第227話  魔王城


「ゲームかよっ!」


 ノリに乗った気勢を削がれて九郎は思わず突っ込んでいた。

 こちらから手出しをするつもりはなかったが、精々カクランティウスの恐ろしさを分からせようと、十分に貯めに貯めた力が抜けて行くような気がした。

 まさかと耳を疑うほど馬鹿げたセリフ。


 ――ステータス・オープン――


(いや、言いたくなんのは分かんよ? お、俺は言わなかったけどもよ? でもここはゲームの世界でも小説の中の世界でも無く、現実だろ!? 怪我したら痛えし……まあ俺は最近痛くねえけど……人だって死ぬ俺らにとって現実じゃねえかっ!)


 確かにこの世界は子供心に憧れたファンタジー世界のように、魔法も存在しているし魔物もいる世界だ。

 最初この世界に転移して来た時は、九郎もゲーム感覚で街を探したりもしていた。

 しかし、そんな感覚でいられたのも3日くらいだ。腹も減るし喉も乾く。飢え死にしない体になっていたから生き延びれたものの、この世界が九郎にとって現実だと言うことは嫌でも思い知れた。


『不死』と言うありえない体になった九郎ですら現実を認識していると言うのに、目の前の少年、那須 龍二はまだこの世界がゲームか何かだと思っているのだろうか。


「まさか、それがお前の『神の力ギフト』かっ!?」


 九郎が慌てて構えを取る。龍二が既に跳躍していた。

 とりあえず頭を犠牲にして難を逃れつつ、九郎は頭を回転させる。物理的にも回転している。

 流石にそれは無いだろうと思えた。ミスラの調べで、龍二がこの世界に来たのはおよそ1年前だと言うことが判明している。

 いくらなんでも一年もの間この世界で暮らしていて、現実を認識していないはずが無い。


 文字なら何でも覗く事が出来るミスラの『神の力ギフト』、『エツランシャ』の力を以ってしても、龍二の『神の力ギフト』だけは分かっていなかった。何故なら龍二は仲間にすら『神の力ギフト』の内容を明かしていなかったからだ。

 九郎も一時は『不死』を隠していただけに理由も分かる。


『来訪者』と言うことはバレても一長一短だ。欲に翻弄される可能性も高いが、それでもこの世界で格段に生きやすくなる。

 しかし『神の力ギフト』出来る限り秘密にしておくべきだろう。『ヘンシツシャ』は置いておくにしても、九郎の『フロウフシ』は、見る者に恐怖を抱かせる。――現在周りに『不死者』が多くなりすぎて、九郎に隠す意識は無くなっているが……。

 雄一や四織にしても、その『神の力ギフト』の内容を知られてしまうと、途端に警戒され能力が制限される。『神の力ギフト』が知られる危険性を察知していたからこそ、秘密にしていた筈だ。


 転がる九郎の首が、龍二のセリフの意味を考えはじめたその時、


「お前っ……ニセモンやん!? 『来訪者』?! クロウ・フジ……レベル……いちぃ? ギフトは……なんやこれ……。ヘンシツシャと……?? ……フシ?」

「なっ?!」


 龍二が驚いたような声を上げた。その言葉に九郎も驚愕する。

 一瞬で『来訪者』であることや正体がばれてしまった。それだけでなく、知られるとヤバいと感じていた『神の力ギフト』までも言い当てられてしまった。

 転がった首を拾い上げた九郎がそのままの姿勢で固まる。

 苛立たしげに眉を顰めた龍二の目は、九郎を見ていながら上下に揺れていた。

 まるで何か記述を読んでいるようなその目の動き、喋り方に、九郎の背中に汗が伝う。


「なんだ? 『鑑定』とかそんな感じのやつか?」


神の力ギフト』を言い当てられた九郎は、悔し紛れに予想を述べる。

 そのセリフが自分の『神の力ギフト』は当たりだと言っているようなものなのだが、龍二はもとから自分の能力を疑っていないようにも見える。

 

「んなショボイ能力ちゃうわ……まあええっ!」

「がっ!?」


 龍二が無碍なセリフと共に刀を振り下ろす。

 九郎の着ていた鎧の肩が、豆腐のように切り飛ばされる。骨だけの肩と鎧が床に大きな音を立てて転がる。

 痛みと言うより驚きで九郎は声をあげていた。


「てめえも『来訪者』だと分かっても攻撃してくんのかよっ!? どいつもこいつも同郷意識が足りねえなぁっ!」


 素早く腕を呼び戻しながら九郎が怒りの声を漏らす。『暗殺者』としてこの場に来ているのは知っているし、別に手心をくわえろとは言わないが、もう少し話し合いの雰囲気を持っても良いではないかと思った。

