第230話  懐柔


「クロウ様、ありがとうございました」


 なんとか龍二を伸した後、事の顛末を伝えにミスラ達の元へと赴くと、謁見の間で王子達が一様に頭を下げていた。


「いや、謁見の間だけじゃ無く結構汚しちまって、俺の方こそ……」

「あ、アタシの部屋は何とか大丈夫だからっ……」


 それに畏まって九郎が頭を掻く。リオは早速保身に走っていた。

 仕方が無かったとはいえ、スプラッタハウスとなったペテルセン城の内部のことを考えると九郎も気が重い。

 ワザとやった訳では無いが、それにしても今の状態は酷い有様だ。

 肉や内臓が所狭しと飛び散り、同じ顔の死体がいくつも転がっている状態。

 流石の九郎も自分で引くくらい、やらかしてしまった感がある。


「それだけ婿殿が命を賭して戦ってくれたおかげです。全て丁寧に埋葬させて頂きたい」

「んな必要無いっすよ。あれは俺の形した肉ってだけで……」


 ルキフグテスが頭を下げたまま、続けてくる。

 何故にこの国の王子達は畏まると土下座スタイルで頭を下げるのだろうと訝しがりながらも、九郎も倣って膝を付く。王族という身分の人に頭を下げられると、やはり九郎としては居た堪れない。

 それに廊下に転がっているのは100を超える死体なのだ。それを丁寧に埋葬すると言われても、自分の葬式に出る気もしなくて九郎としては困る提案と言える。


「アルト……」

「まっかせてよ! はーいっ、いってらっしゃ~い」


 助けを求めるように九郎がアルトリアに視線を向けると、彼女はすぐに九郎の言い分を汲んでくれた。

 いつものようにスカートの裾がはためき、キチキチと音を立てながら黒い影が広がっていく。

 アルトリアの虫達ならば、九郎の死体を骨も残さず平らげてくれるだろう。

 ザザザザと潮騒の音に似た足音と共に、謁見の間に残っていた死体はもう見る影も無く無くなっている。


「あれ? なんで無いの……?」


 虫を操っているアルトリアから、時折不満そうな声が聞えて来るが、九郎は聞こえないふりを決め込む。


(『再生』すっとき、俺のオレを温存しといてよかったぜ……)


 九郎はアルトリアに気付かれないよう胸を撫で下ろす。

 最初に城中にばら撒いた肉片の中に、九郎の大事な部分は含まれていない。

 いくら千切れた部分とは言え、自分のブツが人様の家に設置され監視カメラと化しているのは、流石にあんまりな気がしたからだ。

 さらに女性陣を絡め取る役割を担う鎧の中にも仕込むのも、R的な意味で躊躇われていた。

 第一、そんなモノが尺取虫のように蠢いていたら、それこそ『変質者』のそしりは免れないだろうし、骨抜きの柔らかい肉体で絡め取る予定だったのに、骨が無くても硬くなるあの部位は役に立たなかっただろう。

