第245話 閑話 カクシゴト


「しっかし……ようわからん王子さんやなぁ……」


 同志の間で取り交わされる、気恥ずかしい一場面から気をそらそうと、龍二は何気なく呟く。


「何がです?」


 同好の士どうし、話し合うこともあるのだろうと、気を利かせた素振りを見せていた(実際は第二王子と龍二も、ある程度気心の知れた間柄にしようと目論んでいた)ルキフグテスが、窓際の鉢を手入れしながら、振り返る。


「いや、よう腐らんとやるなあて……」


諦観モノローグ』でその思惑も読み取りながらも、その目論み自体には何の後ろめたさも無いと感じ、龍二はひらひらと手を扇ぐ。


 龍二は本心から感嘆していた。

 ルキフグテスは、能力的に特筆すべき点が無い。いくら頭が回ろうともその事実は覆らない。

 暗殺者の自分の元に単身姿を見せた時も、自分は案山子と言っていた。彼自身、自分の能力が低い事を十分に理解しているのだ。だからこそ、命との釣り合いで利益が勝てば、その命を躊躇いも無く交渉のテーブルに放り出した。

 しかし、と龍二はルキフグテスの顔を見上げる。彼の弟、ベガーティスの能力はかなり高い。『詳解ステータス』で見たベガーティスの実力は、この城では第3位に入るだろうと思われる。全快状態の王女ミスラのステータスもかなり高かった。しかも貴重な『神の力ギフト』を発現させている。

 優秀な弟妹がいて自分が凡夫という状況は、兄弟のいなかった龍二であっても、針のムシロに思えていた。


 龍二もこの世界に来てから何度か王族や貴族と面会している。能力に劣る長男が次期当主の座に就いていた事もあったが、知恵の無い者は短絡的で傲慢。少しでも自分の現状を見ていた者は、簒奪や裏切りを恐れてぐちゃぐちゃ。とても見ていられる物では無かった。

 なのに、ルキフグテスからは全く影が見えない。それが不思議だった。それ以上に眩しかった。

 それは龍二自身が生前、力の無さ、才能の無さ、人望の無さに打ちひしがれ、いじめに立ち向かう気力も無くし腐って自ら死を選んでしまったと言う、後ろめたさからくる感情だった。


「失敬な!? 私は男色を愛でる趣味などございませんよ?」

「そうやない! てかよう知ってんな? そんな言い回し」

「恥ずかしながら母も……もう手遅れで……」


 龍二の言葉に片眉を上げたルキフグテスは、おどけて見せる。

 ミスラの性癖を知ってしまっている龍二は、すかさず突っ込み舌を巻く。関西人としても唸る返し。しかもルキフグテスは異世界アクゼリートの住人だ。意味も分かっていての返しだとしたら、どれだけ日本の言い回しにも精通しているのか。

 ベガーティスが横で渋面して溢していたが、重要なのはそこでは無い。


「別に良いではないか? ベガ。母上達がそれに嵌るのは。陛下ももうお歳だが、今から新たな妾をお持ちになられても困るというものだ。男なら子は孕まぬし、お家騒動にもならぬから問題無い」


 肩を竦めながら、母親が腐女子化しても問題無いと嘯くルキフグテス。とうとうと弟にその利を解くルキフグテスは、どこまでも国の将来しか考えていない。二回目の邂逅で龍二が唸った無私の王子。それを再び目にして龍二は一瞬言葉に詰まる。


「なんかはぐらかそうとしてへん? て言うかなんやそれ? 盆栽?」


 何処まで計算ずくで行動しているのか。自分で「はぐらかそうとしていないか?」と言っておきながら、龍二はルキフグテスが持つ鉢に意識を取られる。

 それはまごう事なき盆栽だった。若い者には何が良いのかさっぱり分からない、小さな園芸。それを大事そうに日の当たる場所に移している王子という絵面に、意表を突かれた形になっていた。


