第225話  偽の魔王


「……ヘタレ」

「うっせえ……」


 リオにジト目で見詰められ、九郎は眉に皺を刻む。

 この娘だけには言われたくない気がしていたが、今は何も言い返せない。


「クロウが溜まり過ぎておかしくなっちゃったぁぁぁぁ……」

「なってねえよ!?」

「だってミスラちゃんがシテ良いってなったら4人じゃん……。もう少しでボクの夢が叶うと思ったのに……」

「おいっ!? いったい誰をカウントしたっ!?」


 九郎の膝でアルトリアがめそめそしていた。朝食も喉を通らなかったアルトリアは、あれからずっと落ち込んでいる。いつもなら発情しても可笑しく無い九郎の膝枕を、今は涙で濡らしていた。

 九郎が返事を先延ばしにしたことが余程ショックだったらしい。


「んで、どーするつもりなんだよ?」


 リオが怪訝そうに九郎に尋ねる。フォルテはそんなリオと九郎を見上げながら、ハラハラとした表情を浮かべている。今いる場所は九郎の部屋で間違いないのだが、ここのところ姉弟は自分の部屋のように九郎の部屋に出入りしていた。


 何故なら彼女達に与えられた部屋もここと同じくらい豪華だったからだ。

 領主の愛妾だった時期があるフォルテはともかく、人生の殆んどを最底辺で過ごしてきたリオには、かなり居心地が悪いらしい。九郎ももともとが小市民なので、その気持ちは痛いほど良く分かる。

 最初はテンションも上がった豪華な部屋も、3日も住むと肩が凝る。

 僅かな汚れも気にしてしまうし、動く時にも細心の注意を払ってしまう。壊してしまっても気にするなとカクランティウスは言ってくれていたが、そういう問題では無い。

 長年培われた小市民魂は、高そうな物が近くにある、ただそれだけで緊張を生むのだ。

 ただ、フォルテはともかくリオは、「クロウの部屋なら汚しても叱られない」と思っていそうな気配がするのが、何とも言えない気持ちにさせる。


「どうってそりゃ、こういう話は親御さんを含めて……」


 リオの問いに九郎は弱り顔で頭を掻く。

 突然婚約を進められそうになりヘタレてしまった九郎だが、別にミスラが嫌いな訳では無い。

 あれ程の美少女に言い寄られれば当然嬉しいに決まっている。容姿で選べる立場には無いし、ストライクゾーンはかなり広いと評されていた九郎だが、愛してくれる女性ひとが美少女であるのに越した事は無い。


 しかしミスラがカクランティウスの娘と言うことで、心の中にブレーキがあることも確かなことだった

 彼が知らない間に娘の結婚が決められたと知ったのなら、いったい彼はどう思うだろう。

 あれほど名残惜しそうに旅立ったカクランティウスの事を思うと、あの場で頷くのは躊躇われていた。


(まあ、ヘタレたっつーのも確かだけどよぉ……)


 正直に言うと、惜しいと思う気持ちもある。

 しかし同時にあの場で美人に見境なく飛びつくのは格好悪いとも思っていた。少し見栄を張った部分もあったのかと、あの時の自分の感情を今になって分析しながら、九郎は感情の整理を行う。


(別の時なら良かったんだがなぁ……)


 ミスラが一目惚れしたと言っていたが、それなら報酬の話とセットである必要が無い。あの話で婚約の話が出て来たのは、やはり国家の危機に身を捧げようとしていたのではないか。

 冷静になってから考えてみると、その可能性は捨てきれない。


(見合い結婚に愛がねえとは言わねえが、やっぱ気持ちは確かめねえとなっ!)


