第204話  畑


「はぁ……やっぱりご都合主義な展開なんてそうそう起きねえよな……」


 日の沈んだ街中をトボトボ歩いていた九郎が、肩を落として溜息を吐き出した。

 青い月明かりが作り出した濃い色の影を見下ろし、肩を落とすその背中には哀愁が漂っている。


「ゴメンね……。ぬか喜びさせちゃって……」


 その横に並んで歩くアルトリアも、クロウに同調するように眉をハの字に落としていた。


「いや、アルトが謝る事じゃねえさ……。それに一応薬草は見つかったしな」

「病の進行を遅らせる事は出来るけど……それだけなんだよね」


 打ち捨てられた廃屋に潜んでいたのは、アルトリアとカクランティウス。九郎の『不死者』仲間達だった。

 思わぬ場所での再会となった九郎達だったが、再会を喜んでばかりもいられない事情があった。

 九郎が言葉にした通り、薬草は見つかった。シオリが予想した通り、薬師は存在していた。

 捜していた薬師の正体がアルトリアだったと聞いて、九郎は自分の幸運に飛び上がらんばかりに喜んでいた。運命の女神に導かれるように、自分に都合のいい未来がやっと訪れたと……。

 しかしアルトリアが言ったように、彼女が扱っていた薬草は疫病の特効薬では無かった。罹患を防ぐものでも無く、進行を緩やかにする、病の痛みを緩和するといった死を安らかに迎えられるようにとの、最後の手向けのようなものだった。


「いや、かえって好都合さ。本当に疫病の特効薬なんかあったら、『奪われ』てしまうからな。しかし薬師がクロウの仲間だったとは……。『勇者の加護』ってのは本当みたいだな?」


 消沈した面持ちで肩を落とす二人に、チェリオの慰めの声が掛かる。

 今し方九郎が思い浮かべたご都合主義展開では無かったが、チェリオにとってみれば、この状況でも諸手を上げて喜ぶべきもののようだ。確かに薬師との交渉をすっとばして、協力を引き受けてもらえる今の状況は、『シオリを脅す』との目的を考えればそれほど悪いものでもない。


「キミがリオの弟のフォルテ? ボクはアルト! よろしくねっ……ってカッコいいけどキミ少し老けてるね? 本当にリオの弟?」

「老けっ……」


 慰めの言葉に顔を上げて、アルトリアが力の無い笑みを形作った。チェリオがその言葉に渋面している。

 先の不安は尽きないが、アルトリアも自分の目的――リオを連れ出す意気込みを表した形だろう。

 これからどういう作戦でシオリを脅すか……チェリオの提案で一度アルトリア達とラムスを交えて打ち合わせを予定していた。屋敷と街とを隔てる門も、Sランクのチェリオがいれば抜ける事は容易い。

 今は硬く閉ざされ、街との間には門番も立ってはいない。なにせ門番は既に土の中なのだから。


「こ、こっちはフォルテじゃねえっ! チェリオさんつー協力者だ! つーか、アルトよくそんな薬草持ってたよな? 荷物の中にあったっけ? そんなもん」


 考えれば考えるほど暗くなっていきそうな気がして、九郎は空元気で大声を振り撒く。

 話題を変えようと、頭の角に追いやられていた小さな疑問を口にする。


「え~? 入ってたじゃん。ほら、箪笥の引き出しに」

「砂見てえなのしか入ってた記憶がねえが……」


 アルトリアが意味深な笑みを浮かべて、小首を傾げた。

 九郎が自分がずっと担いできた大荷物を思い出し、虚空を見上げる。

 そんな薬草が入っていた覚えは九郎には全く無い。そもそも長い間、砂漠の中を彷徨って来たのだから、薬草であろうとも既に干からびていそうなものだ。


「それだよ~。あれが薬草の元、コレの種なんだよぅ」

「は? 何で種がコレに変るんだ!? ああ、アルトの魔法で?」


 アルトリアがフフッと笑い、手に持っていた瑞々しい青草を掲げる。

 一瞬目を疑った九郎だったが、自分も見た事のあるアルトリアの魔法を思い出して納得を見せる。冬の大地を一瞬で花畑に変えたアルトリアの魔法であれば、砂漠の大地でも植物を芽吹かせることも可能だろうと。