「ああ、これは私がミスラの母上、ミツハ様から受け継いだものだ。ベガももう少し育てる喜びと言うものを知れば……」

「兄上はミスラ以上にミツハ様を慕っておりましたから……実は兄上は母親錯綜ぼしんさくそうの気がありまして」

「ぼしんさくそう? ああ、マザコン……?」

「ベガ、適当な事を言うな! 確かに私は母上とミツハ様は陛下以上に尊敬してはいるが……」


 龍二は盆栽の謂れを聞き、この城の王妃となった日本人を思い浮かべながら首を傾げる。

 もう完璧に話をはぐらかされてしまっていた。龍二自身が気付かぬ内に、この王子のギャップというか、不思議さに呑まれていた。

 悪辣で才能も抜け目も無い第一王子。高い実力を持ちながらも、オタク化している第二王子。日本人の母を持ち、『|神のギフト』に目覚めたのに腐女子化している王女。

 濃すぎるにも程がある王室だ。


(魔族やからやろうか? そら日本とちゃうねんし、常識も考え方も違うやろうけど……)


 国の英雄であるはずの父親よりも母親や、義母を慕うと言うのが解せない。

 龍二もこの世界に来て一年が経つ。この世界の基本的な考え方――強い者に惹かれるという、一般常識くらい把握している。そうでなければ自分がモテるなど考えられないし、『来訪者』に集まって来る者達の思惑もそれに集約されているからだ。

 龍二が思考の迷路に陥り、考え込む素振りを見せたその時、ルキフグテスはまたおどけた仕草で首を振った。


「先の質問の答えになってしまいますな。流石に弟の前で言うには気恥ずかしいですが、仕方ありません。リュージ殿はこう言いたいのでしょう? 『何故私のような凡才が前を向きつづけられるのか?』と。おや、凡才と盆栽が掛かってしまいましたな。ははは」


 はぐらかそうとした事を認めるような物言いで、ルキフグテスは爽やかに笑っていた。

 その言い分に嘘が無い事を確認しながら、龍二は無意識に居住まいを正す。

 強い者が正義の基本理念。弱ければ生きていく事さえ厳しい世界。

 それは生前の龍二の世界でも違いが無かった。学校と言う閉ざされた世界での出来事は、権力、暴力などの力によって構成されていた。その最下層の住人だった龍二からしてみれば、ルキフグテスの前向きさはその額に生えている角よりも異形に見えていた。


「リュージ殿は母上にも面会しておりますな?」


 ルキフグテスが尋ねてくる。


「ああ、あのおっかなそうな緑髪の女の人と、おっとりとした金髪のねーちゃんな」


 龍二はルキフグテスの食客だと紹介された人物の顔を思い出し、少し身震いする。

 子供達を暗殺しに来た人物が、その母親に面会するのは、実力差がどれ程あろうとも緊張する。「暗殺者を与し、利用して来た」と言っていたミスラの言葉の通り、「王子達が納得しているのなら」で収めてくれたことがそもそも驚きだった。

 特にベガーティスの母親と聞かされていた緑髪の女性が、裏表のないさっぱりとした性格だったのは幸いだったと思っている。第二王妃ヘカーテの能力の高さは、本物の『不死の魔王』に次いで二番目の高さだった。特筆すべきは筋力、敏捷、体力の高さ。魔力で底上げした龍二であっても、手強いと感じるほどの女傑。流石に自分は負けはしないだろうが、仲間の少女達では敵わないだろうと感じた猛者。その恐ろしげな容貌を思い出した龍二に、ルキフグテスがニヤリと笑う。


「金髪の王妃の方、私の母なのですが……我が国第二位の実力者だとご存じで?」

「嘘やんっ!?」

「実力を可視化できるリュージ殿なら、騙されてくれると思っておりましたよ」


 ルキフグテスの言葉に思わず立ち上がる龍二。もう一人の王妃の方は、龍二は気にも留めていなかった。

 能力的に脅威が無いと判断していたのだ。魔族というのも疑わしいくらい、低い能力値。どれだけ怒り狂っていても、自分は愚か、仲間にも害をなす事は出来ないだろうと思えた女性が、緑髪の王妃ヘカーテよりも強いと言うのが、全く信じられなかった。