 彼女の真意がどこにあるのか分からないままでは、娶る娶らないの話は出来ないだろうと、九郎は自分を納得させる。既にかなり前向きに検討中なのが、女好きの面目躍如と言えるだろう。


「じゃなくってよぉ……」

「ん?」


 ふと九郎が顔をあげると、リオが呆れたような視線を投げかけて来ていた。

 どこか心配げにも感じるリオの表情に九郎が首を捻る。そして続けられた言葉に大きく口を開いて喉の奥から声を漏らす。


「なん………」


 九郎の背中からは大量の汗が吹き出し、今更ながらにことの重大さに恐れを抱いていた。自分の声が他人の声のように耳に響く。そのさらに耳の奥、頭の中でリオの冷めた声がいつまでも反響を繰り返していた。


 ――クロウ、お前、王様の代わりをするんだろ? 出来んのかよ? ――



☠ ☠ ☠



「と言う訳で、俺を王様に仕立てる会議~!」

「一応仕事中なんですがねぇ……」

「ミミズを竜に見せようなんざ、どんだけ考えても無理だろう……」


 場所は変わらず九郎の部屋。ベッドの上には座り切れず、ふかふかの絨毯の上に車座に座った面々を見渡し、九郎が立ち上がって音頭をとる。

 アルフォスとベーテが顔を見合わせ、口々に文句を言ってきていた。


「はいっ! そこ五月蠅い! 王子様達からおめえらは自由にして良いって言われてんだよ! ですよね? ルキさん」

「水臭いですよ、クロウ殿。兄と呼んで貰っても構いません」

「私はベガと呼び捨ててください。義妹ならともかく、男にお兄ちゃんと呼ばれるのは趣味じゃありませんので」

「自由に……。ええ、でもそう言いながら自由にされるのは……いえ、何でもありませんわ! クロウ様、わたくしの事もミスラと呼び捨てでお願いします……。これから夫婦めおとになるのですもの」

「では意見をお願いしゃっす!」


 王族なのに床に座るの躊躇わなかった王子達が口々に言って来る。

 何故か彼らは九郎から言質を取ろうとしているようだが、そこに触れずに九郎は話を進める。


 自分が引き受けた役柄がとんでもない役だった事に気付いた九郎は、慌てて王子達に相談を持ちかけていた。


 使者としてこの国に来る『勇者』と言う名の暗殺者。そこに身を晒す事には何の心配もしていなかった九郎だが、国の代表として他国の代表に会うと言う根本的な問題には大いに狼狽えてしまっていた。

 カクランティウスの代わりを務めると言う重要事項がすっぽり抜け落ちてしまっていたのは、王子達の突飛な提案があったからだと、九郎は心の中で言訳している。

 その前から何も考えずに引き受けていた過去からは目を逸らしていた。


「身長はあまり変わらないって言うかクロウの方が高いよね?」


 先程まで落ち込んでいたアルトリアが、さっそく意見を述べた。

 九郎がルキフグテスの提案を棚上げしたことで落胆していたが、ミスラのセリフにすっかり元気を取り戻した様子だ。現金なものだと九郎は感じて苦笑する。


「その辺はどうすっかねぇ? 削っとくか?」

「ん~……。背骨の1、2個抜いとけばいいんじゃないかな~?」


『不死者』二人が早速とんでもない会話を繰り広げる。体の損傷に何の痛痒も覚えない二人の会話は、だいたいいつもこんな感じだ。


「ガタイが問題だろ? どう考えても陛下とクロウじゃ目方がちげえよ」


 それに慣れているベーテが、遠慮なく思った事を口にする。どうにも九郎がカクランティウスに扮する事にも、複雑な思いがあるようだ。


「でも、今のカクランティウス様も昼間は骨ですよ? 鎧でも着れば問題無いのでは?」

「お、そりゃ確かに! どの道今後の式典があったとしてもカクさん鎧だろうし、それで決定だな」


 フォルテがすかさずベーテの意見に解決策を提案した。九郎達から見ればカクランティウスはスケルトンの認識が強い。と言うよりは、スケルトン状態のインパクトが強すぎて、人の姿の彼が思い浮かべにくいのだ。この国に入る以前は夜間もスケルトンのままだったので、フォルテとしてはカクランティウスイコール骨の認識で固まってしまっているのかも知れない。王子達の表情が若干引きつっているが、それは仕方が無い事だろう。


「髪の毛はカツラで良いよね? もともとカクさん焦げ茶色だしこのままでもいいかなーとも思うんだけど」

「髭はどうしましょう? これも付け髭で良いでしょうか?」


 次々と飛び交う意見に、九郎は内心安堵の溜息を吐き出す。


(一時はどうしようかと思ってたけど、なんとかなりそうだよな!)