「最初はそのつもりだったんだけどね」


 しかしアルトリアは九郎の言葉に、少しだけ顔を曇らせた。

 何故そんな表情をするのだろうと、九郎が心配そうにアルトリアを覗き込もうとしたその時、カクランティウスが話に割りこんでくる。


「アルト殿は薬草だけで300万リルギットを稼いでしまったのだ……。吾輩の力だけではもっと時間が掛かっただろう。力になれず不甲斐無い」

「いやいや、カクさんにも十分感謝してるっすよ? てか300万!? マジで? すげえじゃん、アルト!」


 カクランティウスも日の沈んだ今ならチェリオと顔を合わせていても問題無い。久しぶりに見る美丈夫の言葉に九郎は驚き目を瞠る。金を稼ぐ大変さを知っているだけに、短期間で300万リルギット。言うなれば奴隷3人分。3人の人間が一生かかって稼ぐ金額を稼ぎ出した事は称賛に値する。


「元から薬が貴重だったみたいで、こんな病気が流行るんだったら、もっと安く売れば良かったなって……」


 褒められ慣れていないのか、それとも薬が売れる状況が喜ばしくないのか。

 九郎の称賛にアルトリアはもじもじしながら、どういった感情を表せば良いのか戸惑っている様子だ。

 それでも彼女が作り出した薬草で、人々が少しでも救われたのなら気に病む必要は無いと、九郎はアルトリアの頭を撫でて、彼女の功績を褒め称える。しかし――、


「それで、その薬は? それだけ?」


 浮かんだ不安に九郎は聞かずにはおられなかった。アルトリアの手の中にある薬草は、たったの一本。

 菖蒲の葉のような草が一本だけだったのだ。これでは余りに心許無い。屋敷に戻れば今も病に苦しんでいる奴隷は山ほどいるのだ。煎じて飲むのか、粉にするのか分からないが、これだけでは全く足りない気がしてしまう。


「だって、ほとんどさっきあげちゃったもん。コレで最後だよ?」


 あっけらかんとしたアルトリアの言葉。


「は? んじゃあ交渉できねえじゃん!」

「ねえクロウ……。ちょっとこっち来て?」


 再び慌てだした九郎に、アルトリアは何かを決意した表情を浮かべた。

 さてどうしたものかと悩む素振りの九郎を手招きし、街の裏路地の暗がりにと誘う仕草をするアルトリア。

 元から人気の無い街なのに、何故人目を憚る必要があるのかと、訝しがりながら九郎は暗がりへと足を踏み入れる。


 アルトリアは訝しげにしているチェリオやリオの様子を伺い、カクランティウスに目くばせすると、暗がりの中で突然胸の紐を解き始めた。


「はっ!? んなっ……おまっ……また発情して……」


 路地の暗がりに眩い肌が晒される。いきなり胸をはだけたアルトリアに、九郎は狼狽え目を逸らす。

 忘れていたがアルトリアは好色だ。しばらく離れていた九郎と再会して、気持ちが高ぶってしまったのだろうか。

 顔を赤らめ目を隠す九郎。しかし彼女が発情した際に感じられる『吸収ドレイン』の感覚が無い。

 どう言う事だと薄目を開けた九郎の目の前には、アルトリアの豊かな胸の谷間が迫っているのだが。

 

「ここの土地は、作物が全く育たないんだ。野菜とか薬草とか売れそうって思ったから、色々試してみたんだけれどね? そうなったらボク何して良いか分かんなくって……。ボク、村じゃ農作業と巫女の真似事しかしてこなかったからさ」


 九郎の狼狽を他所に、胸の谷間を見せつけるようにしながら、アルトリアは語り始めていた。

 九郎も健全な男であり、今はずっとお預けを喰らっている状態だ。一瞬であれば目も叛けようが、空気でも感じられるような圧倒的な存在感を前にして抗う事など出来はしない。

 吸い寄せられるようにアルトリアの胸の谷間に目が行ってしまう。

 その視線に気恥ずかしそうにしながらも、アルトリアは淡々と言葉を続ける。


「ここの土地はね? 何も無いんだ。形があるだけで、命の流れが止まった状態なんだ。それも、クロウの話を聞いて理由が分かったけれど……この時はまだ知らなかったしね?」


