第216話 閑話 邂逅遭遇


「あれが……そうかの……」

「まったく……えれえ目にあった……」

「オババを信じた俺らがアホだったんだよ……」

「しゃーなかろう!? 前に来た時は新街道なんてものは無かったんじゃから!」


 小高い山の上から麓を見下ろし息を吐いたシルヴィアに、ファルアとガランガルンの冷たい視線が突き刺さる。

 シルヴィアの思い付きで一路を北、レミウス領アルバトーゼへと向けた一行だったが、またもや道中思わぬ時間を食っていた。昔シルヴィアがパーティーを組んでいた頃、一度立ち寄った記憶を辿ってレミウス領を旅していた一行だったのだが、それは今からもう何十年も前の話。立ち寄る街も疫病の噂で閑散としており、情報収集が儘ならなかったのも原因だったが、新街道が出来ていたとはとシルヴィアも幾分居心地が悪そうだ。


「時間が押してるからそんなに長居はできねえぞ?」

「わーっちょる! コルル坊が心配しとった街の様子をちーっとばかし見ておくだけじゃ!」

「早く戻んねえと、道が雪で閉ざされちまいそうだぜ……」

「おめえの身長だと辛そうだもんなぁ? ガラン?」


 いつものようにからかいを口にするが、ファルアの額にもしっとりと汗が噴き出ている。

 雪に覆われた旧街道を進むのには結構苦労が多かった。途中崩れている箇所もあり、ガランガルンの土の魔術で足場を作ったり、ファルアのロープワークで橋を作ったりと、余計な手間を掛けさせられた。

 やっとの事で頂上付近まで登ってみれば、旧街道とは違った道が街の方に伸びていたのだから、疲れがどっと出てしまうのも止む終えない。


「ところでシルヴィは大丈夫なんか?」

「大丈夫とはなんじゃ?」


 苦労の多い道を選んでしまったことに、少しの申し訳なさを感じていそうなシルヴィアに向かって、ファルアが声を掛ける。キョトンとした表情を浮かべたシルヴィアに、ファルアは機先を削がれて微妙に口元を歪める。


「クロウの思い出のある場所なんだろ? アイツの昔の女がいてもおかしかねえぜ」


(んなはっきり言うんじゃねえよ! なんで俺が濁したと思ってんだ!)


 ガランガルンの空気の読めなさにファルアが顔を覆って視線を逸らすが、シルヴィアの方はそれでもまだキョトンとしている。完全に何を言いたいのか、ここまで言っても分かっていない様子だ。

 ファルアとガランガルンはシルヴィアの気持ちが九郎に向いている事を知っている。

 あれだけ毎日惚気られれば、誰だって気が付くに決まっているし、シルヴィア自身が「未来の旦那様」と言って憚らないのだから、その傾倒具合も推し量れる。

 しかしいくら九郎を捜す為だとは言え、昔の彼の軌跡を辿るとなると知りたくない情報も出て来るだろうと考えていた。


「ならええんじゃがのぅ……」


 さてどうしようかとファルアが顔を歪めて考え込んでいると、シルヴィアからは思っても見ないセリフが飛び出していた。意味が分からないと今度はファルアが口をパクつかせる。

