閑話   Girl me too girl

第215話 閑話 南船北馬


 カラッとした秋晴れの陽気。いわし雲がたなびく空を、緑色の髪を高めの位置で結んだ少女が、難しい顔をして睨んでいた。

 これから訪れる危機に身構えるように、忙しなく周囲を伺う長い耳がピコピコと揺れている。


「おいオババ……おいっ……。ファルア……。ありゃあいったい何してやがんだ?」

「何て言ったらカッコ付けれるかでも考えてやがんだろうよ……」


 その傍らで二人の男が顔を突き合わせて、ボソボソと小声で話をしていた。

 一人は長身で赤髪、頬に大きな十字傷を刻んだ人相の悪い男だ。眉を顰めて小声で話すその様子は、誰が見ても「悪だくみをしているに違いない」と思うことだろう。

 もう一人は逆に横に広い男。ビヤ樽のような腹を板金鎧で覆い、茶色の長い髪をオールバックに撫でつけている。こちらの男は、赤髪の男の言葉に呆れたように顔を歪めている。


 一陣の強い風が吹く。カラカラと乾いた音が大地に流れる。

 流れる髪を押さえていた少女がカッと目を見開く。


「来る!」

「来る! じゃねえよ馬鹿老人っ!」

「もう来た後じゃねえかっ! んなことやってる暇があったら手伝えってんだ!」


 少女の重々しい呟きに、二人の男の突っ込みが一斉に飛び交った。

 乾いた音と共に少女に黒くて小さなものがぶつけられる。


「こりゃぁぁぁっ! 食い物を粗末にするでないわっ!」

「そう思うんなら手伝いやがれっ!」

「儂は魔法を使ったから休んどれちゅーたのはお主らじゃろうがっ!」

大人しく・・・・してろって言ったんだ! 力が抜けるようなことすんじゃねえっ!」


 ペシペシ顔に当たる黒いものに眉を吊り上げ少女ががなる。

 それに対して二人の男は取り合わずに足元を攫っては放り投げる。


 もしもこの光景を別の誰かが見ていたのなら――きっと理解出来ないと眉を顰める事だろう。

 もしも彼らの会話を誰かが聞いていたのなら――きっと正気を疑っただろう。


 足元に広がる黒い虫。大量に横たわる蝗の死骸の中で、いったい何をしているのかと……。


☠ ☠ ☠


「まぁた、空振りじゃったのぅ……」


 机に突っ伏した状態で、緑の髪の森林族の少女、シルヴィアが落ち込んだ声を出す。


「もとから今回はそれほど期待してた訳じゃねえだろうが……」


 それに赤髪の凶悪な面の男、ファルアが薄ら笑いを浮かべて答える。


「一応目的のもんは手に入ったんだし良しとしようや、オババ」


 ファルアに同意するように、長い長髪をオールバックにした鉱山族の若者ガランガルンがぼやく。


「それはそうなんじゃが……」


 シルヴィアは彼らの言葉に消沈したまま、テーブルの上に置かれた黒い蝗に目をやった。


☠ ☠ ☠


 ハーブス大陸、アプラス王国の東端。

 レダイア領の領都の一画。その端に建つ一軒の宿屋の食堂で、3人は猟果を広げながら遅めの夕食を頼んでいた。秋を中ごろまで過ぎた夜の風は冷たいが、喧騒止まぬ酒場を擁する食堂の空気は温かい。

 獣脂のランプが黒い煙を上げながら煌々とした灯りを放つ中、丸テーブルを囲んだ3人はいつも通り、酒を飲みながら料理を待つ。


 九郎を捜し始めてからもうすぐ2年。2度目のガバアウム大陸での捜索を終えたシルヴィア一行は、再びハーブス大陸に戻って来ていた。本来ならそのまま故郷へと一度戻る予定だったのだが、船上で一つの噂を聞いて、遠回りするアプラス経由の道を取っていた。