 胸を両腕で持ち上げ、殊更谷間を強調するようにしながらも、アルトリアからは『発情』の雰囲気は少しも感じられなかった。それを不思議に思いながらも、九郎の目はアルトリアの胸に釘付けだ。シオリの裸を見てもピクリとも反応を見せなかった息子も、せっせと準備を始めてしまっている。

 しかしそれも次の瞬間までの事だった。


「アルト……」


 目の前に映し出されたその光景に、九郎の口からは狼狽の呻きが零れていた。


「クロウ、ボクのおっぱい好きでしょ? だからボクも迷ったんだけれどね? でも背中じゃ手が回らないし、カクさんもボクに触ってくれないからさ。仕方なくだよ? ホントだよ?」


 言い訳をするように早口でまくしたてながら見せつけてきたアルトリアの胸の谷間。そこから一本の芽が出ていた。

 なんだと思う暇も無く、ピョコンと突き出た芽は見る見る成長を見せ瞬く間に花を咲かせる。赤紫の花弁を持つユリのような可愛らしい花が、アルトリアの胸から生えていた・・・・・

 

 同時に花の爽やかな香りに混じって、九郎が嗅ぎ慣れてしまった匂いが鼻につく。

 花が成長するのに伴い、アルトリアの豊かな胸が崩れていた。彼女の体そのものに根を張ったその花は、彼女の肉体を養分にして育っている。その事が疑いようのない事実として、九郎の眼下に広がっていた。


 アルトリアの魔法は死と生命を司る。

 彼女は体を苗床に薬草を育てていた。体を腐敗させ、土くれと変わらぬ土壌を自らが担いながら。


「アルトっ! すげえ! お前命を産みだせないって言ってたけど、これだって命じゃんか! すげえっ! すげえよ!」


 見せつけられたのは、ある意味悍ましいとも思える光景。しかし九郎の口からは、称賛の言葉だけが紡がれていた。

 気にしないと言えば嘘になる。これまで死体を埋め続けていた九郎だからこそ、その光景に死を連想してしまう。しかし、こと女性に関してだけは気遣いが出来るのが九郎の美点だ。

 アルトリアが何に悩み、暗い顔をしたのかが分かってしまったからには、おくびに出す事は出来はしない。

 彼女の形の良い胸が腐敗し、崩れるのを見るのは気持ちの良いものではないが、彼女の特性であれば元に戻す事も容易い筈だ。

 だからこそ気にしない態度を貫き、彼女の不安を拭うのが九郎自身の責務だと感じた。


「いやぁ……、厳密に言うとボクが産みだしてるんじゃないんだよね……コレ……。ボクの魔法、『命のメシス・女王のレギーナ・魂のアニマ・収穫ヴィータ』は命を反転させる魔法だから、生と死の狭間に生きるボクに使っても意味がないんだ」


 九郎の言葉にホッと安堵の吐息を吐きだしたアルトリアは、胸に咲き誇っている花を引き抜き、苦笑を浮かべた。グズグズの汚泥のようだった胸は、赤い糸が伸びだし紡がれ、瞬く間に元の健康美を取り戻す。

 その様子に九郎も心の中で胸を撫で下ろし、アルトリアの言葉の意味を問いかける。


「でも、ゴメだってアルトが作り出してるんだろ?」

「ゴメもコレも……ボクが吸い取った『命』を消費して作り出してるんだ……。ボクで育っているように見えるけど、ボクの中に溜まった命を使ってね。だからゴメもコレも、どっちかって言うとクロウが産みだしたモノって事になるのかな?」


 言ってアルトリアは悲しそうに九郎を見上げて来ていた。


「最近ボクは考えちゃうんだ……。無限に湧き出てくるって思ってたゴメだって、コレだって……、全部クロウの命なんじゃないかなって……。ボクはずっとクロウを殺しながら過ごしてるんじゃないかって……」