 しかし龍二は意外そうに眉を顰め、あっけらかんと言い放ちまた刀を横なぎに振るう。


「せやから成仏させたろて思うとんや。『不死アンデッド』になっとる自分、可哀想やろ思てな!」

「成仏しそこなって俺らがこの世界に来てること忘れてんじゃねえっ!?」


 また髑髏の首が飛んでいた。ポンポン首が飛ばされているが、『修正』の赤い糸ですぐ戻る。まるでけん玉にでもなった気分だ。


 首の接合を確かめながら、九郎は再び龍二と対峙する。

 今の言葉の中に引っ掛かりを感じた。龍二の行動に不可解な部分がある。

 何の能力かは分からないが、龍二は九郎の『不死』を言い当てている。

 なのに普通に攻撃して来ているのは何故なのか。


「さっすが『来訪者』のアンデッドやなぁ……。聖剣で斬ってるのに中々死によらへん」


(こいつ……俺が不死なのはアンデッド化してると思ってやがるんか? こんな生き生きとしたアンデッドがいるかっ!)


神の力ギフト』を二つとも言い当てられてたと感じていたが、『フロウフシ』の方はアンデッドの特性だと勘違いしている様子に気付いて、九郎は少し安堵する。今の自分の姿がスケルトンだと言う事が幸いしたのかも知れない。

 目の前の敵、龍二はこちらの能力を読み取る力があるようだが、読み手の主観が入っているようだ。

 そして龍二は九郎を『ヘンシツシャ』と言う力を持つ『来訪者』の不死アンデッドだと勘違いしている。ならば付け入る隙はまだありそうだと、九郎が心の中でほくそ笑む。


「俺は斬られ慣れてっからなぁ? スケルトンに斬撃は効き辛いって知らねえのかぁ?」

「大概の奴は一撃やったから、気にしとらんかったわ」


 龍二はどうやら初期から無双していたようだ。

 だから一応『魔王』を称している九郎に対しても余裕を見せているのか。

 相手の『神の力ギフト』が判明していないので、まだ九郎としては余裕を持てる段階では無い。

 しかしどの道自分の能力はばれている。なら当初の予定通り、自分は出来る事をするだけだと九郎は心を決める。


「とりあえず、怪我はさせねえから安心しな? けど心の傷は保障できねえ……。

 ――――トラウマ……刻み付けてやんよ!」


 言って九郎はニヤリと嗤って肉体を動かした。 



☠ ☠ ☠



 龍二が九郎に挑みかかっていたその時、龍二の仲間の3人の少女、ユーリ、マリーシャ、ピュッケも同時に戦闘に入っていた。


「攻撃してきても構わないよ? 当たれば……だけどねっ!」


 ピュッケが淡く光の放つ短剣で甲冑を着こんだ騎士の腕を攻撃する。

 肉の繊維を断ち切る感触が腕を伝っていたが、騎士は怯む様子も無く、ただ『魔王』を守るようにの間に割り込んできているだけだ。


「『不死アンデッドの魔王』だけあって、その部下もアンデッドのようだな!」


 マリーシャが大剣クレイモアで突きを放ち、騎士の顔面を串刺しにしていた。

 しかし騎士は倒れる様子も無く、ただじっと耐えているかのようだ。


「アンデッドでしたらこれならどうですかぁ?

 『深淵なる赤』ミラの眷属にして邪を滅する聖なる炎よ! 照らして!

 『フルゲティオ・フラム・バイレス』!!」


 ユーリが魔法を唱える。騎士達の頭上に真紅の炎が浮かび上がり、太陽のように温かな光を放つ。

 しかし通常ならアンデッドモンスターに劇的な効果が見込める魔を祓う光も、騎士達には何の痛痒も与えていないように見えた。


「流石『魔王』の近衛と言ったところか……。だが、私は聖騎士! アンデッド如きに負けはせんっ!」


 マリーシャが今度は大剣クレイモアを横なぎに払った。

 大質量の一撃を受けて一人の騎士の首が飛ぶ。

 その時、壇上で勇者と対峙していた魔王が、ある言葉を口にした。


 ――トラウマ……。刻み付けてやんよ――


 その言葉と共に、飛ばされた騎士の首から黒い何かが溢れだした。



☠ ☠ ☠

 