 九郎が多くの女性を虜にしなければ、シルヴィアと結ばれる事も出来ない身である事はファルア達は知らない。よもやシルヴィアの方から発破をかけていたとは、知る由も無い。


「なんでそんなセリフが出てきやがる……」

「言うとらんかったかの?」


 思わずポロリと口から零れたファルアの呟きに、シルヴィアは首を傾げて訳を話す。


「「はあああああ?」」


 九郎に科せられたある意味男としては最悪で最低な禁忌を聞かされ、複雑な心境を顔に浮かべて二人の男は同時に声をあげた。

 確かに九郎の顔は良い。多分自分達を含めて、女性に対して一番受けが良いのは九郎に違いない。

 しかしファルアも常識として九郎の『不死』が普通では無い事を分かっている。そして多くの者から見れば、恐れを抱くには充分な異様さだということも知っている。


「アイツが10人の女を虜に……」「ぜってー無理だろ……」


 仲間のシルヴィアの恋路を慮って言った最初のセリフが、もっと大きな困難を伴って返ってきた気分だ。

 顔を見合わせて何を言えば良いのか、戸惑い狼狽える二人の男にシルヴィアは微笑んで肩を竦める。


「儂の未来の旦那様はようモテよる。心配無用じゃ! なんせ……

 ――…・・・・・・…――?」


「おいっ! 何言ってやがるっ!」「おっそろしいことサラッと言うなっ! オババっ!」


 続けられたシルヴィアの言葉に、ファルアとガランガルンは二人して顔を青褪めさせて反論していた。


 ――気難しい男でさえ虜にしよった奴じゃしの? ――


 ファルアの背中にじっとりとした汗が流れていた。雪山の行軍で火照った体は、すっかり冷えていたと言うのに。


「「男同士の友情を変に捉えんのはしやがれっ!!」」


 二人の声は見事に重なって山に木霊していた。


☠ ☠ ☠


「思ったよりも閑散としてなかったな。この街は」

「病の原因が分かったみたいだぜ?」


 余りがらのよくない酒場の一画。ガランガルンの言葉にファルアが仕入れたばかりの情報を伝えて眉を上げた。


「そりゃあ、まあ良かったんだろうが……。よく分かったな」

「『青麦』ねぇ……ホントに偶発的に広がったんかねえ」


 ガランガルンの何気ない呟きに、ファルアが意味ありげに顔を歪める。ファルアがこの病の原因『青麦』の事を多少なりとも知っていることに、話しを聞きたそうな素振りだ。ガランガルンが先を促すようにファルアを見やると、頭を掻いて天井を見上げたファルアは声の音量を落とす仕草をする。


「『青麦』……まあ病じゃなくて毒物……。これまでの様子を聞くと中毒症状っぽいんだがよぉ……」


 他人に聞かれると拙い類の話だと、ファルアが態度で示すと、ガランガルンは唾を飲み込み、頷いた。


 この疫病騒ぎの原因『青麦』は毒の類とは言え、麻薬の側面を持っていた。容量を超えて体に取り入れれば四肢を腐らす強烈な毒だが、少量であれば多幸感をもたらす麻薬。貴族や裕福な商人などが、自分で楽しむ為に作り出す類の毒。文献には決して記す事の出来ない、金持ちの闇とも言える。

 情報を集めた限りで言えば没落した貴族の糧食が原因との話だが、はたしてそれだけが原因かどうか。

 裏で誰かが糸を引いているのではと、ファルアは考えていた。


「麻薬だったら尚更分量を考えずにばら撒く意味が分からねえじゃねえか」

「まあ……そうなんだけどよ」


 とは言えガランガルンの言葉も尤もなもので、分量を操作すれば巨万の富を得られたであろう『青麦』を放出する意味は薄い。没落したと聞く貴族が楽しんでいたものが、意図せずばら撒かれたと考えるのが理に適っているかもしれないと、ファルアも自信はあまりない。


「んじゃこの酒もヤバいってことになんのか?」

「いや、これはこの地方のジャガイモってのから作られた酒らしいから、大丈夫だろ」


 それよりも心配なのはと、ガランガルンがジョッキを掲げ、それを見てファルアは呆れたように口を開く。

 麦の余り出回らないミラデルフィアでの麦と言えば、エールや酒の原料としてが主なところ。どこにいっても大酒を飲むガランガルンとして見れば、穀物の毒と聞いて最初にする心配が酒なことなのは、分かっていても力が抜ける。


