第八章  マノン・レスキュー

第247話  白無垢


 壁も床も天井も何もかもが白一色に塗り込められ、窓も扉も何も無い真白な部屋の中央に、これまた真っ白な椅子が一脚置かれていた。

 ともすれば部屋に同化して見えなくなりそうな白い椅子は、僅かの影も無く質量と気配だけでそこに存在し、触れるまでは気付けないほど。


 そんな殺風景で無機質な白の世界。その部屋の中に風の音が微かに鳴る。


 窓の無い部屋に風が吹く。そんな奇妙な現象は、徐々にその音を大きくしていき、部屋の中に嵐が巻き起こったかのような轟音が響き渡った。

 ビュービューと音を立てて吹き荒れていた風は、幾ばかもしない内に徐々に緩まり、ピタリと止む。

 風が止んだ部屋の中は、無数の小さな緑で埋め尽くされていた。

 風に舞い上げられ部屋の中に浮遊する6弁の花のような植物。その緑は、僅かに残った風を受けて舞い散り、互いにぶつかり合い蚊の鳴くような小さな音を立てる。


「やっぱり結果は変わりそうにないねー。

(イッショイッショ)(ドーデモイッショ?)」


 音は奇妙にも人の言葉を奏でていた。

 子供のような甲高い、口々に勝手な事を話す纏まりの無い雑音。

 舞い踊る植物の葉が奏でる風の音は、雑踏の中の会話のように希薄で、誰に対して語りかけているのかも分からない。


「何も変わらぬ。そこに在るのが世界というものだ」


 しかしそんな朧気な音に別の何かが答えていた。

 その声もまた、人の言葉を発していながら、人の喉が溢す音とは違っていた。

 地の底から響く音。その音は地割れのように重い音だった。


 いつの間にか白い部屋の一画に柱が存在していた。天井と床を突き貫け聳える、重厚な六角の柱。輝く様な黄金の色を放ち、見るからに重厚そうな柱は、その姿に違わぬ重々しい音を響かせている。


「ベファイトスはそう言うよねー(イッショイッショ)(イツモイッショ)」


 白い部屋中に飛び交っている緑色の植物が嘲るような笑いを溢す。


「汝も変わるまい。緑よ。悠久の時の中で変わるものなど些事に等しい。のう、青の」

「私はそれだけじゃないんだけどねぇ。堅物と風来坊には分かんないかなぁ」


 黄金の柱がまた大地を震わせたその時、今度は涼やかな女性の声が部屋に響く。


 緑の植物が舞い散る白い床に一点、目の覚めるような青い水が湧き出していた。

 穴も無い床から湧き出した水は、徐々に膨れ上がり小指の先ほどの小さな蛙へと変わっていく。

 青藍石サファイアのような輝きを持つ青い蛙は、ケロケロと鳴くのではなくハッキリとした人の言葉をしゃべっていた。


 ――散ラカルナ、アーシーズ。燃エ尽キテモ知ラヌゾ? ――


 青い蛙の言葉が終わるや否や、今度は低く重い声がする。


「うわー! (キャー)(コワーイ)バカ牛がきたぞ~! (バカ牛、バカ牛)

