第240話  強く儚い者達


「うわあああああああっ!!」


 悪夢の終わりの鐘は己の喉が鳴らす絶叫。

 それは誰もに共通していることであり、今し方飛び起きた黒い肌の少女も同様だった。


 ただ――自分の悪夢は終わらない。

 悲鳴で終わる悪夢であれば、どんなに良かっただろうか。

 目が覚めてからもずっと続く悪夢のような生活。尊厳、貞操は元より、自分の命すら荒れ狂う海に翻弄される木の葉ように朧気で儚いものだと、否応無く思い知らされる現実が続いて行く――。

 リオはずっとその悪夢の中で暮らしてきた。


「あ、姉さん。起きた?」


 安堵に満ちた柔らかい声がリオの耳を擽っていた。

 目を開けるのも怖かった。終わりの無い悪夢がずっと続くのだと思っていた。

 しかしそれは過去のこと――それを示す柔らかな声にリオはゆっくり薄目を開ける。金色の瞳が自分を覗き込み、安堵の表情を浮かべていた。

 

「あ……? フォルテ?」


 弟、フォルテの顔を見あげて、リオも安堵と共に息を吐き出す。

 いつのまに眠ってしまっていたのか。見上げたフォルテの後ろには大きな満月が登っていた。


「姉さん、最後に気絶しちゃったんだって。でも心配しないで? クロウさんもお姫様も怒って無かったから」


 リオの頭を膝に乗せたまま、フォルテははにかんだ笑みを浮かべた。

 気絶した――との言葉にリオは顔を歪める。寝かされていた理由をだんだんと思い出し、弟に気付かれないよう股間を確認し、隠れて胸を撫で下ろす。どうやら失禁は免れたようだ。


「ふぅ……。これで全員かな? じゃあお疲れ様~。キミ達も帰っていいよ~」

「「「ハイィ%ぃぃぃ?いいgぞ;といrみs!」」」

「ヒッ!!?」


 と安堵したのも束の間。

 聞き慣れた暢気そうな声に、野太い元気な声が響いてリオは身を竦めた。

 強張った顔を声のしたほうに向けると、リオ達から少し離れた場所で、大勢の兵士達が直立していた。


「お、おいっ……フォルテ……逃げっ……」


 リオは震える体で起き上がり、背中にフォルテを庇うようにして上擦った声を出す。

 腰が引け、体も上手く動かせないが、リオはフォルテの為ならば勇気を振り絞る事が出来る。

 思い出した恐怖。気絶してしまった理由。リオに向かって剣を構えた、恐ろしい侵略者。

 その恐怖を目にして強張ったリオに、フォルテは落ち着いた様子で苦笑していた。


「姉さん、落ち着いて。あの人たちはアルトリア様に平伏した人たちだよ。ほら、剣も持っていないでしょ? 後片付けを手伝いたいんだって」


 フォルテの言葉にリオが恐る恐る、もう一度兵士達を見ると、確かに剣を腰に下げている者は確認できない。しかし――とリオは眦を下げる。 

 剣を持っていなくても、相手は男であり兵士。リオにとっては恐怖の対象以外の何物でも無い。そう反論しようとしたリオに、フォルテはくすくす笑って、リオが見れなかった戦いの結末を語り出した。


 恐怖で軍隊を退ける。そんな事が可能なのだろうかと、リオは疑心暗鬼だったが、作戦は大成功だったようだ。しかしあまりに恐怖を煽り過ぎて、気絶した兵士も大勢出てしまっていた。要するにリオと同じような人間が、大勢出てしまったのだと言う。

 このまま敵国の兵士が自領で獣に食われでもしたら、九郎達の苦労が水の泡になる。――と言う訳で、九郎達は気絶した兵士達を国境の外まで運んでたようだった。そしてアルトリアの周りに集っている兵士達は、彼女の力に平伏し、下僕のように働いているのだと。