「ジャガイモ……? 俺が知ってるその名前は確か毒があったような気が……」

「ありゃあ種類が何種もありやがるからな。毒のねえのもあるんだろうよ」


 芋の名前には心当たりがあったのかガランガルンが首を傾げ、ファルアが肩を竦める。


「だいたいそれが毒だって聞いたら、どうすんだよ?」


 ファルアの呆れ果てた質問にガランガルンは少し考え込む素振りを見せ、


「飲んで死ぬだけだな」


 言ってジョッキを傾けた。「酒を目の前にして飲まずに捨てる事は考えられない」と言ったガランガルンの言葉に、ファルアは溜息を吐いていた。


「あの……」


 とその時後ろから若い女の声が掛かる。


「ああん?」


 少し険を含んだ声でファルアが振り返る。その表情には少しの警戒心が浮かんでいた。後ろから近付いて来られたと言うのに、今迄気付けなかった事への驚きがあった。

 だがファルアの凶悪な悪人顔は、その後すぐに間抜け面に変わっていた。

 振り向いた先にいたのが、年端もいかない少女だったからだ。

 黒いフードを被った若い少女。フードから覗く服装の設えから、ある程度裕福な環境にいることが伺える。


「先程のお話を少し詳しく聞かせてはもらえないでしょうか」


 その少女は、ファルアの凶悪な面構えを目にしていると言うのに、少しも怖気付いた様子を見せず、しっかりとした立ち居振る舞いで頭を下げていた。


「何の事だぁ? ガキが聞いて面白い話なんざしてねえぜ」


 ファルアは訝しんだ様子で、場を誤魔化す。なぜこんな場所に年端もいかない少女がいるのか。最初に思い浮かんだ疑問を口に出すことなく、ファルアは警戒を強める。酒場の空気がその少女を異物としては見ていない。何かヤバい尻尾を踏んだのかと、ファルアは注意深く周囲に目を走らせながら、手元の山刀マチェットを手繰り寄せる。


(この街の暗部が何かしてやがったのか?)


 ファルアは、麻薬の話をこの場でしてしまった自分の迂闊さに歯噛みしていた。普通ならば警戒する必要の無さそうな少女が、この場所にいる事自体に警戒の意味がある。絶対にありえないと思っているからこそ、人は油断してしまう。少年時代に暗殺者の仕事をしていたファルアだからこそ知り得る、人の心理の裏を突いたえげつない真理。それを警戒して殺気を纏わせたファルアに、少女のフードが動いた。


(獣人!? よくもまあ……溶け込んでやがんぜ……)


 動いたフードの場所から、ファルアは更に一段警戒を強める。獣人と言えば大体の地域で下に見られる種族。それは盗賊や傭兵といった荒っぽい稼業に身をやつす者が多いのもその理由ではあるが、同時に余り頭が良くない為に、暗殺や謀略の駒として使われる事が多いのもその理由にあった。

 獣人で子供――暗殺者としてはありふれた者だが、今日街に入ったばかりの自分達に差し向ける理由は何か……。少女の立ち居振る舞いからは、一般ではありえない隙の無さが伺える。

 さてどうするかとファルアが山刀マチェットを握ったその時、少女が動いた。


「これで足りますですか?」


 テーブルの上に銅貨が置かれていた。思わず山刀マチェットを抜きかけたファルアの動きが止まる。

 殆んど何も言葉を交わしていないのに、いきなり出された銅貨の意味。


「若いのによく知ってるじゃねえか……」


 ファルアは苦み走った顔で置かれた銅貨を摘まみあげ再びテーブルに戻す。やはりと顔を顰めるファルアの指は、黒い煤で汚れていた。


 ある程度情報の重要さを知る者。主に盗賊の間で取り交わされる符丁である。

 情報の売買は、価値を知る者同士でないと都合が悪い時がある。誰彼かまわず売れる類の情報もあるが、そうでないのも多く有る。人を選ばず情報を売っていると、その情報は早々と価値を無くすし、また裏を掻かれる事にもなる。だからこそ扱いを知る者同士がやり取りする為にある、知っている者同士の符丁。情報を買うとの言葉と共に、自分は情報を漏らす愚者では無いとの牽制の意味も含んでいる、裏が汚された銅貨を確認して、ファルアはやっと殺気をおさめる。


