第231話  犠牲の上


 明けて次の日。

 川面が朝日を受けて目に痛いくらいの輝きを放ち、秋口とは言えない冷たい風が時折吹く中、龍二が眠たそうに欠伸をしている。

 九郎はリオを伴い龍二と城門に立っていた。


「おい……アタシ別に……」

「リオ、遠慮なくぶん殴れ! グーでいいぞ、グーで……」

「なん……ぶっ!」


 九郎に急かされリオが嫌そうに顔を顰めたまま、龍二の横っ面を殴りつける。

 龍二の顔が横にぶれる。しかし九郎の渾身の一撃でも、たんこぶも出来なかった龍二の防御力はかなりのものがあったのだろう。

 あまり気にした素振りも見せず、龍二は自分の頬を撫でていた。


「なんなん、いったい……? 一応俺、特使様やねんけど……」

「うるせえっ! リオに剣を振り降ろそうとした事の落とし前だっ! 素手だっただけ感謝しろいっ!」

「アタシは別に傷一つ無かったから……つーか、クロウ? この為だけに呼び出したのかよ? アタシは仕事があんだよ! まったく……」


 リオは不機嫌そうに拳を擦りながら、呆れた様子で背中を向け城の中に戻って行く。

 それをポカンとした表情で眺めていた龍二が、眠たげな眼を九郎に向けた。


「ちゃんとそっちの言い分伝えとくて昨日約束したやん……。あーあ、こんなんルクセン側に伝えたらどうなるんやろうなー?」

「うるせえ、ぶらっくしゅばるつ」

「堪忍して下さい、兄さん……」


 九郎が龍二の言葉をピシャリと跳ね除けた。

 黒歴史と言う人に知られてはならない禁書を握られた龍二は、あれから素直にこちらの陣営に付く約束をしていた。

 龍二は今日これから一度ルクセンに旅立ち、任務の失敗と「アルムには『勇者』でも倒しきれない魔王が存在している」との報告をする事になっている。


「つーかあの人おるんやったら『魔王』の存在とか知らさんでも誰も攻め入ってこうへんと思うで……」


 龍二が自分の役割を確認しつつ、思い出したかのようにポツリと呟く。


「あの人?」

「あのアルトリアってエロエロな人……あいたっ!」


 オウム返しに尋ねた九郎は、龍二の答えに反射的に拳骨を落としていた。

 昨日九郎の肉片を片付け終えたアルトリアが、謁見の間に戻ってきた時の事を思い出したのだ。


「女性の心を盗み見て股間を膨らました奴が言うこっちゃねえぞ? オラッ!」

「初見で安全かどうか確かめるんは癖になっとんねん! 一応それなりに敵もいるし、暗殺者もよーけ来るし、仕方ないやん!」


『勇者』として名を売っていた龍二も、敵国からすれば目障りなことこの上ない存在なのだろう。

 暗殺者を差し向けられることも多いからだと弁明され、九郎も強くは責めれなかったが、それでも思い出すとムカムカしてくる。

 自分の想いを寄せる人のエロい妄想を覗かれたと知れば、拳骨の一つや二つは落としたくなる。四六日中エロい妄想を浮かべている、アルトリアもアルトリアだとも思ってはいる。


「なんでアルトがいたら攻めて来ねえんだよ?」

「単純に俺でも勝てるか分からへんほどヤバかったからや。て言うかあの人もアンデッドやったやん? いったい何人いるん? アンデッドだらけて……ゆーてなんやけど、人類の敵認定されても可笑しゅうないで?」


 龍二が言うには、アルトリアの実力は九郎が思っていた以上のものだったらしい。

 彼女に対してはカクランティウスでさえも一歩引いていた。

 カクランティウスから彼女の危険性は何度も言われていたが、アンデッドの再生能力を無効化する『無縁ディレイト』を持っている龍二でさえ勝てるかどうかと言わせる程とは思っていなかった。触れれば即死に繋がる攻撃を持っているアルトリアは、龍二であっても出来れば戦いたくない相手のようだ。