 って言うか、僕等少なくなってない?(イツノマニッ!?)(行方不明者続出?!)燃えちゃった? (傷心)(焼身)(就寝……スヤァ)」


 はしゃぐ子供のように、歓声を上げながら緑の植物は小さな竜巻の中へと吸い込まれていく。

 部屋中に散らばった葉っぱが少し纏まりを見せた頃、空間の一か所が炎に炙られたように燃え始め、その奥――燃え尽きた空間から炎の雄牛が姿を現していた。


「も~、ミラが来ると珠のお肌が乾いちゃうわ。アーシーズも良くこんなのと仕事出来るわね。ミラとベファイトスで組んだ方が良く無い?」


 青い蛙が自分の顔をペチペチ叩きながら抗議の声を上げる。

 ある種寒々しい雰囲気を漂わせていた、真っ白な部屋の中は、炎の雄牛の登場と共に温度を上昇させていた。


「それじゃぁ、キャラが被っちゃうじゃん(吾輩キャラ2人ハネ~?)(ネ~?)」

「灰塵モ乾キモ主ラノ本質ヲ変エハセヌダロウ。澱ミハ主ラガ尤モ嫌ウ物デハ無イカ」


 登場するや非難の嵐に見舞われた炎の雄牛は、少し不機嫌そうな匂いを漂わせながらゆっくりと答える。

 猛々しい炎の姿をしていながら理知的なしゃべり方の雄牛の言葉に、青い蛙と緑の植物はおざなりな返事をそれぞれ返していた。


「後は黒と白だが――」

「いるわよ」


 黄金の柱がまた大地を震わせる。その音をしゃがれた老婆の声が遮っていた。

 炎の雄牛が放つ光によってできた黄金の柱の影から、黒色のローブを纏った人影が出現していた。

 子供位の背丈の老婆の声を持つ少女。その顔面は中心で真っ二つに分かれており、片方が皺くちゃの老婆。片方があどけない少女の顔をしていた。


「状況は?」

「あまり良く無いわね……。この部屋を見れば分かるでしょ?」


 青の蛙の問いかけに、黒い少女が目を逸らす。

 その目に誘われるように青い蛙が見た先――白い部屋――何も無い無垢な白い壁に幾筋かの亀裂が走っていた。

 それを目にした青い蛙は、少し悲しそうな表情を浮かべる。


「あなたやミラの頼みでヒトを選んだけれど……やっぱり魚とかの方が良かったんじゃない?」

「そもそも無垢を動物に求めるのが間違っている。無垢なる魂は命には宿らぬ」

「命無キ者ノ繁栄ハアルジノ糧ニナラヌ。考エズ思ワズ感ジヌデハ、死シタル世界ト何ラ変ワリハセン」


 青い蛙が黒い少女に向かって言った言葉に、黄金の柱が答え炎の雄牛が口を挟む。


「確かにヒトは色々考えるけどさー(イッパイ)(イッパイ)(オッパイ)

 善性まで期待するのはどうかなー(ウヘヘ)(ヌヘヘヘ)(グヘヘヘヘ)」

「ナレバコソ、ソノ椅子ニ座レル者ヲ厳選シテイルノデハ無イカ!

 単ニ無垢ヲ求メルノデアレバ、赤子ノ魂デコト足リル。シカシソレデハ我ラノ言葉ヲ理解デキヌ! ベイアモ分カッテオロウ? 魚ナド本能デ動ク獣デ、ドウヤッテ『神の指針クエスト』ヲ達成サセルト言ウノダ?」

