第259話  不死者のカゴ


 レイアの安否を確かめる事無く、九郎は宿へと戻っていた。

 クラヴィスの言葉に九郎が顔色を変えたその時、クラヴィスとデンテは、糸の切れた人形のように崩れ落ちていたからだ。

 言葉が話せたことで、「ベルフラムよりはマシな状態」と思いたかったが、そうはいかなかった。


 ベルフラムよりもやせ細っていたクラヴィス達は、九郎が感じた通り、限界に近い状態だった。


 考えてみれば当然の事で、クラヴィス達が元気であれば、決してベルフラムを一人にはしなかったに違いない。

 飢えで動けなくなりつつあった彼女達の為に、ベルフラムは食料を求めて地上に姿を現していたと言うのが真相に思えていた。

 何があったのかは分からないが、この街でベルフラム達は姿を隠さなければならない理由があった。だからこそ下水道に潜んで生活していたのだろう。

 クラヴィス達が九郎に襲い掛かって来たのも、ベルフラムが誰かに狙われている事の裏付けになる。顔に布を巻きつけた不審者がベルフラムを抱えているのを見つけ、最後の力を振り絞って助けようとしたのだろうと考えれば辻褄は合う。


 慌てて宿に引き返し、宿の従業員が九郎達の異臭に顔を顰めるのを強引に説き伏せ、アルフォス達に頼んで大きな樽を用意してもらい、九郎は大量の湯を沸かしていた。


わりいな、リオ。夜遅くまで付き合わせちまって……」


 九郎はデンテを洗いながら、何も言わずにクラヴィスの体を洗うリオに謝意を告げる。

 大量に沸かした湯は他の仲間達にも配っており、それぞれ自室で体を洗っている最中だろう。ただ、九郎とリオだけはまだ汚れたままの状態だった。クラヴィス達を綺麗にして休ませるのが先決だと考えたからだ。


 子供とは言え、名前も知らない男アルフォスたちに頼んではデリカシーに欠ける。彼女達は気にしないかも知れないが、意識が無い状態で男に体を洗わせることには、流石の九郎も躊躇う。

 ミスラも申し出てくれていたが、王族の彼女よりもリオの方が適任だろう。彼女にとっては悲しい過去だが、元奴隷の彼女の方が人の世話に慣れている。


 ベルフラムは何やら恥ずかしがって、衝立の向こうで一人体を洗っている。

 体に成長の影は見られないが、彼女ももう15歳。やっと羞恥心を年次としなみに覚えたのだろう。


「別に……。フォルテで慣れてっし……」


 リオは憮然とした表情で返して来る。

 慣れていると言ってはいるが、彼女が初めて風呂を知ってからまだ半年も経っていない。

 砂漠の街で水を大量に使う風呂など、それこそ領主の館にしか存在しない。奴隷時代に風呂など入れるわけも無く、汚れは『砂浴び』で落としていたと語っていた。

 砂漠を越えた後も、道中は殆んど水浴びで済ませており、時折九郎が水場を見つけて即席の風呂を作ったりもしていたが、リオが本格的な風呂を知ったのはペテルセン城に滞在してからだろう。

 過去に『来訪者』を擁していたアルム公国では、風呂が普通に広まっていた。

 王城には大きな風呂場が備え付けられており、街中にも銭湯のようなものが存在していた。

 やはり三葉も日本人。生活が落ち着くと最初に求めるのは風呂らしい。

 年の近い弟と一緒に風呂に入っている事に、少し言いたい事もあるが、本人達が良いのならと、九郎は何も言っていない。藪を突いて巨大な蛇を招くのは、九郎としても遠慮したい。


