第220話  カクランティウスの帰郷


 燦々と輝く太陽に大きな影が掛かる。

 たなびく雲に紛れて姿を表した大きな影に、フォルテが気が付き空を指さす。


「クロウさん。またレッドドラゴンですよ」

「おお……。今度は結構でっけえな」


 うざったそうに天を見上げて九郎が溢す。太陽の光を反射して、キラキラと黄金色に輝く大きな竜の姿も、この山では日常風景の一つだ。


 出会い頭のビンタを喰らったのはもう何日も前。火竜山の名の通り、この山は多くのレッドドラゴンが生息していた。何度か襲われもしていたが、冷気を異様に怖がる巨獣はそれほど脅威とはならなかった。


「あ、旋回しだしました!」


 何度も襲われていればその生態も分かってくる。レッドドラゴンはトンビよろしく上空を旋回し、獲物を見つけて襲い掛かる生き物だった。平野でばらばらになっていれば脅威は増しそうだが、一塊になっていれば、いきなり誰かが連れ去られるような事にはまずならない。ただ山道を進んでいるだけに、やり過ごす事も難しい。近場に洞窟でも空いていれば、潜む事も出来るのだが、そうそう都合よくは行かない。


 だが一行の中に慌てるような者は、もういなかった。


「吾輩ガ仕留メルカ?」


 カクランティウスがカタカタ骨を鳴らして尋ねてくる。

 人の目も気にすることの無い今、カクランティウスはずっとスケルトンの姿をしていた。重い鎧も着る必要が無く、どこか解放された感が感じられる。いや、実際問題解放されているのだろう。重い鎧どころか全てを曝け出している今のカクランティウスは、一言で言うのなら変態だった。

 スケルトンの姿だから、揺れる局部も見当たらず、卑猥な感じは何一つしないのだが、完全に変態だった。火竜山は常時熱が籠って蒸し暑く、カクランティウス以外の面々も上半身裸だったり、踊り子スタイルだったりするが、彼は服どころか肉まで脱ぎ捨てた究極の変態ストリッパーと言えよう。

 一行の中で普段と格好が変わらないのが、色欲魔人のアルトリアだと言うのが何とも世の無常を表しているようにも感じられる。だが、一行の安心はこの変態カクランティウスがいるからこそとも言えていた。


 最初の邂逅の後も、何度もドラゴンに襲われていた九郎達一行だったが、やり過ごせない場合は殆んどカクランティウス一人で仕留めていた。九郎のように退けるのではなく、完全に圧倒してである。

 今は解放感に浮かれているようにも見える紫色のスケルトンが、魔王の名を冠するにふさわしい実力者である事を、九郎達は改めて認識させられていた。ベーテやアルフォスを一瞬で沈黙させた剣技だけでなく、その魔法も、またすさまじい威力を持っていたである。


 黄の魔法――所謂土の魔法は、極めると重力すらも操ると言う。ベーテを地面に叩き落としたカクランティウスの魔法『引き寄せる大地トラヒア・ソロム』。山に入ってからは人の目を気にする必要が無くなり、夜間も魔力を蓄積させる事に注力できたのが大きいのか、その威力は、空飛ぶ巨大な肉食大蜥蜴を一撃で屠る強力なものになっていた。


「でもこれ以上食べきれないよ~?」


 カクランティウスが天に向かって腕を構えたところに、アルトリアの待ったがかかる。


「イヤイヤ、命ヲ大事ニシヨウト思ウ貴殿ラノ考エモ分カルガナ?」


 カクランティウスは呆れたように肩を竦める。

 九郎とアルトリア、二人の不死者の中で決められた一つの決まりごと。出来る限り殺した生物を食べようとする、命を摘み取る側のせめてもの供養と責任。山を登る時は、九郎一人で担げていた大荷物が、いまやアルトリアも荷物を持たなければならないまでになっていた。アルトリアは背中に担いだドラゴンの半身を掲げて、首を傾げる仕草をしている。

 人外の膂力を持つ九郎以上に、彼女の力は凄まじい。軽々と掲げられたドラゴンを見るからには、あと数匹は大丈夫そうにも見えてしまう。が、持てると消費できることとはイコールでは無い。

 ある程度は九郎の中に収納していたが、それでもドラゴンの巨体を全て収納するには時間が掛かった。何日も収納に時間を掛ける訳にもいかず、取りきれなかった分を持ち運んでいるに過ぎない。