「では……いかほど?」


 お互いが事情をある程度話せる相手だと確認し、ファルアが考え込む素振りをする。

 麻薬の情報は価値が高い。金貨で取引される程度の価値はあり、相手もそれを承知だろう。何の為にとは聞かなくても、相手がそれを漏らすとは考えにくい。なにせこの符丁はある程度街の裏の顔役が認めなければ知り得ない符丁だ。同時にそれを知る者は自己の利益では動かない証明でもある。

 ファルアは改めて少女を値踏みする。立ち居振る舞いの所作から、少女とは思えない程の実力があることは測れるが、暗殺者の暗く澱んだ空気を感じない。


「そうだなぁ……」


 悩んでファルアは言葉を告げた。少女が浮かべた顔に、ファルアは驚かされた鬱憤が晴れた気がした。


☠ ☠ ☠


「おい……ファルア」

「あん?」


 少女が立ち去った後、ガランガルンが半眼で見つめて来た。

 短い中で取り交わされた盗賊同士の情報のやり取りに、置いてきぼりをくらって不満なのだろうか。


「なんであんな安い値段で教えちまったんだ?」


 ガランガルンがジョッキを掲げ、愚痴を言う。そっちで不満だったのかと、ファルアは苦笑を浮かべる。


 少女に示した情報の金額は、目の前に置かれた新しいジョッキ2杯分。銀貨十数枚の価値しかファルアが求めなかった事に、酒飲みの彼としては不満があったのだろう。


「なんだ? 気が付かなかったのかよ? それとも酒の飲み過ぎで覚えちゃいねえってか?」


 馬鹿にするようにファルアがガランガルンを笑う。ガランガルンがその言葉に、難しい顔を浮かべて唸る。酒が全てに近いガランガルンには思いだせないだろうと思いながら、ファルアは片目を瞑ってジョッキを煽る。


仲間シルヴィの恋路の応援くらいはしてやらねえとなぁ? 若そうだったが、獣人ならあと2、3年でまあ頃合いだろ?」


 何のことかと首を傾げるガランガルンを酒のツマミに、ファルアはカカと笑って杯を掲げる。

 ファルアは九郎が知りたがっていた情報の中に、獣人の少女がいた事を思い出していた。年の頃や、格好からも多分間違いないだろう。どういう経緯があって九郎が彼女達と離れる事になったのかは分からないが、九郎の様子からしてみれば大事な存在だと言う事は覗えた。少し恩を売って置けば、九郎の正体を知った時に自分達の言葉が届くかもしれない。


(似合わねえ気遣いってか? そう言うのはモテそうになってから言いやがれ)


 どうにもシルヴィアのお節介焼きが移って来たかと、自嘲しながらファルアは眼を細める。


「まぁた悪い顔してやがる……」

「うるせえっ! 俺もお前もアイツのハーレムに加えられんのはまっぴら御免だろうがよっ!」


 ガランガルンの言葉に、裏表のないファルアの本心が零れていた。


「そう言えばオババは?」

「何か『風呂じゃぁぁぁぁ!』とか言って飛び出していったっきりだな……まあ、そのうち戻って来るだろ」


 酔いが回った口調で呟くガランガルンに、ファルアは色気の足りない仲間に溜息を吐いていた。


☠ ☠ ☠


「なんじゃとぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!?!」


 アルバトーゼの東端。お世辞にも立派とは言えない小さな屋敷で、シルヴィアの悲壮な叫びが響いていた。


「御免なさいね。今日の営業はもうお終いなの」


 赤い髪の少女が申し訳なさそうに言葉を口にしていた。


「明日ならええんかいのぅ……」

「ええっと……」


 かなりの勢いで消沈したシルヴィアが縋るように少女を見やる。困った顔を浮かべている少女は、街娘と変わらない簡素な服を着ていたが、街娘とは思えない可憐な少女だった。夕陽に照らされた赤い髪は、炎のようで、深い緑の瞳は、森の奥深くにある湖面のような静かな色を湛えている。