 暗い顔をしたアルトリアが一番気に病んでいたのはその事だったようだ。

 思い返してみれば、最初欠片を渡した時は、夜になればアルトリアからガンガン何かを吸い取られる感覚が続いていた。

 しかし疫病が広がり始めた頃からは、昼に吸われる感覚はあっても、夜に吸われる感覚が無くなっていた事に気が付く。


 どうやら彼女は彼女で自重していたようだ。発情すれば際限なく命を吸い取るアルトリアだったが、その吸い取り先を思いやり、一人遊びを控えていた事を聞かされて、九郎はどう反応していいのか困り顔を浮かべる。


「気にすんなよ、んなこと。俺はこの通りピンシャンしてっからさ。減らねえもんだ、遠慮なくガンガン使って良いじゃねえか」


 一人遊びに供されるのは今の自分の禁忌を考えれば控えて欲しいところだが、人々の為に使われるのであれば惜しむ気持ちは九郎には無い。

 自分で言うように、九郎の命は無限だ。細胞の一欠けらからでも再生出来る肉体。意識の狭間からでも復活出来る文字通りの『フロウフシ』。

 捻れば湧き出す蛇口の水のように、九郎の命は尽きる事が無い。


「でもっ……。ボクもカクさんも『不死者』だけど……、完全な『不死』は存在しないんだ。だって神様だって死んじゃうんだよ? ボクは怖いんだ。いつかボクがクロウの命を吸いすぎちゃって、クロウが死んじゃうんじゃないかって……」

「そうは言ってもなぁ」


 アルトリアとカクランティウス。二人の『不死者』に出会った事で、九郎は『不老不死』も完璧では無い事を聞かされていた。50年間氷の中に閉じ込められながら生き続けたカクランティウスも、魔力が尽きれば死んでしまうし、300年もその姿のまま動き続けるアルトリアも、肉体の消滅からは復活出来ない。


「その神様に言われたぜ? 俺の『神の力ギフト』『不死』以上に強力だって。言っちゃなんだが、俺ですら自分がどうやったら死ぬのか想像がつかねえ。どっちかって言うと世界が滅びたって生きてる気がして、そっちの方が心配なくらいだ」


 九朗のその言葉は本心からのものだ。

 今の自分に『死』など想像もつかない。今まで何度も絶対絶命の危機に陥ってきたが、この体は傷一つ残っていない。

 完全に消滅したかに思えた、水の蛇に呑まれた時でさえ無事だったのだ。

 その時に出会った神様を名乗る青い蛙、ベイアの言葉を借りれば自分の『フロウフシ』は、その言葉以上に強力なものだと言われている。


「俺の命の事なんか気にする必要ねえって! 俺じゃゴメもコレも産みだす事なんざ出来ねえんだからよ。コレはアルトの力さ。そんで、それで人がちょっとでも救えたんなら、なんつーか……お得じゃんよ?」