 実力を可視化出来るだけに、自分の見る目は確かな筈。心を見抜ける龍二が発するには、余りに滑稽なセリフに、ルキフグテスはさも可笑しそうに肩を震わせている。


「リュージ殿が疑うのも無理は無い。私の母上、リスティアーナは魔力も乏しく、力も弱い――『鬼族オーグル』の中でも落ちこぼれの存在でした」


 ルキフグテスは片目を瞑って片手を上げると、『金羊の魔女』と呼ばれる王妃の歴史を語り始める。

 貴族で無ければ生きていく事も難しかったであろう、弱者。カクランティウスの妻となった後も、城で守られる存在でしか無かった王妃。戦乱の時代、魔族は人族よりも更に力に重きを置く種族だったことで、第一王妃という地位にいながら、リスティアーナは結構白い目で見られていた事もあったようだ。

 

 しかし扇 三葉。ミスラの母親がこの地に来て、雷の原理を伝えた事で、いきなり第二位の実力者にまで上り詰めた。欠片も脅威を抱かなかった女性が、龍二にとって一番の天敵――広域殲滅の魔術を操る者だと聞き、龍二は自分の能力を過信しすぎていた事を思い知る。

俯瞰ビューワー』という能力を持ち、屋外戦闘の方が得意な龍二でも、遠くからいきなり落とされる雷を躱せる自信は無い。


 同時にルキフグテスが、能力が低くても腐っていないことも理解出来た。

 凡才よりも劣る人物が、たった一つの契機で覚醒したのを目の当たりにしているのだ。彼にとってリスティアーナは目標であり、三葉は幼少時代の彼に希望を与えた人物と言う訳だ。


「と言う訳で、私もいつか日の目が出る日があるのではと思い、凡才ながらも研鑽している次第です。この『盆栽』も他の者が見れば枯れた雑草に見えるかも知れませんが、その価値を見出してくれる人が現れるのでは……そう思って腐ることだけはしまいと……ん?」


 目を見開いて呆気にとられている龍二に、ルキフグテスはそう締めくくって恭しく礼をし、ふと言葉を止め盆栽を見つめた。


「うん?」


 ルキフグテスの視線に誘われ、龍二も盆栽に目を向ける。

 彼が抱えた盆栽。そこにはピスクドールほどの大きさの緑髪の幼女が座っていた。赤い肌と緑の瞳。


「おや? 兄上。我々の趣味を笑っておきながら、隅に置けませんな? ふぃぎあと言うものでしょ? それは?」


 ベガーティスがにやけた笑みを浮かべてルキフグテスに言いやる。


「いや、知らぬぞ? ミスラの悪戯か? しかしあ奴はこんな得にもならぬことはせぬだろうし……」

「ニン………ニン……ヤ~!!!」


 ルキフグテスが首を傾げ、人形と思しき赤い肌の幼女に触れようとしたその瞬間、それは言葉を発していた。


(モンスターか!? なんで『詳解プロフィール』に引っかからへんかった!? 暗殺用の自動人形か?)


 龍二は即座に身構え、両手を前に突き出す。

 先程『詳解プロフィール』の力を過信してはいけないと、反省したばかりだと言うのに、とんだ間抜けだ。鑑定によく似た能力である『ボウカンシャ』の『神の力ギフト』だが、意思を持たない無機物や植物の魔物には役に立たない。それも『俯瞰ビューワ』の能力があるので屋外であれば、殆んど問題にならなかったのだが、突然現れたソレには対処が遅れた。