 結果九郎のクロウは、一点のみ。自室に隠してあったので量産された死体の中には存在していなかった。

 虫袋として使った分には付いていたが、それは龍二が燃やし尽くしたので問題無い。

 謁見の間に来る前に部屋に戻って服を着こんだ九郎は、もう既に『ヘンシツシャ』ではなくなっていた。


「それより……こいつらどうしましょう?」


 アルトリアが何かを言ってこない内にと、九郎は肩に担いだ龍二を転がす。

 白目を剥いて気絶している龍二の顔は、どこか満足気にも見える。

 しかしまだ全てが終わった訳では無い。どちらかというと、やっとスタートラインに立てたといったところだ。

 龍二達が使者という名目でこの国に来ている以上、彼らを害する事は出来ない。だがこのまま返すわけにもいかない。


「もちろんこちらに付いてもらいますわ」


 ミスラがあっさりと難しい事を口にする。

 そうは言っても3人の少女はともかく、龍二は相手の心を読む。

 そんな相手に裏切りを持ちかけるなどどうすれば良いのか、九郎には全く手が思いつかない。

 命を盾に脅すにしても、もう既に九郎の心が読まれており、こちらの都合で彼らを害する事が出来ないことはばれている。

 更に言えば彼らが裏切りを承諾したとしても、それが守られるのかも不確かだ。

 九郎には、そういったもろもろを全て解決できる手などあるとは、とても思えなかった。


「そんな顔なさらずとも、そういった手管に関しては我が国は得意としておりますので」


 考えが全て顔に出ていたのか、ミスラが口元に手をあて薄く微笑む。

 その間にルキフグテスとベガーティスが龍二達の手を後ろ手に回して、手枷のようなものを嵌めていた。

 九郎も嵌められた経験がある、魔法を封じると言う手枷だろう。

 もとからかなり消耗していたようにも見えていたが、これで龍二の出鱈目な威力の魔法は封じる事が出来るのだろうか。それに――。


「龍二は心も読むんだぜ? 『神の力ギフト』は魔法じゃねえから封じれねえだろ?」

「心を読まれる事が分かっていれば、それなりの対応が出来ますわ。特に戦闘では無く話し合いの場であれば……」


 思った不安は直ぐに口に出てしまう九郎に、ミスラは目を細めて答えてくる。

 心を読まれないようにすることなど不可能に思えるが、彼女は何やら自信ありげだ。

 単純に思った事が顔に出てしまう九郎と違い、ミスラは重要な情報を幾つも手にしているこの国の中枢のはず。

 漏れでもしたら一大事の筈なのに、ルキフグテスやベガーティスも彼女の言葉に意を唱えない。


「きゃぁぁぁぁぁあああ!」


 そんな事が可能なのだろうかと、九郎が訝しげに首を傾げたその時、甲高い悲鳴が上がった。

 耳を刺すような悲鳴に九郎が驚いて振り向くと、龍二の仲間の少女達が先に目を覚ましたようだった。

 3人とも怯えるような視線を九郎に向け、ガクガクと震えている。


(もうグロくねえのに……傷付くなぁ……)


 九郎は眦を下げて消沈する。

 彼女達の気持ちも分かる。九郎が宣言した通り、彼女達には綺麗にトラウマが刻み込まれたのだろう。

 騎士の鎧の中に入っていた同じ顔の虫袋。それだけでも悲鳴ものなのに、二度目の登場時は血の雨と共に彼女達を捕えた肉の破片だった。もうどれだけ九郎がイケメンであろうとも、彼女達にはとうていそう見えないであろう自覚はある。

 しかし女性に怖気の悲鳴を上げられると言うのは、何度体験しても心に来る。

 男に怯えられるのはあまり気にならないのだが、女性に怯えられるとレイアとの一件を思い出してしまうのだ。

 トラウマを植え付けて自らのトラウマも刺激しているようでは、自爆も良いところだ。


「人の夫を見て悲鳴を上げるとは、感心いたしませんわね? ユーリお嬢様?」

「……まだ決定してないっすよね? そうやって既成事実を積み上げようとせんでください」


 あれだけの惨事を目にしておきながら、ミスラはまだ九郎を不気味な存在とは見做していないようだ。

 事前の準備を見ていた為か、それとも魔族であり骨の父親を見ている為か。それともアルム陣営で体を張った恩義を感じてるからか、はたまた損得勘定からか。

 女性に嫌われたショックを少し癒して貰いながら、九郎は複雑な心境でミスラを眺めた。

 九郎の複雑そうな視線に、ミスラは表情を崩さず小さく首を傾げてニッコリ笑った。



☠ ☠ ☠



「もう止めて―!」

「いやぁぁぁぁぁ!!」

「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ……」

「すとーっぷっ! ミスラっ! 一回落ちつこう? な?」


 謁見の間は少女達の悲痛な泣き声と、九郎の制止の声が響いていた。

 情報を覗く能力がこれ程えげつないとは――何度も感じた筈なのに、九郎は改めて『エツランシャ』の能力に震撼していた。


(俺の精神攻撃がお子様見てえだ……)


 ミスラが淡々と彼女達を説得する為に述べた内容に、九郎も冷や汗が止まらない。


 赤蹄神殿の神官長の娘であるユーリは呆然とした表情のまま、床に膝を付いていた。

 尊敬していた父親がどんな汚い手でその地位を得たのか。ミスラの情報収集能力に掛かれば、後ろ暗い記録も白日の下に晒される。本人に後ろ暗い事が無くても、耳を塞ぎたくなるような親の悪事を聞かされればこの表情もやむを得ないだろう。

