第255話  蠱毒のグルメ


 ――どうせなら少し内情を探って欲しい――


 そうミスラに言われた九郎は、現在拷問の真っ最中だ。


 アルトリアと龍二一行がシルヴィア探しをしている間、自分がこんな所でのんべだらりと過ごしていて良いのだろうか。その思いはあるのだが、彼女達は九郎よりも遥かに強い。また、アルトリアの持つ細胞から復活すれば、彼女がシルヴィアと出会えた時点で九郎も再会を果たす事が可能だ。恋人の目の前で、別の女性の胸から湧きだすのは、どうよ? ――と思わないでも無いのだが……。

 宿にはカクランティウスと言う、九郎が絶対の信頼を置く強者が控えており、リオやフォルテと言った戦う力を持たない者達も安全だ。

 高級宿にまたきょどっているかも知れないが、それは九郎がいても同じだろう。


 ――ご心配なさらずとも、ケテルリア大陸行きの船はもうしばらく先にしか出ません。まだ余裕はありますし、物資の補給の為にも必ず王都は寄ると思われます――


 物や者が集まる王都は、それだけ良い物が揃っている。

 長い船旅を予定しているのであれば、必ずシルヴィア達は王都に来るだろうとのミスラの言葉もあり、九郎も少し気を緩めていた。


「ふははははははっ! これは鋼鉄の処女と言う拷問器具だ! 恐ろしいだろう?」

「処女っつっても刺されんのも血が出るんも俺じゃんかよぉ? 多分俺激しいから壊しちまうぜ?」


 どこの誰が持ち込んだ物なのかは何となく予想出来る。

 軽口を溢す九郎に、口調と表情が一致していない拷問官の昨日からのやり取り。

 九郎が捕えられた施設は、どうやら白の教会。聖輪教会の塔の内部のようだった。

 つまりは小鳥遊 雄一。ベルフラムをしつこく狙った嗜虐的なロリコンが神官長を務めていた施設だ。

 多くの拷問器具は彼がこの世界に持ち込んだ物なのだろう。

 故人に対して恨みの感情が薄い九郎であっても、思い出すとムカつきが込み上げてくる。


「壊せる物なら壊してみるがいい! 魔銀鉱ミスリル製の針は、例え『蜥蜴族ドラゴニュート』の鱗であろうと貫くぞ?」

「おっさんの目、隈だらけじゃん? ちゃんと寝てる?」


 どうやら九郎は『寝かさない』という拷問も掛けられていたようだが、魔物に齧られていても寝られる九郎だ。きっと徹夜で九郎を起こそうと頑張っていたに違いない。

 ヤケクソ感漂う拷問官の言葉に、九郎は心配気に首を捻る。

 本心から心配している訳では無い。が、内情を探って欲しいと言われても、誰から何を聞けと言うのかが分からない。

 一応捉えられているていの九郎は、自由気ままに内部を歩く事は出来ないし、顔を突き合わせているのも同じ拷問官ばかりだ。

 逃げる事は容易く出来る。拷問室は九郎の血で溢れているので、破壊する事も可能だろう。

 しかし「誰から何を?」と尋ねても、「何となく雰囲気だけでも良いですわ」とミスラの言葉も要領を得ない。ただ彼女の『神の力ギフト』で探る限り、アプサル王国の内情には、何か腑に落ちない部分があると言う。その秘密の一端でも分かればと言われて、九郎は後ろ暗い情報を持っている(であろう。かも知れない)拷問官と暢気に漫談を続けていた。

 