 龍二は自分のステータスを横目に、体に異常がない事を確認しながら、攻撃態勢に移り――そして構えを解いて呆然と呟く。


「なんやったんや……いったい……」


 もう先程の小さな魔物の姿は無かった。



☠ ☠ ☠



「ミスラちゃん……かわいい!」

「からかわないでくだちゃいまちっ!」


 日当たりの良い部屋の中、アルトリアのはしゃいだ声とミスラの舌足らずな抗議の声が交わされる。


(危ないところでしたわ……。ここまで消耗するとは予想外でした……。リュージの時の2倍……。先にクロウ様の『|神のギフト』を調べていたら、死んでました……)


 ミスラはてしてしとテーブルを叩きながらも、内心冷や汗を流していた。

 まさか万全の状態から、いきなり幼女まで幼齢化してしまうとは思ってもいなかった。

 万全の状態であったことで、意識が見た目を取り繕う事に傾けられておらず、また余りに急激な魔力の消耗に、取り繕う暇も無かった。


 肩からずり落ちたドレスを必死に引き上げながら、動かし辛い小さな手で九郎産の口紅を頬張るミスラは、傍から見れば背伸びしてお洒落を頑張っている幼女そのものなのだろう。

 アルトリアが手をわきわきさせ、必死に抱きしめたい衝動を押さえているのが見てとれる。

 彼女が子供に対して特別な感情を持ち合わせている事を知らないミスラは、頬を膨らませながら慌てて体を元に戻す。


「ごちんぱいおかけちまち……ん゛、ん゛! ご心配おかけしましたわ。やはり神様の記述書を盗み見るのは、慎重に行った方が良いですわね。ほほほ……」

「そうだった! ゴメンね。ボク思わず固まっちゃたけど、ミスラちゃんがあの状態になるって事は、カクさんが骨になるのと一緒だもんね? 固まってる場合じゃ無かったよ……。でもミスラちゃん、子供の頃も綺麗だったんだね~。カクさん見たら、更に『結婚は認めんッ!』とか言いそうだから、内緒にしとかなきゃ……」

「ちゃん付けはお止め下さいましっ! いえ、アルトリアさんはわたくしよりも年上ですし、お父様と同年代ですから……その……誰もいない場所でなら……」


 慣れない笑い方で取り繕いながら、ミスラは心の中で冷や汗を拭う。

 心配そうな顔をしながらも、時折思い出したように頬を緩めるアルトリアに、ミスラは俯きながら答える。ちゃん付けで呼ばれるという経験も初めての事で、多少気恥ずかしさがあったが新鮮に感じて、自分でも良く分からない返しをしてしまっていた。漫画の中での友達付き合いが、ちゃん付けだったことに起因している。内心リオにちゃん付けしたら、どう言った反応を見せるのだろうかと妄想しているのは、直ぐに魔力が戻った事で、余裕を取り戻したからか。


「と、ともかく、今書き写しますので少々お待ちくださいまし。

 ――『白の理』ソリストネの眷属にして、瞼の裏の鏡の虚像よ。映し出せ!

   『ファンタズマ・ルクス』!」


 余計な妄想で記憶が上書きされる前にと、ミスラは急いで魔法を唱える。

 ミスラが幻の魔法を得意としていたのは、実利があってのこと。アクゼリートの世界の書物なら、見たまま覚えれば良いだけだが、投影の魔法が無ければ、ここまで漫画を広めることは出来なかっただろう。

 ミスラが魔法を唱え終わると、テーブルの上に一枚の羊皮紙が浮かび上がる。


 ミスラはその下に紙を広げ、羽ペンで素早くそれをトレースしていく。

 そのスピードはアルトリアが目を瞠るほど早く正確だ。漫画と言う精密な絵を、模写し続けたミスラは、いっぱしの絵描きとなっていた。三つ子の魂百までと言うが、長寿のミスラは、ある意味では日本の漫画家たちより年季が入っている。「古くなれば腐るが真理とは言え……これはあんまりじゃないか……」九郎がいたらそうぼやいたかも知れない。