 あまりに狼狽えすぎて王子達まで呼び寄せてしまったが、どうにかなりそうだと九郎が思ったその時、ずっと口を噤んでいたリオがボソッと呟く。


「……威厳が足りねえ……」


 それに続いてアルフォスが眼鏡を押し上げながら肩を竦める。


「あと、知性も感じられません。いくら成りを取り繕ったところで、クロウから滲み出る下っ端ぽさが問題です」


 その言葉に部屋の中がシーンと静まり返っていた。誰もがそこからは目を逸らしていたと言わんばかりの反応に、九郎は愕然と膝を付く。


 やれると思いかけていた。ガワだけなんとかしてしまえば、後は流れとアドリブで何とかなると思いかけていた。カクランティウスは自分に似たところがあると感じていただけに、二人の放った言葉の一撃は九郎の胸に深く突き刺さった。


 そして九郎も思ってしまった。カツラを付け口髭を生やし、立派な鎧を着ていても、客観的に見てどうしてもショボサが拭いきれない気がしてしまった。

 ひょうきんな部分もあり親しみやすさを感じさせるカクランティウスだが、その滲み出る王者の風格は別格だ。ただ立っているだけで頼りになりそうな強者の雰囲気と、畏怖堂々とした立ち居振る舞いは一朝一夕に身に着くものでは無い。


 王子達も流石にそこまでは考えていなかったのだろう。

 どうしようかと顔を見合わせ、変装した九郎を思い浮かべて微妙な眉の形を作っている。

 その何とも言えない空気は、このおチャラケた雰囲気を醸し出す男を、どのように作り替えれば威厳が出るのか方法が浮かばないと言っているも同然だった。


「そこを何とかっ!」


 周囲を見渡し、妙案を強請る九郎の視線に皆が視線を逸らして行く。

 両膝と両手を床に着き、ガックリ項垂れた九郎の肩にその時優しく手が置かれた。


「アルト……」

 

 九郎の嫁取りに並々ならぬ意欲を燃やしていたアルトリアだった。

 アルトリアの表情は真剣そのものだ。何か妙案でもあるのだろうかと、九郎が訪ねようとした瞬間、アルトリアがスカートを捲り上げ顔の上に被さった。


「おふぃ!?」


 九郎が目を見開く。

 黒くはあるが少し透けた素材のアルトリアのスカートが覆いかぶさり、驚いた九郎は暗がりの中で目を凝らす。

 アルトリアのスカートの中に首を突っ込んだ九郎の目の前には、扇情的な光景が広がって――はいなかった。

 白く柔らかそうな太腿はそこに無く、代わり黒く小さな虫の目が九郎を待ち構えていた。


「あだだだっ!」


 アルトリアの太腿に挟まれて九郎が悲鳴を上げる。耳にギチギチと聞き覚えのある鳴き声が響き、皮膚がチクチク啄ばまれる。


「あんっ……息吹きかけないでっ! エッチな気分になっちゃうでしょっ!」


 アルトリアが怒ったように声をあげる。真剣な表情をしていたのは、発情しないように気を張っていたからだろう。

 だんだん痛みに慣れてきた九郎は、アルトリアがしようとした事を理解して体から湧き上がる『再生』の粒子を押し止める。


(くしゃみ我慢してるみてえになんだよな……)


 体が『再生』しようとするのを押し止めるのにも慣れて来ていたが、元に戻ろうとする意識を止めるのにはコツがいる。耳元で五月蠅く鳴っていた音が止んだことを確認し、九郎がアルトリアのスカートから顔を出す。