 夜になる度に少しずつ入れてはいるが、それでもまだまだ時間はかかりそうな大荷物がさらに増えるとなるとと、アルトリアはカクランティウスの言葉に難色を示している様子だ。


「それにカクさん、そんなに頻繁に魔法を使ってると魔力の回復遅れちゃうじゃん。もうすぐ下山してまた街のあるところに行くんでしょ? なら魔力は温存した方が良くない?」

「イヤ……ソレハあると殿ノ夜ノあれヲ自重シテモラエレバ……イヤナンデモナイ」


 二人の会話の中に何やら不穏な雰囲気を感じ取り、九郎は慌てて割って入る。


「じゃあ、また俺が打ちあがって追っ払らえば良いんじゃね? な? アルト」

「うん! そっちの方が良いよ! あのコもこっちにクロウがいると知ったらもう襲って来ないだろうしね」


 何だかアルトリアは嬉しそうに頷いている。それに対して、今度はカクランティウスの方が弱り顔を浮かべていた。

 髑髏の顔で表情は余りよくは分からないが、彼とも結構長い付き合いになる。何となくだが、顎の角度とかから逡巡しているようだ。

 だが常日頃王者の風格を纏っているカクランティウスも、アルトリアには強く出れない。本気を出せば、周囲から際限なく生命力を『吸収ドレイン』できるアルトリアに苦手意識があるようだ。今日も言いくるめられたのか、項垂れるカクランティウスと、九郎に向かって嬉しそうに駆け寄ってくるアルトリアの表情の差異が結論を物語っていた。


「今日はどこにする? おちん……駄目? ……そう。じゃあ、うん。耳でいい」


 九郎に近付き上目遣いで見上げて来ていたアルトリアが、いつものやり取りを経て九郎の耳を千切って行く。このやり取りももう何度目だろうか。自身の体の損傷にも頓着してないアルトリアは、九郎の体を刻む事も遠慮しない。二人が同じように再生する体を持っている為だろう。

 リオ達の引きつった表情を気にする事無く、人外の膂力で九郎の耳を菓子袋を開けるように千切って行くアルトリア。


「んじゃ、ちょっくら逝ってくっわ! カクさん準備はいいっすか?」

「ウ……ウム……」


 最近また消費が激しくなりつつある腰布をはだけて、全裸になった九郎に、カクランティウスは歯切れの悪い返事で頷く。上空を旋回しているドラゴンが、いつ襲い掛かって来るのか、そのタイミングを待っていたのでは埒が明かない。最近もっぱらこの手で追い払うのが通例化していた。


「……何度見ても酷い絵面だ……」

「言葉にするともっと酷い事になりますよ?」


 リオが歪んだ顔で感想を述べ、アルフォスが引きつった顔でたしなめていた。アルフォスの言葉も十分酷い。仕える主の全裸を窘められなかった、アルフォスにも責任はあるように思えるのだが……。


「酷い酷い言ってんじゃねーよ! 大体俺は必要だから脱いでるんだろ!? こっちの変態親父に言ってやれ! うひっぁっ!?」

「エエイ! 気色ノ悪イ声ヲ出スデナイ!」

「ち、違っ! アルト!? 耳舐めんじゃねえよっ!」

「ふぁって、手ふぁ空いふぇ無いもん」

「嘘つけっ! さっきどの手で引き千切っていった!?」


 九郎の怒鳴り声とカクランティウスの抗議の声。最近は毎度繰り返される一幕となりつつある。

 二人の男の全裸の絡みにリオがうえっと舌を出していた。


 全裸のオッサンが全裸の男を抱える図。なるほど、言葉にすると更に酷い。

 どたばたとしたいつものやり取りを経て、カクランティウスが体を丸めて三角座りをした九郎を持ち上げる。

 カクランティウスの体が万全でない事は、絵面の酷さを少しは緩和しているのだろうか。

 紫色のスケルトンの右手の上で三角座りをする全裸の青年。……十分な参事に思える。


「仰角よーし! 風向きよーし! 狙い、上空レッドドラゴン! カクさん砲準備よーし!!」


 九郎は大声を出しながら空を指さす。ただ待っているだけなのも暇なので言っているだけだ。

 狙いを定めるのも何もかもが、カクランティウス任せである。ふざけていないと、絵面の悪さに気持ちが落ち込んでしまう。空元気でも騒いでいた方が気が紛れるのだ。

 一応ノリのついでに九郎は右手で敬礼しておく。最近ノリが分かって来たのか、ベーテとフォルテが敬礼を返してくれた。


「対レッドドラゴン用最終兵器! 九郎! 逝っきまーす!」

「フンッッッッッッ!!!!」


 九郎の号令と同時、カクランティウスの腕が振られる。投石器よりも強大な力が、九郎を上空へと投げ出す。強烈なGがかかり、九郎の顔が風にたわむ。瞬く間にカクランティウス達の姿は豆粒となり、逆に太陽が大きく迫ってくる。