「汚い字ですわね……」


 ものの5分と経たず、書面を書き写し終えたミスラは、魔法を解いて顔を顰める。

 映す時は無心で映すのがミスラの癖だ。そうでないと巷に氾濫している男性向けのエロ本など、ミスラは恥ずかしくて手が出せない。それに絵を黒と白の集合体と捉えることが出来なければ、文化の全く違う絵を模写するのは極めて難しい。

 改めて見て見ると、その記述は子供が落書きしたような字だった。


古代文字ルーンだね。でも二通りの書式があるよ。ほら、こっちは綺麗な字じゃない? ヘンシツシャ……うん、クロウの『神の力ギフト』の事が書いてあるね。あ……性行の数も書いてある……。いいなぁ。早くボクにもシテほしいなぁ……。こっちは『神の指針クエスト』かな? ふむふむ……ちゃんと『真実の愛を10人分受け取る』って書いてあるよ。ほらっ」


 書面を覗き込んだアルトリアがはしゃいだ声をあげる。


「くっ……クロウ様には最低でも5人の……女性が……ぐぅ」


 逆にミスラはいきなり突き付けられた現実に、膝から崩れ落ちていた。


 子供を成す行為を禁ずる――そう書き記されていた文面の横に、「ただし本心から体を許しても良いと思う『女性』が5人現れた時点で、この禁止項目を解除する」と但し書きが足されていた。

 完全に『女性』に限定されている。子供を成せるのは女性しかいないのだから当然なのだが、ミスラの腐った脳では、僅かな可能性がある筈だと考えていたのだ。


(昨今では男性も妊娠できると、啓示本びーえるには記されておりましたのに……。神々は遅れています……)


 現実と妄想の境界線が壊れて来ているミスラは、既に末期患者である。

 とは言えスルだけなら、男性なら今でも可能かもしれないと、落胆5割、喜び5割。その心中は複雑だったが……。


「ミ、ミスラちゃん。元気出して? ほら、スルには女性5人って書いてあるけど、『神の指針クエスト』の方は限定されてないから……」


 アルトリアが引きつった笑みを浮かべて、慰めの言葉を口にする。

 彼女自身は、そういった趣味を理解できないようだが、身内にフォルテと言う、明らかに九郎に好意を抱いている少年を抱えている為、ある程度理解しようとはしてくれているようだ。


「そうですわよね! ええ、愛が異性間でしか成立しないだなんて言おうものなら、例え神であっても抗議いたしますわ!」


 アルトリアの言葉に「素質は無くは無い」と布教に目を光らせたミスラは、気を取り直して決意表明した後、ハッと顔をあげ、アルトリアの顔を覗き込む。


 書き写した神の記述書は、彼女が言った通り、二種類の文字が躍っていた。

 一つは綺麗な文字で分かりやすく、もう一つは眉に皺を刻むような下手くそな字。


「アルトリアさんは古代文字ルーンが読めるのですか? いえ、こう言っては何ですけど……」


 アルトリアの正体には気付いていたミスラだが、彼女が普通に古代文字を読めるとは思ってもいなかった。

 古代文字は失われた言語。魔法を行使するのに必要なワードであり、アルトリアも単語を知っている可能性はあったが、スラスラと読んだのが驚きだった。


 アルム公国以外の国ではまだ本は高価なものであり、魔術書ともなればその価値は計り知れない。

 ミスラのように『エツランシャ』の『神の力ギフト』で覗き見が出来る者でもなければ、それこそ、貴族や王族で無いと殆んど読めない類の代物。古い教会や古代遺跡に記された単語は、広く広まっているものもあるが、それは単語であって文章では無い。