「お待たせしました……ひぃっ!?」


 食事を運んできた女中が、机の上に広げられた猟果に引いた悲鳴を上げている。

 無理も無いと周りで奇異の目を向ける人々が思う。机の上には何十匹もの黒い蝗が横たわっていた。


「おお! 待っておったぞ。野菜の盛り合わせはこっちじゃ。やはり秋はええ季節じゃのぅ。野菜が輝いちょる」


 それに気付かずシルヴィアは気を取り直して気色ばんだ声をあげる。


「おう、姉ちゃん。酒の追加だ。エールも良いが、この国じゃあもっと濃いのがあるんだろ? なんて言ったっけ……おお、あれだ! あの透明のやつだ」

芋酒ルードでしょうか……ひいいっ!?」


 この宿は冒険者と言うならず者も利用する宿であり、虫に驚きを相した女中も気を取り直して、ガランガルンの言葉に応ずる。が、またもや同じように引きつった悲鳴を上げる。

 シルヴィアが自然な動作で黒い蝗の首をもぎ、野菜に汁を振りかけていたのだから、その悲鳴もさもありなんだ。

 だが、テーブルを囲む3人はもう驚かれるのも慣れているのか、だれもそれに突っ込まない。

 逃げるように厨房へと消えていく女中を気にもせずに、食事を始める。


「やはり野菜にはこれが一番合うのぅ」


 ボリボリと小気味よい音を立てて、蝗の汁が掛かった野菜を頬張るシルヴィア。


「態々遠回りしただけの事はあったかな? つってもやっぱ『暴走スタンピート』してねえと味が落ちんなぁ……」


 ファルアも自然な動作で蝗の首をもぎ取り、魚の塩焼きに振りかけて口に運ぶと同時にぼやく。

 彼らが遠回りを選んだ理由は目の前の蝗が全てといって良い。

塩蝗エンコウ』と呼ばれる害虫の発生を聞きつけ、シルヴィア達は予定していた進路を変えて、このアプラス国へと赴いていた。もちろん『ショウユ』の為である。

 九郎が行方不明になってもうすぐ2年。その間方々を尋ね歩いていた彼らではあったが、まだ九郎の足取りや噂は掴めていなかった。

 しかし九郎が残した足跡は彼女達の舌にはがっちり爪痕を残していた。

 元から体を動かす事が商売の冒険者を生業とするシルヴィア達。流れる汗の量も多く、塩分を旨味として感じるのは最初からだ。その彼女達の好みに『ショウユ』はピタリと合致していた。

 野菜好きのシルヴィア。あっさりとしたものを好むファルア。酒飲みのガランガルン。

 三者三様の食性でありながら、その全てに合致してがっちりと捕まえて離さない程、彼女達は『ショウユ』の虜になっていた。


 そこに立って『塩蝗エンコウ』の発生を聞きつけたのなら、彼らの行く道は決まってしまう。

 どの道何処にいるかも分からない男を捜しての当てのない旅。何処に行くのも同じならと、遠回りすることに誰も意義を挟まなかった。

 一行の『塩蝗エンコウ』のストックが、心許無い量になっていた事が一番の理由――とも言える。


「おおお、お待たせしましましま」

「おう、待ってたぜ!」


 奇異の目に見られる事にももう慣れたもので、女中が再び酒を手にしてカタカタ揺れていても気にしない。巷では彼女達は主にシルヴィアが九郎を捜し呼ぶ声にちなんで『鴉狩り』との二つ名を付けられていたが、ここに来てその二つ名は別の意味でも捉えられるようになって来ていた。