「ヒトであっても、誰一人達成してないじゃないのさ……」


 炎の雄牛の言葉を緑の風が嘲笑っていた。

 囃し立てるような物言いに炎の雄牛の熱量が少し上がる。

 熱が生みだす上昇気流に巻かれた緑の植物達は、子供の悲鳴を上げながら部屋の中をはしゃぎまわった。

 舞い散る緑の奔流に、煩わしそうに手で顔の辺りを扇ぎながら言葉を返した青い蛙が、ふと思い立ったように顔をあげる。


「まあ、グレアモルやミラ、ソリストネなんかはヒトであった方が良いんでしょうケド……そう言えばソリストネは?」


 青い蛙の言葉に、気だるげに眼を伏せた少女とも老婆ともつかないその人物は、小さな溜息を吐き出し虚空を見つめた。

 今や白い部屋は5色の何かが犇めき合い、パレットに絵具をぶちまけたかのようだったが、その残った一部、まだ白い・・・・部分が突如光輝き――、


「揃ったね~。じゃあ、始めようか――」


 悪びれもせず白い光から現れたソレは、開口することなくそう言い放った。


☠ ☠ ☠


「全く、何で僕が毎回議長なのさ? ミラやベフィーでもいいじゃん」


 白い光の中から生まれ、最後にその部屋に現れたのは、翼を持った白い歯車だった。

 2対4枚の白い翼を持つ歯車。笑い声を上げて肩を竦めるような仕草をしながら、白い歯車が宙に浮かんで回っていた。

 軽薄な口調で文句を口ずさみながら、白い歯車は羽を使って器用に感情を表す。

 歯車が回る度に鳴るカラカラと言う音が、笑い声のように部屋の中に木霊していた。


「司法を司るのが汝だ。王は道化師では無い」

「道化師ってひどくない?」

「理知ヲ司ルノモ主デハナイカ」


 白い歯車の抗議の言葉に、黄金の柱と炎の雄牛がそれぞれ答える。

 なしのつぶての返答に、翼で肩を落とす仕草をした白い歯車は、カラリと一回転すると気を取り直して部屋を見渡す。


 4枚の翼が大きくはためき、場に厳粛な空気が満ちる。

 たった一つの動作で、井戸端会議の様子を見せていた部屋の中の雰囲気が、ガラリと変わっていた。


「まあ、時間も押してる事だし、報告してよ。永遠なんて存在しないのは、僕等が一番身につまされてるんだしさ」


 理を司る神――その権能を露わにした白い歯車ソリストネが言葉を告げると、緑の風がそよぐ。


「北風は暗い穴で眠りにつき、南風は嵐を巻き起こし自ら果てた。

 風の澱みは世界のオリ

 旅人の外套は摩耗し、天の伝令は任を果たせず朽ち果て、貧者の施しは全てを飲み干し無へと還った」


 緑色の葉っぱが合唱する。

 雑音では無く、聖歌隊の如く揃った風の声は、天上の鐘の音のように厳かに部屋に満ちる。


「勇気ノ火種ハ潰エ、欲望ノ炎ダケガ残ッテイル。鍛冶ノ槌ハ溶ケ、剣ハ剣ノママ生涯ヲ終エタ。

 炎無キ世ハ死ヘノ扉。

 戦ノ狼煙ハ業火ニ巻カレ、知恵ノ実ハタダ一ツノ種ヲ蒔イタニ過ギナイ」


 続いて炎の雄牛が重々しく口を開く。

 力強く響き渡る声は、落胆の怒りを押し殺したかのようだった。


「薬瓶は割れ、毒は広がり続けている。釣瓶は底を打ち、泥も泥のまま。

 水の澱みは終の始まり。

 呼び水は乾き、審判の笛が鳴るのはもうすぐ」


 青い蛙がそれに続く。

 嫋やかな女性の声で紡ぐその声には、冷え冷えとした残酷さが含まれていた。


「金床は火花を散らさない。穴熊の進む先は暗闇。

 土は土のまま。それが普遍の原理。

 導きの轍は庭師の鍬を手にした」


 黄金の柱の声が部屋を振動させる。

 その場にいた者達の中、一人無機質な声ながらも幾分機嫌が良さそうな声。


「夜の揺り篭は壊れたまま。縦糸はそのままで杼糸は尽きた。

 昼と夜は変わらない。命の織り機が動かずとも。

 方舟の種は……揃っていない……」


 黒い少女のような何かが、沈痛な面持ちで項垂れ、


「檻は開け放たれてはいない。時計の針は戻らない。

 主の光は新たな子達に降り注ぐ。

 賢者の法廷は立たず、終末の獣が魂の味を覚えるのはもうすぐ――」


 最後に白い歯車が声を発した次の瞬間、部屋はまた静寂を取り戻していた。

 部屋にあった筈の白い椅子は、いつの間にか消え失せていた。


☠ ☠ ☠


 魔族の王を頂く国――アルム公国は冬を迎え雪景色に覆われていた。

 純白の城壁を誇るアルム公国首都ペテルの北に立つ王城ペテルセンは、今や屋根までが白く、真っ白な装いで街を見下ろしている。

 冬の空は高く青く、澄み切った空気は太陽の光を遮る事無く地上に降らせ、アルムの街並みは人族が忌み嫌うとは信じられないような美しい景色を擁していた。


「嫁に行きたくば吾輩を倒してからにするがよい」


 一枚の絵画のような美しい景色。

 その主役である城の中庭で、少し間の抜けた感のある言葉が響き渡っていた。


「お父様、ミスラは大人の階段を上ります! お覚悟を!」


 それに答えるセリフもまた、膝から力が抜ける感じを匂わせていた。


(ぶれねえお姫様だぜ……)


