第222話  平和な国


「で、では行ってくる……」

「ああ……。カクさんもまあ……あんまり気落ちしねえ方が……」

「あまり持て成しも出来ず城を空ける事になってしまったが、城の者にはとく持て成すよう言ってある。くつろいでもらいたい」

「じゅーぶんっす! 部屋貸してもらっただけでも十分っすよ!」


 馬に跨ったカクランティウスを見上げ、九郎は引きつった笑みを浮かべた。


 城に帰還したカクランティウスは、国民に無事を知らせる為、これからしばらく国内を回らなければならないそうだ。アルムも小さな国とは言え、ペテルの街だけに人がいる訳では無い。

 最大の武力にして、国作りの英雄。50年間も国を留守にしていただけに、国民の不安をできるだけ早く払拭しなければならなかった。


(大丈夫かねぇ……)


 九郎は多くの騎士が並ぶ中に戻って行くカクランティウスの背中を眺め、口の端を歪める。

 哀愁すら漂わせるその背中は、華々しい凱旋には似つかわしくない雰囲気を纏っているようにも見えていた。


 娘の放った一言は、それはそれはショックの一言に尽きたのだろう。

 漫画などでは時折見る表現だが、それを実演されるとは思ってもいなかった。嫁の雷同様、どうにもここの王族は比喩が比喩になっていない。

 ミスラの言葉に、カクランティウスが固まったと思った次の瞬間、彼の顔はザッと塵になって崩れていた。

 余りのショックに、顔を留めていた魔力を緩めてしまったのだろう。いつもの見慣れた髑髏の顔に、王妃達が悲鳴を上げなかったのはせめてもの救いだったに違いない。娘に忘れられ、妻達からも恐れられていたら、彼は立ち直れなかったのではなかろうか。

 元から異形の姿が多い魔族だからこそ、驚きの幅が少なかったのだろうと、アルフォスは分析していたが、あの一瞬強張った後の王妃達の顔は、呆れも混じっていたように感じる。

 あの目は九郎も良く知っている。「ああ、お前ならありえるだろうよ」という、冒険者時代の仲間達の目にそっくりだった。カクランティウスと自分は、同じ『不死者』として似たところがあるのかも知れない。


「では子供達よ! 留守を頼んだぞ!」

「陛下、お任せください」

「私達はもう子供ではありませんよ? 陛下の留守、しっかり勤めさせて頂きます」

「お父様、お気をつけて……」


 名残惜しそうにカクランティウスが振り返ると、王子達がそれに答える。

 今回の凱旋行脚に着いて行くのは、カクランティウスの妻二人と近衛の兵士達だ。

 虐げられていた『魔族』達の国アルムは、民と国が一丸になって外敵に当たらなければならなかった背景があり、国内はかなり平和だと聞いていた。反乱や一揆の心配も無く、カクランティウスも国民に絶大な人気があるようなので、警護は形だけのもののようだ。

 それに「王妃二人が付いているから」と王子達も言っていた。

 驚くべきことに、カクランティウスの妻の二人は、それぞれがカクランティウスに次ぐ実力を持っているとの事だった。力が物を言う世界に於いて王族トップが実力でもトップに立つ事は、それほど可笑しい事でも無いのかも知れないが、馬車に淑やかに座っている二人の王妃を見て、彼女達が一騎当千の実力者だとは、帰還時の一幕を見ていなければ九郎も信じられなかっただろう。


「では出発する!」


 成長した子供達の頼もしい答えを聞いて、カクランティウスは感慨深そうに眼を細め、思いを振り払うように号令をかける。帰還時と同じく金管のファンファーレが鳴り響き、先導する騎士が槍を掲げる。


(王様ってのも大変なんだなぁ……)


 やっと出会えた子供達と直ぐに離れなければならなくなったカクランティウス。父親としての感情を振り払うかのように大声を上げたカクランティウスの背中を、九郎は哀愁と共に見送る。


 ――吾輩は父でもあるが、王でもあるからな……――


 凱旋行脚が決まった時、カクランティウスが溢した呟きには、国を背負う男の責任の重さが滲み出ていたような気がしていた。



☠ ☠ ☠



 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!

 ぐひゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!


 ポカポカとした秋晴れの陽気。気持ちのいい穏やかな風。怖気の走る絶叫が木霊していなければ、なんとも平和な光景だろう。


「お? こいつぁ太りすぎじゃね? ミシュ〇ンのアレみてえ……」


 風景とは似つかわしくないBGMを聞きながら、九郎は暢気に一人言ちる。

 その手にはねじくれた大根を思わせる白い根菜が握られていた。



 城での生活も早や5日。

 持て成されるだけの生活に耐えられなくなった九郎は、のんびりとした農作業に精を出していた。

 カクランティウスをアルムへと送り届けた後は、すぐさまシルヴィアのいるハーブス大陸に飛んでいきたいところだったのだが、思わぬ足止めを食う事になっていた。


(急がば回れって言うしな……)