 夜目の利かない九郎とアルトリアの為か、街道沿いには煌々とオレンジ色の光を放つ篝火が焚かれ、昼間よりも明るい森を映し出している。


「平伏……つったって……」


 フォルテの説明を聞き終え、リオは頬を引きつらせて眼前を見つめ、眉をハの字に顰めていた。


「それじゃぁ……キミ達も気をつけて帰るんだよ? あ、運んだ人たちもちゃんと無事に帰してあげてね? あと……戦争はボク嫌いだからね?」

「「「はぃwgぶあwpflぜお!! もるもん!」」」

「も~……。何度も言うけど、ボク『もるもん』じゃないよぅ……。うう……。ねえ? クロウ~。ボクなんか間違っちゃったかなぁ……」

「分っかんねえんだよなぁ……。やってること他と変わんねえし……」


 勝利の余韻に浸るでも無く、どちらかと言うと弱ったと言わんばかりの九郎とアルトリアの会話からも分かるように、彼等は違った意味で正気を失っていた。

 虚ろで何処を見ているのかも判断できない瞳。作り物めいた笑顔。歪められた口から垂れる涎。

 どれもが『狂気』と言う名が当てはまる、何かが振り切れた顔つきだった。


 九郎達の表情が優れないのは、ここまでする・・・・・・気は無かった・・・・・・の表れなのだろう。ニタニタ笑みを浮かべたまま、撤収を開始した兵士の背中を見送り、二人で顔を見合せ溜息を吐いている。


「じゃあ、僕はクロウさん達に姉さんが起きたって知らせて来るね! 姉さんはまだ休んでて良いって。えっと、えむぶいぴー? 今日一番活躍したのは、姉さんだってー」

「えむ? お、おいっ!?」


 背中から離れていく温もりに、リオが焦って振り返ると、フォルテは嬉しそうな顔で篝火が照らす場所へと駆け出していた。兵士達が帰っていったことで、リオが怯える者がいなくなったと判断したのだろう。

 守ろうとしている者に気遣われる不甲斐無さに、リオはまた眉を寄せた。


 篝火に向かって駆けて行く弟の背中を眺めながら、リオはぶるりと肩を震わす。

 一人取り残されてしまい、再び先の恐怖が蘇って来ていた。

 剣を持った1000人を超える男の集団の中に、単騎? で突入して行く恐怖。

 リオは剣が怖い。剣は儚く弱い自分の命を脅かす。

 リオは戦いが怖い。戦いは弱い自分をただ蹂躙するだけのものだから。

 リオは男が怖い。男は自分の無力さを感じさせ、欠片も残らない程に自分の自尊心を粉々にしてきたから。

 そんな恐怖蔓延る中に自分から飛び込んで行っていたなど、今考えても信じられない。実際リオは、その恐怖の中で慄き泣き叫ぶ事しか出来なかった。今考えても悪夢以外の何物でも無い。


 寒気を感じて暖を求めるように、リオは篝火のオレンジ色の光に吸い寄せられていく。


「アタシも……同じ……かもな……」


 ふとリオの口から呟きが漏れる。

 狂った笑みを浮かべていた兵士達。それと自分のどこが違うのかと、自嘲の笑みが零れていた。

 精神が耐えられないくらいの恐怖。そこから逃れる術というものは、あまり多くは存在しない。

 命の終わりを悟り、全てを諦め意識を断つか、それとも自ら恐怖の中に身を委ねるか。

 砂漠の街で九郎に助けを求めたリオの行動も、別の視点から見れば狂気そのもの。自ら悪夢の住人になることで、精神の安寧を求めたに過ぎない。恐ろしい『不死』の化物に身を差し出す事で、悪夢の中に溶け込もうとしたに過ぎない。

 それは傍から見れば狂気そのもの。いつ沈むかも分からない荒波に浮かぶちっぽけな木の葉が、「自分も海」だと思い込んでいるようなものだ。しかし――。


 リオは世界が怖い。弱者に厳しく当たる世界が恐ろしくて堪らない。

 だからこそリオは感じた恐怖の中で一等恐ろしいと感じた男に縋り、付いて行くと決めたのだ。


「っと!!? ……なんだ……クロウか……」 

「っと、寝てて良いぜ? 今回の勝利の立役者はよ?」


 篝火が照らす光の中に姿を現したリオが、一瞬たじろぎ胸を撫で下ろす。

 こちらに気付いたのか、九郎が弱り顔を笑顔に変えて出迎えていた。

 安穏な笑み。細い体躯。恐怖の荒波の中をリオを背負って駆け抜けていた、リオが悪夢の住人とすら感じた『不死者』。


(はあ……やっぱアタシ……臆病者だ……)


 リオは自分の過去の臆病さをしみじみ感じて、深く溜息を吐いた。



☠ ☠ ☠



 まるで世界を飲み込む穴に思える、大きな青い満月。

 アルム公国国境沿いの森に夜の帳が降りる。

 昼間でさえ薄暗く暗い森の街道は、今は篝火かがりびが灯され、オレンジ色の温かな光は、ともすれば幻想的とも感じられる景色を作り出していた。


「アルトリア様は何も間違ってはおられません。我を失うと言う言葉がありますが、彼等はきっとアルトリア様の美しさに我を忘れたのでしょう」


 一人担当した兵士達を発狂させるまで怖がらせてしまい、落ち込んでいるアルトリアにアルフォスが歯の浮くようなセリフを吐いていた。すらすら女性を持ち上げるセリフが出るのは、もはや見習いたい域にある。


