緑は旅の神様。商人や冒険者……それに盗賊とかにも信者がいるそうよ?

 黄の信者はもっぱら王族ね。支配や安定を司っているわ。あ、後は造幣……価値を司る神様でもあるから、この国でも貨幣を作っているのは黄の神殿ね。

 青はレイアの方が詳しいかも知れないけれど……癒しを司る神様。神殿の主な役割としては治療? うちにはレイアがいるからなじみが無いかも知れないけれど、大抵怪我したら青の神殿に治療しに行くみたい。

 あ、それで黒の神様なんだけど……昔は農民の神様だったそうよ? 死と生を司る神様だから。でも、死の神様でもあったから、段々信者が離れて行っちゃって……今の農民達は水の神様を崇めるようになったと言われているわね……。青の神様は治水も司っているから」


 いつもよりも饒舌に話すのは、ベルフラムも興奮している証拠だ。

 それくらい王都アプサルは美しい都市だった。



 王都で宿に泊まり翌日。

 質実剛健な造りで、どこか暗い印象を抱かせたレミウス城とは違い、白亜の王宮と呼ばれるアプサルティオーネ城は、息を飲むほどの美しさだった。

 武骨なほりでは無く、浅い水場で囲まれた王城は、青い空と白い城を水鏡に映し、整えられた花壇が遥か先まで続いていた。

 水晶をはめ込まれた城壁は、眩い光をキラキラ放ち、天上の城と謳われるのも頷ける。


 内装の方は更に豪華絢爛だった。

 高い天井一面には色鮮やかなフレスコ画が描かれ、縁取りは全て金箔が張られている。

 大理石の白い部分だけを使った床の上には、これまた金糸で彩られた豪華な絨毯。 


「あ、あ、あの……私、本当にここで?」


 ベルフラムの隣でレイアが上擦った声で怖気付いていた。

 以前レミウス城に上がる時は、「騎士では無い」との理由でドレスを纏っていたレイアも、今日は青の礼装の上に胸鎧を付けた、立派な騎士の格好。

 硬そうなのは見た目だけでは無いだろう。かなり緊張してカチコチだ。


「そ、そうよ? しゃんとなさい! わわ、私の騎士でしょ?」


 ベルフラムが震える声でレイアに激を入れる。

 領主や国の英雄に啖呵は切れても、今日の相手は王族。流石に緊張の色は隠せていない。

 他貴族の社交の誘いも断り続けていた為、ベルフラムにとっては今日が社交界デビューでもある。


 周囲で談笑する貴族の面々の好奇の視線が突き刺さる。

 ベルフラムもいつもの庶民の格好では無く、ちゃんとめかし込んでいる。

 お気に入りの緋色のドレスを身に纏い、薄緑のショールを肩にかけ、どこからどう見てもお姫様だ。

『番頭領主』が板に着いた今、アルバトーゼの住人が見ても気付かないだろう。


「でも……やっぱり断った方が良かったかも……」


 ベルフラムは小声で弱気を口から溢す。

 今日の主役は自分達で、当然奇異の目に晒される事は覚悟して来た。

 しかしやはり気持ちの良い物では無いし、聞こえてくる囁きには容赦が無い。


「おお、あれが噂の青の聖女か?」

「ならば隣にいるのがあの・・冷炎フリグフラム』?」

「ああ、あの大罪人と婚姻を誓ったと言う?」

「あれは『青の英雄』が横恋慕したとの噂もあるが?」

「ではあの女中メイド達があの・・『猟犬』と『番犬』か? はっ、汚らわしい! 獣人を栄えあるこの場に付き添わせるとは……レミウスの脛瑕の名は伊達では無いな」


 周囲の名前も知らない貴族があらぬ噂を立てるのを、黙って聞いているのは辛い。

 もう自分の事は何と言われようとも気にしないベルフラムだったが、可愛く頼りになる姉妹を貶される事には我慢が出来ない。


「気にしておりません。むしろ誇りに思いますです」

「はいでしゅ。でもデンテはどっちなんでしゅか?」


 無意識に拳を握りしめたベルフラムに、クラヴィスとデンテが囁いてくる。

 気を使わせてしまったかとベルフラムは顔を曇らせるが、どうやら本気で誇りに思っているらしい。

 アルバトーゼの『猟犬』と『番犬』。領主の娘に取り入り、権力者側に回った獣人姉妹を快く思っていない者達がクラヴィス達をそう呼んでいるのは知っていた。

 それでなくてもこの国で、特に貴族の間では獣人に対しての当たりは強い。


 彼女達を伴い王城に入ることは、ベルフラムも悩み抜いた末の答えだ。

 召喚を伝える文面には、「此度の解決に尽力した者も」と書かれていた。

 あの騒動で一番尽力していたのは勿論レイアなのだが、クラヴィス達も共に街を走り回っている。

 アプサル王国では嫌悪されている人種である獣人の彼女達を伴うのは、もしかしたら新たな諍いの種を生むかもしれないと、当然その杞憂はあった。


 しかしクラヴィス達に尋ねると、2人は随伴する事を望んでいた。

 権威欲からでは無い。護衛の為に付いて行きたいと懇願されたのだ。

 クラヴィス達にとっては権力者と言う者は、無理難題を突き付け、ベルフラムを窮地に追いやる悪い奴との認識だったようだ。


(止めてもまた無理やり忍び込んで来るような気しかしないんだもの……)


 ベルフラムは心の中で弁解する。

 クラヴィス達は時にベルフラムすら驚くような大胆な行動を仕出かす。

 それに助けられた自分が文句を言える立場では無いのだが……とベルフラムは口の中で愚痴を転がす。


 レイアもクラヴィス達も、自分の為なら命を惜しまない。

 それは自惚れでも何でも無く、ベルフラムの頭を悩ます心配事だ。

 主として嬉しくもあるが、ベルフラムにとって彼女達は家族よりも大切な者達。他人に等しい兄達よりもよっぽど大事な存在だ。


(一応……備えはして来たけれど……。王城なのだから当然よね……)


 ベルフラムは腰紐に隠してある杖を握り、眉を寄せる。

 

 レミウスの聖輪教会と同じように、王族貴族が集まるこのホールには、暗殺、謀反を防ぐ狙いで強力な魔法封じが施されていた。

 自身でも驚くほど魔力だけ・・は成長しているベルフラムは、この強力な結界の中でも多少魔法は使えるだろう。だが、通常通りとは行かないのは試すまでも無い。


(心配のし過ぎかしら?)


 どうやら自分もあまり権力者に良い感情は持っていないらしい。


「間もなく陛下が拝謁なされる。皆の者、静粛に」


 ベルフラムが自嘲の笑みを溢したその時、広間に身なりの良い男が姿を現した。

 神官服を着ているが、色からして神鉱教会の教皇だろうか。

 全く毛の無い禿げた頭に小さな青い目。四角い平坦な顔。


(なんだかのっぺりとした顔ね……。あいつみたい……)


 ベルフラムがそう思った瞬間、背筋に冷たい汗が流れていた。

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