 無限で尽きないものを惜しむなんて馬鹿げている。

 尽きない自分の命で利益が生み出せるのなら――と九朗は最後にせせこましい考えを口にして、ばつが悪そうに頭を掻いた。


 アルトリアはその言葉に九朗を呆れ顔で見つめ、小さく笑うと両手を広げる。


「じゃあ、はいっ! さっきはびっくりしたのが大きかったからさ……。ホントにいいんだよね?」


 抱擁をせがむアルトリアの可愛らしい仕草に九朗が抗える訳がない。

 その前に胸元を閉じて欲しいと思いながらも、九朗のクロウの抗議が聞こえて口をつぐむ。


「久しぶりだなぁ~。やっぱりクロウは生きてるんだ……。温かい……」


 安堵の吐息と共に吐き出されたアルトリア言葉には、それ以上の万感の思いが込められていた。

 命を宝物のように考えるアルトリアだからこそ、病に死にゆく街を見るのは、想像以上に辛かったのかも知れない。

 アルトリアの心情をおもんばかり、熱を貪るような彼女の抱擁に身を任せる。


 と、アルトリアは九朗に抱きついたまま、耳元で囁いた。


「じゃあさ……、この件が片付いたら……、期待しても良いのカナ?」

「……期待?」


 オウム返しに九郎が聞き返した瞬間、ゴソッと何かが吸われた気がした。


「んふっ……ご、ほ、う、び」


 吐息を耳に吹きかけ、アルトリアはいつもの好色な微笑みを浮かべていた。


「期待しちゃうからね?」


 胸元を正し、足早にカクランティウス達の元に戻るアルトリアを、九朗は情けなさ全開の表情で見送っていた。

 尽きることの無い自分の命を惜しむ気持ちは欠片も無いが、同じように無限に涌き出す筈の自分の種には、哀悼の気持ちが込み上げていた。


☠ ☠ ☠


「じゃあ見つからないように気を付けてくれよ。って言っても誰も立っていないんだが……」


 施錠を開きながらチェリオが自分の言葉に苦笑を浮かべる。屋敷の門は今は硬く閉ざされ、そこを守る守衛もいない。

 門の横に備えられた守衛の扉を開きながら言ったチェリオの言葉も、都合が良いと喜ぶことは出来ない。


「確かに誰も立ってはおらぬようだが、人の気配はするぞ?」

「門からも結構距離があるから、屋敷に着くころには全員寝静まってるだろうが――」


 チェリオの言葉にカクランティウスが首を傾げるのと、扉を開きながら言ったチェリオが固まるのとが同時だった。

 扉の取っ手に手を掛けたまま固まるチェリオの向こうには――。


「やあ、ご苦労様。チェリオ、クロウ、リオ。そちらが薬師様かな? 女性だったらリオは必要無かったな? それともそちらの御方かな?」


 守衛室の扉の中には一人の銀髪の男がテーブルに腰かけていた。


「アルフォス……」


 チェリオの呻くような驚きの声。銀髪の美男子、奴隷管理の長であるアルフォスが待ち構えているとは予想外だ。悠長に屋敷で作戦を練ろうとしていたが、ここにきてシオリの側近中の側近の登場。

 何とも嫌な予感がする。


(さっきの会話も聞かれてた!? 別に重要な事は言ってねえけど取りようによっては反意があるってばれちまう)


 冷や汗が流れるのを感じながら、九郎は様子を伺う。


「なんかクロウの知り合いっぽいぜ? いやあそっちのオッサンかなりの使い手でしょ? 1HHラハインは離れてたってのに、見つかる気がしたもん」

「流石に1HHラハイン先の視線に気付けるほどの知覚は持っておらぬ。そもそも吾輩は気配を察するのは苦手故……」

「ベーテ!!?」


 と、今度は後方から声がした。

 振り返ってみるとオレンジ色の髪のやんちゃそうなイケメンが双眼鏡を片手に姿を現していた。

 カクランティウスの言葉に抗議の言葉を口にしたい気分だったが、それも今は後回しだ。

 そもそも1HHラハイン――1キロ先の視線に気付く方がおかしい。カクランティウスの言う通り、彼自身も自信の無い感覚だったのだろう。そもそもカクランティウスは自分でも気配を感じるのは不得意と言っていた。死ににくい『不死者』が気配を感じる必要性があまり無いからだ。しかし苦手と言っておきながらも、扉の中に人がいる事くらいは充分に感じられるのか。


(見られてた!? てか眼鏡があるんだったらあるよな!? 双眼鏡も……)


 まさか尾行を付けられていたとは露と思いもよらなかった。

 確かに考えてみれば九郎達の行動はおかしいところも多い。何も考えず動くだけの奴隷達の中にっては、それだけ目立つ存在でもある。


 しかしどうして、何故という思いが強い。


「ベーテ、大丈夫なんか? 疫病の街まで付いてきちまってよ?」


 心の中の動揺を悟られないよう、努めて平静を装いベーテを探る。

 ベーテもアルフォスもシオリの『シンエイタイ』。一番傍に侍る身分だ。それだけに、一度外に出てしまっていたチェリオに調査の全てを任せ、他の二人は安全であった屋敷から出る事は無かった筈だ。