 シルヴィアの悲しみに暮れた態度に、その美しい少女は視線を彷徨わせて言い淀む。


「明日から暫くここを閉めなければならなくなっていて……」

「そげなぁぁぁぁぁ……」


 続けられた少女の言葉にシルヴィアは更に悲壮な声を上げた。

 この街を目指した訳は九郎の心配していた街の様子を見る事も理由にあったが、久しく入っていない『風呂』も当然楽しみにしていた。

 それでなくても冬の旅路で体が凍えている。南国育ちで寒さに弱いシルヴィアにとっては、ある意味希望を断たれた宣告に聞こえていた。


(領主の嬢ちゃんも忙しそうで捕まらんかったのに……)


 一人街の中を駆け廻って、九郎が心配していた少女を捜していたが、病がまだ収まりを見せたばかりであり、謁見が叶う事は無かった。もとより冒険者と言うならず者の身であり、貴族と気軽に会えるとは思っていなかった部分もあるが、それでも気は落ち込んでいる。


(めんこい子じゃのぅ……。しかし聞いちょった特徴とは似とるが、相手は人族。ちーと計算が合わんのぅ……)


 九郎が心配していた少女はこの娘だろうかと、シルヴィアは申し訳なさそうにしている少女を眺める。目の前の少女は美しくはあるが、格好からして貴族では無い。それにシルヴィアが情報を得た時に、既に目の前の少女くらいの年齢だった筈だ。人族の成長速度を考えると、明らかに目の前の少女は幼すぎる。最後の望みを託して、その少女が営んでいる『風呂屋』を目指して来たのだが、会う事はどうやら叶わなそうだ。


「ほうか……仕方ないのぅ……」


 しょんぼりとしたまま、シルヴィアは何とか立ち上がる。

 到着が遅れた事が悔やまれるが、その原因は主に自分の所為でもある。誰を責める事も出来ないと、仲間の元へと帰ろうとしたシルヴィアの様子が余りに憐れに映ったのか。


「騒がしくて良いのなら……」


 赤髪の少女がシルヴィアの目には天使に見えた。


☠ ☠ ☠


「ミーシャ! 明日からは暫く入れないんですから、綺麗にしておいてくださいっ! ああっ! ポーア! もう少し温まってから!」


 もうもうと湯気の立ち昇る室内にレイアのいつもの声が響いていた。


「はいっ! お終いっ!」

「ありがとうございます」


 ベルフラムは孤児の少女の背中をたたいて微笑む。

 少女はペコリと頭を下げて、湯船につかる仲間たちの元へと向かって行く。

 暫くはこの憩いのひと時ともお別れだ。王都に呼ばれる事になるとは思ってもいなかったが、それが慶事であるのなら、余り煩わしくは感じない。


「レイア~! 貴方が一番綺麗に磨いておかなきゃならないんだから、残りはクラヴィス達に任せなさい」

「は、はいぃっ! 畏まりました」


 巷では『青の聖女』と持て囃されてはいるが、レイアはちっとも変わらないなと、ベルフラムは眼を細める。『聖女』と呼ばれてもピンとこないのか、何度か繰り返して呼ばないと振り向いてくれないと、街の人々が溢していた。レイアにその意識が無いのだから、当然だろうとも思うが、何ともレイアらしいと感じる。

 自分が声を掛ければ、どんな距離でも反応しそうと思うのは自惚れなのだろうか。


(違うわね……。レイアはずっと……この2年間私だけを見て頑張ってたんだもの……)