「そうですよ。クロウならまだ分かるんですけど……。いや、怖いって訳じゃ無く、こいつ見てると頭おかしくなっちまいそうで」

「おいコラ蝙蝠ヤロウ! てめー、初見ん時ビビってたじゃねえかっ!」


 その言葉を引き継ぐように、空からベーテの声が響く。少し高い枝に降り立ったベーテは、そのまま逆さにぶら下がると、ケラケラとからかいの笑みを九郎に向けてくる。九郎は条件反射で咬みつく。

 フォルテはリオから聞いていたかも知れないが、アルフォスとベーテには、九郎は自分の『不死』を伝えていなかった。これほど長い付き合いになるとは思っていなかったからだ。


「おまっ! そりゃ、いきなり火口に落ちてきゃビビんに決まってんだろーが! てめえあん時まで『不死』って言って無かったしよぉ」

「まあ、あの一件があったからこそ、後々のあなたのエグさが緩和されたとも言えますが……。陛下がああだったので、まあその辺もあるかもですが」


 初めて晒した『不死性』が爆笑渦巻く現場だったことで、その後のスプラッタが馬鹿馬鹿しいものに感じてしまったのだと言う。こういうのも「ギャグ補正」と言うのだろうか。九郎が顔を歪め、良かったのか悪かったのかと自問していると、背後からげんなりした無体な突っ込みが入った。


「俺から言わして貰えれば、お前等全員頭おかしい」


 九郎達が声の出元を見ると、龍二達が顔を歪めて街道を歩いていた。

 龍二達には裏切りがばれるとマズイので、今迄隠れて貰っていて、ベーテは龍二達を呼びに行っていたのだろう。龍二のどうにも苦々しい表情に、九郎が首を傾げる。


「なあ? 俺らホンマはまだ敵やと思われて……くそっ! 腹立つわぁ……。分っかりやすい思考しおってからに……」

「は?」


 龍二は何やら怒っているようだった。

 心を読む事が出来る彼との会話は、話しが早いがややこしい。

 キョトンとした表情を浮かべた九郎に対して、龍二の顔は更に怒りに赤くなる。


「頭おかしいんとちゃう? 何なん? コレ? ふざけてんのか?」


 龍二は森を幻想的な空間に変えている篝火を指さし、怒鳴り散らしていた。

 そんなことかと九郎は溜息を吐き、自慢げにドヤ顔を浮かべて答える。


「いや、灯りねえと見えねえじゃん。見える奴らは力ねえし……。それにどの道、死体の処理はしねえといけねえしな? まさに一石二鳥――」

「ああああああ! 腹立つー! ぜっんぜん悪気が無いのが分かるんが更に腹立つぅぅぅぅう!」


 気絶した兵士を探す事は、夜目の利くアルフォス達で充分だったが、それを運ぶとなると問題が多い。

 剣は取り上げていたが、それでも運んでいる途中に目覚めて暴れでもしたら危険だし、そもそも重い鎧を着こんだ兵士を運べる膂力を持つのは、こちらの陣営では九郎とアルトリアのみ。しかし二人は夜目が利かないので、どうしても灯りが必要になってくる。

 という訳で、暗い夜の森をオレンジ色に照らしている灯りは、ルクセン辺境伯軍を最初に出迎えた九郎の串刺し死体だった。九郎の死体の処理もでき、同時に灯りの確保も出来る。まさに一石二鳥の名案だったと、九郎は自画自賛している。

 そして九郎側の人間は誰もそれに異を唱えない。それこそ「何を今更」と言うものだった。


 ただ、九郎の扱いに慣れていない龍二達には驚きだったようだ。

 龍二の『詳解プロフィール』はただの死体に効果が無く、ある意味龍二を驚かせる一番効果的だったのが、ただの死体・・・・・で出来た篝火だったようだ。


「それこそ俺に言えば一発やん!? 知ってたやんなぁ? 俺の『詳解プロフィール』と『俯瞰ビューワー』の能力?」

「ミスラから聞いたけど、応用までは分かんねーっつーの! それに、んなことしたらお前の裏切りバレちまうじゃん……」


 火事になってしまう事を考慮し、幾分街道側に傾けた燃える死体。言われてみれば、それもまた恐ろしい物に見えるのかも知れない。龍二はともかく、彼の仲間の少女達を必要以上に驚かせる気は無かったと、九郎は申し訳なさそうに頭を掻く。