「ふははははっ! ブスッといくぞぉ? そおぉらっ! そおおおらぁああっ!」


 鉄の棺桶のような拷問器具の蓋が閉じられる。

 かなり嗜虐的な性格をしているのか、それとも半ば混乱しているのか。

 鉄の処女アイアンメイデンに九郎を押し込めた拷問官が、隙間から三日月型に撓んだ瞳を覗かせ、


「ばぁっ……はぁぁぁぁぁあん……」


 蓋を閉じたり開いたりを繰り返し痛みを倍増させようとして、そのまま膝から崩れ落ちている。

 魔銀鉱ミスリルであろうとも伝説の剣であろうとも、九郎の体に突き刺されば、全てが内部で削り取られる。拷問官の目には涙が薄っすら光っていた。


「次はこっちだ! 今度こそ泣き叫んでも知らないからなっ!」

「しっかし、不死だって分かってて拷問しようとすんのは何でなんだ?」


 手枷、足枷、首枷を付けられた九郎が、拷問官に引かれながら尋ねる。

 当初適当な所で切り上げようと思っていたので、再生や修復は殆んどしておらず、今の九郎の姿は焼け爛れ皮を剥がされたゾンビとなんら変わらない。

 片目は抉られ、歯の何本かも引き抜かれてたりするが、痛かったのは最初だけで、それもチミッとした痛みだけ。これまで何度も悲惨な目に陥って来た九郎は、もはや外部からの痛みなど恐怖の対象では無い。それよりも自傷の痛みの方が何倍も強烈だ。


 ――何か気になった事はございますか? ――


 拷問官は答えてくれなかったが、同時に尋ねたミスラから返事が返ってくる。


「ん~? なんか健康診断を思い出すなぁ……。こう、あっちゃこっちゃの器具を廻ってっと」

 ――健康診断? ――


 自分の言ったセリフにナース服姿のミスラを幻視し、相貌を崩した九郎が呟く。

 怪訝そうなミスラの言葉に、いくら彼女が日本の文化に精通していようとも、共通した概念を持っていない事に気が付き、九郎は言葉を噛み砕く。


「なんか俺の体、調べてるみてえなんだよ。再生してねえから何も分かんねえと思うんだけど……」

 ――不死の秘密を探っていると言う事でしょうか? ――


 視界をミスラの持つ欠片と繋げると、目の前に小さな唇が現れ一瞬ドキリとさせられる。ミスラは目を瞑って思考を纏めているようだが、まるでキスを迫られているようだ。


「ぽ、ぽい。つっても俺も良く分かってねえから……。結果は興味あっけどよ?」

 ――短命種族の人族は長寿や不死に憧れる者もいると聞きますが……。そう言えば、調べた情報の中に、アプサル王国の第一王子が病に臥せっている……との情報がありましたわね――


 貿易が可能かどうかの精査をするのも仕事。

 ある程度情報は集めていましたがと前置きしながら、ミスラはう~んと唸って天井を仰ぐ。

 九郎の視線は自然と下を向く。彼女は気付いていないようだが、これだけ近いと胸元が覗けてしまうのだ。


「王子様を不死にしようってか? 不死は不死で苦労も多いんだけどなぁ……」

 ――そうですわね。伝承では『不死』を『呪い』とする記述も見受けられておりました。アルトリアさんやクロウ様を見ていると、わたくしも時折考えさせられますわ……。不死者にとって生とは……、死とは何を差す言葉なのだろうかと……――


 今は不死者の幸福を噛みしめてます! と心の中で呟きながら、九郎は真面目を装う。

 その言葉に、ミスラの表情が少し曇る。


『呪い』――その言葉を反芻しながら、九郎は考え込む。

 異形の姿を晒し、魂の最後まで死ぬ事が許されない『吸血鬼ヴァンピール』。

 愛する者、守りたいと願った者の命まで吸い取ってしまう『死後の者アンデッド』。

 そして死が無いと言うのに、自分の死を見つめ続ける『自分自身フロウフシ』。

 九郎も『不死』にその一面がある事は自覚していた。

 業と言い変えれば近いだろうか。


(生……死……ねえ……)


 九郎は地球で一度死ぬ目に遭い、死の直前の状態から復活してこの世界にやって来た。その後何度も死にそうな目に遭いながらも、授けられた『神の力ギフト』のおかげで生き延びてきた。