 本人は神の為、父親の為にと頑張ってきたようだが、それが根本から崩れ去っている様子だ。


 ルクセンの敵対国の騎士団長の娘であったマリーシャは、悲壮な顔で耳を塞いで泣き喚いていた。

 敵国にいる『勇者』を籠絡する為に差し向けられた彼女の境遇は悲惨だった。

 まさか母と思っていた人物が赤の他人で、実の母は既に謀殺されていたと聞かされればこうもなる。しかもそれを指示したのがスキャンダルの発覚を恐れた父親であり、死んでも惜しくないと思われていたからこそこの任務を任されたと知らされれば、家の為にと体を張っていた彼女の思いは砕けてしまう。

 他人事の九郎でさえ憐れに思うほど、その境遇は救いが無い。


 裏組織の元締めの養女のピュッケは父親との関係が親子と言うより上司部下に近い。しかしそんな彼女も心が折られていた。

 裏組織に所属し、後ろ暗い事など日常茶飯事な彼女でも、流石に自分が敵対組織から攫われてきた娘であり、その組織の壊滅に自分が関わらされていたとは思ってもいなかった様子だ。


「あなた方はこれでもまだ親の言うがままに動かされるのですか?」


 ミスラが不思議そうな顔で首を傾げている。

 任を言いつけていた筈の親が実は仇や悪側だと聞かされ、彼女達の心は揺れに揺れている。

 九郎と言う恐怖で弱った心には、ミスラの暴露はかなりの効いたに違いない。


「嘘ばっかり言わないでっ!」

「魔族の分際で!」「て、敵の言葉に耳なんか……」


 少女達は口々に癇癪を起したように叫んでいた。

 普通はそう考えるだろう。ミスラは敵国の姫であり、命を狙う対象だ。

 そんな彼女の言葉が信じられる訳が無い。


「ですから一度本国にお戻りになって確かめれば良いだけですわ。こちらにあなた方の家族や組織に対する記述が纏めてございます。素直にお聞きしても答えてはくれないでしょうから、外からお調べする事を進めますわ」


 しかしミスラの言った言葉が荒唐無稽で無い事は、彼女達の表情に表れていた。

 記憶にある出来事を全て言い当てられ、その裏側にどんな指令があったのかを事細かに暴露されている。纏められた資料が本物であることを彼女達は心のどこかで信じかかっていた。

 ミスラの言葉を否定する材料はもう感情論にしか残されていないのが、その証拠と言えるだろう。


「これでもまだ我が国だけ・・が悪だとお思いですか?」


 ミスラが氷の微笑とでも呼べそうな、冷ややかな笑みを少女3人に向けるた。

 涙をボロボロ溢しながら、3人の少女は返す言葉が見つからず、無言で項垂れるしか出来ないでいる。


(これじゃどっちが悪役か分かんねえ……てか最初っから悪役だったな……)


 ある意味彼女達の思った通り、アルムは悪魔の国と映っているのだろう。

 だがアルム公国だけ・・が悪だと罵ることはもう彼女達には出来そうにない。

 幸せな嘘に身を委ねれば元の生活に戻れるのかも知れないが、彼女達は揃って根が真面目な様子。

 少しでも親との関係に罅が入れば、時間は稼げるとミスラは考えているのかも知れない。


「『勇者』殿もそうお思いでしょう?」


 九郎がミスラの手管に舌を巻いていると、ミスラが冷ややかな笑みのまま龍二に語りかけた。


「俺にふんなや……」


 九郎が身構えると同時に龍二がゆっくり身を起こした。

 いつから起きていたのか気付かなかったが、龍二の言葉がミスラの答え合わせになっていた。

 心を読む事が出来る彼なら、ミスラの言葉が嘘かどうかも直ぐに見透かしてしまえる。


「そんなっ!? リュージ様、否定してくださいっ!」


 マリーシャが悲壮な顔で龍二に咬みつく。

 心を読めるとまでは知らなかったかもしれないが、長い間一緒に活動して来ている彼女達は、龍二の鋭さには気が付いているのだろう。

 意味深な発言で言葉を濁す龍二が、ミスラの言った事を後押したかに感じているようだ。


「お前言ってねえのかよ?」

「は? 言う訳無いやん。そんなん知れたら誰もよう近付いてこーへんし。つーかアンタそんな顔しとったんやなー。わざわざグロなるなんて、頭可笑しいんとちゃう?」


 へらへら笑いながら手を九郎の言葉にぼかして答え、龍二は三白眼でミスラを見据える。そして、


「うわっ……なんなんこの人ら。考えてる事多すぎやろ……。ログが追いきれへん。別嬪な見た目やのに腹黒いわぁ……。あかん……頭いとうなって来た……」


 と、眉を顰めて呟いた。


(そう言や、こいつ最初は心読んで無かったんだよな? 周りが静かになってから……大勢いると何がなんだか分からなくなっちまうのか?)


