第226話  謁見


 アルム公国ペテルセン城は『魔王城』と言う別名にそぐわない、白亜の美しい王城である。

 青い空と緑の森。輝く川縁に立つ白い外壁。数多の画家が筆を執りたくなるような優美な外観を備えている。

 そのペテルセン城が一番美しく彩られるのは、夕方であると街の人々の誰もが言う。

 今日も大河オルセーが金色に光り輝き、空のオレンジ、菫色、群青色のコントラストが、城の白いキャンパスに一時の色を映す様は、地元の民であっても見惚れるような絶景を映し出していた。


 外観の美しさが取りざたされるペテルセン城だったが、その内装もまた引けをとらないものだった。

 色とりどりのフレスコ画が描かれた、豪奢で煌びやかな天井。趣味の良い調度品。白い大理石で出来た壁と床。

『魔族』と言うマイナスなイメージを払拭しようと、人族の王城よりも神秘的で清潔感あふれる設えを目指していたため、その内装もまた格別に洗練されていた。


 そしてその中でも一際立派に作られていたのは、他国の王族や使者が最初に訪れる謁見の間である。

 天井だけでなく壁すら色ガラスで彩られ、そこには6柱の神々が描かれている大きなホール。どの時間帯でも、太陽の光が赤い絨毯に幻想的な色を画くよう設計され、色ガラスを通した光は虹色の幕となって王座を取り囲む仕掛けが施されていた。

 一目見れば『魔王城』と噂されたその城が、聖なる神殿にも引けをとらない神々しさを備えている事が理解できるような、圧倒的な美しさがそこにはあった。


 その王座に腰かけて一人の男が呻いていた。

 男は立派な鎧に身を包み、金の王冠を頭に乗せ、金糸で編まれたマントを羽織っている。

 壇上より少し下。玉座から中央の扉に向けて、真っ赤な色の絨毯が敷かれていた。そしてその両脇には、大勢の騎士が剣を真上に掲げて立ち並んでいる。金属鎧を着ていると言うのに、小さな音一つ漏らさない騎士達は、それだけで練度の高さが伺えるだろう。

 豪華で優美で荘厳。夕陽を通した色ガラスが玉座を照らし、神聖さすら感じさせる謁見の間。しかし、この光景を神聖なものと見る者はいないだろう。

 なぜなら玉座に座っている男の顔は骸骨なのだから。

 

(今時ガキンチョでもやんねえだろ……)


 玉座の肘掛に頬杖を突いたまま、九郎が呻く。

 カクランティウスの代わりにと座っているこの王座が居心地悪いのもあったが、今はそれ以上に居た堪れない気持ちになっていた。

 表情が表現出来ていたのなら、きっと苦虫をこれでもかと噛み潰したような表情をしていただろう。


「ああああ……。何で一々壺を壊して行くんだよ!? おまっ、それぜってー高いやつじゃん! ねーよ!? 小さいメダルも、なんかの種もそこにゃ何も入ってねーって! あ゛ぁぁぁぁ……」


 頭を抱えて胃痛に呻くその様は、王者には似つかわしく無い小物っぽさを滲ませていた。

 骨だけの顔で九郎は頭を抱えて悲鳴を上げ続ける。 

 欠片を通して目にする同郷の人間の乱暴狼藉に、もう悲鳴しか出て来ない。


『勇者』と言う名の暗殺者の到来を知らされた九郎は、こうして玉座に腰かけて彼がこの場に来るのを待ち構えていた。城に勤めている兵士やメイド達は、皆別の場所に避難してもらっていた。


 一応は隣国の使者を名乗っているので出迎えも考えたのだが、ミスラから勇者一行には既に王族の暗殺指令が出ている事も聞かされ、無駄に血が流れるのを嫌った為だ。

 多少の犠牲は仕方がないとルキフグテスは言ったが、相手は『勇者』であり強大な力を持つ『来訪者』。戦力の低下を阻止する為に九郎に協力を求めたのなら、ただ一人の犠牲も出したくは無い。また同郷の者が殺人と言う罪を犯すのを見たくはないと言う二つの理由で、九郎は城の中を殆んど無人にしてもらっていた。今は王座の後ろの部屋に数人が控えているだけだ。


(なんでわざわざ案内板と逆方向に行くんだよ!? まっすぐ来いよ! 一応使者だろうがっ!)