 かなり造詣が深く無いと、『文章を読む』事は不可能なのだ。


 農民だったと言う事までは分かっていたアルトリアが、スラスラと古代語を読めた。その事が意外過ぎて、ミスラは思ったままを口にしていた。


 ミスラのセリフにアルトリアは一瞬目を見開いた後、ふふんと得意気に胸を張り――


「ボクは300年以上生きてるからね。昔は古代文字ルーンも結構いろんな所に残ってたし、言葉も古代語だったりしてたんだよ。それに……フロ……ウ……フシ。これきっとグレアモル様の文字だと思うんだ。黒に関する文字はどれも読み辛くてこま――……」


 そこまで言って黙り込み、今度はあわあわ狼狽えだした。


「てて、てェ言うのは冗談だよ? ボ、ボクこう見えて物知りで……ほら、農民って言ってもお父さん黒の司祭だったし……教会に、お父さんがびっくりするくらいの量の書物を集めてて……」


 焦り顔で、出自をぼかすアルトリア。

 今更何を言っているのだろうかと、ミスラは呆れて半眼になる。先程からアルトリアがカクランティウスと同年齢であることも話題に組み込んでいたというのに、気付いていなかったのだろうか。


(隠し事のヘタな人……。40年以上周囲を騙し続けたわたくしと真逆ですわ……)


 ミスラが少し自嘲を込めて吐き出した小さな溜息。そこに寂しさが混じっていた事は当のミスラも気付いていない。

 周囲を騙し続けていたと言うのに、ずいぶん身勝手な感情だが、自覚の無いままミスラは口を開く。打ち解けあった筈の友人に、目の前で隠し事をされたことによる寂しさ、悔しさに突き動かされて。


「アルトリアさん。同じ人を夫とする身ではありませんか。隠し事は少ない方がよろしいですわ。わたくしは既に気付いておりますの。アルトリアさんがアンデッドであることも……『魔死霊ワイト』であることも」


 こと書物に関しては、誰にも負けない自負があり、自分でも戸惑う古代文字を読まれてしまったことによる、プライドを刺激された部分もあった。

 得意気にしたアルトリアと同じように、ミスラもふふんと胸を張り、


「えっ!? あのっ……その……。どうしよ? 出て行かなきゃ! ゴメンね。騙したみたいで。大丈夫、ボクどこでも寝泊まり出来るからっ! そうだ、川っ! 川に沈んでるね! それだったら安全だよねっ?」

「お待ちくださいましっ!」


 ヒシッとアルトリアに抱きついた。

 まさか伝説のアンデッド、『魔死霊ワイト』が脱兎のごとく逃げ出そうとするとは、思ってもいなかった。


 えぐり込むように決まったミスラのタックルに、アルトリアは体勢を崩して倒れ込む。

 ミスラの行動に更に混乱したのか、アルトリアはあわあわ言いながらミスラを乗せたまま匍匐前進で進んで行く。信じられない程の膂力。種族の特性上かなりの膂力を誇る筈のミスラが、どれだけ力を込めても、彼女の前進は止められそうも無い。

 真冬の中ずぶ濡れになる自分を幻視したミスラは、慌てて悲鳴じみた声を上げる。


わたくしの従者が何だったか思い出してくださいまし! わたくしはそもそもアンデッドに忌避感を持っておりませんし、特に意思のあるアンデッドは怖いと感じたこともございません! 広義で言えばわたくしやお父様も『不死アンデッド』。それにお父様がアルトリアさんを招いたですからっ!!」


 少しは強がりも入っているが、おおむね間違った事は言っていない。

 知った時は絶句し恐怖も抱いたが、今は違う。ミスラ自身、死地から蘇った『アンデッド』と、死ににくい・・・・・という特性上の『不死』が違うとも分かっているが、九郎と言う『ありえないレベルの不死者』を見た後では、どちらも大差が無い気がしている。