 九郎としては何度聞かされても、アルトリアががエロく暢気な美少女だと言う認識が強く、あまりピンと来ない。


「別にアルトもお前に殺意なんか一欠けらも持っちゃいなかっただろ? アンデッドだからってそう差別すんなよ」

「あの人はいてるだけでヤバい存在やと思うけど……」


 アンデッドというだけで人類の敵認定される存在だまで言われ、九郎は自然と眉を寄せる。

 龍二の言葉はカクランティウスと同様、アルトリアが危険な存在である事を見通しての事だろう。

 しかしあれだけ善良な彼女が、ただアンデッドというだけで厭われるのは九郎としては寂しく感じてしまう。


「まあ、アルトの事はカクさんも秘密にしとけって言ってたから、取りあえず言わねえでおいてくれ」

「そう言うんやったらそれでええけど……」


 少し考えた後、九郎は龍二の提案を退ける。

 彼女の存在が戦争を止めさせる力があるのなら、その存在を明かしても良いのではと思ったが、自分一人で判断できる問題ではない。偏見や差別がこの国が攻め込まれる原因の大部分を占めている現状、更に人々から恐れられるアンデッドがいる事を知らしめるのは、今後のアルムにとって良い事ばかりでは無い気がした。


「なあ……」


 しばしの沈黙の後、そろそろ城に戻ろうか九郎が龍二に背を向けたその時、龍二がその肩を掴んだ。

 振り返ると龍二は自分の首を指さし、不満そうな媚びるような微妙な表情を浮かべていた。


「ちゃんと言う事聞くから、この首輪外して貰えへん?」


 その首には、首輪は嵌っていなかった。ただ、赤黒い線が一周描かれていた。


「なんだ? 気付いてやがったんか……」

「当たり前やん! 俺いっつも目え冷めたら一番に自分のステータスチェックすんねん! それに他人のステータスが重なっててみ? めっちゃ怖いねんて!」


 その言葉に九郎は片方の眉を跳ね上げ、若干悔しそうに顔を歪める。龍二は咬みつかんばかりの勢いで捲し立てていた。


 龍二を伸した後、魔力封じの枷があるとは知らなかった九郎は、龍二がいきなり目覚めて暴れ出した時の保険に、彼に血の枷を施していた。

 アルトリアですら無事な保証が無い攻撃方法を持っている龍二を、ただそのまま置いておけるだけの豪胆さを、九郎は持ち合わせていない。殺すつもりは無かったが、最悪の事態を恐れて直ぐに対処できるよう考えた末の処置。

 九郎の意思一つで首を飛ばす事も可能であり、また監視の役目も負っている、文字通り龍二に付けられた首輪。それが奇しくもバッグダルシアの街で四織が奴隷達を縛っていた恐怖の首輪の本物版だと言うのが、何とも言えない気持ちにさせる。


 龍二が目覚めても寝たふりを決め込んでいたのは、九郎の思惑を読み取り、どう対処すべきか考えていたからだったようだ。


「じゃあ素直に協力するって言えばよかったじゃん」

「逃げれへんねやったら、ちょっとは待遇良くしよう思うんは普通やと思うでっ!?」


 九郎は呆れたように言いやり、龍二が眉を吊り上げ抗議してくる。

 結局対処法は見当たらず、かといって命を握られ奴隷のようにこき使われるのはと考えた結果が、昨日の強気な態度だったと言う訳だった。


「その結果黒歴史ばらされてちゃ、意味ねえなぁ……」

「欲張ると碌な目に遭わんのは知っとったけど……あんまりや……」


 九郎がせせら笑い、龍二が肩を落として項垂れる。

 流石の龍二も黒歴史を握られただけで、尻尾を振るつもりでは無かったらしい。が、最初から寝返るしか逃げる術が無いと悟っての交渉で、よもや更に立場が悪くなるとも思ってもいなかったようだ。


 聞いてみると何とも無様な結果に思える。


「しかしよく命が握られるって分かってて強気な態度が取れたな? そこだけは感心すんぜ」

「せやから俺は心が読めるって言っとるやん……。あんたの考えは単純やし、色々考えとっても『殺しとうない』てのだけはよう浮かんどったから……」


 龍二の答えに九郎は頭を掻いて眉を顰める。

 あの時も龍二が再び暴れ出さないか気が気でなかった。それは当然ミスラ達を心配してのことだったが、龍二を殺したくはないとの思いも強かった。

 誰も死んで欲しく無い。殺したくも無い。――例え敵だったとしても。

 龍二を殺したくなかったのは、同郷意識に依るところもあるだろうし、龍二が自分よりも年下だと言う事も関係しているのかも知れない。しかし大元は、九郎がずっと変わらず持っている根本的な考えだ。