「いやっふぅぅぅぅっ!!」


 歓声を上げながらみるみる空へと打ちあがった九郎の目の前に、驚いたようなレッドドラゴンの顔が映った。このまま咥えられて、餌となっても取りあえず一時の脅威は退けられるだろう。肉体はアルトリアの咥えていた耳から再生させても問題は無い。だが、人の味を覚えて再び九郎達を襲って来る可能性がある。

 ドラゴン達が異様に恐れる冷気。それを九郎が持っている事を知らしめたほうが、後々楽だろう。


「じゃあ、派手に逝くぜ! 『超絶エクスブロー美人ドボムシェル』!!」


 叫んで九郎は弾け飛ぶ。体の中に水を生みだし、熱で膨張させて破裂する。

 汚い花火となった九郎の肉片が、大空に散布される。

 レッドドラゴンの目が見開かれた。餌が飛んできたと思ったら爆発したのだ。その驚きは、例え大空の覇者であろうともかなりのものだろう。


「『冷たい手ウォームハート』!!」


 大空に散らばった肉片から同時に声が響く。

 上空なら気温は当然低くなる。高高度を飛ぶレッドドラゴンも、数十度くらいの気温の低下はいつもの事だろう。だが自然下では考えられないような極寒の冷気。『光の魔境』と呼ばれる、空気さえも凍り付くような世界の温度。生物が生きる事を許さない、絶対零度が空に散らばる。


 ギヒャグキャギャッ!!?


 甲高い鳴き声を上げて、パニックになりながら逃げ惑うドラゴンを見上げながら、九郎はバラバラになったまま落ちていく。散らばった体を元に戻しても良いのだが、どの道落下地点は火口になりそうだ。

 再び山を登ったり下りたりを繰り返して、合流するのも時間が掛かって面倒臭い。


「……散らばった最後だけは綺麗なんだよなぁ……」


 アルトリアが咥えている耳に意識を映したその時、リオの呟きが耳に入ってきた。



☠ ☠ ☠



 そんな汚いやり取りを繰り返しつつ、なんとか九郎達は火竜山を越えた。


 山を下りてしまえば、そこは緑豊かなカクランティウスの故郷、アルム公国だ。

 少し色づき始めた広葉樹が広がり、森は深い色を携えている。小鳥の鳴き声や、小動物の営み。季節は穏やかな秋と言ったところだろうか。


 50年留守にしていた故郷に地を踏む時、カクランティウスはしみじみとした表情を浮かべていた。

 また、最初に寄った村で、アルム公国がどうなっているのかを聞くときには、緊張の色が色濃く出ていた。口では、頭でも、大丈夫だと思っていても、やはり不安もあったのだろう。


 だが、カクランティウスが言った通り、アルム公国は滅ぼされてはいなかった。

 内政に関しては、カクランティウスは殆んど関わっていなかったから、余り変わらないだろうと言っていたが、彼は国で強大な武力の象徴だった。その彼が50年もの間行方不明だと知れれば、近隣諸国から攻め込まれていた可能性は高い。そう案じていたが、彼の国の中枢は九郎が思っていた以上に優秀だったようだ。


 相手国の中でも最大の敵国の武力、『勇者』と呼ばれる『来訪者』も同時に行方不明になっていた事も関係していたようだが、それ以上にアルム公国の取った行動は驚くべきものだった。


「文化ねぇ……」


 リオが何とも言えなさそうな顔をして、手元の本を捲っている。

 奴隷だったリオは文字を読む事が出来ない。だがそれでもペラペラとページを捲っているのは、そこに絵が描かれているからだ。


(……お、お、汚染してんじゃねえか……)


 九郎は眦を下げながら、別の本に目を通していた。

 見た事のあるような構図で割られた絵本。登場人物の言葉は、雲のような吹きだしに書かれ、物語は殆んど会話だけで進んでいる。


 ――漫画――。元の世界にいた頃は、教科書よりも目にしたであろう書物が、アルム公国の端っこ、田舎の村まで広まっていた。聞いたところによると、周辺諸国でも広がっているようだった。