「……それに……今のお前は見てらんねぇよ……」


 リオの呟きに、九郎は渋面する。

 今の自分の顔はそれほど酷い物なのだろうか。ペタペタ頬を触ると、頬が痙攣していた。

 ベルフラム達を心配させまいと必死に平静を装っていたが、元来感情が表に出やすい自分には難しかったようだ。


 九郎は、気絶して尚ぎゅっと九郎の腕に抱きつき、離れようとしないデンテの頭を優しく撫でる。

 九郎の胸が、チクリチクリと痛む。

 うわ言のように「ごめんなさい」と呟くクラヴィスを見ていると、心が激しく泡立つ。


 知らない場所で起こった知らない出来事。

 どうしようもなかったとは、九郎には思えなかった。

 幸せでいる事を願い身を引いたと言うのに、真逆の結末に胸が千切れそうだ。

 無意識に九郎が自分の顔を覆ったその時、部屋にノックの音が響く。


「着替えを持って参りました。入ってよろしいでしょうか?」


 扉の外からミスラの声が響いていた。


「すまねえ、入って来てくれ」


 九郎は言葉でミスラを招く。

 本来ならこう言った事をミスラに頼むのは、彼女の立場を考えても良くないのは分かっている。しかし今はそうも言っていられない。現状、身内と呼べる女性は2人しかいない。


「失礼します。これは手拭いで、こっちはわたくしの夜着ですが……」

わりい……。っと着替えの前に頼むわ」


 そしてミスラを部屋に呼んだのは別の用事もあってのことだった。

 九郎は体を拭いたデンテをベッドに横たえ、ミスラに顔を向ける。


 彼女を呼んだのは、ベルフラム達の診断をしてもらう為でもある。

 龍二がいれば一番話は早かったのだが、残念ながら彼は今お使い中だ。とは言え九郎は、ミスラで分からなければ、強制的に呼び戻す心算をしている。


「――『白の理』ソリストネの眷属にして、定めを統べる畏き賢者よ。示せ!

   『ディア・グノーシス・ディオ』!!」


 ミスラが魔法の言葉を唱えると、柔らかな白い光がデンテとクラヴィスを包み込む。

 固唾を飲んで見守る九郎に、ミスラは閉じていた瞳をゆっくり開き、


「この二人は衰弱しているだけのようです。極度の肉体と精神の疲労。この魔法は病や毒を判別することは出来ませんが、患っているかどうかは分かります。

 健康……とは言えませんが、休めば回復すると思いますわ」


 安堵を齎す言葉を告げる。

 九郎が胸を撫で下ろし、大きく息を吐き出す。背後からも同じように息を吐く音が聞えてくる。


「次はベルだかんな? もう洗い終わっちゃぁっ!?」

「グァッ!」


 その音に九郎が流れで衝立を覗き込むと、顔面にお湯が飛んできた。

 別に熱くもなんともなかったが、条件反射で九郎は叫ぶ。衝立の影で、ベルフラムが胸を隠して蹲り真っ赤な顔で睨んでいた。


淑女レディーの湯あみを覗く時は、ちゃんとした作法に則ってなさいませ。クロウ様」

「すまねえっ、ベル! ってミスラ、今なんつった?」


 ミスラがクスクス笑いながら、手ぬぐいと着替えを持って衝立の向こうに消えていき、九郎は渋面して首を竦める。どうにも気持ちが逸ってしまい、ぽろぽろ配慮が零れている。

 背中にリオのジト目が突き刺さって痛い。


「ミスラ・オウギ・ペテルセンと申します。どうぞよしなに。魔族ですけれど、余り嫌わないで頂けますと嬉しく存じます」

「……ァグァ……」


 衝立を通してミスラの普段よりも柔らかな声が聞え、ベルフラムの声がそれに重なる。

 お互い高貴な身であるからか、邂逅以来ミスラはベルフラムを気にかけている様子だった。

 それには彼女なりの後ろめたさもあるようだが、それ以上に初見の相手を観察するのがミスラの癖のようにも感じる。

 箱入り娘でありながら、情報統括部の元責任者。彼女の人との付き合い方は、結構ぐいぐい踏み込む。速攻で相手の急所を見つけるのは、龍二のように心が読めるからでは無く、素質だろう。