 自分の僅かな労いの言葉にあれ程涙を流したレイアを想うと、主としての期待に応えたいと気持ちが引き締まる。彼女はそれだけの為に努力し、それが目に見えたのが今回だったに過ぎない。多分思うに、レイアはその努力が報われる事が無くても、ずっとそれを続けていただろう。不器用で愚直。一つの事しか目に映らないレイアが報われたのは、ただの偶然だったとしか言えない。


(私ももうちょっと見てあげないとね……)


 再び騎士へと引き上げる事に、小さな罪悪感は残っていた。自分はやがてはここを離れる。その理由を言ってレイアは何を思うだろうか。再び同じ事を繰り返すのであれば、残酷な現実が待っている。レイアがベルフラムしか見えていないように、ベルフラムも未だに九郎を諦めていない。自分の事を何より見ようとしてくれているレイアの気持ちは嬉しいが、例えそうであっても自分の行く道を邪魔すると言うのなら、次は容赦しないと決めている。


(一度レイアには言っておかなければならないかしらね……むぅ……)


 ベルフラムはレイアに視線を向け、眉に皺を刻む。いつものように変わらぬ質量がバルンバルンと揺れていた。


「ごめんなさいね。静かに入りたかったでしょうけど……」


 ひとしきりレイアの変わらぬ様子を眺めた後、ベルフラムは湯船に沈んで蕩けそうな顔をしている少女に声を掛ける。

『風呂屋』を閉めようとしていた直前に駆け込んできた若い森林族の女性。ベルフラムも知識の中では知っていたが、見るのは初めてだった森林族。口調はどこか可笑しな部分が見受けられるが、その風貌は聞いていた以上に衝撃だった。身長はクラヴィスと変わらない程度であり、華奢な肉体はレイアには及びもつかないのにも拘らず――。


(やっぱり……綺麗な人……)


 思わず見とれて少し呆ける。その森林族の女性は華奢で小さいにも拘らず、女性を意識させるに十分な魅力を持っている事が、ベルフラムが彼女を引きとめた一番の理由だった。


「なに……礼を言うのは儂の方じゃし……湯加減も丁度ええ……。はぁ……極楽じゃあぁぁぁぁ」


 言って笑顔を浮かべる森林族の少女。こちらまで嬉しくなってしまいそうなその言葉に顔を綻ばせながらも、ベルフラムの視線は一点に注がれている。


(変わらない……わよね……)


 自分の胸をポフポフ押さえながら、少女と見比べてみるが、大きな差異は感じられない。九郎と別れてからとんと成長を見せない胸に焦りを募らせていたベルフラムにとって、微乳ナイチチなのに女を感じさせた目の前の女性は興味を引くには充分の価値があった。

 諦めている訳では無いが自分の胸には余り期待が出来ない。早く大人になりたいと願っているのに、中々成長を見せない自分の体に焦りを感じていたベルフラムは、目指す指針を得た気がしたのだ。


「シルヴィアさん……でしたっけ?」

「シルヴィでええよぉ……。あ゛~」


 おずおず彼女の秘密を探ろうと近付くベルフラムに、シルヴィアは眼を細めて手招きしてくる。


「……? きゃっ!?」


 警戒心の薄れる何とも平和そうな顔にベルフラムが距離を詰めると、突然シルヴィアが抱きついてきた。

 短く上げたベルフラムの悲鳴に、近くでクラヴィスが構えた気配。レイアも多分身構えているだろう。


「大丈夫よ! 心配無いわ!」


 僅かな自分の悲鳴でも一気に緊張の糸が張りつめた事に、ベルフラムは慌てて声を上げる。


「そうじゃぁ……。大丈夫じゃぁ。心配せんでもええ」


 何で貴方が……とベルフラムは背中から抱きついてきたシルヴィアに眉を寄せる。

 一瞬で抱きすくめられ、抱え込まれていた事にも驚きがある。最低限度の自衛の為にと、最近ではクラヴィス達とも稽古をしていた。にも拘らず、一瞬で後ろを取られ、抵抗する間もなく抱きかかえられていた事には少なからず狼狽える。