 叫び出したい衝動に駆られながら、九郎は腹の辺りを押さえる。

 無人にしてくれと懇願したのが自分なだけに、被害総額を考えると胃が痛い。

 何故目につく端から壺を尽く壊して進んで来るのだろうか。まるで校舎の窓ガラスを無意味に割る不良みたいだ。

 どうしてくれようかと、苦み走った顔に残忍な笑みが混じるのも仕方が無かった。


 九郎が貧乏ゆすりを続ける事、約半時。

 謁見の間の重厚な扉が大きな音を立てて開かれる。

 ゆっくりと開くよう仕掛けがしてあったのだが、それも役には立たなかったようだ。

 尽く努力の跡が水に流され、九郎もかなり苛立っていた。


「ようこしょ、ルクセンの使者殿よ。……案内板は読めませんでしたかな?」


 怒鳴り散らしたくなる気持ちを押さえ、九郎は重々しく口を開く。

 何度も練習しただけに完璧と思える所作で両手を広げ、勇者一行を出迎える。

 打ち合わせに無いセリフが出てしまったのは、それだけ苛立ちが激しかったからだろう。


「なんや、おーとったんか。馬鹿にしてんのかと思てたわ……」

「わ、罠としか思えなかったもんね……」


 扉を潜って姿を現したのは、身長160センチくらいの少年だった。少し陰気な感じもする、三白眼の黒髪の少年。小ばかにしたような口調で強気を見せるが少し驚いたような表情を見せている。

 その横には軽装の少女。こちらも軽口を叩いてはいるが髑髏の顔に慄いていた。


(なんでこっち来る奴は黒ずくめになりたがるんだ? ああ、暗殺者だったっけ……)


 黒い革鎧に身を包み、黒いズボンと黒いシャツ。黒いマントを身につけた真っ黒な装いの少年が『来訪者』、那須 龍二で間違いないだろう。と言うより男は彼しかいないので、間違えようも無い。

 龍二は、日本刀のようなものを片手に持ち、残った腕に小柄な少女を纏わりつかせていた。本人は面倒臭そうに顔を歪めているが、これが草食系男子というものだろうか。


「し、親切心からだったのだがね?」

「あんな葬式の看板みたいなんで、よーそれに従う思うたな?」

「…………くっ!」


 内から込み上げてくる怒りを抑えながら、九郎は奥歯を噛みしめる。分かりやすいよう、指のマークまで書いたのにお気に召さなかったようだ。


 既に彼らは使者と言う体面を放棄しているようにも見えていた。彼らがこれだけ暴虐武人に振る舞っているのだから、素を出しても良いかもと思い始めているが、それでもまだこちらから場を壊すわけにはいかない。

 こちらは王であちらは使者。完全に無礼なのはあちらの方だし、相手が挑発しているのが明らかだ。

 王の暗殺と言う指令を受けているのだから、その無礼さも当然なのかもしれない。


 しかしそれでも九郎からは彼らを害する事は出来ない。

 何故なら彼らは体面上他国の使者だからだ。


(思ってたよりも大変そうだぜぇ……)


 九郎は眼窩の落ち窪んだ眼で龍二たちを睨む。

 漫画と言うプロパガンダで、民衆は『魔族の国』と言うだけで戦争を仕掛ける機運を削がれている。

 だが目の前の使者の国、クーデターと言う荒れた手法で権力を手にしたルクセンの今の為政者達は、それを誤魔化す為他国との戦争を欲していた。

 だからこそ『勇者』を使者にしたてて、この国に遣わしていた。

 使者が帰らない。使者が傷ついて戻ってきた。どちらにしてもルクセンに戦争を仕掛ける口実を与えてしまう。相手の戦力を削れれば良し。もし万が一『勇者』一行が倒れても、戦争の火蓋を切る大義名分を得れる。


 がんじがらめに縛られたその手法は、アルム一の知恵者と呼ばれるルキフグテスさえ諸手を上げる策略だった。


(どっちみち一緒だったと思うケド……)


 九郎は一行を見下ろしながら心の中で呟く。


「貴様が魔王カクランティウスか……。成程、噂に違わぬ禍々しさよ……。先の勇者に倒されたと聞いていたが、やはり蘇っていたのだな」

「か、神は悪を許しませんっ! 邪悪な魔物の王よ、覚悟なさいませ!」


 長い金髪を後ろで三つ編みにし、銀の鎧を纏った背の高い美少女が九郎に剣を向けていた。

 それに続いて、神官服に身を包んだ巨乳の栗色の髪の美少女がメイスを構える。


(やりづれぇ……)