 九郎には自分が生きていると言う実感がある。

 今本体はゾンビと変わらぬ姿をしているが、それでも健康そのものだ。

 自分は今生きている――これは胸を張って答えられる自信がある。


 しかし、じゃあ逆に自分にとっての『死』とは? と問われると途端に分からなくなってくる。

 意識の残滓からでも再生が可能な今の九郎は、自分の『死』が想像できない。自分の死体を量産することも可能だと言うのに、それを恐ろしいとは感じていない。

 傍から見れば、恐怖を煽る『死』そのものだと言う自覚はあるのだが……。


 ――クロウさん、クロウさん! 像が動いてますっ! ――


 思考の迷路に陥りかけた九郎の意識に、突然フォルテの声が響いた。


「なんかあったんか!? どうしたっ!?」


 九郎は慌ててそちらに意識を傾ける。


 ――フォルテ殿、あれは『魔動人形ゴーレム』と言うんですよ。リオ殿、そこまで怯える必要は無いですよ?――

 ――う、うるさいっ! お、驚くだろう! と、突然土人形が動いたら!――


 ボナクの苦笑が目に飛び込んできた。

 どうやら市場に買い出しに出かけていたようだ。荷物を抱えたフォルテとリオの後ろにはカクランティウス。路銀稼ぎの護衛だろう。リオ達は荷物持ちといったところか。


 リオがフォルテの前に立ちはだかり、眼前を睨みつけてプルプル震えていた。

 カクランティウスがいるのだから、そこまで怯えなくても……と九郎も苦笑を溢す。


(リオはまだカクさんに怯えてるとこあっからなぁ。「一番下っ端と思ってこき使ってやって下さい!」ってルキさん言ってたけど……)


 リオの睨む先には、のっぺりとした大きな土の塊が土木作業をしていた。

 一応手足や顔もあるようだが、明らかに手抜きな感じもして、あまり脅威は感じない。

 所々欠けていたりしているので、哀愁すら感じてしまう。


「ごーれむ? ってなんすか?」


 脅威は感じないが、自分の危機意識には全く信用が置けない。九郎はボナクに尋ねる。

 

 ――魔法で動かす人形のことです。我がアルムでは、それほど一般的ではありませんが、白の魔法に素養があるものが多く生まれる人族国家では、よく見かけますよ。単純な命令しか聞かないのが玉に瑕ですが――


 ボナクの説明に、九郎は魔法で動くロボットのような物だと認識する。

 改めて『魔動人形ゴーレム』を見ると、キャンキャン吠えているリオを気にした様子も見せず、黙々と作業を行っていた。

 リオでも勝ててしまいそうに思えるほど弱そうだ。


「危なくないんすか?」

 ――陛……、坊ちゃんがいるので全く問題無いかと。と言うか、『土人形アースゴーレム』であれば、私でも何とかできますので――

 ――ボナクよ。坊ちゃんは止めよ……。貴様以前の鉄槌を根に持っておらぬか? ――

 ――あれは罰と分かっているので恨みなどとんでもない。良いじゃないですか? 昔を思い出しますな――


 九郎の問いに朗らかな談笑で答えるボナク。

 カクランティウスも動こうとしていないところを見ると、本当に危険が無いようだ。


 ――ごめんなさい、クロウさん。初めて見たのでつい興奮しちゃって……――

「問題ねえよ。危なくなる前に呼んでくれってのは、俺が頼んだことだかんな――っと」

「壁に向かっていったい何をしゃべっているんだ!? 貴様はっ! はっ!? 気が狂ってしまったのだな! そうだろうとも、そうだろうとも! 10年も拷問官をしてきた私の責め苦についに心が折れたのだな? ふっ……ふははははははっ!」


 シュンとしたフォルテを慰めていた九郎の意識は、再び本体へと引き戻される。

 いつの間にか右腕が切り取られていたようだ。

 ノコギリで切り取ったのだろう。思い返してみれば、ギコギコされていた感覚を体が微かに覚えている。


「ふははははっ! もう貴様の腕は無くなってしまったぞ? どうだぁ? 今の気持ちはぁぁあ?」


 拷問官が額の汗を拭いながら満面の笑みととれなくもなさそうな、引きつった笑みを浮かべて高笑いをしていた。

 九郎は眉を落としつつ拷問官に懇願する。


「俺も腹減ってんだ。焼いて食うなら俺にもくれよ」


 フォルテの呼び出しで意識を移した時、市場からは良い感じに焦げた肉の匂いが漂っていた。

 考えて見れば昨日から何も口にしていない。飢えで死ぬ事の無い九郎も、腹は減る。

 九郎はぐうと腹を鳴らして残った左手を差し出す。拷問官は泣いて外に飛び出していった。



☠ ☠ ☠



(冗談が通じねえ奴だ)


 鎖を引かれて別の部屋へと連行された九郎は、新たな拷問官を眺めながらムスッとしていた。

 いくら九郎が自分の死んだ体を肉と認識していたとしても、人肉食カニバリズムを推奨している訳では無い。知らずに口にしていたこともあったし、自らの肉体を食料として与えた経験もあるが、別種のサクラはともかく、ベルフラムの時はその行為を罪と感じていた。