「正解やで……。脳みそ今は入ってるから賢こーなってるん? しかし、あんさんのだけは単純やし、分かりやすいわ。この人ら全員めちゃくちゃ思考が速うて……。あかん……ホンマに目が回って来た……」


 龍二が目線を上下に動かし、疲れた表情を浮かべ呻く。

 心を見透かせると言っても、処理する頭脳は一人分でしか無い。一度に大勢の思考を読み取ってしまえば、どれが誰のだかも分からなくなるし、一人相手でも思考の速度が追いつかないくらい速ければ、追うのは難しくなるようだ。

 単純と言われて腹が立つよりも先に、九郎はミスラ達の思考の速さに感心する。


「ところで『勇者』殿はどうされるおつもりでしょう? あなたは元からルクセンの思惑にも気付いておられた様ですし、こちらとしても協力して頂けるのであれば、それなりの地位をお約束いたしますわよ?」


 ミスラが冷ややかな笑みのまま、龍二にそう提案する。

 彼女の目的は懐柔であるから、この言葉は予想されたものだ。鉄砲玉代わりにさせられた龍二としても、ルクセンに義理立てする必要は無いように思える。


「ゆーて、あんたらちっさな国やん。どうせ利用されるんやったら、それなりにおっきい国の方が得やん? それに、あんたらそろいもそろって腹黒そうやし、信用できるわけないやん。どのみち俺らはいったん無傷で返さへんと戦争なってまうんやろ?」


 しかし龍二は強気な表情を浮かべて、ミスラの提案を跳ね除けた。

 九郎の思考から、自分達を無傷で返さなければ困るのがこちらだと既に判明しているので、その強気の発言も納得できる。

 今の今まで敵対していた国に与するのは、それなりにリスクを伴う。それこそ暗殺者を差し向けられる筆頭に自分が上がってしまう可能性も高い。

 敵に義理立てする必要も無く、身の安全も保障されているのならばそう考えるのも当然に思えた。


「我々も手荒な真似はしたくは無いのですが……」

「俺はそいつらと違って、こっちに親なんかおらへんし、探られて痛い腹もないしなー。どう脅迫すんねん? こっちの言う通りにしてくれるんやったら、裏切ったってもかまへんでぇ?」


 後ろ手に縛られ、尋問されている側だというのに、龍二は強気の姿勢を崩さない。

 時間が経って九郎への恐怖が薄れたからだろうか。現在の九郎がアンデッドのなりをしていないからかも知れない。


「てめえ、立場を分かってんのかぁ、おいコラッ!? 人様ん家で傍若無人に暴れといて、態度がでけえんじゃねえの? 損害賠償払えんのかぁ? おおんっ?」


 たまりかねて九郎がチンピラ口調で威嚇する。

 

「それ言うたら、そっちが最初に騙してたやん。ニセモンの王様と他国の使者を面会させるやなんて、それだけで国際問題やでぇ? 案内も何も無く、立て看板で使者をおちょくってたしなぁ?」

「ぐっ!」


 龍二の言葉に九郎は言葉に詰まる。

 暗殺指令が出されている事を事前に察知し待ち構えていたが、ルクセンからしてみればそれでも最初に失礼を働いたのはこちら側だと言う言い分も立つ可能性を指摘され、返す言葉が浮かばない。

 一人の犠牲も出さない方法を模索した結果、城をほぼ無人にしてしまったが、その時点で怪しかったと言われてしまえばそれまで。

 国力の差はまだルクセン側に分があり、戦争で疲弊するのはアルム側にダメージが大きい。


「手が無いようならそれなりに、メリットを出して貰わんとなぁ? まあ、俺ももうそいつと戦うんは御免やし、戦争には加担せえへん。そんで手打ちとしといてや」


 それに龍二はこの世界に転移してきた『来訪者』であり、まだ余計なしがらみに捕えられていない。

 彼は最初から自分が得になる方を選んで、立ち回っていると言っていた。

 その言葉の通り、現在アルムの置かれた状況を鑑み、自分の安全を優先しているのだろう。

『来訪者』の力があれば、どの国であっても重宝はされる。そうやって立ち回って来た実績があるからこそ、わざわざ窮地に立たされているアルムに着くメリットを見出せなかったようだ。