 そんな九郎の思いが筒抜けだったせいで、龍二は強気に出てしまったところもあったようだ。


「…………俺が言うのも何やけど、ようそんな甘い考えで生きて来れた……アンデッドやったな」


 昨日の事を思い出し、龍二が呆れたように肩を竦める。


「俺はアンデッドじゃ……無い……ような気がしなくもない」


 もう自分の異形さは、アンデッドであるアルトリアを遥かに超えている自覚が九郎にはあった。

 そもそもアンデッドが不死を差している言葉ならば、九郎は完全にアンデッドと言えるだろう。

 しかしアルトリアは一度死んで蘇った存在がアンデッドだと言っていた。生命力に関わる魔力が、マイナス方面に突き貫けた結果生まれた存在だと。

 だから彼女はカクランティウスの事をアンデッドとは認識していない。彼は魔法に関わる魔力と生命に関わる魔力が直結している存在であり、決してマイナスに傾いている訳では無いからだ。

 それを鑑みて考えて見ると、九郎も魔力がマイナスに傾いている訳では無いのでアンデッドでは無いと言える。だが九郎にはそもそも魔力と言うものが存在していない。だから本当に自分がどちらの意味での『不死』なのか、良く分からないと言うのが正直なところだった。


「なんやねん、そのはっきりせえへん答え方は……。死なへんねんやったらアンデッドで間違いないんとちゃうん?」

「う……そう言うもんかぁ? 別に俺死んでねえ……いや死んでんのか?

 …………まあどっちでも良いじゃねえか! 話せて動けるんだったらよ?」

「なんちゅうアバウトな……。はあ……そろそろ行かなアカン時間やな……」


 自分でも良く分かっていないのに龍二に説明出来る訳が無い。

 適当に答えた九郎に、龍二は呆れた様子で溜息を吐き出し、憮然としたまま九郎に背を向け歩き出す。

 話している間に、九郎に首枷を取る気が無いことを感じとり、諦めて旅立つのだろう。


「ちゃんと任務をこなしたら取ってやんよ! 城の備品の賠償金代わりにしっかり働け!」


 その後ろ姿に発破をかけるように、九郎は大声を送る。

 萎れた龍二の背中を眺め、少し眉を下げながら。


(ホント甘えよなぁ……俺……)