 九郎は一連の流れを見ながら頬を引きつらせる。九郎がこの城に滞在してから2ヶ月の時が過ぎ、凛とした佇まいで槍を構えて立つ少女の姿を見るのも、もう日課となりつつある。


 ミスラ・オウギ・ペテルセン。

 空色の長い髪をアップで纏め、均整のとれたプロポーションに沿う白色の稽古着に身を包んでいるのはこの国の唯一のお姫様だ。少女と大人の狭間の時が見せる、純粋な若さが持つ可憐さ。九郎が今まで見て来た誰よりも美しいと思える容姿。青と赤、互い違いのオッドアイが、殊更強烈な印象を抱かせる、絶世の美少女。その立ち姿を目にしただけでも、多くの男を虜にするだろう。


 その美少女の前に立ちはだかるのは、彼女の父、カクランティウス・レギウス・ペテルセン。

 魔族の国――アルム公国を立ち上げた建国の父であり、200年以上アルムの頂点に君臨する『不死の魔王』その人だ。その名に違わぬ骨の顔は、『不死』そのものであり、その手に持つ戦斧ハルバードは「この国の頂点の武力」に疑いを持たせない物々しさを感じさせる。


「全く……往生際が悪いですこと。ミスラ、陛下は万全ではありません。昨日も婿殿と酒場に繰り出していたそうで、お仕置きしてあります。存分におやりなさいな」

「母上。心配せずとも、陛下はミスラと戯れたいだけですよ。父親と娘の戯れにしては少々武骨ですが……、ミスラも性根はアレですから」


 カクランティウスとミスラの決闘。その場には見届け人として、彼等の家族――言って見ればこの国のトップである王族達が勢ぞろいしていた。

 中庭の周りに設えられたベンチに腰掛け、この国の第一王妃リスティアーナの言葉に、彼の息子でありこの国の第一王子ルキフグテスが笑って答えている。


「陛下も得意武器の戦斧ハルバードを持ち出すなんて、大人げない……。余裕が無くなってきている証拠ですわね」

「ですがミスラも今日は虎の子を持ち出しております。ミツハ様も槍が得意でしたし、ミスラもその才能を受け継いでおり結構やりますよ」

「懐かしいわね……。あの子の槍術は鉄の飛龍を落とす為に編み出された物だったと聞いていましたが……。と、ベガ! 貴方はもう少し鍛錬なさい。魔法にかまけてばかりではいざと言う時打つ手が無くなりますよ?」


 その横には第二王妃ヘカーテと第二王子ベガーティスの姿もあり、考えて見ればこれも家族団欒のひと時と言えるかもしれない。

 そんな事を思い浮かべながらも、九郎の眉は下げられたままだ。


(この街に辿り着いた時も同じ気持ちダッタナァ……。知らなきゃカッコいい武器に思えてたんだろうなぁ)


 虚ろな瞳で九郎が感慨深げに思いを巡らす。

 槍を縦に構えて立つミスラの姿は、非の打ちどころが無いほど美しい。しかしその立ち姿に、空気が張りつめる様子を見せるほどに、目の前の光景が苦い物へと変わっていく気がしてしまう。

 双頭槍ツインランサー――ミスラが両手に持つ武器が、九郎の渋面の原因だった。


 ミスラが両手で構える槍は、銛のような刃先と戦輪チャクラムを合わせたような形をしていた。

 機能的に見ても武器を絡め取る事も可能であり、また色々な状況に合わせて使えそうな武器に見える。しかしその形を説明しているベガーティスとヘカーテの団欒を、温かな目で見れる九郎では無い。