 そんなベルフラムの驚きを知ってか知らずか、シルヴィアはベルフラムを抱きかかえたまま諭すように言葉を続ける。


「胸なんちゅうもんはな……。関係無いちゅーてくれる男もおるからのぅ。あまり気にせん方がええ」


 途端にベルフラムの顔に火が入る。些か以上に失礼な目で見ていた事が、シルヴィアにバレバレだった。思わず湯の中に顔を沈め伺うように振り返る。

 シルヴィアはベルフラムの頭を撫で、ニヘラと気の緩んだ笑みを返して来る。


「シ……シルヴィアさんは、その……不安にならないんですか?」


 思わず心の中を曝け出してしまうベルフラム。胸は女と男を分ける中で、一番魅力を持つ部分だと思っていた。男女の差異がどこかと問われるのなら、胸が最初に思い浮かぶ。ベルフラムの問いに、シルヴィアは何とも言えない長閑な笑みで答えてくる。


「シルヴィでええちゅうとるに……。儂の場合、好いた男が気にせんちゅうてくれたから、それを信じちょるだけじゃ」


 言ってまた頭を撫でてくるシルヴィアに、ベルフラムは小さく溜息を漏らす。


「シルヴィ……さんの恋人が羨ましいです」

「なんじゃぁ? お主が好いちょる男は度量が無いのぅ?」

「い、いえっ……微乳ナイチチもいけるとは言ってるんですけど……」


 思わず溢した呟きに、シルヴィアが眉を顰め、ベルフラムは慌てて取り繕う。


「なら気にすることもないじゃろうに? なんでそんなに気にしちょるんじゃ?」


 シルヴィアの尤もな言葉に、ベルフラムは何と返せば良いのかと言い淀む。意中の男、九郎は別に胸の過多で女性を選ぶ事は無いと、出会った当初に言っていた。では何故ベルフラムがこれ程自分の胸を気にするのかと言えば、それは、自信というに他ならない。九郎は確かに自分を貰うと言ってくれた。しかしそれには条件があり、大人になったらとの言葉がある。大人の女性がどう言うものか、考えてみても答えは出ない。区分の中ではベルフラムはもう十分大人として見られている。アプラス王国では女は12で成人として扱われる。しかしどうにも九郎は自分を大人には見ないだろうなと、想像できる。ならば何歳からならと考えてみても、自分達の感覚と九郎の感覚が違うと言う事も分かっているので、答えが出ないのだ。

 だからこそベルフラムは大人の女としてハッキリと認識できる、大きな胸に憧れていたとも言える。


「早く大人になりたくて……」


 意を決してベルフラムは思っていた事を口にする。自分とあまり変わらない胸。なのに女性を感じるシルヴィア。何が違うのかを知りたいと、思いが口を突いて出ていた。


 ベルフラムの言葉にシルヴィアは一瞬目を丸くした後、笑みを噛み殺した表情を浮かべる。


「大人のぅ……儂はこれでも170年生きちょるが、種族の中で言うのならまだ成人しとらん身じゃ……。じゃが儂はちーっとも気にしちょらんぞ?」


 シルヴィアはまたヘラと緩んだ笑みを浮かべてベルフラムの頭を撫でる。


「大体、大人の定義は種族によって様々じゃ。そっちで心配そうにこちらをうかがっちょる獣人の娘はそろそろ大人として見られるじゃろうが、年はお主よりも下じゃろう? 子を成せれば、戦う事が出来れば、一人で暮らして行けるようになれば……地域によっても色々じゃ」

「じゃあっ……」


 シルヴィアの言葉にベルフラムが振り向く。聞いていると更に混乱してきていた。ならば何を以って子供と大人を分けるのか。その答えが欲しくてベルフラムはシルヴィアを見やる。