 龍二の首枷を取らないのは、彼の行動への戒めの意味だけでは無い。『暗殺任務』を失敗してしまった龍二の身を守る保険でもあった。

 彼がルクセンでどういった立ち位置にいるのかは分からないが、敵国に少人数で送り込まれた事を考えると、実力もあるのだろうが疎まれている可能性も捨てきれなかった。

 任務の失敗を知らされ、逃げ帰って来た彼を消そうとする輩がいるかも知れない。

 九郎は自分達の都合で国を裏切らせる代償を、龍二一人に負わせる気もまた無かった。

 昨日敵対したばかりであり、仲間の命を狙った相手であるのに、その命を心配している。どうしようもなく自分は甘いと感じ、九郎は苦笑いを浮かべる。


「はあ……。えらいブラックな国に捕まった気がするわぁ……」

「そう言うなって、ぶらっくしゅばるつ。黒が好きなんだろ?」

「ホンマヤメテください……」


 龍二がぼやきが風に乗って流れてきた。

 九郎は口角を上げてからかいの言葉を口にする。

 龍二が振り返って引きつった笑みを浮かべた。肩を竦めた九郎は、どちらにしても龍二の首枷の出番が無い事を願っておいた。



☠ ☠ ☠



「お兄様……何故……?」


 執務室で羽ペンを走らせていたルキフグテスが、ミスラの言葉に顔を上げた。

 執務室の机には膨大な数の書類が積み上がっており、座っているルキフグテスが隠れてしまう程の量がある。


「『勇者』殿は『魔王』の復活を報告してくれると約束してくれたでは無いですか……。婿殿があれだけ頑張ってくれたのですよ?」 


 顔を上げたルキフグテスがまた書類に目を通す作業に戻ったのを見て、今度はベガーティスが憤ったように言葉を続けてきた。


 彼が言うように、今回九郎は自分達が予想していたよりも遥かに大きな戦果をもたらしてくれていた。


 ルキフグテスが九郎に期待していたのは、その不死性による『勇者』の消耗。ミスラの能力と他の九郎の仲間達からの情報から、九郎が何度か『来訪者』を退けたことは確認出来ていたが、それでも相手は同じ神の力を持つ者。どのように転ぶかは分からない。

 九郎に先方を務めてもらい『勇者』が疲弊してくれれば、残った自分達でも……。そう考えていたに過ぎなかった。

 実力も分からない鬼札を切り札に使うことなど、ルキフグテスは最初から考えていない。

 薄情だと誹られようとも、ルキフグテスは王族として最良の決断をしたと思っている。

 当然あの場で九郎が倒されれば、二番手に出るのは自分であり、残りの者達を逃がした後は、城を崩壊させて相討ちに持ち込もうと考えていた。


 しかし九郎はルキフグテスが考えていた以上に強かった。事の顛末を聞いているので、強いと言うには語弊があるのかも知れないが、期待していた以上の働きを見せた。まさか気絶させるとは思ってもいなかったと言うのが、ルキフグテスの正直な気持ちだ。

『勇者』との交渉の場を持つ事も出来て、正に最良の結果になったと言える。


 なのにルキフグテスが目を通しているのは、武具、兵站、兵士の資料。戦争の準備の為の書類だったからだろう。


「ルクセンと言えど『不死の魔王』が戻ったと知れば易々攻めては……」


 ベガーティスは何故この様な書類を出す必要があるのかと、言外に尋ねている。

 ルキフグテスは眉に皺を刻みながら、弟の顔を見やり深く息を吐く。


「来ないと思うのか、ベガ? 此度のルクセンの侵攻は、外敵を求めての事……。アルムに誰がいようとも必ず攻めて来るさ」


 ルキフグテスは、『勇者』がアルム側に与してくれると言った今でも、ルクセンは攻めて来ると考えていた。


「ですがお兄様っ! 『勇者』はクロウ様に約束したではありませんか! それにこちらは彼等の暗部を握って……」

「そういう話では無いのだよ、ミスラ」


 ミスラが声を荒げる。それをルキフグテスは優しく諌める。

 ルキフグテスは恥ずかしい書物一つで、『勇者』が此方に寝返るまでは考えていない。しかし『勇者』が約束を違えると考えている訳でも無かった。

 ルキフグテスは、この戦争が避けられないものだと考えているからに過ぎない。


「わ、わざわざ『不死の魔王』が戻った我が国へ攻めてくる理由がありません! 死にに来るようなものです!」


 今度はベガーティスが声を荒げて反論して来る。

 その言葉にルキフグテスは少し表情を曇らせながら、視線を机へと落とす。


 いるだけで他国を震え上がらせる父親の存在。カクランティウスが、どれだけの戦を潜り抜け、どれだけの敵を退けて来たか。その強さは『決して死ぬことの無い魔王』として、今尚諸国の攻め入る気勢を削いでいる。

 そんな国へ攻め入って来るのだから、当然攻める側にも覚悟を強いる。しかし――。


「そう……。死にに来る……。違うな……。殺されに来るのだよ……ルクセンは……」


 しかし今回の状況を改めて分析し、ルキフグテスはその結論に至っていた。

 きっとこの予測は、この国の中枢で一番力の弱い自分にしか思いつかない予測だろうとルキフグテスは自嘲の笑みを漏らす。


「今回の事の発端はルクセンの王位簒奪クーデターが原因だ。そのルクセンが時間を空けずにアルムとの戦争を望んだのはどうしてか――分かるかミスラ?」

「野蛮な国の事など分かりかねます! 王位簒奪クーデターなど、どれだけ悪政をしいていれば起こるのか……。それこそ我々が何度も指摘していたと言うのに!」


 ミスラの言葉に「そう言えばそうだったな」と、ルキフグテスは苦笑する。

 悪政を誤魔化すために他国に牙を向ける為政者は多い。だからこそアルムはその悪事を握って、王族を脅し、結果悪政が緩まると言う事も多々あった。


 アルムの民と王家の関係は頗る良い。王家が国の防衛を司っている事を、誰もが理解し国の為に働いている。弱い立場だったこともあり、民の一人ひとりが国を守る気概に満ちている。