「今更じゃね? とっくのとうに屋敷も疫病が蔓延してるってのに」


 その問いに対してベーテはあっけらかんと答えてくる。

 屋敷の中が安全であったのは過去の話。あれだけの数の死者を出しておきながら、屋敷が安全とはもう言えなかった。

 部屋に引き籠り誰とも会おうとしないシオリが、その脅威を一番表していたではないか。


「それで? 出迎えにしては寂しい限りだが、まあ街がこの様な事態だ。吾輩も礼を失するとは思ってはおらぬ」


 九郎とチェリオが予想外の人物の登場に心の中で慌てふためいている中、カクランティウスだけは落ち着きをはらった態度だった。

 為政者としての矜持か、はたまた『魔王』と呼ばれた者の余裕か。突然現れた怪しい二人に臆することなく話しかける。


 驚き固まる一行の中で一人余裕の美丈夫。この存在にはアルフォスも驚きの表情を覗かせた。

 為政者の側近をしてきただけに、同等の圧力を持つカクランティウスに気圧されたのか。


 奴隷の一行に連れられてきた男が、突然偉そうな態度をとったのだ。そしてそれが偽物では無い、明らかな威圧感を伴って来ている。


「これは失礼しました。私どもは薬師様をお招きするよう仰せつかっていた次第で。名のあるお方とお見受けしますが、名前を伺ってもよろしいでしょうか」


 本物の王者の風格。それを感じ取ったのか、アルフォスは慌てて机から飛び降り、膝を付いていた。


「吾輩はアルム王国国王、カクランティウス・レギウス・ペテルセン。バッグダルシアの領主にお目通り願いたい」


 それに対するカクランティウスの態度は堂に入ったもの。チェリオですら思わず膝をついている始末だ。


(そういや、カクさんのことチェリオさんに紹介すんの忘れてた……)


 跪きながら恨みがましい目で九郎を睨むチェリオに九郎は渋面しつつ頭を回す。

 カクランティウスの機転でこの場を有耶無耶にする事は出来たが、この先の予定が全て狂ってしまった。

 こっそり屋敷に忍び込み、シオリの弱みを握る算段をしようとしていたのに滅茶苦茶だ。


 それにアルフォスとベーテが待ち構えていた理由も気になる。

 単にシオリが薬師の登場を待ちきれなくて使いを出しただけならいいが――。


「それではただいま馬車の用意を――」


 そこまで言ってアルフォスの動きが止まったかのように見えた。


「そちらも。密偵が姿を見せるのは感心せんな? そもそも怪しんでいましたと公言しているようなものではないか」


 チンと鞘走りの音がしたと思った次の瞬間、カクランティウスの言葉に重なって、ドサリと重い音が二つ響く。

 呆れたような物言いのカクランティウスの手は、腰に据えられた柄から動いた形跡すら見受けられない。

 振り返ると後ろのベーテが白目を剥いて倒れていた。九郎が驚きのままに再び前を向くと、そこには地に倒れ伏したアルフォスの姿がある。


「カクさん……。何したのさ……」


 驚きを相していたのは何も九郎だけでは無かった。アルトリアもチェリオもリオも――多分アルフォスもベーテですらも――何が起こったのか分からなかった様子だ。


「殺してはおらぬよ? 何、少し意識を刈り取っただけであるぞ? 命の大切さを説いておきながら、野盗でもないものを無下に殺す必要はあるまい? アルトリア殿? ホントであるぞ? 何? その疑いの目は」


 アルトリアの視線に狼狽えを見せたカクランティウスは、言い訳をするかのように捲し立てていた。

 いきなり態度を軟化させたカクランティウスであったが、彼を侮る視線は皆無だ。

 近くにいても気付けない。言われても何をしたのかさっぱり分からない。音すら遅れてきたような光速の剣技。


「カクさん……本当に強かったんすね」

「クロウ殿。吾輩を襲うと容赦せぬぞ?」


 驚き思わず口にした九郎の正直な感想に、カクランティウスは髭をしごいて好漢の笑みを浮かべて片目を瞑った。

 ――正直惚れそうになってしまった。

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