 情報は事前に聞かされていたので驚きはしないが、『勇者』那須 龍二のパーティは見事に黒一点のハーレムパーティだった。

 ハーレムを目指しているのに、男の方が多いパーティばかりだった九郎にしてみれば、なんとも羨ましい限りである。

 一時女性だらけの時分もあったが、あれはハーレムにはカウントされていない。レイアを除いてお子様ばかりのあの時は、ハーレムと言うより子守の気分だった。


「下がっときぃ……。アイツは俺がる……。雑魚は任せたでぇ……」


 龍二が刀を肩に胡乱気な視線を九郎に向けた。

 中々の主人公ぶりだ。九郎も心の中でガッツポーズをしている。

 どの道九郎は女性に手が出せない。色々な意味で。


「あ~んリュージカッコいい~!」

「任せておけ! こら、ピュッケ! 抜け駆けしようとするな!」

「リュージ様……頑張ってくださいですぅ……」


 うだつのあがらなそうな少年を取り囲み、キャイキャイと黄色い声をあげている一行を眺め、九郎は苦み走った表情を浮かべる。勿論骸骨の表情は変わりはしない。緊張感が足りないとも思ってしまうが、それだけ彼の実力を信頼しているのだろうか。

 本来なら羨ましさに「グギギ……」と歯噛みするところだが、この場に置いては、龍二に対する憐みの方が勝っていた。



 ――現在『勇者』と行動を共にしているのは、3人。ユーリ・モロ――この娘は赤蹄神殿の神官長の娘です。マリーシャ・バファル・エトランゼ――ルクセンと敵対している国の騎士団長の3女ですね。ピュッケ――これは偽名で本名は、プリム・ガイゼン。密売組織の元締めの養女のようです――


 ミスラから彼女達の情報を聞いた時、九郎は眩暈を覚えた。その時既に龍二に対して憐みの気持ちをもってしまっていた。彼を取り巻く少女達全てに、権力者達の息が掛かっていたからだ。


 ――傅く者に繁栄を――敵対者に没落を――。


 何度も耳にした『来訪者』の伝承は、権力者にとっては垂涎の的だった。

 九郎以外の『来訪者』は神々に招かれた・・・・・・・という性質上、多大な『魔力』を持っていた。どれだけ隠し通そうとしても、嫌が応にも目立ってしまうと言う。

 ただの実力者というだけでも、手に入れたい人材なのに、それに加えて『勇者の加護』まで受けられるのだ。権力者達であれば尚更、万が一敵対してしまえば酷い事になってしまう。


 見た目ハーレムパーティの『勇者』一行は、皆どこかの権力者たちが『来訪者』を手にしようと差し出した、糸の着いた美味しそうな生餌だった。


(ミスラさんとの婚約話も……やっぱそれだよなぁ……)


 今九郎が龍二に向ける憐みの視線は、自分に対しての自嘲も混じっていた。

 ルキフグテスやミスラが、あれ程必死に九郎を取り込もうとしていた訳。それに気付いた今の九郎の心は複雑だ。


(『加護』つっても自覚はねえし……第一カクさんと俺の仲があんだから、わざわざ婚約なんて餌で釣ろうとしなくても良かったんじゃね? いや、俺としちゃあ大歓迎なんだけどよぉ……)


 婚約に関しては九郎も十分疑っていたし、理由を知ってもそれほど落胆は無い。――とも言えなかった。

 どれだけ怪しいと感じていても、ミスラ程の美少女に「一目惚れ」とまで言われて、舞い上がらない男はいない。

 好意を向けられれば好意を返したくなるのが九郎であり、アルトリアの感涙を目にしているだけに、「ミスラは実は俺に好意を抱いてなかった」とも伝えにくい。


(とりあえず……少しはカッコ良いところを見せなくちゃな!)