 彼らの主食は鴉だの、彼らが鴉を捜すのは自分の食料を奪われた恨みからだの、まあ色々だ。


 だがそんな噂を気にするような3人でも無い。常識知らずで、常に想像の斜め上を泳ぐ人物を捜しているのだから、それに比べればなんと普通な噂だろうと感じてしまう。


「ガラン坊や。お主ちょっと最近『ショウユ』の消費が激しすぎやせんか? 『ショウユ』そのものを酒の肴にするなんぞ、いくらあっても足りゃせんぞ?」

「オババの方こそ、『ドレッシングじゃ』とか言ってばかばか掛け過ぎじゃねえか? 塩分過多で早死にすんぞ?」

「二人そろって使いすぎなんだよ! こいつぁ、ちょっと使って風味を楽しむもんだ」

「儂等に隠れて熟成なぞの研究しちょったファルアには言われとうないわいっ!」

「そうだっ! 少ねえ少ねえ言ってた時に隠れて楽しみやがって!」


 彼女達はあいも変わらずマイペースだ。死ぬことの無い迷い人を捜す旅。

 探す方に焦りは無い。なにせ生きていればいつかは合えると確信しているのだから。


「そう言えば……」


 いつものように騒がしい食卓の中、シルヴィアが九郎を思い浮かべてポツリと呟く。

 忘れていた訳では無い。シルヴィアの頭の中は常に九郎が大半を占めている。だが、その中で思い出した状況にシルヴィアは顔を上げる。


「なんでぇ、オババ……。便所かぁ?」

「飯は今食べてるとこだぞ? ボケてねえよな?」

「やかましいっ! 取りあえず目的は果たしたからこのまま一度帰るっちゅう話じゃったが……」


 シルヴィアはグラスを傾けながら、懐かしそうに目を細める。

 愛しく思う恋人が嬉しそうな笑顔を浮かべていた、その情景を思い出し、また初めて二人で夜を明かした記憶に少し顔を赤らめながら――。


☠ ☠ ☠


「なんか……あんまりええ時に来たようじゃ無さそうじゃの……」

「関所の通行料があんなに高えとは……」


 少し消沈した面持ちでシルヴィアが呟き、ファルアも同意するように溜息を吐いた。

 一行はそのまま大森林へとは向かわず、北上していた。

 シルヴィアが思い出した九郎が関わりのあったと思われる場所、アプサル王国レミウス領のアルバトーゼと言う街を目指してである。

 冒険者を生業としてもう長い三人の旅のスピードは速い。通常何週間も掛かる距離を、苦も無くすいすい進む筈が、少々予定が狂っていた。


「疫病が蔓延してるって噂があちこちにありやがる……」


 その原因はまだ感染経路が特定されていない疫病の噂だった。

 訪れる先々では疫病を恐れて街は閑散としており、物資の補給も儘ならなかった。

 とは言えその辺は旅慣れた三人。九郎の影響で魔物を食材とする事にも抵抗が薄れて来ていた事もあり、食料に関しては余り問題としていない。ただ、それでも疫病の為か各領を跨ぐ際には、長時間の詰問や拘束をされ、また跳ね上がった通行料にも辟易していた。それも、実力者であり、稼ぎが多い彼らであればそれ程厳しいものでは無かったのだが。


「一度調べておくかの……。原因が特定できれば御の字じゃが……。ファルア」

「おう」

「――『深緑の旅団』アーシーズの眷属にして逆巻き渦巻く見えざる口よ! 集めよ! 『インハラント・ウェント・フォルティア』!!」


 シルヴィアは肩を竦めて呪文を唱え、風を纏めて圧縮する。


「――『黒の綴り手』グレアモルの眷属にして全てを腐す小さき命よ! 遊べ!

   『ノスケル・ヴェノム・バイス』!!」


 それに答えてファルアが違う魔法を唱え、圧縮された空気の中に黒い靄を送り込む。

 風の球の中で黒い靄が躍る。


「うん? ……どうやら風で広がる病じゃねえみてえだが……」


 ファルアは風の球を観察しながら、顎を撫でて眉を寄せる。

 シルヴィア達が何をしているのかと言えば、風の中に漂う生物がいるかを調べていた。

 周囲一帯から風を集めるシルヴィアの魔法と、微生物を繁殖させて生物を腐食させるファルアの魔法。

 二つをかけ合わせる事で、風の中に病の病原が隠れてないかを調べていた。

 最近魔物を食べる事も多くなり、ファルアが必要に駆られて研鑽し、上達していたからこそ可能になった簡易の毒の判別。食材になるかもしれない獲物を丸ごと一つ駄目にしてしまう為、猟果の多い彼らにしか取れない贅沢な方法とも言える。


「ほんなら、水か動物……他に考えられるのは食事かのぅ」

「食事つったって、どこの店も開いてねえんだから意味無くねえかぁ?」

「ま、初見の魔物しょくざい以外ももう一度調べておくか……」


 ともあれ風が原因では無い事が知れただけでも十分だ。

 後は飲み水や食事に気をつけていれば問題無い。

 疫病熱病の類は彼女達の故郷、ミラデルフィアではありふれている。恐れて震え、縮こまっていても解決することなど稀な方。ある種開き直りともとられそうな考え方だが、それが彼女達の普通であり常識だった。


「どちらかと言うと寒さで風邪を引きそうじゃわい……」


 シルヴィアが冬の近まったレミウス領の気候にブルリと肩を抱いて身を竦めた。


「オババ……腰冷やしてクロウとする前にいわすんじゃねえぞ? つーか胸から先に冷えるわな。なんたって一番薄い部分だしよ!」

「だーらっしゃいっ! でかい胸なぞ年取ったら垂れるだけじゃろうが! ちゅーか一番薄くもないわいっ!」

「てか薄着過ぎんだよ……シルヴィは……」


 三人とも確固たる『恐れる死の形』を持っており、それ以外の『死』は、運が悪ければ、実力が無ければ当然降りかかる物と考えてる為、どこにいても余裕がある。

 静かに息を顰める街を後にし、シルヴィア達は騒ぎながら再び北へと歩き出していた。

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