 彼を言いくるめるのはそれこそ材料が足りない――九郎がそう思ったその時、ミスラの雰囲気が冷笑から嘲りに変った。


「そうですか……それは仕方がありませんね……。残念ですわ……。ではもうお帰り頂くしかありません……。生憎我が城は荒れてしまいまして、また宿も今から取るのは難しいかと思います。

 あ! でもじげんむーんるーむといものをお持ちでしたわね? ぶらっくしゅばるつさま?」


 しおらしい態度で目を伏せたミスラの言葉に、龍二の顔が一瞬にして引きつった。

 いったい何が起こったのか、九郎も理解出来なかった。ミスラの言葉の最後が、外国人のえせ日本語のような微妙なイントネーションで聞き取り辛かったのもある。


「な……なんでや……」


 しかし龍二にはミスラの言葉の意味が理解できたようで、わなわなと震えて脂汗を流していた。


わたくしの母も『来訪者』であり、現在わたくしに『神の力ギフト』が発現していることは、知られてしまったと思っておりましたのですが違っておりましたか? そうそう、早くるみなすむーんさを呼び寄せられては? 亜空間ゲートを開けば可能なのですよね? 何でしたっけ? しんおん呪文とかいうのが必要なのですよね? わたくしが唱えても発動するのでしょうか?」

「ちょっ……ちょっと待ってぇな!?」


 龍二が目に見えて狼狽えだした。視線が定まらず忙しなく動き、滂沱の汗が額を流れている。


「えーっと……。確か……、さかまけうずまき、つむじのように。ひらけめいかいのとびら、あ・ばー・かむいん? われのことばにこたえていでよ。てんしるみなすむーん……」

「冥界なのに天使なのかよ……」

「ヤメテ? ちょっと話し合おう?」


 ここに来てやっと九郎もミスラの思惑に気が付く。

 龍二の焦り様からして見ても、ミスラの口から述べられる痛い呪文が何なのか。


「ごしゅじんさまにおつかえするですー? ああ、これはるみなすむーんさまのセリフなんですね? わたくしは『にほん』の文化も存じておりますので、大丈夫ですわ。

 えーっと……しんちょう148たいじゅう38きろ? ばすと98うえすと48? ひっぷ92……これは設定でしょうか? こちらのサイズに直すと……凄いですわ! まるで蟻のような体型です! どうかなされましたか、ぶらっくしゅばるつさま? あっ! もしや悪魔に刻まれたと言う左手の呪印が疼くのでしょうか?」

「ホンマヤメテ? 落ちつこ? よう話し合おう?」

「話し合いを拒否したのはてめえじゃねえか……」


 龍二は今や床に伏し、地面を舐めるように悶えている。

 九郎も背中に冷や汗を流しながら、無体な突っ込みを入れておく。

『エツランシャ』の能力がこのアクゼリートの書物だけでなく、地球の書物も覗けることには気が付いていたが、惨い書物がミスラの手に渡っていた。

 黒歴史――中二病の末に行きつく封印してしまいたい妄想の数々。

 龍二の年齢を見るに、彼は若くして地球での命を終えていた筈。

 彼の遺品の数々の中に、見られたくない黒の書が残っていたのだろう。親御さん達の悲しみを考えると、どんなものでも残そうとしたのかも知れないが、息子の恥ずかしい文集が、このような形で彼を攻めるとは思いもしていないに違いない。


「えーっと……るみなすむーんはナス・リュウジのしんめいぶらっくしゅばるつとのたましいのけいやくでつながれており、他の男には見向きもしない……。

 あら……? やはりわたくしでは無理だったようですわ……。でも、ぶらっくしゅばるつさまがお呼びになれば、るみなすむーんさまは現れるのですよね?」

「ホンマ堪忍して……。仲間になる人間いじったらあかんやろ? な?」


 ミスラは可愛らしく首を傾げて微笑んでいたが、その影に九郎は悪魔の影を見た気がした。

 九郎は心から自分の家族が、残した黒歴史を葬り去ってくれている事を切に願った。

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