「きゃああああああぁぁ!!」


 甲高い悲鳴が上がった。


「なんや? うぇっ!?」


 龍二が九郎を睨んだまま、短く引きつった呻き声を上げる。

 色ガラスが煌めき、神聖な雰囲気だったペテルセン城の謁見の間は、身も毛もよだつような悍ましい光景に変っていた。


「心配しねえでも攻撃しねえように言ってあんよ! だが、一方的にボコラレ続けんのも癪だかんな! ラッキースケベくらい許してくれや?」


 九郎が髑髏の顔でまたニヤリと笑う。

 九郎はまだ玉座の場所から殆んど動いていない。

 しかし龍二の仲間の少女達からは恐怖の悲鳴が上がっていた。


 王座の壇の階下では、黒い洪水が広がっていた。

 キチキチ、カチカチと音を立てる黒い虫達の大軍。

 それが騎士の体から溢れ出していた。


「嫌っ! こないでっ!」


 軽装の少女、ピュッケが顔を引きつらせて短剣を振り回している。

 騎士鎧がキチキチカチカチと音を立てながら歩みを進める。

 腕は良いのか寸分たがわず鎧の隙間に刃が滑りこんでいる。しかし今回はその腕の良さが災いしていた。

 切り裂かれた鎧の隙間から、ワサワサと黒い虫が溢れ出す。小手が脱げ人の腕が覗くが、その内側はもぞもぞと雑多に蠢き、切り裂かれた傷口から血のように溢れ出る黒い虫。


(やっべ……。すっげー背徳感……。女の子を泣かせる趣味はねえんだが……まあ、今回は暗殺しにきたお灸ってことで……)


 複雑な心境ながらも九郎は攻め手を緩めない。


 ――アルト、もうちょい右! そうそう、そのへん――

 ――は~い、お父さんの言う事良く聞くんだよ~――

 ――お父さんじゃねえ! ……のか? ――


 九郎は欠片を通じて後ろの部屋に控えているアルトリアと会話し、騎士鎧を動かす。

 騎士の鎧の中身は、アルトリアの足に住み着く蛍の幼虫達だった。

 ただ、鎧に詰めるだけでは虫達が鎧の隙間から零れてしまう。

 そこで九郎は自分の死体を量産し、その中身にアルトリアの虫達を詰める事で、まず漏れ出るのを防いでいた。


「ひっ! こいつも? こいつも同じ顔!? いやっ! 何!?」


 騎士風の少女、マリーシャが転がった兜から覗くその顔に混乱している。

 当然鎧の中身は九郎の死体なので、全て同じ顔である。

 城を無人にしてまで犠牲を排除しようとした九郎が、自分の身を守る為に騎士を配置するような無駄な事するはずが無い。

 体面を保つ為だけに配置された騎士達は、人の皮を被った虫袋だった。


「ああ……神様っ……」


(不可抗力だからっ! 仕方ねえからっ! 不可抗力だからっ! あ、やわっこい……)


 神官服の少女、ユーリがもう逃げるのすら諦めて呆然と祈っていた。いや、逃げられないから諦めている。

 周囲には虫が溢れる時に弾け飛んだ腕や肉片が散らばっているが、その一部が彼女達の足に纏わりついていた。

 ピンク色の内臓や、黄色い脂肪を覗かせた人の腕。ミンチ状の肉塊。そして大量の血が虫に混じって蠢き、少女達を拘束していた。


 九郎は現在、鎧の中身も骨と筋しか残っていない。完全にカクランティウスを模していた。

 残りはと言うと、虫袋の一部に仕込んである。

 アルトリアの虫達だけでは、金属鎧を動かすには少し力が足りなかった。彼女の虫の牙は『不死者』も削り取るほど強力だが、力はそれほど強く無い。

 監視用に城中に欠片をばら撒き、残った体が勿体なかったので虫の動きをサポートするため鎧に仕込んでいたと言う訳だった。

 離れた肉体でも動かせるようになっている、今の九郎だからこそ出来た芸当だと言えるだろう。少女達の体に絡みつき動きを封じる使命に、体全体が協力しあっているようにも思える。


(フォルテにあんな力が有ったとはなぁ……)


 九郎は眼下に広がる黒い洪水を見下ろしながら感慨深げに顎を撫でる。

 気を落ち着かせるためには、過去を回想するのがこの場合の一番の対策とも思えていた。


 アルトリアの虫だけでなく、今回は台所などに生息する、口に出すのも憚られる黒いアイツが、大量に混ざっている。


 ――これができたから僕は姉さんと離れた後も飢え死にだけはまぬがれていたんですよ――


 フォルテのはにかんだ笑みを思い出して九郎は今は無い眉を顰める。

 虫喰い県の異名を持つ地域に生まれ、幼少の頃から多くの虫を口にしてきた九郎と言えど躊躇いを覚えるそれらを口にし、フォルテが生き延びてきた事を聞かされ、複雑な感傷を抱いたものだ。