 ミスラの先程と同じ魔法の言葉が部屋に木霊し、柔らかな光が再び部屋の中を照らす。


「……ッ!?」


 ところが続いて届いてきたのは、ミスラの息を飲む音。九郎は再び青褪める。

 期待していた安堵を齎す言葉が聞けず、途端に九郎の胸がざわめく。


「どうしたっ!? なあ、おいっ!」


 みっともなく狼狽えてしまう自分は、頼れる男に程遠い。

 それが分かっていながらも、九郎は言葉が止められない。


「――『白の理』ソリストネの眷属にして、摂理を司る銀の君主。

 右手に持ちたるは、月桂樹の枝。左手に携えるのは律理の書。

 その身に纏うのは白峰の衣にして、頭上に戴くのは新月の25、10のトキ。位階は6!」

「ガァッ!? グゥオッ! グォゥッ!」

「おい……いったいなんだっ?」


 九郎が落ち着きなくあたふたしていると、衝立の向こうからはミスラの長い口上が聞え、同時に部屋が真昼のような光で満たされ始める。いや、そんな生易しい物では無い。遮蔽物すら透過するほどの強烈な閃光が部屋を照らし、もう目も開けていられない。

 ベルフラムの何か訴えるような悲鳴。九郎は我慢が出来ずに衝立の奥へと踏み込む。


「――古より許された人の理。伝え、謳い、祈るのは言の葉の調べ! 罪を祓い、許しを請う声を再び! 『アペリエンス・ルクス・フォルティス』!!」


 ミスラの祈りに似た言葉が解き放たれ、光が一際眩しく輝く。

 一瞬目を覆った九郎が再び瞼を上げると、部屋は元の暗さに戻っていた。

 先程よりも暗くなったと感じてしまうのは、感覚的なものだろう。

 燭台に灯る炎の灯火が、今は部屋を仄かなオレンジ色に染めている。

 瞼の奥がチカチカするのに戸惑いながら、九郎が様子を確かめると、オロオロしている裸のベルフラムと、彼女と同じ背丈になったミスラが目に飛び込んでくる。


「おいっ、ベル、ミスラ、大丈夫かっ!? つーかミスラッ! 滅茶苦茶消耗してんじゃねえかっ!」


 九郎は血相を変えてミスラを心配する。

 彼女が消耗するのは、戦争を止めに向かったあの時以来、『神の力ギフト』を使った時に限られていた。

 魔力が生命力と直結している種族なので、当然魔法を使っても消耗するとは言っていたが、元が膨大な魔力を持つ種族。これまで彼女が魔法を使って、体が縮む事は無かった筈だ。

 なのにミスラはいきなりちんまりしてしまっている。

 肩からドレスの紐がずれ、それを必死に手繰り寄せてる様子から、まだ余裕はありそうだが、それでも九郎は狼狽える。


「ちんぱいありまちぇんでつわ。ちょっと儀式で消耗ちょうもうちたのと、律理の光で自爆ちてちまっただけでつの! でつけど……」


 ミスラは短くなった手でわたわたドレスを手繰り寄せると、腰紐に結わえてあった口紅を取り出し、チューチュー吸う。

 ベルフラムが目を見開いて呆気にとられる中、ミスラはぐんぐん成長していき、九郎は一瞬ミイラ化した後、直ぐに元に戻る。普段の吸う量であれば、体に変化が起こる前に血が補充され、九郎の体がミイラ化する事にはならないのだが、一気に吸われるとこうなる。が、九郎は気付いてもいない。