 このケテルリア大陸からハーブス大陸に渡るには、船が必要不可欠だった。

 だが今の季節は潮の流れや風の関係で船が出ていなかった。九郎一人の旅だったのなら、「もう待ちきれねえ」と泳いででも向かったのだろうが、今はそう言う訳にも行かない。

 アルトリアはともかく、リオやフォルテは『不死』では無い。道中の危険も考えると、「船が出る2ヶ月先まで待った方が良い」との言葉にも頷くしか他無かった。


 だがいきなり時間が出来た事で、今度は居た堪れなくなってきた。

 何もしなくても出てくる豪華な食事。洗濯も掃除もメイド達がしてくれて、動かなくても何不自由なく暮らしていける生活に、心が先に根を上げた。

 もとから落ち着きのない性格だったことや、そもそも小市民以下の生活に慣れ切っていた九郎にしてみれば、居心地悪い事この上なかった。


 サクラと過ごしていた頃、ニートのような生活をしていた時でさえ、日々することはあった。

 主にサクラや兄弟達の遊び相手であったが、何百といる子供達の相手は中々に忙しかった。日々保育士のような生活をしていた頃の方が、よっぽど一日の時間が早く感じる。


 働かないで食う飯は美味いか? との心の声に、九郎は居ても立ってもおられず、「父上の恩人を働かせるのは……」と渋るルキフグテスに頼み込んで、やっと仕事にあり付いたと言う訳だった。




「ふ~んふふ~ん」


 鼻歌を歌いながら、九郎は手近な一本の植物を手に取り、おざなりに引き抜く。


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!


 壮絶な悲鳴があがる。


 マンドラゴラ――アルム公国特産の魔力を含んだ多年草。巨大なタンポポのような花の下に、人型の大根のような根を持つ植物である。魔力を多く含むため、魔力回復の治療薬ポーションの材料になるらしい。ちなみに食べても美味しい。高級食材らしく、何度か食卓に上っていた。

 ただマンドラゴラは、収穫が難しい植物でもあった。

 この人に似た形を持つ植物を引き抜くと、阿鼻叫喚の悲鳴のような音を出す。それが耳にはいると、恐慌や錯乱、悪くすれば死ぬ事すらありえるとの話だった。普段なら魔物や家畜を使って収穫していたらしい。


 だが『不死者』である九郎にすれば大根の収穫と何ら違いは無い。何度か死んだが、慣れてしまえば問題無かった。


 九郎がルキフグテスから貰った仕事は、その危険極まりない植物の収穫だった。

『フロウフシ』を彼に明かした記憶は無いが、カクランティウスから聞いていたのだろう。

 不死の九郎にしてみれば、ピッタリの仕事と言える。


(まったくだ~れが「不労不死」だっ! ベーテの野郎……上手いこと言ったみてえな顔しやがって……)


 左団扇な生活に耐えられなくなったのは、なにも九郎一人では無かった。

 元奴隷の面々は、2日目には根を上げて早々と仕事を割り振って貰っていた。

 働いていないと不安になるのは、彼らも同じだったようだ。『休み』と言う単語すら知らない彼らも、充分ワーカーホリックと言える。

 ルキフグテスにしてみれば九郎は父親の恩人だが、その他はまた別なのだろう。特にアルフォスとベーテはカクランティウスに付いて来ていた身であり、遠慮なく使って欲しいと自ら願い出ていた。

 九郎は暇そうにしていた自分をからかって来たベーテを思い出して、眉に皺を刻む。


(くそっ! あいつら上手いことやりやがって! イケメンどもめ!)


 アルフォスとベーテの二人が得た仕事は、あの驚きの美少女、カクランティウスの娘ミスラの部下だった。情報を取り扱う部署の長を務めていると言うミスラの引き抜きで、彼らは今や王女の従者だ。

 翼を持つ彼らは、元々諜報活動を主な仕事としていた為か、情報部の適性が高い。従者としての能力も申し分なかった彼らにしてみれば、天職とも言えるだろう。

 ただまたもや美少女を持って行かれたようで、九郎としては面白くない。美少女の部下と言う言葉には、なにやら甘美な響きがある。農作業も悪くは無いが――と九郎は自分を慰める。


(リオやフォルテは大丈夫かねぇ……。失礼ぶっこいて無きゃいいケド……)


 ささくれた精神の安定を図ろうと、九郎はリオ達に思いを馳せる。

 フォルテはともかくがさつなリオが、城の仕事にテンパっている光景が目に浮かんだ。

 彼女達はここに留まる意思は無く、九郎に付いてくることを望んでいるので、情報部のような要職には就く事は出来ない。なので細々とした城の雑用などを任されていた。

 器用そうなフォルテは良いが、リオがどれほど有能なのかは未だに未知数だ。

 だが、道中を思い出すと口が悪いのと男性恐怖症を患っている事を除けば、リオもよく働く娘だ。生まれながらの奴隷であった彼女達は、有能だったからこそ生き延びれたと言う側面があるのだろう。