 家臣もカクランティウスの代から仕えてくれている者達ばかりで、王位を狙う者など存在していない。

 そもそも王のカクランティウスが『不死』なのだから、王位簒奪クーデターなど起こり様も無いのが現実だ。


 しかしルキフグテスは次期王の地位にいながら、その力はカクランティウスとは比べ物にならないくらい弱かった。だからこそルキフグテスは、知略を磨き、人心に注視し、他国と渡り歩けるよう『小狡い王』を目指してきた。

 立場的に弱い者ではなく、力が弱い立場であったからこそ、ルキフグテスには人族の為政者達の考えが見えてくる。


「此度のルクセンの思惑は……。言って見れば粛清だろうな……」


 幼子に言い聞かせるように淡々と、ルキフグテスは自分の考えを説明する。


 内戦で興った新政権だが、国内は荒れ民は疲弊しているだろう。一時は新政権の熱に浮かされ、湧いているかも知れないが、結局頭がすげ変わっただけで傷痕しか残っていない。その事に気が付けば、再び湧き上がって来るのは不満だけだ。

 兵士も不満が残っているだろう。内戦で得られる益など、たかが知れている。上げた戦果に比べて得られる褒賞が少なければ、それはいずれ新たな火種と成り得る。


 ルクセンの新たな為政者は、既存の貴族を追い落とし財産を徴収する為、また国内に蔓延した戦争の熱を冷ますために、アルムを利用しようとしていると、ルキフグテスは確信していた。


 ルクセンとアルムは潜在的に敵対しているが、交易やその他、為政者同士の繋がりもある。『勇者』を使者の名目で寄こした来たのもそれがあってからこそだ。

 しかし『勇者』は王族の暗殺を最初から隠す素振りも見せなかった。それは何故かと考えて見ると、元から『ルクセンの敵』が攻め入る事が確定していたからだろうと、ルキフグテスは考え至っていた。


 その観点から言えばアルムほど適した国は無い。

 人族からは疎まれている魔族の国。例え言いがかりで戦端を開いたとしても、その他の国から文句が出る事も無い。

 少しでも領土が獲得出来れば、それだけで儲けもの。例え負けたとしても、逆に攻め込まれるほどの力をアルムが持っていない事を承知している筈。

 今回ルクセン側の兵士達は、殆んどが新政権にとって目障りな者が占めているだろう。

 どのみち血を流す必要があるのなら、少しでも得な使い道を……ルクセンの新政権はそう考えているに違いない。例えアルム側が抗議しても、「内戦で敗れた者達が、新たな領土を求めて暴れただけ」で済ませてしまえる。


「直ぐに増える人族だからこその考えとも言えるな? 数の増え辛い我が国では思いもしない考えだ」


「困ったものだ」と付け足しながら、ルキフグテスは肩を竦める。

 説明を聞き終えたベガーティスとミスラは、信じられないと言うように目を丸くして口を開けていた。


「人族の王は……民を大事には思っていないのでしょうか……」

「当然思っているだろう。だが今回攻めて来るのはルクセンにとって、将来敵になるやも知れない者達だ。我が国と言う目に見えた敵にぶつけて互いの力を削ごうと言うのもある程度理に適っているさ」


 ベガーティスやミスラはルキフグテスと違い、強大な魔力を生まれながらに持っていた。

 だからこそ強者としての責務と王族としての責務を、当然と受け止めている。

 だがルキフグテスはそうでは無いが故に、弱者なりの手を研究してきた。この国で人族に一番詳しいのは、他国の情報を把握しているミスラでは無く、自分であるとルキフグテスは自負している。