「でも……カクさんが……」


 自分を抱きしめる腕と言う、九郎以外では味わったことの無い感触に、アルトリアは泣きそうな顔で振り返る。困惑し、それでいて少し心を開いたかのような表情。

 言葉では抵抗を見せているが、不安の中に何かを期待するような目。


 ここだと感じたミスラは、たたみかけるように言葉を紡ぐ。

 先程は友情を裏切られたと思って口走ってしまったが、デリケートな部分に触れてしまった事に気付いた彼女も必死だ。人付き合いの経験値が少ないミスラだが、交渉事に関しては経験豊富。弱みを握って籠絡したり、利を説いて籠絡したり、正当性を証明して籠絡するのを得意としている。


「それも問題ありませんわっ! もうすぐわたくし達はアルムを離れるのですから! それにここだけの話、ルキお兄様も気付いております! でも何も言ってこないでしょう? 大丈夫、大丈夫なのです! ほら、わたくしが触れても何にもならないではないですか」


 まずはジャブ。秘密にしていた事がばれた事で、気が動転してしまっている相手を冷静にするには、秘密が秘密で無いと説くのが効果的だ。罪悪感を感じているのであれば、逃げ道を提示することも忘れてはならない。ただしそこに思惑を混ぜ、逃げ道を誘導するのがコツである。


「それは……ボクがクロウの欠片を持ってるからで……」

わたくしも持ってます! それにご覧になったでしょう? わたくしも初めてのことで我を忘れてしまいましたが、わたくしの『吸血』もクロウ様でなければ、危険な代物です! 知らずに別の家に嫁いでいたら、大問題を引き起こすところでしたわ! 同じ! わたくし達は同じ! ワタクシウソ言ワナイ」


 そして先程も効果的だった言葉、「わたしもよ!」

 罪の意識を共有し緩和する。共感を得る事は交渉の場に於いて、何よりも大事な事だ。

 それが女子トークでも多大な効果を発揮していることは、本にも漫画にも書いてあった。女性はその傾向が特に強いと言う事も。


 そう言えば――と自分で口走った言葉で、ミスラは自分も後が無いことに気付く。

 吸血で全快にまで持って行ける筈の父が、どうして今も髑髏の顔のままなのか……考えて見れば分かる事だった。血液で魔力を補充するには、人一人ではとても足りないのだ。

 どれだけ吸っても無くならない血を持つクロウが、どれだけ得難い存在なのか……。趣味でも魔力を消費してしまうミスラにとって、死活問題とまで言える。


 荒い息を吐き出し女性に覆いかぶさる美姫。その下では涙目で見上げてくる胸の大きな美少女。

 目にしていた者がいたのなら、新たな性癖に目覚めた事間違い無い。一人は物理的に腐れる美少女であり、もう一人は嗜好的に腐ってしまっている美少女でも、知らなければ美少女達のキャッキャウフフだ。


「ミスラちゃん……ボクの事、怖くないの?」


 仰向けに体勢を変え、不安そうな眼で見詰めてくるアルトリア。


「え、ええ! 怖くないですわ! わたくしにとって怖いものとはアルムを襲う戦火と、淑女の嗜みを禁じられることのみ! アルトリアさんはこんなに柔らかくて……あ、ホントにやわっこい……」


 止めとばかりにアルトリアの胸に顔を埋め、真面目な顔で嘯くミスラ。最後に少し過剰なスキンシップを行えば、喧嘩してた友達同士は笑い合って仲直りするのが(漫画の中では)通例てんぷれだ。

 想像以上の弾力に少し驚きながら、ミスラは顔をぐりぐり動かす。


「ちょっ、やん! くすぐったいよ。ボク、アンデッドだけど、感覚はあるからっ! だってそれが無いと感じる事が出来な……あっ、ダメっ!」

「お義母様方も結構大きな胸をお持ちですが、それ以上? いえ、わたくし百合の趣味は持ち合わせていないのでつが、じつぼのおもいでがむねにかたよってまちて……ありぇ?」


 お母様の胸はここまで大きな物では無かったですけど――と心の中で呟きながらアルトリアの胸に顔を埋めていたミスラは、自分が幼齢化している事に気が付き、コテリと首を傾げた。

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