 それを考え九郎が複雑な心境に顔を歪めたその時、長閑な景観にそぐわないセリフが聞えた。


「クロウ~! 見て見て! おちん――」

「小学生かっ! 真昼間から何言ってやがるっ! アルトがここにいんのは内緒なんだから、もうちっと静かにしろって」


 輝かんばかりの笑顔で駆け寄ってきていたアルトリアに、九郎は赤面しつつたしなめる。

 小市民なのは彼女も同じだ。九郎達と同じく仕事を欲しがったアルトリアだったのだが、こと彼女に関してだけは、慎重にしなければならない理由があった。アルトリアは、リオ達と同じように城の中で働かせるには少々危ない存在だ。


 屈託のない笑みを浮かべるこの娘が、容易く国を滅ぼしてしまえる伝説のアンデッド『魔死霊ワイト』であると言う事実は、決してばらしてはいけないとカクランティウスからきつく口止めされていた。

 どれだけ九郎やカクランティウスが「今は安全」と言っても、『魔死霊ワイト』が本来、触れるだけで命を吸い取る災害級の化物であることは変わらない。国内に紛れ込んでいると知れたら、民衆も不安を抱くと言われれば納得できる話である。


「なんだかコレ……クロウのに似て無~い?」

「だから何でアルトは俺のをそこまで覚えてんだよ!? って、吸い取ってる! おい!? 俺のそっくりさんが萎びちまってんぞ!?」


 アルトリアがトロンとした目つきで、マンドラゴラと九郎の股間を見比べる。

 途端にその手に持ったマンドラゴラが、しおしおと枯れ始め、同時にアルトリアに渡してあった九郎の欠片から、何かがどんどん吸われていく。


(これがあっからカクさんも秘密にしたがったんだろうなぁ……)


 九郎は渋面しながらアルトリアをジト目で眺める。

 彼女は九郎の欠片を持つため、村を出てから一人の命も奪っていない。だが、それでも安全と言いきれないのはコレがある為だ。他者から『生命力』を求め続ける『魔死霊ワイト』の特性は、彼女が発情すると際限が無い。


「ああ!? ボクのオカズが!」

「どっちの意味で言ってんだっ!? ほら!」


 萎れたマンドラゴラを片手にアルトリアがしょんぼり肩を落としていた。

 このところ部屋が別々の事もあって、彼女は色々溜まっている様子だ。同衾できなくなって、欲求不満が溜まっていると彼女はますます危険な存在になってしまう。

 頭を掻いて九郎は両手を広げる。


「? わ~いっ!」


 アルトリアが手を広げた九郎を見て、途端に顔を破顔させ抱きついてくる。

 彼女は人との触れ合いをずっと求め続けていた為、人の温もりを得れば安心する。

 やり過ぎると逆効果だが、エロ大根で発情し始めた彼女は、結構危険な所まで来ているのかも知れないと、九郎はアルトリアのストレス発散の為に体を差し出した。下心は自分自身に返って来るので、今のところ持ってはいない。


「発情はすんなよ? したら終了だかんな!?」

「うん……。わかった……。善処する……」


 神妙な顔で頷き抱きついてくるアルトリアの体の柔らかさに、血が一点に集まるのを自覚しながら九郎は必死でそれに抗う。脂汗がだらだら流れる。


「ッ! ここまで! お終いっ!」


 ひと時の抱擁を終えて、九郎は慌てて体を離す。

 アルトリアは不満顔だが、指を咥えながらも何も言わない。これ以上抱き合っていると、再び発情に抑えが効かなくなることを自覚しているのだろう。

 それ以上にこのまま続けると、九郎が気絶してしまうと考えているのかも知れない。


「満タンなったろ?」

「溜まってるからこうなっちゃうのに……。クロウのソレだって……そうでしょ? でもちょっと紛れたかな? ありがとっ」


 アルトリアは柔和な笑みを浮かべて九郎の股間を一瞥すると、再び作業に戻って行った。

 それを見送り九郎は真面目な顔でしゃがみ込む。


「俺はちゅーぼーかよっ!?」


 いくらアルトリアの体がエロくても、抱き合っただけ勃ってしまった自分に、情けなさが込み上げていた。

 アルトリアに「発情するな」と言っておきながら、自分が先に根をあげたという事実に立つ瀬が無い。

 思春期の少年でも無いのに、抱き合っただけで滾ってしまった自分自身を見下ろし、九郎は羞恥に顔を歪める。

 欲求不満が危険水準まで来ているのは、アルトリアだけでは無かったようだ。


 九郎は大きな溜息を吐きだしながら、おざなりに手元の植物を引き抜く。

 

 あああああああああああああああああっ!!!!


(このエロ大根……なんだかシルヴィに似てんなぁ……)


 マンドラゴラの悲痛な叫び声は、九郎の心の叫びを代弁しているかのようだった。

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