 力で勝る敵に対してどう立ち向かっていくか。単体では人族よりも遥かに勝る力を持つ魔族が、今迄虐げられてきたのは、その『弱者なりの手』が強力だったからに他ならない。


「なに、心配するな。もうすぐ父上達も戻られる。『勇者』が戦争に加わらなければ、母上達も戦場に立つ事が出来る。犠牲は……それほど出ぬだろう。処刑場代わりに我が国を使おうなど、迷惑極まりない話だがな……」


 別の憤りに震える弟を慰めるように、ルキフグテスは優しく言いやる。

 実際迷惑極まりない話だと、ルキフグテス自身も感じている。

 死兵で少しでもアルムの力を削いでおこうと言う、ルクセンの新たな為政者の考えには反吐が出る。

 だが同時にそれが有効な手であることを、弱いルキフグテスは実感していた。

 敵に対して敵をぶつけるその手管は、形は違えどアルム公国も取って来た手である。ミスラが得た情報で他国を威し、戦争の芽を潰して来たルキフグテスにとって、ルクセンの取った手は同じようなものだった。

 為政者同士を争わせ、互いの暗部を握らせることでアルムはカクランティウスの不在を凌いできた。

 今回は今迄こちらが取って来た手を、戦争と言う形まで肥大化させ逆にやり返されただけだ。業腹に思うが、それが国家同士のやりとりであることをルキフグテスは承知していた。


「血が流れる事は止められませんか……」


 ミスラが悔しげに呟いた。

 自分の身を差し出してまで戦が起こる事を止めたがっていたミスラの心情は、痛いほど感じられた。

 しかしこの度の戦争は、最初から仕掛けてこられた戦争だ。流れる血も相手側は織り込み済み。むしろ望んでさえいる。

『勇者』と言う虎の子を最初にけしかけて来た事からも、為政者の思惑は透けていた。


「『勇者』が戦に加わらなければ、それほど犠牲は出さずに済む……」


 誰に言うでも無く、ルキフグテスは呟く。


 ルキフグテスの目下の悩みは、『勇者』が敵国にいると言う一点に絞られていた。

 アルム公国は魔族の国。人口は少なくとも戦に弱い国では無い。

 カクランティウスと言う国最大の武力が戻った今、近隣諸国と互角以上に戦える戦力は持っている。

 何度も戦争に明け暮れれば人口の少ないアルムの方が痛手をこうむるが、『不死の魔王』が戻った今、彼を倒せる可能性を持つ『勇者』の存在だけがルキフグテスにとっての最大の懸念材料だった。

『魔王』と呼ばれた父親と同格の存在。いるといないとでは被害の規模が違ってくる。


「兄上は『勇者』が約束を守ると?」

「さあな? しかし彼は婿殿に敵対しない……。恐らくアルトリア殿にも……」


 ベガーティスの問いに、ルキフグテスは言い切る。

『勇者』との交渉時、ルキフグテスは彼の表情をつぶさに観察していた。

 強気な態度、身悶える表情も嘘では無かった。しかし、その視線の隅にいつも九郎の存在を入れていた。

 その態度から、ルキフグテスは『勇者』に刻み込まれた九郎への恐怖の感情を読み取っていた。

 決して敵わない相手を見上げる、諦めにも似た表情。弱い自分だからこそ知る、逃げ道を探る目の動き。

 

 楽観的に物事を見る事が無いルキフグテスだったが、『勇者』が九郎に恐れを抱いている、その一点だけは確信していた。


「ですがっ……戦争となれば多くの血が流れる事になります。まだ他に道が……」

「ミスラ……」


 肩を落として消沈し、口元で小さく呟くミスラに向き直り、ルキフグテスは眉を下げ言葉を続ける。


「血は既に流れている……。婿殿が流した血は……2日経った今でも拭いきれておらぬ」


 妹のミスラは戦争を殊の外忌諱していた。

 当然ルキフグテスも、戦争は忌むべきものと考えているが、ミスラはそれに輪を掛け、戦争を嫌っている。それこそ見ず知らずの男との婚姻を二つ返事で承諾するほどに。

 脅迫、懐柔、謀略……汚い手を使う事には忌避感を見せないミスラが、戦争と言う手段だけはいつも最後まで抵抗していた。

 自国だけが戦争を忌諱していても、どうしようもない事を妹はまだ分かっていない。


 王族として国を守る者として、戦争は起こらないに越したことは無い。しかし戦争も外交の手段の一つでしかない。

 武力で他国を侵略する事をしなければ、いずれ平和な世の中が来る――父が掲げた国是だが、机上の空論に過ぎないことを、長年父の不在を預かってきたルキフグテスは痛感していた。