 アルトリア産のゴメを食す時でも、二次的産物だからと自分を納得させている部分もある。

 同族食いは、誰にとっても禁忌ということは充分理解している。


「ルドガー査問官が精神をきたすとは……。貴様、切り取られた自分の腕を見て腹が減ったとぬかしたそうだな?」


 新たな拷問官も、これまた残虐そうな顔だ。

 そう言う性格でもなければ拷問官など務まらないのだろう。


「まあいい。餌の時間だ!」


 拷問官がそう言って九郎の背中をどんと押した。


「マジ!? あんた見た目と違って優しいんだなぁぁあぁあぁぁ?」


 笑顔で振り返った九郎の足元が突然なくなり、九郎はそのまま落ちていく。

 地面に落ちた衝撃は弱い。それほど深い穴でも無く、底にはおがくずのようなものが敷かれていたらしい。

 頭上からガチャンと鉄格子が落ちる音が聞こえ、そして拷問官の高笑いが続く。


「餌はお前だ! 忌まわしいアンデッドめ! 蠱毒の間で大いに苦しむがいい!」


 九郎が落ちた場所は、おがくずの敷き詰められた部屋では無かったようだ。

 体を這い回る動物の感触。周囲から頻りに聞える威嚇音。頭上から降る僅かな灯りに蠢く、蛇や蜘蛛。ムカデや鼠や様々な昆虫。


「孤独って言う割には大勢いっけど?」


 呟きながら九郎は取りあえず手を合わせようとし、右手が無い事に気が付いて頭を掻きながら、言葉で告げる。


 いただきます――と。



☠ ☠ ☠



 蜘蛛はカニ。特に足の太い種類は旨味が濃く、腹の味も雲丹と比肩しうる濃厚さが感じられる。

 しかしその美味さは他の者にも知られているのか、真っ先に狙われ数を減らしていく運命にある。

 味はカニに近くても、カニのように丈夫な甲羅を持たない為だろう。


 蛇はささみ。小骨は多いが、肉質はあっさりしており、以前感じた鳥と魚の間の印象は間違っていないように思える。|塩蝗の体液ショウユで焼くといくらでも腹に入って行く気がする。酒の肴にもぴったりだろう。


 鼠、蛙は言うに及ばず、非常に美味な食材だが、虫に比べて攻撃力は高くても防御力が心細い。

 大量の虫に纏わりつかれた状態では、早々に数を減らして取り合いになる。先に確保しておかねば。


 虫の味は千差万別だ。エビに似たのもいるし、芋や栗に近い味のものもいる。

 本来であれば絶食させ、糞を出しきった方が味が良い。ただ腸をしごけば問題無い。

 鞘エンドウの筋を取るような細かで面倒な作業だが、食べる前のひと手間を惜しんではいけないだろう。


 ムカデはあまり美味しく無い。祖父には「一応食べられる」とは聞いていたが、何が関係しているのか酸っぱいのだ。何となく顔が蟻に似てなくもないので、蟻酸か何かを持っているのだろうか。同じような姿をしたゲジゲジは美味しいのに、残念でならない。硬い節に覆われた体は虫に対して強いのか、中々数が減ってくれないので、ビタミンCだと思って我慢しよう。


「まあ、大概焼けば美味いんだけどな。でもやっぱ養殖よりも天然だよなぁ……」


 くちくなった腹を撫でながら九郎は一人言ちる。

 最近高貴な身の上の人々と行動を共にしていた事で、食事で苦労する事は無かったが、それ以前の食事といったら大体こんなものだった。しっかりとした食材を使った料理もそれはそれで美味しいが、偶にはこんな野趣あふれる食事も悪く無い。


 虫の残骸や骨が散らばった部屋を見渡し、九郎は苦笑を浮かべる。

 なんでも美味しく頂けてしまう九郎が、少し不満を口にしたのは、一人だからだ。

 食事は大勢で楽しんで食べれば何でも美味い。そして気兼ねない仲間達と取る食事は最高だ。


「孤独の間……。全くせつねえぜ。おい、あんたも次は一緒に食わねえか?」


 頭上に感じる好奇心とも恐怖とも感じる視線に、九郎は言って肩を竦めた。

 

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