「別に隠れたままでも使えるっちゅーねん! あああああ! なんで俺はこうペラペラ自分の能力ばらしてしもーとるん……ん?」


 心の中を覗き見れるからこその苛立ちというものもあるのだろうか。頭をばりばり掻きむしり、地団駄踏んでいた龍二が、ふと顔を上げて横を向き腰の刀に手を添えた。

 視線に誘われるよう、九郎も龍二の視線の先に目を向けたその時、暗闇の中から突然朧気な男の顔がドアップで浮き上がった。


「ぎゃぁぁぁぁっ……く、クルッツェさん?」


 悲鳴をあげて飛びのいた九郎は、その顔が見知った男のものだと気付き、胸を押さえながら目を見開く。

「なんで『死霊レイス』如きにビビるような奴に、あんなにビビらせられなアカンねん……」との龍二の愚痴は聞き流しておく。

 それよりも大事なのは体を襲った悪寒。恐怖からの物では無く、内に感じる違和感。僅かながら体力を吸い取られたような感覚が九郎に感じられていた。


 そもそも『死霊レイス』は常時人の目に見えるような存在では無く、ミスラのような白の魔法に素養がある者か、龍二のように存在そのものを見分ける力を持っていないと目にすることは出来ない筈だった。

 九郎達がクルッツェを視認できていたのも、ミスラの魔法、『幽幻の光レムレース・ルクス』で彼の姿を留めているからだ。


 ――我々と知り合ったからと言って、『死霊レイス』を安全とは考えないでくださいね。一応、怨霊の類ですから。通常、目に見える『死霊レイス』と言うのは危険な状態です。『死霊レイス』が目に見えると言う事は、その相手を攻撃しようとしている時です。我らは外敵に対しての憂いから『死霊レイス』となりました。姫様に見つけてもらっていなければ、全てに対して攻撃性を持っていたかもしれません。――


 九郎の脳裏にクルッツェの言葉が蘇る。

 九郎の死体の残りでキャッチボールしていた彼等が、ルクセン辺境伯軍には見えていなかったのは、彼等が攻撃性も持たず、姿を消した状態で遊んでいただけだったからに他ならない。


「知り合いやろ? なんぞ怒らせることでもしたん?」

「してねえはずだ! ……多分」

「なんやねん……その歯切れの悪い答えかた……」


 いつもなら九郎と同時に慄き叫ぶ、リオが不思議そうに九郎を見ていた。

 リオにはクルッツェの姿が見えてはいない。それどころか、他の仲間にも。

 この中でクルッツェの姿が見えているのは、意識さえ読み取る事が出来る龍二と、今攻撃された・・・・・・九郎のみ。


 龍二の言葉からも、彼が今怒っているのは間違いなさそうだ。

 しかし何故――『吸収ドレイン』自体は常日頃からアルトリアにされているので、一瞬驚いた程度だが、彼がこれほど怒りを募らせる理由が九郎には、あんまり思い浮かばない。


「クルッツェさん! 落ち着いて! あれは事故! 事故なんス!」

「うっわー……何やってんねん自分……」


 九郎は両手を前に弁解する。龍二の引きつった声は無視しておく。

 彼の見た目はいつも穏やかだった。九郎とリオは彼に毎回驚かされていたが、彼は九郎が幽霊を苦手としていると知ってからは、極力驚かせないよう気遣ってくれていた。

 にこやかな顔で静かに佇むように現れ、遠慮がちに声を掛けて来るのが彼だった。

 だが今回に限っては、その表情は悲壮感が溢れ、九郎が思い描く幽霊の表情そのもの。血の涙を流さんばかりの表情は、怨敵に対するそれである。


 今のクルッツェの様子は普通では無い。それに姿も以前にまして朧気で、水面に浮かんだ透明な袋を思わせる。

 すわ何事かと九郎が口を開こうとしたその時、再びクルッツェが九郎の顔に取り付いた。

 今度はごっそりと体力が吸い取られていく。瞬間九郎は青ざめていた。

 クルッツェの悲鳴のような叫び声が耳の奥に木霊していた。


「姫様がっ! 姫様がっ! 塵のように崩れ……消え去って!! 助け……。タスケ……。おお……おおおお!」

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