 ミスラの持つ双頭槍ツインランサーの形状は、彼女の趣味が前面に押し出されている気がしてならなかったからだ。

 矢印の形の刃先に円の刃。完全に男を表す符号シンボルである。それが二つ。何を意味するのかなど考えるまでもない。

 何を考えてそんな武器を作ったのか、小一時間ほど問い詰めたい気もしてくるが、藪蛇になりそうな気もしてそれも出来ない。


(槍っつー武器まで卑猥な気がしてくらぁ……。気にし過ぎなんかねぇ……)


 絶世の美少女に言い寄られている身としては、贅沢な悩みなのだろうかと九郎は考え込む。

 例え腐女子であろうとも、九郎は本来気にする性質では無い。趣味と言うものは人それぞれであり、自らが楽しむ分には、「実害が無ければ自由に楽しめば?」が基本スタンスである。


 九郎の交友関係は、地球にいた時でも幅広かった。

 不良ヤンキーもオタクも優等生も、気が合えば仲良くしていたのは、山奥の田舎故にコミュニティーが限られていた事だけが理由ではない。物怖じせず、誰に対しても先ずポジティブに接するのが九郎の性格だ。

 加えて『フロウフシ』となった今、自分が化物となりつつあること を感じている九郎は、ただ仲良く接して貰えるだけで充分に嬉しい。

 そんな状態で好意を囁かれ、嬉しくない筈が無い。――のだが……。


「何でだろうなぁ……。俺がレイポ目でベッドに横たわる姿しか見えねえ……」

「クロウさん! 大丈夫です! 僕は優しくします! 最初が痛いのは男も女も一緒ですよ!」


 九郎の呟きに、もう一つの不安の種が答えて来る。

 褐色の肌を持つ銀髪の美少女――に見える美少年。フォルテが両手を前で握りしめ、期待に満ちた目で九郎を見上げて来ていた。

 九郎がミスラの好意を純粋に受け止めかねているのは、言って見ればこの少年の存在が大きい。

 自分をネタに妄想されるのは、うすら寒い思いを抱きはするが仕方ないかとも思っている。九郎も男であり、美人を目にすれば妄想するのが自然な事だと感じるからだ。

 しかし九郎に対して純粋な好意を向けてくるフォルテの思いを、九郎は受け入れられる・・・・・・・気がしない。

 これはもう趣味の範疇では収まらない、本能の部分だろう。恋人が腐った趣味を持っていようが許容出来る九郎であっても、自ら男色趣味に走る勇気は持っていない。


(周りにこれだけ別嬪がいるのに、こっちもぶれねえなぁ。つーか、最近溜まり過ぎてヤベーんだよ! フォルテは色気だけならアルトに匹敵しやがっから……ってヤバイヤバイ! 俺はノーマル! 男の子!)


 九郎は自分に言い聞かせるように心の中で言葉を繰り返す。

夢魔サキュム』という魔族であるフォルテは『催淫フェロモン』の魔眼を持っている。その所為で自分の性癖が歪んでしまわないか、またミスラの腐趣味に触発されフォルテがこのまま突き進んでしまわないかが、最近の九郎の悩みの種だ。


「俺はあんまし優しくしねえぞ? 痛いのは男も女も一緒だがよ?」


 健気な美少年に対して、九郎は意識して強めに言葉を発する。

 カクランティウスとミスラの決闘。それを見物する為だけに九郎も中庭に来ている訳では無かった。

 九郎には毎日繰り広げられている親子喧嘩を見守り続ける趣味は無い。

 ――足手纏いのままではいられない――そう言って戦闘の訓練を願い出て来たフォルテを鍛える為だった。


 今迄であればカクランティウスと言う絶対的な強者が傍におり、道中の危険は感じなかった。しかしこの先、海を隔てた場所へ向かう予定の九郎は、カクランティウスに頼ることはもう出来ない。