夢魔サキュム』と言う種族であるフォルテには『魔眼』と言う能力が備わっていた。

夢魔サキュム』の魔眼には幻惑の力が備わっており、ルキフグテスの見立てでは、フォルテには『催淫フェロモン』の魔眼が発現していると言う。リオもあるようなのだが、本人の自覚が無いのかまだ発現していない。

 フォルテの魔眼の力はまだ弱く、小動物や虫くらいにしか効果は見込めなかったが、今回アルトリアの虫だけでは柔らかすぎて鎧を上手く支えられないと言う事で、緩衝剤代わりに混ぜていた。それらを見下ろし、九郎は少女達の体の感触にたぎる自分を鎮める。


「うわ、きっしょ……」


 龍二が九郎を睨んだまま顔を歪めていた。

 その様子に九郎の中に疑問符が生まれる。


「助けてやらねえでいいのか? てか見えてんのか?」


 一つは龍二が仲間の危機に助けようとしていないところ。最初からあまり彼女達心を開いている様子が無かったが、それにしても冷たすぎると感じてしまう。

 九郎が「怪我をさせるつもりはない」と言ってはいたが、あの虫達の殆んどは『不死者』すら齧り取る凶悪な幼虫だ。アルトリアが操っているので現在危険は皆無だが、それを知る機会は彼には無い。

 九郎ならば顔を青褪めさせて飛び込んで行くであろう、自分を慕う素振りを見せていた少女達の危機に、龍二は何の動きも見せていない。

 そしてもう一つ、龍二は一度も後ろを振り返ってはいなかった。

 なのに、さっきも今もまるで後ろの様子が見えているかの様に、状況を把握している。


(能力を読み取る力だけじゃねえのか? いったいどんな『神の力ギフト』なんだ?)


 龍二の仲間の少女達は既に虫の海に沈んでいる。

 あまりの気持ち悪さに気を失ったのか、もう悲鳴の一つも聞こえてこない。

 アルトリアの虫達は彼女の言う事を良く聞く良い子達なので、少女達の布団となっているだけだが、それを知らない龍二からしてみれば、血の気の引く光景だろう。なのに――。


「別に死んでへんしええやん……」


 九郎の言葉に龍二は面倒臭そうに言い放つ。

 確かにそうなのだが――と九郎は顔を歪めつつ龍二を見つめる。

 一度も後ろを振り返る事無く、彼女達が無事な事を確信している龍二のセリフは、奇妙に思えた。


(この辺も『神の力ギフト』が関係してやがんのか?)


 『神の力ギフト』は基本的に一人につき一つの筈。

 そしてその力は強力無比だが用途は限定的でもある。

 『支配』『サンダツシャ』『エツランシャ』……。どれもが使い所が限られていた。

 しかし九郎から見て、龍二は幾つもの『神の力ギフト』を使いこなしているかに思える。


「けど、ま、やっぱきしょいし……」

「おまっ!? ちょ!?」


 九郎が龍二を睨みながらその力の解析を行っていると、少女達を気にした素振りを見せていなかった龍二が、ボソッと呟き片手を後ろに向けた。

 その行動に九郎の方が慌てふためく。


獄炎煉獄波ヘルフレアフレイム……」

「だからちょっと待てって!!」


 ぶっきら棒にボソッと呟いた龍二の手から、紅蓮の炎が広がった。

 九郎が慌てて炎に飛び込むが、間に合わない。


「てめえ、狂ってんのか!?」


 立場も忘れて九郎が叫ぶ。

 炎が燃え広がったのは一瞬だが、喰らった九郎は分かってしまう。

 金属鎧を溶かし、炎に強い耐性を得ている自分の骨さえ焦がした龍二の炎は、決して人が耐えられる物では無い。


「ゲームじゃねえんだぞ? いったい何考えてやがる! 人の命を……」


 虫諸共少女達をも焼き尽くしたであろうその光景を想像し、九郎が恐る恐る振り返り絶句する。

 階下を覆っていた黒い虫達は一匹残らず燃え尽きていた。九郎の体の一部分も、炭も残らず蒸発していた。

 しかしあれ程の熱量の炎が広がったと言うのに、黒い虫達に飲み込まれていた少女には傷一つ無かった。


「外野も静かになったし、もうちょいギアあげようか?」


 龍二がニヤリと笑って刀を構えていた。

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