「先に言ってくれよ……。発情したらどうすんだよ」

「大丈夫だもん! ボクだって空気くらい読むさ」

「アルトじゃなくって俺の方がだよっ!」


 突然アルトリアが取った破廉恥な行動に目を丸くしていた王族たちが、一様に息を飲んで固まっていた。

 それを見渡しアルトリアがドヤ顔で言い放つ。


「これならどう? カクさんそっくりでしょ? 『魔王』だったらこれくらいしても良さそうじゃない?」

「そう……ですわね……ね、ねえ? お兄様?」

「……流行って……いるのだ……ろうか?」


 アルトリアの言葉に引きつった声が帰って来る。どうやらアルトリアの空気を読む力はまだまだだったようだ。九郎は渋面して眉を下げた。

 ――その顔には下げる眉はもとより、肉も存在していなかった。



☠ ☠ ☠



 ルクセン王国。現在はルクセン共和国と名前を変えた、ケテルリア大陸随一の宗教国家。

 東に『魔族の国』アルムを臨み、人族の国々からは対『魔族』の橋頭保と考えられているその国家の片隅。森を開拓して出来た小さな村で、ただ一軒の宿の2階の扉が数度のノックの音を立てた。


「なんや……」

「リュージ様……あの……これお父様から……」


 部屋の中から人の声が聞えた事で、木造の扉を開けて栗色の髪の少女がおずおず顔を出す。

 虫も殺せ無いような弱々しい表情だが、整った容姿の美しい少女だった。

 遠慮がちに上目使いで見て来る美少女には、世の男の殆んどが庇護欲を掻き立てられることだろう。


「ん……」


 しかし背の低い黒髪の少年は、不機嫌さをこれでもかと言う程表し少女の手から手紙をひったくる。


「あ……あのっ……。後少しで平和に成りますよね?」

「知らんわ! はよ出てけやっ!」


 扉の向こうから不安げな声を出す少女に、少年は苛立ったように扉を蹴った。

 元から部屋の中には足を踏み入れていなかった少女が、ビクッと身を竦めると同時に大きな音をたてて扉が閉まる。


「……チッ!」


 夕闇に薄暗くなりはじめた部屋の中で、少年が一人佇み舌打ちする。

 少年は忌々しそうに顔を歪めたまま、乱暴に手紙の封を破ると、目を走らせた。

 書き出しは大仰な言い回しと、辟易するような神の賛美が綴られているだけなので読む気も起きない。

 何故この世界のお偉方は、一言で済む文面をこれほど遠回しに言いたがるのだろう……。何度も不思議に思ったその感情は、もう諦めの域に入っていた。


 少年は手紙の最期の行だけ読むと、苛立たしげにクシャクシャと丸め床に放り投げる。

 そして疲れたように体をベッドに投げ出し、天井を睨んで呟く。


「何が世界の平和の為じゃっ、あの狸親父がっ!」


 少年の苛立ちは最高潮に達していた。

 当初この地に舞い降りた時の不安も期待も、もうどこにもありはしない。人の欲と弱さと傲慢さと、嫌なものが数多く混じった醜い世界があるだけだ。


「世の中クソゲーは変わらんなぁ……」


 少年は右手を天井に掲げ、胡乱気な瞳で見つめる。

 目がチカチカする感覚と共に視界の奥に文字が表れる。


リュウジ・ナス

 勇者 来訪者 日本人 

 16歳 男

 レベル 89

 HP   15(+990)

 MP 1480

 筋力   12(+223)

 敏捷   10(+148)

 体力   13(+337)

 知力   20

 魔力 2237 


 魔法 赤Lv10

    緑Lv10

    青Lv10


 健康状態 良好



 ずらずらと流れていく文字を追いながら、少年が歪に口の端をいびつにゆがめる。

 そしてボソリと独り言ちる。


「陰キャがナンボ無双しても、ラノベみたいになるわけ無いやん……」


 歪められた少年の表情は、寂寞と愉悦の混じったなんとも言えないものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る