 羊皮紙では無く、植物由来の紙が出回っていた事はバッグダルシアの街で分かっていた。

 値段からして見ても、結構安価で、広く出回っている事が見て取れていた。

 だが、それでも中世レベルの世界では高価であろう紙を、贅沢に使った漫画本が、山間の小さな村の安宿にまで置かれているのは驚愕に値する。


 アルム公国が取った自衛の手段。九郎には、それは文化の開放と言う名の文化侵略にも思えていた。

 あえて安価にした娯楽物を周辺諸国にばら撒く。その中の内容は、アルム公国に都合の良いようにしてである。


 魔族の多いアルム公国は、魔族が人に忌避されるという根本があって、何度も戦争が起こっていたのだとカクランティウスがこの国に入る前に言っていた。


 それをこの国の中枢の人達は、娯楽の中にメッセージを込めて言い分を広める事で薄めようとしていた。漫画の中での魔族の立ち位置は、憎めないキャラ。敵だったけれども人気の出そうなキャラ。萌えキャラ。と、主人公では無いが、美味しいところを持って行きそうな絶妙な位置に入り込んでいた。

 主人公は殆んどが人族だった。魔族が主人公では角が立つ。

 魔族が人族を倒して活躍するような内容だったら、人族の反発からこれほど漫画は広まらなかっただろう。

 だが主人公すら食ってしまう位置にいるサブキャラの存在が魔族であったのなら、話は変わって来る。

 漫画の中で人気のトップを取るのは、大抵サブキャラクターの方だ。読者は主人公に自分を重ねる。だからこそ、好意というものは主人公の仲間、サブキャラクターに集まる傾向が強い。

 恋愛物などはその傾向が顕著で、主人公など人気投票でも10位圏内に入れない事もザラだろう。

 だからこそ、漫画の主人公を人族とし、サブキャラのおいしい位置に魔族が入り込んでいた。


 人族の国との諍いの原因は、魔族と人族の軋轢、差別に多くを起因していたが、その考えを庶民から徐々に軟化させようとしているのが分かったのは、漫画本に親しんでいた九郎だけだろう。

 娯楽の少ない世界に、いきなり反乱したヲタクコンテンツ。周辺諸国の重鎮たちはさぞかし困惑した事だろう。ただの絵草子だと思っていたものが、ある意味では聖書と変わらぬ宗教性を持っているとは、知りもしなかったに違いない。


「懐かしいな……。ミツハも晩年、この様な書物を見ていたな……」


 カクランティウスが懐かしんだ様子で、違う漫画を捲っていた。

 その言葉を聞いて、九郎はミツハ――彼の妻の『|神のギフト』を思い返す。

 扇 三葉――九郎と同じくこのアクゼリートの世界に彼女が転移してきたのはもう100年も昔の筈だ。その当時も漫画は僅かにあっただろうが、女性のミツハが知っていた可能性は高く無い。

 と言う事は、ミツハはこの世界に来た後に漫画の存在を知った事になる。


 そこから考えられるのはミツハの『|神のギフト』、『エツランシャ』は、この世界の書物だけでなく、元の世界の書物すら閲覧できるものだった可能性だ。戦後すぐにこの世界に来たであろうミツハだが、その後の文明の進化のスピードは凄まじい。彼女はこの世界で30年程しか生きられなかったようだが、それでも日々進化していく知識を絶えず仕入れられる位置にいたことになる。知識チートの最たるもの。聞いていた以上にずるいチートな『|神のギフト』に、九郎は心の中で舌を巻く。


(カクさんの言葉が無けりゃ、また『来訪者』がいるのかと思っちまったが……)


 九郎も懐かしい気持ちで漫画本を捲る。文字はまだまだ書ける数は少ないが、読む事だけなら九郎は出来る。名作と呼ばれた漫画のパロディーだが、なかなかどうして面白い。紙に付いているインクからして、版画で印刷しているのだろうか。スクリーントーンなどはまだ生まれていないようだが、銅版印刷のような味わいがあり、構図もしっかりしている。


「ヲタクは世界を平和にする……マジでやっちまいやがったんか……」


 口の中で呟いた九郎の言葉に、カクランティウスが薄く笑った。

 きっとその意味は分からなかっただろうが、平和の言葉に反応していたに違いない。

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