「まあこれは儂の持論じゃ……。お主に当てはまるかどうかはよう分からん。じゃがそうじゃのぅ……男はいつまで経っても子供じゃが」


 シルヴィアはそう言って片目を瞑り、


「女は……母になる覚悟が出来れば……大人じゃなかろうかのぅ?」


 照れたように顔を赤らめ言いきっていた。かなりの暴論とも思えたが、シルヴィアの言葉に何故かベルフラムは納得している気がしていた。シルヴィアと自分を分ける何かがあるとするのなら、それは母性と呼ばれるものかも知れないと……。


「お主は……見た感じは充分その覚悟を兼ね揃えていそうなんじゃが……」


 シルヴィアの言葉にベルフラムの顔がパアッと明るくなる。母性と言われてピンとこないベルフラムだったが、シルヴィアの目からしてみれば、十分にその素養はあるように思えていた。子供達をあやす手つきも慣れており、また今もこちらを伺っている獣人族の少女達の目も、どこか母親を心配するような気配がしている。なのになぜか当の本人がそれを感じていない様子。


「もしかして……まだ来とらんのじゃないかの?」

「う……」


 シルヴィアの言葉にベルフラムが顔を曇らせて呻いていた。

 実はベルフラムはまだ母になる準備が出来てはいなかった。遅れている成長と共にベルフラムの焦りを生む最大の理由は、この国では成人とみなされる年齢を超えているにも拘らず、まだ来ない月のものとも言えた。


「まあ……そればっかしは人によりけりじゃしのぅ……。儂も70歳を超えるまではこんかったし……」


 シルヴィアが申し訳なさそうに頭を掻いて視線を逸らす。種族が違うのだから何の慰めにもならないが、彼女なりの気遣いだろうか。ベルフラムは視線を水面に落としたまま、溜息を吐きだした。


☠ ☠ ☠


「そんじゃあ世話になったのぅ。ええ湯じゃった」

「シルヴィ……さんも恋人が早く見つかると良いですね」

「うむ。お主も意中の男が早く振り向いてくれるとええの」


 体からホカホカと湯気を立ち昇らせ、若干逆上せた顔でシルヴィアが礼を言う。

 いつの間にか心の中で師匠と呼びそうな勢いのベルフラムが、名残惜しそうに微笑む。自分が目指す大人の女性像を得た気がしたのも理由にあるが、シルヴィアの細い体躯から滲み出ている母性に、殆んど記憶にない母の面影を見ていたのかもと、ベルフラムは心の中を鑑みる。


「私達は明日から王都に向かうんですが、ついでがあるので探してみますか? どの道、私達も探さないといけない人がいますし……」


 あの後、シルヴィアが行方不明になった恋人を探している旅の途中と聞いていた。このまま別れるのも惜しいと、ふと思い立ってのベルフラムの提案に、シルヴィアは苦笑を浮かべる。


「ほうか? 多分この大陸にはおらんと思うが……そうじゃの。お願いしようかの」

「それでシルヴィさんの恋人の名前は?」


 見上げたシルヴィアは、誇らしげに笑みを浮かべて恋人の名前を告げてくる。


「うむ……コルル坊ちゅうんじゃが」

「コルルボウ……変わった名前ですね」 

「ええ男じゃぞ? 頑強で優しくて……お主も会えば一目で惚れること間違いなしかも知れん」

「私の想い人も優しいです! それに、絶対に屈しない強い心を持ってます! 私は身も心もその人に捧げていますからシルヴィさんも会えばなびくと思いますよ?」


 お互い意中の男に惚け、顔を見合わせ別れを告げる。

 お互いの男の特徴に奇妙な縁を感じて笑いあった二人だったが、シルヴィアの抜けた部分と、ベルフラムが緊張していた為に、どちらも同じ男を想っていることには気付かなかった。

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