「申し訳ありません、クロウ様……。力が及ばず……彼女の声は……」


 元の姿に戻ったミスラが俯き、項垂れる。

 ミスラが元に戻った事で、九郎の視線も再びベルフラムに向けられる。


「……ゥァ゛……」


 呆気にとられて口をパクパクさせながら固まっているベルフラムの声は、元のままだった。

 驚きが勝ったのか、今は羞恥心も忘れている様子だ。


「彼女に掛けられているのは、沈黙の魔法と魔封の魔法……。ですがその効力が尋常では無く……それこそ『来訪者』レベル……」


 白く輝く肌を取り戻したベルフラムの胸元から首にかけて、異様な紋様が首飾りのように浮き出ていた。


「じゃあ、ちょっと龍二を呼び戻して……」


 あの異様な紋様が、ベルフラムの澄んだ声を封じた元凶かと、九郎は胸に込み上げてくる怒りに似た感情を押し殺し、次の手立てと意識を欠片に繋ごうとして、動きを止める。

 九郎の顔は一瞬にして悲壮に歪んでいた。


 ミスラが九郎の腕を掴み、残念そうに首を横に振っていた。


「彼女に掛けられている術は、緑と白の合成魔法……。リュージは白の魔法は使えません……」


 九郎も聞いていた事だ。龍二が使える魔法の種類は、赤、青、緑。その身に宿った膨大な魔力で、最高位に近い魔法を使う事が出来る龍二でも、素養が無い色の魔法は使えない。

 カクランティウスは黄色。アルトリアは黒と、それぞれ最高位に近いレベルを収めていたが、ミスラ以上の白の魔法の使い手を九郎は知らない。


わたくしも、緑の魔法だけでもと考えましたが、そもそも沈黙の魔法は本来空間に作用する術。それを別の……もう一つの白の魔法で彼女に『定着』されております。やはり白と緑……両方の素養を最高位まで収めている者でないと……」


 聞く所に因ると、白の魔法は所謂付与エンチャント系の術が多いらしい。

 素養がある者は他の魔法の形を留める事にも長け、効果の持続、範囲の拡大も素養が無い者よりも秀でているらしい。

 今のベルフラムの状態は、九郎が昔嵌められた『魔力封じの首枷』に、彼女自身がなっているような状態に近いようだ。


「じゃあ……やっぱりベルにこんなことした奴をふん縛って連れて来るしかねえか……」


 新たな知識は得たが、今の九郎には何の慰めにもならない。

 項垂れ弱り顔を浮かべる九郎に、ベルフラムが心配気な眼差しを向けてくる。


「大丈夫、心配すんなって! きっと元に戻してやる!」


 九郎は再び笑顔を取り繕い、ベルフラムの頭を撫でて宣言する。

 シルヴィアを迎えにいくのが目的の旅だったが、ことここに至っては後回しだ。

 レイアの事もあるし、いたいけない少女の苦境を放っていては、それこそシルヴィアに合わせる顔が無くなる。

 シルヴィア達の軌跡は、数十日前まで追えている。それに彼女達は、3人とも九郎よりも数段上の実力者達。何も心配いらないと自分に言い聞かせ、九郎はベルフラムの髪をかきまわす。

 ベルフラムは九郎の手に体を預けるようにして目を細めていた。


「なんでしょう……。胸がキュンキュンしておりますわ、わたくし……」


 ミスラが口元に手を添え、意味の分からないセリフを呟いたその時、九郎の頭の中に一つの可能性が浮かんだ。


「ミスラっ! 治癒魔法は使えるんだよな!?」


 浮かんだ可能性に光明を見出し、九郎はベルフラムの肩を両手で掴みながらミスラに問いやる。


「え? ええ……癒しの魔法はそれなりに……。兵士を癒す為に覚えた物ですので、わたくし自身には逆効果だったりするのですが……」


 今頃自分が裸であったことを思い出したのか、ベルフラムが全身を赤く染めて身を捩っているが、九郎は取り合わずにミスラの返事に頷き、ベルフラムを真正面から見据える。

 思い立ったのは素人の思いつきであり、確実性には欠ける。しかし九郎の中では確信に近いレベルで、可能性を感じていた。


「ベル! 俺を信じてくれねえか?」


 懇願するかのように、九郎はベルフラムに頼み込む。

 真っ赤になって小さな胸を隠そうとしていたベルフラムが、九郎の言葉にはっと顔をあげて力を抜いた。

 翠玉エメラルド色の瞳を目一杯開き、九郎を正面から見詰めて来るベルフラム。意思の強そうな瞳が、ふっと緩みその顔に再会して初めての笑みが浮かぶ。

 その笑み、その視線、その表情。それだけで言葉がなくても、誰でも悟れる。

「当然じゃない!」と全身で答えたベルフラムを、九郎は引き寄せ自分の指に歯を立てた。


「皮膚しか削らねえつもりだが、ミスラは魔法の準備を頼む! ベル、動くなよ? 間違ったらやべえからな?」


 小さな傷に大きな痛み。眉間に皺を寄せた九郎が、指から滴る血でベルフラムの肌に浮き出た紋様をなぞって行く。くすぐったいのか、ベルフラムの体が小刻みに震えている。

 九郎は慎重に紋様を塗りつぶし、大きく息を吐いて吸い込み止める。


野郎けつえきども、とちんじゃねえぞ! タマにはビシッときめやがれっ!)