 こういう時、自分が単純で良かったと九郎は自嘲する。

 結局切っ掛けがどうであれ、少しでも美少女とお近づきになれたのならそれでプラスと考える。

 女性に対しては常に前向き。一時は自分の異形さに殻に閉じこもった時期もあるが、そこで立ち止まる九郎では無い。

 特にシルヴィアと言う恋人が待ってくれていると考えると、どんどん力が湧いてくる。

 誰か一人でも自分を好きになってくれたと言うその事実があれば、九郎は諦めずに前を向ける。


「いきなり剣を向けるとは、使者とは嘘だったのかね?」

「使者やで……。『魔王』を退治しにきたな……」

「キャーリュージ! カッコいいー!」

「流石私が見こんだ男!」「ず、ずるいです! 私が先ですぅ」


 気持ちを切り替え九郎は茶番の続きを再開する。

 今自分がするべきことを考え、全力で当たるだけだ。

 龍二が中々気障なセリフを返して来る。少し外野が五月蠅い気がする。


「我が国には貴国に退治されるいわれは無いが?」

「別にいわれとか関係ないやん。どいつもこいつも悪もんばっかや。ほんならちょっとでも自分に得な方に着かな損やろ?」


 龍二はどこか冷めた口調で答えてくる。『来訪者』の『加護』を求めて集って来た為政者の欲に、気が付いているような口ぶりだ。


「出会って即座に悪と言われるほど、このカクランティウスは非道ではないぞ?」

「だ、騙されるな! そんな顔してる奴が悪でない訳ないだろう!」

「そーです! 人類の敵ですぅ!」


 騎士風の少女と神官服の少女の言葉に九郎は少しムッとした。

 今の見た目に関係無く、九郎はカクランティウスを悪とは思っていない。尊敬できる人物だ。

 信念の元に人も殺すし冷酷な部分はあるが、彼は自分の為には剣を振らない。そして誰かの為に振るった剣の罪は、自分で背負うと決めている。それは雄一や四織には見られなかった、命に対する真摯さを伺わせるものだ。


「正義とか悪とか……くだらない……」


 九郎は本心から言葉を吐き捨てる。


「そんなあやふやなもんで、他国の王様を殺そうとすんのかよ? 使者を騙った暗殺者を送り込んで来るそちらの国は正義だってか? はっ! ちゃんちゃらおかしいぜ!」


 茶番を続けようとしていた九郎だったが、髑髏の顔と言うだけで人類の敵とまで言われて頭に来た。

 もう『勇者』達一行は戦闘の準備に入っている。

 もとから一方的に攻める切っ掛けを探していたに過ぎない一行を見渡し、素に戻ってしまった九郎が大上段に啖呵を切る。


「こっちが手出し出来ねえと思って、言いたい放題言ってくれんじゃねえか? ああ、その通りだぜ? 俺は一切手を出すつもりはねえ! だがよぉ……」


 九郎は残忍な笑みを浮かべて両手を広げる。

 口調はいつの間にか元に戻ってしまっていたが、『魔王』のフリは止めていない。


 殺すことは出来ない。使者が戻らなければ戦争の切っ掛けを作ってしまうし、もとより九郎には人を殺すつもりが無い。

 単に逃げ帰らせるだけではいけない。あることないこと伝えられて、これも戦争の火種になり得る。


 ならばどうするか。

 簡単だ。心を屈服させればいい。

 どんなことをしても死なない。何をしても無駄だと心に刻みつければ良い。

 カクランティウスと言う『魔王』がいたからこそ、この国は平和でいられたのだと聞いていた。

 ならば、そのカクランティウスと言う『魔王』が、どんな事をしても死なない規格外の生物だと知らしめてやろう。カクランティウスも『不死系魔族』である『吸血鬼ヴァンピール』だが、それ以上の不死性を見せてやると、九郎は息巻く。


「お前等は……この『魔王』カクランティニュ……何もしねえ俺に一方的に負けて、泣かされんだよ!」


 九郎がノリノリでマントをはためかせた。噛んだことは勢いで誤魔化す。

『勇者』一行が構えを取る。九郎の大声に合わせて鎧がガチャガチャ音を立てる。


「ククククク……。『不死の魔王』の恐ろしさ、その身に刻むが良い!」


 もう修正不可能なくらいに素を曝け出してしまったような気もするが、勢いづいた九郎はこのセリフだけはと格好を付ける。自分の中で一番魔王っぽい仕草を大真面目に装う。

 龍二が前に一歩踏み出す。


「騎士達は我々に任せろ! リュージは『魔王』を!」


 思った通り、少女達は並んだ騎士と相対する様子だ。

 心の中で悪い顔をしながら九郎が一歩踏み出し――龍二のセリフにつんのめった。


「ステータス!! オープン!!」

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