 この前の戦闘でそれを痛感したのか、フォルテは強さを求め始めていた。


(性格は男前なんだよなぁ。滅多な事じゃビビんねえし、度胸もあるし……)


 年頃の少年らしく、力を求め始めたフォルテに、九郎は生暖かい視線を向ける。

 フォルテは髪の色と同じ銀色の棍を構えていた。棍はミスラから貰った物らしい。

 国境の惨事の一件以来、ミスラとフォルテは頗る仲が良い。と言うより、ミスラは進んで九郎の仲間――アルトリアやリオと言った女性陣とも仲良くなろうとしていた。

 自身の目的からもアルトリアがミスラを嫌う理由は無い。

 リオは最初は王族という身分に慄いていたが、アルトリアの時と同じく食べ物で釣られつつある。

 将を射ようとするならば先ず馬を……と言うつもりなのだろうか。ミスラは九郎の旅に付いて行く事を望んでおり、仲良くしようとする事に異論は無い。


(アルトは命の営みが第一だから大丈夫な筈……。リオはそもそも男嫌いだから……だからっ!)


 九郎としては腐教を布教しないことをただ祈るばかりである。


「んじゃ、はじめっか……ぁぁぁ」


 九郎はフォルテと対峙し拳を構えて眦を下げる。

 偉そうな事を言った手前、弱気を見せる訳にはいかないのだが、それが分かっていながら背中には嫌な汗が流れていた。


 フォルテの構えは、まだ堂に入ったものでは無い。

 強さという面ではそこまででは無い九郎からして見ても、小柄な少年が持つ棍棒に恐怖を抱く事は本来ありえない。

 そもそも『フロウフシ』と共に『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』を持つ九郎の戦い方は特殊だ。

 九郎の戦い方は玉砕してからが本番。九郎にしてみれば、相手の持つ武器は自らの武器と同じ。九郎を傷付けた刃は途端に刃が欠け、流れ出た血はそのまま攻撃力を持つようになる。

 我流の武術も研鑽していたが、相手の虚をつく動きは、体を傷付けてもらう為の意味合いも大きい。


 だがどんな凶悪な武器にも飛び込んで行く気概があったつもりの九郎の瞳は、フォルテの武器を前にし大いに狼狽え泳いでいた。

 戦いの最中に相手の武器から目を逸らすのがどれ程の愚行であるかは、武術の素人である九郎も分かっている。自らの身を守る必要が無くても、武器の先が誰を狙っているのか――それは壁役の九郎が常に気にする最優先事項だ。

 しかしフォルテの棍の先端からは、おのずと視線が逸れてしまうのが止められない。この効果を目論んでこの武器を与えたのであれば、ミスラの戦術眼は恐るべき物だろう……が。


双頭棒ツインディルドー……。まだフォルテだからマシに見えるけど、おっさんが持ってたら恐怖以外感じねぇ……)


 九郎は弱り顔のまま無意識に尻に力を入れ直していた。


☠ ☠ ☠


「それまで!」


 九郎の体感で一時間ほど経った頃、ルキフグテスの声が中庭に響き渡った。

 一時間ぶっ通しで戦い続けられるのは、不死者以外にそうはいない。フォルテは慣れない戦闘訓練で体力を使い果たし、雪の芝生に身を横たえて荒い息を吐き出している。

 声に釣られて九郎が振り返ると、日課の親子喧嘩も決着が付いたようだった。


「そんな……。会心の一撃だった筈ですのに……」


 カクランティウスが持つ巨大な戦斧ハルバードの先端が、ミスラの首元に添えられており、彼女は悔しそうに項垂れていた。


(やっぱカクさん強えなー。俺なんて両手の数を守るんので精一杯だっつーのに、国一つ守ってきてたんだかんなー)