「『運命の赤い糸スレッドオブフェイト』!」


 意識の中で発破をかけ、口の中で叫んで、九郎は血を呼び戻す。

 赤い粒子が立ち昇り、九郎が再び指でなぞった部分の血が吸い込まれていく。

 危険極まりない技で、最近では物を収容する時以外使ってこなかった技だが、『修復』の際の赤い粒子は全てを削り取る。それこそ何でも。手に触れられない不可思議な力も。当然魔法も削り取ってきた。


 ベルフラムが僅かに眉に力を込めた。

 薄皮一枚とは言え、肉を削り取っているのだ。当然痛みはあるだろうし、吸い取った痕には彼女自身の血が新たに滲んでいる。


 九郎は苦悶の表情でベルフラムに傷を刻む。

 少女の体に傷を付ける行為は、思った以上に精神的にキツイ。

 今迄九郎は、『運命の赤い糸スレッドオブフェイト』を人を傷付ける目的では一切使ってこなかった。不注意でアルトリアの肉体を削り取った時でさえ、青褪め大いに狼狽えていた。

 最終的な安全圏への扉とも、次元を跨ぐ移動を可能とする技でもあったが、全てを一気に取り込む事しか、九郎の頭の中にはこれまで無かった。


 それを初めて九郎は人に、女性に使う。

 確信はあったし、そもそもミスラが居なければ取ろうとも思わなかった手段だが、それでも胸に不安が残る。


(卑怯もんか、俺は!? 違う! 助けてえんだっ!)


 心に渦巻く葛藤に、九郎は心の中で吠える。

 心のどこかで、「ベルフラムなら許してくれる」と言う期待があるのだろうか。

 あの時感じた怯えの視線は今のベルフラムからは感じない。それを確かめる為に、この恐ろしい力を使い試しているのかとの暗い心の囁きに、九郎は必死に抗い否定する。


 永遠に感じる僅かな時間が過ぎる。

 九郎はどっと息を吐き、へなへな崩れ落ちる。

 ただ、ベルフラムの体の紋様全てを削り終えた事への、安堵の時間はまだ先だ。


「ミスラ! 頼むっ!」


 ベルフラムの白い肌には、紋様の代わりに生々しい傷が残っていた。

 魔法が解けているかの確認も後回しに、九郎は悲痛な声でミスラを仰ぐ。


「は、はいっ! ――『白の理』ソリストネの眷属にして、清浄を齎す癒しのひか……り…………」


『修復』の際の赤い光の禍々しさに我を忘れていたのか。

 ミスラが九郎の声に飛び跳ね、思い出したかのように魔法の言葉を口ずさみ、目を瞠って固まる。


「おい!? 何やってんだ、頼むよ! 見てらんねえんだ……よ」


 ベルフラムに刻んだのは自分の業の形。

 全てを押しのけ生き続ける、不死者の咢の傷痕だ。

 九郎の弱った心が悲鳴をあげ、未だに残る傷から目を背けようとした瞬間、九郎も動きを止めていた。


「ん、ん、ん……。あ、あ――――。――会いたかったわ……クロウ! やっぱりあなたは私の『英雄』。諦めなければきっと会えるって信じてた!」


 九郎の腕の中でベルフラムがはにかんだ笑顔を浮かべていた。

 青空のように澄んだ声。

 耳元に心地良い、少女の囁き。

 九郎はその待ち望んだ少女の声を、どこか遠くで聞いていた。



 少し恥ずかしそうに胸を隠すベルフラムの胸元で、赤い粒子が揺らぎ、その傷痕を塞いでいた。

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