「平和とは……目に見えない戦中のことを言うのだ。我が国にも多くの暗殺者が入り込み、常に国家転覆を目論んでいる。目に見えて血が流れていないだけで、影で多くの血が流れ続けている事を知っておけ。それを表に出さぬよう、我らが腐心しているのだ。民に流れる血を見せないことが、平和を守ると言う事だ」


 目に見えてこない戦争を続けること。最小限の犠牲を積み重ねて国を維持していくこと。

 それが平和な国だとルキフグテスはミスラに説く。

 その為には自分の命が一番安いと思えば、ルキフグテスは躊躇いなく差し出す覚悟を決めている。

 国を維持して行くには綺麗事だけでは済まされない。時には決死の任務に兵を送る事も、為政者の役目だ。


 王位簒奪クーデターを理解出来ないと言ったミスラに、ルキフグテスは心の中で溜息を吐き出していた。

 アルム公国は目に見える防衛を王家が担っているからこそ、不満が出ていないだけだ。為政者に何の不満も無い国民等存在しない。平和な国内でも犯罪に走る者も出てくる。全てが善人の国など存在しない。


 ミスラは各国の情報を集めるのに精いっぱいで、国内まで目を行き渡らせるのは難しい。

 国内の治安の維持に就いているのは弟のベガーティスだ。彼は暗殺者と相対する事も多い為、ルキフグテスが何を言いたいのか理解した様子で黙って俯いている。

 闇の中で流れた血の量は、今や川となっている。それは平和を守る為に殺して来た敵の血であり、殉職した兵士達の血だ。


 次代の王である自分がその源泉であることを、ルキフグテスは自認していた。


「近衛兵が流す分の血を婿殿が代わって流してくれた。だが、我が国の大地は、今迄流れた血の中に建っている事を……礎の碑が何処に立つかを忘れるなよ?」


 そう言ってルキフグテスは目を伏せ、再び書類の束を手に取る。


(その手を血で汚す覚悟が無ければ、王族など務まらぬ……。早くクロウ殿とミスラの婚姻も纏めてしまわなければな……)


 兵士の選別をしながら、ルキフグテスはチラリとミスラを横目に窺う。

 青褪めた顔。『勇者』が来ると判明した時以上に、狼狽えた表情。妹が戦争に感じている忌避感に、何か別の理由があるのではと最近考え始めているが、それも縁談が纏まれば解決するだろう。

 もとより王族というだけで、幼い頃から妹を酷使してきた感があった。『|神のギフト』が発現したからと、政治に関わらせすぎたかもとルキフグテスは思い始めている。

 確かに『エツランシャ』の力はアルムに多大な貢献をしてくれている。しかし、『来訪者』では無いミスラがそれを使うのは、多くの犠牲を強いている。


(もう少し早く決断するべきだったな。いや……ミスラの婿は彼でないと務まらなかった……。そう考えると流石父上……と言ったところか……)


 ルキフグテスは父親を思い浮かべる。

『不死族』と呼ばれる『吸血鬼ヴァンピール』の父も、『不老』では無い。それはすなわち、いずれカクランティウスも王位を退く事になることを意味している。

 その時に王位を継ぐのが自分であるのか、それとも息子の代になるのか。その時になって、滅ぼされるような弱い国のままでは駄目だとルキフグテスは常に考えていた。


(半殺し程度で済めば良いが……)


 ルキフグテスは溜息を吐いて書類の束を眺める。

 まだまだ書類は山積しているし、父親を説き伏せる手段も考えなければならない。

 父親の恩人を身代りに使った事も伝えなければ、そもそも話が進まない。

 折角九郎が犠牲になってくれたが――とルキフグテスは母親達を思い浮かべて冷や汗を流す。


 ミスラは硬く拳を握りしめ、色の違う両目に強い光を滲ませていた。

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