 今日も変わらずカクランティウスが父の威厳を保った様子だ。万全の状態では無いのに、それでも勝利を収め続ける彼は、やはり国最強の武力と謳われるだけのことはある。いつぞや九郎とアルトリア二人を前にして「不死者二人では荷が重い」と言っていたカクランティウスだが、九郎は未だに彼に勝てるビジョンが思い浮かばない。


「確かに白の魔法は我ら魔族の弱点であるが、お前も同時に弱るのであれば自分より強い相手には効果が薄いぞ? それに白の魔法は射線が単純だ。束ねれば束ねるだけ威力を増すが、それだけ察知されやすいと言う弱点がある事を忘れてはならぬ」


 魔力を消費したからか、少し面影が幼くなったミスラを見据え、カクランティウスはいつものように助言で締めくくっていた。

 ルキフグテスが言うように、カクランティウスは娘の結婚に異を唱えているのではなく、これから旅立とうとしている娘が少しでも危険に対応できるよう、鍛え直そうとしているのではないか。武力だけの武骨者――そう自分を称したカクランティウスなりのはなむけに感じるのは、自分の思い過ごしだろうかと、九郎は複雑そうなカクランティウスの心境を慮る。


 このアクゼリートの世界は、多くの危険が潜んでいる。悪漢や盗賊の類は多く、魔物も蔓延るこの世界は過酷の一言に尽きる。

 そんな世界に住む人々は、強く無くては生き残れない。

 弱者や虐げられていた人々の為に国を立ち上げ、その矢面に立ち続けていたカクランティウスだからこそ、強さが最後に自分を助けると信じているのかも知れない。

 ミスラはもうすぐその庇護の下を離れて行く。親元を離れるという事は、平和な日本より遥かに心配するのも不思議は無い。


(娘さんを預かる身としちゃ、不安は尽きねえ実力だしな……。俺もいっちょ揉んでもらうか!)


 そんな感慨を抱き、自分もまた強くならなくてはと思いを新たにして動きだす。

『フロウフシ』の弊害からか、九郎の肉体は強くはならない。それでも立ち止まってはいられないと、九郎は思った。柴犬程度の大きさの獣に食われ、小さな少女ですら仕留められる兎に翻弄されていたのは、過去の事だ。魔力と言う本来『来訪者』の強さの根源である筈の力を欠片も持たない九郎は、まだまだ強者とは言い切れない。しかしそれに腐って何もしないではいられない。


「結局最後の強さってのは心の強さ……なんてな!」


 成長が見込めない体であっても、強く成れない訳では無い。数々の危機を全身で味わってきた九郎は、経験と言う武器で戦っていくしか道が無いだけだ。魔力を持たない代わりに九郎が持つもう一つの『神の力ギフト』、『ヘンシツシャ』も九郎が味わった攻撃でのみ成長する。ケテルリア大陸最強と謳われた、『不死の魔王』との鍛錬は、新たな経験を九郎にくれる事だろう。

 痛みを味わいに向かっているのに、気持ちが高ぶって来るのはMだからでは無い――そう自分に言い聞かせながら歩みを進めた耳に、親子の会話が飛び込んできて九郎はふと足を止める。


「…………。やっぱぶれねえ姫さんだぜ……」


 髙く青い冬の空。太陽を眩しそうに見上げた九郎の口は、自然とその言葉を繰り返していた。


「この真昼の最中に実像と違わぬ虚像を作り出した事は褒めてやろう。しかし毎回背後を取ろうとするのは感心せんな。狙って来る方向が分かってしまえば、幻術は意味をなさぬ。後ろだけに拘るな」

「それはわたくしのあいでんてぃてぃですの! 次こそはきっとお父様の後ろを突いて見せますわ!」


 冬の高い青空に、平和そうで不穏な親子の会話が吸い込まれていた。

 九郎がこのアルム公国に来てから2ヶ月。死の一歩手前の状態から復活し、九郎がこのアクゼリートの世界に来てからは、もう4年の時が過ぎていた。

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